天には星を、人には愛を   作:厳冬蜜柑

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5-16. 明日に願う

 五月も半ばに入り、映画の撮影は佳境に入りつつある。

 そんな日々の中において、この日は黒川あかねにとって、久しぶりの「彼」との二人きりの時間だった。

 

「ここ、前から一度来てみたかったんだよね」

 

 天井にまで届く書架と、そこに所狭しと並べられた本が、壁という壁を覆っている。

 薄暗い照明が浮かび上がらせるこの場所は、さながら本の海だった。

 

 発した声さえも吸い込まれていきそうな静寂の中で、あかねは自身の隣に立つ、伊達眼鏡をかけた少年の顔を見上げる。

 呼びかけに反応したかのように向けられた彼の、アクアの双眸と、あかねのそれがそこで静かにぶつかった。

 

 

 

 今この時、あかねたち二人の姿は、最近静かなブームの兆しを見せつつあるカフェ併設型の書店、所謂「ブックカフェ」の中にあった。

 テレビの特集だったか、ネットの記事であったか。その幻想的とも言えるこの店の雰囲気にどうしようもなく惹かれて、しかし今の今まで足を運ぶ機会がなかった。もう何度重ねたか覚えていないアクアとの「デート」の中でさえも。

 

 それが今日、どういうわけかあかねは、彼に誘われる形でここにいる。

 あかねにとっては「波長の合う相手」であるアクアのことだ。彼もまた、一度はここに来たかったということなのか。あるいはあかねのことを考えて、「好きそうな場所だから」と提案してくれたのか。

 

 それとも、何か心境の変化でも、あったということなのだろうか。

 

 

 

 書棚の合間、入り組むように置かれているソファの一つに、あかねはアクアと隣り合わせて座る。目の前に据えられたテーブルの前には、各々が思い思いに手に取った数冊の本と、そして紙コップの中に注がれたホットコーヒーが置かれている。

 

「そろそろ、慣れたか? 大学」

 

 紙の擦れ合う乾いた音ばかりが響いていた二人の間に、ふと男の子の声が響いた。

 すぐ隣の場所から放たれたそれに、アクアが発したその言葉に、あかねは頷く。

 

「まあ、連休も明けたし。履修登録とか、初めて尽くしで最初の方は全然分からなくて不安だったけど、まあどうにかって感じかな」

「ああ……確かに、な。受ける講義を自分で選ぶなんて、まあなかったもんな」

「ちょっとはあったけどね、選択型の授業。高校でも。二外とか」

 

 はたと、アクアの目が見開かれる。蒼い虹彩が、真っすぐにあかねに向けられた。

 

「二外? 高校でか」

 

 確かな驚きを持って発されたその言葉も、しかしすぐに納得を伴った響きに変わる。

 

「いや、そうか。進学校だったんだもんな、あかねは」

 

 何故だろう。彼の言葉の中に、あかねは「自分事」のような共感の趣を感じ取っていた。

 まるで、かつて彼自身もまた、それを経験していたかのような。

 

 ――いや、気のせいか。

 思い直したあかねの視線の先、アクアがふっと目を逸らす。そのままそれは、彼の手に持っている本の上へと落ちた。

 その装丁を、横からあかねは見る。

 

「アクアくん、それ……」

 

 思わず口にしてしまったあかねは、しかし同時に自らの失言を悟る。

 いや、失言とは違うのかもしれない。けれども、その言葉を聞いてほんの一瞬だけ、きっと咄嗟にアクアが浮かべた表情の中に、あかねは見てしまったのだ。

 

 後悔にも似た、何かを。

 

 だからつまり――それは、医学書だった。

 

 

 

 溜め息の音が聞こえる。ぱたりと、本が閉じられた。

 

「ああ、うん」

 

 アクアの手が、本の表紙を一度だけ撫でる。少しだけ俯いていた視線が、あかねを向いた。

 

「アクアくん、お医者さんになりたいの?」

 

 そうであるのならば、もう訊くよりない。進まざるを得ない話題をアクアへと向ければ、彼はまた暫し、あかねから視線を外した。

 

 しばらく続いた沈黙から、小さな吐息の音を聞く。

 

「……どう、なんだろうな」

 

 本の上に走らせていた視線が、一瞬宙を泳いだ。浮かんでいた表情は、苦笑だろうか。

 

「けどまあ、本当に医者になりたいってんなら、『こんなもの』の前にまず医大の赤本でも解いとけよって話なのは、確かなんだろうけど」

 

 もう一度目線を本の方にやりながら、どこか自嘲にも似た響きの声が返ってくる。

 

 その姿に、あかねはどうしようもなく、かつての記憶を思い起こしていた。

 

 一年前、あの高千穂の廃屋の中、夕映えに染まる空気と、長く伸びてゆく影のコントラストの中で聞いた、あの話。

 彼が知り合いだと言って語った、その家のかつての住人の、『雨宮吾郎』の話を。

 

 最近、というには少し時間が経ってしまったかもしれないが、彼は妹、ルビーと一緒に、高千穂に出向いていた。

 あかねも現地に向かい、そして撮影と共に応援にも出向いた。B小町の全国ツアーの宮崎公演のときの話だ。

 

 そのことで、彼の中に思うところがあったのだろうか。

 また、あるいは――。

 

「いいと思うよ、私」

 

 図らずも、あかねは口に出していた。

 理由は分からない。それでも、あかね自身の心が、確かにそう命じていた。

 

 あかねの上げた目線と、アクアの降りてきた視線が、ぶつかる。凪いだ湖面の如くの彼の双眸が、一瞬だけ揺れた。

 

「そうか。……でも、別に決まってるわけでもないんだ。そろそろなのは、分かってるんだけど」

「そうなんだ」

 

 どこかバツが悪そうに外された彼の視線を追いかけるように、あかねは少しだけアクアの方に身を寄せる。

 首を傾げ、覗きこむようにして、口を開いた。

 

「それでも、いいと思う。だって、そうでしょ」

 

 手を差し伸べる。寄せた身体の先にある彼の膝に、静かに置いた。

 微かに香る涼やかな柑橘の匂いは、いつものアクアのそれだった。

 はたと合わされた彼の瞳を覗きこんで、いまひとたび、あかねは言葉を届ける。

 

「未来のことを、考えてるんだから」

 

 アクアは何も言わなかった。一瞬、ほんの一瞬だけ目を伏せて、そこに浮かんだ表情を、あかねは見逃さなかった。

 膝の上に置いていた手を、アクアの掌に重ねる。指先の温度を交えるように。そして、軽く握った。

 

 ――今は、これでいい。まだ彼の中で、全てが終わっていない今は。

 

 そう思ったことで、あかねはもう一つ、別の話題に辿り着く。

 今のアクアとっては、きっとまだ『やりやすい』方であろうそれを、あかねは彼へとぶつけた。

 

「そうだ。そろそろ、ドキュメンタリーパートの方、編集始めるって言ってたよね」

 

 寄り添っていた身体を少しだけ離して、アクアを見る。

 唐突な話題転換にか、僅かに目を瞬かせた彼が、しかしそこで確かに、一つ頷いた。

 

「そうだな。撮影の方はかなり順調だから」

 

 途端に、彼は饒舌になる。

 

「みんな優秀な役者だよ。あかねも、かなも」

「ルビーちゃんもだよ」

「……確かにな」

 

 苦笑を含んで、アクアはあかねのことを見返してくる。

 

 実際、映画の撮影が順調なのは、あかねの肌感覚でも分かることだった。

 

 現時点での映画製作の進捗を具体化すれば、四月半ばの時点で例のドーム前のあの事件のカットまでの主要なカットは撮り切ってしまい、今はその間を埋めるこまごまとした部分を作品の時系列を無視した順不同で撮っている、といったところだろうか。特に新生B小町の三人が演じている先代B小町たちの動きが表に出てくるようなカットは、全国ツアーが終わった今からが寧ろ本番だ。

 

 どうにも、撮影は全体的に予定していたカレンダーよりも巻き気味で進んでいるらしい。バッファーとして取られているお盆休み以降の二、三週間ほどは、このままいけばまるっと休みに出来る見込みだと、現場の撮影スタッフが言っているのをあかねは聞いたことがある。

 

 因みにと言うべきか、当然にと言うべきか、この撮影スケジュールを決めたのは、アクアだった。

 彼は今回の映画において、脚本担当である以上に助監督である。その仕事として、出演者各々のスケジュールやスキル、それに習熟度合いに鑑みて、彼自ら計画を立てるというのは、道理ではあるだろう。

 

「それを言ったら、MEMもだよ。映画の撮影なんて初めてだろうに、自分の出番もそうだけど、よく周りを見てる。現場がスムーズにいってるのは、あの子のおかげの部分もあるだろ」

「確かにね。けど、アクアくんもでしょ、それなら」

 

 だとするならば、現場の統制をこれほどうまくやり遂せているアクアもまた、賞賛に値することは間違いないだろう。

 小さく目を見開いて、意外そうなというか、呆気にとられた表情で目を向けてきた彼が少しだけ可笑しくて、あかねはくすりと笑った。

 

「アクアくんの旗振り、評判いいよ。スタッフさんとかもやりやすいって言ってた。流石五反田監督のお弟子さんだって。私もそう思う」

 

 面映ゆそうに、あるいは気まずそうにアクアはあかねから視線を逸らし、テーブルの上に置かれている自身のコーヒーの紙コップから中身を啜る。

 こういう分かりやすいところも、彼にはある。可愛らしい、と言うべきだろうか。申し訳ないと思いつつも、またも笑みが漏れていた。

 

「……カントクは職人気質が強すぎるからな。手綱を握っとかないとキリがないんだよ」

 

 あかねの方に視線を向けず、照れ隠しのように、あるいはムキになったように返してきた彼の言葉も、また彼らしい。

 

「そういうことにしておいてあげる」

 

 言いながらも追いかけるように覗きこんだ彼の顔が、その言葉に反応して更に逸らされる。少しばかりの膨れ面と一緒に頬杖までついてみせた態度の全てが、無性に愛おしかった。

 

 

 

 しかしそこで、何かを思い出したかのように、アクアがあかねに向き直る。

 表情もまた、俄かに引き締まっていた。

 

「『本物のアイ』」

 

 突然に、ただその単語だけをアクアは口走る。無言で続きを促したあかねを横目に、彼は少しだけ、斜め下に視線を外す。

 

「映画の話。カントクも俺も、ずっとそれを撮ろうとしてた。いや、今だって」

 

 すっと、また目が合った。いつもの通りの、透き通った瞳だった。その中に、あかね自身の像が映りこんで見えるほどに。

 

「あったことを基にハコを切って、取材したことをベースに詳しいところを詰めて。あかねにも手伝ってもらったけど、でも台本は、やっぱりただの文字だった」

 

 頷く。彼の言うことは、理解できた。

 台本は、事実を提示するだけだ。そこにあるのは究極の客観性で、確かに正しいものではあるけれども、故に正しさ「しか」ない。

 

「空気がなかった。息をしてなかった。『本物のアイ』がそこにいるのか、分からなかった。動かしてみないことには」

 

 あかねはただ黙って、アクアの独白を聞く。

 

 「本物のアイを知る」。その課題は、単純なようで難しい。「本物が知りたければ、生きた本物に訊けばいいじゃないか」などという意見は、半可通の戯言に過ぎない。

 

 『ジョハリの窓』、という言葉がある。一聞して、能楽の世界の『序破離』と混同しそうになる響きだが、しかし違う。

 心理学における用語だ。理論を提唱した二人の学者の名前の一部を繋げて、「ジョ・ハリ」でジョハリである。

 

 兎も角、その理論は言う。

 人間の性質というものを評するにあっては、主にその認知に対して二つの評価軸が存在する。

 「自分自身が認識している自分と、知らない自分」。そして、「世間が認識している自分と、知らない自分」。この二つだ。

 

 その全体をひっくるめて「その人間の『本当』」と評価するのであれば、本人の認知の全てがその人間を正しく言い表しているなどとは、到底言えはしない。

 とりわけあの秘密主義の権化、言葉を選ばなければ『究極の嘘つき』であるアイにおいては、それは猶更のことだろう。

 

 だから彼は、直接彼の母に、アイに全てを訊くことをよしとしなかった。寧ろ彼は、その外縁からアイ――星野アイという少女の根幹に触れようとするアプローチを選んだ。

 

 できたのは、白地図のような台本だった。だからそこに如何なる色を付けるかは、演者にかかっていた。

 あかねに課されていたのは、そういう役割だった。

 

「けど。いや、だからか。撮り進めて行く中で、見えてきたんだ。一本のストーリー、みたいなものが」

 

 まるで何かを諳んじるかのように、唄うように、アクアは言う。

 

「アイは、普通の女の子ではなかった。フィクションなら、『天才アイドル・アイの素顔は、どこにでもいる普通の女の子だった』とか言うんだろうけど。でも、そうではなかった」

 

 それは、あかねが敢えて言語化を避けていた部分だった。アクアと何度も出向いた取材と、そこで得た情報の整理の過程で、彼には言わなかったことだった。

 同じ事実からでも、受け取り方は変わり得る。彼の中の解釈を、歪めてしまいたくなかった。

 

「アイは自分が『特別』だと理解していた。というより、『普通』から外れた人間なんだと、自覚していた」

 

 けれども今、おそらくアクアはあかねと同じ場所に立っている。同じ方向から、アイの人物像を定義している。

 ひたすらに回数を重ね、材料が増えるごとに更新した、星野アイという人間の深堀り――プロファイリングのことを、思い出す。

 

 今ではない過去の、少女であった頃の星野アイという個人には、共感性の欠如と思しき性向が強く見られていた。

 「人の気持ちが分からない」。

 「常識が理解できない」。

 「人が普通やらないことをやってしまう」。

 かつてのあかねは、それを「発達障害の傾向」とまとめた。それこそ、今ガチの炎上事件の直後、アクアに言われてアイの資料を集め、初めて彼女に対するプロファイリングを試行した時の話だ。

 

 しかし、厳密にはそれは正しくなかったのだろう。最低でもアイは、自分の中の世間に対する「ズレ」の存在を自覚していた。自覚して、それでも敢えてああいう振る舞いをしていた。

 

「だけど、アイは自分が『特別』であることに、価値を置かなかった。『特別な自分』を理解してほしかったんじゃない。『普通』を理解できるようになりたかった。『普通』の中に、混ざりたかった」

 

 アクアの、独り言にも似た「アイを語る言葉」が加速する。

 

「アイの世界は、閉じてない。ずっと、外を向いていた。ずっと、アイは世界を理解しようとしていた。歩み寄ろうとしていた。だから――」

 

 呼吸が一つ挟まる。真っすぐに向けられたアクアの双眸が、ほんの刹那、光を増した気がした。

 そして、彼は言う。

 

「カミキヒカルにも歩み寄った。理解しようとした。そこに多分、母さんは自分と同じ匂いを感じたんだろう。……いや、これは脱線だな」

 

 小さく首を振って、口の端に笑みが浮かんだ。一瞬だけ見えた彼の瞳の中の光は、もう見えなくなっていた。

 

 一瞬だけ、あかねは自らの胸を押さえる。きっと、無意識の中での行いだった。

 それは多分、理解してしまったからなのだろう。

 

 今のアクアの心の中には、間違いなくずっと、あの男の影がちらついている。何を考えていても、何をしていても、その存在はいつまでも彼に付き纏っている。

 ――カミキヒカル。あの片寄ゆらの一件以来、彼には何の動きもない。アクアが常に警戒しているからであるのか、アイやルビーにも、アクア自身にも、あの男が接触してくる気配は、兆しさえなかった。当然、あかねにも。

 

 でもそれは逆に言えば、彼にとっては絶えず幻影と戦っているようなものなのだろう。

 カミキヒカルの人格を考察し、動機を想定し、今を予測する。そこには微力ながら、あかねも手を貸してはいた。

 

 劇団ララライの中で集めた情報は、カミキヒカル本人だけに留まらない。彼の人生に決定的な影響を与えた存在、つまり姫川愛梨と上原清十郎の二人のことも、あかねは調べていた。

 

 姫川愛梨がカミキヒカルと関係を深めるきっかけになったのは、彼が劇団ララライに入る直前か直後かの辺りのことだ。

 彼は所謂、育児放棄を受けていた子供だった。話の出元は、当時からララライに在籍していたベテランの劇団員だ。

 その話に曰く、カミキヒカルはララライ在籍中に自らの家庭環境のことについて一度も話をしなかったらしいが、それでも数度ほど、締め切られた家の玄関扉の前でランドセルを横に縁石にぽつんと座っているカミキの姿を見たことがあったという。

 

 言い方は悪いが、あれだけ美しい少年がそういう境遇に陥っていた背景は、あまり想像したいものではない。ただ最低でも、まともな家庭環境ではなかったことだけは確かである。

 そして、そんな彼のことを世話していたのが、姫川夫妻だった。どちらが先にカミキヒカルと面識を持ったかまでは定かではないが、姫川愛梨だけではなく上原清十郎の方も、ある意味では我が子か、そうでなくても歳の離れた弟のように、カミキのことを可愛がっていたらしい。

 

 けれどもいつしか、その関係が歪んだ。

 

 その事実を知るものは、ララライにはいなかった。当然に、主宰である金田一もだ。

 姫川愛梨とカミキの間の、悍ましささえ覚える歪んだ関係は、ただ二人の中だけに秘されていた。

 

 それを始めたのも、そこに責任があるのも、言うまでもなく愛梨の方だ。そこは間違いない。

 けれどもカミキヒカルもまた、そんな愛梨の歪んだ情念を、きっと必要としてしまったのだ。それを正しいことであるのだと、学習してしまった。

 だから彼は、誰にも何も言わなかった。ある種の共犯にさえ、なってしまった。

 

 そういう下地が、もともと彼にはあったということなのだろう。

 円満な家庭で、家族からの情を感じて、自己への無条件の肯定が出来るような環境になかった彼には、自身のことを肯定してくれる、認めてくれる誰かが、きっと必要だったのだ。

 

 だというのならば、その中で出会った星野アイという人間に、カミキヒカルは何を感じたのだろうか。

 何を思って、アイと身体を重ねたのだろうか。

 アイと別れた後、どういう心情で、どういう思いで、彼はアイのことを見ていたのだろうか。

 

 その答えが、以降彼が十年以上にわたって続けた「プロバビリティーの犯罪」の如き所業であるとするのならば。

 そしてそのことを、今のあかねと同じように、アクアが掘り下げていたのならば。理解していたのであるならば――。

 

 

 

「アクアくん」

 

 思わず、声が漏れ出ていた。真っすぐに、アクアの顔を見上げていた。

 彼の目は、静謐そのものだった。凪いだ、穏やかな眼差しで、あかねのことを見ていた。

 

 しかしそれが、あかねの胸をどうしようもなくざわつかせた。

 

「あと少し。あと少しだから」

 

 もう一度、手を伸ばす。彼の手に、それを重ねる。

 

「そろそろ、君自身の未来のことも、考えないとだよ」

 

 彼の指の先が、ピクリと震えた。それを抑え込むように、あかねは彼の手を上から握りこむ。

 

「『この先』があるのは、君の周りにいる人だけじゃないんだから」

 

 ずっと、真っすぐに彼の瞳を見ていた。その表情も。

 いつもの彼なら、きっとあかねから逃げるように目を逸らして、ただ「分かってる」と一言だけ言うのだろう。

 

 ――嘘つき。分かってなんてないくせに。

 彼の手を握る力が、強くなっていた。

 

 アクアがあかねに助力を求めてくるのは、いつもいつも彼の周りの誰かのためだ。

 彼は自分自身の欲求を、あかねにぶつけてきたことなど一度もない。精神的なものにせよ、肉体的なものにせよ。

 まるで、彼自身当たり前に持っているはずの個人の欲の存在を、いっそ罪であるとさえ思っているような振る舞いだった。

 

 だからこそ、気づかされる。

 一年前、あの高千穂の夜に、確かに開いたと思った彼の心の扉は、けれどもその奥に未だ固く閉ざされている部分が残っている。それが分からないあかねではなかった。

 

 ならばあかねに出来ることは、せめてその扉を叩き続けることだけだ。

 彼にとってどれほどに都合が悪くても、迷惑なものであっても、彼自身にその扉の存在を自覚させ続けなければならない。

 そのために、あかねはルビーと「協定」を結んだのだから。かなにも、アクアの事情を認識させたのだから。

 

 そして――彼の母親、アイに対しても、働きかけを始めているのだから。

 

 

 

 いつの日か、彼がその扉を開くことが出来る日が来たら、全員で彼を迎えられるように。

 彼の頭の中に、彼の未来を望んでいる者の存在を、絶えず意識させるために。

 彼が、どこにも行ってしまわないように。

 

 

 

 静寂の海の中に沈む店の中、あかねとアクアの間に、互いの温度を分け合うような時間が、ただ過ぎてゆく。

 会話もなく、動きもなく、でもそんななんでもないひと時こそが、あかねにとっては紛れもない幸福だった。

 

 そして願わくば、隣に座る蒼穹の瞳のこの少年にとっても、せめて今が心休まるものであればいいと、祈っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 「15年の嘘」の撮影も、スケジュールの半ばを過ぎた。あかねと話していた通りに、その前半部分――つまりアイが東京ドーム公演を成功させ、二年後にアイたちのB小町が円満な解散を迎えるまでのメインのストーリーラインについては、粗方撮り終わっている。

 

 だからそのあたりで、アクアは一度全体のデモンストレーションをしていた。

 相手は無論のこと、かの映画でその半生を描かれる、当の本人――アイだ。

 

 

 

 ディレクターズカットと言えば聞こえはいいが、未完成部分を端折ったダイジェストだ。

 けれども、ストーリーは出来ている。

 

 

 

 

 

 ――私は、ずっと嘘つきだった。

 真っ暗な画面の中、「アイ(あかね)」の独白によって幕が開いたこの映画は、渋谷の雑踏の中を最初のカットとしてストーリーが進む。

 

 野球帽にリュックサック、使い古したパーカーと、明らかにサイズの合っていないカーゴパンツを身に纏った少女が、行く当てもなく、さりとて迷っている足取りでもなく、人の群れの中を歩いている。

 スクランブル交差点の先、大通りを抜け、当時の日本においても有名になりつつあったシアトル系コーヒーのチェーン店の前を通りかかる。

 

 施設から逃げ出して、身一つで上京してきた彼女には、頼れる者などいない。そもそも、お金もほとんど持っていない。憧れの、というほどではないかもしれないが、窓ガラスの向こうに見える「東京らしい景色」は、今の自分とは縁のないものだ。

 どこか諦念にも似た表情と共に視線を逸らして、しかしそんなものを見てしまったのが悪かったのか、少女の腹の虫が鳴る。そこで彼女は――アイはやっと、今自分が空腹であることを識った。

 

 ほぼ文無しの状態でこんなところまでやってきた自分が、どれほど無鉄砲であったのかも。

 

 

 

『ちょいちょい、キミ』

 

 不意に、背後から声がかかった。

 最初はそれがアイ自身に向けられたものであると認識できなかったか、彼女は反応もしない。

 

『おーい、キミだよキミ』

 

 けれどもまだ背中に向かって掛けられる声に、それが自分に向けてのものであると、アイはようやく認識した。

 

『さっきあの店の中覗いてたでしょ。なんか飲みたいものあるの?』

 

 振り返った先にいたのは、染められた褪せた色合いの金の髪にサングラスをかけた、いかにも胡散臭い出で立ちの男の姿。

 

『だったらさ、ちょっといいかな。話聞いてくれたら、何でも奢っちゃうから』

 

 そんな、下手なナンパ師のような声掛けをしてきた彼が、彼女の運命を変えた。

 つまり彼こそが、芸能プロダクション「苺プロ」の社長、斉藤壱護だった。

 

 

 

 

 

 コーヒースタンドの中、壱護社長がアイのことをアイドルに誘ったとき、彼女ははじめその誘いを、一蹴せんとした。

 

 少女は自らの来歴を、隠さなかった。自分がこんな形で、身一つで上京してきた理由も。

 施設育ちであることも、その原因である自分の母親のことも。彼女との、確執のことも。

 

 そして自身が施設に預けられるに至った直接の理由、窃盗の罪で収監されていた母親が、釈放されたあとも自分のことを迎えには来なかったことも。

 

 「無理だよ、私には。だって分かんないんだもん、『愛してる』って」。そう、アイは言った。自然と恋愛を歌うことの多くなる、それによってファンをある種の共同幻想へと引き込むアイドルという生き方を、そんな自分に出来るはずがないだろうと。

 

 けれども、彼は諦めなかった。故に、力説する。

 

 ――そんな簡単にわかりゃしねぇだろ、愛なんて。俺にだってわかるもんか。ましてやキミは、まだ十二やそこらなんだろ。

 ――けどな、君がそういうことを思ってるってことは、君自身が誰かを愛したいと思ってる、ってことなんじゃないのか。

 

 はたと顔を上げ、目の前に座る男のことを見据えたアイに、彼は更に言葉をぶつけた。

 

 ――やってみりゃいいじゃねぇか、だったら。嘘でもなんでも。

 ――言ってるうちに本当になるものだって、あると思うぜ、俺は。

 

 一体それが、どれほど彼の「本心」なのかは分からない。素質のある少女を何としても引き入れるための、出任せでさえあったのかもしれない。

 けれども、いずれにせよアイはそれによって折れた。口説き落とされた。

 

 だから、この彼の言葉は、「15年の嘘」という映画全体に横たわる、テーマでもあった。

 

 

 

 「嘘と愛」。それが、この映画の底に常に流れ続けている観念だ。

 

 少女のついた嘘は、本当へと変わったのか。

 そもそも、その嘘とは本当に嘘だったのか。

 人が人に向ける気持ちの何を、人は「愛」と名付けているのか。

 それを理解せんと藻掻き続けていた彼女は、他者を理解しようと、歩み寄ろうとしていたアイは、ならば本当に、「愛を持たない少女」だったのか。

 

 この映画がその問いを紐解いていく過程であるのだとすれば、きっとそれはこの場にいるすべての人間にとって、必要なものだった。

 

 アイにとって。

 ルビーにとって。

 そして――アクア(吾郎)にとっても、なお。

 

 

 

 

 

 東京ドームライブの映像と、そこから一つの「答え」を得て、B小町というかけがえのない思い出に蓋をすることを決めた「アイ」の姿で締めくくられた、「第一部」とも言うべき約一時間の映像の全てが、流れ終わった。

 

 リビングにありはするものの、今までほとんど使われてこなかったホームシアター設備の大画面が、いつぶりかもわからないような己の役目を終えて、そこで再度暗転する。

 

 アクアが手元にあるリモコンを操作して、部屋の灯りを付けてなお、アクアの隣、ルビーと二人で挟んだソファの中央に座るアイは、言葉を発さなかった。ずっと無言で、巻き上げられていくスクリーンの姿を眺めていた。

 

 その小さな機械音さえも止んで、本当の静寂が空間を満たす。そこでやっと、アイは口を開いた。

 

「すごいねアクア。カントクも」

 

 ポンと軽く、押し出されたような声だ。ある意味で、いつもの調子のようでさえあった。

 ゆっくりと、彼女が顔を横へと向ける。隣に座っている、アクアの方へ。

 

 そこに見える今の彼女の表情は、アクアにとってはどうにも形容の難しいものだった。

 口の端には僅かな笑みが浮かんでいて、けれども瞳に宿っている輝きは、アクアの正中を打ち抜くほどに強烈だ。

 言葉が出ない。出るはずもなかった。

 

「割とさ、私無茶を言ってたと思うんだよね。あの時も。『本当の私を撮って』とか。本当ってなんだろうね、自分でもわかってなかったんじゃないかな」

 

 この一家の中で最も背の低い彼女は、ソファに腰掛けているこの姿勢であってなお、アクアからは見下ろす視点にいる。軽く顔を伏せたことで、夜を梳き込んだような彼女の艶めく黒髪が、旋毛さえ、アクアの目には入っていた。

 表情が隠れる。彼女の纏う空気が、少しだけ変わった気がした。

 

「やっぱりさ、アクアは――」

 

 だから、だろうか。息を継いでそう言いかけて、しかし彼女は口を噤む。二度三度と首を振って、顔を上げた。

 

「違うか。言いたいのは、やっぱそれじゃないな」

 

 ふと、彼女の身体が、手が動いた。

 するりと、しかしゆっくりと、アクアに向かって伸びてくる。

 そして――それが今、アクアの頭に載った。大きく伸ばされた腕の先、添えられたアイの掌の熱を、アクアは感じ取る。

 

 真っすぐに、直線に、目が向けられていた。

 吸い込まれる、逸らすことなど絶対に許さない、魔力を持った彼女の瞳が、アクアのことを捕らえていた。

 

 

 

 息を吸う、小さな音が聞こえる。

 唇が、少し震えた。

 

「――ありがとう」

 

 出てきたのは、そんなあまりに単純な言葉だった。

 けれどもその声が、響きが、アクアから身動(みじろ)ぎさえも奪っていた。

 

「本当に、ありがとう。私のお願いを、叶えてくれて」

 

 頭の上を撫でていく、彼女の掌の感触も。

 

 

 

 瞬間、突沸した情動の正体が、アクアには分からなかった。

 自分はまだ、何も終えられていない。アイの為に、出来ることを全て為せたわけでもない。

 彼女からその言葉を受け取る資格は、まだない。そう思っているのに。

 

 首を横に振るべきだった。その言葉はまだ受け取れないと、言わなければならなかった。

 でも、アクアは動けない。動けなかった。

 

 アイの右の手がアクアの頭を離れ、肩へ回り、そして背中まで回って、身体ごと引き寄せられてもなお、ずっとずっと、アクアはされるがままだった。

 

 

 

 両の腕が背中に回り、アクアの身体はまるで倒れかかるように、アイの胸の中に抱かれている。

 陽射しの匂いが身体の中を満たし、温もりが辺りを覆っていた。

 

 それは何度も、何度も経験してきた温度だった。慣れ親しんだ感触だった。そのはずだった。

 なのにそれが今、どうしてこうも自らの胸を衝くのだろう。掴んで、そして離さないのだろう。

 

 思わず、まるで堪えきれないかのように、アクアはその胸に顔を埋めていた。言葉一つ返せず、腕さえも動かせなかった。

 とんとんと、ゆるく背中が叩かれる。それはどこまでも、優しい手つきだった。

 

「ルビー」

 

 言葉と同時に、アクアの身体から片腕が離れる。顔を上げてアイのことを僅かに仰げば、彼女はその腕を、反対側のルビーの方に伸ばしていた。同じように、背中へとそれを回していた。

 

 そのまま、二人ともに引き寄せられる。それぞれの腕に、アクアとルビーを抱きこむようにして。

 そうしてできた三人の塊の真ん中で、確かに今、アイは笑った。

 

「本当に、二人がいてくれてよかった。私の子供でいてくれて。私の子供に、生まれてくれて」

 

 腕に力が籠る。視界の外、頭上にいるアイが、抱きこんだアクアたちの頭に、顔を寄せたのが分かった。

 大きく息が吸われる。まるで囁くような場所から、彼女の声が聞こえた。

 

「二人のおかげだもん。二人がいたから、私はもう、嘘つきじゃない。嘘なんてつかなくたって、言えるんだ」

 

 ――愛してる、って。

 

 降ってきた言葉に、アクアは目を瞑る。

 

 自身がかつて一回だけ口にして、それでもあれより先に一度たりとも言えたことのないそのたった五文字が、今のアクアの心の中に、強い残響を伴って焼き付いていた。

 

 

 

 

 

 その、次の日のこと。

 演者たちのスケジュールもあって、「15年の嘘」の撮影はその日一日休みとなっていた。

 無論、だからと言って映画に出演するタレントたちに休みの日が訪れているわけではない。

 

 新生B小町の三人はその日、映画の製作と全国ツアー、そしてその後始末にかかりきりであまり更新できていなかったYouTube動画を撮影するために、苺プロの事務所に集まっていた。

 しかし、それだけではない。三本ほどの企画ものを撮り終え、更に夕方に予定されている配信枠までの二時間半ほどの空き時間に、アクアは彼女たちを事務所の談話スペースに呼ぶ。

 

 三人のいつもの定位置、ソファの上に腰掛けた彼女たちの前にいるのは、無論ながらアクアだ。

 そしてその他に、ここにはもう一人の女性がいた。

 

「あれ、アイさん? お仕事ないんですか? 今日」

 

 B小町の三人に次いで現れた彼女に向けて、少しばかりの驚きの声と共に、かなが声をかける。

 

「いや、午前中に撮りがあった。午後は空きなんだと」

 

 それには、アクアが代わりに答えた。

 

「今日出ずっぱなのは社長だな。まああの人は割といつもだけどさ。ミヤコさんは……あと一時間ぐらいしたら戻ってくるらしいけど」

 

 「まあそれはいいとして」、と言葉を挟んで、アクアは話題を変えた。というより、本題へと移らせる。

 B小町たち三人と同じ並びで、ローテーブルを囲む椅子に腰を下ろしたアイを一瞥してから、アクアは改めて口を開いた。

 

「みんなのおかげで、『15年の嘘』の撮影は順調に進んでる。撮影分の進捗は感覚三分の二ぐらいまで進んで、あとは肉付けの部分をバラバラに撮ったあとオフライン編集ができれば、まずストーリーの粗々は作れるって感じだな。それで」

 

 言いながら、アクアは小脇に抱えていたラップトップを、机の上に置いた。画面を開き、スリープから立ち上げる。

 画面のロックが外れ、中身を映し出した辺りで、この場にいるアクアを除く四人の視点が、その上へと集まる。

 

 

 

 ウィンドウの中に、複数の動画ファイルが並ぶ。小さく見えるサムネイルにそれぞれ映っているのは、新生B小町の三人だ。

 

「……これなに?」

 

 特に何の説明もなく現れた動画の群れに、当然とも言える疑問の声を上げたルビーを、アクアは一瞥する。

 

「素材」

 

 たった一言そう告げて、アクアはその中の一つのファイルを、再生した。

 

 

 

 ディスプレイの中に映っているのは、この苺プロの事務所の三階に存在する、レッスン室である。

 一面に張られた鏡の前で、少女たちが踊っている。背景に聞こえているのは、スマホのスピーカーを最大にして流している、新生B小町の歌の一つだ。

 

 僅かに反応を見せた彼女たち、ルビーとかなとMEMちょの三人に向かって、アクアは改めて口を開く。

 

「台本にも書いてあるけどさ。今回の映画、前半パートはアイのB小町の話だけど、後半の四十五分はドキュメンタリーが中心だ。君たち、新生B小町の」

 

 画面の中で踊っている、つまり振り付けの練習をしている自分たちの姿を暫し食い入るように見つめていた三人の目線が、アクアへと集中した。

 

「セカンドワンマンの武道館が決まったあたりから、練習にカメラ入れてたの、気づいてただろ」

 

 それを一身に受けながら、アクアは三人に問い返す。

 互いに顔を見合わせて、小さく首を傾げる。

 「あったっけ」「あったかな」「確かに」。そんな無言の会話を、アクアは聞いた気がした。

 

 その末に、まずアクアの方を向いたのは、MEMちょだった。

 

「まあ、うん。でもあれ、あとで私たちが見返す用のやつだと思ってたよ。だっていっつも五つぐらいの画角でカメラ置いてるんだもん。しかも定点カメラでさ」

「そうだな。まあ、そのつもりでもあったよ。あった方が便利なのは確かだろうし」

 

 フロアの奥の方にあるオフィスチェアを引っ張って、その上にアクアは腰掛ける。視点が下がり、MEMちょの顔の高さに近い場所まで降りてから、アクアは続きを口にする。

 

「けどな。ちょいちょい俺がカメラ持ってた時もあっただろ?」

「あったわね、確かに。なんかアンタが真面目腐って取材とかしてきてさ」

 

 横から割り込んだのは、かなだった。

 

「てかあれ、メイキングだったんじゃないの? 武道館の時もそうだったけど、今回のツアーも。ファンクラブ特典とかでさ、出してたじゃないなんか」

 

 鋭い。流石の着眼点である。

 

「まあ、そうなんだけどさ。けど、メイキングで出したカットは、当然全部じゃない」

 

 再生中だった動画を止める。

 ぱたりとラップトップそのものをも閉じて、改めてアクアは三人を、そしてアイの方をも視界に納めた。

 

「つまり、武道館ライブから始まって、この間の全国ツアー。それと、今年の冬の()()()()()()()()。三つのライブと、普段の配信活動と、そのあたりを材料にして、君たちのドキュメンタリーを作ろうと思ってる。今回の映画のために」

 

 つまりそれは、今日アクアがこの場に全員を集めた意味だった。

 

「そこのところで、三人に頼みたいことがある」

 

 そこでアクアは、もう一度立ち上がった。全員の顔、一人一人に視線を合わせた。

 

「あの映画。前半部分は、事実を基にしてはいるけれども、基本線はエンタメ作品として作られてる。だけど、問いかけでもある。そうなるように、俺は画を作った」

 

 「問いかけ」。それは何に対してのものか。この場にいる誰もが、言わずとも知っている。

 

「だからそこに『答え』を与えられるのは、このあとのドキュメンタリーパートなんだ」

 

 映画に込められたテーマは、「嘘と愛」。「嘘を本当にするとは、どういうことなのか」。

 かつて少女であったアイが、「普通」ではなかったアイが、旅路の果てに辿り着いた答えは、なんであったのか。

 

 昨日、リビングの中で感じた母の、アイの熱を、その実感を、今一度呼び起こす。

 

「君たちのB小町は、どんなユニットなのか。今までどうやって進んできたのか。何を伝えようとしてきたか。どこに行こうとしてるのか」

 

 ――そして、アイがそこにどんな願いをかけて、どんな答えを得たのか。自らの娘に。ルビーに。そして、ルビーを取り巻く星々に。

 

「それがわかる作品にしたい。しなくちゃいけない。だから、手伝ってほしい」

 

 それはアイのためで、アクアのためだ。この映画を「切札」にするための、最後のピースだった。

 

 アクアはゆっくりと、腰を折る。身体の内から出る、自然な行いだった。

 親しき仲であっても、それは誠意だと考えていた。

 

「B小町のドキュメンタリー、一緒に作ってくれないか、みんなで」

 

 再び頭を上げ、自らの願うところを告げたアクアに、果たして彼女たちは時を置かず、一つの答えを返した。

 

 

 

 中身に言及するのは、きっと野暮というものだ。

 

 それでも敢えて何かを言うのであれば――「その日よりひと月ほどの間、アクアの外回り先の一つに、MEMちょの住むマンションの部屋が追加された」、ぐらいろうか。

 

 

 

 映画「15年の嘘」が完成を見る、それは三か月ほど前の話だった。

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