「はっはっ……57歩か」
一定のリズムで歩幅を刻む。
地面に薄く張った霜に足跡が残り、今まで歩いて来た歩数が一目で分かった。
歩数を、距離を忘れないうちに手元のボードに挟まれた紙に書き込んだ。積もり始める雪に音が吸収されて、木炭が削られていく音だけが耳に届く。
吐いた息は白く、ペンを持つために露出した右手は赤い。
かじかむ手をギュッと握りながら、次の一歩を踏み出そうとした時。
「ハロー、レディ。いらっしゃい」
「……えっ」
ぱちりと視界が切り替わり、そこは見慣れない茶色の空間だった。
雪は無い。灰や埃の積もった重機も、破壊された建物も無い。
穏やかな木製の壁、床に聞き慣れない低音の音楽。
深い緑の革が張られた椅子が何席かと、カウンター。
その奥には知らない女性。
今の一瞬で寝てしまったのかと頬をつねった。
痛い。
「ボーッとしてないで、お好きな席にどうぞ」
「え、え……ここは……?」
「ここは喫茶『エンドロール』。飲食を楽しむお店よ。ほら、座って座って〜」
困惑収まらないままカウンター前の席に座らされる。
喫茶と言われても、キッサとは? という新しい疑問しか出てこない。
飲食を楽しむ場所と言われても、この世界で楽しい食事なんてもうできないだろう。
変な事に巻き込まれてしまったぞ。とグルグルと思考が回る。
「こちらがメニューね。白湯とおしぼりはサービスだから」
「はえ、ええ?」
「もう、とにかくこういう場所だって割り切っちゃいなさいな」
「ええ……」
セラミックスの真っ白な筒状のカップに注がれた白湯。湯気を立てるそれはほんのりと波打ち、その透明度を主張していた。
あ、これは貴重なもの。
そう脳が言うものの、冷えた身体は温度が少しでも欲しかったようで。思わず手を伸ばしてカップを傾ける。
火傷しない程度に冷まされたそれは、芯まで冷えていた身体に生きている実感を取り戻させる。
喉から、食道から、胃から。熱が全身に伝わっていくのがはっきりと感じられた。
何も引っかかることのない純水のお湯は、私に初めての「喉越しが良い」という感想をもたらした。
飲み干してなお、身体が求めている。名残惜しいが、ここではっきりし始めた思考が「こんな高価なものを飲んでしまった!」と叫び始めた。
「あ、わ、私お金持ってなくて……」
「お代なんて要らないわ。……ああ勿論、命もね。そんな怯えた顔しないでちょうだい。対価は請求しない主義なの」
こんな世界にも、慈善事業をする人間がいたのだろうか。
炊き出しなんて母親が赤ちゃんのころに廃れたし、ボランティアと言って罪人の刑務作業と書くなんてこともあったのに。
しかしその女性からは、それが偽りのない本心で真実であると、何故かはっきり感じられた。
この人は信用して良い。そう本能が安心しきっているのだ。どうしてかは、わからないけれど。
「貴女……随分と厚着ね。室内が暑かったら言ってちょうだい、空調回すから」
「そ、そんな事していただくわけには! こ、この一杯だけで貰いすぎてます……」
「……みんなそう言うのよね。ただの白湯なのに。なんだか私の料理が期待されてないみたいで、やんなっちゃうわ〜」
女性は、プンスカと怒るような演技をしつつチラチラとメニューボードを見ている。
あからさまに「見ろ」と言われているのを察して、私はそれを開いた。
そこにはたくさんの色があった。
鮮やかな黄色や赤であったり、爽やかな緑であったり。
それが「料理」の写真であると、数秒たたないと気づかなかった。それくらい、遊びに溢れた見た目だったのだ。
コンクリートみたいな色でも、レンガみたいな形でもない。
私では言い表せない形や色合いをしていて、目に華やかだ。
これがこの人の言う料理らしい。横には知らない名前がずらっと並び、料金らしき数字は見当たらなかった。
「こ、これ全部タダ……!?」
「うんうん、好きに選びな」
「で、でもどんな味なのか全然わかんない」
「ある程度なら説明してあげるから、怖がらないで良いのよ」
「はわ……」
ここの職員らしい女性は、マスターだと言う。
マスターが名前なのか職種なのかわからないけど、取り敢えずマスターさんと呼ばせてもらう事にした。
マスターさんは私のふわふわした質問にも、笑って答えてくれる。味なんて説明しづらいだろうに、手元で手際よくグラスを拭きながらニコニコと分かりやすく教えてくれた。
その人柄は、みんな自分のことで一杯一杯でピリピリしていた集団生活の頃には会ったことのないタイプで。
ただ笑って話してもらえる事に、こんなに嬉しくなってしまうんだと我ながらおかしくなった。話しかけただけで怒鳴られる日々がトラウマになっているらしい。
「この、ぷ……プリンアラモードって言うのは?」
「あまいスイーツ……お菓子よ。ほろ苦さもあるプリンと新鮮な果物、甘〜いホイップクリームが贅沢に乗った賑やかなスイーツ」
「甘い……!」
シェルター暮らしというのは、大規模な集団生活だ。
それ故に常に食糧や物資の管理には細心の注意を払わないといけないし、無駄な贅沢なんてしていられない。ひたすら、切り詰めて切り詰めて限界まで切り詰めて生活しないと成り立たない。
そしてそれは平等でなければ、簡単に格差やクーデター秒読みの環境が出来上がってしまう。
しかし均等、平等というものは、規模が大きく慣ればなるほど難しくなる。
「アイツの方がレーションの重さが上だ!」
「そっちこそビタミン剤の数が違うじゃないか!」
「なんであの子ばかりご飯をもらう順番が早いの?」
「こっちに先に医療班を回せよ!」
そんな怒号は日常茶飯事で。
時には自警団が出動するような暴動に発展することもあった。
あちらを立てればこちらが立たず。
物資管理係はいつも二人以上で行動していた。恨みを存分に買っている自覚があるから。
抑圧か、暴力か。
シェルターで自分の意思を通すには暴れ、叫び、殴る事しか無い。
あとはひたすら長い日常のために、自分が死ぬまでは物資が尽きないことを祈りながら黙って割り当てられた仕事をこなして、文句を言わず食べて寝るを繰り返すか。
その二択の生活しか許されていなかった。
私は、後者だった。
母も、沢山のきょうだいもそれを理解していた。
だからこそ、母は少ない自分の食事を下のきょうだいにわけていたのかもしれないけど。
食べることだけが娯楽。そんな娯楽もジリジリと減っていくリソースと睨めっこしながら受け取らないといけない。
外で聞こえる砲声を間近で聞くような生活よりマシ。
それだけは皆んな共通の考えだった。
「こ、これにします」
「はーい、承りました。ちょっと待っててね」
なんて、シェルター生活時代の苦い記憶を反芻している間に、マスターさんはプリンアラモードをテキパキと作っていた。
予め作ってあったのか、円錐台の形のカップが写真にあった台座に伏せられる。
少し暖かいタオルで包んだと思ったら、そのカップの中からぷるりとした黄色の物体が出てきた。
これがプリンだそうな。
出てきた振動でふるふると揺れるプリンは柔らかそうで、でもどこか弾力や硬さも感じる。
その上に、茶色い……香ばしい匂いのする液体がかけられた。どこか粘性のある、焦げ目を思わせる色をした液体だ。
黄色いプリンに、焦茶のソース。
何故だか、ノスタルジーを感じるのはどうしてだろう。私の記憶になにも掠らない筈なのに。
次にマスターさんは、色とりどりのなんとも言えないさまざまな形をした何かを取り出した。
赤、緑、紫に黄色……。
カラフルと言うことはわかるけど、これは本当に食べ物なんだろうか? すこし極彩色が過ぎないだろうか。
金持ちが作る道楽の芸術品のような派手な色をしている。
マスターがまず手に取ったのは赤いボールのようなもの。
ツヤツヤしたそれは、切られると存外優しい薄い黄色をしている。
次にまた赤。今度は雫型のような形で、表面にはまた粒々がついている。
黄色は皮が剥かれると棒状の中身が出てきて、切られると楕円形になった。
紫は切られると薄緑の、半透明な中身があり驚いた。水分が多いのか水っけのある艶が目立つ。
緑は……取り出された状態で既に半分に切った姿らしい。丸を縦に割ったような見た目だ。中身も優しい緑色。一口サイズにカットされて、プリンが置かれた台座に乗せられる。
プリンだけだった寂しい台座が、すっかり極彩色の玉座になってしまった。
華やかで、派手。こんな食べ物見た事がない。
マスターは今度はクリーム状の何かを絞って、台座を飾り付けていく。
雪のような白さだけど、雪のような儚さは感じない。これがホイップクリームと言っていたものだろうか。
プリンの頂点にも絞られ、どこから出したのか赤く小さな丸いものがちょこんと乗せられる。何故だか、それが乗せられる瞬間自分の目が輝いたのを感じた。
「うんうん、やっぱりプリンアラモードにはさくらんぼがなくっちゃね!」
「すごい……なんだろう、素敵すぎて例えが出てこない」
私の灰色に塗れた知識では、この色とりどりのフルーツが乗せられたプリンアラモードを例える気の良い言葉が出てこなかった。
きっとシェルターの誰も例えられないだろう。
なんだろう、でも、とても胸が高鳴る。不思議なスイーツ。
「おまたせ、プリンアラモードよ。ふふ、もう待ちきれないって顔してるわね」
「え、えと……食べても?」
「ええ、どうぞ!」
その言葉を聞き終わるかどうか、添えられた細身のスプーンで、私はプリンを削り取った。
少し手応えを感じる。思ったよりも硬めだった。それであのぷるぷるとした揺れを出していたと言うのか。
茶色いソースと混ざったそれは、スプーンで欠けさせても滑らかだ。断面さえ美しく見える。
迷わず口に含めば、ほろ苦さと優しい甘さが一気に思考を包み込む。
プリンは舌で数度味わったら消えてしまったのだけど、濃厚な甘味は溶け消えなかった。
プリン自体の甘さだけだとすぐ重たくなってダレてしまいそうだけど、それをソースが上手く抑えてくれている。
ほろ苦さ、香ばしさ、仄かなピリリとくる甘さを持つソース。これがあるからパクパク食べても全然苦にならない。むしろどんどん食欲が増しているのがわかる。
プリンが崩れてきたので、上に乗っていた赤い丸を救出。
マスター曰く細い部分は飾りのような物らしいので、丸い部分だけパクリ。
プリンとはまた違う、少し酸味を感じるフレッシュな甘!
柔らかく少し歯で潰せば問題なく飲み込めてしまうそれ。しかしだからこそ噛み締めて味わいたくなる。
小さいからこそ、大事に口の中に残しておきたいこの感覚。しかし柔らかいからすぐ飲み込んで消えてしまう寂しさ。
一瞬の、プリンより短い出番なのだけれど、十分過ぎるほどの存在感をそれは残していった。これだけでも何個も食べたかった。
ならば、同じ赤である雫型のものはどうなんだろう。
半分に切られたそれを一つ、含む。
噛んだ瞬間に強い甘みが口内に溢れ出す。
酸味も感じるが、先ほどよりもわざとらしさがないと言うか、自然な、しかし強い甘さを感じる。
こっちのほうが大きさと硬さがあるので、噛めば噛むほど甘さが満たされていく。
これが一番好きかもしれないな。
まだ食べてないものは沢山あるのに、漠然とそう思った。
楕円形の黄色い物は、もったりとした食感と甘さだった。
粘性? というか歯に引っ付く感じ。さっき食べた物よりも重たく、濃厚。
味で言えば甘さが強いが、周りと比べると控えめで、箸休めに近い。
それでも香りも食感も重さがあるので、しっかりボリュームは満足できる。
黙々と食べれる味だった。
紫は、皮も食べれるが好みで剥いていいそうだ。
私は食べた感じ、少し渋さがある皮があった方が味も食感も増えて楽しい。
プルプルした中身は、ジューシーと言えばいいのだろうか? 程よい弾力と水分で、さっぱりと食べられる。
皮は好みが分かれるだろうが、サッパリした爽やかな甘さに対して少しスパイスというか、対比があるのがどちらも引き立てているようで良いと思った。
下のきょうだいだったら苦手そうだけれど。
赤い皮に薄黄色の物は、マスターさん曰く「うさぎ」に切られていた。
うさぎなんて母の寝物語でしか聞いた事がないから見た事ないのだけれど、こういう形をしていたんだろうか?
この二股に分かれた部分は脚か腕だろうか?
まぁ、シャキシャキしててしっかりとした食感、歯応え。それに対して優しい甘さに控えめな酸味という味が似ているから模倣した形にされるのかもしれないな。
最後に緑だ。
台形に切られたそれは皮は食べれないそう。と言うわけで中身をいただく。
口に含んだ瞬間わかる、濃厚で鮮烈な甘さと瑞々しさ!
皮に近づくほど硬くなるのも、食感に変化があって良い。
でもやはり柔らかいところが一番甘くて美味しい。
この中で一番、こう……頭に刻まれるような味だ。たったひとかけらでこれなんて、あの大きな半月全てを食べることになったら私はどうなってしまうんだろう。
この一欠片、いや一口だけで戦争が起きるだろうな。
そしてそんな物を私は今ひとりで味わっているのだ。
そう思うと、やはり今の現状が夢かと思ってしまう。でも、こんな幸せな夢なら大歓迎だ。
そう昂ってしまってうっかり噛んだ舌は痛かった。
ハッとして台座を見たら、残ったのはフルーツの食べられない部分と銀の台座だけ。
よく磨かれた銀色に私の肌色が反射いていた。
「うん、幸せそうに食べてたね」
「あ、あのっとても美味しくて……! 甘くて……! すごくて……! えっと、えっと」
「うんうん、落ち着いて」
自分の表現力が恨めしい。というより、もう食べ終わってしまった残念さと、美味しさの興奮、それをなんとか全部伝えようとして焦って、上手く言葉にできなかった。
そもそも人と話すこと自体、何週間ぶりなのかわからない。
「本当に! 美味しかったんです」
「そう言ってもらえて嬉しいわ。甘い物を食べてる女の子の表情って、いつ見ても一番かわいい瞬間だもの」
「か、かわ……!?」
言われたことのない褒め言葉に、頬が熱くなる。
マスターさんはキラキラした栗色の髪に、シミひとつない肌。痩けてない頬に血色の良い唇。
まつ毛は長くて、どのパーツも黄金比の超美人だ。
そんな女性に褒められて、照れない方がおかしい。
「人って、美味しい物を食べてる時が一番魅力的な表情をするのよ。私はそれを見るのが一番好き」
「そ、それだけマスターさんの料理の腕がすごいんです」
「ふふ、お上手ね」
いつの間にか、白湯におかわりが注がれていた。
確かに、フルーツを食べた後少しお腹が冷えたような気がする。
口の中に残った甘さをリセットするように、優しい温かさの白湯を飲み干した。
ふぅ、と一息ついた時、傍に避けていたバインダーが耐えきれなかったとばかりにぐらりと大きく傾いた。
「っととと!」
「あら、それはなぁに? ……地図?」
「あ……はい、私、地図を書いてるんです」
反射で手に取ったため、落としてひしゃげるなんて事にはならずに済んだ。
これで貴重な紙がぐしゃぐしゃになったらと思うと肝が冷える。
バインダーに挟まれた紙には、私が今まで歩いて記録してきたシェルター付近の地区の地図が書いてある。
「地図を書くのが趣味なの?」
「趣味……というか、ただの義務感でやってるんです」
「義務?」
「私、生まれた時からシェルターで暮らしてたんです。シェルター難民ってやつですね」
母がシェルターで暮らすことを決意した時、私は母の胎内にいた。
シェルター内で出産され、生まれた時……生まれる前からシェルター暮らし。
母は生存本能なのかストレス発散なのか、私の後にも何人も子どもを産んだ。
父親は全員、誰かわからなかった。
それでも子に向ける愛はあったのか、母は子どもを育てるために働き、食料を分け与え、最低限の知識を与えた。
残された時間の余裕もないシェルターで、教えられたマナーや礼儀が必要だったのかはわからない。
それでも、私がお辞儀を首だけで済ましたら、それだけで烈火の如く怒る人だった。
シェルターの人々の中でも、教養は高い方だったのかもしれない。
母が語るおとぎ話、歴史の話、学問の話。
全てを真面目に聞いていたわけではないし、覚えているわけでもない。
それでも、母がかつて話した測量の話が、なんとなく今の私の地図作りの役に立っているのだから、人生わからない物だと思う。
母が完璧だとは思えないけど、語った事に間違いは、無かったんじゃないか。
そんな母はシェルターの外を知っていた。
どんな景色で、シェルターにないどんな物があって、どんな空があるのか。
シェルター暮らしの私は本物の空を知らない。
シェルターの天井にあるのは無骨な大型ライトのみ。感動も何も無い、人工物。
だから、私は外に憧れた。
限りのない空を、その下に広がる建物を、空気を夢見た。
母は、外のことを何ひとつ教えてくれなかった。
ただ、「砲声が怖いだろう。なら外には絶対に出ないこと。憧れるなんてもっての外。ここで生きる事が一番賢い選択なのよ」と感情の読めない声で言うだけだった。
今思うと、それは一つの正解だったけど、致命的な間違いでもあった。
「シェルター暮らしで、外に憧れたから、地図作りを?」
「ええと……この話にはまだ先がありまして。私、こっそり外に出たんです。一年前のことです」
シェルター内ではもうすっかり大人として扱われる年になった私。
それでも幼い頃の夢を諦めきれなくて、ある日守衛の目を盗んで外へのゲートを開いた。
その瞬間の感動は、一生忘れないだろう。
空は灰色だったけど広くて、クレーンでもさわれないくらい高くて。
空気は籠ってなくて、すこし煤塵で咽せたけど新鮮だった。
建物は……背が高かった。それこそ空を目指したみたいに、高く高く。ほとんどがボロボロだったけど、迫力があった。
ゲートを閉めて、何も異常がないように元に戻した私は、思う存分外を駆け回った。
聞こえていた砲声はもう数日前から聞こえなくなっていたのを知っていたから、悠々と行動できた。
後から知ったけれど、食糧難にあえいだ集落同士の紛争だったそうだ。結果は、どちらも戦いが長引いてリーダー達が次々戦死と餓死し、解散したらしい。
初めての外は何もかも新鮮で、ただの瓦礫の山にさえ大興奮して。
時間を忘れて探索に没頭した。
巨大な爆発音が響くまでは。
方向も位置もシェルターの方からだった。
砲声じゃない、破裂したみたいな正真正銘爆発音。
巨大な、煙と風が数キロ離れていた私にさえ強く届く。そんな規模の爆炎だった。
灰色の空がさらに灰色になっていく。
突然のことに頭が真っ白になりながら、母ときょうだいの顔が浮かんで。
私はシェルターに走り戻った。
爆発したのはシェルターの内部だった。
後から探索して分かったのは、冬用の大規模暖房の故障。そしてその爆発と炎が他の機材や油に広がって、シェルターの内部で空気が閉じ込められていた故の破裂。
灰燼しか残っていなかった残骸で推測できるのは、その程度。私には爆発や引火の知識なんて無かったから、何かが大きく爆発して他の物が連鎖的に引火爆発したと言うことだけしか分からない。
爆発の威力が強すぎて、シェルターの人々はほとんど残っていなかった。
あるのは、人型のシルエットのような床の跡だけ。
誰も気づけなかった機械の異変。
助かったのは、言いつけを破って外に出ていた私だけだった。
「死ぬほど泣きましたよ。後悔もしました。けど、私だけでも生き残ってよかった、とも思ったんです」
「……」
「母やきょうだいの分まで、生きないとなって思って。生き残ったからには、私が死んでからも生き残ってる人に役立つ事をしたいなって思ったんです」
「それで、地図を……」
「知識はありましたから。全部ひとりでやるので、多少歪になりますけど、大掛かりな道具も必要無くて、これから必要になりそうなことなんて地図しか思いつかなくて」
電子化が進んでいたせいで、殆どの電子機器がダウンした今この街の地図は見る事ができない。
ならば、私が一から作り出そう。書き記そう。
そして、私の亡き後にそれを誰かが見つけてくれると良いな。
「私は、もう何がなんでも生きてやるなんて気力はありません。私が死んだ後の事をずっと考えるんです。地図を書いてる途中、何体もの死体を見つけました。そして、みんな何処かに『役立てろ』と物資や情報を遺してあるんですよ」
整備された銃器、食糧、危険なガス地帯の標。
死後、誰かが少しでも生き延びれるように。危険な目に遭わないように。
死んだ後、実るかわからない贈り物。
出会った死人誰もが、遺していた置き土産。
私も、何かを遺したかった。
「爆風に飲み込まれた家族はなにも遺せませんでした。なら、家族の分も、私が作って、書いて、遺すんです。……そう考えると、作った地図が家族の人数を超えるまで死ねないのかもしれませんね」
「……貴女にとっては、義務感や使命感なのかもしれないわね。でも、私はその行動はとても崇高で、立派な事だと思うわ」
「はは……生き残りなんて言えば聞こえは良いですが、私はのうのうと終末を待っていられるような人間ではないんです。ひとりだけ、生き延びてしまった。なら、何かを成さないと死んでいったみんなに顔向けできません」
「それでも、私は貴女をひとりの……残された人々を想う最後の測量者として、評価したいの」
「……ありがとう、ございます」
何故だか、自然と涙が溢れてきた。
口元まで落ちてきた雫が、しょっぱい。
甘いものをたくさん食べたせいで、その塩味はよりはっきりと捉えられた。
別に、誰かに褒められたくてやってる事じゃない。
シェルターを一人抜け出して、のうのうと生き残ってしまった自分がやるべき、成すべき最後の義務だと思っていた。
残された誰かのための、捨てがたい使命だと思っていた。
それなのに、認められた事が、分かってもらえた事が。
こんなにも、嬉しい。
「紙が尽きるまで……いえ、紙が尽きたら布にでも書きましょう。私の命が尽きるまで、この地図は書き続けます」
「……ねぇ、貴女が終わりを迎えたら、空に登って行ったらさ」
「はい」
「その地図を書きながら体験した事を、冒険を……たっぷり、家族に聞かせてあげなさいな!」
その言葉に、私はより一層この地図に向ける重さが増したような気がした。
それでも、苦痛じゃない。
むしろ、楽しみな重さ。甘さを引き立てるための、必要な苦さだと思った。
「──はい!!」
いつの間にか、私は元の灰色の都市に戻ってきていた。
手には地図とバインダー。背にはザックと、護身用の軽機関銃。
足元は、一歩踏み出していた。
「ご来店ありがとうございました。それでは、いい終末を!」
マスターさんの最後の言葉が、脳内に反響する。
いい終末を。
そう、いい終末を迎えるためにも、空にいる家族へのお土産をたっぷり用意して、残された誰かへの置き土産を書き続けなければ。
「ねぇ、お母さんの話、本当だったよ」
いつか話してくれた、朧げな記憶。
それでも覚えてる、シェルターでの寝物語。
「人はね、訓練したら誰だって、紙とペンと脚だけで、世界地図だって書けるのよ」
感想などありがとうございます。