「戻りました……ソウせんぱい」
「ん、おかえり」
ユメ先輩が入院してから二週間ほどが経った。
未だ、ユメ先輩は目を覚まさない。
既に熱中症で上がった体温は平常時まで下がっていて、栄養失調や脱水症状も手厚い救護を受けて改善されているらしい。けれど目を覚まさないということは、やはり何かしらの後遺症が残っている可能性が高いとのこと。
元々キヴォトス人はヘイローを持たない外部の人間と比較して、頑丈かつ高い身体能力を持つ身体をしているから、時間を掛ければ回復する可能性もゼロじゃない。
けれど、お見舞いに行ったときに見たユメ先輩の姿は死んだように静かで、目覚めるような兆しは一切感じられなかった。
「ユメ先輩の荷物は多分、これで全部だと思います」
「そうか……お疲れさん」
そして現在、私はアビドス高校生徒会室でソウせんぱいと一緒にいた。
ソウせんぱいはあの日から、日に一度は顔を出してくれるようになった。流石にユメ先輩みたいに登校から下校まで一緒にいるわけじゃないけど、それでも私にとってソウせんぱいが一緒にいてくれるのは非常にありがたかった。
独りぼっちは思いのほか……辛かったから。
あの日ユメ先輩と一緒に行っていれば、ユメ先輩ともっと情報を共有していれば、一番最初に気づいた時に連邦生徒会に連絡していれば、ソウせんぱいと連絡先を交換していれば―――思い返せばこの状況を未然に防ぐ、もしくはもう少しマシな状況にする方法はいくらでもあったと思う。
自分がもっと冷静で、もっと頭が回って、もっと……そう思えば思うほど、ユメ先輩がこうなったのは自分の未熟が原因だと思った。
「ソウせんぱいの予想通り、ユメ先輩はネフティスから権利の買い直していたみたいですね」
「ああ、取引の値が百万円とは案外安値な気もするけど……それでもその場で支払って買い取ったようだから、正真正銘『砂漠横断鉄道の関連施設利用権』は今アビドス生徒会のものだ」
この二週間で私は、ユメ先輩を見つけた場所周辺に散らばっていてユメ先輩の荷物を回収していた。あちこちに飛び散っていたユメ先輩の荷物の中には、ユメ先輩が普段装備していた盾や私がもたせた物資を消費した残骸などがあって、その中にはクリアファイルに挟まれたネフティスとの契約書もあった。
ユメ先輩は目的通り、ネフティスから『砂漠横断鉄道の関連施設利用権』を買い取ることに成功していたみたい。
契約書の内容には、代表者としてユメ先輩の名前が記載してあったけれど、あくまでアビドス生徒会との契約としていたので、ユメ先輩が意識不明になった今、この権利は現アビドス生徒会副会長である私が保有していることになる。
ソウせんぱいは契約書類の内容に不備がないか確認していたけれど、その時はユメ先輩にしては抜かりない内容だったらしく、感心した様子だった。
「まぁ、鉄道開通にはまだ色々やらなきゃいけないことがあるが……それはもう少し後回しでいいだろ」
「……どうしてですか?」
けれど、ソウせんぱいはこの鉄道計画を進めることを後回しにしようと言い出した。
何故だろうか? ユメ先輩が意識不明だったとしても、私がいる以上この権利はアビドス生徒会として十分使うことができるはず。なら、ユメ先輩がやろうとしていたように銀行から融資を得て、ハイランダー鉄道学園と協力して、進められることは多いだろうに。
疑問を呈する私に、契約書から顔を上げたソウせんぱいは私のおでこをピンと弾いた。
「あたっ」
「成すべきことのためには、立ち止まることも時には必要なんだぞ小鳥遊後輩」
「立ち止まる……?」
「ほら、こっちきて座れ」
ソウせんぱいはいつになく優しい笑みを浮かべて私を隣に座らせようとする。
おでこをさすりながら私は素直にソウせんぱいの座るソファの隣に腰かけた。するとソウ先輩は口を開く。
「いいか小鳥遊後輩……世の中がむしゃらに頑張れば上手くいくなんてことは、あんまりない。逆に、明確に目標を定めて、正しい努力を積み上げたからと言って必ず成功するというわけでもない……なぜか分かるか?」
「……どこかには必ず運が絡むからですか?」
「間違ってはいないな。だが本質は『成功を求めているのは自分だけじゃない』からだ」
ソウせんぱいは契約書をテーブルの上に置くと、一呼吸入れて再度言葉を紡ぐ。
「一つしかない席を二人で取り合おうとすれば、そこには策略が生まれる。相手を上回るためにどうすればいいかってな……そしてそれは老若男女善人悪人問わずだ」
「……」
「まっとうに相手より上を行くために自分を高める者もいれば、相手を自分より下に引きずり落とすために妨害策を練る奴もいる。賢いやつは、ルールの抜け穴を見つけるのが上手いし、ルールを逆手に取って相手を嵌める奴だっている」
「……それは、そうですね」
私はソウせんぱいの言っているような人種をよく知っている。
アビドスの借金を返すためにお金を稼ぎたい私に対し、こちらが気付かないような言い回しで不備のある契約を結ぼうとする大人はたくさんいた。
治安が悪いからじゃなく、切羽詰まっているから仕方なくでもなく、単純に金儲けのためには子供であろうと貶められる性根の腐った奴ら。
ユメ先輩は優しいから、そういう大人によく騙されていた。私も、注意していたつもりであとから気づけば損を被っていたことがちらほらある。
大人は嫌いだ。
私たち子どもの足元を見て、自分の欲望を優先することしか考えていないから。もちろん、全員が全員悪人じゃないことはわかっている……けれど、どうしようもなく辛く苦しい時、助けてくれる大人なんて滅多にいない。
「だから、そういう奴らに騙されないためには自分の調子を常にベストに保っている必要がある。まぁ波はあるが、限りなくベストに近い状態を維持し続けることが大事なんだ」
「ベスト……」
「常に視野を広く、心はフラットに、思考を止めず、可能性を予測し、最適なタイミングで最適に動けるように備え続ける……そしてなにより、信頼できる仲間を守る。そうでなきゃ、気づいた時には取り返しのつかない間違いに全てを失うこともある」
ソウせんぱいは私の頭をぐりぐりと撫でて、いつものように揺らしてくる。
「だからな小鳥遊後輩、今は頑張らなくていいんだよ」
その言葉を聞いて、私の心は大きく揺れた。
思えばユメ先輩が入院してから、私は何かしていないと落ち着かなかった。
朝起きたらユメ先輩のお見舞いに行ってから登校して、アビドスの借金を返すためのお金を稼いで、合間時間にユメ先輩の荷物を回収しにいって、夜はアビドスの街をパトロールして治安維持に努め、遅くに帰ってきてベッドに入る。
そんな日々を過ごして、暇が出来そうになるとずっと何か出来ることはないか探していた。一度立ち止まると嫌なことばかり考えてしまって、苦しくなるから。
ソウせんぱいはそんな私の内心をきちんと見抜いていたらしい。
もしかしてあれから毎日アビドスに顔を出していたのは、私の様子を見に来ていたのだろうか。
「ユメが心配なんだろ? 独りぼっちは辛いよな。分かるよ、頑張らないと立っていられないんだよな」
「……ソウせんぱいもユメ先輩も、昔は一人で頑張ってたんじゃないんですか。だから、私だって頑張らなきゃ」
「それはな小鳥遊後輩、たまたま一人だったから一人で頑張るしかなかったんだ」
「だったら……!」
ソウせんぱいの言葉に食って掛かる。
私は一人でも頑張れる。ユメ先輩やソウせんぱいがそうしてきたように、私だってこのアビドス生徒会の一人だ。ユメ先輩が動けない今、私一人でも頑張らないといけない。
ソウせんぱいとユメ先輩がそうやって繋いできたアビドスを、私が繋がなければ嘘だ。
「ユメも時もそうだった。だから今のアビドスには、俺がいるんだよ」
「!」
「独りぼっちは誰だって辛い。だから、俺は後輩にはそんな思いはさせたくはなかった」
「ソウせんぱい……」
「俺が入学した頃アビドスははっきり言って絶望的だった。当時の生徒会はほとんど諦めモードだったし、悪意を持った大人が現れば即座に食い物にされてもおかしくなかった。これでも一度は栄華を極めた場所だからな……自治区を乗っとってなにかしらの利用価値を見出す輩だっていただろう」
ユメ先輩も言っていた。一人は寂しかったと。
だからソウせんぱいが顔を出してくれる日が嬉しかったし、自分が入学したのが本当に嬉しかったと。
もしかしたら、私が入ってから数ヵ月ソウせんぱいが顔を出していなかったのは、ユメ先輩が私と仲を深めるのを邪魔しないようにしていたのだろうか。
「だから生徒会長になってアビドスを守る必要があった。他の生徒が続々と離れていっても、一人になっても」
「どうしてですか……?」
「まだアビドスには未来があると信じていたからだ」
「!」
「決定的だったのは、ユメが入学してきたことだな。あいつは俺と一緒で、アビドスに未来があると本気で信じる馬鹿だった……だから先輩としては、その未来を作ってやんなきゃなって思ったんだよ」
ソウせんぱいはそう言って笑う。
そうして立ち上がると、奥のデスクに近づきそっと手を触れた。
「だから後輩に俺と同じような辛い思いはさせない。辛い時に傍にいられるように、悪い大人からお前たちを守れるように、俺はここにいる」
振り向いて真剣な表情でそう言うこの人は―――『大人』だった。
私が嫌いな大人じゃなく、私が信じられない大人じゃなく、私がいないと思っていた……私たち子どもが辛い時に寄り添ってくれる大人だった。
先輩だから、卒業生だから、そう思っていたし、それは間違いじゃないんだろうけれど、それでもその芯にあるのはソウせんぱいの優しさだ。
彼はその優しさを失うことなく、大人になったんだ。
「今はユメの心配をしてていい、自分を憐れんだっていい。一生懸命、自分を許してやれ。その間アビドスは俺が守ってやる」
なら、信じてもいいのかもしれない。
私は大人を信じられない。だけど、ソウせんぱいは信じたいと思えた。
「じゃあソウせんぱい……こっち座ってください」
だから、今度は逆にソウせんぱいを隣に座るよう促す。
ん? とソウせんぱいは素直に私の隣に腰を落とした。
私はソウせんぱいの膝に頭を乗せて横たわる。
「……ちょっとだけ、寝ます」
「……はっはっは! ああ、おやすみ」
そう言って甘えた私に、ソウせんぱいはいつものように笑って、なんてことないようにそう返した。
寝不足だったのは本当だ。最近は忙しかったし、寝ようにも嫌な考えばかりが浮かんで全然眠れない日々が続いていたから。
けれどソウせんぱいがいてくれるなら、きっと大丈夫。
―――ユメ先輩、大丈夫かな。
―――私、どうすればいいのかな。
堂々巡りのいつもの嫌な思考が巡る。
けれど、ふと頭を撫でるソウせんぱいの手の温もりが、一撫でごとにその考えを消していく。まるで消しゴムみたいに、私のぐちゃぐちゃな心の中を真っ白にしていく。
ユメ先輩があんなにソウせんぱいの話をしてきたのも、よくわかる。
こんな人がいたら、人に話したくなるに決まってる。
自慢したくなる。こんなに素敵な人がいるんだよって、叫びたくなる。辛い時に一緒にいてくれて、私たちの心を救ってくれる大人がいるんだよって、知ってほしくなる。
ユメ先輩がそうだったように、きっと私もそうなっていく。
もしもこの先後輩ができたなら……私はきっとことあるごとに話すのだ。ユメ先輩の話とソウせんぱいの話を。後輩たちに呆れられるくらいに、私はこの先輩たちが大好きなんだって伝えるのだろう。
ああ、気づけば嫌な考えは消えて、明るい未来のことを考えている自分がいる。
ソウせんぱいの大きな手のひら、気持ちいいな。ユメ先輩はソウせんぱいにこうして貰ったことあるのかな。なかったら、ユメ先輩が起きた時に自慢しちゃおうかな。どんな顔するかな。ちょっと拗ねるかもしれないな。
「うへへ……」
まっしろになる。
ソウせんぱいの匂いがする。今までは何とも思ってなかったのに、温かくて優しい匂い。安心する。大好きな人の、匂いだ。
―――おやすみ……ホシノ
薄れゆく意識の中、ソウせんぱいが名前を呼んでくれた気がした。
そろそろホシノの脳は焼けたかな