グラウンドにA組生徒が集合すると、相澤先生は俺たち生徒に背を向けたままとんでもないことを宣言した。なんとA組全員で入学式をすっぽかして「個性把握テスト」なるものを実施するというのである。
「入学式は!? ガイダンスはっ!?」
「ヒーローになるなら、そんな悠長な行事、出る時間ないよー」
ざわつく生徒たちの思いを代弁し、当然の疑問を口にした茶髪の女子。しかし相澤先生はにべもなくそれを切り捨てる。
「雄英は自由な校風が売り文句。そしてそれは先生側もまた然り。」
相澤先生は振り返ってこちらを一瞥し、ポケットから取り出したスマートフォンの画面を俺達生徒に向かって突き出す。そこに表示されていたものは、箇条書きにされた見慣れた運動種目の数々。
「お前たちも中学の頃からやってるだろ? 個性使用禁止の体力テスト。……国は未だ画一的な記録をとって平均を作り続けている。合理的じゃない。まあ、文部科学省の怠慢だな。」
確かに、異形型の“個性”が多く存在する現代個性社会において「個性使用禁止」がどれほどの意味を持つのかという疑問はある。けれど、毎年平均を作ることでしか見えてこない変化が存在するのは事実だろう。
ドクターの個性特異点論だって……なんて、今はどうでもいいか。
「実技入試成績のトップは爆豪だったな。中学の時、ソフトボール投げ何メートルだった?」
「……六十七メートル。」
「じゃあ個性を使ってやってみろ。」
そう言うと相澤先生はクイッと後ろのサークルを親指でさす。爆豪くんは先生からソフトボールを受け取ると、スタスタと石灰で描かれたサークルの内側に入っていった。
「円から出なきゃ何してもいい。思いっきりな。」
……あの金髪いがぐりくん、もとい爆豪くんが実技トップというのが結構驚きだ。口だけ態度だけのヤカラではないということか。
「んじゃ、まあ……」
爆豪くんは軽くストレッチした後、ゆっくりと大きく振りかぶる。そして軸をしっかりと保った状態で左足を丹田へと引き付けた。
投球準備、完了。
一瞬、グラウンド全体が凪いだ。その静寂は彼の心臓の鼓動がここまで聞こえてきそうなほど。
――急転直下、大きな踏み出し。
後ろ足、とりわけ股関節の強力な伸展は爆発的なエネルギーを生み、がっしりと地面に生えた前足がそれを逃さない。
彼の胴体と右腕は弓のようにしなり、そこを下半身が生み出したエネルギーが伝っていった。まず体幹、次いで肩、そして右腕。
各関節の可動域を存分に使った柔らかで美しい投球フォーム。
やがて終点、右手に握られたソフトボール。
ムチのようにブレる彼の右手。
指先のV字形に全身が集約されて。
百分の一秒の完璧なタイミング。
来たる、リリースの瞬間。
「死ねェ゛ッ!!!」
――まず、閃光だった。
彼の右手がカッと光った。
一瞬、世界が白黒になったような錯覚。
それ程の光量が彼の右手に閃いた。
次の瞬間――大爆発。
コンマ数秒遅れで落雷の如き轟音が俺の腹の底を震わせ、橙色の爆炎が爆豪くんの足元の砂を炙りながら巻き上げた。
あんなに離れているのに、俺の鼻頭を熱気が撫でる。これほどなら、彼の“個性”はヘタな火薬の威力を優に上回っているだろう。実技トップも納得の薄ら寒いほどの火力である。
しかも、真に驚くべきは“個性”の強力さではない。恐らく彼のこれまでの人生で「“個性”を使ってボールを遠くに投げろ」なんて注文はなかったはず。それなのに、彼は一発でクリティカルヒットを叩き出した。
つまりそれは、彼が身体感覚に非凡な器量を持っていて、しかも“個性”を真に身体の延長として遜色無く扱っているということの、何よりの証拠であった。
あいつは本物だ。
そして、肝心のソフトボールはというと――既に彼方上空。
三段ロケットよろしくすっ飛んでいったソフトボール。その通り道には白煙が残されているが、ボールそれ自体はもはや肉眼では観測不可。何となく地平線の向こうにまで飛んでいったんだろうなと思うしかない状況だった。
……というか、よくあの爆発で消し炭にならなかったな。
「まず自分の最大限を知る。それがヒーローの素地を形成するための合理的手段。」
そう言った相澤先生のスマホには「705.2m」と表示されていた。
とんでもない大記録にどっと湧くA組生徒たち。
「なにこれっ、おもしろそう!!」
興奮した様子の芦戸が喧騒紛れにそう口走る。口走ってしまった。
「――おもしろそう、か。」
弛緩した空気が、相澤先生の一言でぴりりと張り詰める。
……芦戸、お前が踏んだぞこれ。
「ヒーローになるための三年間、そんな腹積もりで過ごす気でいるのかい?」
横目で芦戸を見れば彼女はえらく申し訳無さそうで、「やっちまった」って顔をして固まっている。
「よぉし……八種目トータル成績最下位の者は見込みなしと判断し、除籍処分としよう。」
相澤先生はニヤリと悪戯に笑う。まさかの初日から除籍処分。A組の面々は阿鼻叫喚であった。
これ、身体能力に寄与しない“個性”の生徒は一体どうするんだ? 例えば俺とか。
そういう“個性”が使い物にならない連中だけで最下位争いをして、結果は一名除籍。例えば透明人間のあのコとかは相当苦労しそうだ。
……なんだか、めっちゃ不毛に思えるのだが。
そんな風に考えていると、芦戸がこちらを見ていることに気が付く。
こころなしか縮こまって震えているようにも見える彼女は、米国某ヒーローの必殺技「ピープルズ・アイブロー」ばりに片眉を釣り上げながら大きな両目を細めて、まるで胃袋の裏をムカデが這いずっているかのようなムズかゆい表情でこちらに助けを求めてきた。
彼女の口が音もなく「ど・う・し・よ・う」と打電する。
…………。
「ど・ん・ま・い」。
*
ガチン、ガチン。
踵でスタブロを蹴りつける。しっかりと固定されていることを確認してから、俺はクラウチングの体勢に移った。
「ねえ、青山。あんた大丈夫なの? さっき聞いた“個性”じゃ――」
「まぁ僕は大丈夫だよ。運動得意だし。」
隣の芦戸の心配をよそに、俺はクラウチングに違和感がないかを確かめていく。……これなら大丈夫そうだ。
確かに前の組で走ったメガネくんの人間離れした快速ぶりを見れば、芦戸の心配は尤もだったが、個人的にはあまり気にしていない。
ぶっちゃけ、フィジカルには自信があった。
「はあ、ホントに誰か除籍になっちゃたらどうしよう。私が余計なこと言ったせいで……」
「流石に本気で最下位を除籍するのはない。だって、僕が知る限り相澤先生の“個性”じゃ、もしこの体力テストに先生が生徒として参加してるとして、先生も最下位争いだよ。仮に体力テストの結果だけでヒーローになれるかどうかの見込みが判断できるなら、入試は何だったのさ」
「うぅー、だと良いんだけど。……もう、切り替えてやるしかないよね。」
そうこうしているうち、ふたりとも準備が整った。
「芦戸、準備できた?」
「うん、バッチリ。」
「先生! 準備オッケーっす!」
俺は遠くにいる先生に準備完了を知らせ、スタブロの前でスタートの合図を待つ。雄英高校の五十メートル走は中々ハイテクで、なんとロボットがスターターと計測をやってくれるというから驚きだ。
「イチニツイテ!」
ロボット君の“On Your Mark”の号令で、俺は軽くジャンプして体をほぐしてからスタブロへ入る。
両足をブロックに置いて、短く息を吐き、神経を研ぎ澄ます。
今回は除籍で脅されてる。テキトーにやるのは明らかに不自然。プロヒーローの慧眼でジックリ観察されて、それを誤魔化す自信もない。だから、それなりに本気を出さざるを得ない。
けれど緊張はしていない。というより、正確には俺は緊張で固くなるタイプではない。
「ヨーイ!」
むしろ、スタート前のこの緊張感は大好物だ。
俺はヨーイの合図で腰を上げ、地面に突き立てた両腕と肩に体重を預けて、今か今かとスタートを待つ。
こうする間にも、ああ、脳内にブワッと興奮物質が放出されるこの感覚。体温が上がり、身体が戦いの準備を始めたのが手に取るように分かった。
そして無限にも思える静寂の後、遂にその瞬間がやってくる。
――Bang!!
「ッシィ!!」
全身でスタブロを押す。
上半身は可能な限り大きく、まるで飛び立つ白鳥のように。あるいは大空を舞う羽の生えた少女のように。
一方で下半身。一歩目は可能な限りコンパクトに、地面に爪先を擦り付けながら踏み出す。
そのまま駆け上がるようなリズムで二歩目、三歩目。
姿勢を保ったまま足で地面をプッシュし続ける。
――十メートル地点。
まだ地面を真正面に見て、低い前傾姿勢は崩さない。
他人より長い両腕を小さく折りたたんで、急速に回転数を上げる下半身に遅れないよう素早く振った。
無駄な力みはいらない。弛緩と緊張を交互に繰り返す。
柔らかく連動する上半身と下半身は、まるでネコ科動物。
もちろん、インパクトの瞬間、足首と体幹は鉄。地面からの反発を全て拾っていく。
――二十メートル地点。
徐々に前傾を解いて重心を高くする。
右膝を限界まで高くあげ、そのまま重心の真下に振り下ろす。
振り下ろした足裏の全面で地面を掴むその瞬間、ハムストリングスと大殿筋を全力で収縮させる。
同時にぐいと後ろから引き寄せた逆側の脚。そのまま今度は左膝を再び高くあげる。
そして今度はその左足をまっすぐ真下に振り下ろす。
走るという行為は、ひたすらこの繰り返し。この繰り返しによって、俺の身体は一歩ずつ加速していく。
――三十メートル地点。
イメージはジェット戦闘機。滑走路を限界まで使って加速し、いざ大空へと離陸する飛翔体。
身体がスピードに乗っている。まるでハイスピードのランニングマシンの上で走っているような感覚すら覚えた。
完全に前傾姿勢を終わらせて顔を上げれば、正面にはゴールライン。
想定した最高速には殆ど到達している。
そして右横には――ピンク色の影。
……こいつ、ついて来てやがるッ。
――四十メートル地点。
がむしゃらに手足を回せ。芦戸より一マイクロメートルでも前へ、先へ。
俺が出て、芦戸が出て、俺が出て。
視界が白むのは無呼吸運動のせいか。
さながら天皇賞の最終直線、差し合う二頭の名馬。
自然と歯がむき出しになる。俺は、奥歯が割れそうなほど食いしばっている。
力みすぎて足が後ろへ流れているのがなんとなく分かった。
でも、そんなの関係なかった。
――五十メートル地点。トルソーを突き出す。
「五秒四八ッ!!」
紙一重で前を行ったのは、芦戸だった。
俺は勢い余って顔からスッ転ぶ。
「はぁ~勝ったぁ! って、青山!?」
「ちっ、くしょうっ。」
なんとか受け身を取るが、全身砂まみれになってしまった。それに左手の皮を擦りむいたみたいだ、手のひらには血が滲んでいた。くそ、踏んだり蹴ったりじゃねぇか。
そんな俺を見て、息を整えながら歩み寄ってくる芦戸。
「私、異形型も混ざってるってのに。“個性”なしで付いてくるなんて、あんた人間?」
「ハァハァ……いってぇ。なあ芦戸、慰めならいらないぞ。」
俺は空を見上げる。
「そんなんじゃないって。――いい勝負だったね。」
芦戸は「ほーらっ」なんて言いながらこちらへ手をやる。
俺はその差し出された華奢な手にハイタッチして、その手を借りて起き上がった。彼女の手はタコひとつ無い、柔らかな手だった。
「ありがと。」
「いいよー別に。……私、途中からムキになっちゃった。あんた速いんだもん。」
「僕も。あーあ、ぶっちぎるつもりだったのにな。」
話しながら芦戸は先に走ったメガネくんとカエルちゃんの方へ歩き出す。俺は全身の砂埃を払いながら彼女の少し後ろを歩いた。
「ねぇ、もしかして、スタブロでそうやって考えてたりしてた?」
「うん。」
そんな事考えつつ、結局は負けてしまったわけだが。ちょっと情けないけれど、俺は正直に答える。
すると、芦戸はなぜか満面の笑み。
「にひひっ、私も!」