僕らは人外に愛されてる   作:八潮汐

3 / 3
三献目:集い始め

 

 早朝、五時半に目を覚ます。

 のそりとベッドから体を起こした。僕こと轡木正文の日常は、大抵この時間から始まる。

 手早く着替えを済ませ、制服を羽織る。

 

「っと、寝癖直さないと」

 

 栗色のくしゃっとした自分の髪。軽く櫛を通して直す…少しだらしないだろうか?

 まぁ、いっか。誰も気にしないだろうし。

 そう思いつつ、空色のマフラーを巻く。だいぶ使い古しているが、こればかりは変えられない。また補修し直しておこう。綺麗なままにはしておきたいし。

 

「…そう言えば、藍星さん…もう帰ったのかな?」

 

 布団と辺りを見渡しても、誰もいない。

 あの人(神様)ったらいつの間に帰ったのだろう。

 別れ際の挨拶くらいしたかったのに、と肩を落としてスクールバッグを肩にかけた時だ。

 勉強机の上に、昨日拾ったままの盃があった。

 しかも何やら青い液体が注がれている。

 

「…飲めってか、飲めってことですか藍星さん」

 

 はぁ〜〜…、とため息を吐く。

 まったく、どうしたって僕がこんな怪しいものを飲むと思っているのだろう?

 …『まぁ轡木くんなら飲んでくれるだろう』とか、そんな浅い見積もりだろう、どうせ。

 

「…んっ、……っ、うぇ…スースーする」

 

 大当たりですよ、まったく。

 一気飲みをした感想としては、強烈な薄荷味だ。サラサラとしていて飲みやすいが、清涼感が少し冷た過ぎて喉越しが痛い…何だろうこれ。

 酒精って感じはしない。

 から、学校に行っても生徒指導は喰らわないだろう。

 

「よし、行くか」

 

 家族を起こさぬよう、そろりそろりと一階へ。台所へ行き、冷蔵庫に入っているおはぎを手に取る。

 口に放り込んで、また忍足で玄関へ。

 

 今日の空は爽やかな晴れ模様だった。

 扉を開けてご機嫌になるくらいには良い天気。僕は解けかけたマフラーを巻き直し、学校に向けて足を進める。

 

「…ふう、少し憂鬱」

 

 八津川町、───関東に位置するこのベッドタウンは、隣接する東京都のおまけのような扱いだ。

 田舎としても都会としても中途半端。

 そのくせ、小規模な神社が沢山ある。

 おそらくだけど、この神社の数的に開発があまり進まなかったか、開発の波に乗り遅れたのだろう。

 

 最寄りのバス停で少し待機。

 この町は駅を境に二分される。神社のひしめく西区と、会社や役所関係が密集した東区。

 学校やスーパーなどと言った民間的なあれそれは、ほとんど前者に位置している。

 

 ので、バス停から見える景色は牧歌的だ。

 畑、民家、空き地、温泉。

 学校のみんなは、それを「つまらない」というが、僕はその「つまらない」が好きだった。

 変わり者だとは、よく言われた。

 

「…あ、やっば。盃置きっぱだったな…」

 

 バスを待つ中で、そんなことを思い至る。

 まぁ多分、大丈夫だろう。兄はともかく、お母さんは勝手に人の部屋に入ったりとかしないし。

 とかなんとか思っていれば時間だ。

 ノロノロとやってくる始発のバス。僕はそれに乗って、通学先へと足を向ける。

 

 …何気に始発に乗るのは初めての体験だ。

 これも藍星さんの正体に迫るため。

 僕は少しでも長く、図書室に入り浸る時間が欲しかった。ようは、一刻でも早く彼女のことを知りたかったのだ。

 

 なぜかはわからないけど、彼女がそう望んでる気がした。

 

 

  ◆

 

 

 ───私立明徳学院。

 

 八津川町西部に位置する、さして語るような特徴もあまりない学校だ。強いて言えば中高一貫校であること、そして図書室の蔵書量がやや多いという程度。

 僕は、そこの一生徒だ。

 

 栗色の髪、幼い顔立ち、高めの声、程々の身長。

 さして語る特徴もない自分は、特にクラスで浮いてもなければ目立ってもいなかった。

 ああ、そんな奴もいたな。

 クラスを変えたら揃って皆がそう呟く存在感。

 

「日本神話、日本神話…。

 いや、地域伝承の方がいいのかな?」

 

 朝っぱらから図書館を利用しても、特になんのヒソヒソ話も聞こえないのは好都合だ。

 落ち着いて調べ物をすることが出来る。

 

「八津川町・伝承録…これだな」

 

 古めの本を手に取り、開く。日本神話という大カテゴリで見ることも考えたが、記憶にある限り『藍星』という名の誰それは、聞いたことがなかった。

 となると、古事記に乗らなかった存在だ。

 …日本には八百万の神がいる。記録からあぶれてしまった存在も、そう珍しくはないだろう。

 

 実際、この本には多くの存在が記されている。

 因幡の白兎と関わりのある『鰐鮫』の血筋、血のあるものならなんでも食べたらしい『黒顎』なるもの。

 こんなの、便覧にも乗っていなかった。

 この本はこのまま借りてしまおう。

 

「…ん、なんだこれ」

 

 ぺらり、とページを巡る。

 目に入ったのは『落ち延びた大百足』という項目。

 

 山をも覆うほどの体躯を持つ大百足。

 その頭部はかつて、息絶え絶えの中、この近辺にやってきたらしい。当時の人々はこれを恐れ、誰も近寄ろうともしなかった。どころか、無いものとして扱った。

 ただ巨大だから、ではない。

 その頭は毎夜毎朝「口惜しい、口惜しい」と恨み言を吐いていた。分かりやすいほど、人を憎んでいた。

 加えて、その頭部の断面はこんこんと血を吐き出す。

 それでも百足の頭は死んでいない。

 

 そしてうわごとのように呟き続ける。

 我は七巻き半、奴は鉢巻と。

 

 …調べるまでもなく『三上山の大百足*1』だ。龍をも害する存在、だけど人の唾液を忌み嫌うもの。

 それゆえに人の身に敗れた大怪物。

 この資料が正しいのなら、その頭部は滋賀から関東圏まで移動していたことになる。

 

「…でも、これが本当にあの方の正体か?」

 

 頭をよぎるのは、藍星さんの『ヒント』だ。

 彼女の指を口に含まされた、あの一瞬。

 ぞわりとした感覚もあったが、そこに悔しさとか、憎悪とかは無い。そもそも、そんな感情があったら、昨日みたいに添い寝なんてしてくれない筈だ。

 第一、人の唾液を苦手とするなら先ずしない行動も…その、していたし、百足関連は除外だ。

 

 となると、ヒントとしては…僕が彼女の指を咥えたことが重要なのだろうか?

 

「……名も知れない人身御供でしたーとかじゃないだろうな…ヒントもクソもないぞ、そしたら」

 

 最悪な可能性を考えつつ、貸出手続きを踏む。

 小脇に本を抱えたまま、図書室を出た。

 

 …時間帯としてはまだまだ早朝。廊下にいても、窓からやる気のない運動部の声が聞こえてくる。

 秋晴れの日差しはガラス越しでも温かい。

 肌寒い大気に縮こまった体が、穏やかに、ささやかに解けていくのを感じていた。

 この感覚は、嫌いじゃない。

 

「うん? 待てよ…」

 

 嫌いじゃない、そうだ。

 あの人は僕の口の中に触れることこそ、躊躇わなかったが、一言もそれを『苦手』とは言わなかった。

 その逆もまた然りだ。

 人の唾液に触れることが好ましいとも言わなかった。

 あれは、単なるヒントなんだ。

 

「なら、あながち百足の系列も───うわとと、ごめんなさい」

 

 

 

 そんな思考に没頭していたせいだと思う。

 僕は、僕より大きな人にぶつかった。

 

 

 謝ろうと、咄嗟に顔を見上げる。

 アシメショートの真っ黒な髪。光の薄い黒目。ちらりと覗くギザギザな歯。短く折り込んだスカートに、裾を出したシャツ。季節通りの厚ぼったいジャケット。

 失礼だけど、大変ガラが悪かった。

 極め付けは、顔にある手当の跡。絆創膏やら何やらがあって、アザみたいなのもちらほらと。

 …一目でわかる、不良だった。

 

 彼女はジロリ、と僕を見つめてくる。

 だるそうな目、敵意はない。無かったはずだ。だけど、彼女がスン、と鼻を鳴らした時。

 

「…オイ」

 

 倦怠が、苛立ちに裏返った。

 そう気づいた時には、もう遅かった。

 

「かはっ…!」

 

 胸ぐらを掴まれて、持ち上げられる。

 身長差のせいで僕の体は宙ぶらりん。いやでも気道が狭まって、呼吸が薄くなる。

 苦しい、痛い、怖い。

 そんな感情が頭を回る。胸ぐらを掴む手を解こうともがくけど、万力のような握力はびくともしなかった。

 

「…オマエ、臭ェンだよ。気付いてンのか? 

 …クソッ…嫌な臭い振り撒きやがッて…」

「な、ん、…っの、こと、か…っ!」

 

 彼女は僕に臭いと言った。

 僕はといえば心当たりが全くない。お風呂は毎日入ってるし、洗髪も洗体も欠かしたことはない。

 なのに、臭い、なんて───。

 

 そこまで考えて、ボクは乱暴に床へ落とされた。

 腰に盛大な痛みが走る。気道が広がり、否が応でも咳が出る。そんな僕を、名も知れぬ真っ黒な彼女が、まるで蔑むかのように見下ろしていた。

 

「ハッ、なんのことか、と来たか。

 …馬鹿なやつ。オマエ、やらなくても良いことでもやりやがッたか? …もう助からねェよ」

 

 馬鹿馬鹿しい、と彼女は言った。

 咳を吐く中で、僕はその言葉を反芻する。

 やらなくても良いことをやった。

 そして、もう助からない。

 

 何のことかは分からないけれど、心当たりはたっぷりあった。でもそこは重要じゃない。

 大事なのは、彼女がそれを察知したこと。

 おそらく、僕の知らない沢山のことを、目の前の不良は知っているのだろう。

 

「…なんだその目。生憎だが、オマエに教えるもンは何もねェ。せいぜい勝手に自爆しろ。

 その方がまだマシな死に方は出来るだろうよ」

「待っ───ッ!? ! !?」

 

 去ろうとする彼女を追おうとした。

 けれど不意に、海のような匂いが辺りを包む。穏やかな渚の香り。鼻腔にそれが突き抜けた時、足を止めてしまう程の雄大な大海原を幻視する。

 白波を携える深い青。

 恐らくはそれが彼女と、僕の本当の距離。ここは学校の廊下で、僕と彼女の距離は短いけれど、それでもきっと追いつけない差があると理解する。

 僕の見た幻視は、きっとそういうもの。

 

「…ままならないなぁ…」

 

 ぺたり、と廊下に腰を落としたままの僕がいる。

 海の幻視は、彼女の姿が見えなくなったと同時に治っていた。ここにあるのはただの廊下だ。

 

 …でも僕は、ある種の確信があった。

 あの幻視はきっと僕由来のものではない。疲れとか、寝不足とか、そんなのが理由じゃない。

 きっと、起点はあの黒い不良である彼女から。

 

 

 それは翻って、彼女が人外の身だという証左でもある。

 

 

 …ああ、はっきりと確信出来る。

 だって僕はあの幻視を一度体験している。

 初めての体験は、きっと藍星さんが由来のもの。

 どうして忘れることが出来ようか。

 幼い頃に見た、あの綺麗な風景を。藍星さんと一緒にいてあげたいと願った、あの日のことを。

 

「……今度、聞けたら話を聞こう」

 

 ゆっくりと床から立ち上がる。

 そもそも、ボクは人外についてあまりにも知らない。藍星さんの正体に迫るためにも───今は少しでも、知識が欲しいのだ。

 

*1
近畿の大妖怪。龍を苦しめた、山を七巻半するほど巨大な百足。藤原秀郷に討伐された。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。