天には星を、人には愛を   作:厳冬蜜柑

58 / 84
5-5. あなたの望む本当を

「聞かせてもらうぞ、ルビー」

 

 アクアがルビーと向き合ったその場所には、二人を除いて誰もいなかった。

 ここはアクアたちの自宅マンション、その中のアクアの部屋だ。苺プロの事務所の中で配役についてのレビューが終わって、仕事ということでミヤコと共に現場へと向かったアイとは別れ、アクアとルビーの二人は先にこの場所へと戻ってきていた。

 

 結局あのあと、アイ役の配役については一度ペンディングとすることに決まった。アイからの要望――映画の中で、自分の役を演じるのはルビーであってほしいという意見については、アクアが一度持ち帰り、原則的にはキャスティング権を握っている鏑木と、そしてオファーをかける相手の第一候補たるあかねとの調整をすることで、その場は一度納められるに至っていた。

 

 しかし、それよりも先にアクアは、真意を確かめなければならない相手がいる。

 その相手に、すなわちルビーに、今アクアは問いかけていた。

 室内にも浸透する、冬場の冷えた空気を空調が熱しようとするそのわずかな機械音が、互いの間に訪れた沈黙を浮かび上がらせるかのようだった。

 

「母さんが言ってた話は、本当なのか」

 

 重々しい、硬ささえ感じる空気を掻き分けるように、アクアは第一の問いを発した。

 互いに向け合った視線は、共に逸らされることなどない。小さく、無言で頷いたルビーは、万の言葉よりも明白に、彼女自身の意思を表していた。

 

「そうか」

 

 アクアにとっては、これは確認に過ぎなかった。アイがあの場所で嘘を言う理由はない。そうやってあの場所にいる人間を欺く必然性はないからだ。

 だから本題は、言うまでもなくここからの話の中にあった。

 

「なあ。分かってるよな」

 

 微かに、目を細める。ルビーの表情は、変わらない。

 

「お前がアイの格好をして、アイの役をする。アイとして振る舞う。それを見て、外野の人間はどう考える」

 

 答えはない。ただ黙って、ルビーはアクアに先を促している。

 全て分かっていると、そう言葉もなく主張しているかのようだった。

 

 一度、目を瞑る。裡に渦巻いたうねりを鎮め、息を一つ吐く。

 

「母さんは、俺たちが自分の子供だって、バラしてもいいと思ってるんだぞ。高千穂の時に、言ったと思うけど」

 

 声の出始めが、掠れた。殺しきれなかった情動が、言葉の端に乗った。そういうことなのだろう。

 つまりここで、アクアがルビーに問うべきことは、一つだった。

 

「あの時の話。()()()()()()、君はアイの方に乗るつもりだってことで、いいのか。そういうことなんだよな」

 

 高千穂の夜においてルビーと整理したアイとアクアの間の対立軸は、対話によって一つの目標に結実したとはいえ、実情としてまだ保存されている。

 それはつまり、カミキヒカルという存在との向き合い方に他ならない。アイはアイの目指すところがあり、アクアにはアクアのそれがある。

 

 アイは自分のこれまで十八年隠し続けていたことを、躊躇いなく明かそうとしている。寧ろ明かすことが、計画の中に入っていると見るべきだ。

 だから彼女は、あの映画においてルビーに自分の役を演じさせることにまるで躊躇いがない。必要なことだと考えている節さえある。

 その構造を理解しているのか。そう、アクアはルビーに問おうとしていた。

 アクア(吾郎)とは別の道を歩むと、それが自分の選択だと、意識しているのかとも。

 

 問いを向けられて、ルビーの瞳は小揺るぎもしない。確とアクアを見据えて、一秒、二秒、間を置く。

 

 そこで、彼女は()()()()()

 どういうことだ、そう問うより前に、ルビーが言葉を発した。

 

「ママがそう考えてるってことは知ってるよ。私がアイの役をやることを、ママがどうして応援しようとしてくれてるのかも」

「だったら――」

「でも。別にママのやることを手伝うために、そうしたわけじゃないよ。ママだって、それは分かってる」

 

 反射的に向けた反駁を、ルビーがねじ伏せる。アクアのベッドの縁に腰掛けていた彼女が、すっくと立ちあがった。

 軽い足音が響き、ゆっくりと彼女はアクアの傍に近寄る。椅子に座ったままのアクアに、影が差した。

 ほど近い場所、見下ろすような場所に立つルビーの顔はLED灯の逆光に翳って薄暗く、しかし紅玉の瞳の中に宿る光だけが強烈に主張を残している。

 

「せんせはさ、全部抱え込むつもりなんでしょ」

 

 そして一言、単刀直入な言葉を、アクアに向かって投げ下ろしてきた。

 

 

 

 どうして、彼女はそこでアクアのことを「せんせ」と呼んだのか。

 きっと、その寸前にアクアがルビーを「さりなちゃん」と呼んだことと鏡映しだ。

 互いに、相手の行動の価値基準が『誰』に基づくものであるのか、薄々ながら察している。

 今立てている計画が、アクアの中にいる「雨宮吾郎」という名の亡霊が抱き続けている後悔の清算であるということも、ルビーは見抜いているのだろう。おそらく、ほとんど直感によって。

 

 アクアは、ルビーの問いに答えられない。

 というより、答えても仕方がないのだ。彼女に何を言われようが、アクアは自分の方針を変えられないし、そのつもりもないのだから。

 だからそこで続きの言葉を発したのも、またルビーの方だった。

 

「せんせーがバカみたいに優しいってのは、私だってよく分かってるよ。だから好きだった。大好きだった。『さりな』の私も、『ルビー』の私も」

 

 アクアが見上げて、ルビーが見下ろす。その構図は変わらない。

 いつもの朗らかさは鳴りを潜めた、深みを帯びた声の色も。

 

「けど、もうせんせにだけ全部任せるのは違うでしょ。だってせんせは、お兄ちゃんは、あんなに痛い思いしたんだよ?」

 

 声が震える。思い出しているのだろうか。『あの日』のことを。

 無理もない。アクアとてあの朝のことは、決して忘れられない記憶として脳の中に居残り続けているのだから。もう、十四年にもなろうというのに。

 

 けれども、違う。それはルビーが気にしなければならないものではない。断じて。

 あの日失敗したのは、アクアなのだ。他の誰でもない。

 

「それは、でも、あの時俺が」

「でももなにもないよッ!」

 

 だからアクアは抗弁しようとして、しかしそこで唐突に、ルビーが一際大きく、その声を張り上げた。

 

 

 

 がしりと、音が出そうなほど強く、アクアは腕を掴まれる。

 覗きこむルビーの瞳孔が、微かに開いている。呼吸さえも、浅く大きく聞こえた。

 

「それで今度もお兄ちゃんは、一人で全部終わらせようとするの?」

 

 ぎり、とアクアの両の腕を掴む力が強まる。走った鈍い痛みに僅かに表情を歪めてしまったことを、アクアは自覚した。

 

「あかねちゃんが手伝ってるのは知ってるけど、でもそれだって結局、ママも私も」

 

 自分自身の言葉に中てられたかのように、彼女はざわめく内心を隠そうともしていない。危うさすらも、感じ取る。

 

「違う。母さんには、アイツと話をしてもらうつもりだ。それはルビーも知ってるだろ。蚊帳の外ってことはない」

 

 故にそれをやんわりと押し戻すように、アクアはルビーを説き伏せようと試みた。

 掴まれた腕をそのままに、椅子を引いて立ち上がろうとする。

 

「あの日のことは俺たち全員で片を付けなきゃいけないのは、俺だってわかって――」

「嘘だよね」

 

 ルビーが、そんな一言によってアクアのことをその動きごと斬って捨てた。

 

「イヤだよ。知らんぷりなんてできない。私は、もう後悔したくない」

 

 灼かれるほどに、強かった。静かな声の中に潜む激情も、瞳に宿っている輝きも。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 浮かべた表情は、向けてくる視線も、いっそ必死ささえ帯びている。

 言葉を、完全に封じられていた。

 

「そうなったら、私はもう笑えなくなる。多分、一生」

 

 震える声で、押し殺したような声で言葉を重ねて、暫し俯く。「だから」、そう言って、一息を挟んで顔が上がった。

 

「責任を取るのは、私もだ。だったら、ママの役は私がやるべきでしょ」

 

 窺えたのは、揺るぎのない決心だった。決して退くつもりなどないと、彼女は態度で語っていた。

 ルビーの意思は、あまりにも固い。止められるものではない。それを、アクアは悟った。

 

 

 

 しかしそこで不意に、ルビーの纏う雰囲気がほんの少しだけ和らぐ。まるでこちらのことを、安心させようとでもしているかのように。

 

「けど、あともう一個だけ」

 

 掴んでいた腕が放される。その手でもって、彼女は自らの顔の前で指を一つ立てた。

 一瞬だけ片目を瞑って、小さな笑みを浮かべる。けれども次の瞬間には、ルビーの表情は真剣さを取り戻していた。

 窓の外に、目を向ける。そして一言だけ口にした。

 

「勝負したいんだ」

 

 出てきた突拍子もない台詞に、アクアは当惑交じりに訊き返す。

 

「勝負?」

「うん」

「何のだ。というか、誰とだ」

 

 ルビーが今一度、ちらりとアクアを見る。見えた表情の色をはかりかねている間に、答えが戻ってきた。

 

「あかねちゃんと」

 

 「あかねと勝負」。かなならともかく、ルビーからそんな類の意向が飛び出してくるとは、アクアは今の今まで思っていなかった。

 戸惑いを内包したまま、問いを重ねる。

 

「アイ役の、ってことか?」

「まあ、それもあるかな。でも、そういうわけじゃなくて」

 

 何ていうのかな、と。そんな風に、言葉に詰まるような素振りをルビーが見せた。

 数秒ほどの逡巡が続く。その末に、彼女はぱっと笑った。

 

「内緒っ」

 

 瞬間、ルビーの纏う空気が、嘘のように元に戻っていた。

 いつもの、天真爛漫で誰もに愛されるような、「星野ルビー」としての彼女に、還っていた。

 

「内緒って、お前なあ……」

 

 呆れたような声を返さざるを得ないアクアに「えへへー」と見慣れた笑顔で返したルビーが、踵を返す。

 

「ま、そういうわけだから。とにかく、考えといてねお兄ちゃん」

 

 ひらりと手を振って、そのまま彼女はアクアの自室から姿を消した。

 

 

 

「またアイツは、勝手なことを……」

 

 アクアのほかに誰もいなくなった部屋の中で、一人呟く。

 どのみち、ルビーの最後に言ったこと――「アイ役のオファーについてルビーのことも候補に入れて考えるよう鏑木に伝える」というタスクは、アクアとしてはしなければならないことだった。ルビーの意見が何であっても、アクアが何を思っていても、それがアイの言葉である限りにおいて、無視することは許されない。

 

 だからルビーを呼び寄せてあれこれと聞いたのは、結局のところアクアが自らを納得させるためでしかなかった。故に早々に、アクアは調整を進めることになるだろう。どういう展開になるにせよ。

 

 そして今、アクアは理解した。納得もした。ルビーがどうして、アイ役を望むという判断に至ったのか。

 しかしそうであっても、アクアは思わずにいられない。

 

「けど、駄目だ」

 

 自然に、また口から独り言が漏れ出ていた。

 

「俺がやらないと」

 

 ルビーの言葉が、また脳裏に響く。

 ――せんせに全部任せるのは、違うよ。

 

「そうじゃないんだよ」

 

 思わず、答えてしまっていた。呼びかける相手はもうこの場にいないというのに。

 額に手を当てる。少しだけ、目を瞑った。

 

 そうだ。結局、これはきっとアイのためでも、ルビーのためでもない。今アクアがしようとしていることも、アクアの望む決着も。少し前に、壱護社長に向かって言ったように。

 

 でも、それでもアクアは選んだ。吾郎が望んだのだ。「幕を引く」のは、アクア自身でなければならないのだと。

 

「じゃなきゃ、俺は……」

 

 その先を、言葉にするのは憚られた。尻すぼみになった声が、虚空に消える。

 

 

 

 天井を見上げる。室内を煌々と照らし続けるLED灯が、忌々しいほどに眩しく光っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 クリスマスが過ぎて年の瀬に至り、あらゆる意味で激動と表現すべきであったこの一年が、終わろうとしている。

 二学期が終わり、しかし大晦日まではいくらかの日が残っているこの日、黒川あかねは一人の女の子と顔を合わせていた。

 

「ありがとね、あかねちゃん。時間とってくれて」

 

 その子が、つまりルビーが、互いに立ったまま向かい合うあかねの正面でぺこりと頭を下げた。

 以前の高千穂で、あるいはこの間のカフェで顔を合わせたときのような、底抜けの明るさも朗らかさも、そこにはない。

 

 彼女は、きっと並々ならぬ覚悟を持って、この場所に立っている。そのことを、あかねは改めて認識した。

 

 ルビーの謝意の言葉に小さく首を振る。努めて表情を柔らかく、あかねは答えた。

 

「大丈夫。私も、ルビーちゃんとはお話しないといけないって思ってたから」

「あかねちゃんが? なんで?」

 

 こてんと、首が傾げられる。どうやらルビーはあかね側の事情については知らないらしい。

 アクアは、彼女に対して何も話していないのだろうか。気になって、訊ねてみる。

 

「アクアくんからは、特に何も聞いてないの?」

「お兄ちゃん? それは、配役の話でってこと?」

 

 無言で頷き、先を促す。そうすれば、ルビーは些か怪訝そうな表情で頬に手を当てた。

 

「一応、お兄ちゃんからは話は聞いてるよ? だから今日あかねちゃんに会いたい、ってお願いしたんだから」

 

 ルビーはそのまま、彼女にとっての今までの経緯をあかねに向かって説いた。

 

「あかねちゃんも、ママが映画のアイ役に私を推したって話は知ってると思うけど。それで、お兄ちゃんがカントクさんと鏑木さんに相談したらしいんだよね」

 

 ルビーの言う「ママ」というのは、取りも直さずアイのことを指している。つまり今回の映画――「15年の嘘」の主人公であるアイの役を演じるべき人間は自らの娘であると、アイが自ら推挙したということになる。

 

「それで、お兄ちゃんが鏑木さんから聞いた話ってのが、先週あかねちゃんに伝えたことでさ」

 

 ルビーが言ったことは、当然あかねとしても理解している。

 

 

 

 今回、ルビーがあかねにこういう形で話し合いの場を設けてほしいと頼んできた理由は、その先週彼女からやってきたチャットアプリのメッセージに書かれていた。

 

 ――「15年の嘘」のことだけど、私「アイ役」に立候補したくて。

 ――そしたら、「あかねちゃんがオッケー出すなら、オーディションやってもいいよ」って話になっててさ。

 

 実のところ、その話はあかねもまた聞いていた。話の出元は、他でもないアクアである。ルビーからこのメッセージがやってくるよりほんの一、二日ほど前のことだった。

 というより、そもそもあかねは今回の映画のことについて、役のオファーを公式に受けるよりも前にアクアから内実を聞かされている。その映画が、本当の意味でアクアにとってどういう意味を持つのかも。

 今のあかねは、「女優・黒川あかね」である以上に、アクア――「星野アクア」の協力者なのだ。共犯者、とも言えるかもしれない。彼が何を、何のためにやろうとしているのか、知っておきたい立場だし、また知っておくべき立場でもある。

 

 彼は、自らの妹がアイの役を、つまり母親の若いころの役をやることについて、当の本人、つまりアイが後押ししているということを、包み隠さずあかねに話した。同時に、今ルビーが言ったこと、つまり「あかねの意向次第で、アイ役がルビーとあかねの二者によるオーディションになり得る」ということも、また然りである。

 

 年末に向けて多忙が重なり、顔を合わせる機会がなかったアクアとあかねだったが、それでも敢えてテキストではなく電話で直接声を届けてきたアクアは、その時あかねにこう頼んだ。

 

 ――ルビーから話が行ったら、聞いてやって欲しい。

 ――最終的な判断は、あかねに任せる。

 

 電話越しに聞くアクアの声は、僅かばかりの逡巡を内包している。そう、その時のあかねは直感した。

 

 アクアが今回の映画において何をやろうとしているのか、彼の口から聞いたことが全てであるとは、いくら何でもあかねは考えていない。

 「映画を通して、カミキヒカルを釣り上げて、アイと対話させる」。「アイツと母さんの因縁に、ケリをつける」。その言葉は正しいのだろう。しかしアクアはおそらく、それ以上の何かを今、胸中に抱えている。

 特にそれは先日、島監督のスキャンダルに端を発するカミキヒカルへの懸念を姫川大輝から聞いた時以来、顕著になったような気がしていた。

 

 しかし同時に、彼は迷っている。自分のしようとしていることが正しいのか、自信が持てないでいる。

 アイの娘であり、また姿形は生き写しに近いとさえ言えるルビーが映画でアイ役を演じることは、アイとアクアたち二人との間に存在する親子関係について、世間に露出する危険性を著しく高めることは言うまでもない。アクアも当然にそれを懸念してはいよう。

 それでも、アクアはルビーのことを、アイのことを止められなかった。如何にアイが自分の役へのキャスティングということで強い影響力を持っているとて、最終的な決定権を持つ鏑木があかねのことを半ば既定路線として推挙している以上、本気でやればねじ伏せることはできるはずなのに。けれども、アクアはそれを選ばなかったのだ。

 いや、選べなかったのか。

 

 兎も角、故にあかねは今、託されている。ルビーのことも、そしてともすれば、アクアがここから取るべき選択さえ。

 

 

 

「そっか。じゃあ、そこについては知ってるんだね、ルビーちゃんも」

 

 ルビーの声が途切れるのと共に、あかねは思考の海に潜っていた意識を浮上させる。

 彼女に向かって小さく一つ頷き、言葉を繋いだ。

 

「でも実はその話、ルビーちゃんから聞く前にアクアくんから聞いててさ」

「え、そうなの? お兄ちゃんが?」

「うん。だからね、私も訊きたかったの、ルビーちゃんに」

 

 今のルビーの言と、アクアのあの日の態度を重ね合わせ、あかねの今為すべきことを導き出す。

 互いに少しだけ距離を取って立っていたその場所から、一歩だけルビーに歩み寄った。

 そして、問いかける。

 

「教えて。ルビーちゃんは何を考えてるの。お母さんの役をやることで、ルビーちゃんは何をしようとしているの」

 

 嘘だけは、つかないでほしい。そういう無言の要望と共に、あかねは直向な視線で、ルビーのことをじっと見据えた。

 

 

 

 あかねから問いかけを聞いて、ルビーは俯く。

 答えたくないのか。そう思って、しかしすぐにそうではないと考え直す。

 つまり今の彼女は、おそらく言葉を選ぼうとしているのだ。何を言うべきで、何がそうでないかを。

 

 いつか、アクアとのデートで使ったカフェの中、共に紅茶を飲みながら交わした会話と、約束のことを思い出す。

 ルビーにとって兄とは、アクアとはどういう存在なのか。彼に何を望んでいるのか。

 

 あの日彼女の見せた表情の中に見えたアクアへの情動からは、あかねにはどうしても、単なる肉親への情を超えた何かの色を感じずにはいられなかった。

 でもそれはきっと、ただの家族に向けるよりもっと純粋で、輝かしいものだった。

 だとするならば、あかねは何をもって、ルビーに言葉を促すべきだろうか。その問いへの答えは、いとも簡単にあかねの口から吐き出されていた。

 

「今回のことだけどね」

 

 思考に没頭するかのように下に向けられていた彼女の顔が、あかねへと向けられる。

 

「多分、アクアくんはその気になれば、ルビーちゃんの立候補を断るようにできたはずなんだよ」

 

 小さく見開かれた目を覗きこみながら、「だって」と言葉を続ける。

 

「今回のキャスティング、優先権を持ってるのは私だから。ルビーちゃんも聞いたでしょ? 『黒川あかねがオーケーを出すなら』ってさ。なら、私に『ルビーの申し出を却下してくれ』ってお願いすれば、そこで話は終わりのはずだった。違う?」

 

 数秒ほど、ルビーはあかねの謂わんとすることを咀嚼する。そのまま無言で、首を横に振った。

 

「だよね。だからアクアくんには、権利があったんだ。でもそうしなかった。『あかねに任せる』って、アクアくんは言ったんだよ」

 

 お兄ちゃんが。そう、ルビーが口の中で発した小さな呟きを、あかねは拾う。目を瞠ったまま、どこか呆然としたような振る舞いだった。

 

「ねえ」

 

 そこで改めて、あかねはルビーに語り掛ける。

 

「アクアくんは、何に悩んでるの? 何をしようとしてるって、ルビーちゃんは思ってるの? ……それが、ルビーちゃんがアイさんの役に立候補した理由なの?」

 

 畳みかけるように発したその三つの問を聞いて、ルビーは一瞬、あかねの方から目を逸らす。

 しかし、本当にそれは短い間のことだった。あかねの上に戻ったルビーの焦点は、その先にある彼女の双眸は、今日初めにあかねと顔を合わせたときと同じように、確固たる意思の力を宿していた。

 

「わかった」

 

 声も、また同じく。

 

「じゃあ、ちょっと聞いて。私が最近のお兄ちゃんのことで何を感じてたか。あかねちゃんなら、知ってる内容もあるかもしれないけど」

 

 そして彼女は、ようやく自らの考えを語り始めた。

 

 

 

 今回の映画のこと、カミキヒカルのこと。アイのこと。

 彼女たちが十四年前に経験した災難のことと、それからのアクアのこと。

 その全てを踏まえて、ルビーが至った決意と、覚悟のこと。

 

 自分だけが何も知らず、知らされず、外側でついてしまった決着に後悔するようなことなど、絶対に嫌なのだと。

 そう、ルビーは叫んでいた。表面に聞こえる言葉こそ凪いで、冷静なものであっても、内側に秘められた心情の強さを、あかねはひしひしと感じていた。

 

 

 

「だから、私はママの役をやりたい。いや、やらなくちゃいけないんだ」

 

 彼女の数分にわたる決意表明の全てに耳を傾けて、あかねは理解する。

 

 ルビーは今、自分自身も壇上に上がらなければならないと考えている。知らぬ存ぜぬは通らないと。

 アクアがルビーにどうあってほしいと考えているのか、それを理解してでも、それでもルビーは自分自身を当事者にしようとしている。

 「星野ルビー」が「星野アイ」を演じることで生じるリスクも、それがともすればルビーの将来に影響するかもしれないという懸念さえも全て理解した上で、彼女は敢えて自ら矢面に立とうとしているのだ。

 

 十四年前の事件に始まった、一連の事情と宿命の全てを抱え込んだアクアが、糸の切れた凧のようにどこかにふっと消えてしまわないように。

 そのためならば、きっとルビーは手段の一切を択ぶつもりなどないのだろう。

 

 

 

 はっきり言おう。あかねはそのルビーの選択に、強く強く共感していた。

 

 あの日、あのカフェの中でルビーに感じたシンパシーは、決して気のせいではなかった。アクアのことで、共に結んだ『協定』のことも、だから正しい選択だったのだと、あかねは改めて思い直す。

 

 ならばともすればあかねにとっては、自らアイの役を辞退してルビーにそれを託すことさえ正着なのかもしれない。そう思ってしまうぐらいには、今のあかねはルビーの言い分に共鳴している。

 ただ同時に、それを決して許さない自分もいた。

 

 映画『15年の嘘』の主演としての大役を任されるに至った、女優としてのプライドも。

 アクアの計画の要としての役割を託された、「恋人」にして「共犯者」である一人の人間としての喜びも、義務感も。

 そして同時に、それほどの強い思いを自らの兄に向けているルビーという少女に対して、気持ちの大きさで負けたくないという、()()()()()()()()も。

 

 その全てが、あかねの背中を押していた。

 

 

 

「そっか」

 

 衝動に逆らうことなく、口を開く。

 

「わかったよ。ありがとう、ルビーちゃん」

 

 切った啖呵の勢いのまま、鋭い目つきであかねのことを見ていたルビーの表情が、それを聞いて少しだけ解ける。

 口角を上げ、顔に笑みを象って、あかねは頷いた。

 

「そういうことなら、私も賛成」

「だったら……!」

「うん。いいよ、オーディションしよっか」

 

 ぱっと、花が咲いた。ルビーの見せる表情が、一気に明るくなった。

 たたた、と軽い足音を響かせながら、歩み寄ってくる。そのままの勢いで、どこか感極まったかのように、ルビーはあかねの両の手を取っていた。

 ぶんぶんと、それが縦に振られる。

 

「ありがとう! ありがとうあかねちゃん!」

 

 ぴょんぴょんと、飛び跳ねてさえいた。

 余程に嬉しいらしい。微笑ましい限りではある。というより、ルビーの振る舞いはそれを見る人の心を温める何かがあるのだろう。

 

 ただ、どうやら彼女は忘れている。

 

「うん、どういたしまして。でもね、ルビーちゃん」

 

 逆接で繋いだあかねの言葉が耳に入ったか、ぴたりと彼女の動きが止まる。

 

「これからやるの、オーディションなんだよね。でさ、ルビーちゃん」

 

 合った視線の中、戸惑いの双眸を向けてくるルビーにめがけて、あかねは敢えてもう一度笑った。

 

「今のままのルビーちゃんで、演技のオーディションするって言って、私に勝てる可能性、あると思ってる?」

 

 言葉を発したその瞬間、ルビーの身体の動きも、表情も、びしりと固まった。

 

 

 

 そのまま五秒が経ち、更に十秒が経つ。

 答えを促すように敢えて小首さえ傾げてみせたあかねに、そこでやっと声が聞こえた。

 

「……思わない」

 

 蚊の鳴くような、か細い声だった。

 

「だよねー」

 

 我が意を得たりと、あかねは即答した。

 

 そうだ。いくらルビーの熱意が本物であるからと言って、役者をやったことがない人間と芸歴十年にもなる女優を一線に並べてオーディションをすれば、どちらが選ばれるかなど問うまでもない。

 つまり現状、たとえあかねがルビーのオーディション実施を受け入れたとしても、結果としては何の波乱もなくあかねをアイ役に決定して終わりになる可能性が極めて高いだろう。

 

 ルビーもそのことは理解しているらしい。途端に消沈した様子を見せ始めた彼女がどこかおかしくて、あかねはまた笑ってしまう。

 途端にぶつけられたジト目交じりの視線を受けて、目の前でひらりひらりと手を振った。

 

「ああ、ごめんね。別に上げて落とすつもりとかはなくて」

 

 言ってから、すぐに居住まいを正す。表情も努めて引き締めた。

 そのまま、あかねはぐるりと辺りを見回しながら、手を広げてみせた。

 

 背後を向き、くるりと顔だけルビーの方に向けて、言葉を続ける。

 

「ルビーちゃんさ。どうして今日『ここ』に集まるようにしたのか、わかる?」

 

 ここというのは、すなわち今あかねとルビーがいる部屋のことだ。

 四方を見渡せば、そこにはただ無味乾燥な白い壁面ばかりが存在している。真っ新な輝きにはもはや遠く、些かくすんで見えるそれには、この建物の経験したであろう時の流れが染み付いている。窓を覆う無機質な白い金属製のブラインドも、足元にて天井からの照明を跳ね返して鈍い輝きを放っているリノリウムの床材をも合わせて、いかにも「役所然」とした、「公共の建築物」特有の気の利かなさが、この空間には漂っていた。

 

 つまりここは、「公の建物」の中である。目黒区がいくつか置いている住民サービスのための施設、「住区センター」の会議室の中の一室に、今あかねたちはいた。

 十数人規模の会議を実施するために設置されている長机やパイプ椅子の類を片っ端から隅に寄せて、中央に出来た大きな空間の只中に、二人は立っている。

 

 今日の為にあかねが確保したのがこの場所だった理由は、ひどく単純なものだ。

 「安いから」。それ以上でも以下でもない。区民であれば一時間当たりワンコインのレベルで借りることができてしまうこの類の会議室は、故に長時間場所を確保しても、財布がそこまで痛まない。

 つまりここを、あかねは今日かなりの長時間にわたって押さえていた。具体的には、午後一の今の時間から夕方になるまでの、五時間ほどである。

 

 それは何故か。分からないとばかりに首をぶんぶんと左右に振ったルビーに対して、あかねは答えを示した。

 

「こういう会議室はね、流石に叫ぶようなことはしちゃダメだけど、ある程度大きな声を出していいことになってるの。まあ、もともと会議室だからね」

 

 身体を反転させる。正面からルビーを見る。

 

「だからさ、ここでなら練習できるんだよね」

「れんしゅう?」

「そう。お芝居の練習」

 

 手を広げながらあかねが口にしたそれを聞いて、ルビーは一瞬、ぽかんとした表情を浮かべた。

 何を言われたのか、いまいちピンと来ていないらしい。しかし流石に五秒と経てば、彼女の理解も追い付く。

 あかねの言った「お芝居の練習」というのが、果たして誰に対してのものか。何のための練習であるのか。

 

「……もしかして、私のため?」

 

 そのあたりのことに思いが至ったか、そう恐る恐ると言った様子ながら正解に辿り着いたルビーに、あかねは敢えて鷹揚に頷いた。

 

「前さ、ルビーちゃんが『役者にも興味ある』って言った時あったでしょ? 色々アドバイスできるよって言ったと思うけど、今がその時だろうなって思ってね」

 

 つまりそれは、遡ることほぼ一年前の、高千穂においての話である。

 直後に見つけてしまった白骨死体のあれやこれやがあまりに大きすぎて印象としては薄れてしまっていてもおかしくはないが、あの時ルビーたちの宿の鍵を咥えて飛び去って行ったカラスを追いかけながら彼女とした会話の中で、あかねは確かにルビーに対してそう言った向きのことを話していた。

 それを、忘れるわけもない。

 

「あかねちゃんが……」

「うん。まあ、実際ルビーちゃんがどれぐらい演技の下地を積んでるかとか分からないから、今日は多分そういうのの確認みたいなところから入ることになると思うけどね」

 

 こちらから視線を逸らし、額に手を当てながら、どこか自分に対して事実を整理するような趣で、ルビーは呟いている。自らの考えるところを続けて話したあかねを前にしても、考え込むような素振りをずっと見せている。

 どうかな、とあかねの方からルビーに意向を促せば、暫しの時間それにさえ黙って己の考えを整理していたのであろうルビーが、はたと顔を上げた。

 

「どうして」

「え?」

「どうして、あかねちゃんがそこまでしてくれるの?」

 

 そんな彼女からやってきたのは、問いかけだった。

 目線も、顔つきも、真剣だ。いや、どこか縋るような何かさえも、あかねは今のルビーから感じ取ってしまった。

 

「あかねちゃんは、お兄ちゃんからママの役を頼まれてて、それを受けるつもりなんでしょ?」

「それは、うん。当然そのつもりだよ」

 

 至極当然の問を受けて頷いたあかねに、途端にルビーは一歩あかねに近寄った。おそらくは、無意識の中の行動だった。

 

「だったら、オーディション相手になる私のお手伝いをしてくれるのは、何で? 何もしなければ、あかねちゃんがママの役になるじゃん。さっきあかねちゃんも言ってたけどさ」

 

 微かに、声のトーンが上がっている。ルビーの内心における情動の高まりを、きっとそれは表していた。

 

 当然の問いだと、あかねは思う。確かにそれは、一見すれば「敵に塩を送る行為」でしかない。戸惑う気持ちがあるだろうことも、よく理解できる。

 もしかしたら、あかねが同じ立場に立ったなら、「バカにするな」と怒ったかもしれない。いや、それは自分が役者であることへの矜持が、そこにあるからだろうか。

 

 しかし、それを向けられてなお、あかねの気持ちは露ほども変わらない。ブレることもない。

 

「それはね」

 

 だからあかねは、努めて柔和に答えを口にする。

 

「多分、そうすることがアクアくんの望みなんだって、思ってるから」

 

 言いながら、あかねは己の内心を肯定した。

 結局、今回の映画に関連するあかねの全ての行動の源泉は、全てそこに帰着するのだ。

 

「アクアくんは、多分まだ迷ってるんだよ」

 

 内心に潜るように目を瞑って、あかねは唄うように語る。

 

「アイさんとルビーちゃんの考えてることの方が正しいのか、自分の方が正しいのか。自分がどういう道に進むべきなのか。この映画を、どうやって使うのが一番みんなの為になるのか」

 

 あの日、電話口で聞いたアクアの声のことを思い起こす。

 あかねには分かる。あれは、決断に迷っている人間の声だ。何が正しく、何がそうでないかを自分の中で整理できていない人間が発する声の色だ。

 一度定めたはずの目標が、着地点が、アイとルビーの意向を知ったことで、揺らいだ。アクアはきっと、アイにもルビーにも、正しさを見出している。

 

 彼は真面目なのだ。そしてどこまでも優しい。だからこその悩みなのだ。あかねは、そのことをよく分かっている。

 唐突に、あかねは無性にアクアに会いたくなった。彼の顔を見て、彼の手に触れて、彼の思うところの全てを、自分に吐き出して欲しいと思ってしまった。

 

 首を振る。しかし、それは今ではない。今は、アクアではなくルビーに向き合うべき時だ。

 目を開き、顔を上げた。透明な表情であかねの言葉を咀嚼しようとしている、目の前の金紗の髪の少女に対して、あかねは自らの感情さえも載せた声で、言葉を紡いだ。

 

「だったら、私はアクアくんに『選択肢』をあげたい」

「選、択肢?」

 

 繰り返したルビーに、強く頷く。

 

「アクアくんには、自分が進むべき道を信じられるようになってほしい。しょうがないから選ぶんじゃなくて」

 

 向ける視線にも、力を込めた。

 

「だからルビーちゃんにも、しっかりした『選択肢』になってもらう必要があるの、私には。……アクアくんに、後悔してほしくないから」

 

 あかねのその言葉を聞いて、ルビーの目が見開かれる。

 しかし、それだけではない。「それにね」と、あかねは表情を和らげた。

 

「アクアくんは、多分ルビーちゃんにも後悔してほしくないって、思ってるだろうから」

 

 柔らかく、しかし意思を宿した声色を意識して、そう言葉を結んだ。

 

 

 

 その「後悔」という言葉が何に対して向けられているかは、ルビーもおそらく理解していることだろう。

 彼女は、あかねのそこまでの長口上を全て聞いた上で、「そっか」と小さく呟いた。

 

「そんな風に、考えてくれてたんだね。お兄ちゃんも、あかねちゃんも」

 

 俯き加減で口にして、小さく唇の端が上がる。

 しかし次に彼女が顔を上げ、あかねのことを見返してきたときには、既にその表情はいつもの明るさを取り戻していた。

 

「ありがとね、あかねちゃん。だったら、よろしくお願いします、『せんせい』!」

 

 そう、どこか悪戯っぽい笑みで自身のことを(おだ)ててきたルビーに、あかねもまた笑う。

 

「うん! 任されました、ルビーちゃん」

 

 互いに向け合った、おどけるような笑顔は、いつか楽しげな笑い声に変わって、この会議室を満たした。

 

 

 

 斯くしてその場において、あかねとルビーとの間で、オーディションまでの期間における演技指導の約束が交わされた。

 とは言え、あかねは年明けからはまた多忙の身に戻る。ルビーもまた同じだ。そう言うわけで、基本的にルビーがあかねと顔を合わせて今日のような場を設けるのは週に一度と決まった。

 正直なところ、これもかなりギリギリの調整だ。本来ならばアクアと「デート」――とは言いつつ、最近本当に純粋なデートの時間は取れていないのだが――をするために確保している余暇さえ、すべてルビーの為に振り分けている。

 しかし、そうするだけの価値があると、あかねは信じていた。それは間違いなく、アクアやルビーの、ひいてはあかね自身の為に意味のある選択だと考えていた。

 

 ともあれ、そうして週に一度の「レッスン」を行う裏で、ルビーもまた演技に関して自主練を進めることになる。それにあっては、周りにいる役者、すなわちかなやアクアにアドバイスをもらうようにと、あかねはルビーに進言した。場合によっては、アイ本人に相談しても構わないと。

 今のルビーには、時間がない。プライドも遠慮も邪魔なだけだ。短時間であかねと同じ土俵に上がることは難しくとも、たとえ付け焼刃だとしても、ルビーには自分自身の演技の「形」というものをオーディションまでの間に作り上げてもらわなければならなかった。

 

 そしてそのオーディションは、あかねが可能な限り後ろ倒しをアクアや五反田監督、そして鏑木プロデューサーに頼んだことで、二月の頭に実施されることに決まった。

 今から、一か月と少し後だ。映画の撮影スケジュールのことを考えればかなり好意的な回答だと、あかねは直感する。

 

 ただ同時に、そこまでアイ役の決定を後ろ倒しにするというならば、それ以外のほぼ全ての段取りが、そのタイミングで済んでいなければならないというのも事実だ。

 すなわち、その時点においてアイ役を除いた全てのキャストが基本的にはフィックスしていると、彼らも、そしてあかねも見ている。例外は、当のルビーに現状で割り当てられている想定キャストと、その周辺のB小町のメンバーの役が多少入れ替わるぐらいのものだろう。

 

 必然的に、今回のオーディションの内容についても、そうした段取りの「副産物」を再利用する形で進められることとなった。

 ルビーとの話し合いを踏まえたあかねからの返答と、その後のアクアたちの内部での検討を経て、オーディションで実施する内容が決定される。

 

 彼らが選んだのは、映画「15年の嘘」で使用する実カットを審査に転用するという方針だった。

 相手役の存在する、一対一の演技だ。「アイ役」としてのあかねたちが向き合うその相手は、B小町の初期メンバーの一人、「ニノ」である。

 

 彼女とアイとの間で繰り広げられる、ライブ後のワンカット。ニノからアイに対する、「拒絶と決別」のシーン。

 それが、今回のオーディションの課題となった。

 

 

 

 今回の映画におけるニノ役は、もうすでに決定している。何を隠そう、『有馬かな』だ。

 だからそれはある意味、あかねにとっても久し振りとも言える、オーディションの場における有馬かなという女優との『ペア演技』でもあった。

 

 それを知った瞬間、黒川あかねの内心に、小さくも赫々たる炎が灯る。

 オーディション。有馬かな。そして、ペア演技。その三つの言葉は、あかねの中に決して忘れ得ぬ記憶となって残っている。

 

 ――なおさら、負けられない。どうしようもなく、そう思った。

 そう思うに足る理由が、あかねにはあったのだ。

 

 たとえそれが、ルビー相手であっても。今の自分が、彼女に手を貸している身であるのだとしても。

 

 

 

 しかし――そんなあかねの決心の裏で、彼女の競合相手の、ルビーの心情を根底から覆す一つの出会いの時が、訪れようとしている。

 それはあかねには決して知り得ない、過去からの来訪者だった。

 

 ルビーが単なる十七歳の少女であったのならば、決して知り得ないはずの『二十五年越しの因縁』に、故に彼女は直面することとなる。

 映画「15年の嘘」にまつわる仕事が引き合わせた、()()()()()()という、一人の女性と。

 

 

 

 その日は、すぐそばまでやってきていた。




俄かにあかねがやる気を出し始めた理由、「オーディションと『ペア演技』」に関しては、これは小説第二弾のネタです。あかねとかなちゃんの間の確執を考えるに、あの話は絶対に取り入れたいと思っていたので、この一連のエピソードで採用します。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。