天には星を、人には愛を   作:厳冬蜜柑

9 / 84
ルーキー日間1位になっていました(総合評価1000超えたので卒業しました)。
身に余る光栄です。お気に入り、評価いただいた皆さん、本当にありがとうございます。



2-2. 復帰戦線異状あり

 受験のためにやってきた芸能科のある高校で、幼少の砌に一度邂逅した「天才子役」と再会した。

 なかなかに運命的かもしれない出来事であったが、その後我が妹と彼女が見るに堪えない口喧嘩を始めたのを目の当たりにして、アクアはなんだかどっと疲れが出てきてしまった。

 付き合いきれないと、アクアは一足先に帰ることを決めた。正確には、五反田監督のところへと立ち寄るつもりであったが。

 

 しかし、である。どういうわけか、そこについてくる影があった。

 

「ねぇ、今までどうしてたのよ?」

 

 すなわち、有馬かなである。

 

「どうしてた、って……どういう意味?」

「いやその……ここ七、八年ぐらい、全然見なくなってたから」

 

 流石に後ろから自分のことを追いかけてくる人物のことを無視するほど、アクアは鈍感でも冷酷でもない。このいきなり距離を詰めてくる先輩に対して未だ若干釈然としない思いを抱えつつ、それでもアクアは自らの隣にかなのことを招き入れた。

 

「つまりあれか、演技の話か。それはまぁ、ちょっと休んでてな。色々あったんだよ、色々」

「へぇ……まいいけど。『休んでた』ってことは、役者辞めちゃったわけじゃないんだ」

「そうだな。まだ何か決まったわけじゃないけど、高校入ったらまた始めようかとは思ってる。そのために芸能科受けてるわけだしな」

 

 アクアの答えに、かなは口元を少しだけ緩める。そっか、と呟いた声色に宿っていたのは、安心か、それとも別の何かだろうか。

 よし、と一呼吸入れて、何かを決心するように、かなは顔を上げた。

 

「それならさ、ちょっと話したい事があるんだけど。だから、カラオケとかどう?」

「は?」

 

 もしや今、自分はデートに誘われているのか。アクアはそんな疑念を懐く。

 だとしたらこの子、予想に反して距離の詰め方相当やばいな。そこまで考えたあたりで、しかしアクアは気がついた。

 

「って、ああ……個室が欲しいのか」

 

 つまり、外には聞かせたくない何かを話したい、というわけだ。

 そんなこちらの推量を証明するようにこくりと頷いたかなを目にして、アクアは小さく、バレないように息をつく。

 危なかった。もう少しで自意識過剰男になるところだった。内心胸を撫で下ろして、同時にならばと思い立つ。

 

「なら、一緒に行くか。監督のところ」

 

 監督? と首を傾げるかなに、「ぼーっとしてると置いてくぞ」と声をかけて、アクアは再び歩き出した。

 

 

 

「おぉ、来たか早熟。んじゃ早速……お?」

 

 いつもの通りやってきた五反田スタジオ……という名の五反田監督の実家の中で、アクアは彼直々の出迎えを受けていた。いつもなら玄関に出てくることすらないこの些か以上に生活能力に欠ける男にしては、珍しいことだ。

 そしてそういう時に限って、アクアもまたイレギュラーな状況にあったわけで、つまり五反田監督はアクアの後ろにいる女の子の存在に、怪訝な表情を浮かべた。

 

「早熟お前、ここは連れ込み宿じゃねぇぞ」

「馬鹿なこと言うのはやめてくれ、この人はそんなんじゃない。というか監督、憶えてないのか? この人のこと」

 

 そう問われて、五反田監督は思案の表情を浮かべた。そこからしばらく、漸く監督の中で思考回路が繋がったらしい。

 

「そうか思い出した、お前さん『有馬かな』か!」

 

 いやぁ、『少し見ないうちに』、随分デカくなったもんだなぁ。

 ついで放たれたその言葉にぐらりとよろめいたかなの様子を、アクアは敢えて流した。言及しないことにした。それは謂わば、せめてもの情けであった。

 

 

 

 そんな一幕があったのち、どういうわけかアクアは五反田監督のご母堂に誘われる形で、食事のご相伴に与ることになった。無論、かなも一緒である。

 どうやら彼女は、というか彼女も、かなのことをアクアの「いい人」であると誤解しているらしい。ただこの随分と押しの強いお母君に対しては、割と何を言っても暖簾に腕押しなところがある。アクアはそれをここ十年弱の経験則として知っていた。

 故に彼女の認識については、とりあえずそのままにさせておいた。きっとどこかで訂正の時が来るであろうから。

 

「で、かな。多分他言無用の話だと思ってたんだが、こんな場所で大丈夫なのか?」

「まあ、ね。でも、監督さんって正直半分アクアの身内みたいなもんなんでしょ? ならまぁ、いいかなって」

 

 勝手に身内扱いすんな、とぼやく五反田監督のことは華麗に無視を決め込んで、食卓の上にてかなは本題を切り出した。

 

「今さ、私。ドラマやってるのよね、ヒロイン役貰ってるやつ」

 

 食べ進めていた箸を止めて、アクアは顔を上げる。視線の先のかなは、頬杖をついてこちらを眺めていた。

 

「行儀悪いぞ、食卓に肘突くのは」

「あらごめんあそばせ。でまあ、それに一個、役者決まってない役があって」

 

 手を膝に置いた体勢から、ずい、とアクアの方に身を乗り出して、かなは続けた。

 

「私座長だから。偉い人に掛け合えば、そのポスト用意できそうなのよね」

 

 ――ねぇ、アクア。やってみない?

 そう言って、かなはにんまりと笑んで見せた。

 

 

 

 アクアは考える。かなの提案とは、すなわち「俳優・アクア」の復帰戦を、その「かながヒロイン役を務めるドラマ」にしないか、というものだ。

 端的に言えば、共演の誘いである。つまり彼女はアクアの中に、共演に値する価値というものを見出しているということになるのだろう。

 有難いことだ。有難いことではある。しかし一方で、軽々な判断をしてはならないという理性が、今のアクアには働いていた。

 なにせ、これから自分がこの世界でのし上がっていくための第一歩なのだ。自分自身の栄達がどうこうと言うだけならばまだしも、これには誇張ではなく家族の命が、アイやルビーの命までもがかかっている。最低でもアクアはそういう覚悟でいる。ならばそれを、こんな程度の誘い文句で即断していいわけがない。当たり前の帰結であった。

 

 よって、アクアは答える。

 

「誘ってくれるのは、有難い。けど、それだけの情報じゃ何も判断できない」

「……まあ、そうよね」

 

 それもそっか、とかなが頷いた。そして一つ大きく深呼吸した後、彼女は話し始める。

 

「まずドラマの題名は、『今日は甘口で』」

「『今日あま』?」

「そう。アクア知ってるの?」

 

 立てた人差し指を頬に当てて、かなはアクアに尋ねてくる。

 

「いや、そりゃそうだろ。少女漫画だけどさ、相当な有名作だし」

「へぇ……そう。ま、私も当然全巻持ってるけど」

 

 因みにアクアの家にも全巻が揃って置いてある。作劇技法のいい題材として、ほかでもないこの五反田監督に読破するよう勧められたものだった。

 もっとも、家の中であの漫画をよく読んでいるのはどちらかと言えばルビーやアイの方であって、最終巻の結末を読むたびにボロ泣きしている姿をよく見るのだが、今この瞬間においてそれは蛇足に過ぎるだろう。

 今の話の焦点は、かながヒロイン役で出演しているドラマが、その漫画を原作とした、いわゆる実写化作品であるというところだ。

 

「なるほどね……まあいい。続けてくれ」

「りょーかい。で、掲載媒体はネットメディア。『ドットTV』ね」

「ああ、あそこか……」

 

 最近勃興しているネットテレビ局の一つだ。一応資本としては地上波テレビのものが入っている。確か「六本木」の資本だったはずだ、とアクアは記憶していた。

 したがって資金力もしっかりしているし、オリジナルドラマにしてもスタッフの質はある程度担保されている。そういった事情は、アクアの裏方としての伝手からよく入ってきていた。

 

 ともかく、そこまではいい。しかしかなが口にしたその続きの言葉に、アクアの思考が止まった。

 

「制作体制としては、プロデューサーが()()()()って人。それで……」

 

 思いがけない名前が、思いがけないタイミングで耳に入ったからだった。

 

 

 

「鏑木、勝也……」

 

 呟きが漏れる。それは今朝、今後の方針を整理していた時、心の内で挙げた「二人の候補者」のうちの一人だった。

 アイの過去を知っている人物だ。しかも、アクアたちを身籠る前の出来事を。

 その名前が、いきなりアクアの前に現れた。しかも、仕事相手として。

 

「アクア? アクアー? どうしたの、聞いてる?」

 

 不自然に動きを止めたその姿を見てか、かながドラマの説明を止めて、アクアのことを覗き込んでくる。

 思案に沈んでいたアクアの方も、そんな気遣うような目線で見つめてくる彼女の姿に気がついて、流石に我に返った。

 そうだ。今自分はレクチャーを受けている身なのだ。思考をお空に飛ばすのは後でいい、と。

 アクアは顔を上げて、かなに向き直る。

 

「あ、ああ……ごめん。……悪い、もう一回だけ確認させてほしい」

 

 そして、念押しの確認をかけた。

 

「今回の現場、プロデューサーは鏑木勝也さん。今はドットTVのプロデューサー。そう言ったよな」

「ええ、そうよ」

 

 ――私、何度か鏑木Pの現場で仕事してさ。結構可愛がられてるのよねぇ。

 そんな風にどこか得意げに口にするかなの姿を見て、アクアは心に決めた。

 これは千載一遇のチャンスだ。逃すわけにはいかない。

 

「……気が変わった。話を聞くだけ聞いて、一度持ち帰るつもりでいたけど」

 

 真っすぐにかなを見る。早くもやってきた正念場に、アクアは自分の気持ちが引き締まるのを感じていた。

 

「その仕事、請ける方向で進めてくれないか。苺プロには俺の方から説明する」

 

 その感情が言葉に載ったか、あるいは表情にであろうか、正面に見えるかながその目をぱちくりとさせる。

 

「……おい、いいのかよ早熟。そんな即断即決で」

 

 横から口を挟んでくる五反田監督の意見はもっともだ。しかしアクアにとって、「鏑木勝也」という名前はそれだけで意味を持つものなのだ。

 その内実も狙いも、他人においそれと話せるようなものではないが。

 

「構わない。Pの名前が名前だからな」

 

 だから、言える部分だけを言う。

 

「かなも知ってるだろう? あのプロデューサー、相当な面食いだって」

「そうね。私もまあ、あの人に仕事貰ってるのはそういう面もあるし」

 

 アクアの問いに、かなが頷く。今彼女はさらりと「自分は面食いプロデューサーに認められるほどの美形である」と言ってみせたのだが、まあそれぐらいの自信がなければこの世界ではやっていけないだろう。

 しかも、そんな彼女の自己認識は間違っていない。客観的に見て、有馬かなという少女は容姿端麗だ。光を受けて輝く赤銅の髪も、意志の強そうな、しかしどこか童女のあどけなさが残る顔立ちも、佇まいさえも、すべて文句なしに美しい。アクアは彼女のことを、子役時代から綺麗な子だとは思っていたが、本当に美しく成長したものだと改めて思い直していた。

 まあ、これ以上そのことに言及するのは内心のことであっても気持ち悪いだろう。一つ頷いて、アクアは続けた。

 

「まあ俺も、客観的に見て自分の顔面が評価されるレベルなのは理解してる。ならこれは、売り込みのチャンスだ」

 

 違うか? そう問うたアクアに、かながにやりと笑う。

 

「そうね。私もそう思う。だからあんたを誘おうと思ったの。ま、それ以外にも色々あるけど……」

 

 その「色々」の部分もできれば訊きたいものだが、それはどうも今言うつもりはないらしい。

 とにかく、と一呼吸入れて、かなは居住まいを正す。

 

「そういうことなら、私の方から鏑木Pに頼んでみるわ。――よろしくね? アクア」

 

 ぱん、と両手を合わせて、彼女はアクアに向かって片目を瞑って見せてきた。

 

 

 

 

 

 その週の土曜の昼下がりのこと、アクアはかなに誘われる形で、とあるカラオケ店にやってきていた。

 無論、デートなどではない。()()に迫った、件のドラマの撮影に関する打合せのためだった。

 

 個室の中に入り、アリバイのようにワンドリンクを頼んだアクアは、待ちきれないとばかりに早速に口火を切る。

 

「とりあえずだけど……『色々』って、色々すぎだろうあれは」

 

 無論、それは期待に胸を膨らませてのものではない。どちらかと言えば、アクアの胸中は暗澹たるものであった。

 あはは、と開き直った笑いを浮かべるかなのことを据わった目で見ながら、アクアは大きく溜息をついていた。

 

 

 

 漫画原作の実写ドラマ化というものは、大体の場合評価としては真っ二つになる。

 即ち、「大名作か、黒歴史級の駄作か」だ。

 その視点で今回の「今日は甘口で」を評価するとなれば、間違いなく後者であろう。そうアクアは思う。

 

 五反田監督の家にてかなからドラマ出演の打診を受けたその日の夜、アクアは自らのマネージャー役となっているミヤコ夫人に、ドラマ出演の打診を受けた件と、それを承諾するつもりである件を伝えた。

 あまりに唐突であったからか彼女は結構びっくりしていたようだが、それでもアクアの役者戦線への復帰それ自体については、大いに歓迎してくれた。

 

 そしてその情報は、次の日のうちには星野家全員の知るところとなる。どうにも、アクアとしてはオファーが正式になされたタイミングで報せようと思っていたところを、ミヤコ夫人は少し先んずる形で二人に伝えたらしい。

 アクアはルビーやアイから、「どうして早く伝えてくれなかったのか」と少しばかり詰られることになったが、それはとりあえず、話の本筋には関係のないことだ。

 

 問題はそこからだった。ミヤコ夫人からアクアが出演を打診されているドラマの情報を得た二人は、その場でアクアを巻き込む形でそのドラマ――「今日は甘口で」の既放映分を見ることにしたらしい。

 アクアとしても情報収集は必要であるゆえに一両日中には目を通しておこうと考えていたところ、半ば強引に引きずられる形で、家族での鑑賞を余儀なくされた。

 結果、出てきた感想というのが――

 

「……ひっどいね、これ」

 

 これである。

 

「ねえアクア、ほんとにこんなドラマ出るの? なんだったら私が掛け合ってもいいんだよ?」

 

 一連のエピソードを見終えたあと、アイはアクアにそんなことまで言ってきた。

 

 まあ、無理もない。

 そもそも「今日は甘口で」という漫画は、十四巻にもわたる長編作品だ。一方で今回の実写化はたったの半クール、六話での構成となっている。

 普通に考えて、無理である。正直なところ、この企画を通した人間の頭の中を覗いてみたいほどだ。そうアクアは考えていた。

 加えて、キャスティングにも余りに露骨な意図がある。主演級の出演者は今を時めく新人モデル達ばかりで埋め尽くされ、唯一「役者」と言えるのはヒロイン役を努めるかなしかいない。売り出したいモデルのために漫画に存在していないオリキャラまで作り出しているあたり、いっそ清々しいほどだ。もはや原作などあってないようなものと言っていいかもしれない。それほどまでに酷いのだ。

 

 そして、当の演者の演技の出来については、もはや言うまでもない。

 棒とか大根とか、そういう次元を超越している。

 

 総じてなんというか、「実写化作品の負の面を全て混ぜ合わせてその上に更に悪意をトッピングしたような作品」というのが、アクアが持つこの「今日は甘口で」というドラマに対する印象であり、かつ評価であった。

 

 とまあ、そういうドラマのありさまを見せつけられ、そこに息子が出演するという状況で、何か言いたくなるのは当然と言えば当然なのだ。

 気遣わしげにアクアに先の提案をしてきたアイの顔に、言わないまでも「私は心配だよ」とわかりやすく書いてあったほどだ。

 

「そうだよお兄ちゃん、ロリ先輩みたいな『元子役』からのお仕事なんかじゃなくて、ママと一緒に仕事した方が絶対いいって!」

 

 その横で言い立てるのは、相変わらずかなに対して当たりの強い我が妹である。

 相性が悪いのだろうか? にしては、互いに喧嘩をしているときは本気で嫌い合っているというよりは、やり取りを楽しんでいるようにも思えるが。アクアはそんなことを思い浮かべて、しかし今はそういうことを話しているのではなかったなと首を振る。

 

「母さんがそう言ってくれるのは有難いけど、でもそれはだめだ。わかってるでしょ、母さん」

「……ま、そーだねぇ」

 

 言ってみただけっ。そう言って悪戯っぽい笑みを浮かべるアイは、相も変わらずアイだ。

 一方でいまいち理解していないのか、首を傾げたままのルビーに向かって、アクアは説いた。

 

 芸能界、というよりも芸事の世界というのは、最も原始的とも言ってよい序列の世界であり、そしてメンツの世界だ。歴史的経緯がそうさせているというのもあるが、やはりそれは芸能界というものの本質が、最も「生の人間の感情」に密接に関わるところにあるからなのだろうと、アクアは考えている。

 つまり、アクアという役者の序列、と言うか格というものは、現時点においてはアイのそれとあまりにかけ離れすぎているのだ。

 バーター出演という形で、アクアをアイの出るドラマのどこかの役にねじ込むことは、アイ個人の芸能界における立ち位置からすれば造作もないことだろう。しかしそのあまりに不釣り合いなキャスティングは、確実に要らぬ摩擦を生む。メンツの世界において、「頭越し」というのはもっとも忌み嫌われる行いなのだから。そしてそれは、ともすればアイ自身の立ち位置すら危うくしかねない。そんな選択を、アクアとして採るわけもなかった。

 もっとも、そういった問題に対する唯一とも言ってよい迂回路として挙げられるのが「二世タレント」の称号なのだが――アクアは罷り間違っても自らをアイの実子であると明かすことは許されない立場だ。そしてそのつもりも毛頭なかった。

 

「だから、俺が母さんの口利きでどこかのドラマに出るとか、母さんと共演するとか、そういうのができるようになるためにはもうちょっと……いや、結構な知名度が必要になってくる。今の俺じゃ、とてもじゃないけど無理だ」

「……そーいうもんなんだ」

 

 へー、とルビーは何の気なさそうに声を返してくる。

 まあそもそもそういうことを抜きにして、今回アクアが「今日あま」への出演を決めたのは、偏に「プロデューサーが鏑木勝也という人物である」というそのただ一点に拠るものであるのだが、いずれにせよアクアはそのことについてはアイにもルビーにも明かすつもりはなかった。

 当然だ。如何なる意味においても、己の持つ「もう一つの目的」について、気取られるわけにはいかないのだから。

 

 

 

 とまれ、そのあたりで話が一段落したことを察したか、ルビーの隣に座っているアイがアクアたち二人に向かって小さく頷く。

 そしてまとめに入るように、口を開いた。

 

「まぁ、アクアの久しぶりの仕事をあの面食いおじさんに取られるのはなーんかもやもやするんだけど……けど、アクアが決めたことだもんね」

 

 声はやや不満げで、それでもアクアに対して向ける目線には、確かな慈しみの情が籠っている。それを、アクアは強く感じ取った。

 

「お母さんとしては、応援してるぞっ」

 

 そう言ってあどけなさの残る表情で笑みかけてくるアイに対して、アクアはただ頭を掻くことしかできなかった。

 

 

 

「――はぁ? あのガキ、んなこと言いやがったわけ!?」

 

 時は戻ってカラオケボックスの中、アクアはその時のやり取りのうち、アイとの家族としての会話に関係のない部分を、かいつまんでかなに説明していた。

 それが終わって出てきたのが、このセリフである。

 

「アイツほんと、高校入ってきたら覚悟しろよ……」

 

 許すまじ、と気炎を上げる彼女のことをまあまあと宥めつつ、アクアはその中で抱えている疑問のうちの一つを口にした。

 

「まあ、それはいいとしても。なんというか、一応放映されてる分のエピソードは全部見たんだけどさ……かな、君の演技、『解像度落としてる』のか?」

 

 その問いに、かなは「やはりか」と言った表情で目を閉じた。

 

 アクアが言う「解像度」というのは、言い方を替えるのであれば、「キャラクターの再現度」とでも表現すべきものだ。

 「有馬かなという役者」が普段どういった演技プランで役を演じているか、その詳しい部分はアクアの知る所ではない。しかし共通の在り方として、役者は自らの演じる役についての「理解」を求められる。これは特に演技の道を究めんとする者でなくとも解る、常識のようなものだ。

 そしてその理解をベースに、役者は自らの身体というフィルターを通してその役を具現化する。脳内のイメージに、自分の身体を近似させていく。

 

 その視点からこのドラマにおけるかなの演技を見るに、アクアはかなが、その近似のレベルをわざと下げているように見えていた。

 緻密な役作りと繊細な感情の表出こそが子役時代の有馬かなの真骨頂であったところを、随分と「わかりやすい」形で演技として出力している。感情の載せ方にしても、空気の作り方にしてもそうだ。

 つまり――誤解を恐れず一言で言えば、「粗い」のだ、演技が。

 

「ま、分かるわよね、それは」

 

 腕を組んだ姿勢で、かなは零す。「だってしょうがないじゃない」と。

 

「私の周り見てみなさいよ。主演級の連中はどいつもこいつも、演技なんて今までしたこともないような奴ばっかりで、そんな中で私がマジで演ったらどういうことになるか」

 

 きっ、とねめつけるように顔を上げて、かなはアクアたちの前にあるテーブルをだん、と叩いた。

 

「浮くのよ、もう浮きまくりよ! ついでにあいつらの大根ぶりまで浮き彫りでもはや()()()()よ!」

「……なんだそりゃ」

 

 随分と独特なワードセンスをしている、とアクアは思う。まあ、彼女の謂わんとすることは理解できなくもない。

 

「現場が崩壊するってことか。で、それをあのPは望んでないと」

「そうよ、当たり前でしょう」

 

 はあ、とため息をついて、かなはアクアから視線を逸らした。

 

鏑木P(あのひと)とは付き合いが長くてね。だから何を望んでるかは、よくわかる」

 

 テーブルに載っていた自身のドリンクを両の手に持って、一口含んだ。そして続ける。

 

「最低限、あのドラマを作品として成り立たせて、だけど売り込みたいイケメンモデルはしっかり前に出す。それが、私に期待されてる役回り」

 

 そう語る彼女の声の色に含まれているものは、何だろうか。

 

「ま、私としても久しぶりの主演級の役だし。お互いウィンウィンって感じでもあったけど、ね」

 

 その笑みの中に横たわる主張は、真意は。

 黙したままただそれを考えるばかりのアクアを前にして、「そういうわけだから」、とかなが口にする。そして自らの鞄をごそごそと探り、一冊の本を取り出した。

 

「だから……はい、これ」

 

 表紙に書かれる「今日は甘口で」の文字を見るまでもない。それは台本だ。

 

「前に伝えたけど、撮影は明日。スケジュールも巻いてるから、ドライなしでいきなりランスルー(通し稽古)、そのまま本番になるわ。で、そのまま完パケ納品で翌週放送」

「そりゃまたなんとも」

 

 スケジュールまでそれか。何から何まで酷い現場だ。そうぼやきたくなる気持ちを押さえて、アクアはかなを見る。

 

「とにかく、任された以上、仕事はきっちりやる。俺としても、役者としての復帰戦なんだ。情けないところは見せられない」

「いいじゃない、その意気よ」

 

 アクアの宣言に不敵な笑みを以て返し、そしてかなは無造作にソファに置かれていたアクアの手を、両の手で取った。

 

「随分、アレな現場ではあるけど……けどアクア、あなたとだったら、あんなのでもいい作品に出来るような気がする。根拠はないけど、でも」

 

 真剣な目で見つめて、かなは力強く、アクアに請うた。

 

「だから……お願い。力を貸して、アクア」

 

 そしてアクアは、向けられる目線の中にあるかなの真意を、そこで漸く理解する。

 ――もう一度。もう一度でいいから、羽ばたきたい。『夢』を、ただもう一度。

 

 彼女がそれを意識しているかしていないかは、わからない。

 それでもアクアは、あの陽東高校の校舎の中で再会したときから彼女に向けられ続けてきた感情のベクトルの在り方に対して、そう答えを定義した。あの日あの時、アクアの姿を見つけて、振り返ってこちらを見据えた彼女の瞳の中に浮かび上がった、輝きの意味を。

 

 久しぶりの主役級の役だと、彼女は言った。

 実際、子役時代にあれほど持て囃され続けてきた有馬かなという少女の栄光は、今や見る影もない。ネットの有象無象にあれやこれやと言われていることだって、アクアは知っている。

 

 そのことについて、アクアはかなに一切訊かなかった。子役としての適齢期を過ぎたあと、彼女を取り巻く環境がどう変わったのか。アクアはそれに対して一切の興味を抱いていなかった。

 なぜなら、今日一日のやり取りの中で見せた、彼女の演技に対する、仕事に対する熱意は本物だったから。

 子役の頃に見せていたプライドの高さゆえの傲慢さを殺して、演技の世界の中に自らの立ち位置を作ろうと、彼女が懸命の努力を重ねているのが、見て取れたからだ。

 

 それは、ある種手本とすべきものだった。動機はどうあれ、この業界で生きることを決めたアクアという一人の人間にとって、必要となるものだった。

 だからアクアは、そんな彼女の力になりたいと考えた。彼女の夢の、一助になりたいと思っていた。

 今の自分にどれほどのことができるかわからなくとも、そんな彼女とだからこそ、共に「復帰戦」の第一歩を、この上ない形で踏み出したいと願っていた。

 

 

 

 

 

 そうだ。だからアクアは、思う。

 

「――誰にでも尻尾振って、いい感じに現場まとめてくれるから、使い勝手いいんだよね、あの子」

 

 もともとこの仕事を受けた理由なんて、この番組のプロデューサーたる鏑木勝也に覚えをめでたくしてもらうこと以外にないのだ。

 

「割かし雑に使っても文句つけて来ないし、フリーだからギャラも安い。ネームバリューもある」

 

 ならばその中に、有馬かなの存在を含めることだって、問題ないはずだ。番組としての元々の思惑なぞ、アクアにとっては無理に尊重しなければならないものでもない。

 今回の自分の依頼主はあくまでも有馬かなであり、鏑木勝也ではないのだから。だったら――

 

「……ま、演技のことで色々言ってくるあたり、まだ勘違いしてるみたいだけど」

 

 ああ、そうだとも。

 

 

 

 ――そんな有馬かなのことを使い潰そうとしている彼に、役者としての彼女が本当はどういう存在なのか、突きつけてみせることぐらいなら、やってもいいだろう?




原作と違って吾郎の性格がやや前面に出ている本作のアクアは、原作と人の呼び方が変わって(=吾郎時代に近くなって)います。
現状では、「お前」呼びはルビーのみ、他は「君」呼びです。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。