天には星を、人には愛を   作:厳冬蜜柑

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4-8. 共振、伝播、そして

 五月の連休が明け、ドラマ「薄明」はとうとうクランクインの時を迎えた。

 これまでアクアは、所謂「連ドラ」の場に本格的に参加したことはなかった。もう少し正確を期すならば、連ドラのレギュラー出演者として現場に入ったことは、今回が初めてだ。子役の頃に出た端役にせよ、一年前の「今日あま」の「ストーカー役」にせよ、所謂一話限りのゲスト出演だ。ドラマとしてのクランクインからクランクアップまでの、「プロジェクト」としてのドラマ制作の場というものには、全くもって触れてこなかった。

 

 だからこそ、ではあるが、アクアは周りの女優業をやっている人間――つまりはアイやかなから、「連ドラの撮影とはどういうものか」について、いくらかのレクチャーを受けていた。ドラマの主演格としての出演が決まった今年の初め頃からは特にである。

 とりわけ、その辺りの「事情通」として頼まれなくてもいろいろな「現場トリビア」を得意げに開陳してくれるかなからの情報は、実のところアクアにとって結構な助けになっていた。

 長丁場の現場の中で出来てゆく人間関係や力関係、大御所のキャストに覚えをめでたくしてもらうためにすべき挨拶の内容やタイミング、撮影スタッフ側のキーパーソンの把握など、彼女からのアドバイスは多岐にわたった。

 そんな彼女がアクアに向かって垂れた講釈の中に、こんなものがあった。

 

「いい? 覚えておきなさいアクア。現場でキーになっているのが誰かを見極めるためにはね、『撮影スケジュールの組み方の中心になってる人』を探すのが一番よ。誰の都合が中心になって撮影が回っているか、よく観察しておくことね」

 

 かつて共演した映画の現場で、完全に大御所気取りでADに無体な要求をしていた彼女のことを考えると隔世の感があるというよりないが、ただそれで彼女の言葉の価値が毀損するというわけでもない。寧ろそれが、彼女がアクアともう一度の邂逅を果たす前にこの世界を生き抜くべく身に着けた処世術であるというのであれば、なおさら謹んで傾聴すべきものだった。

 

 その視点において今回の現場を俯瞰するに、このドラマにおいて中心に置かれている存在というのは、実のところ片寄ゆらその人であった。

 このドラマの中心人物三人、即ちアクアの演じる「杉原司」、大輝扮する「稲垣淳」、そしてゆらの「西沢雪」の中でも、彼女の配役である雪という女性はその中央に座する「核」のようなキャラクターである。

 片寄ゆらという女優そのものも、昨今急激なブレイクを果たしている所謂「売り出し中」のタレントだ。原作者や脚本家サイドの意図はともかくとしても、商業的意味においては今回のドラマの実質的なキャスティングの目玉が彼女であることは疑いようもない。

 

 だからきっとあの顔合わせの日に、如何なる偶然の為せる業か彼女と関わり合いを持てたアクアは、随分と運がよかったのだろう。

 「ドラマ撮影の現場にいかにして溶け込むか」という意味においても、そして言うまでもなく、アクアの「もう一つの狙い」という意味においても、である。

 

 実際、撮影が始まってからの現場で、アクアとゆらが打ち解けるのはかなり早かった。

 元から、アクア()ゆら()は第二の主人公と、そのヒロイン――と言っていいのかはさておいて――という関係だ。人間関係を構築しやすい距離にいる、と言えなくもない。

 ただこのドラマの、というより原作の小説の描写がそうさせているのだが、兎も角その脚本に従えば、特に青年期以降の司と雪の二人が交流しているシーンというのは、ほとんど描かれないのだ。

 

 それは偏に、この二人の間にある関係を、最後の最後まで伏せておくためのギミックだった。

 ちなみに原作小説に至っては、その最初から最後まで、司と雪との直接の会話や「触れ合い」の類は、一切文章として描写されることはない。

 小説の外側の世界で二人の交流が継続的に為されていることを読者は「推理」出来るようになっているが、しかしその確たる根拠は一切提示されない。そういう構造になっている。

 最終的に司の雪に対する心情を窺い知れるのは、「全て」が終わったあとに発見される彼自身の手記の記述という体で、その独白が文章として現れる最終章――どころか、最後の五ページほどしかないという徹底ぶりだ。

 

 今回のドラマも、それについては踏襲している。リメイク前のドラマにおいて、「美男美女である司と雪の交流のシーンが少ないと売れない」などという理由で、雑にもほどがあるほどに増やされていたラブシーンも含めた諸々が視聴者にはあまり評判がよくなかったという反省も踏まえてか、今作における司と雪のペアでのシーンはかなり少ない。

 小説とドラマという媒体の違いから、あるいは視聴者に対する説得力の為に、小説よりは明らかに二人の描写は増えている。が、それも決して安易な絡みではないし、数も少ない。

 

 共演シーンは、つまりあまり多くないのだ。同じ現場に入る機会というのも、そこまでない。

 最低でも、ほぼ毎エピソードに出番のある主演同士としては、その機会は顕著に少なかった。

 

 だから、アクアとしても「仕事」に託けて片寄ゆらという女性と交流を持つチャンスというのは、思ったより少ないものであった。

 相手が今を時めく売れっ子女優の一人である以上、ある意味それは当然のことだとも言えるのかもしれない。

 しかし同時に、そして幸運なことにも、アクアはそれとはまったく別の理由で、ゆらとの関係を深めていく機会を持っていた。

 

 言うまでもない。片寄ゆら個人が、アクアのことを「気になる人物である」と見做したからだ。

 アクアが彼女にとって、顔見知りの「誰か」とあまりにもよく似た容貌を持つ人物であったからだ。彼女が、「ミキさん」と呼ぶ男と。

 

 

 

 撮影が始まって一か月ほどが経てば、ドラマの共演者同士の交流というのは必然的に増えてくる。

 その中心となるのは、やはり主演級の演者たちだ。今回の現場はシーンにおける主演同士の絡みの少なさという意味では確かに些か特殊な環境であるとは言えるが、それでも傾向としては同じである。

 取り分け、主演の中でも一歩抜きんでた立ち位置にいる片寄ゆらが、乗り気だった。言うまでもなく、アクアとコミュニケーションを取ることに、である。

 

 共演者同士で打ち解けるという理屈や、今後のドラマの展開における双方の演技プランのすり合わせなどという「大義名分」を合わせて、ゆらは撮影が終わったあとに少なくない頻度でアクアのことを食事に誘った。

 ただ、彼女とて流石に「芸能人の男女が二人きりで食事に出向く」ことの危険さは心得ている。よってその場には大抵、もう一人の人間の姿があった。

 今回のドラマにおける主演格の最後の一人たる、姫川大輝である。

 

 

 

 アクアは、つくづく思わされていた。本当に、芸能人という職種の人間は「焼肉が大好き」であると。

 どういうことかと言えば、この日の撮影上がりに片寄ゆらに「一緒に夕食でもどうか」と誘われて行った先が、北麻布にある高級個室焼肉店だったという、それだけの話だった。

 

「あれだよねぇ? アクアくんと大輝くん、共演今回が二作目なんだっけ?」

「ですね。最初は舞台でした、2.5の」

「知ってるよぉ。『東ブレ』、私も漫画は読んでて。流石にいろいろ忙しくて舞台観るとかは時間なかったけど、でも評判良かったらしいってのは知ってるー」

 

 当然ながら成人しているゆらは、その片手に酒を持っている。

 どうやら結構「イケる口」であるらしい、二十歳になったばかりだというのに随分と手慣れた様子でビールジョッキを傾けている大輝とまるで競うように、彼女もまた結構なペースで酒を入れていた。

 アクアの隣にいる大輝が、話に割り込んでくる。

 

「まあ、実はコイツの名前自体はもうちょっと前から聞いてたんですよ、俺。世話になってる劇団の役者ん中にコイツのカノジョいるんですわ。それで」

「あー、知ってる知ってる。黒川あかねちゃんでしょ? あの子凄いよねぇ、多分今年か来年かなんか賞取れると思うよ」

 

 いいコ捕まえたねぇ、と意味ありげな流し目で自分の方を見てくるゆらに、アクアは小さな会釈だけで返す。

 どうやらこの片寄ゆらという女性は、芸能界の事情に関していくらかの触手を伸ばしているというか、その辺りの情報のインプットをよくしている人間であるらしいというのが、彼女との今までの交流の中からアクアが受けている印象であり、そして彼女の人物像への評価でもあった。

 同時に、その源泉が一体どこにあるのかということも、アクアはこれまでの会話の中から知ることができてしまっていた。

 

「それもあれですか、『ミキさん』経由の話だったりします?」

 

 全く何の気なしと言った調子で、アクアは問いを投げる。隣で大輝がちらりと視線を向けてきたのを視界の端で感じ取ったが、それについては完全に敢えて無視をした。

 真っすぐに正面を向き、肉が盛られた皿の中から人数分のそれをトングで取っては七輪の中に並べながら、あくまで世間話と言った体裁を崩すつもりはなかった。

 

「そだよ。あの人なんでも()()()()()()()()()()らしいから、結構そこら辺のタレントの事情には詳しいんだってさ」

 

 アクアのその「演技」は、特段ゆらに怪しまれるようなこともなかった。

 彼女から出てきたそのセリフにも、アクアはただ意外そうに「へぇ」、と声を上げながら眉根を上げるだけに留めた。

 

「芸プロの社長さんですか。そしたら、引き抜きの話とかも来たりするんですか?」

「いやぁ、それは流石にね。プライベートで仲が良くてもそこの仁義忘れたらこの世界じゃ干されるし。そもそもウチの事務所はまあ、そこそこな規模なわけじゃん?」

 

 気づかれまいと話を押し流していきながら、アクアは内心でまた一つ根拠が重なったことを認識する。

 ――アクアとよく似た容貌を持ち、「ミキさん」と綽名されるような名前を持った、芸能プロダクション社長の男。

 もはや、九割九分と言ってもよいだろう。つまり、片寄ゆらの友人たる「ミキさん」なる男とは、即ちアクアが今追わんとしている自らの父親であろう人間、「カミキヒカル」であるのではないかという己の推論のことである。

 

「確かに。失言だったかもしれませんね、忘れてください」

「いいってことよ! どうせ私今()()()()だし、頼まれなくたって詳しい話なんて半分ぐらい忘れてるだろうから!」

 

 あっはっは、と陽気に笑いながら、ゆらは自らの手に持っているジョッキを掲げてみせた。

 アクアの方も釣られた様子で苦笑しながら、七輪の上で焼けたそれぞれの肉を取って各々の皿の上へと運ぶ。

 

「はい、焼けましたよ」

「お、ありがとー。これなんだっけ」

「えーっと……『トウガラシ』らしいですよ。赤身の肉ですね」

「『トウガラシ』! 肉なのにトウガラシ! よく分からないネーミングするよねぇお肉屋さんも!」

 

 肉の希少部位の名前よりも余程によく分からない理由で、ツボに入ったらしいゆらがアクアの言葉にくつくつと笑う。

 酒が入っている人間にはよくあることだ。ただ、それもそこまで長くは続かない。

 一頻り笑い終えて、顔の前で手をぱたぱたと扇ぎながらも、「あー笑った」と呟いてから、ゆらはアクアに語り掛けてきた。

 

「それにしても、アクアくんってちょいちょいミキさんのこと訊いてくるよね。気になるの?」

 

 テーブルの上に両肘をついて、掌で顔を支えながらもアクアの方を覗きこんでくる。

 そこにあるのは純然たる興味と、そしていくらかのからかいの混じった目線だ。アクアは目を閉じ、しかしそう時を置かずにそれを開いて、正面にゆらを見た。

 

「まあ、それは。だって初対面の時にいきなりその人に間違えられたんですから、ゆらさんに。気にもなるでしょう」

「あー……その節は、どうも?」

 

 わざとチクリと一刺ししてみれば、バツの悪そうな表情を浮かべてゆらは己の頭をぱしんと叩いてみせる。

 変装用の丸縁眼鏡の中の目が、茶目っ気を帯びるように片側だけ瞑られた。

 

「けど、しょうがないじゃん。だって本当に似てるんだよ、アクアくんとミキさん」

「そんなにですか?」

「そりゃもう」

 

 アクアの問いに大きく頷いたゆらが、指を立てる。

 

「訊いていいのか分かんないけど、アクアくん何歳だっけ」

「え? ああ。二カ月ぐらい前に十七になりましたけど」

「十七! 若いねぇ。……じゃなくて」

 

 こほんと一つ咳払いをして、言葉が続けられた。

 

「そっか、十七か。ミキさん確か来月に誕生日で、三十三になるらしいんだよね」

 

 そう言って、再びまじまじとアクアの方を見てくる。

 

「うん、やっぱり似てるよ。十六とか十七歳差だったらかなり歳は離れてるけど、実は『生き別れの兄弟でしたー』、とかだったりしても、正直私全然驚かないもん」

「……まさか。他人の空似ですよ」

 

 彼女から出てきた単語に、アクアの胸が内心で跳ねた。

 それは、果たして彼女の言う「ミキさん」に、すなわちカミキヒカルに対してのものか、あるいは自らの隣に座って、まるっきり無言のまま肉を頬張りつつもアクアとゆらの会話に耳を傾けている大輝に対してのものなのだろうか。

 いずれにしても、それはゆらには決して悟られてはならないことだった。この時ばかりは、アクアは自分が役者をやっていることに感謝せざるを得なかった。

 

 同時に、なればこそアクアは、更に一つだけゆらに対して訊かなければならないことがあった。

 

「ちなみにですけど、その人にこの現場の話とかしてるんですか? 僕のこととか、姫川さんのこととか」

「え? ミキさんに?」

 

 問われたゆらが、訝しげに片眉だけを上げる。少しばかりの沈黙が場を支配して、その後彼女は中空に視線を向けた。

 

「どうだろ。世間話の中では出したかも。あ、でもアクアくんのことは流石に言った気がする。だってほら、初対面あんなんだったし」

「……まあ、でしょうね」

 

 こちらが何を思っているかなど当然知らせるつもりもなく、故に彼女は完全に、何でもないことのようにアクアに答えた。

 「何でもないことのように」、というか、実際ゆらからすればこれはただの他愛のない世間話に相違ないのだろう。しかしそれはアクアにとってみれば、予期できていながらも、同時に全く看過できない事態に他ならなかった。

 

 思わず、大輝に向かってアクアは目配せしていた。同じ事を考えていたのだろう、大輝もまたアクアを見ていた。

 視線が結ばれ、どちらともなく頷く。

 

 そんなアクアたちの様子に、半ば置いてけぼりを喰らったように首を傾げているゆらのことを横目に、アクアは一つのことを強烈に意識した。

 

 ――事態は動き出している。止まることは許されない。時間の猶予など、もうない。

 何故ならば、もうすでにカミキヒカルは、アクアの父親と思しき人間は、アクアが自分自身に近づきつつあることを、認知している可能性が高いからだ。ともすれば、姫川大輝でさえも。

 

 もはや、流れは止められない。確実に、事を急がなければならなかった。

 

 

 

 

 

 ともあれ、片寄ゆらと知り合ったこと、そして彼女との交流によって、アクアはカミキヒカルという存在にかなり肉薄するところまで来ていた。ゆらという「共通の知人」をテコに、DNA鑑定のための試料を得るためのカミキヒカルとの接触すらも視野に入るほどにである。

 ただ、アクアがカミキヒカルのことで自らに課しているのは、カミキヒカル本人に対する物理的なアプローチばかりではない。もう一つ、アクアには自らに任じた大事なタスクがあった。

 

 寧ろ、これは余人をもって代えがたい、アクアにしかできない仕事という意味では、最も大事なものであるとさえ言えるのかもしれない。

 つまりそれはドラマの話であり、その裏に潜む、「カミキヒカル」という人間の内面を推論し、また「追体験」しようという営みの話である。

 

 

 

 カミキヒカルが劇団ララライを抜けてからの足跡は、アクアにもあかねにも、そして大輝にも追えるものではなかった。つまりその為人についてを知れる方途というのは、基本的には存在していない。

 片寄ゆらという、カミキヒカルに相当に近しい人間がアクアの交友関係には加わったものの、しかし彼女とて知っているのは現状のカミキヒカルの外面の部分に過ぎない。彼が本当のところ何を考えているかについて、彼女経由で知れるわけではない。

 故に、アクアは今回のドラマを、その中の「杉原司」という役を、ある種の「補助線」として使おうと考えていた。

 

 カミキヒカルの過去の境遇によく似た仄暗さを帯びる彼のことを、役作りの一環として理解する。

 「記憶と経験」こそ雨宮吾郎という赤の他人のものでしかない今のアクアでも、その身体性については間違いなく「カミキヒカル」と「星野アイ」の遺伝に相違ない。精神の動きやパーソナリティに、多少なりともそうした遺伝のもたらす影響が無視できないのが人間であるのならば、ともすればアクアの中に、カミキヒカルの心情のようなものさえも再現できるかもしれないという、どこか淡い展望のようなものさえも、アクアは自らに懐いていた。

 

 何せ、かつての吾郎では到底やれるとは思っていなかった演技の道に、今のアクアは進めているのだ。過去の自分では絶対に成し遂げられないであろう、「演技派若手俳優」などという過分な称号さえも頂戴している。

 それは、明白な「過去(吾郎)との差分」だ。その存在こそが、アクアの中の吾郎とは違う成分なのではないかと想像する自分は、確かにいた。

 

 そして――実際に、そんなアクアの密かに持っていた期待というのは、しかし自らの想像していたものよりも遥かに深刻な形で、アクアの前に姿を現すことになった。

 

 

 

 アクアが扮する「杉原司」がドラマに現れるのは、実は第一話からだ。そしてその時点での彼の年齢は、幼少期に起きた「事件」の六年後、すなわち十六歳ということになっている。

 司の幼少期の話は、ドラマの構成上ラスト近くになってから明かされる構成になっていた。つまりアクアは、第一話時点での司について、「幼少期の凄惨な体験」のことを言外に匂わせつつ、しかし同時にそのことに直接には言及することのない演技をすることが求められている。

 

 表向きは、幼いころに母親を亡くし、また父親が再婚したことで出来た義母さえも三年と絶たずに『殺される形』で死別することになった父子家庭の一人息子として、司は生を歩んでいる。過酷な過去を背負っていてもなお健気な、「優等生」としての仮面を貼りつけ、世の中における「あるべき杉原司」の姿を演じている。

 しかし、それでも、司へとカメラが寄る要所要所のカットにおいて、彼の中に内在する狂気はほんの少しだけその顔を覗かせるのだ。言葉さえ発することなく、佇まいと表情、そして同級生から話しかけられた言葉へと反応する僅かな間隙に、彼の尋常でない部分を視聴者に印象付けることを、演者は期待されている。

 

 なぜなら、幼少期に義母である杉原洋子を殺したのは、他でもない杉原司本人であるからだ。正確には、とある男――西沢雪の義父となった男を操り、そして差し向けて、杉原洋子が殺されるように仕向けたのが、司であった。

 当然に、司はそれを隠さねばならない。その全てを闇に覆い隠し、何食わぬ顔で彼は今日を生きている。

 アクアに求められる演技とは、すなわちそういうものであった。

 

 世間に、外界に期待される役割を演じ、ともすれば「迎合」する。それはかつてのアクア――吾郎にも通ずるものがあった。

 かつて、東ブレの打ち上げの流れで、金田一に言われた言葉さえもが思い起こされる。

 ――『欠けてる人間』は、自分が『欠けてる人間』だって分かってるから、『欠けていない人間のふり』をするために必死になる。

 であるのならば、それはもしかすれば、「彼」も同じなのかもしれない。

 

 片寄ゆらから聞く「ミキさん」の話では、彼はゆらと相対する時には常に笑顔を絶やすことなく、物腰は柔らかく、そしていつも敬語を欠かさずにいるという。

 彼とはサシで呑みに行く機会も多く、そんなときに自分の言う愚痴もうんざりすることなく聞いてくれて、だから「自分がお酒を飲んでいて一番楽しいのはミキさんといるときなんだ」、などと彼女は言っていた。

 

 ゆらに、カミキヒカルとのことでアクアに対して嘘を吐く積極的動機などない。彼女の言うカミキヒカルへの人物評というのは、本当のことなのだろう。

 しかしそれは、アクアが推測している彼の所業とは、あまりにもマッチしない。アクアに、そしてアイの身に起こった「事件」のこともあってバイアスがかかっていることを否定はしないが、そうであるにしても、アイの出産の日に不審な人物として病院の周辺に現れ、そしてその時共にいて、あまつさえ雨宮吾郎のことを殺したのと同じ人間に対して、ドーム直前にアイの新居を教えることを躊躇しなかった男が、最低でも世間一般に言われるようなまともな精神性をしているとは流石に思えない。

 

 ならば、きっとそれは擬態なのだ。世の中に対して「望ましい自分」を演出し、「正しく」あろうとする。そのために、嘘を吐き続けている。己の中に眠る歪さを、ともすれば「狂気」を、その分厚い嘘の鎧で覆い隠しながら。

 

 カミキヒカルと、そしてドラマの役どころである「杉原司」は、斯くしてアクアの中で同一の根源に向かって収斂していく。

 認めたくはないが、それはある意味で、過去の雨宮吾郎にさえも通ずるところがあった。

 だからというべきか、アクアのこのドラマにおける役作りは怖いほどに順調に進んだ。

 

 教室のセットの中で、クラスメイトに話しかけられた言葉ににこやかに返すときの表情の作り方も、口調も。

 自分の周りから人が消えたその瞬間に、作っていた表情が一瞬ばかり剥がれ落ちる、その一秒にも満たない能面のごとき顔も。

 ポケットの中で振動したスマホを取り出し、その中に見た「誰か」の名前に、俄かに瞳に浮かんだ妄執の光も。

 

 アクアはその第一話のカットを、すべて一発OKで撮了した。

 当然だ。没入することを意識することさえもなく、今のアクアの胸中には杉原司の抱えているであろう情動がごく自然に浮かんでいるのだから。

 演技など、していないに等しいのだから。

 

 

 

 台本を読めば読むほどに、ドラマの役柄を、杉原司という人間への理解を深めようとすればするほどに、アクアの中の過去と、そしてカミキヒカルの影が、アクアの胸中を覆ってゆく。

 過去の吾郎としての生い立ちがそれを後押ししているのか、それともこの身体に流れる血こそが、「カミキヒカルの息子」としてのこの肉体が、アクアの精神に作用しはじめているのだろうか。

 

 いや、そればかりではないのかもしれない。

 あまりにも分厚い「嘘の鎧」を纏っているという意味においては、彼のその振る舞いはある意味で、アイにさえも通じている。

 嘘を駆使して、嘘を武器にして世を渡っているのは、アイとて同じことなのだ。そうしなければ生きてはゆけなかったことも。

 

 そして今、ドラマの中、ここから杉原司が向き合うことになる「西沢雪」という人間もまた、そう生きることを強いられる人生を歩む存在となっていた。

 このドラマにおいての、杉原司と西沢雪の共演シーンを撮影する時が、近づこうとしていた。

 

 

 


 

 

 

 あの日、君に出会ったことがもし運命だというのならば、それでもよかった。

 君しか分かってくれなくても、君が僕のことを分かってくれるのならば、それだけで十分だった。

 

 あの時、きっと僕は、僕たちは道を踏み外してしまったのだろう。後戻りのできない世界に、進んでしまったのだろう。

 血で舗装された地獄へとつながる道を、いつかやってくる終わりへとひた走る道を、光の見えない夜の闇の道を、僕は歩いているのだろう。

 

 正しく生きるということは、こんなにも難しい。悪意と害意が満ちる世の中で、他者の足を引っ張り合うばかりのろくでなしの跋扈する時代に、それでも僕はずっと、本当はずっと正しくありたかった。

 求められるがままに生き、乞われるがままの笑顔を差し出して、「正しい嘘」を吐く。それしか知らない僕は、しかしいつしかその正しさを失ってしまった僕は、醜悪な嘘をただ垂れ流すだけの怪物に、きっと変わってしまっていたのだろう。

 それでも君がそんな僕のことを分かっていてくれるなら、それで君が笑ってくれるのなら、多分僕はそれだけで生きてゆけた。

 

 僕が深淵へと一歩歩を進めるたびに、君は薄明の世界へと一歩踏み出す。僕の得られなかった光の分だけ、君は新たな輝きを手にする。

 この世は所詮零和(ゼロサム)で、君がその場所に辿り着くために、僕のありたかった「何か」は剥がれ零れて、記憶の彼方に消えてゆくばかりなのだとしても。

 でも、それでいい。それがいい。それでやっと、初めて、僕の命に意味が生まれたような気が、していたから。

 

 けれども、それでも一つ祈るのならば。

 ――僕のことを、いつまでも忘れないでほしい。厚かましくとも、烏滸がましくとも、それがきっと僕の最後の、たった一つの君への願いなのだから。

 

 

 


 

 

 

 彼の本心を語る手記が見つかるのは、原作においては最終盤だ。しかし今回のドラマは、寧ろこの杉原司の一人語りから作品が始まる。

 こればかりは、連ドラと単行本の小説とのメディア性の違いだろう。

 連載小説となると事情は変わってくるが、基本的に買い切りの小説というのは、映像芸術の世界で言えば映画に近い。一度読み始めたら最後まで読まれるであろうことを想定している。だから必ずしも冒頭に掴みを用意する必要はない。

 一方、連ドラは常に「一話切り」のリスクが付きまとう。視聴率という絶対の指標で成否がはかられる、冷たい数字の世界でもある。視聴者を「脱落」させないための工夫が随所に求められるのが、この類のドラマの宿命だとさえ言えるだろう。

 

 翻って今回のドラマを見るに、初回の冒頭に流される手記によって、視聴者は原作と違って司と雪の二人の間に存在する関係や感情のことはある程度想像できる形でこのドラマを見始めることになる。

 しかし、その経緯が明らかになるのは幼少期の描写がなされる終盤の展開を待たねばならない。すなわち、視聴者は司と雪の関係については「答え」だけを与えられている状態に等しい。無論、原作小説の読者は別であるが。

 

 ともあれ、それを一種のフックとする形で、視聴者の継続視聴を狙わんとするのがこの脚本の意図である。

 そういう前提に立って、アクアは「西沢雪」、即ち片寄ゆらとの演技に臨む必要があった。

 

 

 


 

 

 

 杉原司と西沢雪は、同じ東京という街の中で生きてはいるが、しかしこの十六歳の時点においては互いに離れ離れだ。生活圏も重ならない。

 「例の事件」のあと、再婚相手が最終的に殺人犯となった、その「元凶」でさえある雪と共に生活を送ることを諦めた彼女の母、「西沢文緒」は、雪のことを自らの親類縁者に里子に出した。

 里親となった雪の親戚である「酉井綾」は文緒の姉であり、そして彼女は音大を出てピアノ教室を自分で開いているほどの良家の子女であった。

 

 彼女にとっての西沢雪とは、半ば駆け落ちのような形で家を出奔した妹が産み落とし、不運が重なったとはいえ半ば投げ棄てるようにして押し付けてきた娘だ。迷惑に思わなかったわけではない。

 ただ、そこは良家の娘ゆえの精神的余裕か、雪のことを受け入れるだけの度量というものが綾にはあった。

 無論、あくまで里子として受け入れただけの子供であり、「家のもの」として何か相続させるような財産があるわけではない。それでも、彼女は雪のことを確かに世話した。

 衣食住に不自由させず、母子家庭であったときには学ぶ余裕すらもなかった礼儀作法のいろはも教え込んだ。継子いじめのような下世話な真似をすることなど、一切ありはしなかった。

 

 

 

 約めて言えば、雪は確かに恵まれた境遇の中にあった。里親たる綾の好意に応じるように、彼女は十歳の時に起きた「事件」によって失われて久しかった笑顔を取り戻しつつあった。そう、周囲には見えていた。

 否、見せていた。

 

 そうあれかしと望まれる姿を周囲の人々に見せながら、しかし少女はその裏に、冷え切った心情を内包している。

 彼女の本心が表出する場所は、故にこそただ一人の前だけだった。

 

 

 

 都内のビジネスホテルの一室に、一対の男女の姿がある。

 鳶色の髪の男と、濡羽の黒い髪を長く伸ばした女だ。そしてともに、この世のものとは思えないほどに美しい容貌を持っていた。

 しかし同時に、男も女も、ぞっとするほどに感情の抜け落ちた冷たい目でもって、互いのことを見ていた。

 

『頼まれてた『ヤツ』だ』

 

 男が女に向けて、チャック付きポリ袋の中に収められたUSBメモリを差し出す。

 

『ん』

 

 女は男の手元を一瞥して、素気ない様子で片手でそれを受け取った。

 中に収められているのは、女――雪の通っている高校の、担任と学年主任の「秘すべき恥部」に関するデータだった。

 

 世に聖域と謳われる学校という空間も、所詮はヒトの集まりである。

 腐った人間というのはどこにでもいる以上、探せば握れる弱みはあるものだ。

 よしんばそういうものがないとしても、機会さえ与えれば欲に転ぶ人間などたくさんいる。

 なれば、その欲を掻き立て、人の心の弱さに漬け込むようにして、弱みなど「作って」しまえばよい。

 

 結果が、これだ。

 

 担任の男は、オーソドックスと言うべきか、幼い子供のいる身分でありながら、不倫に現を抜かしていた。

 学年主任の男に至っては、経理担当の女と結託して、密かに学校の金を自分の懐に入れていた。備品購入費や出張費の過大計上を駆使して、帳簿をごまかしていたのだ。

 

 しかしそのどちらも、男――司がそうなるように仕向けていたものだった。

 雪の担任の男の行動範囲を突き止め、その彼のよく通っている呑み屋に、司の息がかかっている若い女を送り込み、篭絡した。

 学年主任は独身で、経理担当をしている女に懸想していると雪から情報を得ていた故に、その経理担当の女をうまくホストに引っ掛けて借金を作らせ、学年主任を巻き込んで横領に手を染めさせた。

 

 すべては司の仕込みであるから、証拠を押さえるのも難しくない。司が用意した「データ」は、そういう経緯で手に入ったものだった。

 

『うまく使えよ』

 

 「使う」という言葉の意味は、どちらもが理解している。

 弱みを握り、脅して従わせるもよし、気に入らないことができたタイミングでこのネタを使って「排除」するもよし。雪が自らの生きる環境で「支配的な地位」を得るための、それは「保険」にして「切札」だった。

 

 司から発された言葉に、雪はちらりと視線を送る。感情の籠っていない、冷え切った目線だ。まるで司のことを、それこそ道具としか思っていないようにも、傍目からは見えるだろう。

 受け渡されたUSBメモリを、しなやかな指が掴んでいる。どこか艶めいた手付きで、肩にかけている鞄の中へと、雪はそれを仕舞った。

 

 ふう、と息が漏れた。顔が上げられる。

 相変わらずの冷たい目で、雪は司の顔を見上げる。

 そのまま、何でもないような口調で言葉を吐き出した。

 

『じゃ、()()?』

 

 色も何もない、事務的な声色で、少女はそんなことを言う。

 意味など、言うまでもない。しかしそれに、少年は首を振って答えた。

 

『いい。気分じゃない』

『そ』

 

 互いに乾ききった声のやり取りを交わして、雪はくるりと司に背を向けた。

 そのまま、別れの言葉さえも口にすることなく、部屋から立ち去ろうとする。

 

 指が、ドアにかかった。瞬間、雪の背後から声が発せられる。

 

『なあ』

 

 司の声だ。顔だけで、彼女はそちらの方を向いた。

 視線の向こうに座する司は、表情を変えることなく雪のことを見ていた。

 しかし、そんな彼の挙措の中に、雪は逡巡の色を感じ取る。

 

 ほんの一瞬、目が瞑られる。小さく首が振られた。

 

『……いや、やっぱりいい』

『そ。じゃあ』

 

 結局、司は何も言わなかった。目線は冷めたまま、雪はいよいよ部屋から出ようとする。

 けれどもそこで、雪の耳は司の言葉を拾った。

 

『またな、()

 

 反射的に、雪は身体ごと振り返る。

 その姿を目にして、司は硬直した。

 

 彼女の目に宿った光が、司の身体を縛りつけていた。呼吸すらも奪われていた。

 去来した「過去の記憶」が、脳裏を俄かに支配した。

 

『……うん。じゃ』

 

 だからそう言って、今度こそこのホテルの一室から出て行った雪のことを、司はただ立ち尽くしたまま見送ることしかできなかった。

 

 

 


 

 

 

 時間にして、五分程度のシーンである。回想を含めてそれだからにして、この「ホテルの一室」で撮られたシーン、カット数にして三個ほどのこの場面は、アクアとゆら、二人のやり取りという意味では三分ほどしかない。

 それでもアクアは、その中でさえもゆらの女優としての実力を痛感させられていた。

 

 司と雪の間には、会話が非常に少ない。それぞれが、自分の心情をベラベラと喋るような性格はしていないからだ。

 だからこのシーンの中においては、アクアにせよゆらにせよ、表情の作り方、視線の動き、身体の動き、そして声まで、全てを含めての表現が求められる。

 

 そしてゆらは、全部を完璧にこなしていた。彼女自身の性格とは似ても似つかぬ「西沢雪」の、何を考えているのか理解できない冷酷さを持った、そしてぞっとするほどに美しい少女の演技を、完全にものにしている。

 流石は、今最も注目されている若手女優の一人だろう。名の知れた女性芸能人のうち、三十代の代表をアイ、十代の代表が不知火フリルとするならば、二十代のそれは間違いなく彼女だ。その美名は伊達ではない。

 

 

 

 ――いや、そういうことではない。アクアがゆらの中に見たものは、そんな「プロ」としての技量の高さなどという、ありきたりなものではなかった。

 そんなものよりも、アクアは彼女の中から、尚も強烈な「何か」を感じ取ってしまっていたのだ。

 

 司と雪の邂逅シーンのその最後、去り際に初めて自らの名を呼ばれた雪が、振り返って司のことを見る。

 その視線が、瞳がアクアの視界に飛び込んできたとき、アクアは図らずも演技を忘れてしまった。

 演出プランには完全に合致していたためにカットとしてはOKが出たが、そんなことは正直、アクアにしてはどうでもよかった。

 

 

 

 彼女の瞳を見た瞬間、心の深い部分が大きく跳ねた。

 そこに宿った光が、司ではなくアクアの――否、アクアに内在する「もう一つ」の思考を、強烈に揺さぶっていたからだ。

 その輝きの正体を、アクアはよく知っている。よく見ている。

 

 アイのものと、それはどこまでも似通っていた。

 時折、ルビーが瞳に宿しているように思われるものと。

 あるいはあの日、今ガチの収録の時以来、あかねが身に着けたであろう、アイの存在感を自らに宿しているときに覗くものと。

 

 

 

 警鐘にさえも等しい音が、脳裏に鳴り響く。

 自分ではない「何か」に侵食されかかっていた思考が、引き戻された。

 

 アクアは、引きずられていたのだ。彼女に、片寄ゆらに。そして、「杉原司」の役を投影する裏に生み出していた、カミキヒカルの幻影に。

 そのことを意識して、理解して、アクアの背中に冷たいものが駆け抜けた。

 

 

 

 深淵は、すぐそばの場所に座している。

 そしてそこから、アクア目掛けて嗤っていた。

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