殺して、青山。   作:armatum

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第二話 教室

 

 

 雄英高校、その校舎は高校の校舎と呼ぶにはいささか現代的すぎるし、規模もケタ違い。初めて見たときなんて、まるで都内の有名私大みたいだなと思ったくらいだ。

 

 そしてその高層階の廊下からは市街地のみならず水平線までを一望する事ができる。

 

 白い雲が海の向こうまでゆったり流れ、青い海は陽の光でキラキラと輝く。

 そして足元に目をやれば、色とりどりの建売住宅の屋根と白灰色のテナントビル、それらが織り成すマーブル模様。

 

 まさに今、俺はそんな最高な景色を横目に雄英高校の廊下を歩いていた。

 なんと女の子とふたりっきりで! ……なんて、物は言いよう。実を言えば俺と彼女は別に隣り合って歩いているわけではない。

 

 ぶっちゃけ困った。タイミングを逃してしまった。

 女の子とふたりきりという状況は、仲が良くなければ本当にただ気まずいだけだ。

 

 およそ二メートル先を歩く彼女は、バスで通路越しにおとなりだった女の子。

 

 俺と彼女は一緒のタイミングでバスを降りて、そのまま同じように登校し、同じ雄英のエレベーターに乗った。そこまではベルトコンベアに運ばれるように、人の流れに身を任せただけ。

 

 しかもエレベーターに乗ったときには他にも沢山生徒が居た。俺がエレベーターの一番奥で縮こまって乗らなければいけないくらいには沢山。

 

 エレベーターから降りたときだって、恐らく自分と同じ新入生であろう五、六名と一緒に降りた。俺と彼女はお互いにそのうちのひとりでしかなかった。

 

 けれど教室を通り過ぎるたびにひとりふたりと廊下を歩く新入生は減っていき、普通科の最後のクラス、C組を通り過ぎたタイミングで、遂に俺と彼女だけになってしまった。

 

 彼女のすぐ後ろをピッタリ同じペースで歩く今の俺は、さながらストーカー男。考えていることだって卑屈そのものだ。

 

 ……こんなことならバスの段階で話しかけておけばよかった。なんて、意味の無いタラレバを考えてしまう。

 

 もしこのまま彼女がB組を通り過ぎ、A組の教室へ入っていったとしたら。それまでお互いが手を伸ばせば届きそうな距離で一言も喋らずに歩いてきたのに、A組の教室に入った途端「やあ、はじめまして。僕は〇〇、これからよろしく。」なんてちょっと気まずい、というかキモい。

 

 かといって仮にクラスメートだった場合にそのままシカトを貫くのは最悪だ。だって、きっと彼女は俺のことを無愛想なクラスメートとして認識するだろうし、第一そんなの思春期男子すぎる。

 

 今しかなかった。

 

「――あの。」

「っはい! 何でしょう。」

「もしかしてヒーロー科、それもA組だったりします?」

 

 恥を忍んだ俺の声で振り返った彼女は、少し驚いたような強張った表情をしていた。柳眉を飾った切れ長の綺麗な両目で下から見つめられて、ちょっと気圧されてしまいそうになる。そこをぐっと踏ん張って、俺は彼女を見つめ返した。

 

「そうです。もしかしてあなたも……?」

「あーそうそう! 僕もA組です。」

 

 ここで最大限純朴で人当たりのいい微笑みを顔面に貼り付ける。もちろん彼女から目はそらさない。人間関係は第一印象が全てと言っても過言ではない。

 

「まあそれは! クラスメートの方とバスもお隣でしたなんて。」

「いや、ほんと。偶然ってすごいよね。」

 

 眼の前のノッポな男が級友となる相手だと知って、少し彼女の緊張はほぐれたようだった。表情が途端に柔らかくなるのが分かった。

 

 ヒーロー科の男女比を考えればこの縁は貴重だ。女子の口撃力は男子のおよそ三倍はある。女の子たちに睨まれてしまっては教室の中で息をすることも難しいだろう。

 それが中学時代に学んだ学校という箱庭の真理。

 

 歩きながらでなんだが、このまま自己紹介まで済ませてしまおうか。

 教室に入ってしまえば、きっと男女ふたりで話すのは中々ハードルが高い。

 

「僕は青山翠、町田成瀬中学の出身です。これからよろしく。」

「私は八百万百、堀須摩大附属中学出身ですわ。こちらこそよろしくお願い致しますわね、青山さん。」

 

 堀須摩付属――名古屋の超名門だ。そのことと彼女の上品な立ち振る舞いから推察するに、八百万さんはかなりの育ち。名古屋の大企業の重役一家、あるいは地元の名家の娘さんといったところだろうか。

 蒸しづくりの温室で、糖度ばかり高められた上等なフルーツのような感じが彼女にはあった。

 

「八百万さんの中学、名古屋のすごく有名な一貫校だよね? 優秀なんだろうなぁ八百万さんって。」

「いえ、その……確かに母校は素晴らしい学校でしたが、私も雄英高校のひとりの新入生です。クラスメートのみなさんはきっととても優秀ですし、置いていかれないように頑張らなければいけません。」

 

 軽くジャブを打ってみたが……なるほど、相当他人に褒められ慣れている。この感じはかなり優秀そうだ。しかもひけらかしたり、驕るタイプでもない。素直に好感の持てる人物のようだ。そんな彼女に早めに顔を覚えてもらえるというのはかなりの僥倖だろう。

 

 既に互いの自己紹介は済ませた。最低限の目標は達成したと言って良い。だから若干彼女寄りに軌道修正しつつ更にジャブを振って仕上げといこう。俺はなにもKO勝ちを狙っている訳では無いし1R目としてはそれで上出来。

 

「あはは、ご謙遜。まぁ、確かに雄英は青天井だ。なんてったって最高峰。クラスメートに未来のオールマイト級ヒーローがいるかもしれないもんね。」

「そうです。ここに来たからには八百万百、常に上を見なければいけないと心得ておりますの!」

「僕も負けないように頑張らなきゃだ……って着いたな。」

 

 恐らくはバスケのリングより背の高い巨大なドア。そしてそこにあしらわれた赤い「1-A」の意匠。間違いない、ここが俺と彼女の教室、1年A組だ。

 

 ちょっとキザったいけど、レディーファーストに行こう。ひんやりと冷たい取っ手を引いて、静かにドアを開ける。そして八百万さんにさり気なく手をやって、先に入るよう促す。

 

 彼女は少し気恥ずかしそうに教室へ入っていって、俺は彼女の後ろからさり気なく教室の様子を伺った。

 

 ……だいたい埋まってる席は三割ほど。みんな自分の席で大人しくしているようだ。まだ様子見といったところか。

 

 八百万さんと少し距離をもうけてから教室へ入った俺は、自分の座席――教室廊下側の一番前だ――を確認してから、リュックサックを後ろのロッカーにしまう。

 

 ペンケースと水筒、それからファイルは机に。スマホと財布はポケットでいいだろう。俺は荷解きを済ませ、ロッカーにカバンをしまっている八百万さんに向かって小さく手を振ってから席についた。

 

 風で乱れた髪に手ぐしを通し、リュックサックから取ってきたペンケース等の諸々を机にしまう。

 

 ちらと腕時計を見る。新調したモノトーンのシンプルな文字盤と針が、小気味良く時を刻んでいた。

 

 時刻は八時を回ったところ。

 

 

 *

 

 

「ねぇ、青葉だっけ。ああいうのどう思う? ホント初日からバチバチでびっくりしちゃうよー」

 

 俺の左肩のあたりで元気いっぱいの声がする。その声の主は芦戸三奈といって、俺の後ろの席の全身がパステルピンクな女の子だ。

 

 彼女はカタツムリのように自分の席からずいと上体を伸ばし、先程から度々俺に向かって話しかけてくれる。

 

 そして彼女は……色々とすごい。

 

 教室に入るなり「みんなヨロシクー!」と手を振ったのに始まり、席につくやいなや周囲の人間に対してひとりひとり自己紹介を始めた。それも、彼女のあとから登校した生徒に対しても律儀に、である。

 静まり返った教室に、なんと五回も六回も彼女の自己紹介が木霊したということだ。

 

 まったく、なんというメンタル。なんという陽キャ力。恐らくクラスの大半の人間が彼女の名前・性格・好き嫌いを把握していることだろう。

 

 それに加えて、手近だったのが俺だったというだけだとは思うが、とにかく事あるごとに俺に話しかけてくる。

 

 彼女と仲良くなれる、それ自体はもちろんありがたかった。しかし彼女と一緒に悪目立ちするというのはゴメンだ。

 

 特に今みたいな、クソ真面目を絵に描いたようなメガネくんと、傲岸不遜を絵に描いたような金髪いがぐりくんが、お互いメンチを切っているような一触即発の状況で。

 

 だから、俺はささやき声で彼女に返事する。

 

「まあ、正直ちょっとビビるよ。さっから芦戸さんのコミュ力にもビビってるから、小心者の僕は今んとこビビりっぱなし。」

「ねぇ何ー? わたしのことイジってる? 流石にあいつらほどじゃないってば。」

 

 芦戸さんに小笑いされながら肩をつつかれる。甘酸っぱい柑橘系の香りがふわりと香って、なんだか尻のあたりがきゅっとなった。そんなことおくびにも出さず俺は彼女へ向き直って続ける。

 

「それから、僕は青葉じゃなくて青山ね。」

「あちゃ、間違っちゃったか。いやーごめたん、ごめたん。」

 

 芦戸さんはピンク色の顔をくしゃりと歪ませ、左手を顔の前で縦一文字。

 

 見事なごめたんポーズだ。知らんけど。

 口元はにやりと笑っていたのが彼女らしかった。初対面だけど。

 

「机に足をかけるなッ!」

 

 そんな折、急な大声。芦戸さんは反射で身体をびくっとさせた。クラス中の意識がひとつの方向に集まったのを感じる。それはおそらく、遂に戦いの火蓋が切って落とされたということに違いなかった。そしてよくよく見てみれば、意外にも先程の大声の主はメガネくんのようだ。

 

 メガネくんは相手の正面に立って身振り手振り付けて一生懸命に何かを訴え、金髪いがぐりの方はイスにもたれて片足を机の上に放りだしたままメガネくんを下からじろりと睥睨する。ふたりはそのままヒートアップしていった。

 

 このままでは金髪いがぐりが立ち上がってフェイス・トゥ・フェイスの状態になるのも時間の問題、に見える。さすがに入学初日に暴力沙汰を起こす間抜けがいるような学校ではないと信じたいところだが……どうなることやら。

 

「なんか、金髪くんのほうスゴいこと言っちゃてない? ねぇどうする、手出たら止めに行く?」 

「ああ、手が出たらね。僕が行くよ。」

「えーっ大丈夫? ひとりじゃやられちゃうんじゃない?」

「保健室までは運んでね。」

 

 芦戸さんはため息をついた。おちゃらけているようで、意外と責任感のあるタイプのようだ。流石ヒーロー志望……と言いたいところだが。

 

「聡明ェ? クソエリートじゃねぇか。ぶっ殺しがいが有りそうだなァ?」

「なっ、ぶっ殺しがい!? 君ひどいな、本当にヒーロー志望か?」

 

 いや全くだ。メガネくんは核心をついている。ヴィランからでもなかなか聞かないような脅し文句がヒーロー科の新入生から飛び出すなんて、リアルに世も末だろう。

 

 このまま行くところまで行き着くと思われたふたり。しかしそんなふたりが急に揃ってこちらを向いて、言い争いを小休止する。

 

 いや、マジでどうした?

 

「君は……」

 

 メガネくんが肩肘張ってこちらに向かって歩いてきた。芦戸さんと野次馬していたのが気に障ったのだろうか。というか、芦戸さんの声がデカすぎたのだろうか。それならば最悪俺が一発殴られよう。そう覚悟を決めて。

 

 ……ふむ、これは。

 

 渦中のふたりの視線のみならず、教室中の視線を独り占めしていたのは、ボサボサ頭の気の弱そうな青年。仮に彼をボサボサくんとしよう。そんな彼が扉を開けたまま教室の入口で固まっていた。

 

 とんでもないタイミングで教室に入ってきてまったく災難なやつだが、こいつの何があのふたりの気を惹いたのかはわからない。ちらりと芦戸さんを見ると、彼女も思案顔だった。

 

「もしかしてだけど、あの人、プレゼントマイクの説明会でメガネくんに怒られてた人じゃない?」

 

 目の前にメガネくんが居る状況で、流石の芦戸さんもささやき声。

 

「ん……ああ、そういえばそうかも。よく覚えてるな。」

「アレ、結構かわいそうだったもん。」

 

 ならきっと、俺はそうは思わなかったんだろう。

 

「たしかに。」

 

 メガネくんはなんだか興奮気味だ。「君を見誤っていたよ。」だとか「俺はあの試験の構造に気がつけなかった。」だとか口走っている。全く話が見えない。ボサボサくんだって対応に困ってるみたいだ。……構造って何の話だ?

 

「ねぇ見て見て、金髪くんの顔。めっちゃ怒ってる。」

 

 金髪いがぐりの顔面は、それはもう大変なことになっていた。先程までの高慢さの滲んだ表情はすべて消え去って、今の彼の顔には何の感情も浮かんじゃいない。代わりにぞっとするような冷たさを纏っていた。そして据わった目でメガネくんを……いや、ボサボサくんを見ている?

 

「私、はじめは金髪くんのことヤバイな〜って思ってたけど、メガネくんも中々だよね。金髪くんに絡みにいったと思ったら、急に放り出して別な人のところ行っちゃうんだもん……ってちょっと、聞いてる?」

「……ん? ああ、もちろん。」

 

 もちろん、聞き逃した。

 

 金髪いがぐりのことに気を取られすぎたな。気づけばメガネくんとボサボサくんの方にも、今しがた登校してきたばかりであろう茶髪のショートカットの女の子が合流していた。

 

「今日って式とかガイダンスだけかな? 先生ってどんな人なんだろうねっ! 緊張するよねっ!」

 

 事情はよくわからないが、ショートカット女子は早々にボサボサくんに向かってはしゃいでいる。こいつら知り合いなのか? その割にボサボサくんは赤面しながらあらぬ方向を向いて、まるで茹でられたエビみたいになっているけど。

 

「お友達ごっこしたいなら他所へ行け……ここはヒーロー科だぞ?」

 

 それは低く、唸るような声だった。教室がピシャリと静まり返る。その声の主は廊下で黄色い寝袋に包まった、まるでミノムシのような成人男性。

 その声には、耳から入ってきて胸元につまるような、独特な圧があった。

 

「はい、静かになるのに八秒かかりました。時間は有限。君たちは合理性に欠くね。」 

 

 珍妙なミノムシ男はゼリー飲料をひと吸いに飲み干した後、極めてありきたりな「先生のお説教」を片手間に垂れながら寝袋を脱ぎ捨てた。

 

 中から出てきたのは、なるほど、ミノから飛び出てくるにふさわしい有り様、くたびれた無精髭の男。男はその首元にまるで煤けた包帯のような灰色の布を何重にも緩く巻いて、そこに長い髪の毛先を垂らしていた。

 もちろん長髪と言っても女の子のよく手入れされた長髪には程遠い。その髪は自分で整えたのか不揃いな蓬髪で、鼻にまでかかった前髪などは目元に深い影を落としている。その影の中で、鋭い三白眼が爛々と生徒たちを見据えていた。

 

「担任の相澤消太だ。よろしくね。」

 

 ……イレイザーヘッドが担任か。ハズレを引いたなこりゃ。

 

 まさかのカミングアウトに教室がどよめいている。無理もない、一歩間違えばホームレスにも見える男が、いきなり自分がこのクラスの担任だと名乗ったのだから。

 

「早速だが、これ着てグラウンドに出ろ。」

 

 そう言って相澤先生が寝袋の中から取り出したのは指定の体操服。俺も自分用のものを、洗替含めて二着用意していた。

 

 しかし、なぜ急に体操服。まさかヒーロー科は体操服でこの後の入学式に臨むのだろうか? 体育祭をするには、まだ随分寒い。

 

 まったく意味のわからない注文を生徒に叩きつけた相澤先生は、「正面玄関ではなく体育館そばの玄関からグラウンドに出るように。更衣室も体育館の脇だ。それから運動靴と靴袋忘れるなよ。」とだけ必要事項を付け加え、くるりと踵を返して去っていった。

 

「ねぇ、青山。」

 

 ざわつく教室の中、芦戸さんに肩を叩かれる。

 

「なに? 地図ならエレベーター脇にあったよ。」

「そ・う・じゃ・な・く・て……私たち『お友達ごっこ』じゃなくて、これからは友達ってことでヨロシクっ。」

 

 こいつ、そんなこと考えてたのか。

 

「芦戸でも三奈でもいいから!」

 

 感心と呆れが入り混じってぽかんとした俺の顔に、芦戸は元気いっぱいに横向きのサムズアップを突きつけていた。

 

 

 

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