俺の第二から第五種目の計測はつつがなく終了した。例によって、どれも青山翠の“個性”ではどうにもならない種目だったので、素の人間としてはそれなりにハイスペックな身体能力を披露してそれでおしまい。特筆すべきことが有るとすれば、立ち幅跳びで芦戸にリベンジできて嬉しかったということくらいだろう。
記録はそれぞれ握力五十一キログラム、立ち幅跳び三メートル十三センチ、反復横跳び五十九回、ボール投げ七十メートル。
握力と反復横跳びで若干取りこぼした得点を、得意な立ち幅跳びの十五点でカバーすることができた。そこに最初の五十メートル走の得点を合わせれば……個人的にはなかなか順調だと思う。
そして、ここまでで最下位争いの明暗がかなりハッキリしてきた。思った通り、このクラスには五、六名ほどこの体力テストには明らかに向かない“個性”の生徒が居る。その面々の顔には概して焦りや必死さが滲んでいたが、とくに思い詰めた様子なのは例のボサボサ頭くんである。
ちょうど今彼がボール投げのサークルに入って行くところだが、彼は歩きながら握ったボールをじっと見つめている。恐らくはこれからどうするか頭をフル回転させて考えているのだろう。
緑谷あるいはデクと呼ばれている彼はこれまでめぼしい記録は残せていない。いやそれどころか、彼の記録は「それなりに運動神経のいい男子高校生」程度のものであった。
彼以外の最下位争い組が、さすが雄英高校ヒーロー科というべきか「めっちゃ運動神経のいい男子・女子高校生」程度の記録、具体的に言えばアベレージ九から十点前後を残していることを考えると、確かに彼の思い詰めた表情にも頷ける。
つまり緑谷くんはこの個性把握テストにおいて「“個性”を封じられた上に素の運動能力もいまひとつ」なのだ。
加えて、緑谷くんと同様に「“個性”を封じられた上に素の運動能力もいまひとつ」だと思われた峰田という小柄な生徒が居たが、その彼もつい先程反復横跳びで大記録を打ち立てた。
このテストでは“個性”を使って大記録を出せば青天井でポイントが加算されるので、この差はかなり大きい。結果、緑谷くんはますます追い詰められている。
「緑谷くんはこのままだとマズイぞ……」
「ぁあ? ッたりめーだ。無個性のザコだぞ?」
「無個性? 彼が入試時に何をなしたか知らんのか!?」
緑谷くんを気にかけている様子のメガネくんもとい飯田くんと、そんな飯田くんに「緑谷は無個性だ」と信じられないことを言ってのける爆豪くん。
……いまいち彼ら周りの人間関係がよくわからない。
まぁそれはともかく、無個性だなんてあり得るのか? この雄英高校ヒーロー科で? 飯田くんの口ぶりだと緑谷くんには確かに何かしらの“個性”が備わっているようだが、一方で実技1位の男が何の根拠もなく「無個性のザコ」なんて断言するとも思えなかった。
そんな疑問を他所に、緑谷くんは投球準備を完了したようだった。
彼は少しやぶれかぶれといった感じでボールを振りかぶり――普通に投げる。
「四十六メートルッ!」
無慈悲に宣言するロボット。……肩弱いな、緑谷くん。
個人的には同じ緑髪仲間として頑張ってもらいたい所だが。
――いや待て、あれは。
投球後、こちらを向いて愕然としている緑谷くん。そして、髪と首に巻いていた布をフワフワと浮かせている相澤先生。あの様子は間違いなく……
「“個性”、使ってるな。」
「それって青山がさっき言ってた『“個性”を消す“個性”』ってやつ?」
「ああ。ヒーロー名イレイザーヘッド、世間からの認知度は低い所謂アングラ系ヒーローだけど、そのスジの人間には有名なヒーローだよ。イレイザーが居たらすぐ逃げろってね。」
俺と芦戸の会話を聞いたA組の面々は口々に話し始める。どうやら殆どの人がイレイザーヘッドのことを知らないらしい。彼のことを知っていたのはカエル女子くらいなものだった。
そんな低い知名度とは裏腹に、イレイザーヘッドこと相澤先生の実力は確かなものだ。特に彼の“個性”はヤバい。彼に“個性”を消されてしまえばどんな武闘派ヴィランだろうと、お巡りさんの拳銃一丁で簡単に制圧されてしまうのだから。
その対処不可能具合は、数多いるこの国のプロヒーローの中でもオールマイトに次ぐだろう。もしイレイザーヘッドが誰か他のヒーローとチームアップでもしていたなら、それはヴィランからしたら悪夢以外の何物でもない。
――雄英潜入にあたって、オールマイトの次に警戒していたのがイレイザーヘッドだった。
「でも、なんで今このタイミングで相澤先生は“個性”を使っているのかしら?」
疑問を口にするのはカエル女子の蛙吹さん。
「……きっと緑谷くんの“個性”だ。彼の“個性”が問題なんだ。」
その疑問に答えたのは飯田くんだった。
「俺は見たんだ。実技試験で彼がとんでもない威力の強化系“個性”を発動した後、彼自身の身体を大きく傷つけてしまっていたところを。……先生はそのことで何か緑谷くんに思うところがあるのではないかと俺は思う。」
なるほど、話が読めた。
相澤先生は緑谷くんと何やら話し込んでいる。あの様子を見ても、恐らく飯田くんの推測は当たっているハズだ。相澤先生はプロヒーローのシビアな観点で、緑谷くんの将来性に疑問を抱いているに違いない。
使うたびに大怪我する“個性”でヒーローをやるなんて、いくら一撃の威力に秀でようともそんなのは遠回りな自殺だ。確実に長続きしない。
加えて渾身の一撃をやり過ごされた場合、緑谷くんは大怪我した状態で凶悪ヴィランの前に放り出される。それは「さあコイツから狙ってください、殺してください。」とヴィランに言っているようなもの。
そんな手負いの状態の緑谷くんはチーム全体のパフォーマンスを下げるだろう。シビアな現場になればなるほど、緑谷くんの“個性”は彼自身にも彼の周りにも危険をもたらす。
厳しい現実を知る相澤先生、彼が教育者として緑谷くんのことをそのままにしておけないという気持ちは十分理解できた。
相澤先生が身を翻してこちらに帰ってくる。その顔は固い。
相澤先生が緑谷くんに厳しいことを言っていたのか、はたまた激しく発破をかけていたのかはわからない。しかし相澤先生と別れ、再びサークルへ戻る緑谷くんはこれまで以上に追い詰められているように見えた。
緑谷くんはサークルの内側でしばらくじっと何かを考え、やがて意を決したようにキッと前を向く。表情はハッキリとは伺えない。けど、彼は今男の顔をしているに違いない。なんてったって背水の陣。きっと、緑谷くんはこの投球で“個性”を使う。感覚で伝わるものがそこにはあった。
緑谷くんが大きく振りかぶる。それだけでわかる、彼のぶきっちょな運動神経。
そして繰り出される、上半身だけを使った、固い投球動作。
爆豪くんの美しい投球動作とは対照的な、ひたすらにがむしゃらなだけのそれが。
――俺の身体に鳥肌を立たせたのは何故だろう。
緑谷くんの指先がボールに最後の一押しをする、まさにその瞬間。
ヒーロー志望は、張り裂けんばかりに憧れを叫んだ。
「スマァ――――ッシュ!!!!」
それは圧倒的なパワー。
そうとしか言い表せない、単純でシンプルな“個性”。
風圧だけでサークル付近の砂が巻き上がり、ボールは一瞬で肉眼で見えなくなる。
数秒の静寂の後、やがて計測ロボットが記録を読み上げた。
「七百五・三メートルッ!」
その大記録に、沸き立つクラス。
「先生、まだ、動けますッ……!」
緑谷くんは痛みを噛み殺しながら、相澤先生へ向かって右手を突き出す。その突き出した右手は何かを証明しているかのようで、よくよく見れば人差し指だけがどす黒く腫れ上がっている。
……人差し指だけで、あの威力? 人差し指の小さな小さな筋肉だけで、あの爆豪くんの記録を超えた?
それは、あまりに規格外な強化率。おそらく彼が全身で“個性”を振るえば、高層ビルだって殴り倒してしまうだろう。それに加えてこの土壇場での機転。自分の指を躊躇せず使い潰す狂いっぷり。彼は目的のためなら全てを度外視できる稀有な人間。
――彼がヴィランと対峙したとして、その「残弾」はいくつだ? 指が十本有るから少なくとも十発。それを撃ち切れば、彼はすぐさま他の身体で「残弾」にできそうなところを探すだろう。全身がズタズタになって動けなくなるまで、愚直なまでに。
認めざるを得ない。彼もまた本物だ。
彼は少なくとも磨けば何者かになれる原石。その成れの果てが正義に狂った自殺志願者か、はたまたスーパーヒーローかはわからない。が、ここで潰れるにはあまりに惜しい存在であることは確か。
おそらく考えることは相澤先生も同じであろう。
「……ォ言うことだ、」
突如、爆竹のような爆発音が鳴り響く。緑谷くんへ三者三様の言葉を投げかけていたクラスの面々は、突然の事態に一様に凍りついた。そこから低姿勢で勢いよく飛び出したのは、――爆豪くん。
「コラァッ!! ワケを言え、デクてめェッ!!」
爆豪くんが勢い良く緑谷くんへ飛びかかろうとしたその瞬間、灰色の布が彼をがんじがらめにして停止させる。
お見事。
「んだ、この布……かてえッ。」
「炭素繊維に特殊合金を編み込んだ捕縛武器だ。……ったく、何度も何度も“個性”使わせるなよ……」
心の底から苛ついた声色で相澤先生は続ける。
「俺はドライアイなんだ!」
……ちょっと笑ってしまいそうになったのは俺だけか?
相澤先生のファインプレーによって、緊迫した空気は一気に離散し、何人かの生徒はホッと息をついて胸をなでおろしているようだった。
「時間がもったいない。つぎ準備しろ……」
*
第六、第七種目である上体起こしと長座体前屈のために一旦体育館へ入った俺達A組は、体育館にマットと前屈の測定器を並べて測定の準備をしている。
「はぁ、爪はがれそう。もうイヤー!」
「これでラストだって、ほらっ、もうひと頑張り。」
俺と芦戸はマットを運んでいた。図体のでかい俺が力仕事を買って出て、退屈した芦戸がそれに付いてきたという寸法である。俺は左手に丸めた二つ折りのマットを一枚抱え、右手では芦戸が両手で運ぶマットの助太刀をしている。雄英のマットはフチに取っ手の付いていないタイプで、しかも柔らかめ。そのせいで、芦戸がぶーたれるのも無理はないという程度には持ちにくかった。
「よいっ、しょ! ふー終わったぁ!」
うがー! と両手を挙げて伸びをする芦戸。
「よー、お疲れおふたりさん!」
そこに話しかけてきた筋骨隆々の巨漢、名前は確か……。
「砂藤くん? だよね」
「ああ、砂藤でいいぞ。青山と、芦戸だよな。よろしく!」
「ヨロー!」
そう言って二カッと白い歯を見せる砂藤。なんだかいい奴そうだ。
「それでな、実は青山に用があってさ。」
「えー、じゃあお邪魔虫?」
「いや全然そんなことはねぇよ。すぐ終わらせる。――初対面でこんなコト聞くのはアレなんだけどよ、青山って体重どのくらいだ?」
ああ、なるほど。
「大体、九十五くらいかな。」
「おーっ、完璧だ! 俺もそんくらいなんだけど、もしよかったら……」
「上体起こしのペアでしょ? もちろん良いよ。というかこっちからお願いしたいくらいだよ。」
ガッシリとした体つきから見ても、砂藤はかなり鍛え込んでいる。当然上体起こしには自信があるだろうが、彼や俺ほどの体重のやつが全力で腹筋運動をするためには、当然それ相応の重しが必要だった。
「って、結局仲間ハズレじゃん!」
「しょーがないだろ? 体重が近いやつで組んだほうが良いんだからさ。」
「うぅ、女の子に体重ききづらい……」
わかりやすくしょげる芦戸。
「まー、友達作るチャンスだって。それに芦戸は“個性”のおかげで普通の女子より力強いんだから、体重聞かなくてもなんとかなるよ。八百万さんとかどうさ?」
「あのスタイルいいコ? ……確かにクラスの女子であのコだけ背おっきいかも。」
「登校中に軽く話したけど良い人そうだったよ。」
「ほんと! じゃあ話しかけてみよーっと。」
芦戸は「またねー!」なんていいながら走って行った。
「なんか、いっちまったな。」
「元気なやつだよ、ホント。」
さっそく八百万さんに話しかけた芦戸。その勢いに驚く八百万さん。
ふたりで少し話込んだと思えば、芦戸は早くもニコニコで八百万さんの両手を握っていた。
*
西日が照らすグラウンド。個性把握テストの全種目は無事終了し、俺達A組生徒は相澤先生の前に集まって結果発表を待っていた。
俺個人としては上体起こし、長座体前屈でどちらもかなり良い結果を残すことができた。しかしラストの持久走では少々情けないことになってしまったのが悔やまれる。
俺は昔から有酸素運動は苦手な方ではあったが、最終ラップの途中で軽い貧血あるいは酸欠を起こしてしまい結果はレース最下位。前半調子に乗って飛ばしすぎたのがマズかったのだろう。フラフラになってのゴールだった。
先にゴールしてその様子を見ていた砂藤からは「気にすんなよ。きっと、おまえめちゃくちゃ背高いから、頭に血が巡りにくいんだ。仕方ないぜ。」と慰められてしまった。しかもどこから取り出したのか、ぶどう味の飴玉までくれた。優しさが染みるぜ。
「じゃあ、パパっと結果発表。トータルは単純に各種目の得点を合計した数だ。口頭で説明するのは時間の無駄なんで、一括開示する。」
相澤先生がそう言うと、空中に順位表がホログラム投影される。俺の順位は、「14位 青山翠」。まぁ健闘したといっていいだろう。“個性”を活かせなかった組ではかなり上位でのフィニッシュだった。
そして肝心の最下位は緑谷くん。残念だがボール投げ以降の種目では痛みが足を引っ張ったようだ。まあ俺は持久走で、そんな緑谷くんの後塵を拝する羽目になったのだが。
「ちなみに除籍はウソな。……君等の個性を最大限引き出す合理的虚偽。」
さらりとなされた衝撃のカミングアウト。
A組のみんなはその殆どが「えぇ――!!」と異口同音に驚いている。緑谷くんなんかは安堵のあまり言葉も出ないようで、口を開けたまま茫然自失といった感じだ。
しかし中には初めから除籍処分が無いと踏んでいた生徒も居たようで、八百万さんは「少し考えればわかりますわ……」と呆れ顔だった。
俺も、流石にこの不公平なテストで最下位を除籍することは無いだろうと思っていた。
……が、しかし同時に、俺にはある予感があった。緑谷くんがボール投げで自らの可能性を証明出来ていなければ、あるいは彼はこのテストの順位に関わらず、遅かれ早かれ除籍処分になっていたかもしれないという予感である。少し前までの相澤先生の眼光には、それだけ凄味があった。
「これにて終わりだ。教室にカリキュラムなどの書類があるから、帰ったら目通しておけ。」
相澤先生はそう言うと、緑谷に保健室に行くよう言い付けてからグラウンドを後にした。
「いっやあ〜、疲れちまったな。」
「確かに、初日からちょっとハードだったね。」
砂藤は目一杯に伸びをしながらそう言った。俺は上体起こしでペアになってからというもの、ずっと彼と一緒に個性把握テストに臨んでいた。
「そういえばよ、芦戸のやつ結局あのあと女子連中とつるんじまったよな。……もしかして、俺こそお邪魔虫だったか?」
「いや全然。芦戸も砂藤も、僕にとってはついさっき仲良くなった新しい友達だよ。お邪魔虫なんてないさ。それに芦戸だって、女の子の友達がたくさん増えたほうが楽しいだろうし。」
「そっか。そりゃあ安心したぜ。……実は俺も話す相手居なくてさ、困ってたんだよ。だから、なんつーか、良ければこれからもよろしくな、青山。」
どうも、砂藤は気遣いしいな性格らしい。人を見かけによらないを地で行くタイプの男だった。
「こちらこそ。」
そう言って俺たちはこつんとグータッチし、横並びで校舎へ歩き始めた。見れば、クラスの中には徐々に俺達以外にも人間関係が芽吹き始めている様子。
歩きながら砂藤と他愛も無い会話に興じる一方で、俺の関心事はひとつ。
――イレイザーヘッドの捕縛武器って、何℃で燃えるのかな?