それからまた短くない時間が経って、季節は夏から段々と肌寒い季節へと移り変わっていった。衣替えの時期がやってきて、砂漠地帯であるアビドスといえどキヴォトスの季節は等しく移り変わる。人々の服装は少しずつ温かいものへと変化していた。
アビドス高校でもそれは同じ。
ホシノもワイシャツの上から着ていたベストが長袖のセーターに変わっており、足元も白のハイソックスから黒タイツへと変化している。度々顔を見せにくるソウも、黒い長袖のジャケットに腕を通していた。
今日もいつもと同じように各々でやることをやっており、時間が合えば生徒会室で休息の時間を共にする。
そして、梔子ユメは未だ目を覚ましていない―――……。
「ソウせんぱい、あったかいお茶どうぞ」
「ん? ああ、ありがとう」
「いえ」
休憩中、ホシノが自分が飲むついでにソウにお茶を淹れて、そっと差し出した。
いつもの仕事関連なのだろう書類を見ていたソウは、礼を言ってそれを受け取る。お茶を飲むために顔を上げたソウの目には、自分もお茶を飲もうとばかりに隣に腰を下ろすホシノが映った。
さらりと桃色の髪が揺れる。
「……小鳥遊後輩、髪伸ばしてるのか?」
「え? ああ……」
気が付いたように問いかけるソウ。
言葉通り、ホシノの髪は最初に出会った時よりも大分伸びていた。もちろん気を配っているのか前髪や毛量という部分は綺麗に整えられているが、それでも肩に届かないくらいの長さだった髪が、もうじき背中に届くかというくらいに長くなっている。
ホシノはソウの言葉に自分の顔に掛かる髪をかき上げながら、ふと笑みを浮かべた。
「そうですね……ちょっと伸ばしてます」
「ははは、もしかしてユメを真似たのか?」
「まぁ、それもありますけど……」
「?」
カラカラと笑うソウに対し、返答に詰まったホシノ。
少しだけじっとソウを見つめるホシノに、ソウはなんだと若干首を傾げる。
そんな様子を見て、ホシノはクスと笑って口を開いた。
「ふふ……少しでも、大人っぽくなりたいなって思ったんです」
「ふーん……そうか。いいね、長い髪もきっと似合うよ」
「ソウせんぱいは髪が長い方が好きですか?」
「ん? んー? ……ショートヘアも涼し気だし活発な感じがして好きだけど、手入れされた長い髪も品があって良いものだからなぁ」
「うへ、どっちですか……まったく」
うんうんと唸って煮え切らない反応のソウに、ホシノは小さくため息をつく。
温かいお茶を口に含んで、ほっと身体の内側からじんわりと熱が広がっていくのを感じるホシノ。
ソウはそんなホシノの様子を見て、ユメが目覚めなくなった時と比べたら大分精神的に落ち着いてきたなと思う。
当初はロクに眠れないといった風な顔色で、目の下にはクマがあったし、ふらふらとした足取りをしていたのである。それを考えれば、今のホシノは事件前と同じくらいには心にゆとりを取り戻しているようだった。
「そういえば小鳥遊後輩、明日から一、二週間ほど顔を出せそうにないんだ」
「えっ……それは、何か用事で?」
これならば、とソウは不意にそう切り出した。
ホシノはソウの急な言葉に動揺したが、取り乱すことはなく冷静にそう問いかける。
「最近は色々忙しかったからな、ちょっと色々やらなきゃいけないことを片付けてくる。何かあればモモトークで連絡してくれればすぐ戻ってくるから」
「そうですか……それで、明日はどちらまで?」
例の一件から反省してソウと連絡先を交換していたホシノは、いざとなればすぐに連絡できると心を落ち着かせた。
ユメが目を覚まさなくなってから、毎日のように一緒にいてくれたソウが、一時的とはいえ久しぶりにアビドスを離れる。その事実にホシノは少しだけしゅんとなるが、それでもソウは元々卒業生であり仕事のある大人。いつまでもアビドスに縛り付けるわけにもいかないと、頭では理解できていた。
そうして寂しさを押し殺して行き先を問うと、ソウはホシノの心境を察してかいつものようにぐりぐりと頭を揺らすように撫でる。
そしてその問いに短く答えた。
「ああ、最近運動不足だったからな―――ちょっと遠くで『百鬼夜行』まで」
◇ ◇ ◇
―――百鬼夜行連合学院。
そこは、いくつもの部活や委員会が連合としてまとまることで学院として成り立っているやや特殊な学院だ。衰退したアビドスですらそうであるように、各学校に存在している正式な生徒会組織。この百鬼夜行連合学院には存在していない。
一応生徒会に変わる組織自体は存在しているものの、その役割自体は様々な組織にて分担されているので、やはり他の学校自治区と比較するとかなり雰囲気が違うだろう。
また制服を始め、服装は主に和風なテイストを取り入れており、観光業が盛ん故、グルメや温泉、お祭といった娯楽文化に溢れた自治区となっていた。
そんな百鬼夜行の自治区の郊外……草木の生い茂る森林の中に、ソウは訪れていた。
道は舗装されていないのでデコボコの山道だが、そこには手作りなのかいくつもの障害物で作られたアスレチックコースのようなものがある。
それは安全性が担保された遊戯用、というわけではなく、あちらこちらに落とし穴や障害物による罠が仕掛けられており、正確に潜り抜けなければ多少痛い目に合うような作りになっていた。
「ふぅ……久々に来たなぁ」
無論、このコースを作ったのはソウ自身である。
目的としては、身体を鍛えるためだ。
キヴォトス人でありながらヘイローを持たない身であるソウだが、彼がこのキヴォトスを生き抜くためにはそれ相応の身体能力は必須だったのである。
前世の兵士時代の経験から、銃撃戦における戦闘技術や生存能力に関してそれなりのスキルを保有していたソウだが、そもそも多少弾が当たっても問題ない生徒たちとの銃撃戦は戦争のそれとは勝手が違う。
一発だって被弾できないソウと、多少被弾しても戦闘に支障をきたさない生徒たちでは、あまりにハンデがありすぎた。
故に、ソウはこの世界で戦うための術を必死に模索した。
このコースはその一つである。
「よっ……!」
屈伸、伸脚と身体をほぐすソウ。
目の前に伸びるこのコースは、いわゆるパルクール技術を取り入れた三次元的立体機動能力を鍛えるための訓練場だ。一度走りだせば様々な罠が発動し、同じ場所に留まることは出来ないようになっており、危機察知能力と身体操作能力が高くなければ、罠を避けながら障害物を乗り越えて先へ進むことはできない。
自分に課したルールとしては、罠に被弾した場合は、最初からやりなおしだ。
そうして体操を終えていざ走りだそうとした時―――
「―――にょわぁ!?」
「ん?」
少し離れたところから素っ頓狂な声と共に、ドスンと何か落下音が聞こえてきた。
ソウはコースの外側から声のした方へと歩いてくと、そこには女の子座りをして腰をさする狐耳の少女がいた。ふさふさの狐の尻尾が痛みを紛らわせるように揺れている。
ソウはこの世界に来て初めて出会ったその少女を見て、そのまま少し高い位置まで登るコースに設置された綱が一部が揺れているのに視線を移し、少女が何をしていたのかを察した。
「おい狐っ子、大丈夫か?」
「え? ほわぁ!? ど、どなたでしょうか!? ここはイズナの秘密の修行場のはず……!」
「へぇ、ここで修行してるのか」
「っはい! イズナはこのキヴォトス一の忍者となるべく、ここで日々修行しているのです!」
ソウの声に驚いた様子の少女は、狐耳を一層ピンと立てて立ち上がり、元気な声でそう言った。忍者、と聞いてなるほどと頷いた。
おそらくソウがこの場所を空けていたここしばらくの間に、この少女が偶然この場所を見つけて修行場にしたのだろう。ソウは忍者になりたいからこの訓練場を作ったわけではなかったが、三次元的な動きは確かに忍者らしさにも通ずるものがある。
見たところ少女は未だ中学生くらいの年齢。
服装も制服ではなくありきたりな動きやすい半そで赤ブルマの体操服で、季節ゆえか上だけはジャージを着用していた。
「なるほど、それはいいな。俺は魅旅ソウ、この訓練場を作った張本人だ」
「はっ! そうでしたか! イズナは久田イズナといいます!」
ソウがイズナの言葉に頷きながら自己紹介をすると、イズナもまた申し遅れたとばかりに自己紹介を返す。元気印と言わんばかりの溌溂とした声は、ソウから見ても微笑ましいものがあった。
「ふむ、狐っ子はいつからここで修行してるんだ?」
「あぅ……一週間ほど前から……も、もしかして勝手に使ってはいけなかったでしょうか!?」
「んや、別に規制してるわけじゃない。自由に使ってくれて構わないよ……忍者になりたいなら、ここはうってつけの訓練場だしな」
「! 忍者っ……い、イズナの夢を笑わないのですか……? 忍者になるだなんて、今時時代遅れと言われてもおかしくないと自覚はしているのですが……」
「は? 笑わないよ。なりたいものは人それぞれだ。良いだろ、忍者を目指したって」
ソウの言葉に、イズナはぽかんとした表情を浮かべた後、嬉しそうに笑った。
「っ……はい! その通りです!」
「で、一週間訓練してみてどうだった? ゴールまでいけたか?」
「いえ……残念ながら、未だにイズナはほとんど序盤で躓いてます……悔しいです!」
「そうだろうそうだろう。かなーり難しく作ったからな」
「では……ソウ殿はクリアできるんですか!? よろしければ見せて欲しいです!」
「はっはっは! いいだろう、大人の凄さを見せてやろう」
あまりにも素直なイズナのキラキラと瞳を輝かせる様子に、気を良くしたソウはスタート位置へとつく。イズナはソウの様子が見えるように、コースの横側からスタートを今か今かと待ちわびていた。
そして、ソウは大きく深呼吸した後―――駆け出した。
「!」
足場の限られた道をトトン、と軽々と飛び跳ねて進む様子はまるで重力などないかのように軽やかで、くるりと宙返りを挟みながら着地したかと思えば、スーッと滑るように前後に開脚し身を低くする。
そのまま三方向から襲い掛かる振り子の罠が頭上を通り過ぎたのを確認すると、腕の力で身体を持ち上げた。逆立ちから勢いをつけて立ち上がり、着地と同時に更に前方へと進む。
「す、すごい……!」
先ほどイズナが落下した高所。
高台と高台の間には道がなく、代わりにいくつかの綱がぶら下がっていた。しかもその綱に触れるとそこに目掛けてゴムボールが投擲される罠が起動するようになっており、先ほどイズナもそれを躱そうとして綱を掴み損ねたのだ。
だが、ソウはその綱の一本を掴むと、足で別の綱を蹴り飛ばす。すると、自分の掴んだ綱目掛けて飛んできたゴムボールに、他の綱目掛けて飛んできたゴムボールがぶつかり弾かれた。
その隙にソウは次の綱へと次々飛び移動し、奥の高台へと着地してみせる。罠を知っていたとしても、的確に罠を起動させて相殺できるかと言われればイズナには不可能なように思えた。
「わ、わ、わぁ……!!」
その後も次々と障害物を超えて駆け抜けていくソウの姿は、まさしくイズナの思い描く忍者の動きそのもの。身体能力でみればイズナも年齢に対して相当鍛え上げられているが、身体操作能力が段違い。
重力に囚われない羽のように身軽な動き……にも関わらず地面を蹴る力の力強さと速さ。それは人間の肉体が成せる動体美とでもいうのだろうか、舞踊やスポーツとは違う、鍛え上げられた肉体そのものの躍動が魅せる、究極の機能美といえた。
「っと……こんなもんだ」
気づけばゴール地点へと到着していたソウ。
振り返って笑うソウは、やっぱり少し訛ったかな、なんて呟いているが、イズナは興奮を抑えきらないようにソウのもとへと駆け寄ってきた。
「す―――すごいです!! あんなにしゅばばばって駆け抜けて! あれほどの罠を全て躱しながら進むなんて、信じられません!! 本当に凄かったです!」
「おーおー、ははは近いぞ狐っ子。そうかそうか、ありがとうな」
「もしやソウ殿は忍者だったのですか!?」
「いーや、忍者ではない。だが、キヴォトス一の忍者ならこれくらいはやってのけるだろうな」
「!!!」
ソウは久しぶりに体を動かしたのもあるだろうが、これほどまでに凄い凄いと素直にはしゃぐイズナが少し可愛くみえた。まるで人懐っこい動物が自分に尻尾を振っているのを見て、思わず愛でたくなるような感覚である。
すると、そんなソウの言葉を受けたイズナはハッと電流が走ったような顔をした。
「……ソウ殿! イズナを鍛えていただけませんか!」
「鍛える?」
「はい! イズナ、キヴォトス一の忍者になるためにもっともっと精進したいのです! ソウ殿はイズナの夢を笑いませんでしたし、なにより先ほどのソウ殿の姿はイズナの思い描く忍者そのものでした! なにとぞ!」
「はっはっは! そこまで言われちゃ仕方ないな。ただし、このコースをクリアするにはかなり厳しい修行になる……覚悟はあるか?」
「……はい!」
イズナの弟子入りの嘆願に、ソウは苦笑しながら頷いた。
毎日見てやることは出来ないし、ましてやイズナの思い描く忍者が忍術などを使うようであればその領域は正直専門外ではあるのだが、それでもその一助になることはできるだろうと考えたのだ。
気合いの入ったイズナの返事に、ソウはホシノにやってやるようにぐりぐりとイズナの頭を撫でてやる。嬉しそうに尻尾を揺らすイズナは、その獣耳も相まってなんだか癒される愛嬌があった。
「よし、じゃあこのコースに挑む前に今の狐っ子の身体能力がどんなもんか見せてもらおう」
「はい! 師匠殿!」
「師匠?」
「はい! イズナは今日から師匠殿の弟子ですから! ですから師匠殿もイズナのことはイズナとお呼びください!」
「はっはっは! そうかそうか、じゃあ狐っ子がこのコースをクリア出来たら……その時はイズナと呼んでやろう」
「! ……約束ですからね!」
イズナはより一層気合いを入れた様子でむんと両手を握りしめる。
そんな彼女の様子を見て、ソウは訛った体を叩き直しにきたというのに、思わぬ出会いがあったものだと笑ったのだった。
◇ ◇ ◇
一方その頃―――とある場所。
「一体何なのさ……前の話なら断ったでしょ」
「クックック……いえいえ、以前とは少々状況が変わったのではないかと思いまして」
そこには表情を警戒一色に染め上げたホシノが、一人の『大人』と向かい合っていた。
対面するその大人は、黒いスーツ姿に身を包み、顔は黒い靄のような頭部に白い罅割れが入ったような姿。
不気味、というべきだろうか。
そんな薄気味悪い笑みを溢す目の前の大人は、ホシノにとって紛れもなく嫌悪すべき相手そのものだった。
「お考えは変わりませんか?」
「……私の考えは変わらない。お前は信用できないよ―――『黒服』」
クックック……と拒絶されてなお笑みを溢すその大人に、ホシノは改めて不気味さを覚えた。
渡る世間は鬼ばかりだね。