「はぁ……はぁ……けほっ……はぁ……」
「大丈夫かー狐っ子?」
「ぅえっ……だ、大丈夫、ですが……うぐぐ……もう指一本動かせません師匠殿ぉ~……!」
「はっはっは! まだまだ鍛錬が足りないなぁ」
それから数時間、休憩を挟みながらもイズナと共に身体を動かしたソウ。
最初はイズナの身体能力を見るために、走らせたり跳ばせたり柔軟をさせたりと諸々身体測定的なメニューをやらせたのだが、これが年齢にしては相当高い数値を叩き出した。
まだまだ成長期真っただ中なので、身長も伸びるだろうし、それにつれて骨や筋肉も発達していくだろう現時点で見れば、イズナの身体能力は相当高い。
故にソウは追い込みすぎないものの、けして楽ではないギリギリのラインでイズナをしごいた。
自分の身体を思ったとおり正確に動かすということは、案外難しい。
目をつぶって両腕を真横水平に広げた時に実は案外斜めになっていたり、床に足を伸ばして座った時に足の長さが少しずれていたり、人の身体は自分で思っているよりも認識のずれが生じるものなのだ。
それを理想通りに動かそうとするなら、自身の肉体への相当な理解が必要になってくるし、その上で更に常人ではできない動作を行うならば、それ相応の肉体を作る必要がある。
そこで目下、イズナに必要なのは柔軟性とスタミナだった。
「まぁ今日はこの辺にしておくか。息整えたら最後に柔軟するぞ」
「はぁ……はぁ……師匠殿はイズナの思っていた数倍鬼教官でしたぁ……」
「はっはっは!」
ソウが今回イズナにやらせたのは、ひたすら長距離のランニングだった。無論水分補給や休憩は度々挟んだが、何度も何度も長い距離を走らせ、ひたすらスタミナ強化に当てた。筋トレも行いたいところではあったのだが、有酸素運動と並行して行うと逆効果になりかねない側面もあったので、まずはスタミナ強化に努めたのである。
もちろんソウも共に走ったのだが、汗だくになって倒れ伏すイズナと違い、汗はかいているものの表情にはかなり余裕が見える。スタミナの違いが明らかだった。
そうしてなんとか起き上がったイズナは、ソウの指示通りに柔軟を行っていく。
「あたたたた……! ぐぅ~……! 痛いです師匠殿ぉ!」
「いいか狐っ子、柔軟において大事なのは脱力だ。緊張して筋肉をこわばらせると伸びるものも伸びないんだ」
開脚して前に手を伸ばすイズナの背を押すソウ。
しっかり骨盤を立たせろとポジションを整えさせた結果、最初にやらせた時よりは前に倒せるようになっているが、それでもまだ固い。
痛みに声を上げるイズナだったが、後ろからゆっくり押しながらアドバイスをするソウの言葉を受けて、なんとか自分の身体に意識を向けた。
「息を吸え」
「っ……すぅー……」
「そしてゆっくりながーく吐きながら、今伸びてる部分の筋肉を緩めるように意識しろ。ゆっくりだ。筋肉のこわばりを息と一緒に抜いていくイメージ」
「ふぅーーーー………」
すると、イズナの身体が先ほどよりもぐーっと前に倒れていく。おなかまで地面につけはしなかったが、手を付いた状態から肘まで地面にくっつけることに成功した。
その事実に、イズナは実感として柔軟のコツを掴む。
「す、凄いです……イズナ、急に身体が柔らかくなりました! あたた……」
「柔らかくなった、というよりは本来しっかり脱力出来ればここまで伸ばせるだけの柔軟性はあったってことだな。もともと習慣的に身体を動かしていたからこそ、身体を動かすコツを身につけていけば、こうして劇的に変わるものもあるんだ」
「わぁ……!」
体を起こして膝を緩めたイズナは、自分の両手を見つめ、己の身体に眠っていた能力に感動する。そしてそれを理屈と実感で教えてくれたソウに対して、より一層の尊敬の念があふれてきた。
「ひとまず狐っ子の課題はスタミナと柔軟性の向上だ。それに加えて、もう少し筋力が必要だな。まぁ筋力に関しては今後身体が出来上がっていく中でゆっくり鍛えていけば十分だろ」
「はい!」
「まぁ俺も忙しいから毎日見てやれるわけじゃないけど、しばらくは今日やったメニューを繰り返すこと。ただやりすぎは成長を阻害するから、最低でも週に二日は休養を挟め……何か物足りないようなら連絡してくれれば助言するから」
「承知しました! イズナ、師匠殿の言いつけを守って修行に励みます!」
立ち上がる気力はないのか座ったままだが、しゅばっと手を挙げてそう言うイズナに、本当に素直だな、なんて思いながらソウはぐりぐりと頭を撫でた。自身の成長が嬉しかったのも相まってか、尻尾がぶんぶんと揺れているのが微笑ましい。
そして忘れない内にモモトークを交換すると、ソウは持ってきていた着替えを手に取る。
「そろそろ飯の時間か。狐っ子は動けそうか?」
「うぐぐ……すみません師匠殿……ちょっと立ち上がれそうになくて……えへへ」
「はっはっは、ちょっと気合入れすぎたかな。じゃあ背中に乗れ、近くに温泉施設があるから汗を流しにいくぞ。着替えは持ってきてるか?」
「い、いえ……元々ここまで汗をかく予定ではなかったので」
「そうか……それは俺のせいだな……じゃあ弟子入り記念ってことで、何か着るものを買ってやろう。遠慮せず黙って受け取ること、これ師匠命令ね」
イズナの前でしゃがんで背中を見せるソウに、イズナは恐る恐るといった様子でその首に腕を回し、抱きつくようにしておぶさった。
まるでなんの重みも感じていないかのようにすくっと立ち上がるソウだったが、対してイズナは着替えの有無を問われてすぐ、自分が汗だくなことに気づき、そっと身体を起こす。
「ん?」
「いえ、その……今イズナ、汗が凄いので……師匠殿の服を濡らしてしまいますし、匂いとか……」
「はっはっは! どうせあとで洗ってしまえば一緒だ。それに俺だって汗かいてるから、匂いで言えば若いお前より俺の方が臭いかもしれないな」
「そ、そんなことはないです! 師匠殿も臭くないですよ!」
「それは安心した」
よっ、と軽く声を出してイズナの足を抱えて背負い直すと、ソウはゆっくりと歩きだす。カラカラと気にした様子もなく笑うソウに、思春期真っただ中のイズナは少しだけ気にしている自分が子供っぽくも感じ、複雑な気持ちになった。
だが逆に言えば、それだけソウの大人らしさを感じているということでもあり、手で掴まっている肩の厚みや身体で感じる背中の広さが、より一層自分とは違う男性らしさを感じさせてくる。
キヴォトスでは男子生徒が滅多にいない上に、大人も獣人やロボットだったりで、こうして生身の男性と触れ合う機会など生まれて初めてといっていい。
その事実にほんの少しドキドキしてしまうものの、ソウの人柄のせいか、それとも尊敬の念が大きいせいか、なんだか包み込まれるような背中に心がぽかぽかと温かくなった。
「えへへ……師匠殿の背中は大きいですね!」
「ああ、大人になって色々背負うようになってしまったからな」
「色々ですか?」
「責任とかな……」
「あわわ……触れづらいですよ師匠殿」
はっはっは、と冗談を笑うソウに、イズナもまた笑みを溢す。
その色々背負うようになった背中に、今自分も背負われているのだと思うと、イズナはなんだか嬉しく思った。
◇ ◇ ◇
その後、近くの温泉施設で汗を流した二人。
ソウは百鬼夜行の空気に合わせたのか、カジュアルな黒シャツの上から一枚和柄の羽織を肩から掛けている。対してイズナの方は汗だくの体操着の代わりに、ソウの着替えを一つ借りて着用していた。シンプルな長袖の白シャツとハーフパンツだが、サイズがソウのものなので、かなりぶかぶかではある。
その姿を見かねたソウが、自身の羽織をイズナに羽織らせることで多少マシになった。窮屈でつけていなかった帯でまとめることで、羽織の丈も調節できる。
そうして浴場を出た二人は、ソウの口にした通り、イズナの衣服を買いに百鬼夜行の街並みを歩いていた。
「いつ来ても百鬼夜行は賑やかだなぁ」
「観光が盛んですし、日々お祭りの準備をしていますからね!」
「活発でいいね」
温泉に入ったことで多少身体が癒されたのか、イズナは自分の足で歩けるまでに回復したようだ。ソウの隣を軽快に、とは言わずともふらつくこともなく歩けている。
街並みを見ながらぶらぶらと歩く二人は、他愛のない雑談を交わしながら衣服の売っている店へと入っていった。
店内に並ぶのは、百鬼夜行らしく和服が多い。無論洋服もあるが、和のテイストがメインとなるラインナップだった。
「うーん、どれか欲しい服があれば言ってくれ」
「えっと……そうですね……少々気が引けますが、師匠命令ですからありがたく頂戴します! では、この師匠殿の羽織と似たようなものが欲しいです!」
「ふむ……じゃあ、この花柄の着物はどうだ? ちょっと大きいけどこれから成長するだろ。今つけてる黄色い帯もやるから、大きくなるまではそれで調節して着ればいい」
「わぁ……とっても綺麗です! 本当にいただいていいんですか? 師匠殿!」
「ああ、弟子入り記念だ。それ着て立派な忍者を目指すんだぞ」
手早く購入して渡された着物を手に、目を輝かせるイズナ。
イズナも忍者を目指してはいるが、年頃の女の子だ。可愛いらしく、また美しいその着物に喜びを隠せなかった。しかも、尊敬する師からの弟子入り記念の贈り物だ。なんだかそれも物語の師弟のやりとりっぽくて気分が高揚してしまう。
ぎゅっと大事そうに抱えたイズナは、満面の笑みでソウに礼を言った。
「ありがとうございます師匠殿! イズナの一生の宝物にします!」
「おう、喜んでくれたならなによりだよ」
「えへへ!」
上機嫌のイズナを連れて、店を出る。
着ていくかと聞いたソウだったが、イズナはまたの機会にお見せしますと言って手で持ち帰ることにした。
そうしてまた街並みを歩く二人。
「師匠殿はこのあとどうされるのですか?」
「ん、ちょっと仕事で人と会うことになってる」
「そうですか! では……本日はここでお別れですね」
「そうだな。帯以外の貸した服は、また会うときにでも返してくれ」
「はい! イズナが責任もってお洗濯しておきますね!」
それではー! と最後まで元気に手を振って去っていくイズナを、ソウもまた軽く手を振り返して見送った。そうして、元気な弟子が出来たものだ、と思いながら踵を返す。
スマホで時間を確認して、ちょうど時間通りに着きそうだと頷いた。スマホをポケットにしまい込み、ゆっくりと歩きだす。
服装の崩れを直しながら、もう視線の先に見える建造物に近づいていく。
そこは、この百鬼夜行連合学院の治安維持組織にして部活の一つ。
――――百花繚乱紛争調停委員会のある場所だった。
お仕事お仕事