終末喫茶「エンドロール」   作:月日は花客

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三話 患者

 

 ピッ、ピッ、ピッ。

 

 無機質な心電図の音が鼓膜に張り付く。

 自分が生きている証だと言うのに、僕にはどこか他人事に思えた。

 鼻につけられた栄養チューブも、腕に繋げられた点滴も、カテーテルも。延命というには冷たさが目立つ。

 

 病棟に残された最後の患者。それが僕だ。

 医者は数人、看護師も何人かまだいるのに、患者だけはどんどん消えて行った。

 それは病や怪我が悪化したり、本人の希望による安楽死であったりした。

 治療のために物資を消費し、力になれない自分に絶望した人も多い。

 実際、ベッドから動けない人を見捨てるという話も医者達の中で出ていた。その人達はいつの間にか病棟を追放されていたけれど。

 

 幸いにも、僕を担当している人たちは優しい。

 生きる事を第一に考えて、僕の世話を積極的にしてくれる。医者として崇高な理念を持った人だ。

 だからこそ、僕は生きなくちゃならない。

 

 (でも、もう……疲れてきた)

 

 今の僕は自分のためではなく、先生のために生きている。

 この病棟の最後の患者として、先生の医者としてのアイデンティティを失わせないために。先生の苦労を無駄にしないために。

 その気力ももう、尽きかけていた。

 

「あら、大きなお客さんね」

 

 ぱちり、と瞬きする。

 さっきまで白い殺菌室の天井だったのに、今は暗い木製の見慣れない天井へと変わっていた。ステンドグラスのカバーがつけられた吊り照明が強く光を放っている。

 

「ここ……は……?」

「ハロー、ミスター。ここは喫茶『エンドロール』よ」

 

 横を見ると、カウンターに上等な身なりをした女性が立っている。

 白衣でも患者服でもない、病棟には居ない服装だった。ここは病棟の何処かではないんだろうか。

 周りを出来る限り見渡すと、革張りの椅子や重そうなテーブル。カウンターの奥には茶色い豆のようなものが、瓶に詰められて並べられていた。

 僕はいつものベッドと点滴台と共に、この不思議な場所にワープしたようだ。

 エンドロールなんて、今の僕には随分と……お似合いの名前だ。

 

「ここはどんな所なの?」

「私が作る料理や飲み物を楽しむ場所よ。対価は請求しない主義だから、タダね」

「食べ物……だとしたら、僕には関係ない場所みたい」

 

 食事なんてこのベッドに縛り付けられてから食べたことがない。

 チューブと点滴からの栄養液で生きてきた。

 

「あら、安心して。そんなこと、ここでは関係無いの。……ほら」

 

 パチンと彼女は指を鳴らした。

 すると……僕がもたれかかっていた病院のベッドは無くなり、点滴台もかき消える。

 残されたのは、健康そうに立つ僕の身体だけ。体のだるさも、四肢の痛みもどこかへ飛んでいったみたいに楽だった。

 

「え……ええっ!?」

「ほらね、喫茶店では食べ物を楽しめなくちゃいけないもの。それじゃ、席にどうぞ。お冷とおしぼりはサービスだから」

「こ、こんなの人の力じゃ無い……」

 

 神の如き奇跡だ。それを目の前の女性は簡単にやってみせた。

 一体どんなカラクリだろう。

 しかし彼女はそれを話す気は無いようで、席につく事を執拗に促してくる。

 忘れかけていた歩き方を必死に思い出しながら、僕は自分の脚で椅子まで辿り着いた。

 

「メニューよ。食べたいものをこの中から選んでね」

「は、はあ……」

 

 渡されたボードを、なれない手つきで恐る恐る開いた。自由に体を動かすなんて、いつぶりだろう。

 介護補助がなければシャワーも浴びれない僕は一挙手一投足に感動しながら、目線を動かす。

 色とりどりの写真は、真っ白な病室暮らしの僕にはあまりにも眩しい。チカチカと赤やオレンジ、緑が視界を舞う。

 形も不思議で、味が想像できないものばかり。

 液体食の僕が想像もできない様な、素敵な絵画の様なそれら。

 いつの間にか、弱ったはずの胃がきゅうと鳴ったのが聞こえた。

 

「お腹空いてる? ならたっぷり食べな」

「……うん」

 

 聞かれていたことに少し顔を赤くしながら、何を食べようか考える。

 甘そうなもの、熱そうなもの、苦そうなもの……。ただの想像だけど、ひとつひとつ味を考えながら選んでいく時間はとても楽しくて。

 無くしかけていた気力が湧いてくるのを感じた。

 うろうろ、うろうろ。

 迷いに迷って視線を彷徨わせる。

 味を想像すればするほど、お腹の音は大きくなっていく。

 

「こ、このカツサンドというやつと、メロンクリームソーダ? をお願いします」

「はーい、承りました」

 

 ニコニコと僕の注文を待っていた女性──マスターと言うそうだ──に選んだ料理を告げる。

 二つも欲張って頼んでしまった。でもマスターは嬉しそうだ。いそいそと料理の準備を始めたらしい。

 鍋に油が張られ、パチパチと熱され始める。

 その間になにやらピンクの塊が保存庫から取り出された。すこし生臭い匂いがする。

 ハサミで端を少し切ると、なにやらハンマーの様なものでピンクの塊が叩かれる。少し驚いてしまった。

 その気配をマスターも感じ取ったのか、チラリとこちらを向いて「ごめんね」とジェスチャーをしてくる。

 食材をハンマーで叩くなんて、特殊な料理法だと思った。

 

 病棟での食事は、全て液体栄養食だ。

 完全食として作られたそれは、栄養素だけでなくある程度の満腹感をもたらしてくれる。

 しかし鼻と点滴から摂取するそれに味は無く、ただ胃と血管に注入されるそれを眺めているしかなかった。

 そんな日々が長く、長く続いたせいで、元の固形物の食事がどんなものだったのかなんて、忘れてしまっている。

 だから、もしかしたらこれは普通の作り方なのかもしれないな。と申し訳なくなった。

 

 なにやら粒状のものをすりこんで、それから白い粉を塗しはじめた。

 丸い玉から出た黄色いものを解きほぐし、塊を浸す。

 そして粒状の薄い黄色っぽい何かをつけたと思ったら、跳ねる油の中に豪快に入れてしまった。

 焦げてしまうのではないか? と思ったが、案外綺麗なきつね色に上がっていて。

 なるほど写真のカツサンドで中身の部分の色をしている。

 これが「カツ」なのだろうか。それとも挟んでいる白っぽいものが「カツ」なのだろうか。

 謎は解けない。

 

「貴方、辛いのは大丈夫?」

「え、わ、わかりません……」

「じゃあ片方だけにしておくわ」

 

 マスターは写真で見た白いふわふわした四角い食材を取り出すと、なにか……焦げた黄色いペーストを塗りたくった。

 そしてきつね色に熱した塊を挟んで、熱していた鉄板の様なもので挟み込む。ジュッと熱されたカツサンドは程よく焦げ目がついて、真ん中には「エンドロール」のロゴも刻まれている。

 マスターはそれをザクザクと切っていく。その音はとても心地よく、食欲がそそられた。

 知らないはずの音なのに、どうしてだろう。テンポの良いその音が、どうしようもなく食への楽しみを思い出させるのだ。

 皿に盛り付けられたカツサンドはほんのりと湯気を発し、じんわりと熱をこちらに伝えてくる。

 

 カツサンドが完成したら、次はメロンクリームソーダらしい。

 長い円柱のグラスに、とくとくと緑の泡立つ液体が注がれていく。

 シュワシュワ……と弾けるそれは、本当に飲み物なのだろうか。しかし爽やかな甘い香りもかすかに感じられる。

 その上に、容器から丸くこそぎ取った薄いベージュの何かが乗せられた。こっちはカツサンドとは逆にひんやりと冷気を放っている。氷のような、しかし甘そうな不思議な食べ物だ。

 マスターはそれを「アイスクリーム」と言っていた。

 

「はい、お待たせしました。カツサンドとクリームソーダよ」

「わ……!」

 

 カウンターに出された二つの料理。

 片方は湯気と香ばしい匂いを。

 片方は冷気と甘い香りを漂わせている。

 ゴクリ、と喉が鳴った。お腹も、これらを迎え入れる準備は万端なようだ。

 その勢いのまま、カツサンドをひとつ手に取りかぶりつく。

 

 ふわザクっ、じゅわ……と噛み締めた瞬間から旨みの塊のような汁が溢れ出してくる。

 表面はサクサクしていて、中はフワフワとした挟む四角形……パンも口の中を優しいほんのりした甘さで満たしてくれる。

 その中に、ザクザクと噛めば噛むほど旨味が溢れるカツが爆発するかのような存在感を放つ。歯応えのある食感は咀嚼のたびに楽しく、飲み込んだ瞬間次の一口が欲しくなる。

 トロリと喉の中に滑っていくような、まさに「飲める」感覚。

 あっという間に一個目を食べ終えて、残った二つ目にすぐ手が伸びた。

 

「……!」

 

 今度は更に味が追加された。マスターが塗っていた黄色いペースト。それはぴりりと口の中に刺激をもたらす食欲増進剤だったのだ。

 この口の中を突かれるような感覚があるからこそ、咀嚼がさらに進む。カツの旨み、パンの甘さが引き立つ。

 理想的なトリオだ。なんて料理だ。

 違う味、違う食感だと言うのに、ここまでお互いを引き立てて美味しさを増していくなんて。

 感嘆。

 久しぶりの咀嚼と、固形物による食事。しかしそれ以上にこの料理を口にした感動は大きかった。

 

 あっという間に食べ切ってしまい、残ったクリームソーダを見る。

 実は少し怖いのだ。この緑の液体が。

 栄養剤の透明な液とは違う、ビビッドな緑と泡立つそれ。なんというか、得体が知れない。

 その上に乗るアイスクリームというやつは、美味しそうだと思う。見るからに。

 しかしその下の飲み物は、すこし衝撃的な見た目をしている。

 

 しかしカツサンドがあれだけ美味しかったのだ。ならば、この料理もきっと美味しいに違いない。

 僕は勇気を出して、ストローに吸い付いた。

 

「──!?」

 

 シュワワワワ! と口の中に弾ける刺激と強烈な甘さ。

 口の中を暴れ回るそれは痛みすらあるはずなのに、なせが飲むのが止まらない、止められない。

 口の中に長く残る甘さは、かなり強く重たい。少し、身体に悪いんじゃないかと思ってしまうほどの派手な味だ。

 でも、今まで無味の世界にいた僕にとってはそれすらも待ち望んだ味なのだ。

 

 アイスクリームをスプーンで掬って食べてみる。上の方をなんとか落とさないように掬い取り、ヒンヤリと冷気を感じながら含む。

 飲み物とは違った、優しさのある甘味……そして突き抜けるような冷たさが口内を支配した。

 アイスクリームはすぐに舌の上で溶けてしまい、跡形も残らない。

 緑のドリンクより控えめな甘さで抑えられたそれは、重たくない甘さだが濃厚さはしっかりとあり、ギュッと濃縮したような満足感が一口だけでも得られてしまう。

 

 こんなに美味しいアイスクリームと、ドリンクが混ざったら……?

 アイスが溶け混ざるほんのり白く濁った部分。

 そこに僕は狙いを定め、スプーンを差し込んだ。

 

「〜〜!!」

 

 シュワシュワと、先ほどよりマイルドになった泡。そして甘さが引き立ちつつ穏やかな香りそのままに濃厚さを失わないそれ。

 まさに極上と言おうか。

 その至極の味は、この瞬間だけ僕に「生きていてよかった」と思わせた。

 

「美味しい?」

「うん……すごく」

「うんうん! 入院中なら飲食も大変でしょう。今だけでも存分に味わいなさい」

「はは……もう、死んでも良いくらい美味しいですよ」

 

 実際、これが最後の晩餐なのかも知れないな。

 美味しさの衝撃が落ち着いてきた頃、僕はふとそう思っていた。

 きっと、これを食べ終わったら僕はまたあの真っ白で孤独な部屋に逆戻りだ。鼻には栄養チューブが、腕には点滴が刺されて、心電図の音をただ聞くだけの生活に。

 そんな虚無の世界に帰らなきゃ行けないなら、もういっそ他の患者のように、楽にしてもらおうかと考える。

 ぼんやりと生きることにすら疲れてしまったから。

 

「……貴方の病は治らないの」

「うん。遺伝性の疾患でね、小康状態を維持するしかないんだ」

「それは……大変ね」

「最初こそ、病棟の人が良くしてくれたから気にしてなかったんだ。でも、もう、疲れてしまって」

「入院生活に?」

「誰かのためだけに、生き続けることに」

 

 誰だって、一番に自分のために生きているはずだ。僕は自分が無かった、病気で確固たる自己が作れなかったから、病棟の先生たちのために生きてた。

 当然だけど、先生たちも人間だから、患者が死ぬと悲しむ。時には涙する人だっている。

 だからせめて僕は安心で診れる人として安静に、少しでも元気に過ごすようにしていた。

 

 それでも病棟からは人が減っていく。

 病院周辺も荒れていき、物資も余裕がなくなってくる。

 荒廃した陸の孤島で、段々と皆「まとも」じゃなくなっていく。

 患者(あしでまとい)を疎ましく思うようになっていく。

 そんな生活をただ眺めていた僕は、すっかり気力を削り取られていた。

 

「家族もいないしね、病室には僕一人だし、未練も無い。これ以上生き続けても、どうにもならない」

「それは……」

「それに、病は気からって言うだろう? 気力をなくした僕の状態は、きっとこれからどんどん悪くなる。だから、今が最後のチャンスなんだ」

「……意思は固いのね」

「ああ、ここまで世話をしてくれた病棟の人たちには感謝してる。あと、最後にこんな美味しいものを食べさせてくれたマスターにもね」

「……そう」

 

 マスターは、食べ終わった食器を片付けながら悲しそうに眉を寄せた。

 悔しそうな、やるせない気持ちが整った顔を崩していく。それでも、輝きを失っていないと思えるのは美人だからだろうか。

 共用病室にいたらアイドルになっていそうな人だ。優しくて美人で、そっと話を聞いてくれる。

 そしてこんなに美味しい料理を作れる。

 

「私はね、この料理を食べた人に生きる力を得てほしいって思ってたの」

「それは……申し訳ないな」

「いいのよ。これを食べて貴方がまだ死のうと思ってるなら、それがきっと運命なの。救えなかったことだって、別に初めてじゃない」

「……」

「でも、でもね。この世界に絶望しながら死んで欲しくはないの。良い人生だったって、無駄じゃなかったって。そう笑顔で終わってほしい」

 

 皿を拭きながら、マスターは話した。

 この世界で生きることの尊さを。終わりかけの世界で、必死に生きている人たちの寂しさと決意を。

 それでも、この料理を食べて生きることに前向きになってほしいと。

 それが、自分の使命なのだと。

 

 優しい人だと思った。同時に悲しい人だとも。

 この世界はほとんど諦められている。文明も消え去りかけ、復興の兆しは無く、生命は衰退した。

 この世界で生きる人は遠くない終わりをずっと頭の片隅に置きながら、それをなんとかひた隠しにして日々を生きている。

 そんな世界で、生きることに前向きになって欲しくて料理を作るなんて。

 底抜けに優しくて、虚しい行いなのだ。

 それでも、無駄じゃないと本人は辞めないのだろう。

 投げ出してしまった僕と違って。

 

「ありがとう、マスター。僕はもういくよ。貴女の行いが、いつか報われることを願ってる」

「……ありがとう。それでは、良い最期を!」

 

 一礼で見送られ、僕はいつのまにか真っ白な病室に戻ってきていた。

 ピッピッピッ。

 心電図の音が、当たり前のように鼓膜に響く。

 ああ、戻ってきてしまったなぁ。

 

「調子はどうですか」

 

 そのタイミングで、検診の時間なのか見慣れた医者の一人が病室に入ってきた。

 よれた白衣に歪んだ眼鏡。それでも医者としての自覚を崩さずに働いている、すごい人だ。

 僕は彼を人知れず尊敬していた。

 

「一つ、お願いがあるんです」

「……なんでしょう」

「僕を安楽死させてください」

「……わかりました。手続きをさせていただきます。……後悔はありませんね」

「はい」

 

 どこか、彼もいつかこうなることを分かっていたんだろう。

 だから、流れるように話題を手続きの流れの説明に変えた。

 覚悟していたことを、目の前にしたかのように。

 実際、僕はもう後悔も未練も何も無かった。これが僕の終わりだと、胸を張って言える。

 

 良い最期を、とマスターは言った。

 これが僕にとって、最善の終わり方だ。

 このどうしようもない世界で、美味しいものを食べて、信頼できるドクターに終わらせてもらう。

 それが、どれだけ恵まれたことなのか僕は知っている。

 この病室でそっと眠るように死ぬ。

 他の人を置いて、永遠にいなくなる。

 

 でも、今までの人生に絶望なんてしてない。最高だったとも言えないけれど、きっとこの終わり方が正しい。

 ねぇマスター、来世ではまたカツサンドとクリームソーダを作ってよ。

 少なくとも僕は、貴女の料理で人生を救われたから。

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