天には星を、人には愛を   作:厳冬蜜柑

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5-18. 終点

 都内のとある小さな試写室に、四十人ほどの人間が集まっていた。

 

 矢の如く過ぎていった時は既に八月に入り、盆休みを前に街はいよいよ煮えたぎるが如き暑さの頂へと至りつつある。

 防音のための分厚い扉を二つ重ねて、その強烈までの熱気から遠く隔たったこの場所は、空調の吐き出す涼気に落とされた照明、緊張感すら帯びた静けさが支配する、一つの別世界であるとも言えよう。

 

 しかしその静寂は、長くは続かない。

 「映写機」と呼称するには些か風情のない、プロジェクターの冷却ファンの音が、静まり返った部屋の中に確かな存在感を主張する。

 

 暗闇に塗りつぶされた部屋の中に、輝きがやってきた。

 それはすなわち、この場に集った人々の目的の――映画『15年の嘘』の0号試写上映の、始まりの合図だった。

 

 

 

 0号試写上映。それは映画が本当の完成を見る前に行われる、関係者のみによる映像チェックの場である。

 キャストや撮影スタッフは、自分を含めた役者の演技やそれにまつわる演出が、意図通りに行われているかをくまなく確認する。

 監督や助監督は、映画全体のフローが意図通りに構成されているか、全編を繋げて見たときに内容に一貫性を感じることが出来るか、不自然な部分が存在しないかを、より巨視的な目線から精査する。

 

 それ以外にも、映像倫理機構、所謂「映倫」の審査員たちが、作品の公開に支障がないかのチェックの為にこの場に同席しているのだが――それは、やや蛇足だろうか。

 

 

 

 いずれにせよ、この場に集まった全ての人にとって、0号試写という行事は断じて軽んじていいものではない。

 だからと言うべきか、この場において聞こえるのは劇伴や台詞のほかには何もなく、一人として、まさにしわぶき一つ立てることなく、誰もが真剣な目線で、流れてゆく映像を見ていた。

 

 

 

 

 

 アイという存在を、『一人の人間』として描き出す。この映画に五反田監督が、そしてアクアが求めたのは、畢竟それだった。

 彼女は一体、何者であったのか。何者であろうとしたのか。映像の中で描かれる、ドラマとしての「先代B小町」の描写も、一転してドキュメンタリー主体となる「新生B小町」の描写も、目指すものは常にそこであり続けている。

 

 スポットライトを当てられるべきは、類稀なるアイドルの才を持ち、見る人すべてを虜にし、あっという間に頂点へと登り詰めていく、「稀代のアイドル・アイのサクセスストーリー」ではない。

 

 彼女は、完全ではない。完璧でもない。そして、無敵でなどあるわけがない。

 不完全な少女だった。不完全さ故に傷つき、不完全さ故に持て囃され、不完全さ故に先に進んでいこうとする。

 それを肯定されるべき存在として、アクアは彼女を描き出した。描き出そうとしていた。

 

 「嘘、そして愛」。作品の底に流れるテーマは、常に一貫している。

 その二つは対置構造のようでいて、そうではない。

 

 「『愛している』と嘘をつく」と、アイは言った。彼女にとって、「嘘は愛」であると。

 けれども同時に、「嘘のない愛」をも、彼女は求めていた。「『愛している』を嘘にはしたくない」と。

 

 二律背反の主張の間で、彼女の心は振り子のように揺れ動いていた。

 だからこそその全てを、アクアはこの映画の中で肯定することを目指した。

 

 施設での生活に嫌気が差して、東京へと飛び出したあの日も。

 怪しげなサングラス姿の男に誘われて、それでも彼の、壱護社長の一本気さに半ば絆されて入ったB小町の中に、一瞬だけ居場所を見つけたと思った時も。

 しかしすぐにそこにおいても裏切られ、孤独な自分に慣れたときも。

 

 同じグループの少女と、夜の公園で他愛のない話をしたときも。それが巡った因果の中で、詞を一つ書いたときも。

 そして――運命とも言えるあのドームライブの日、玄関扉を開けて『死神』がやってきた、あの瞬間でさえも。

 

 ずっと、ずっと少女は、向き合い続けていた。

 不完全な自分に。愛を求める自分に。嘘を本当にしようとする自分に。それでも、嘘を必要とし続けた自分に。

 

 

 

 だからこそ、未来がある。今がある。ルビーたち新生B小町という、結実があるのだ。

 アイという少女の軌跡に、故に何一つとして無駄なものはなかった。

 

 ルビーたちが一つの極点に、東京ドームライブに辿り着こうとしている今こそが、その何よりの証左であるのだと。

 

 

 

 そういうメッセージを、アクアは伝えなければならなかった。

 世に彼女の、アイの本当を理解してもらうために。

 

 誰よりもそれを理解させなければならない相手に、その主張を確かに届けるために。

 

 

 

 己の中の冷静な部分が次々に流れてくる映像の品質チェックを進める傍らで、アクアは思う。

 

 そんな自身の途方もない要求を、確かに彼らは、彼女たちは、叶えてくれた。現実のものとしてくれた。

 

 ルビーも、かなも、MEMちょも。

 大輝やゆらも。

 友情出演の形で応援に来てくれた、フリルも。それ以外の、この現場で初めて顔を合わせた俳優や、女優も。

 

 なにより、あかねが。

 アイという少女の不完全性と向き合い、その中に潜んだ善性を、今へと至る希望を、演技の中に余すところなく織り込んだ、彼女が。

 

 だから同時に、気づく。

 それはキャストたちが皆、この作品のことを愛してくれたからだ。理解してくれたからだ。共感してくれたからだ。

 その結果こそが今この場に顕れているのだと言うのならば、星野アクアという人間が繋いできた(えにし)というものも、きっと同じように意味のあることだったのだろう。

 

 そう思えば、アクアはほんの少しだけ今の自分を、肯定できるような気がした。

 

 

 

 

 

 用意された二時間十五分のフィルムが最後まで流れ、映写室の照明が次第に灯り始める。

 色温度の低い電球色に調整された光が照らす空間は、形容の難しい静寂によって支配されていた。

 

 

 

 この映画は、実のところ未完成品である。

 本来必要となる一つのカットが、まだ現実には決して存在し得ないからだ。

 

 つまりそれは、未来の話だった。

 ――新生B小町の東京ドームライブ。

 『あの日』の先にアイが願い、育て上げ、確かな『愛』を傾けた、輝ける少女たちの到達点だ。

 

 この映画の一つのクライマックスにその存在が据えられなければならないことは、アクアが、そして五反田監督がこの作品のコンテを切っていく段階で、はっきりと認識していた。

 

 だからそこに繋がる十五分ほどの尺が、今の『15年の嘘』にはない。

 けれども、この作品を通してアクアが主張しなければならないものは、現状の版においても確かに含めたつもりだった。

 

 

 

 ならば、果たしてそれは届いたのか。

 アクアは今、確かめなければならなかった。

 

 

 

 試写室の外、関係者を除いて誰もいないホールの中には、三々五々に人が集まっている。

 きっとそれぞれに、話したいことがあるのだろう。

 動機は色々だ。映像のクオリティ、自分の演技の見え方、音響バランスや照明効果といった技術的側面への言及もあるかもしれない。役者と撮影スタッフサイドでは、話す内容もまた異なってくるだろう。

 

 けれども、そのうちの決して少なくない人間が、この作品そのものについて、この作品が伝えたいメッセージについて、語り合っていた。

 

 

 

 その中でまず最初に目についたのは、三人ほどの少女たちの姿だ。

 

「なんていうかさ」

 

 その中心にいる少女が、黒髪の少女が、ぽつりと感慨を述べる。

 

「やばい。語彙力なくなる」

 

 不知火フリルだ。

 その声の中には、どこか湿度のようなものが混じって聞こえる。

 

「てか泣きそう。むしろ泣いてる。止まらんわ涙」

「フリルちゃん!?」

 

 というか、涙声だった。ボロ泣きしていた。

 あまりに唐突なことであったからだろうか、隣でMEMちょがぎょっとした様子で彼女の方を見ている。アクアからは背を向けている彼女たちがどういう表情をしているのかは窺えないが、それを知ろうとするのも罰当たりなのだろう。女優の涙は安くないのだから。

 

 背後から盗み聞きのような行儀の悪い行いをしているアクアを他所に、彼女たちの話は進んでいく。

 

「フリルちゃんそんな?」

「うん」

 

 MEMちょの反対側から問いかけたルビーに向けて、ポケットから取り出したハンカチで目元を拭うような動作を見せながら、フリルが頷いている。

 

「こういうのってさ、理屈じゃないんだよね。いや、当然技術とか理論はあるんだけど」

「気持ち、ってこと?」

「まあ、そう」

 

 MEMちょの方を見て、彼女がもう一つ首肯する。

 

「『伝えたいこと』がある映画って、やっぱ強いよ。それに私、なんかわかるような気がしてさ、アイさんのこと」

 

 感慨を帯びた声色で、しかし少し前までの涙交じりの震え声は収まった様子で、滔々と言葉が続く。

 

「ま、あんま全部言うもんじゃないんだろうって思うけど。けど、最後にああいう形で『報われる』アイさんのカットが、本当に自分のことみたいに思えた。それぐらい引き込まれてたって言うか。たぶん狙ったんだろうね、五反田監督。あと」

 

 不意に、目の前の影が振り向いた。

 反応する間もなく、アクアの目の前にはそのほんの少しだけ充血の跡が見える翡翠の虹彩が、飛び込んできていた。

 

「アクアさん。でしょ?」

 

 何ということもない、いつもの澄ました表情のままに、後ろで聞き耳を立てていたアクアのことを咎めることさえなく、フリルは唐突に問いかけてきた。

 左右の少女たち、MEMちょとルビーの二人が、弾かれたようにこちらを見る。

 三対の視線に見つめられて、アクアは思わず両手を挙げていた。

 

「……悪い。気づかれてたか」

「そこはまあほら、見られるのが仕事だから」

 

 軽く頭を下げながらのアクアの言葉にも構うことなく、何でもない様子でフリルはほんの少しだけ首を傾げる。

 それは見慣れた、彼女の動きの癖だった。そのままアクアの姿をくまなく眺めるように視線を上下させたあとに、フリルはどこか納得したような表情で一つ頷いた。

 

「アクアさんはさ。この映画、『伝えたい人』がいるんだよね」

 

 そこに突如抛り込まれた台詞に、思わず固まった。

 アクアだけではない。隣に立つルビーさえも、瞠った目でアクアを、そしてフリルのことを見ている。言葉を発することもなく。

 

 それに答える言葉を、アクアは持たない。事情を明かせる相手でもない彼女には、何かを言うべきではなかったからだ。

 しかしそれはある意味で、言葉より雄弁な答えだっただろうか。数秒続いた沈黙に、フリルが瞑目して、頭を縦に振った。

 

「まあ、あんま突っ込んだことを訊くつもりはないけど。でも」

 

 言って、また目を開く。平静な眼差しは、それでもアクアのことを釘付けにするのに十分な強さを持っていた。

 そして、フリルは口を開く。

 

「伝わるといいね」

 

 向けられたそのたった一言は、しかし疑うべくもない本物の心情が籠っている。

 そのことを強く意識して、アクアはただ黙したままに、今一度フリルに向かって頭を下げた。

 

 

 

 

 

 フリルからの過分とも言える賞賛は、アクアの書いた脚本と、そして助監督の立場として参加した撮影全体にかかっている。

 しかしそのいずれにおいても、アクア一人の力によって成し遂げられたものはなかった。一つとしてなかった。

 

 撮影に関しては、言うまでもない。助監一人で出来るような仕事などは一つもなく、もしアクアの仕事ぶりについて褒められるような何かがあるというのならば、その称揚されるべきはチームだった。クルー全体だった。

 

 そしてもう一つ、脚本についても、アクアはそれを自らの力のみによって成したわけではなかった。

 不知火フリルからの言葉を貰った今、アクアはそれ故に、訪ねなければならない人が、人々がいる。

 その『彼女たち』もまた、関係者としてこの試写会の場に招かれていた。

 

 

 

 アクアがそこに、つまり『吉祥寺頼子と鮫島アビ子の二人』の立っている場に辿り着いたとき、二人は小さな声で何か話し込んでいるようだった。

 会話の中身そのものは、窺えない。けれども彼女たちが今口にしている話題が、この作品の、『15年の嘘』の内容についてであることだけは、雰囲気から察することができていた。

 

「お疲れ様です」

 

 フリルたちの時とは打って変わって、アクアはその正面に立って、彼女たちの会話に割って入った。

 それでもなお不意打ちであったか、小さく肩を震わせて、眼前の二人の女性がアクアへと視線を合わせる。

 

「あれ、アクアさん?」

「ご無沙汰してます、吉祥寺先生、鮫島先生も。お忙しいところをご足労いただいてありがとうございます」

「あーいえいえ、そんな! 私たちも楽しみにしてたのよ、今日の」

 

 頭を下げたアクアに、頼子がひらひらと手を振りながらも頭を下げて答える。「ね」、と同意を求めるように横を向いた先で、アビ子もまたアクアに向かって何度も首を縦に振っていた。

 相変わらずの、どこか小動物らしい振る舞いだ。けれども、もう彼女はいつぞやのように頼子の陰に隠れてアクアと見合うこともない。

 そうなるだけの交流を、アクアは彼女たちと重ねてきたということだ。そしてその理由こそ、彼女たちがこの場に招かれた経緯、そのものだった。

 

「そう言っていただけると……お二人には本当に色々とお世話になりましたし。脚本のことで」

 

 アクアからの言葉を受けて、頼子は苦笑気味にまた自らの掌をぱたぱたとあおいでみせた。

 

「またまたー。あれはアクアさんの『これ』でしょ。私たちはほんのちょっとアドバイスをしただけのことで」

 

 自身の二の腕を叩いて、頼子はそれがアクアの手腕によるものであったと主張する。

 そんな彼女の態度は多分の謙遜を内包しているが、いずれにせよアクアは今回の映画、『15年の嘘』の脚本を書き上げるにあたって、目の前の二人、稀代とも言えるストーリーテリングの才能を持つ二人の漫画家に対して、謂わば力添えを頼んでいた。

 

 つまりアクアは彼女たちに、今回の脚本に対するストーリーの監修を依頼していた。

 

「ですけど、この作品がただの事実の羅列じゃない『エンタメ』になったのは、お二人の監修というか、お力あってのことでしたから。おかげさまでこうしてお見せできる形になったわけなので、せめてお礼をと思いまして」

 

 つまりアクアが彼女たちのもとを訪れたのは、それに対する礼を述べるためだ。

 フリルからの言葉を受け、真っ先にやらなければならないと思ったことが、吉祥寺頼子と鮫島アビ子、二人に対して感謝を伝えることだった。

 

 

 

 故にそうやって真っすぐ頭を下げたアクアに、しばしの沈黙が過ぎたのち、声がかかる。

 

「アクアさん」

 

 それまでずっとアクアに対して掛けられていたものとは全く違う、少しだけハスキーがかった、同時に舌足らずさを微かに帯びた声だった。

 顔を上げる。声の主を見た。

 くしゃくしゃの天然パーマをショートにまとめ、小柄な体躯でアクアのことを見上げているその彼女は、鮫島アビ子は、今までのどこかちんまりとした、柔らかささえ帯びた振る舞いや出で立ちとは打って変わった、真剣とも言えるような眼差しを向けてきていた。

 

「『東ブレ』の舞台の時、色々考えることはありましたけど。でも、まだ私は思ってます」

 

 どこか覚悟を決めるかのように一つ呼吸を入れてから、彼女はきっぱりと断言する。

 

「この世の創作物の九割は駄作です。人に認めてもらえるような作品は、本当に少ない。私たちだって、読み切り四本描いたら一本当たれば大儲け。創作なんて、そういう世界なんだと思います」

 

 身も蓋もない彼女の言い草は、しかし同時に自身の誠意の主張でもあるのだろう。

 

「今回の脚本。確かに私たちもいろいろ口出しはしましたし、僭越ながら何回か手直しもさせていただきました。手の入れどころは色々あったとは思います」

 

 アクアは何も言わない。黙って彼女の言葉を聞いていた。

 口を挟む必要もない。聞こえる言葉は、間違いなくどれも事実であったからだ。

 

「ですけど。……私があの舞台の脚本をGOAさんと一緒に作った時、GOAさん言ってくれたんですよ」

 

 不意にそこで、ぽんと話が跳ねた。今回の、アクアの作った脚本の話から、俄かに離れた。

 ただ、彼女の口ぶりには一本の筋がある。過去に僅かに想いを馳せるように顔を天に向けて、アビ子は刹那、目を閉じた。

 

「『最低でも、この脚本を面白いと思った人間は、この世界の中に二人いますよ』って。だったら、今度は私の番ですよね」

 

 微かに、口元が笑みを象る。天を彷徨っていた視線が、もう一度アクアに注がれる。両手に作った握り拳を、彼女は胸の前に構えた。まるで、アクアのことを励まそうとしているかのように。

 

「私は今回の脚本、面白いと思いました。いい作品になったと思いました。私にとって、『15年の嘘』は『一割』の側の映画です。それは、絶対です」

 

 そして出てきた彼女からの答えは、ある意味でアクアにとっては最も欲しかった評価だったかもしれない。

 

 人々の耳目を集めるに足る質の作品を作り上げられたかどうかへの、何よりも信頼のできる裏書であったからだ。

 いや、そればかりではない。きっとそれ以上に、自分の伝えたいことを『伝えるべき相手』に届けられる力を持った物語だと目の前の才能ある漫画家に太鼓判を押してもらえた意義は、とても大きなものだった。

 

 そのことを意識するや、アクアは自然ともう一度、自らの頭を垂れていた。

 

「……鮫島先生にそうまで言っていただけると、本当に心強いです」

 

 返した言葉に我に返ったか、またどこかわたわたと小動物的めいた動きを始めたアビ子の姿を見て、アクアの顔にも自然と笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 去り際に軽く礼をして、二人のもとをアクアは離れる。

 ともあれ確かめるべき反応は確かめた。伝えるべき感謝も伝えた。そうなれば、いよいよアクアもこの空間から一度外へと出るべき時であろうか。

 そう思って外に向けた足取りが、不意に聞こえた声で止まった。

 

「あ、アクアくん」

 

 地下に置かれているこの試写室から外へと出るための、エレベータホールの手前の辺りに、二人の男女がいる。

 そのうちの一人が、アクアのことを呼び止めていた。

 

 無視して通り過ぎる選択肢は固よりない。立ち止まり、そちらを向いて、アクアは彼女――片寄ゆらに、軽く会釈を返した。

 

「どうも」

 

 こちらに向かってひらひらと手を振る彼女のもとに、足早に近づく。

 その隣にいるのは、やはりというべきか、姫川大輝だった。

 

 最近、この二人が一緒にいる姿をよく目にする。無論、『15年の嘘』において彼らの配役が夫婦、つまり斉藤夫妻だということは理由としてあるだろう。けれどもアクアは、それ以上の何かを二人に対して微かに感じていた。何となく、ではあったけれども。

 

 ただいずれにせよそれは、今のゆらたちに向けて訊ねるようなことでもない。

 

「どうでした、今日」

 

 だから代わりに口にしたのは、結局のところアクアが今まで方々に訊いて回っていた、そのありきたりな問いに留まった。

 対する彼女が、黙したままに一瞬だけ大輝に対して目配せをする。微かな青みを帯びた銀の髪が、さらりと揺れた。

 

「大輝くんとも話してたんだけど」

 

 アクアの方に視線を戻すや、彼女は口を開いた。

 

「アクアくんは、どうしてこの映画を撮ることを決めたんだろうって」

 

 思いがけない言葉だった。

 ほとんど無意識のうちに、アクアは大輝に向けて視線を向けていた。

 意味するところは一つだ。

 

 ――言ってないよな?

 そんなアクアの無言の問いかけに、大輝は小さく頷く。「当たり前だろ」とでも言いたげな面持ちに見えた。

 

「いや、すごくよかったよ? これは本当。でも、だから気になったって言うか」

 

 アクアの動きに何を思ったか、ゆらはどこか取り繕うように付け加える。

 

「ああ、いえ。すみません。そういうわけではなくて」

 

 気を悪くしたと思われたか。それは本意ではない。

 顔の前で軽く手を振って答えれば、ほんの少しこわばって見えたゆらの顔つきが、俄かに緩んだ。

 

「そっか。いやでも、よかったのは本当だよ。なんて言うか、『出てよかったな』って感じ」

 

 やや抽象的な一言で評を加えたゆらが、すぐさまに言葉を継ぐ。

 

「役者としてはさ、やっぱり『この作品に出てよかった』『頑張った甲斐があった』って思えるようなドラマとか映画とかに出たいわけじゃない? 勿論お金も大事だけど、でもそういう気持ちの部分って、すごく大事だと思うんだよね」

 

 「つまりさ」、と、ゆらは手許に視線を落とす。

 

「アクアくんには、言ったっけ。私の夢の話」

「……いえ。ですが、姫川さんから聞きました」

 

 身分を隠す必要もないこの場所において、伊達眼鏡によって隔てられていない彼女の目が、アクアのその答えに僅かに見開かれる。少しだけ、視線が大輝の方に泳いだ。

 

「……なーるほど、ね」

 

 けれどそれも束の間のこと、彼女はどこか茶目っ気を含んだ口調で、口の端を吊り上げつつも僅かに目を閉じる。

 

「まあ、自分でもよくわかんない夢だって思うけど」

 

 片寄ゆらの夢。「百年先においても語り継がれるような名作の中で、主演を張りたい」という、ある意味で途方もない夢だ。

 言い換えるならば、「百年先も語り継がれる女優になりたい」ということとほとんど同義である。そう考えれば、また随分と大きく出た目標設定だと思う向きもあるだろう。

 

「でもさ。なんとなく、『こういうことなんじゃないかな』って、思った。今日ね」

 

 言いながらも開かれた彼女の瞳に、アクアは光を幻視した。

 

「あの人――アイさんはさ、多分百年経っても語られ続ける人なんだろうね。この映画って、そういう話なんだなって思った」

 

 俄かに生じたそれをアクアに向けてぶつけながら、言葉は重ねられてゆく。

 

「というか、そうしたかったのかな。遺したかったのかな。どうなの? アクアくんはさ」

「それは……」

 

 ふと、目の前の彼女に、片寄ゆらに、一人の少女の姿がオーバーラップした。向けられる明け透けな問いが、それを誘っていた。

 言葉に詰まる。その幻を、少女であったかつてのアイの影を追い出すように目を瞑って、アクアは頷く。

 

「まあ、ないとは言えない、と思います」

「……なんだよー、歯切れ悪いな」

 

 煮え切らないアクアの回答に冗談めかしてゆらは答えて、しかし次にアクアが目を開いたときに見えたのは、大輝の隣から二歩ほど近づき、自分の目と鼻の先にいた彼女の姿だった。

 

「でも、だったら多分、この映画は成功するって思うよ」

 

 微かに仰け反ったアクアに向けて、ゆらが上目遣いに身を屈める。

 

「だってアイさんを、あれだけ『人間』に描いてた。描けてたよ、アクアくんは」

 

 後ろ手に組んで、笑みを伴って、どこか潜めた声でアクアにそれを言った彼女は、けれども次の一瞬、その表情をほんの少しだけ暗いものに変えた。

 

「だからさ。なんて言うか、やっぱりちょっと、気になっちゃって」

 

 背を伸ばし、手を前に回して、しばし俯く。

 数秒の間を置いて、彼女はどこかぽつりと口にした。

 

「ミキさんなら、なんて言うのかなって」

 

 ――最近、音沙汰ないんだけど、ね。

 

 思わず、アクアは大輝と二人、共に目を、顔を見合わせていた。

 

 

 

 ミキさん。つまり、『カミキヒカル』。彼女はあの登山の日、自らが事故に遭いかけた理由にかの男が関与している可能性を、未だ知らない。

 当然だ。大輝もアクアも、そのことについては伝えていないのだから。

 だから片寄ゆらにとって、カミキ(ミキさん)とは未だに「呑みの席で自分の愚痴を嫌な顔一つせずに聞いてくれる、気のいいお兄さん」のままだ。

 

 

 

 アクアも、また大輝も、その彼女の今の認識を正す必要など感じていない。彼女の為になることだとも思わなかったからだ。

 

 けれども、この状況を永遠に続けているわけにはいかない。時計の針は前にしか進まず、その日は確実に、着実に目の前に至りつつある。

 そしてその時こそ、今まさにゆらが呟いた問いに、答えが示されるのだろう。

 

 カミキヒカルという男に、この映画がどのような意味を持つのか。

 それをきっと、アクアは知ることになるのだろう。

 

 

 

 その如何が、どうなのであれ。

 

 

 

 

 

 

 

 映画『15年の嘘』は斯くしてクランクアップの時を迎え、最低でも役者たちに関しては、その仕事は一段落ついた。

 主役級の役者たちには番宣というある意味で大きな仕事が残ってはいるが、それも結局は関係者向け初号試写が組まれるであろうドームライブの直前あたりのことで、まだ暫くは先の話だ。

 

 八月一杯まで引いていたスケジュールのことも併せて、彼らには束の間の余暇がやってきていた。

 

 ただそれは、あくまでも役者たちに限っての話ではある。

 アクアたち制作側は、未だやらねばならないことも多い。

 

 0号試写の結果を踏まえた映像の調整、映倫からのレビュー結果に基づく対応、そして予告編を含めた宣伝用の映像の制作と、正直なところを言えば、仕事は山積している。

 必然的にアクアも、五反田監督のスタジオに足を運ぶ回数が増えていた。どこかそれは、三年か四年前、中学時代に彼の『弟子』として雑用含みの仕事をこなしていたあの日々のことさえも彷彿とさせるものがあった。

 

 

 

 その現状に、文句はない。寧ろアクアは今、この仕上げと呼ぶべき工程こそが、ある意味では最も自分の『思想』のようなものを含めるべき場所であると考えるようになっていた。

 

 あの0号試写の日に耳にした幾人かからの意見は、アクアの中では未だに存在感を放っている。

 

 この映画の中の、アクアの狙いを鋭く洞察してみせて、「届くといいね」と背中を押してくれた不知火フリルも。

 共にあの物語を作り上げてくれた協力者、二人の漫画家の、頼子とアビ子からの力強い肯定の台詞も。

 そしてあの時、大輝の隣で片寄ゆらが浮かべていた、少しの羨望と、共感と、その後に僅かに覗いたあの寂しさを内包した表情も。

 

 彼女の零した、「ミキさん」という呼びかけも。

 

 

 

 いつかやってくる時だった。ある意味では、待ち望んている瞬間でさえあるのだろう。

 終わらせなければ、先へは決して進めない。そうしなければ、アイもルビーも、それ以外の人々も、アクアの周りの未来ある子どもたちの誰しもが、そこにあるかもしれない脅威から、真の意味で解放される日は来ないから。

 

 けれども同時に、アクアは少しだけ恐ろしかった。

 そこにあるのは、不可逆の変化だからだ。『彼』と顔を合わせる、たったそれだけのことで、アクアの世界はきっと、それ以前の姿には決して戻れない。

 アクアたちも。そして、彼――カミキヒカルにしても。

 

 いや、違う。そうする必要があった。そうなるためのあらゆる布石を、アクアはずっと打ってきた。そのもっとも大きなものこそが、つまりこの『15年の嘘』という映画に相違なかった。

 

 

 

 その意識はアクアを熱心に五反田監督の仕事場に向かわせるにはあまりに十分で、故にアクアはそれまでよりもなお真剣に、「鬼気迫る」と表現されるほどの気迫で、映像の編集作業に精を出していた。

 

 ある意味、それを見かねたということだろうか。

 八月の末、アクアにとっての高校最後の夏休みがもう終わりつつあったある日のこと、五反田監督は半ば強引に、アクアに丸一日の休みを取らせていた。

 

 何のつもりであるかは、明白だ。

 その答えは、その休みの日の朝、まるで示し合わせたかのように、自らが運転する車でアクアのマンションの前に現れた彼――姫川大輝が持っていた。

 

 

 

 

 

「五反田さんに言われてな」

 

 アポなしでいきなり押しかけて、半ば強引にアクアを外へと連れ出した大輝が、運転席に腰を落ち着けるや、そこからアクアの方を振り返って何の気なしに口にした。

 

「『早熟がロクな夏休み過ごしてねぇから、ちょっと外に連れ出してくんねぇか』、だとさ」

 

 いつものような気怠げな響きの口調の中に、僅かに面白がるような気配が載っている。

 

「弟子思いの師匠だな、アクア」

 

 アクアは答えずに、僅かに鼻を鳴らした。

 「余計なお世話を」。流石にそこまでのことを口にしようとする気はなかったが、何ともむず痒い思いをしていることは事実である。

 だからアクアは代わりに、自分の隣に座っている『もう一人』の方へと、視線を向けた。

 

「……だからって、メルトまで付き合わせたのかよ、そんな話に」

 

 菫色に染めた髪を外はねにした、いつもの出で立ちの彼が、そこには腰掛けていた。

 

 

 

 なんだかんだと、アクアはこの鳴嶋メルトという青年とは良好な関係を育んでいる。直接顔を合わせる機会はそう多くないが、チャットアプリ上ではそこそこの頻度で話をする仲だし、三か月に一度ぐらいは食事にも行く。

 この間会ったのは確か、メルトが主演を務めている特撮番組が結構なヒットを記録したお祝いに一席を設けた時のことだったはずだ。劇中のガジェット――所謂『変身アイテム』である――を売り出すにあたって、メルトにCMの出演依頼が一本入って、彼も思わぬ収入にホクホク顔だったことを憶えている。

 

 そんなメルトだが、アクアはあの東京ブレイドの舞台以降、彼との共演の経験はない。『15年の嘘』においても、キャストにメルトを招聘する余地はなかった。

 ただそれは裏を返せば、彼とアクアとの関係が、今の生においては本当に珍しく、ほぼ純粋な友人関係に近いということでもある。

 

 思い返すまでもなく、アクアにとって彼のような存在は貴重だ。

 彼以外でそういう、所謂「丁度良い距離感」とでも評すべき間柄の人間を挙げるとするならば、今ガチで共演した二人、ノブユキとケンゴ辺りが精々だろう。あとは基本的に仕事仲間しかいない。

 

 まあ、男という生き物は得てして仕事上の付き合い以外の人間関係が希薄になりやすいものではある――これは断じて強がりなどではない――のだが、そうであっても彼らがアクアにとってある種得難い存在であるのは、およそ間違いのないことだった。

 

 

 

 そして今、いきなり自分の方に話題が飛び込んでくるとは思っていなかったのか、その彼――鳴嶋メルトが、二、三度と目を瞬かせる。

 

「俺? いや、俺は」

「ああ、俺が誘った。別にお前に付き合わせるとかそういう話じゃなくてな」

 

 何か言わんとしていたメルトの言葉を強引に乗っ取って、大輝がもう一度口を開いた。

 

「ってかぶっちゃけた話、ついではお前なんだよ。本題は『これ』だ」

 

 言いながら、ぽんぽんと何かを叩くような仕草をする。

 いや、何かと言うよりも、それは彼の前、運転席に据えられているステアリングだった。

 

「そうそう。姫川さんにドライブに誘われたんだ、ちょっと前にな」

 

 今度は、メルトが話を継ぐ。

 

「何でも、姫川さんこないだやっと免許取ったらしくて。教習所は一年前に終わらせてたのに、学科めんどくさがって試験受けに行かなかったせいで危うく失効させかけたんだと」

「いいじゃねぇかそれは別に。実際こうやって免許取れてんだからさ」

 

 途端に大輝が話に割り込む。財布の中にある免許を取り出して、これ見よがしに掲げてみせてきた。

 

「ま、でもそういうことだ。免許取れた景気づけにいい車も買ったしな」

「……これ、そういうことかよ」

 

 アクアはそう言って、周りを見回す。

 つまり今アクアたちが乗っているこの車は、所謂ソフトトップのルーフのついたオープンカーだった。

 海外メーカーらしい左ハンドルの車だ。シフトレバーのところに目を向ければ、やはりというか、変速機構もマニュアルらしい。

 

「いくらした?」

「三千万」

 

 アクアは思わず天を仰ぐ。憎らしいほどの晴天の今日、この車のルーフは完全に取り払われていて、その先に見えるのは抜けるような青空と、いくらかの雲ばかりだ。

 

「若葉マークが左ハンドルのMTとか、博打が過ぎるだろ」

 

 あまりにも当然のそのぼやきを一頻り吐いてから、アクアは前を見た。

 

「気をつけて運転してくれよ、マジで。事故ったら目も当てられないぞ」

「分かった分かった、気をつける」

 

 どこか気のない様子でバックミラー越しにアクアと言葉を交わしていた大輝が、しかしそこではたと振り返る。

 いつもの眼鏡のレンズ越しに、大輝の眼差しがぴたりとアクアに合わされた。

 

「それより。アクア、お前なんか行きたいとことかねぇの? メルトにも聞いたんだけどさ」

「まあ、正直そんなこと全然考えてなかったから。アクアが来たら訊こうって決めてたんだよな」

 

 大輝からの問いかけに、横からメルトが同調する。

 

 それにしても、まあ随分と行き当たりばったりな計画だとしか言いようがない。今日の彼らの行程の話である。

 アクアは思わず閉口して、しかしそれを他所に、大輝がメルトの台詞に更に言葉を被せてきた。

 

「まあ、けどなんか適当に、海とか見に行くのがいいんじゃねぇかみたいな話してたんだけどな」

 

 それを聞いた瞬間、アクアは僅かに固まった。

 動きを止め、大輝の方をまじまじと見ていた。

 

「――海」

 

 思わず、呟く。耳聡く聞きつけた彼が、ずいっと身を乗り出してくる。

 

「お? なんだ」

「いや……」

 

 少しだけ、視線を外す。

 

 アクアの心に引っかかったのは、「海」という単語ばかりではない。

 正確には、ここから曰くの海に出向くにあたって、大輝たちが向かうであろう行き先の候補の中に、一つだけアクアは思うところを持っていた。

 

「だったら、いいか」

 

 故にアクアは、声を上げる。

 再び正面に戻した顔の向こう、こちらを覗きこんだままの大輝に対して、アクアは一つ、提案をした。

 

「行きたいところがある」

「おう、いいぞ。どこだ?」

 

 軽い調子で問い返してきた彼目掛けて、アクアはそれに続く一言を、端的に口にした。

 つまりそれは、アクアの望む行き先についての話だった。

 

 

 

 

 

 

 

「野郎ばっかで湘南の海ってのも、なんだかなって気はするけどな」

 

 それから、およそ二時間ほど後のことである。

 

 語るほどの紆余曲折もなく、アクアの再三の念押しもあってか安全運転でこの場所に辿り着いた三人は、海岸近くの駐車場で車から降りて、岩礁の先にある海の様子を見つめていた。

 その中でどこか皮肉気に大輝の口にした台詞こそが、これだった。

 

「んなこと俺に言われても。あかねでも誘えばよかったってか?」

「いや、別に。お前だけ彼女連れっての、それはそれでムカつく」

「……理不尽が過ぎるな」

 

 その言い草に文字通りの苦笑を見せて、しかしアクアはそこでお返しとばかりに大輝の方を向いた。

 

「てか、それ言うなら姫川さんこそ誰か連れて来ればよかったんじゃないのか? それこそゆらさんとかさ」

「確かに。姫川さん、なんか最近あの人といい感じらしいじゃないっすか」

 

 アクアの反撃に、メルトが乗る。

 片寄ゆらと大輝の間が最近接近気味なのは、過日の0号試写の日においても見られた通りだ。

 きっかけそのものはろくでもないことだったのは確かだが、それはそれ、これはこれである。

 

 「可愛い女の子が好きだから」と公言して憚らず、二十歳になってすぐだというのに呑みの場に積極的に出向いては女の子と遊んでいる彼にしては随分といじらしい歩み寄り方だ。思わず意地の悪い笑いを浮かべてしまうのは仕方のないことだろう。

 

「いや別に、あの人とはそんなんじゃねぇし。てか前も言ったよな、同業とは遊べねぇって」

「ん? だから遊びじゃなかったらいいんだろ?」

「いやだからそういう話じゃなくてな……」

 

 理不尽な台詞をぶつけられたことへのじゃれ合いのような仕返しで、そうやってメルトと一緒に一頻り大輝のことをからかった末に、アクアは改めて周囲の景色を一回り眺める。

 

「ま、けど女の子連れてきてどうこう、って感じの用事じゃないんだけどな」

 

 言いながら、アクアはくるりと振り返る。

 三人ともに、今の格好はただの軽装だ。水着を中に仕込んでいるわけでもなければ、ビーチサンダルを履いているわけでもない。つまるところアクアたちは、この場所に海水浴にやってきたわけではない。

 

「『海の方に行く』って言ってた姫川さんには悪いけど、用があるのは『あっち』だから」

 

 護岸の向こうの海とは真反対の方角を指し示しながら、アクアは大輝たち二人にそう告げる。

 

 

 

 ここは湘南、江の島だ。

 大輝とメルトを引き連れて、アクアはこの場所に、明確な目的意識をもってやってきていた。

 

 

 

 

 

 海からは距離を置き、一路山の方に向かう。

 十五分ほど歩いた先、アクアたちの前に現れたのは、朱色に塗られた大鳥居だった。

 

「なるほどな」

 

 その威容を見上げつつ、大輝が口の端に笑顔を浮かべる。

 

「妹のためってか」

 

 意味ありげな眼差しを、アクアの方に向けた。

 つまり彼もまた、この場所がどういう性質のものであるのかを理解しているということだ。

 

 眼前に聳え立つは、江島神社の大鳥居である。

 江の島という島は、ざっくり西半分がこの神社の社域だ。それほどまでに、まさに島の象徴とも言うべき存在感を誇る江島神社は、こと芸能の世界に身を置く人々にとっては、重要な意味を持っている。

 

 大輝の視線に頷いて、アクアは一礼の後に鳥居を跨いだ。

 

「次は、ドームだからな」

 

 境内に一歩足を踏み入れてから、アクアは大輝に振り向いた。

 

 

 

 共有されている前提を、改めて大輝に提示するまでもない。

 ここに祀られているのは、宗像三女神だ。一般に海の神、船乗りたちのための神であると見做される彼女たちではあるが、その中の一柱、イキチシマヒメと呼ばれる女神は、芸事の上達を司る神としても篤く信仰されている。

 かつては弁財天と習合されていたこともあって、この江島神社は所謂「弁天宮」としての側面も持っているほどだ。

 そういう意味では、ルビーだけでなく、大輝やメルト、アクアにしても、ここは決して無関係であるとは言えない場所でもあった。

 

 

 

「てか、それを言ったメルトもだろ。最近曲出したんじゃなかったか?」

 

 大鳥居を越え、瑞心門を潜るように続いていく階段を上りながら、アクアはメルトに水を向ける。

 

「え? ああ、そうだな。ってかよく知ってるな」

「そりゃまあ、知り合いの動向は追っとくもんだろ」

「そっか。そういうもんか」

 

 一歩先を進む大輝をアクアと共に追いかけるような形になっているメルトが、前を、そして心持ち上を見た。

 

「楽器やりてえって言いだしたのは、まあ俺でさ」

 

 ぽんと、軽く抛り出すような語り口で、彼は声を上げる。

 

「最初はまあ、『顔売り』以外に武器が欲しいなって、軽い気持ちでさ。社長に相談したらばっさりやられたんだよ、『顔売りナメんな』って」

 

 暗に「自分は『顔売り』で飯を食っている『職業イケメン』である」と言ってみせたわけだが、それにはアクアもとやかくは言わない。事実ではあるからだ。そしてそれを混ぜっ返すべきタイミングでないことも、分かっていた。

 

「けどさ、やっぱどうしても思ったんだよな。ソニックステージっつう場所の問題もあるけど、それよりも、アクアがさ」

「俺が?」

 

 いきなり矛先が向いたことに少しばかり面食らって、声が跳ねたアクアのことを、しかしメルトは真剣な面持ちで見ていた。

 

「あんだけ役者やれてんのに、映画やって、脚本書いて。出来ることどんどん増やしてってるだろ」

「それは……」

 

 視線を彼から外したのは、意識してのものではなかった。必然的に向いた前の方では、さっきよりもいくらか距離を離しつつも軽い足取りでこの石段を登ってゆく大輝の後ろ姿が、目に入る。

 

「俺は、俺に出来ることをしてるだけだ。必要だから、やってるだけだよ」

「だとしてもさ」

 

 たん、と少しだけ力の入った足音が、隣から聞こえる。

 誘導された目線が、その先にいるメルトと合った。

 

「負けてられねーって思った。もとからアクアはすげえ奴だけどさ、だけど、俺だって努力ぐらいは」

 

 『凄い奴』。そう言われたことに、微かにアクアの心が軋む。

 けれども、すぐに小さく首を振った。それは、恐らく彼の望む考えではない。

 

 いつかのミヤコの言葉が、そこでふと頭をよぎった。

 

 ――あなたたちを見ている誰かの価値観を、あなたたちの振る舞いが変えるかもしれない。

 島監督のスキャンダル記事が出たときの話だ。あの時の彼女の意図とは、その文脈こそ違うのだろうが、けれどもおそらくこれもまた、同じ種類の話なのだろう。『見られる側』としての心構えの話に、還ってゆくのだろう。

 

 自分の生は、「星野アクアの生」は、もうすでにそこにあるだけで世の誰かに不可逆なる影響を与えている。

 ならばそれは、受け入れなければならないことだ。そしてきっと、ポジティブに捉えるべきことでもあるのだろう。

 なかなか、その自覚は持てないけれども。

 

「そうか」

 

 少しだけ俯いて、アクアはそう、自らに言い聞かせるように小さく言葉を吐き出す。

 けれどもすぐに、目線を上へと持ち上げた。

 

「なら、ますますここにお参りする理由が出来たな」

「……だな」

 

 メルトの方を見ることもなく、しかしそうはっきりと声をかければ、隣でメルトの頷く姿が、視界の端に僅かに見えた。

 

「おーい」

 

 それと同時、瑞心門を通り過ぎて右に伸びてゆく石段の踊り場の上に早々に辿り着いていた大輝が、振り返ってアクアたち目掛けて手を振る姿が目に入る。

 

「お前ら、あんまちんたらしてたら置いてくぞ!」

 

 気づけば、アクアとメルトは話し込むあまりに相当ちんたらとこの階段を上っていたらしい。

 二人どこか苦笑気味に互いを見遣ってから、それぞれに前を、大輝の方を向いた。

 

「今行く!」

 

 張り上げた声と共に、アクアは、そしてメルトも、大きくその足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 そのままひたすらに石段と坂を上り、途中にある社を拝んでまた進むこと、暫く。

 三つの社にそれぞれに三女神を祀っている江島神社のなか、それは二つ目の宮に位置していた。

 

「それにしても……よくここまで上がってきたな、階段で」

 

 言うまでもなく、三人の中でははっきりと体力で劣るアクアが肩で息をしながら登りきったその場所で、大輝がアクアのことをどこか気遣うように振り返った。

 

「やっぱさ、使えばよかったんじゃねえの、エスカー。金ならあるだろ」

 

 横で無言のまま頷くメルトの方も見ながら、しかしアクアは大輝のその言葉に首を振った。

 目を瞑って一つ深呼吸をし、上がっていた息を落ち着けてから、アクアは答える。

 

「そうだけど、ここまではな。自分の足で来ることに意味があるから」

 

 言いながら目を向けた先にあるのは、鮮やかな朱色に塗られた拝殿の姿だった。

 江島神社、中津宮。イキチシマヒメを祀るこの場所こそが、大輝の主催したドライブの行き先として江の島を提案した理由に他ならなかった。

 

 

 

 絢爛なる拝殿の前に至り、賽銭箱に小銭を投じて、二礼二拍の後に、静かに目を閉じる。

 その図は即ち、過去にあった一つの出来事との対比だ。

 

 アクアにとって、それは間違いなく転機だった。

 あの旅行がなければ、高千穂の一件がなければ、アクアは今もなお何も知らぬまま、見つかることのない父親の影を追い続けていただろう。

 その裏でアイが進めていた計画にさえ気づかずに、取り返しのつかない結末に至っていたかもしれない。

 あかねも、かなも、ルビーとも、決して今のような関係では、いられなかっただろう。

 

 荒立神社に、アメノウズメに誓った道を、アクアはずっと進んできた。

 いくらかの遠回りはしたかもしれない。けれども確かに今ここで、アクアは『至るべき場所』に至りつつある。

 『あの日』に端を発した十五年の旅路が、終わろうとしている。

 

 ならば今、それを前にして彼女に、イキチシマヒメに相対するアクアは、如何なる誓いをそこに立てるべきであろうか。どのような願を、発するべきであろうか。

 

 

 

 答えは、一つなのだろう。

 ――見守っていて欲しい。それだけだ。

 

 永い永い道の涯、一度途切れてしまった命が繋がれて、少女は己の願いを、夢を、現実のものにしつつある。

 過去の自分に、その弱さに別れを告げ、少女は「星野ルビー」として、星野アイの娘として、自分以外のあらゆる人々から託された思いを、きっとあの場で遂げるのだろう。

 今年の冬、クリスマス。十五年前のそれと全く同じ日に行われる、新生B小町の東京ドームライブ単独ライブの成功は、無責任な祈りに、神頼みによって為されるべきものでなどありはしない。

 けれども、彼女がそこで輝きを放つであろう時間を、どうか見ていて欲しい。見届けていて欲しい。

 星野ルビーが、妹が、母を超える、越えて先に進んでゆく、その瞬間を。

 

 そして、アクアのことも。

 『15年の嘘』という名の結実に、収斂に至って、アクアはこれから最後の戦いに挑むことになる。

 

 それは『明日』のための、明日を繋いでゆくための戦いだ。終わりにするためではない、始めるための戦いだ。

 だからアクアは、何も諦めない。何一つ手放さない。

 誰一人泣かせることなく、失意に沈めることもなく、全てを救う。そうしてみせる。

 

 そのための映画だった。そのための計画だった。

 必要なのは、覚悟だけだった。

 

 だから、見守っていて欲しい。誰かを殺すためではない、誰かを生かすために、『15年の嘘』という作品を世に出す自分を。

 あの男と対峙せんとしている、自分のことを。

 

 

 

 それだけで、きっと十分だった。

 その誓いを立てることが出来ただけで、多分この場所にやってきた意味は、生まれたのだろう。

 

 

 

 江島神社の三宮を全て回り、傾き始める日と共に帰路につく車の中、『その日』に向き合う覚悟が、アクアの中でようやく固まった。

 そのことを、アクアは自覚した。

 

 

 

 

 

 

 

 そしてそこから、二か月あまりの時が経つ。

 季節は移ろい、秋へと至る中で、新生B小町の東京ドームライブに向けての準備が、着々と進んでいく。

 セットリストの確定に、フォーメーションの練習と言った、新生B小町の三人が直接練り上げていくべきあれこれも。その外側の、ライブそのものに対する宣伝の戦略や、チケットの販売、当日のライブ配信の段取りも進んで、いよいよ『その日』の到来が、現実味を帯び始めていた。

 

 それは、アクアたちが携わる『15年の嘘』にも、密接に関わるものだ。

 映画のクライマックス、東京ドームライブの成就に至るシーンに向けてのドキュメンタリー素材が、アクアたちの手元には積み上げられていく。

 スタジオを貸し切り、早めに実施されたリハーサルも、当日のセトリを話し合って決めてゆく少女たち三人の様子も、そしてそれを後ろから見守るアイの姿も。

 

 アクアたちが望むストーリーを構成するのに必要な素材は、故に確かに今揃いつつあった。それをフィルムの中に組み込めば、いよいよ本当の意味での映画の完成が見えてくる。

 斯くして五反田監督は、そしてアクアもまた、一つの決定をするに至った。

 出資者たちに加えてマスコミ関係者も招いての、初号試写上映の実施だ。

 

 それに前後するように、アクアたちには広報のためのとある仕事が舞い込む。

 今回の映画に携わる広告代理店からの、宣伝素材の提供の依頼である。

 

 すなわち、「関係者向けインタビュー」の撮影だった。

 

 

 

 映画製作に携わったあらゆる人々に、マイクは、そしてカメラは向けられた。

 まずは役者だ。

 

「『天才』……そう言っていただけるのは光栄だとは思います。でも、私は天才なんかじゃない」

 

 「天才子役の呼び声高い」とインタビュアーから賞された有馬かなは、口元に笑みを湛えながら、しかしそうきっぱりと否定した。

 

「天才じゃないからこそ、私がこの役をやる意味があったと思っています」

 

 回っているカメラに真っすぐに目を向けて、有馬かなは宣言する。

 

「ですけど、私は誰にも負ける気はありません。そう思わせてくれる人が、私にはいますから」

 

 ――それは、『彼』のことですか? それとも、『ライバル』のことでしょうか。

 インタビュアーの言葉に、有馬かなはふわりと、嫋やかに笑った。

 

「ご想像にお任せします」

 

 

 

 

 

「『彼』が私に今回の役の話を持ってきてくれた時は、とても緊張したことを覚えています」

 

 黒川あかねは、「アイ役を引き受けたときの気持ちはいかがでしたか」という問いに、真剣な表情で答えた。

 

「あの人は、たぶん誰にとっても特別な人です。でも、だからこそアイ――アイさんは、色んな人から色んな見られ方をする人なんだろうって思って」

 

 無機質なカメラのレンズに正対し、行儀よく膝の上に手を置いた姿勢で、彼女はゆっくりと、慎重に、言葉を選んでいる。

 

「『15年の嘘』が伝えたいことって、アイさんの『本当』って、何だろう。この映画を撮っている中で、ずっとそういう問いかけを自分の中で繰り返してて。全部撮り終わった今も、本当に正しい答えに辿り着けたのかは、分かりません」

 

 ふと、その顔つきがほぐれた。自らに対し問いを投げかけるインタビュアーに対して、黒川あかねは穏やかな表情を浮かべた。

 

「でも、とてもやりがいのある役でした。やっていて、すごく楽しい役でもありました。だから私は、アイ役を任せていただいた制作陣の皆さんに、お礼を言いたいです。企画の鏑木さんにも、監督の五反田さんにも」

 

 一つ息をして、そして彼女は目を閉じる。

 

「勿論、『彼』――アクアくんにも」

 

 口の端に、ほんの微かな笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 インタビュイーとなったのは、当然に役者たちだけではない。

 その周辺にいる大人たちにも、問いは向けられていた。

 

「ずっと、思ってたんだろうな。俺はアイツのことを、どれぐらい見られてたんだろうって」

 

 トレードマークとも言える細身のサングラスの奥に双眸を隠して、その男は、苺プロの社長たる斉藤壱護は、ぽつりと口にする。

 ――今回の映画のお話を受けたときに、一体何を考えられましたか?

 ある意味なんでもない、当然とも呼べるような問いかけに、確かな意味を見出すように。

 

「最初から、アイは『特別』だった。俺の目は間違いなんかじゃなかった。けど、多分俺は、ずっとしくじってたんだ。アイツを独りにさせちまったのは、俺だ」

 

 声に潜む悔悟は、斉藤壱護という男がこの映画に対して向けている心情を、はっきりと浮き彫りにしている。

 

「俺にとって、この映画は『贖罪』だ。けじめなんだよ。本当に、そう思ってる」

 

 微かに俯き加減に続けられていた言葉が、途切れる。

 

「だから」

 

 しかしそこで、その顔が上げられた。サングラスの奥に微かに見える瞳に、光が覗く。

 

「そういう機会をくれたことには、感謝しなくちゃいけないんだろうな、俺は」

 

 どっかりと腰かけていた椅子から僅かにその身を乗り出して、彼は、壱護社長は、きっぱりと断言した。

 

「アクアに。それと、ルビーにもだ。新生B小町のドームライブは、俺はそのためのものだとも思ってる。そういう気持ちで、臨むつもりだ」

 

 そこにいたのは、映画の中で描かれた過去の彼と同じ、確かな情熱と使命感に溢れた男の姿だった。

 

 

 

 

 

「リベンジ、だな。俺にとっては」

 

 五反田泰志は、インタビュアーから向けられた質問に、「今回の映画はどのような作品ですか」という問いに、ばっさりと端的にそう答えた。

 

「この映画の原案は、十五年前に俺が撮ろうとしてポシャった作品にある。それを拾い上げて形にしたのが、この『15年の嘘』だ。アクアと一緒にな」

 

 ――アクアさんは、五反田監督から見たらお弟子さんのような存在であると聞き及んでいますが。

 返ってきた言葉に、彼はどこか皮肉めいた笑みを浮かべた。

 

「付き合いは長いからな。それこそあいつらがオムツ穿いてた時からのだ。俺からしちゃ、息子か、孫か。ま、他人の子供ではあるんだが」

 

 しかしすぐに、その表情は真剣さを取り戻す。

 

「けど、あいつはもうガキじゃねぇ。今回の脚本を仕上げたのはアクアだ。企画を立ち上げたのもな」

 

 僅かに目を見開いた相手の、インタビュアーの様子をその目に納めた五反田が、組んでいた足を徐に解いた。

 その膝の上に掌を置いて、姿勢を正してカメラに向き直る。

 

「あいつは、『本物』を欲しがってた。俺と同じだ。この作品は『本物』でなければ意味がない。エンタメではあるけど、ここにあるのはフィクションなんかじゃない。そう信じている」

 

 「こんなもんでいいだろ」、そう言って腰を浮かしかけた五反田に、インタビュアーは最後の問いを発する。

 ――でしたら、最後に一言いただけますか。

 

 その言葉に、彼は無言で立ち上がった。そしてそのまま立ち去る、その去り際に、一言だけ言葉を投げ返した。

 

「この映画を、アイに捧げる。それと、アクアに。それだけだ」

 

 

 

 

 

 インタビューの向けられる範囲は広かった。

 かな、あかね、壱護社長に五反田監督以外にも、取材は主要キャストのほぼ全てに対して及んだ。それこそルビーや大輝、不知火フリルや高藤エミリに至るまでである。

 それらをどう取捨選択し、どのようにして広報に載せるのかは、今回のインタビュー企画を組んだ代理店の仕事だ。

 

 そしてその締めくくりに近い場所が、今だった。

 背後に一面のガラスの張られた、モダンな雰囲気の会議室の中、指し示されたオフィス椅子に座って、アクアはカメラと向き合っている。

 

「それでは、インタビューを始めさせていただきたいと思います」

 

 そのカメラ、ハンディカムを三脚の上に据えて、インタビュアーが柔らかな、ゆっくりとした口調で質疑の始まりを告げた。

 

「いきなりで恐縮ですが、アクアさんへのこのインタビューの前に、私たちは他のキャストやスタッフの方々にもお話を聞かせていただきました。ご存じかとは思いますが」

 

 黙って頷いたアクアに、インタビュアーの()が、同じ声の調子で続ける。

 

「印象深かったのは、皆さん一様にアクアさんのことを言及なされていたということです。何と言いますか、今回の映画を一つの『輪』として捉えたときに、その中心にはアクアさんがいる。そういう印象を、私は受けました」

 

 カメラに添えられていた手を離して、アクアへと向けてくる。答えを促そうとするかのような、そういう態度だった。

 

「アクアさんは皆さんのことについて、どのようにお考えなのでしょうか? どうしても、それをお聞きしたくて」

 

 彼からしてみれば、なんとはなしの問いなのだろう。それとも、『明確な狙いを秘めた言葉であるのだろうか』。

 その対面で、アクアはほんの少しだけ目を閉じる。心中に去来した感情を、押し殺すために。

 

 目を開ける。インタビューの彼は、そのままの態度で、そのままの表情で、アクアの前に立っていた。

 

「僕には過ぎた人たちです」

 

 それは、偽りのない心の内だった。

 

「ですけど、これはある意味『結果』なのだとも、思えるようになりました。子役として初めて出た映画から、今に至るまでの」

 

 目の前の彼は、全く変わることのない柔和な表情のままに、アクアの言葉を聞いている。ある意味、インタビュアーとしての理想的な態度でもあった。

 

「この映画は、そうした『結果』の積み重ねの先に作り上げられたものです。ですから僕にとって『15年の嘘』は、ただの作品である以上の意味を持っている。そう考えています」

 

 言い切ったアクアに向けて、彼は一つ頷く。何かに納得したかのような、そんな態度にも見えた。

 

「アクアさんは、皆さんのことをとても大事に思っておられるのですね」

「どう受け取ってもらっても構いません。ただ、得難い人たちであるとは、感じています」

 

 どこか確認にも似た彼の問いかけに、アクアはそんな率直なまでの答えでもって、言葉を返した。

 

 

 

 もう一度だけ軽く首を縦に振ってから、インタビュアーは問いを変える。

 

「なるほど。でしたらその、映画のことについてですが」

 

 そう言って、彼はまたカメラの前に戻った。しかしレンズを覗きこむようなことはせずに、すっくとその後ろに立って、じっとアクアの目を見つめてきた。

 そして、問うてくる。

 

「初号試写、私も拝見しました。心に響く、強いメッセージ性を持った作品だったと思います。アクアさんは、この映画をどうして作ろうと考えたのでしょうか」

 

 それはつまり、本題だった。このインタビューの中において一番の核心となるものだった。

 目の前のインタビュアーにとっても。そして、アクアにとっても。

 

 アクアは、すぐには答えない。じっと向けられたカメラのレンズを見つめ、一呼吸、二呼吸、間を置いた。

 それはつまり、『心を決めるための時間』だった、のだろう。

 時が過ぎ、ようやくにしてアクアは、それに答えるべく口を開く。

 

「人は誰しも、嘘をつく生き物です。自分のためだったり、人のためだったり」

 

 目線に強く意味を込めて、目の前のインタビュアーを見る。彼は、特に反応を示すこともない。

 

「必ずしもそれが悪いことであるとは、僕には思えません。暴くべきでないものも、この世にはあるでしょう。意味のある嘘だって、沢山ある。けれども、その嘘の裏には、必ず『本当』があります。どれほど見えづらくても、隠そうとしていても」

 

 そんな彼に構うことなく、アクアは滔々と言葉を吐き出す。自分自身に言い聞かせながら、同時に眼前にいる彼にも、確かに届くように。

 

 そうでなければ、『意味がなかった』。

 この場に来た、意味というものが。

 

「この映画は、アイという一人の女の子の『本当』に光を当てるものです。でもそれは、彼女の隠しておきたかったものを暴くためじゃない」

 

 顔を上げる。カメラのレンズではない、その上にあるインタビュアーの顔に、その双眸に、視線を合わせた。

 

「知ってほしかった。届いてほしかった。それが彼女の望みでもあったから。あの時をB小町と一緒に生きて、B小町のセンターとしての『アイ』を追っていた沢山のファンたちにも。今『伝説』として君臨している彼女を仰ぎ見ている世の中の人たちにも」

 

 ――彼女の『嘘』と『本当』、アイという『人間』の本質、抱えていた悩み、持っていた夢も。

 

「でも、それだけじゃない。僕には誰よりも、それを知ってほしい人がいた。知ってもらわなければいけない相手がいた」

 

 言葉を切る。少しの沈黙が、場を支配した。

 軽く膝に肘を当て、僅かに俯いたアクアの向こうで、記録中のハンディカムの動作の停止を知らせる電子音が響いた。

 

 

 

 足音が響く。影が差した。

 気配が近づき、そして頭上で、僅かに息を吸い込む音を聞く。

 

()()()()()()()?」

 

 アクアは、顔を上げた。

 視線の先には、男がいた。つい先ほどまでインタビュアーとしての態度を崩さなかった彼が、アクアのことを見下ろしている。

 

 その彼に向けて、アクアもまた、声を返した。

 

「そうだ」

 

 そしてアクアは、彼の名を呼ぶ。

 

()()()()()()。僕はずっと、この日のことを待っていた。あなたとこうして、会う日のことを」

 

 

 

 視界の先で、男が――カミキヒカルが、うっすらとした笑みを浮かべていた。




原作と同じ、カミキヒカルとのインタビューにて、本章の締めとします。



そして次章が最終章です。
構成はすでに決まっており、全9話を予定しています。

ゴールデンウィークの終わり、5/6に完結となるように逆算し、4/28(月)より最終章の連載を開始する予定です。

あと少しとなりますが、どうぞ最後までお付き合いいただけますと幸いです。
何卒よろしくお願いします。
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