とある関東の月極駐車場。
かわいらしいイタリア製の2ドアセダンから、ニヒルなロン毛男が現れる。
彼は特田種雄――フリージャーナリスト。たった今、とある特ダネを掴んでいた。
三月も末の夜の帳は澄んでいる。南の空には微かに冬の星座が輝くのが見えた。
彼が目指す出版社は目と鼻の先だ。出版社が入るビルの二階の角部屋、まだ明りがついているそこで、昔なじみの編集長がひとり残業して特田を待っているはずである。
「ふぅ……まだ結構冷えるなぁ。」
もう二十三時過ぎだというのに、今日はやけにバイクの音がうるさかった。バカな若者が楽しんでいるんだろうと、特田は特に気にも留めなかったが。
だが念には念をいれて、一応はしっかりと左右確認してから特田は車道を横断する。こんなところで交通事故にあってはたまらない。
特田はとある邪悪な企みの証拠を掴んでいた。
病院、政治家、そしてヴィラン、――水面下で蠢いていた者共の、悪事の証拠である。
そういった連中に陽の光を当てることこそ、自分のようなフリージャーナリストの存在意義だ。
そう特田は意気込み、使命感に突き動かされるままガラス扉を開く。
否、開こうとした。
「……む? 開かない。」
どうやら鍵がかかっているようだ。社員が退社する際に誤って施錠したのだろうか。それとも警備会社のミスだろうか。
困ったなと、顎を撫でた特田。先程より少しだけやかましくバイクの音が聞こえる。
いや、待て……テナントビルが電気つけっぱなしで施錠されるなんて、普通あり得るか?
えも言われぬ不安感に、特田は大慌てで編集長に電話をかける。
ツー・ツー・ツー
……繋がらない。
もしや、編集長に何かあったのか。そう考えた特田は唇を噛むが、その瞬間スマホが鳴った。編集長からの着信だった。
『もしもし、特田くん。悪いね、電話が被っちゃったみたいだ。』
「あ、編集長。ご無沙汰してます。いまお宅の玄関についたのですが、カギが閉まってましてね。どうしたもんかと。」
『おお、それはすまない。社員のミスだろう。今開けに行くから少し待っててくれ。……ちょうどコーヒーを淹れていてね。』
「いえ、構いませんよ。お願いします。」
全く、気が動転していたようだ。さっきのは話中音じゃないか。
特田はスマホをポケットに突っ込むと、ふうと一息ついてカバンを持ち直す。
こうも寒いと、一服したくなってくるな。
『……特田くん。ゴメンなぁ。』
「ん? 編集長?」
編集長の声は震えていた。特田はいつの間にスピーカー通話にしたかなとポケットに手をやる。それに、編集長はまだ切ってなかっ
――バイクの音がすぐそこまで近づいている事に気がついたのはその時だった。
特田は振り返る。そこには。
横滑りしながら急停止するオートバイ。
黒尽くめの運転手。
スモークのかかったフルフェイスヘルメット。
突き出された短機関銃。
ぽっかりと空いたサプレッサーの穴。
けたたましいミシンのような、乾いた銃声。
「ぐふッ」
胸から腹にかけて穴だらけになった特田が前のめりに倒れ込む。実に十数発の九ミリ弾が特田の体内を蹂躙し、その殆どはメチャクチャな軌道で体外へ抜けていった。彼の後ろではガラス戸が粉々に砕けている。
銃後の男はそれを一瞥し、すぐさまマガジンの残りを出版社の窓に向かってバラ撒く。
小振りな殺人機械は一呼吸でありったけの凶弾を吐き出した。
あたりに散らばる熱をもった空薬莢。サプレッサーから立ち昇る白煙。
3F分の真っ白な雪のようなガラス片が特田に降り注いだ。
――間髪あけずに嘶く直列四気筒、その鋭さ。
薄れゆく意識の中、最期の力を振り絞って特田は顔を上げる。そのメガネの下半分はアスファルトの血溜まりに浸かって真っ赤に塗られていた。なんとか“個性”を使わんと歯を食いしばれば、胸元の銃創からピューッと鮮血が吹き出す。全身が燃えるように熱い。それなのに、手足だけが冷たくて堪らなかった。
既に下手人はバイクで走り去ったようだった。数十メートル向こうで赤いテールランプが怪しく揺れている。
大きく左に振れた後、それは残光を曳いて闇に消えた。
特田がそれを最後まで見届けることは叶わなかった。
享年二十七歳。
三日後に近くの池でバイクと一緒に死体が揚がった。
その死体にはこめかみに水を吸ってグズグズになった銃創が一つ。
死体の身元は特田の元同僚。
自殺と見られており、池のほとりで発見された遺書によれば、彼が特田殺害の犯人である。
犯人死亡で事件の捜査は終了。
凶器はまだ見つかっていない。
*
青山
――以下略。
というのが散々頭に叩き込んだ青山
諸々を三行でまとめるとすれば、こうだ。
俺はこれから青山翠という存在しない人物に成りすます。
そして雄英高校にスパイとして潜り込む。
――全てはオールマイトを殺すため。
こうまとめてみれば物騒だが、これまでに俺が経験してきた物騒な仕事に比べればかなり楽勝な仕事だった。ほとんど休暇と言ってもいい。
それに俺は学生生活は嫌いじゃなかった。
去年の春、死柄木を通して先生に命令された俺は、適当な中学に潜り込んだ。
必要な書類や「家族」まで用意されていたのには驚いたけれど、まあ中学校生活それ自体はなんてこと無かった。
いやむしろ、先生のお膝元で飼われ、厳しい訓練の合間を縫うように死柄木の玩具役やドクターのモルモット役、あるいは先生の殺し屋役等々、良いように使われていた俺からすれば、中学校で味わった学生生活はまさにユートピア。
もちろんそんな中学時代と違い、ヒーローの牙城に潜り込むというのは少し神経を使うけれど、俺は普通に高校生活を楽しみにしていた。
「次は新居関前、新居関前です。両替や遠江パスへのご入金は停車中、お早目にお済ませいただきますようお願い致します。」
機械音声の女がいよいよ目的地が近いということを知らせる。あとバス停をひとつかふたつといったところだろう。
入学式の朝。俺は雄英高校に向かうためのバスに揺られていた。
それは駅前発の市内線。まだかなり早い時間のバスに乗ったので、乗客は多いというほどではない。
車内には社会人と雄英生が半々、それと前掛けをしたおばあさんがひとり。
立っている人や相席している人は居ない。
通路を挟んですぐとなり、長く豊かな黒い髪を一つ括りにした女の子は、両手をきっちり腿に揃えて正面をじっと見ていた。彼女が何を見つめて、また何を考えているのか、なんとなく俺にはわかる気がする。
バスの進行方向、そこには森があった。
その森の奥には小高い丘があって、自分はこれから木々の合間を縫って丘を登る。そして登りきったとき遂に始まるのだ、新生活が。
しばらくバスに揺られると、右手に「新居関」が見えた。瓦屋根の立派な建物だ。
静岡県の高校入試に頻出だったので「入鉄砲に出女」という文句と一緒に、嫌と言うほど暗記したのが記憶に新しい。
観光客気分であたりを見回せば、こころなしか周囲の町並みも古風な建物が多い。数世紀も前の風情が此処にそのまま閉じ込められているかのようだった。
そんな中、道路を挟んで新居関の反対側にぽつんと立っている場違いなバス停――間違いなくあれが「新居関前」に違いない――が寂しそうに見えたのは、きっと春のせいだろう。
「次は新町前、新町前です。雄英高校にお越しの方はこちらが便利です。急停車することがございますので、手すりなどをお持ちください。事故防止のため、空席のある場合はお座りください。」
結局関所前では誰も乗車も降車もしなかった。駅からすぐのバス停だし、まだ朝も早いからそれも不思議じゃないけれど。
くだんの「新居関前」は信号待ちをしている間だけバスと並び、そっと俺に肩を寄せて、そして信号が変わると同時に置き去りにされた。バスはギシギシと車体を軋ませながら、そんなことはお構い無しで東海道を下っていく。
ピンポーン!
「えぇ~次、止まります。お降りの際は足元にお気をつけて、完全に車両が静止してから、お席のほうお立ちください。」
どこか気怠げで事務的なアナウンス、今度は運転手によるものだ。少し酒で焼けただみ声だった。フロントに取り付けられた横長のルームミラーには、垂れた細い目にメタルフレームの四角い眼鏡をかけて、紺色の制帽を目深に被った男が写っていた。
……どうでもいいような相手を、じっくり観察してしまうのは悪い癖だと思う。
そうこうするうち、いよいよ森の木々が目と鼻の先に迫った。そのまま新緑に車体ごと吸い込まれていくような感覚を覚えたところで、バスはゆっくりと左に曲がる。
きっとあの運転手は大きなハンドルを右へ左へ二十回転はしているはずだ。
窮屈なコーナーを抜ければ海岸までの長い一本道。なだらかな下り坂の向こうに、小さくバス停が立っているのが見える。
少しして乗客が示し合わせたかのように一斉に身支度を始めた。既に準備万端の俺は手持ち無沙汰だったから、意味もなく溜まったスマートフォンの通知を眺めて時間を潰した。俺にメッセージを寄越す相手なんて、居やしないというのに。
「ご乗車ありがとうございました。新町前です。足元にお気をつけてお降りください。」
バスが停車し、十名ほどのブレザー姿が座席を立ち、ぞろぞろと出口に向かう。俺もその列に並んで歩いた。
「……ああ、そういえば。雄英高校新入生の皆様、ご入学おめでとうございます。」
――それは、高校生活の始まり。
意外に愛想のあるやつだなと感心しながら急なステップを降りる。外に出れば空は快晴。少しだけ冷たい春の風が頬を撫でる。それを気管支に取り込んでみると、埃っぽい土の匂いに混じって微かに甘い花の香りがした。
後ろでバスが発車する。やかましいエンジン音はあっという間に小さくなっていった。
ふと辺りを見ると、ほとんどの雄英生はさっさと丘の上の校舎を目指して歩き始めている。バス停付近でまごついているのは数名、恐らく自分と同じ新入生だろう。その中には近くに座っていた女の子の姿も見えた。
まだ始業時間まではかなり余裕がある。このまま周辺を散策したいのは山々だけれど、俺はここに遊びに来たわけではない。
自分と同じように早めに登校するクラスメートは少なくないはず。なんてったって今日は入学式、高校生活のスタートダッシュの是非は、今日一日で決まると言っても過言ではないのだ。
そんな彼らと交流し、なるべく早くファースト友人をゲットする。そしてそれを取っ掛かりにして、クラスの人間関係が固まってしまう前に不都合のないポジションに収まる、というのが得策だろう。
善は急げ。俺は丘の上へ通ずる長い坂道を登り始めた。
目的地は雄英高校、1年A組。