天には星を、人には愛を   作:厳冬蜜柑

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6-4. 「星野ルビー」

 ――『さあ始めるよ、これは未来へ続いていく、SHINING SONG!』

 

 

 

 ルビーのソロによるワンフレーズが、抒情的なストリングスによるイントロへと引き継がれる。

 青白い光を背に、逆光が作り出す影法師となっていた三人が、足元に焚かれたスモークと、そこから差し込むフットライトの眩さに照らされ、色を帯びた。

 

 纏う衣装が、ステージの上の環境光と融合する。調和し、合一して、真白き輝きの世界の中に観客さえも引き込んでゆく。

 

 一糸乱れぬ統制された動きでダンスを見せながら、およそ十秒ほどのイントロに引き続いて歌を紡いだのは、またしてもルビーだった。

 その歌詞の内容に、アクアは目を見開く。

 

 

 

 ――『綺麗な嘘が、真実にもなるような世界で』

 ――『本当の答えは、どうしたなら見つけられるのかな』

 

 

 

 後半部分を引き継いだのはMEMちょであったが、アクアにとって大事なのは、「それを誰が言ったか」ではなかった。

 

 『綺麗な嘘が、真実になるような世界』。わざわざそんなフレーズを、この歌に始めに置いた理由。きっとそれは、あの映画の中でアクアが描こうとしたものと、同じだ。

 同時に、あの男が、神木輝という人間が、アクアに対して主張していた言葉にも似ていた。

 

 曰く、「僕はずっと、正しい嘘をついてきた」、と。

 

 でもそれは、アクアだけが、神木輝だけが抱えていたものではなかった。

 彼女だってそうだ。ルビーだって。いや、天童寺さりなだって。

 

 かつての彼女の言葉を思い出す。あのとき、天童寺さりなの墓前で聞いた、その告白を。あるいは、懺悔を。

 望まれる自分を演じていた。健気な少女を、アイドルに憧れる少女を、病院の中で庇護されるべき存在として生きてゆくための、方便として。

 あるいは、雨宮吾郎(ゴローせんせ)に受け入れてもらうために、好きでいてもらうために。そういう己の醜さの、弱さの、顕れであったのだと。

 

 

 

 だから、理解した。

 

 さっき、ルビーは言っていたのだ。「この曲は、私たちにとって一つの区切りとして『作った』ものだ」、と。

 作曲ではないだろう。おそらくは、詞を書いたのだ。

 ならばこの歌は、この歌詞の中に彼女が込めているのは、確かなメッセージなのだろう。

 現在地から未来へと、世界へと、そしてアクアへと発している、星野ルビーという少女自身の、意思の発露なのだろう。

 彼女自身の、これまでの生への。

 

 でも、それだけではない。

 

 

 

 ――『託された運命か分からないけど、もう一度だけ最期まで進んでみよう!』

 

 

 

 そこからサビへなだれ込んでいくメロディーが、ドームの天井を超えて、夜天に向かって突き抜けるような、世界すらも切り拓くような情感を伴って、アクアの胸を確かに貫いていく。

 舞いながら、歌いながら、目まぐるしく変わっていくセンターの配置は、この歌それ自体がB小町全員のものであると、一つとなった思いであると主張している。

 ルビーだけではない。かなからの、MEMちょからの、メッセージでもあるのだと。

 

 

 

 ――『愛を胸に前向いて進むよ、自分自身の人生を歩いて行こう!』

 

 

 

 手を天に高く掲げ、満面の笑みで、少女たちは謳う。

 この歌の、この声の届く誰かに対する応援のようで、でも同時にそれは間違いなく、彼女たち自身の意思表明を内包していた。

 

 そういう意味では、これは星野ルビーという少女にとっての、「アンサーソング」でさえもあるのだろう。

 かつて少女であった星野アイがルビー(さりな)に向かって与えた祝福の、「推しに願いを」という歌への、彼女なりの答えなのだろう。

 あの歌が伝えようとしていることを理解して、そこに込められた思いを自分の中で噛み砕いて、それを自分自身の言葉によって、『次』に向かって繋いでゆく。これはきっと、そういう位置づけの歌でもあるのだろうから。

 

 そのことを理解したのは、きっとアクアだけではない。

 二番の歌詞が始まり、今度は中央に入ったMEMちょが、そしてかなが、歌声を響かせる。それを聞きながら、アクアの隣にいるアイは、動きをぴたりと止めていた。

 これまでのありとあらゆる曲では、壇上の三人の動きにさえも負けない身動きと声で、あらんばかりの声援を送り続けていたはずの彼女が、まるで何かに気づいていたかのように固まっていた。

 

 胸の前に構えたままのペンライトを握る手にも、この場所から見てわかるほどの力が籠っていた。

 

 

 

 ――『大きなものを無くして辛い夜もあるけど』

 ――『空見上げたらいつも、星が救ってくれる気がした』

 

 

 

 二番の立ち上がりは、そんな喪失を歌う言葉で始まる。

 それが自身だけに向けられたものであると考えるほど、アクアは思い上がってはいない。

 ルビー(さりな)も、アイも。この世界で何一つ失うことなく、全てを理想通りに生きてくることのできた人間なんて、どこにもいはしない。

 

 出会いがあれば、別れがある。得るものがあれば、失うものもある。それが世の定めならば、彼女は今歌っているのは、すなわち普遍だ。諦観にも似た、真理にも似た、条理だった。

 

 しかしまた、これもそれだけに終始はしない。

 

 そうだ。星という言葉は、サビにも出てきた。『一番星がいつも私を導く』、そう彼女たちは歌った。

 星の光の名を冠するこのライブが、観客の中の全員に近い人々が手元に持っているペンライトが、その星の形の輝きが、意味を持つ。

 

 アクアも、またルビーにとっても、『星』という言葉は、一つの暗喩だ。

 『星野アイ』。世に対しては伏せ続けている、星の文字を中に含んだその名は、それが象徴する彼女は、ずっとずっと星だった。道標だった。アクアにとっても、ルビーにとっても。吾郎にとっても、さりなにとっても。ルビーが込めているのは、そういうメッセージなのだろう。

 

 けれども、吾郎にとっては、アクアにとっては、決してそれだけでは終わらない。

 星は、一つではないのだ。この身のことを導いてきた光は、この生に意味をもたらしてくれたその輝きは、紛れもなくもう一つある。

 

 アクアもまた、ペンライトを握っていた。強く強く、握っていた。

 

 ――分かっているかい、さりなちゃん。知っているだろ、ルビー。

 ――お前こそが、君こそが、星だ。光だ。今そこで、まさにここで、こんなにまで輝いているように。

 

 暗闇の暗きにあってなお煌めきを放ち、希望を与え、道を示す。

 確かに今、彼女はそうなっている。そうあれている。そう、信じられた。彼女が、夢見た通りに。

 

 そういう歌を、今ルビーは歌っていた。

 

 

 

 ――『やっとわかったんだ』

 ――『いつか終わりが来るならば、笑顔浮かべよう』

 ――『精一杯の歌で、ハッピーエンドを飾ろう』

 

 ――『さあ行こう、未来へ!』

 

 

 

 そして二番のサビに至り、その歌詞はより直接的で切実な祈りの言葉へと昇華していく。

 同時に、知る。これは、未来を言祝ぎ、また希う詩だ。なればこそ、この歌の全てを自身に向けて彼女が伏せていた理由を、アクアは理解できた気がした。

 

 そうだ。アクアは知っている。

 最近、ルビーがよく一人の少女と会っていることを。それが誰であるかを。

 

 その彼女は、今まさにアクアの隣にいる。手に持って振るべきペンライトを、まるで胸の中に強く抱えるようにして、何かを押し殺すような表情で、ステージに視線を向けている。

 あかねだ。彼女とルビーとの間には、アクアの知らない繋がりがある。そうであるのならば、おそらくルビーは理解している。きっと、隠し通すことはできていない。

 

 半年前、あかねに向かってあの歩道橋の上でした誓いのこと。

 彼女が懐いた予感、アクアが語ったこと。この先に予想できる未来と、そこに向けてアクアが何をしようとしているか。

 

 神木輝という男に対してアクアが持っている未来の絵図。届かないかもしれない願い。そして、幕の引き方も。

 

 あかねには、それをほとんど全て話した。あの日、あんな約束を彼女としてしまった以上、アクアにそれを隠し立てする権利は、おそらくなかったから。

 

 だからそれを、ルビーは分かっている。分かっていてなお、彼女はアクアに対して何も言わなかった。

 アイに対して、それを明かすこともきっとしなかった。

 

 代わりに、彼女は今ここで答えている。ならばこの歌は万人に対して向けられた祈りであると同時に、明白にアクアに対して向けられたメッセージだ。

 

 

 

 ――『みんなの思い全部受け取るよ』

 ――『だからこれからも、私を見てて』

 

 

 

 敢えて今、彼女たちは未来を語る。喪失の予感を言葉の隅々に滲ませながら、同時に絶対的な未来を、希望に溢れた未来を信じている。

 信じていることこそが、アクアに対する答えだった。

 

 だからそこで、あかねが視線を横に向ける。ステージではなく、はっきりとアクアのことを見た。

 彼女もまた、ルビーの意思に気づいている。歌に込められた真意を、それが向かう先も。

 

 あかねに、言葉はない。けれどもその眼差しが、万の言葉よりもなお雄弁に、アクアに向かって語り掛けてきていた。

 

 「ルビーちゃんのメッセージ、ちゃんと伝わってる?」。そんな彼女からの問いかけに、アクアは小さく、静かに目を瞑ることだけで答えた。

 大音量の音楽が響き続けているドームの中では、至近であったとても言葉は届かない。否、もしここが静謐な空間であったとしても、アクアの抱えている気持ちというものは、どれほどの言葉を尽くしたところで、きっと伝わることはないだろう。

 

 ならば今、アクアのしたその仕草は、彼女に対してアクアの心情を伝えられたのだろうか。

 それは分からない。けれども、再び目を開けた視線の先で、あかねは確かに頷いた。そのまま、視線をルビーたちの方に戻してゆく。

 

 

 

 ――『もがき足掻く心は、諦めることなど知らず輝いた』

 ――『アナタの為に』

 

 

 

 Cメロの最後、輪を描くようにフォーメーションを組みながらワンフレーズごとに歌い継いでいた三人が、横一線に並ぶ。

 中央に立ったかなが、人差し指を立てて、口元に寄せる。

 

 

 

 ――『この瞬間を生きる』

 ――『どこでも光照らす』

 

 

 

 訪れた一瞬の静寂に、彼女の澄んだ声だけが響く。

 裏に聞こえるのはただピアノのアルペジオだけで、しかし次の瞬間にやってきたブレイクの直後、音圧が一気に弾けた。

 

 

 

 ――『最高のステージさ!』

 

 

 

 僅か数秒の落ちサビから、一気に大サビへと昇華する。

 同時に、ステージの両脇から何かが炸裂した。

 

 それは、紙吹雪だった。会場の照明に照らされた、蒼と白の二色の星の形の紙吹雪が、彼女たちの方に向かっても、観客席の方に向かっても、一斉に降り注いでゆく。

 

 時に輝きを見せながら舞い降りてゆくその時雨の中、満面とも言える笑顔を浮かべながら、約束された最後に向かって彼女たちは突き進む。

 

 

 

 ――『一番星がいつも私を導くよ』

 ――『さあ行こう、未来へ!』

 

 

 

 手を広げ、指を突き立て、天へと向ける。

 文字通り、未来を目指すように。そうやって、少女たちは笑顔を浮かべ続けていた。

 

 

 

 ――『愛を胸に前向いて進むよ』

 ――『自分自身の人生を、涙さえ糧にして、歩いていこう!』

 

 ――『「SHINING SONG」!』

 

 

 

 天を仰ぎ、そこに向かって手を伸ばして、最後の最後、あらん限りの声を張り上げたルビーが、かなが、MEMちょが、一つところへ集まる。

 そして取られた最後の決めポーズと共に、歌もまた、終わりを告げる。

 

 名残惜しげに響きを残したストリングスの音が、幕引きを告げるドラムスのリフと共に途切れ、ドームの中には静寂が訪れた。

 

 

 

 そこから数秒後、観客席からは一斉に歓声が上がる。拍手が巻き起こる。その場が一気に熱狂していく。

 そんなありようこそが、そこに至るまでの数秒の間さえ含めて、この場に集った人々に届けられたこの歌の確かなメッセージを、その深さや強さというものを、きっと何よりも証明していた。

 

 

 

 

 

 予定のセットリストをすべて消化し、インストで流れていく「SHINING SONG」を背景に、ルビーが、かなが、MEMちょが、一人ずつ感謝の言葉を述べていく。

 

 ここまで応援してきてくれたこと。今日も声援をくれたこと。おかげで今日のライブも、ものすごく楽しかったこと。

 これからもB小町はまだまだ続いていくこと。だからこれからも応援して欲しいということ。

 未来への抱負。ややもすれば、B小町として海外進出さえするかもしれないなどという、壮大な夢までも。

 

 最後のことを言いだしたのはルビーで、そこに容赦のないツッコミを入れるかなが笑いを誘う。「アンタ英語ロクにできないでしょ、私知ってるのよ」「これから勉強するんですぅー! 将来性があるんですぅー!」、などと。

 壇上にてそうやってじゃれ合う三人の少女の距離感は、アクアのよく知るそれと同じだ。まるで彼女たちの日常そのものを、この場に切り取って持ってきたかのように。

 

 そして今ルビーたちは、自らが作り上げた和やかな空気の中で三人並んで手を繋ぎ、ステージの上で深々と頭を下げた。

 

『改めて、今日はみんな、ありがとー!』

 

 アリーナ、一階席、二階席。全ての観客に対して、もう一度改めて、感謝を述べた。

 そしてそのまま手を振って、三人は舞台袖へとはけてゆく。

 

 

 

 けれども、宴はまだ終わらない。

 主のいなくなったステージに向かって、その後ろで未だB小町のロゴを示し続けているモニターに向かって、人々の声は次第に唱和していく。

 求めるものは、言うまでもないだろう。

 

 ――『アンコール! アンコール!』

 

 手を叩き、拍子を合わせ、少しずつ積み重なった声はいずれ、地鳴りのような呼び声へと変わる。

 終わらない。終わらせない。もっと、この時間が途切れることのないように。

 

 アクアも、同じだった。隣にいるアイもあかねも、更にその向こうにいるゲスト――フリルやみなみ、今ガチの三人も、また。

 

 その要求は実に二分以上にもわたって続き、斯くしてそこで、会場には音楽が舞い戻る。

 「POP IN 2」のインストだ。その存在に気がついて一斉に不規則な歓声でこの場の空気を揺らした観客たちの前に、アイドル衣装から黒のTシャツ姿に着替えた新生B小町の三人が、手を振りながら現れた。

 それぞれの顔に、確かな笑みを浮かべながら。

 

 

 

 名残を惜しむように、夢を紡ぐ時は続く。

 あと、ほんの少しだけ。

 

 そしてその最後の瞬間――ルビーというアイドルは、星野ルビーという少女は、ずっと追い続けてきた『誰か』の影を、自身をここまで導いてくれた一番星を、追い越した。

 

 そのことを、きっと誰もが理解した。

 

 

 

 斯くして彼女の望みは、夢は、そこに成った。

 

 

 

 

 

 

 

 星の光が世界を満たす、祝福の時間は終わった。

 けれどもきっと、ルビーにとっての『今日』は、『お楽しみ』の時間は、まだ続いている。

 

 

 

「アイさん、ミヤコさん! 早く早く!」

 

 前日の「決起集会」からは場所を移し、このフロアの中で最も広い部屋――ロイヤルスイートルームの中に集まった面々の中で、いち早くダイニングテーブルについたルビーが、そう言って二人を急かすように手招きをする。

 

 アクアと同い年、十八歳の少女にしてはあまりに幼い振る舞いに苦言を呈せばよいのか、その中でも「ママ」とうっかり口を滑らせないだけの分別は弁えていることを褒めればいいのか。

 けれども今日ばかりは、そうして無邪気に発奮する彼女の振る舞いは、誰もが許すことだろう。

 

 夜は十一時。アンコール含めて九時十五分まで続いたライブの後片付けを一時間十五分という超特急で済ませたルビーたちB小町は、そして苺プロの面々もまた、一つの目的をもってこの場に集まっている。

 

「わかってるわ。でも、ちょっと待ってね」

 

 アイと、また壱護社長と何やら話し込んでいたミヤコが、ルビーの呼びかけにひらひらと手を振って、そこからほどなくして動き始めた。

 ソファの置かれていたリビング側のテーブルも、八人もの大所帯がつくことのできるダイニングテーブルも、すべてを中央に寄せることでできた十五人分ほどの空間の上には、この日のために作られた夕食――()()()()()()()()()の類が所狭しと並ぶ。

 

 いるのは、苺プロの関係者ばかりではない。アクアの付き添いのような形で前日においても一つところにいた、あかねだけでもない。

 

 いたのは、全員だ。事務所のスタッフばかりはそういうわけにもいかなかったが、それ以外の苺プロの七人――B小町の三人、アイ、壱護社長、ミヤコの大人組、そしてアクア――に加えて、ゲストとして今回のドームライブに招いた六人も、思い思いの席についていた。

 

 

 

 それはつまり、ルビーが昨日の夜に口にしていたあの約束のことだった。

 

 全員が席に着くなり、どういうわけか乾杯の音頭を任されることが既に決まっているアクアが、おもむろに席を立つ。

 ルビーの対面、左隣にはあかね、そして右隣にはMEMちょがいる、そんな周囲のことをぐるりを見回してから、息を吸った。

 

「では皆さん、準備が出来たみたいなので、早速ですが」

 

 言ってから、黄金色に淡く輝く発泡する液体――言うまでもないが、ノンアルコールである――が注がれた目の前のグラスを、手に取る。そうすれば、この場の皆もまたそれに倣って、十三個のグラスが宙へと運ばれた。

 その反応を見届けてから、アクアは続ける。

 

「とにかく無事に今日を迎えられて、そして終えられたこと、まずはそれに一安心です。けど、終わりじゃないですよ。まだ明日もありますから。2dayライブなんでね。だから今日はあまり羽目を外し過ぎないように。特にそこの二人」

 

 向けた視線の先は言うまでもない。ルビーと、そして壱護社長である。

 一人は燥ぎすぎて喉を壊したりしないように、またもう一人は酒に呑まれすぎないように。

 

「まあ、でも僕はお小言言う立場でもないですし、この辺りで。とにかく、皆さん今日はお疲れ様でした! そういうわけで、ひとまず一日目のライブが無事に終わったこと、そして今日の、クリスマスイブを祝って――」

 

 ――乾杯!

 ――メリークリスマス!

 

 あまり勿体付けることのないシンプルな音頭に促されて、各々がそれぞれに祝いの言葉を唱和して、手に持ったグラスをぶつけ合う甲高い澄んだ音が、部屋の中には響き渡った。

 

 

 

「すごいなぁ! なんか本当に芸能人になったって感じが!」

 

 机の上に所狭しと並べられたディナーに、右も左も芸能人で埋め尽くされた空間。

 華美そのものと言ってもいいこの場所をきょろきょろと見まわして、ルビーがそんなことを言っている。

 

「ほんま相変わらずやねぇ。テレビとかもいっぱい出とるんに」

「それはそれ、これはこれだよ!」

 

 隣にいる彼女のクラスメイト――寿みなみの、半分呆れ、しかし半分は微笑ましげな様子の言葉にも、ルビーの語気は衰えない。

 

「お仕事はお仕事だから、あんまりこうテンション上がるとかってなくてさ? あ、ライブは別だよ? でもやっぱこういう『スイートルームみんなで貸切ってー』みたいな感じのことやるほうが、なんかそういう実感湧くって言うか」

「そんなもんなんやねぇ」

 

 力説を続け、食べることよりも話すことの方に夢中になっていそうなルビーの横で、取り分けられた料理を上品に口に運びながら、みなみは軽く頬に手を当てる。

 しかしそこから言うべきことを思い出したかのように、はたと姿勢を正した。

 

「でも、あれやんな。ライブ言うたら、今日のルビーほんますごかったわ」

 

 自身の話している内容とは全く違うところからやってきた台詞に、一瞬ルビーは目を瞬かせる。しかしそれも本当に束の間のことで、すぐに彼女はいつもの通りの、彼女らしさあふれる笑みを浮かべた。

 

「ほんと? ありがとー!」

「いやもう、なんて言うか。それこそ『別の世界の人』みたいやったなぁって。ほんまにアイドルなんやなぁ思って」

 

 軽い調子のルビーに対して、みなみのそれは真剣ささえ感じるほどだ。

 確かに今まで彼女は、ルビーのアイドルとしての姿、ライブをしている様子を見たことはない。テレビ越しではどうかは分からないが、直接ライブ会場に来たことは一度もなかったはずだ。

 つまり寿みなみにとっては、生のB小町の、ひいてはルビーのライブへ初めて参加したのが、今回の東京ドームライブであったということになる。

 

 なるほど、それは確かにとんだ劇薬だろう。「アイドル・ルビー」の一つの集大成というか、この二年半の間に急激とも言える成長を遂げた彼女の云わば晴れ舞台を、いきなり目にしたわけであるのだから。

 

「初めましての時から(えら)い美人さんやなぁ思ってたけど、ああやってステージに立っとるの見るとやっばり別格やんね。憧れるわぁ」

 

 どこか斜め上を向いて、つい先ほどのことを思い出しているかのように、ややもすると夢見心地な調子の声でみなみは言う。

 しかしその言葉の端に、ルビーが目敏く反応した。

 

「そう? だったらみなみちゃんもB小町入らない?」

「はぇ? ウチが?」

「うん!」

 

 それまで顔だけ彼女の方に向けていたルビーが、身体ごと向き直る。ずいっと身を乗り出したその姿を目の前に見て、僅かにみなみが仰け反った。

 

「いや、全然アリだと思うんだよねー! 最近じゃ事務所コラボのアイドルプロジェクトなんてよくあるしさ!」

 

 けれども、ルビーの方はそんなみなみの態度にも一切お構いなしだ。伊達や酔狂でも、お世辞でもお追従でもなく、割と本気でルビーは寿みなみのことをB小町に誘うのはアリだと考えているらしい。

 

「だってみなみちゃん可愛いし! アイドルになったら絶対受けるって! ドルオタの私が言うんだから間違いない!」

 

 言っているうちにどんどん本気になってきているのか、ルビーの発する声のトーンに本気の響きが混ざり始めている。

 

 確かに、芸能界の不文律において他所のプロダクションのタレントを引き抜くことはご法度だ。今や天下に名を轟かせることになるであろう新生B小町を擁し、アイドルの世界でならば大手とも渡り合える苺プロであってもである。

 しかし、「合同プロジェクトの打診」ということならば、理屈上は可能だ。相手はグラビアタレントを多く抱える大手事務所の「キャノンファイア」ではあるが、今のB小町の知名度をもってすれば、それは荒唐無稽な夢物語であるとは言えないだろう。

 もっとも、その実現のためにはルビーやみなみの独断などではない、事務所と事務所の「大人の話し合い」が大前提になるわけだけれども。

 

「え? え? いやでもそんなん言うても、事務所通さんとウチじゃなんともならへんし……」

「じゃあ事務所OK出たらみなみちゃん考えてくれるの?」

「それは……うーん……」

 

 いつの間にか完全に攻守、というよりも話題の主題が転換して、みなみはルビーからの攻勢に防戦一方となっている。

 いずれにせよ、流石にこれ以上は脱線だろう。そう考えたアクアが一先ずルビーを制止するべく口を開かんとして、しかしそれよりも前に、彼女たち二人には別の方向からの声がかかった。

 

「いいんじゃない。面白いと思う」

 

 ばっと、みなみとルビーの二人がその声の主の方を向く。

 

「だよねだよね! フリルちゃん分かってるぅ!」

「不知火さんまで……」

 

 つまりは、不知火フリルだ。

 席の並びとしては、彼女はアクアの隣のMEMちょにも、同時にみなみにも接する位置、所謂「お誕生日席」に腰掛けている。そして今の今までフリルはずっと熱心にMEMちょに対して話しかけて、彼女のことをタジタジにさせていた。本人が公言していることでもあるが、どうやらMEMちょのことが推しであるというその言葉に嘘はないらしい。

 

 ただそこから今、彼女はみなみとルビーのほうにするっとその視線を向けていた。

 これまでの二人の話を聞きつけたということだろう、いつもの澄ました表情を崩すことなく、ルビーの言葉に同調している。

 

「楽しいよ、ルビーとアイドルやるの。私はあの映画の撮影で何度か一緒にやったけどさ、ホントにアイドルやってるみたいで結構テンション上がった」

 

 まあでも、とフリルはそこで小さく首を振る。

 

「そうは言っても、やっぱり本物は本物だね。今日のライブ、映画の時とは全然違った」

 

 感じ入ったかのように神妙に、二度三度頷いた。

 

「私も姉がアイドルやってるわけだけど」

「あっ、聞いたことある。『不知火ころも』さんだっけ?」

「そうそう。けどまあ、正直あの人ただのゲー廃だからさ。だからなんて言うかこう、今日のルビー見て浄化されたよね。『そうだよ、こういうのがアイドルだよ』って」

 

 さらりと身内に毒を吐く。いつもの通り本気とも嘘ともつかない表情だ。

 ただ、ルビーに向けたその言葉自体は本当であったらしい。

 

「もちろん、MEMちょも。今日のMEMちょも輝いてた。ピッカピカだった」

「えっ、今の流れで私……?」

 

 しかしそこから完全にさりげなく流れを捻じ曲げ、フリルはまさに不意打ちのようにMEMちょのことをも褒める。

 いきなり向いた矛先に、またもMEMちょが慌てたような声を上げた。

 

 アクアが今ガチで知り合い、B小町に引き込んだ当時で二十五歳であったMEMちょは、今や二十七、あるいは二十八歳にさえもなろうとしている。

 三十路がそろそろ本当に見え始めている彼女にとって、周りが揃いも揃って十代ばかりの環境というのはそれだけで随分な心労というか、心理的負荷であろうに、更にフリルからのこのファン目線を隠すつもりもない言葉の数々である。

 

「『今ガチ』の時からずっとファンだったけど、やっぱりアイドルやってるときのMEMちょが一番かな。ライブDVD出たら三点買いだね」

「あ、うん。それはあの、ありがたいんだけどぉ……今ルビーと寿ちゃんの話……」

「え? でも私はMEMちょが推しだから」

「いやそういうわけじゃなくてぇ……いや、全くもってありがたいんですけどぉ……」

 

 アクアは、内心で半分同情していた。寧ろ、共感さえしている。アクアの自己認識においては、正直今のMEMちょと自分の境遇に大差はないからだ。

 ある意味ではかわいそうですらあるが、ただ結果として見せている彼女のコミカルな反応が更にフリルの目を輝かせることに繋がっているのがどうにも皮肉というか、傍目から見る分にはおかしささえ覚えるものがあった。

 いずれにせよ、こればかりは如何ともしがたい。「恨むなら不知火フリルにガチ推しされる自分の面の良さを恨め」としか言いようがなかった。

 

 

 

 おもちゃにされていると言えば、そんな四人と反対側、アクアの左側で繰り広げられている光景もまたそうだ。

 

 そこにいるのは、謂わば「今ガチ組」とも呼ぶべき集まりだった。

 鷲見ゆき、森本ケンゴ、熊野ノブユキ、そして黒川あかね。ただその中に、一人だけ「仲間外れ」がいる。

 アクアの隣に座っているあかねの更に隣の、赤銅の髪の小柄な少女――つまり有馬かなである。

 

 彼ら今ガチ組は、最初の方こそ同じ「今ガチメンバー」であったMEMちょの雄姿について語らい、盛り上がっていたのだが、しかしその中で、あかねがゆきに意見を求められた辺りで、その様相が変わった。

 

「メムちゃんとかルビーちゃんは、ずっと夢だったんだよね。あの二人はどっちもアイドルが好きで、アイドルになりたくてB小町を始めたんだから。って、これはアクアくんの受け売りだけど」

 

 ちらりとアクアの方に視線を送ってから、しかしあかねの視線はそこからまるきり反対の方向に行った。

 つまりそれは、こちら側の五人の集まりの中では蚊帳の外ぎみなかなの方である。

 

「でも、私はやっぱかなちゃんだったよ」

 

 急に、ある意味矛先を向けられる格好になったかなが、びくりとその肩を震わせてあかねの方を見る。どういうことだと無言の視線を向けた彼女に、しかし直接答えることもなく、あかねは三人の方を見た。

 

「だってかなちゃん、最初の方は別にそんなにアイドルに本気ってわけじゃなかったみたいだし。というか、今だって女優の方が本業って思ってるし。だって私もそう思ってるもん。でしょ? 『東ブレ』の時もそうだったけど、去年なんかミュージカルまでやってさ」

 

 でもね、と続ける。

 

「だけどそんなかなちゃんが、メムちゃんとかルビーちゃんとか、仲間と一緒にライブに出て頑張るみたいなことやるようになって。アイドルやってるかなちゃんってどうなのかなって最初思ってたけど、こうやって東京ドームでライブまでやるようになったら、『かなちゃんにとってはよかったんだろうな』って思えるようになったかな」

「……ちょっと、待ちなさい。あかね」

 

 そんな、どこかしみじみとした面持ちと言葉遣いのあかねに向かって、かなが口が開く。

 

「アンタそれ、私がどうしようもないぼっちだったみたいな言い方してるわよね」

「そうだよ?」

 

 かなの抗議の意思を含めた物言いに、しかしあかねはあっさりと頷く。

 

「『そうだよ?』って、アンタねぇ……」

「だってそうでしょ。虹野さんのオーディションの最中も、あとのこともそうだけど、かなちゃん全然人付き合いしてなかったじゃん。所属もずっとフリーでさ。アクアくんに拾われなかったら今でもそうだったでしょ」

 

 無慈悲とさえ言える程にばっさりと斬ってみせたあかねに、かなはぐうの音も出ていない。

 いや、正確には「ぐぬぬ」と唸り声を上げてあかねに恨みがましい視線を向けているが。

 

 こういったところ、基本的に他人の気にしている部分、急所のようなところは気づいていても、いや気づいているからこそ決してつつかないようにしているあかねが、かなに対してだけは容赦なく攻撃を加えてみせるあたりに、二人の関係性が垣間見える。

 ある意味、遠慮のない関係とも言うべきなのだろう。ここに至るまでには色々と紆余曲折が存在していたのは確かではあるけれども。

 

「有馬さんとは知り合いなんだっけ? あかねって」

 

 同じようなことを思ったのだろうか、正面に座っているゆきから問いかけられた言葉に、こちらもあかねはその首を縦に振る。

 

「そうだよ。なんていうか、腐れ縁? かなちゃんが『ピーマン体操』出したか出してなかったぐらいの頃に初めて知り合ったから、多分もう十年以上。だけど、かなちゃんは全然忘れてたんだよね、その時のことさ」

「いや、あれは……! ってか、アンタいつまで『ピーマン体操(あれ)』のこと擦り続けるつもりなのよ!」

 

 あの時私かなちゃんに思いっきり泣かされたのに。そう言ってわざとらしく頬を膨らませたあかねにかなは反射的に釈明しようとして、けれどもその中に出てきた聞き捨てならないフレーズに完全に矛先をずらされる。

 

「いや、でもあれは俺たち全員が世代だったからなぁ」

「幼稚園のお遊戯会とか、私たちの世代ほとんどアレだったよね多分」

 

 そしてそれは、見事に墓穴であった。かなの食いついた「ピーマン体操」という言葉に、その場の全員が反応する。

 ノブユキの言葉をゆきが拾い、こういう場ではめっきり口数の減るケンゴもまた、無言で肯定の意思を示している。

 

「でもそうかぁ。『ピーマン体操』のあの子が、今じゃ東京ドームで五万人相手にライブ……時代は変わるって感じだー」

 

 その末に発された、どこか郷愁さえ覚えているかのようなしみじみとしたゆきの台詞に、とうとうかなは抗議の意思を示すこと自体を諦めたらしい。

 勝手にしろとでも言いたげな態度で腕を組んで、天を見上げる。ただその振舞いそのものにさえも微笑ましさを覚えているのか、あかねも、それ以外の三人もまた、小さな含み笑いを漏らしていた。

 

 

 

 ともあれ事程左様に、三者三様、どういう接遇を受けているかの差はあれども、この場の話題の中心にはどこにおいてもB小町の三人のうちの誰かがいた。

 無論のこと、アクアたち子供組の席とは離れたソファの側で歓談している大人たち――壱護社長とミヤコ、そしてアイについても、間違いなくそうだろう。

 

 その理由を、この宴席がB小町の東京ドームライブの成功を祝うためのものであるという趣旨に求めるのは、ある種当然のことだ。

 けれども同時にこの集まりが、このひとときが、新生B小町三人が紡いだ縁の果てに位置していることもまた、紛れもない事実だった。

 

 そこから始まったあかねとかなの小競り合いに巻き込まれるように、今ガチ組の輪の中に入って言葉を交わしながらも、アクアは思う。

 

 

 

 今ここにある景色が、誰もが皆笑顔で、一つのテーブルを囲んで憂いのない時間を過ごせているこの瞬間が、星野ルビーがこの世に生を享けたことによって生じたものであるのだとすれば。

 

 きっとそれ以上の救いなんて、世界の中にはないのだろうと。

 偽りなく、迷いもなく、アクアはそう考えた。

 

 

 

 

 

 宴の一時はそこから二時間あまり続いて、丁度日付の日付の変わった辺りに、お開きとなった。

 ゲスト組はいざ知らず、ルビーたちB小町の三人は明日もまたライブだ。初日のように長いリハの時間を取らない故に今少しだけ余裕があるとはいえ、寝坊をしてよいものでもない。

 

 そういうわけで、クリスマス会が散会となってからは、余韻を楽しむ暇もなく、各々それぞれにそそくさと自室に向かって戻ってゆく。

 

 しかしその中で、一人ルビーだけが、自室とは違う場所に足を向けていた。

 

 

 

 アクアがそれを知ったのは、アクア自身が自室へと戻る道すがらのこと、通りがかったとある部屋の扉が開いていたからだった。

 そこは昨日、アクアたちが苺プロの面々だけで行った『決起会』の場ともなった、あのスイートルームだ。壱護社長とミヤコの二人の部屋でもあった。

 

 けれども今、あの二人は未だ今日の宴会の会場となった部屋の中にいる。彼らは戻ってきてはいない。

 些か気になったアクアは一人部屋の中に入って、そのままリビングの中へと足を向ける。

 

 そうすれば、そこには一人の少女の影があった。アクアと同じ、金糸の髪を長く伸ばした少女だった。

 窓際に立ち、外を見下ろしていた。何を見ているのかは、言うまでもないだろう。

 

 

 

「ルビー」

 

 声をかければ、反応した彼女はぴくりと肩を震わせる。けれどもすぐに、自らにかけられた声の主が誰であるのか理解したらしい。

 振り返った顔は、すでに笑顔を象っていた。

 

 無言で手招きをするルビーの仕草に頷いて、アクアは彼女のもとへと近づく。そしてそのまま、隣で同じように外に見える東京ドームを見下ろす姿勢になったところで、彼女はようやっと口を開いた。

 

「お兄ちゃんさ。信じられる? 私たち、さっきまであそこでライブしてたんだよ」

 

 外の、夜の暗さが窓ガラスを鏡に変え、半透過の状態にあるルビーたちの姿を、薄くともはっきりとそこに映し出す。

 それ越しに見える彼女は、今もなお穏やかな笑みを浮かべていた。

 

「ほんと、夢みたい。怖いぐらい。実は今までのことは全部夢で、目が覚めたらあの病院の部屋の中にいてさ、私は天童寺さりなのままなんじゃないのかなって、ちょっと思っちゃうぐらい」

「それは……」

 

 言葉を返そうとしたアクアを見て、しかしルビーはゆるゆると首を振る。

 後ろ向きにも思えるその言葉に反して、声色も、表情も、決して沈んではいなかった。

 

「いいの。もしそうだとしても、私は絶対後悔しないから。それで朝起きて、せんせが来たらさ、全部話すよ。『せんせと私が生まれ変わって、せんせはお兄ちゃんで、アイがママで』って」

 

 アクアの方から視線を外して、彼女はまた外を見る。愛おしむように、指の先でガラスの窓を撫でた。きっとその先に、彼女は眼下のドームを望んでいるのだろう。

 

「せんせ、なんて言うかな。『また随分と凝った夢を見たもんだな』なんて言って、笑うのかな」

 

 ――どう思う? お兄ちゃん。

 向けられた無邪気な声に、アクアはもう耐えられなかった。

 

 あっ、と声が漏れる。ルビーの方からだ。

 本能に近い場所が、アクアの身体を衝き動かしていた。アイドルとしてのトレーニングの賜物であろう、細くはあれどもしなやかで確かな力を持っているルビーの身体を、気づけばアクアは自らの腕の中に閉じ込めていた。彼女のことを、抱きしめていた。

 

「夢なんかじゃない。君は今、ここにいる」

 

 対するルビーが、そこでふっと息を漏らす。その手がゆっくりと、アクアの背に回った。

 

「……分かってるよ。冗談、じょーだんだって」

 

 言って、ぽんぽんと背中が叩かれる。

 

「大体、いつまでも『天童寺さりな』を引きずらないって言ったの、私だし。だから今のはこう、ちょっとしんみりしちゃっただけって言うかさ」

 

 どこか言い訳のように言葉を重ねて、ルビーがアクアの腕の中で身を捩った。

 抗うことなく腕を離せば、しかし彼女はアクアの傍からは離れることなく、至近から見上げ、視線を合わせてくる。

 

 目の中には、僅かな呆れの色のようなものさえも見えていた。

 

「って言うか、やっぱお兄ちゃんって私のこと大事にしようとし過ぎでしょ。そりゃ嬉しいけど」

 

 くすりと、笑う声が聞こえた。そしてまた、視線が外れる。今度は窓の外ではなく、内側――部屋の入口の方に、彼女は顔を向けていた。

 

「でもあんまり私ばっかりだと、みんな拗ねちゃうよ。先輩もだけど、あかねちゃんもね」

「ルビー――」

「私ね」

 

 彼女の口から出てきた二人の少女の名前に、アクアはまたも声を上げようとする。けれどもそれも、ルビー自身の言葉によって上書かれた。

 アクアとは違う方向、出入り口の方に視線を向けたまま、ルビーは言う。

 

「せんせのこと、ずっと好きだった。『結婚して』って言ったのも、全部本気だった。ううん、今も好きだよ。せんせの、お兄ちゃんのこと。ガチ恋してる」

 

 その、唐突に訪れた告白の台詞に言葉を失ったアクアに向けて、ルビーは振り返る。

 そこに見た少女は、どこまでも透明に笑んでいた。

 

「でもね、今はちょっと違うんだ。いや、違わないのかな」

 

 僅かに、彼女は天を見上げる。言葉を選ぶように。

 

「一緒にいてほしかったんだよ。ずっと、ずーっと。隣にいて、お話して、いつも笑って、たまに怒ってさ。あんな日がずっと続いてほしかった。どこかに行ってほしくなかった」

 

 視線が戻る。分かるかな、と、そう、彼女は言った。

 

「だから、せんせがお兄ちゃんになって、こうやってずっと一緒に生きてたんだって知って、やっと分かったんだ」

 

 今度は、ルビーの方が動く。腕が伸ばされ、そしてアクアの手が握られた。両の手で、包み込まれていた。

 

「これでいいんだって。これがいいんだって。私がずっと欲しかったものは、これだったんだなって」

 

 アクアの手に向かって落とされていた視線が、また上がる。

 覗きこむようにして、そして問いかけてきた。ねえ、と。

 

「聞いてくれたでしょ、あの歌。ライブの最後の、私たちの新曲」

「……ああ」

 

 なんとかそう声を絞り出したアクアに向かって、ルビーが真っすぐな眼差しを伴って、声を発する。

 

「私のお星さまは、せんせだよ。お兄ちゃんだよ。ママと、お兄ちゃん」

 

 ルビーの、アクアの手を握る掌の力が、僅かに強まる。

 

「だからあれが、私の気持ち。だったらお兄ちゃんも、『自分自身の人生を生きる』べきだって、思うから」

 

 ――だから。

 その言葉を最後に、ルビーはぱっと、アクアの手を離す。そのまま二歩三歩、後ずさった。

 

「だからお兄ちゃんが誰を選ぶかは、お兄ちゃんが決めるべきだよ。誰かに言われたからとかじゃなくて」

 

 視線を合わせて、人差し指が、アクアに向かって伸びてくる。

 

「それも、『責任』だよ、お兄ちゃんの」

 

 それを突きつけながら、彼女はきっぱり、そう口にした。

 責任。そのルビーの言葉は、きっとこれからアクアがやろうとしていることを、まさしく見通してのものなのだろう。すべて理解しての、敢えての台詞なのだろう。

 

 どう、答えるべきか。迷うアクアの前で、しかしルビーは向けていた人差し指を、自らの顔の側で天に向ける。

 そして、悪戯っぽく笑った。

 

「まあ、どうしてもお兄ちゃんが私を選ぶって言うなら、付き合ってあげてもいいよ? 禁断の兄妹愛ルート」

 

 それきり、彼女はくるりとアクアに背を向ける。

 すたすたと部屋の半ば、出口の方に進み出て、しかしそこで思い出したかのように、顔だけ振り返った。

 

「じゃ、おやすみ。明日も早いからね、お兄ちゃんも。早く寝るんだよ?」

 

 言って、小さく舌を出しながら、片目を瞑る。

 その表情のまま、流し目と共に、ルビーはアクアのもとから、そしてこの部屋からも去ってゆく。

 

 果たしてアクアはただ一人、このひたすらに広い空間の中に残された。

 

 

 

 

 

 ふう、とアクアは人知れず息をつく。そのままぼんやりと、天井を見上げた。

 

 ――責任、か。

 内心で、ひとりごちる。

 

 それは今までのアクアの人生の中で、無縁だとさえ思っていたことだった。直視せずに済ませていたものでもあった。

 けれども、確かに「決着の時」へと至りつつある今、アクアがそれに対して答えを示すべき時もまた、やってこようとしているのかもしれない。

 

 これもまた、進むべき、あるいは選び取るべき「未来」であるというのならば。

 

 

 

 ただまあ、いずれにせよそれも、全てを終わらせてからのことだ。

 軽く頭を振って、アクアもまた部屋の出口に向かって歩き出す。

 

 そのさなか、一度だけ振り返った窓の外に見えた東京ドームは、変わらずに夜の中で望月の如き輝きを放ち続けていた。

 

 

 

 

 

 斯くしてその次の日の夜も、新生B小町の東京ドームライブは観客全ての心を掴み、熱狂の渦に巻きこんで、大盛況のうちに幕を閉じることになる。

 

 ――伝説は、ここに継承された。

 この国の誰しもがそう見做した彼女たち新生B小町のライブは、必然的にかのユニットを取り扱うことになる一つの映画、『15年の嘘』という作品に対する世の期待を、より一層高める方向に作用する。

 

 

 

 母の影を超えていった娘。

 その姿の全てをフィルムに納め、世に放たんとする息子。

 

 

 

 その二つの星、宿命が紡ぐ決着は、すぐそこにまで近づいている。




SHINING SONGは本当に名曲ですよ。皆さんも聞きましょう(ダイマ)。
そして歌詞の内容が完全に本作にリンクするものがあったように感じたので、本エピソードにおいて採用させていただきました。
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