僕らは人外に愛されてる 作:八潮汐
学校から帰宅して家の玄関扉を開くと、なんとそこは山の頂上でした。
…ええ、もう驚きませんとも。
初めての頃は絶叫の一つや二つ、喉から搾り出しただろうが、今となっては慣れきった光景。
僕は溜め息を吐いて、犯人の名前を呼んだ。
もうすっかり慣れ親しんだ方の名を。
「───████さーん、ただいま帰りましたー。僕の家の座標返してくださーい」
さーい、さーい、さーい…と僕の声が木霊する。
返事はない、出かけているのだろうか?
僕は一度礼をしてから、玄関から山の頂上へ。字面からしてもうわけわかんない移動だが、事実玄関の向こう側が山の頂上なのだから仕方ない。
学生服一枚では中々見に応える寒さ。
くしゃみを風情なくぶっ放しながら、足を進める。謎の山に対して、すっかり土地勘が根付いてしまった僕は、この奥地にある社を目指していた。
…████さんの自宅にあたる建築物だ。
「…何で学校から帰ったら山頂にいるんだ僕は」
玄関の先に山頂が広がっていたからです。
何言ってんだ僕、頭おかしくなったのか?
けど残念なことに、僕こと
ぱきり、と枯れ枝を踏む音。
同時に、寒風が吹き僕のマフラーが揺れる。
夕日は周囲をオレンジに染め上げ、雲と緑を照らす。
極めて目に優しい、雄大な自然の一枚絵。
その最奥に、悠然と佇む一軒の社。
例えここに人がいようと無かろうと、その偉大さと神秘が損なわれる事は絶対にないだろう。
しかし荘厳なそれは、彼女自身が趣味で作り上げた夢幻に過ぎない。鮮やかな丹色も、緻密極まる組み木や装飾も、気分次第で容易く出来上がっては消えるもの。
二礼二拍手、そして一礼。
…日本の礼儀だが、これが適切かは疑わしい。
まぁここは日本なのでここなりの礼儀で最大の敬意を払おう。
だが、それとこれとは話が別だ!
「████さぁーん! 僕の家返してくれません!?」
どうせ社の奥で酒でもかっくらってるんだろう。
そう思っていると、社の奥から青色の盃がフリスビーさながらに回転し、僕の額をめがけて飛んできた。
咄嗟にそれをキャッチして事なきを得る。
危ねぇ、ただでさえ空っぽな頭がカチ割れたら取り返しがつかねぇぞ低い自己評価は頂けないな。
カロン、と澄んだ音が一度だけ響いた。
空気が変わったと素人でもわかる。澄んだ濃密な空気、なんて言葉が思い浮かぶくらいには変化が及んでいる。
奥に繋がる襖が開いて、████さん藍星と呼ぶように、これで三度目だ。
…うん?
相変わらず綺麗な方だと思う。
青空色の長い髪、その髪の中で流れ揺れる白雲のような色と形。肌は雪のように白く、目は深海を思わせる藍。
凛々しくもどこか柔らかな面立ちで、ただならぬ者の風格というやつをひしひしと感じる…。
ショートパンツとシャツ、その上に和服を羽織るなんていう妙ちきりんな格好をしていなければ。
君は敬意と失礼が並行しているな。
「おかえり。
耳を溶かすように、ゆったりとした穏やかな声。左手には龍紋の入った瓢箪酒器。右手には青色の煙管。わずかな紫煙を燻らせて、ご機嫌そうに目を細めるその姿に、見惚れなかったと言えば嘘になるだろう。
…それはそれとして。その姿に対し、このウワバミめと思う気持ちはあり、僕は不満を口にする。
「おかえりじゃないんですよ! ただいま! 勝手に人の家の玄関と霊峰の頂上繋げないでください!! これもう三度目ですよ!?」
「二度あることは三度ある、そう言うだろう?」
「三度も起こすなってんですよえー!?」
青色の盃を握りしめたまま叫ぶ。
けど藍星さんは楽しげにカラカラと笑ったままだ。
彼女はちょいちょいと、坂瓢箪を持つ指を動かし、僕に社の奥まで来いと暗に言う。
それに従って、社の奥まで足を運ぶ。奥間に通ずる廊下を渡る道すがら、彼女はゆるゆるとした声色で話しだした。
だいぶ出来上がってる。声が間延びしてる。
「久しぶりに顔を見たくなってなぁ。
けど此処から君の家まで
だから、君の方から来て貰うことにした」
だからって人ん家の玄関扉をワープゲートみたいにしないでくれませんかね。盃を握ったまま、ため息を吐く。
「おや、気に入らなかったか?」
「言われれば何時だって来ますよ! わざわざわこんな神隠しめいたことしなくて良いんですって!! そりゃ少しは待たせるかもしれませんけど…でも、ちゃんと行きますからね僕は!?」
そうこうしていると、すっかり社の奥についた。
相変わらずの殺風景。居住の為の道具が幾つか。
瘤木の座卓に、座布団数枚。天井には二、三個程吊された酒瓢箪。壁には青白く光る銅剣と鞘があった。
藍星さんは、そのまま座布団に座る。
「…誑しめ」
「…? 今なんか言いました?」
何も、と言う藍星さんは煙管の煙を吐く。
紫煙からは、白檀の香りがする。水を得た魚のように、大気を泳ぐ白い靄は僕の周りを取り巻いた。
同時に、ざらざらとした見えない何かが僕の体に巻きついた…巻きついた? え、動けなくないこれ? あれやだ本当に動けない、力込めても微動だにしない。
何これ、馬鹿でかい蛇のとぐろ?
「あの、藍星さん?」
「んー?」
僕の体が、藍星さんの隣まで引きずられていく。
かん、と煙草盆に煙管を叩く音がする。
煙管はそのままころり、と盆に置かれ、空いた手は僕の頬に当てられた。
冷たい、氷のような温度。それこそ、この方が人間ではないことの証明だ。底冷えする、とはこの感覚のことなのだろう
けれど、不思議と心地よい冷たさだった。
「あんまり不用意な発言はしない方がいい。西洋のお話にもあるだろう? 竜は宝を隠してしまうと。今ならその竜の気持ちが少しわかる、このままだと帰すことが難しくなりそうだ」
藍星さんの顔が、間近に迫る。
目尻を下げて微笑みながら、人には理解できないような何かが込もった眼差しでこちらを見つめる彼女の瞳には、僕の姿が映っていた。
いや、僕しか写っていなかった。
吸い込まれてしまいそうだ、とぼんやりと思ったし、事実その目を見てから体が動かない。
唇は普通に動くので抗議する。
ぶすくれた目もセットだ。
「結構理不尽では?」
何気ない発言すら引き金ってニトログリセリンかよ。
そんなことを思っていると、彼女は少しだけ残念そうな顔をして僕の首筋を撫でる。
「神とは理不尽なものだよ。だから今日はこのまま、黙ってわたしを受け入れるように」
「その前に家戻してもらえます?」
「風情のかけらもないな君は」
「死活問題なんですよこっちからしたら」
そんな僕の返答に彼女はため息を吐く。その所作すら艶やかだ。そう思うなら少しは空気を読むように。
この方は本当に奔放だ。吐かれた紫煙を体に浴びながら、心からそう思う。順応するのもどうかと思うがな。
「…分かった。今日は我慢しておいてやろう。君の家を返す、君もそこに返す。ただ、今日一日分の時間は支払ってもらおう」
「わぁいとてもマッチポンプ」
「物怖じとは程遠い心を持っているなぁ」
貴女みたいな方と接してれば心臓にも毛が生えますよ。なんて、内心毒を吐きながら脱力する。あとはもう、いつも通りだ。食事に付き合うなり、些細な事を話すなり。
一日、だなんて言っても言葉だけだ。
飽きたらさっさと家に帰されるだろう。
ただ、物好きな方だと思う。自分の何をそんなに気に入ったのか、甚だ疑問なのだ。
別に神職向きの性格でもないのに。
───…。
とは言え、体を縛られたままなのは、あんまり好きじゃない。どう抗議したものかなぁ。
僕は体をうぞうぞと動かしつつ、ため息を吐く。
「ご両親に連絡したいのか?
それなら、ほんの少しだけ拘束を解こう」
「いや、大丈夫です。多分仕事で遅いので」
「…そうかい?」
「そうです」
まぁいっか、神様?に縛られるのも悪くない。
御利益があるだろう、多分ね。
…でも、そうか、ご利益か。
「そう言えば、前から思ってたんですけど…。
藍星さんって、何の神様なんですか?」
僕から見た彼女というのは、大抵お酒を飲んでいるか、酒瓶・酒瓢箪を抱きしめて寝ているかだ。酒の神様だったりするのだろうか。それにしたって社が山奥にあるが。
そんな些細な疑問だった。
けれど藍星さんは、深海のような目を開く。
蛇のような、山羊のような目。
でも動物のような光ではなくて、どこか虫の複眼のような無機質さが垣間見えた気がした。
「…知りたいか?」
「まぁ、そうですね。興味はあります」
初めて会った時から、そこだけは分からなかった。
思えば出会いの時も謎だ。過去、急な雨で森に逃げ込んだあの日。奥深くに鎮座していた社の中で雨を凌いでいた時、転んで一本の破魔矢を折ってしまった。
その矢を閂にしていた箱から出た、青い塊。
使い古した絵の具のようなそれを、何かと思って雨で洗い流し終えた時、彼女は現れた。
「………ただ教えるのもつまらんなぁ」
分かってはいたけど、素直に教えてはくれない。
彼女は意地の悪い微笑みを見せながら、僕の顎をつつ、と優しく撫でてから唇に指を置く。
そして、親指と人差し指を入れた。
驚く僕を無視して、舌を探すように弄る。
「んぐっ!?む、ぁ、っ」
「おお、やっと驚いた。うんうん、最近、君の中で私への印象が『酒飲み』で終わっている気がしてならなくてなぁ」
「ぅ、く、ぇあ」
「まぁこのまま弄るのも良いがぁ…」
ぬるり、と滑らかに指が抜けた。
…まだ口の中がぞわぞわする。なんてことをしやがるんだこの方は。抗議の一つでも上げたいが、腰が抜けて何も出来ないし、言えない。
すっかり砕けた僕を、青い目が見る。
そして見えるように、僕の唾液で濡れた指を見せ、彼女はそれを自らの真っ青な舌で舐めた。
ぬろぉ、と青く細長い舌が指を這う。
何処から淫靡で、退廃的な絵面。
それを作り上げた彼女は、笑って僕に囁く。
「ヒントはあげたよ。正解は君の手と足で探すと良い。期限は私の気分次第。正解の報酬は…そうだな、君の好きなことをやってあげよう。何でもね?」
…少なくとも、僕はこの瞬間、彼女の『変な遊び』に巻き込まれたことを悟った。
そして同時に、毎度揶揄われる僕も僕だと。
実は割と真剣だと知ったらどうするのかな。