―――ソウせんぱいがしばらく空けると言ってから、一週間が経った。
無論、その間も毎日欠かさずモモトークで連絡は取り合っていたけれど、やはりふとした瞬間に寂しさを感じてしまう。
ユメ先輩のお見舞いにも欠かさず行っているけれど、未だに目覚める兆しがない。お医者さんが言うには、もしかしたらまた違うアプローチを掛ける必要もあるかもしれないとかなんとか。
ただその場合は今の病院よりももっと大きい病院に移動させる必要もあるらしいから、すぐに決められることでもない。ましてやアビドスの借金問題は待ってはくれないし……今の私には複数の問題を一度に考えられるほどの余裕はなかった。
「ユメ先輩の入院……アビドスの借金……そして、黒服」
黒服との関係――――それは、未だユメ先輩にもソウせんぱいにも伝えられていないこと。あいつが声を掛けてきた始まりは、アビドス高校に入学した時からだった。
不気味で怪しい大人、というのがあいつに対して当時から今に至るまでの私の感想。
アビドス高校の借金の大半を肩代わりするという対価の代わりに、あいつの言うところの神秘の研究に協力するという契約を持ち掛けてきた。なにやら私はこのキヴォトス最高の神秘を持っているとかなんとかで、胡散臭いことばかり言っていたのを覚えている。
まぁ、何度も断っていたからしばらく姿を見せていなかったのだけど、先日久しぶりに声を掛けてきたかと思ったら、あいつから出てきたのは今までとは少し違う文句だった。
「私は、どうするべきですか……ソウせんぱい、ユメ先輩……」
◇ ◇ ◇
「クックック……梔子ユメさんの一件、存じ上げております。今もまだ目覚めてはおらず……このまま意識を取り戻すかどうかも定かではないと」
「それがなんだ……お前には関係ない話でしょ」
夜、私のもとへ訪れた黒服の口から出てきたのは、ユメ先輩のことだった。
どこから訊きつけたのか、と疑問が浮かぶ。だが妙に情報収集に長けた黒服のことだ。独自の情報源から訊きつけてきたのだろう。最初はそう思って別段聞こうとは思っていなかった。
だが、それにしてはやってくるのが遅い。
黒服……こいつは言動は怪しいし、どう考えても己の欲望に忠実な悪い大人だ。けれどその能力は相当なやり手だと思う。じわじわこちらを追い詰めていくような話の運び方といい、話を持ち掛けるタイミングといい、交渉術という領分では今まで出会った誰よりも頭が切れる。
そんな黒服が、ユメ先輩の話を持ち出して私に交渉を持ち掛けてくるタイミングとしては、いささか遅すぎる気がした。
「どこから訊きつけたか知らないけど……その話を切り出してくるには随分と来るのが遅かったな」
「……」
私の問いは黒服にとって何かの芯を捉えていたのか、これまで全ての問いに対して回答を用意していたかのように言葉を詰まらせることなどなかった黒服が、初めて口を閉ざす。私にはそれが、返す言葉に迷っていたように見えた。
黒服は数秒黙したのち、ふぅとため息を吐いて口を開く。
「クックック……正直、私としても今回の一件に関しては少々機を逃したと自覚しておりますよ。本来ならば、梔子ユメさんが一命を取り留めた直後のタイミングが良かったのですが」
「……だろうね」
ユメ先輩が入院した直後……それは、私の心が一番不安定だった頃だ。
ソウせんぱいがいなかったら、今頃孤独で押しつぶされていたかもしれない。それくらい、自責の念に追い込まれていた。この狡猾な大人がそんな絶好のタイミングを逃すはずがない。
だとしたらなぜ?
「―――魅旅ソウ、あの方がアビドスに訪れたのはいつからですか?」
「……夏からだけど」
「!……やはりそうですか」
「なんの話だ」
「クックック……小鳥遊ホシノさん……貴女は貴女の思っている以上に彼に守られているということですよ」
どういうことだと思った。
何故だか急に上機嫌になった黒服に、私は余計に眉を顰める。
ソウせんぱいが黒服に対して何かしていたのだろうか。黒服に言われずとも、ソウせんぱいは私たちアビドス高校を強く支えてくれているのは知っている。
私が思っているより……?
「不思議に思いませんでしたか? 先ほど貴女が仰った夏頃……つまりあの方がアビドス高校に訪れるようになってから、私は貴女に声を掛けることはしていませんでした。状況に変化がない以上、声を掛けても無駄だと判断していたからです。良い返事がいただけないと分かっているのなら、交渉を持ち掛けても無駄ですからね」
「確かに……お前にしては大人しかった」
「クックック……ですがそれは誤りだったのです。私は、状況に変化がないと判断させられていたのです……他でもない、彼によって」
「!?」
黒服の言葉に瞠目する。私の知らない所で、ソウせんぱいが黒服を出し抜いていたってこと? それは、あまりにも驚愕の事実だった。
確かに私はこいつのことは嫌いだ。だが、
「厳密には私を、というより、アビドス高校に関する情報操作や封鎖を行っていた、というのが正しいでしょう」
「情報操作……」
「彼はアビドス高校に起こった出来事や生じた問題を、外部に対して徹底的に隠しきっていたのです。それこそ、私がアビドス高校に対してなんら変化が起こっていないと誤認してしまうほど、完璧に」
「なんでそんなこと……」
「おや? お分かりになりませんか?」
黒服はいつものようにクックックと含むように笑みを漏らしながら、まるで馬鹿にする意図などないかのような声色で、私の琴線に触れるような言葉を紡ぐ。
「クックック―――貴女たちを私のような大人から守るためですよ」
「そんな……」
「こうなると相当手強い……私はあくまで研究者であり、私自身を悪人であるとは考えていませんが……貴女から見れば悪い大人と判断されるのも理解しております」
「どの口が……!」
「良かったですねぇ、小鳥遊ホシノさん……貴女方を食い物にしようとする悪い大人もいれば……貴女方を守ってくれる良い大人がいて」
黒服は強敵が現れたと言いながらも、なお楽し気にくつくつと笑う。
私の与り知らない裏での攻防戦があったこと……ソウせんぱいがアビドス高校を外部の大人たちから守ってくれていた事実……そして黒服がそれを理解してなお笑っていること……情報が多くて付いていけない。
そこには子供には関与できない、大人たちの世界があるようだった。
「クックック……本日は帰るとしましょう……良いお話を聴けたことですしね」
「……」
「それでは。ああ、実験に協力していただける気になったら、いつでも歓迎いたしますよ」
そう言って、黒服は去っていった。
◇ ◇ ◇
―――あれから、黒服の干渉はない。
事実を基に考えれば、おそらくソウせんぱいは黒服のことを知っていると見て間違いないだろう。私に対して黒服が声を掛けてきていることも、あるいは把握している可能性は高い。
何せあの黒服を出し抜く情報掌握術を持つのだから、自身の身の回り……まして普段一緒にいる後輩の私の周囲に起こっていることなど、知ろうとすれば幾らでも知れるはず。
知ったうえで何も言わずにいたのはきっと……私が黒服に靡かないと分かっていたからだ。
「ソウせんぱいは……何を考えているんだろう」
ぐるぐると回る思考の中で、中心にいるのはやはりソウせんぱいばかり。
出会ってから今日まで、ソウせんぱいの凄さを日に日に思い知る。
在学中に借金を3億円まで減らして見せた金銭管理能力、連邦生徒会を始め、ミレニアム、ヴァルキューレ、トリニティ……あの感じだと百鬼夜行にもコネクションを持つ人脈、そしてあの黒服を出し抜く情報掌握能力……挙げれば枚挙に暇がない。
超人なのかと思うほどに、ソウせんぱいには隙がない。
「……でもそうなると、卒業してから二年の間アビドスの借金が返済されていないのはなんでなんだろう」
在学中に9億の借金を3億まで減らし、そして卒業して今もなおアビドスの借金を返済しようと力を貸してくれており、さらにはあの能力の高さだ。
私が入学する前に、ユメ先輩と一緒にアビドスの借金を返済してしまっていてもおかしくはないのではないだろうか?
もっと言えばユメ先輩の言っていた支援してくれている人っていうのはきっとソウせんぱいのことだ。帳簿を見れば、毎月とは言わずとも三ヵ月に一度くらいの頻度で、一千万円程のお金がアビドス高校へ寄付されている。
自分たちで稼いできたお金と併せて毎月の利息を支払うために使っているけれど、だからこそユメ先輩はネフティスから権利を買い戻せるだけの貯金をすることが出来ていた。
「本当はいつでも返せるけど……あえて返していないってこと……?」
ソウせんぱいならば、アビドスの借金を一括返済できるだけの資金力をもっていてもおかしくない。にも拘わらず返済しておらず、利息分を返せるだけの支援金だけを提供し続けている。
だとすれば、借金を返せるけど返していないってことになる。
何故? そこになんのメリットがあるというのだろう? 時間が経てば無駄に利息を払い続けるだけで、借金の元値自体は減らすことができないままだ。
「……わからない」
いっそソウせんぱいに直接訊こうか……いや、これを訊くということは、私に黒服との接触があったと教えるようなもの。今ですら相当尽力してくれているというのに、余計な心配は掛けたくない。
「きっと、何か事情があるんだ……私やユメ先輩にも言うべきじゃない事情が」
私はこの疑問に蓋をすることにした。
何はともあれ、ソウせんぱいは私たちの味方で……黒服や悪い大人たちからアビドスを守ってくれていた大人で……これからも一緒にいてくれる―――それが事実。
ソウせんぱいを信じよう。
ユメ先輩がそうしていたように。
「―――あの」
ふと、声が掛かった。
どこか緊張したような色を含む、女の子の声だった。
顔を上げて、声のした方へと視線を向ける。
そこには綺麗なベージュのロングヘアに緑色の瞳をした女の子がいた。着ている制服はどこかで見たことがあるような印象がある。
「えっと……アビドス高校生徒会の方、ですよね」
「……そうだけど……誰?」
「……私は……その」
突然現れた少女に、私は警戒心を強めた。
私よりもやや年上にも見えるけど……注意深く見れば制服の校章には覚えがあった。同じアビドス自治区にある私立ネフティス中学校のものだ。
セイント・ネフティス企業傘下の超エリート校だったはずだけど、確か廃校になると聞いた気がする。ネフティスが自治区外に移転した影響だったと思うけど、またネフティスの後継者がそこにいるという噂は耳にしたことがあった。
ということは、この子が?
「確か名前は……十六夜ノノミ……?」
「!」
「当たり、か……アビドスを捨てたネフティスのお嬢さんが私たちの学校に何しに来たの? 今はちょっと忙しいから、変な真似をする気なら……ヘイローの無事は承知しないよ」
「いえ、その……!」
言葉がまとまっていないのか、はたまた言いづらいことなのか、彼女はもごもごと口を開いては言葉に詰まりを繰り返す。
せめて言うべきことくらいはまとめてから来て欲しい。こちらとしても考えなければいけないことは沢山あるのだから、妙な問題を持ち込んでほしくはない。
「……用がないなら帰ってくれる?」
「……すいません……その、また来ます」
彼女はそう言って足早に去っていった。
ネフティスのご令嬢……かつての鉄道計画をもってアビドス生徒会と一緒にアビドスを復興しようとしたことは知っているけど、要は結局失敗した挙句アビドスを捨てて衰退の致命傷を残していった悪徳企業だ。
アビドス高校が莫大な借金に追われている大きな原因の一つでもある。
彼女が今こうして接近してきたのは何故? ユメ先輩が権利を買い取るために、ネフティスと接触したことが原因か?
「はぁ……また考えなきゃいけないことが増えた」
ため息をついて、私は空を見上げる。
あとで……ソウせんぱいに相談しよう。
そうだ、私が考えるよりもきっと良い考えを出してくれる。ソウせんぱいは凄いから、きっと力になってくれるはずだ。
ソウせんぱいがいれば、きっと大丈夫だ。
心の拠りどころは大事にしないとね。