天には星を、人には愛を   作:厳冬蜜柑

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大変お待たせ致しました。第五章、更新開始します。
全18話構成の予定です。


第五章 唯一解 (ドキュメンタリー映画編)
5-1. 「15年の嘘」


 この日、五反田監督のスタジオ兼自宅の応接間――と言うよりリビングの中には、珍しい取り合わせの人々が一堂に会していた。

 人数は四人、すべて男だ。五反田監督本人に、その『愛弟子』たる俳優の星野アクア、彼の所属する芸能事務所「苺プロダクション」の社長たる斉藤壱護と、そして最後、一見して彼らとは直接的な関係を持たない、『所属フリーのプロデューサー』――鏑木勝也である。

 

「なるほどね」

 

 集まりの中、吐息交じりの声が聞こえた。言わずもがな、その主は鏑木だ。

 テーブルの上に置かれた一綴の紙束を、すなわち企画書を手に取って、彼はアクアの方へと視線を向けた。

 

「この企画、アクアくんが考えたの?」

 

 どこか、品定めのような含みさえ思わせる目だった。

 ことの真偽か、それともこちらの器量だろうか。どのみち、アクアは向けられた目線から逃れることなど考えもしなかった。

 一つ頷く。そして答えた。

 

「はい、原案は僕が。それをお二方に、五反田監督と斉藤社長に具体化していただきました」

 

 腕を組んだ鏑木は、果たしてそれに何を考えただろうか。プリントを持つ手の方を眼前に掲げて、思案顔を浮かべている。

 微かに、唸り声のような音がその喉から漏れ出た。

 

「『先代B小町』のドキュメンタリー映画。アイくんを中心にして、ねぇ」

「ええ。これを『新生B小町』の東京ドームライブに前後して公開することで、双方の集客向上が期待できるかと。一年後ですね」

 

 アクアの発した語、「東京ドーム」という台詞を聞きつけてか、鏑木の目が再びアクアの方に向けられる。

 

「それ、成算は十分?」

「勿論です。一週間前の新生B小町のセカンドワンマン、抽選の応募数とPPV(ペイパービュー)の同時視聴者数を考えれば、『次』がドームでも十分に回るぐらいですから」

 

 問いの中の「成算の提示」というのは、つまり「新生B小町は一年後にドームライブを挙行できるほどの規模のアイドルになれているのか」についての根拠を示すことと概ね等しい。

 従って、アクアはその嘘偽りないところを答えた。

 

 鏑木に対する回答の通り、新生B小町は丁度先週、セカンドワンマンライブとなる武道館ライブを無事に終わらせた。

 無事、と言うと些か語弊があるだろうか。正確には、「大盛況のうちに」だ。

 今回の武道館ライブは、結局二日がかりで行われることになった。前回のファーストワンマンからのファン数の推移や「B小町ちゃんねる」のチャンネル登録者数の上昇幅から、今の彼女たちにはそれぐらいの規模のハコを用意するだけの価値があると考えたからだ。誰がと言えば、つまり壱護社長がである。

 果たして彼の目論見は当たった。座席数の半分を対象に行われた事前抽選の倍率はなんと五倍に上り、当日のチケットは一般販売開始後わずか二時間で完売、有料配信のオンライン同時配信に至っては、その視聴者数は実に五十万人を数えていた。

 

 アクアからすれば、正直なところこれは全く以て予想外のことだった。なにせ今回の武道館ライブにおいて新生B小町が発揮した動員力は、もはや大手レーベルのアイドルグループのそれ*1にさえも肉薄しているのだ。

 B小町ちゃんねる側からの流入があるとはいえ、これははっきり驚異的と言ってもよい数字だ。現時点でこれほどまでに新生B小町というユニットの人気が確たるものとなっているとは、アクアは思っていなかった。

 しかし逆にそれが、アクアの中で来る東京ドームライブの成功を確信させた。同時に、そこにぶつけようとしている今回の企画についてもである。

 

 いずれにせよ、アクアが本当に狙いとしている部分、すなわち「カミキヒカルを焚き付け、アイとの対話のテーブルに無理矢理引きずり出す」という目的の成就には、その前提としてこの企画が商業的に成立することが何より求められている。

 それが保証されているかどうかは、まさしくアクアの眼前に座っている敏腕プロデューサー、徹底した商業主義を体現しているこの鏑木という男が判断してくれる。言い換えるならば、今回の提案が彼のお眼鏡に適っているかどうかは、この企画の商業的な意味での成功を占うに足るある種のバロメーターとしても作用するというのが、アクアの心算であった。

 

 果たして当の鏑木は、アクアの答えを受けてしばし目を瞑る。小さな吐息の音が聞こえた。

 数秒の時が流れ、然る後に彼はゆっくりとその手の中にある企画書をテーブルの上に置く。

 

「なるほどね」

 

 そして次に彼が自らの瞼を開けたとき、その瞳の中に宿っていたのは、冷たさすら錯覚させるほどの鋭利な光だった。

 今までの好奇や興味の視線からはかけ離れた、徹底した「商売人」としての、鏑木勝也という人間の視座の顕れであった。

 

 

 

「つまりこれは、『内輪向け』の企画ということかな?」

 

 故に今の彼から発された言葉は、その内容以上に主張を、また意味を持つ。

 アクアはそれを汲まなければならない。さもなくば、計画はスタートラインにさえも立てない。

 

 なれば、今この場において示すべき答えは、一つだ。

 アクアはゆっくりと、しかしはっきりと首を振った。

 

「いえ。その部分もありますが、マス層へのリーチも当然考えています。『アイの』B小町を主眼に置いているわけですので。今のではなく」

 

 鏑木には、当然アクアの裏の――というより、「真の」目的については言っていない。おくびにも出していない。

 ただ、「彼」のことを土俵の上に引きずり出すためには、この作品が特定のサークルの中に閉じたコンテンツであってはならないのは言うまでもないことだ。

 求められるのは、一般層への影響力である。そしてそれは、マネタイズを司るプロデューサーとしての鏑木勝也にとってもだ。

 

「なるほど。なら、まずは及第点だね。もし君が今ここで僕の質問に『はい』と答えようものなら、すぐにこの話は却下していたよ」

 

 だからこそ、彼の答えはこうなる。当然に、アクアも予期していたことだった。

 まずは第一関門を突破した、とでも言うべきか。

 

「恐縮です」

「ただね」

 

 しかし、そう頭を下げたアクアに対して、鏑木は更に矢継ぎ早に声を被せてくる。

 

「だというなら、この企画は『甘い』よ」

 

 言いながら、彼は机の上に置かれた企画書を人差し指でとんとんと叩いた。

 顔を上げたアクアの視界の中に、厳しさすらも感じる鋭い目つきを宿した鏑木の顔が飛び込んできた。

 

 

 

 彼は言う。

 

「いくらアイくんが国民的なタレントに成長したとは言ってもね、今日日十年前のアイドルグループのドキュメンタリーをただ垂れ流しただけで数字が取れるほど映画の世界は甘くないんだよね」

 

 断言と共に、鏑木は周囲の全てを睥睨した。

 場を沈黙が支配する。誰も、何も言わない。果たして次に言葉を発したのもまた鏑木だった。

 

「確かに日本の映画市場の規模は世界でも上位に食い込んでる。赤字になるような作品は多いけど、まだ採算は立てやすい。既にある映像素材を使った自主製作映画レベルの予算なら尚更ね」

 

 だけど、と逆接で繋いで、彼は俄かに語気を強める。

 

「そんな『程度』のものに、僕は乗れない。僕がプロデュースする意味もないし、興味も湧かない」

 

 吐き捨てるようにそう言ってから、改めてアクアへと視線を合わせてきた。

 

「アクアくん。君はこの映画、何のために作ろうとしてるの? ルビーくんたちのB小町の宣伝?」

 

 言葉に、そして視線に宿る意味は、もはや言うまでもない。「そういうことなら、僕は受けない」、そう雄弁に語っている。

 無論、アクアとてそう思われるのは心外極まりない。即座に首を振った。

 

「まさか」

「じゃあ何のため?」

 

 矢継ぎ早に問われたそれに、アクアは一つ呼吸を入れる。五反田監督の方に、一度ばかり目配せをした。

 それに気づいた彼の方も、またアクアに目を合わせる。そのまま、無言で一つ頷いた。

 同じく頷き返して、アクアは鏑木に視線を戻す。そして、答えを口にした。

 

()()()()()()()()()()()()()()、ですね」

 

 目に強く力を籠めて、そうはっきりと言い切った。

 

 これは嘘でも方便でもない。寧ろ、それこそが目的だった。

 「アイドルとしてのアイ」を、「少女としてのアイ」を、「人間としてのアイ」を、この映画を見たすべての人に焼き付けるのだ。そしてその中に間違いなく含まれるであろう、「彼」に対しても。

 そういうものであるべきだ。そういうものでなければならない。そうでなければ、意味などない。やらない方がマシだ。

 

「『本物のアイくん』、ね」

 

 対する鏑木はそれを聞き、今一度腕を組む。片方の手を、自らの顎に当てた。

 目が伏せられる。十秒ほどの、無言の思案が続いた。

 その末に、彼はアクアに今一度目を向ける。顎先を、組んだ腕の片方の指で掴んだままに。

 

 口が開かれ、声が聞こえた。

 

「だとしたら、僕は今回の企画、『別の方針』を提案するよ。それを呑んでくれるなら、請けてもいい」

 

 鏑木、自らの組んでいた腕を解く。言葉の調子のままに、ずい、と身を乗り出してきた。

 いいかい、と指を立てる。どこか教示さえ垂れるように、彼は口を開いた。

 

「アイくんを主眼とした映画で行きたいのなら、アイくんをもっと前に押し出すべきだ」

 

 鏑木の言の意味するところは単純だ。

 「この映画について、フォーカスを当てるべきはあくまでもアイであり、B小町ではない」。そう、言わんとしていた。

 

「アイくんの時代のB小町はともかく、アイくん()数字が取れる。着目に値するタレントだ。何せ、彼女は自分のプライベートについてほとんど明かしてこなかった。過去もね」

「つまり、ゴシップ的な需要ということですか」

「悪し様に言えば、そうだね。だけど、これは君の目的にも合致するはずだよ」

 

 「アクアの目的」。この文脈において、その意味するところは一つだ。

 

「『本物のアイくん』を知ってもらいたいとするなら、アイくんの過去の話は絶対に避けて通れないはずだ。それこそ、B小町に入る前後の話はね」

 

 鏑木が、横を向く。その先に座しているのは、即ち壱護社長に他ならない。

 

「そうでしょう? 僕がアイくんと知り合った頃の話、あのあたりのアイくんは、今とはずいぶん違っていた」

 

 違うか、とばかりに視線を向けられた壱護社長が、鏑木の方に目を合わせつつもどこか神妙な表情で頷く。

 我が意を得たりと首肯で返して、鏑木は今一度アクアの方へと視線を戻した。

 

「だから僕は今回の企画、単なるドキュメンタリー映画よりももっといい表現の仕方があると思ってる」

 

 「つまりは」、そう間を繋いで、いよいよ彼は己の対案を端的に言葉にする。

 

「『アイくんを主人公にした、アイくんの視点から見たB小町を描いたドキュメンタリードラマ』。僕はこれで行くべきだと思う」

 

 言い切って、鏑木はアクアに真っすぐに視線を向けた。

 君はどう思うかと、そう無言で問うているかのようだった。

 

 

 

 ドキュメンタリードラマ。英語圏では「Docudrama(ドキュドラマ)」とも呼ばれるそれは、実在の人物や事件について、必要最低限の脚色などを加えた上で再現を試みる形式のドラマだ。広義には「公共放送の大河ドラマ」もこれに当たると言えなくもないだろうが、やはり遠い過去のことであるゆえに脚色の部分が大いに含まれるそれら「歴史ドラマ」の類とは峻別されるべきものでもある。日本においてはあまり主流とは言えない類型の映像コンテンツと言えるだろう。

 ドキュメンタリードラマは、日本におけるドキュメンタリーの中の「再現ドラマ」のように、役者に無名の俳優を採用するわけではない。実際の出来事を再現するという題目はあれ、あくまでも内容としてはドラマであり、娯楽だ。それを演じる役者もまた、相応のものが求められる。

 過去の映像資料をそのまま使えばいいドキュメンタリーとは、必然的にかかる制作費も大きく変わる。アクアにとって、そして五反田監督にとっても、大きな方針転換を余儀なくされるのは言うまでもないことだ。

 

 しかし今、アクアは鏑木のその提案を聞いて、「好機」だと思った。天祐であるとすらも。

 

「一つ、お訊きしても?」

「うん、構わないよ」

「では。鏑木さんのご提案のその話、『過去映像を使うこと自体には反対しておられない』ということですか?」

 

 故に発したその問いは、アクアの中で一つの確信を内包していた。彼が今回の提案の中に意図するところを、アクアは汲み取ったという自信があったからだ。

 案の定と言うべきか、瞬間、鏑木の口の端が分かりやすく上がった。乗り出した姿勢のまま、顔の前で指を組む。一呼吸の後に、答えが返ってきた。

 

「勿論だよ。当然、役者の演技の方が比重としては大きくなるべきだとは思うけどね」

 

 それは、アクアの洞察が正しかったことを端的に示している。目の前の彼と自分が同じ方向を向いていることの証左とも言えた。隣に座っている、五反田監督との間においてもである。

 

 アクアの中に、自らが世に出さんとする映像作品の輪郭が、朧気ながらに浮かび始めた。

 何に着目し、何を押し出すべきか。鏑木はそれをどのようにして世に放つことで、採算を取ろうとしているのかも。

 

「ならば、僕としては異存はありません。その分、資金調達を考えないといけないところでしょうが……」

 

 だからアクアはその旨を一つの課題点と共に鏑木に伝えて、しかし彼はすぐさまに顔の前で手を二度三度と振ってみせた。

 

「ああ、それは僕の仕事だよ。君が考えなきゃいけないことじゃない。もちろん、五反田くんには協力してもらうけどね」

 

 にべもなく言って、しかし同時に彼は含みのある表情で五反田監督に目を向ける。視線が合ったであろう監督が、露骨に辟易とした形相を見せた。

 さしずめ、「俺も金稼ぎかよ、めんどくせぇな」、といったところだろうか。無論、資金調達の必要性を理解している監督も、渋い顔こそすれどもそれに異議を唱えるということもない。

 

「あともう一つ」

 

 故にそんな彼のことはあっさりと受け流して、鏑木は更にもう一人の方へと顔を向けた。言わずもがな、壱護社長だ。

 

「元々ドキュメンタリー映画で出すつもりだったわけだし、問題ないとは思うけど、まあ一応。壱護社長、アイくん以外の元B小町のメンバーのパブリシティー権関連は整理できてるの? もうほとんどの子が苺プロ辞めちゃってるわけでしょ?」

 

 なるほど、この場に壱護社長が同席している理由についても、当然のことながら考えているらしい。

 抜け目なくそれを訊ねてきた鏑木に対して、社長は「勿論です」と頷いた。

 

「前ポシャったドキュメンタリー映画の時にそういう契約周りの整理は終わってます。問題はありません」

「あ、そう。オーケー、なら大丈夫そうだね」

 

 斯くして鏑木が言ったその軽い調子の言葉は、この場における条件面の整理が、あるいは企画そのものの検討が済んだということを意味していた。

 その証左の如くに、彼は自らの前に置かれている企画書を手に取って、アクアへと返してくる。

 

「じゃ、これで行こうか。企画書については今話した内容踏まえてリバイスかけてもう一回僕に送っといて。データでいいから」

「分かりました」

 

 きびきびと、同時にどこかにこやかなやり取りと共に、アクアは返されてきた紙束を受け取る。

 軽く頭を下げつつも、突き出されたそれの端をしっかりと己の手で握りこめば、鏑木はどこか満足げな表情で自らの方の手を離した。

 

 しかし――その刹那、彼ははたと何かに気がついたかのような表情を見せた。

 

「あ、そうだ。忘れてた」

 

 口ぶりにも同じ響きを滲ませて、その目がアクアを、そして五反田の姿を捉える。

 そのまま、彼は言った。

 

「今回の企画、まだ名前決まってないみたいだけど。映画、なんかいい題名とか考えてる?」

 

 まさにそれは、何の気なしといった様子で放たれた言葉だった。実際、彼にとっては単なる世間話の一環にさえ近いのだろう。

 企画書のタイミングで求められるのは、せいぜいが仮題だ。今回で言えば、「旧B小町ドキュメンタリードラマ(仮)」とでも名付けておけば事は足りるのだから。

 

「それは……」

 

 しかしアクアたちにとって――いや、アクアにとって、それは同時に非常に重い意味を持つ問いでもあった。

 

 

 

 今回、アクアたちが制作し、そして公開しようと考えている映画の題名というのは、すなわち「この映画にどういうメッセージを込めているか」の宣言にさえも等しい。

 鏑木に問われ、そして今この場所で答えたそれ――「本物のアイを見せる」ことこそが狙いだというのならば、果たしてアクアはこの映像作品に対して如何なる名づけをすべきだろうか。

 

 正直なところ、腹案は存在している。今まで五反田監督にも、そしてここに話を持ってくる前、自らの持っている狙いについて「裏の意味」をも含めて頭出しをしておいた壱護社長に対しても、アクアはそれを明かしてはこなかった。企画が本決まりになって、プロジェクトが動き始めたあたりで相談するのが適当だろうと考えていたからだ。

 しかし今、鏑木の手によって手直しをされ、明確な形を帯びた今回の映画の題名として、アクアが胸の内に抱えている「それ」というのはきっとこの上なく意味を持つものだった。

 アイの――いや、「星野アイ」という個人の生き様を示すのに、そしてこの映画の位置づけを表すのに、これ以上望ましいものはきっとないだろうと、自信さえ持っていた。

 

「一応、案はあります」

 

 故に、アクアは口を開く。少しばかり目を見開きつつも自らの方を見る五反田監督と、そして壱護社長に一度ばかり目配せをしてから、正面の鏑木を見据えた。

 手に持ったままであった企画書の紙を、再びテーブルに置く。無言のままに続きを促す彼を見て、アクアは姿勢を正した。

 背筋を伸ばし、膝の上に敢えて手を据える。鏑木の顔貌を正面に見た。

 

「今回の企画、映画の題名として考えているのは――」

 

 逡巡は、ほんの一瞬だけのこと。すんなりと、それは言葉になった。

 

「『1()5()()()()』」

 

 体言止めで言い切られたそれに、返ってくるものはない。誰からも。

 空間ごと宙に放り出されたかの如くの静寂の中、アクアは今一度繰り返す。

 

「『15年の嘘』という題が、現状の候補です」

 

 再びのそれにも、答えはやってこない。相変わらず誰も何も声を上げず、しかし視線だけはアクアの上に集中していた。

 

 「15年の嘘」。たった二つの単語から成り立つその題には、幾つかの意味が込められている。

 表向きの理由づけは、「アイたちのB小町が東京ドーム公演を行ったあのクリスマスの日から、丁度十五年後のクリスマスのあたりに、新生B小町の東京ドームライブを予定しているから」となる。

 かつてのB小町が自らの東京ドームライブを機に公開しようとしていたドキュメンタリー映画を下敷きに、その十五年後に一種のリベンジとして世に放たれるべきこの作品に冠する言葉として、これ以上に相応しい言葉もないだろう。「本物のアイ」を覆い隠していた「嘘のヴェール」が、十五年越しに取り払われるというのだから。

 

 しかしそこには同時に、「裏の意図」も含まれている。ただ、それについてをアクアは鏑木に示す気はなかった。

 この題名から含まれる裏の意図を読み取ることができる相手は、この世にアクアのほかにはたった一人しか存在しないし、それ以外を期待するつもりもない。明かす必要についても、また然りだった。

 

「なるほど」

 

 アクアの言に、あるいは態度に何を思ったか、真っすぐに視線を向けた先で、鏑木は軽く目を閉じながらも頷く。ようやく、アクアではない誰かから発された声がこの場の空気を揺らした。

 

「悪くない題名だね。何よりシンプルなのがいい。僕は、賛成かな」

 

 鏑木が、他の二人へと目を遣った。無言ながらも、意図は明白だ。当然に、それを汲み取ったであろう五反田監督が、そして壱護社長も、黙したままに鏑木へ向かってその首を縦に振る。

 よし、と小さな声が聞こえた。鏑木によるものだった。

 

「なら、題名もこれで決定ということで。それじゃあ」

 

 言葉を切って、口角が上がる。不敵とも言える笑みを、鏑木は浮かべた。

 するりと、手が伸びてきた。飾り気のない言葉と共に。

 

「いい映画にしていこう」

 

 何を求めてのことかは、言うまでもない。差し出された彼の右手に、アクアは同じように自らの右の手を添える。会釈と共に、それを握った。

 交わされた握手は、この場の話し合いが妥結したことの象徴であると共に、これから進む道がアクアのみの力によるものではなくなったことを強烈に意識させるに足る一つの区切りでもあった。

 

 

 

 人が、組織が、そして金が、いよいよ動き出す。単一の意思によるものではない、総体の中において作用する有機的な力学によって。

 故にこの先において、後戻りはもう決して利かない。たとえどれほどにそれを望もうとも。

 無論、そんなことを望むわけも、今更ありはしないけれども。

 

 斯くてその日、アクアはまた一つの不可逆なる境界を、自らの足で踏み越えた。

 他でもない、自分自身の選択と意思、そして覚悟と共に。

 

 

 

 

 

 打合せの現場であった五反田監督のスタジオを離れ、事務所へと戻る。

 その道すがら、斉藤壱護は自らの運転する自動車の後部座席に座っている一人の少年――アクアのことで、思惟を巡らせていた。

 

 一週間と少し前、活況のうちに終わった新生B小町の武道館セカンドワンマンから数日が経ったある日に、彼はわざわざ壱護のことを単独で事務所に呼び出した。話があるからと。

 壱護とアクアがそういう形で話し合いの場を設けたことは、これまで数えるほどしかなかった。そしてその全てが、彼自身の家族――アイとルビーに関することだった。更に正確を期すのならば、「アイとルビーの安全を確保するための手立て」に関することだった。

 

 故に壱護は今回もまた同じような話題であるのだろうと考えた。具体的には、「武道館ライブを経て一層知名度を向上させたルビーのこれからのセキュリティに関する相談」の類であろうのだろうと推量していた。

 しかしそこで彼の口から明かされたのは、そんな壱護の勝手な想像の埒外のものだった。

 それこそが、つまり今回の映画についてのことだった。

 

 

 

 ――社長が母さんと一緒に色々と動いていたのは知ってます。

 ――ですが、もう決着をつけないといけないんです。終わりにしないといけないんです。

 ――その方法を、考えてきました。手札はもう、九割方揃っています。

 

 そう、彼は壱護に言った。彼自身が調べ、以て辿り着いた、今日に至るまでのことの発端――「神木輝」という存在についてのあれこれと共に、彼は彼自身の計画のことを、壱護に説いてみせた。

 

 十四年前のあの日のことを思い出す。

 アイが襲われ、アクアが刺されて、結果として彼の身体には、決して癒えることのない傷が刻まれた。

 しかし、それは本当に身体だけのことなのだろうか。あれほどの事件があって、あれほどの夥しい血を見て、結果としてあの場所でアクアは死ぬことはなかったが、それを「不幸中の幸いであった」などと、訳知り顔で言えたものだろうか。

 

 アイの子供、そして双子の兄たる彼は、アクアは、その幼いころよりずっと大人びていた。「親とは大違いだ」などと、アイに対する冗談めかした不満と共に思ったものだった。

 そしてそうであるからこそ、あの日あの玄関の中で何が起こったかも、壱護は察することができてしまった。アイにその仔細を訊ねるまでもなかった。

 

 庇ったのだ。彼は、アイのことを。そしてその身にあれほどのナイフを受けた。生死を彷徨う深手を負った。

 そのときの傷は、それが生み出してしまった後遺症は、今もなお彼の身体を苛んでいる。

 

 あの日より、壱護があまりアクアに対して直接のコミュニケーションを積極的に取らなくなった理由の一つには、だから明白な「負い目」があったのだと、言わざるを得ないだろう。

 

 確かにあの日以降、壱護はアイと二人で色々とコソコソやっていたことは確かだ。彼ら双子に決してそれを気づかせないように、また自らの妻であるところのミヤコにさえも気取られてはならぬと、慎重に慎重を重ねて動いていた。

 アイを含むあの三人を、もう二度とあんな目に遭わせないために、陰に日向に手を尽くしてもいた。これも等しく事実だ。

 しかしそうであろうとも、壱護個人がアクアという一人の少年に抱えている罪悪感は、そんなものによって打ち消せるものでもない。あの日あの場所に現れた「リョースケ」――菅野良介なる男のことで、壱護にはいくらでも打てる手があったのだ。彼とあの時まで繋がりを持っていた、「あの女」のことでも。

 

 これは不作為の罪だ。壱護の不作為が、アクアに牙を剥いた。取り返しのつかない傷を、残してしまったのだ。

 そういう意味では、壱護は自らの「やらねばならないこと」に託けて、アクアと顔を合わせることから逃げていたのかもしれない。そんなことさえ、考えさせられる。

 戸籍の上では、壱護は彼らの「義父」になっているというのに。対外的にアイのことを「自分の娘のようなものだ」などと吹聴しているのならば、そうでなくても彼は、アクアは、壱護にとって孫のような存在であるはずなのに。

 

 そして壱護がそんな逃避を繰り返している間に、アクアは自らの為すべきことを定めていた。定めてしまっていた。

 

 彼にとって、あの日の事件はまだ、何一つ終わってなどいなかったのだ。

 そんなことを彼が抱える必要など、万に一つもないだろうに。

 

 

 

「アクア」

 

 気づけば、壱護は口を開いていた。バックミラー越しに後ろの座席に目を向ければ、そこに座っておそらく外の景色をぼんやりと見ていたのであろうアクアと、ふと目が合った。

 

「なんでしょう」

「いや」

 

 それはいつものように、透き通った群青の双眸だった。母親譲りの不思議な魔力を帯びた光が、そこには宿っていた。

 ぞっとするほどに、美しい。いつもながらにそう思わされる。澄んだ瞳も、相貌も。

 怜悧さとあどけなさ、大人と子供の同居する、中性的ながらも、同時に青年に差し掛かりつつある少年としての精悍さを確かに帯びた、透明な美貌だ。

 

 「血の魔力」、とでも称すべきなのか。ともすれば、呪いとすら言えるのかもしれない。星野アイという母を持つ彼は、(ルビー)と二人、気づけばこれほどまでに美しく育っていた。

 視線が合うだけで、気圧されるかのようだ。しかしそれを、壱護は表情ごと自らがかけているサングラスの奥に隠した。

 視線を、フロントガラスの外へと向け直す。気を取り直して、口を開いた。

 

「前も言ったことだけどな。お前が背負いこむことじゃないんだぞ、本当に」

 

 何についてのことかなど、互いに理解している。そこに言葉は不要だった。

 沈黙が流れる。車のエンジンが吐き出す低音のノイズだけが、この場の底に流れていた。

 

 ただ、それもほんの数秒のことだったのだろう。小さな、吐息の音が聞こえた。

 ハンドルを握る壱護からは見えない場所で、しかしはっきりと声を上げるためにアクアがその口を開いたのを、壱護は知覚した。

 

「だとしてもです。それこそ、前にも言いましたが」

 

 返ってきたのは、変わらぬ台詞だった。アクアが今回の企画について、壱護に話を持ってきたときに交わした会話の内容と、それは同じだった。

 

「俺が今回の話を進めようとしているのは、結局のところ俺のためです。母さんのためとか、ルビーのためとか、そういうのは結局、お為ごかしなんですよ」

 

 自嘲のような言葉だ。しかし同時に、そこには強い意思さえも宿っている。

 そんな彼の、ある種の『覚悟』を決めたかのような物言いに、壱護はどうしても思わされていた。「ままならないものだ」、と。

 

 ――あんなことがなけりゃ、こいつはこいつの人生を生きられたかもしれないだろうに。

 ――歪めちまったのは、結局俺か。

 

「社長としても、今回の映画で新生B小町の知名度が盤石になるなら、それは歓迎でしょう? 誰も損をしない企画ですよ、これは」

 

 こんな、ともすれば露悪的な言葉で壱護のことを焚きつけようとする振る舞いさえも、あるいは。

 

「……バッカお前、そういうのは俺が考えるもんなんだよ。お前の仕事じゃねぇ」

 

 脳裏に広がった暗い靄を敢えて振り払うように、壱護は声を上げる。ちらりと目を向けたバックミラーの向こうで、アクアが小さく頭を下げていた。

 申し訳なさそうな態度だ。思わず、小さく笑っていた。こういうところは、彼の年相応の子供らしさであるのかもしれないと、思わされていた。

 

「ま、そういうのは俺に任せとけ」

 

 気持ちを切り替えるように、敢えて明るく言葉を発する。顔の上がったアクアの様子を再び鏡越しに視界に収めて、ハンドルから離した片方の手を、ひらりひらりと振ってみせた。

 

「これでも二組のアイドルを東京ドームに送り込もうとしてる敏腕Pなんだからな、俺は」

 

 茶目っ気を込めたその言に、アクアの纏う空気もまた弛緩する。

 

「貴方は社長でしょう。プロデューサーと言うよりは」

 

 返ってきた彼らしい冷静なツッコミを受けて、壱護は声を出して笑ってみせた。

 

「ま、そうとも言うがな! けど、心はいつもプロデューサーだぞ。アイにせよ、ルビーにせよ。当然、お前に関してもな」

 

 もっとも、アイやルビーはともかくとして、アクアに関してはどれほどの後押しをしてやれたかは、どうにも自信がないのも確かではあるのだが。

 ただ壱護自身の認識として、そういう心持ちを崩したことは今まで一度もない。そして、無論これからもだ。

 

 ここからのアクアが自らの人生においてどのような選択をするにせよ、それを見守り、必要に応じて手を貸すことを、壱護は躊躇うつもりなどない。今更彼の「父親役」などと思い上がった認識を持つつもりなどないが、それは間違いなくアクアに、そして彼の母であるアイに対しての、壱護としての誠意だと考えていた。

 そのためには、壱護はあらゆる可能性を排除しないと、心に決めていた。

 

 

 

 斯くして会話は途切れ、それからほどなくして、車は住宅街の中、斉藤家兼苺プロの事務所の前へと辿り着く。

 その玄関の前で、壱護はアクアを降ろした。どうやら今日は、何やら事務所の方で用事があるのだという。

 いや、そもそもそうでなくとも今のアクアは、「アクアのままの格好」で彼らの自宅前まで送るにはあまりにもリスクの高い存在になりつつあった。

 

 先月まで続いていた夏クールのドラマが衝撃的とも言えるヒットを記録したことで、彼の知名度は新生B小町に先駆けて顕著に向上している。そしてこの、「売れ始め」のタイミングで最も警戒すべきなのが、週刊誌記者の存在だ。

 彼らは人気急上昇中のタレントに対して、スキャンダルの存在を手ぐすね引いて待ち構えている。たとえ今すぐに撮られたものが記事にならなくとも、いよいよアクアの名声が確固たるものとなったタイミングで、「刈り取り時」だとばかりにスクープが打たれてはたまらない。

 そうでなくとも、彼らが無遠慮にも向けてくる無数のカメラの目に、現状のアクアたちの住居を無防備に晒すことは途轍もないリスクだろう。あの男、「神木輝」との決着は、まだ何一つとしてついていないのだから。

 

 

 

 そうだ、と壱護は考える。自分たちは、決着をつけなければならない。今回の映画と、それに託したアクアの狙いによって。

 そしてそうであるのならば、自分にはやらなければならないことがある。そのことを、壱護は自覚している。

 

 今回の映画を撮るにあたって、呼ばなければならない人々がいる。B小町の「本当」のために。本当を、カメラの中に収めるために。

 その中の一人に、壱護はこれから顔を合わせに行こうとしていた。

 

「ま、潮時ってことなんだろうな」

 

 気づけば、そんなことを呟いていた。同時に、停めていた車のエンジンを入れ、ブレーキペダルから足を離す。

 滑り出した車と、緩やかに流れ始めた景色の中で、アクセルペダルを踏みこんだ。

 

 行く先は、ただ一つ。壱護が、苺プロとしてとある人物のために用立てた、分譲マンションの一室だ。

 そこに住まう住人の名を、壱護はひとりでに口に出していた。

 

「俺も、アイも。――ニノも」

 

 そんな、かつての渾名を。

 

 

 

 路地を抜け、街を駆け、車は進む。

 向かう先にいる「彼女」と、その事情を決して知ることのなかった「子供たち」との邂逅の日が、迫っていた。

*1
参考までに、実写【推しの子】で登場した乃木坂バスラのオンライン視聴者数が推計で72万人とされている。

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