ベンチに浅く腰掛け、両膝に肘を置いて前のめりの姿勢を取るソウは、ホシノに対してどのように言葉を紡ぐべきかと、少しだけ考えるように間を置いた。
対してホシノは、ソウから手渡されたお茶のペットボトルの温もりを両手で感じながら、じっと俯いている。
両者の間に流れる沈黙。道を歩く人々の雑踏の音が時折聞こえては遠ざかっていた。
「んー……小難しい話をするのは正直性に合わないんだが、ユメの件もアビドスの借金についても、小鳥遊後輩はよくやっているよ。一年生にも関わらず、最善を尽くそうとしている」
「そうでしょうか……そうだとしても、上手くいかないことばかりです」
「はっはっは、そりゃあそうだ。お前が一人が頑張って全部がなんとかなるなら、アビドスはここまで衰退なんかしなかった」
「っ……」
ソウの言葉は、暗に自惚れるなとホシノの心を突き刺した。
当たり前のことだ、ホシノとて分かっている。一人の力でできることは沢山あっても、大きなことは成し遂げられないこと。そして、一人ではないから発揮できる大きな力があることも。
だけれど、人は失態を犯した時、それを隠したりどうにか取り戻したいと思う生きものだ。
だからこそ、ホシノは普段自分がやっている仕事やアビドスのために行っていること以上に、自分がもたらした損失の大きさに押しつぶされそうになっている。
「小鳥遊後輩には何か、信じられるものはあるか?」
「え?」
不意に掛けられた言葉に、ホシノはソウの方へと視線を移す。
目と目が合うと、ソウの瞳がジッとホシノのことを見ていた。最近は中々目を合わせられなかったからか、ソウの瞳がキレイな青色をしていたことを改めて認識する。
心を見透かすような視線に少しだけ、胸がドキッとなった。
「信じられるもの、ですか?」
「そう、なんだっていい。仲間だったり、信念だったり、言葉だったり、組織だったり、まぁ色々あるけど……なんでもいい」
「……信念だとか、言葉だとか組織だとか……そんなの時として変質してしまうものです。ましてや人なんて、いつ裏切るかわからないじゃないですか。簡単には信じられないですよ」
ソウの言葉を受けて、ホシノは信じるという曖昧な行動を嫌った。
ソウという例外はあっても、大人はアビドスの現状を知れば足元を見てくる生き物だった。連邦生徒会は支援を求めても反応を返してくれない。騙されて損失を受けたとしても、自分たちに手を差し伸べてくれるような存在が現れることはなかったのだから。
必要なのは人を信じることではなく、あくまで事実をもとに合理的は判断を下していくこと。言動ではなく、行動を以って人を判断する。
誰に対しても警戒心を持って相対し、敵か味方かを見定めることが大事なのだ。
だから、ホシノはそう簡単に人を信じることは出来ない。
「世の中にはソウせんぱいや、ユメ先輩みたいな人ばかりじゃないんです……人を信じれば馬鹿をみるのがオチです」
「そうだな、信じるってのはそう簡単なことじゃない。お前の言う通り、人には抗いがたい欲望ってのがあって、利害得失の勘定で動く方がそれを満たしてくれる可能性が高いからな」
「そうですよ……なのに、ソウせんぱいには信じられるものがあるんですか?」
ホシノの言葉を肯定するソウに、逆に問いかける。
信じることは難しいと言いながら、信じられるものがあるのかと。
「あるよ? 自分と、仲間の力だ」
「仲間?」
「ユメもそうだし、小鳥遊後輩だって今は俺の仲間だ。お前たちがどう思っていようと、俺はそう思っている」
「……でも、もし仲間だと思った人に裏切られたら?」
ホシノ自身も、これは捻くれた質問だと思った。
けれど、ソウは間髪置かずに淡々と、けどどこか強い意思を感じさせるような声色で断言する。
「裏切られてもいいさ―――それでも俺は、仲間と思ったやつを信じたい」
ホシノは目を見開いて、言葉に詰まった。
「そ、ん……なの……馬鹿じゃないですか」
「はっはっは! かもな……でも覚えておくといいぞ小鳥遊後輩。こいつになら裏切られたって構わないと思えるくらい信じられる仲間に出会えたら、お前の中にきっと何にも代えられない大切なものが生まれる」
「大切なもの?」
「お前にもいつか分かるよ」
ソウはそう言って笑う。
何も心配することなどないと言わんばかりの表情に、ホシノは視線を手元のペットボトルへと戻した。
ソウの言葉は、自分を慰めるものでも励ますものでもない。強いて言えばホシノ自身が頑張っていると言ってくれたことくらいだ。それ以外は、正直ホシノにはピンとこない話ばかり。
けれど、ソウの強さの本質に少しだけ触れたような気もした。
「よく、わかんないです」
「はっはっは!」
「でも、そうですね……少なくとも、ソウせんぱいやユメ先輩のことは、信じられると思います」
「……そうか。じゃあ、一つ約束をしよう」
約束? とホシノはソウを見る。
ソウは立ち上がると、座っているホシノの正面に立ち、膝をつくようにして目線を合わせてきた。片方の小指を差し出して、困惑するホシノに優しく微笑みかけてくる。
そんな優しい表情をするソウは珍しくて、ホシノはおずおずと自分の小指を、ソウの小指に絡ませた。
ソウはきゅっとホシノの小指を自身の小指を握り返すと、噛み締めるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「この先俺は、小鳥遊後輩が三年生になってアビドス高校を卒業する時まで、傍で見守っているよ」
「!」
「ふふふ、言葉だけの口約束は信じられないか? でも、約束だ」
ソウの口から出てきた約束の内容にホシノは言葉に詰まる。
けれど、ソウが先ほど言っていたことが少しだけ理解出来たような気がした。ホシノは確証のない言葉を信じない。けれど、これほど信じたくなる甘い言葉もないなと、そう思ってしまう。
「……約束ですよ」
「ああ」
「うへ、破ったら容赦しませんからね」
「はっはっは!」
笑いながらソウが立ったことで離れていく小指を追うように、ホシノもベンチから立ち上がる。向かい合う二人はそのまま並んで歩きだした。
もう暗くなったアビドスの道を、何気ない会話をしながら歩く。
この会話でホシノの抱える罪悪感はなにも解消していない。
けれど、ソウの約束が残る自身の小指には不思議な温かさがあった。
「仲間ならそろそろホシノって呼んでくださいよ」
「ん? ふふ、まだ早い早い」
「むぅ……」
ぐりぐりと揺らすように撫でられる感覚に、ホシノは不服そうな顔を隠さないが、それでもその手を振り払おうとはしない。
「ん?」
「……」
だが、頭上のその手を両手で捕まえると、きゅっとその手を握って下ろした。手を繋いだ状態になるが、ホシノは放す気はないというように黙ってそのまま手を握っている。
ソウはそんなホシノの行動に目を丸くしながらも、カラカラと笑って軽く握り返した。
「甘えん坊め」
「うへ、約束してもらいましたから」
「はっはっは!」
ホシノは簡単に人を信じることはしない。
だが、信じたいという感情がないわけではない。ソウという人間を信じたいと思っているからこそ、約束という後押しがホシノを少しだけ素直にさせた。
「いつかユメ先輩と三人で、また集まりましょうね」
「そうだな」
ホシノの言葉に、ソウもまた、深く頷いた。
◇ ◇ ◇
それからしばらく、季節は完全に移り変わって冬へと移行した。
寒暖差の激しい時期を抜けて、眠るときも足先が冷えるようになった頃である。
本日の天気は雨だ。
アビドス高校生徒会の空気はユメが眠る以前と同じくらいには明るさを取り戻していた。
無論、ユメの目覚めを願い続けてはいるが、それでも自責の念や後悔に苛まれることに意識を向け続けることはせず、前を向いてこれからのことを考えるようになったと言えるだろう。
その要因としては、ホシノの表情に余裕が戻ってきたことにあるだろう。
命こそ救えたもののユメを助けられなかったことやソウに依存してしまっていたこと、そしてそれを自覚していたからこそ罪悪感に苛まれていたこと。それらの事柄によって追い詰められていた彼女。
だが、ノノミという後輩が出来ることや、口約束とはいえ、ソウが自分の傍で見守っていてくれると約束してくれたことが、ホシノの心を軽くしたのである。
少なくとも、ソウがいずれ自分のもとからいなくなってしまうかもしれないという不安がなくなったことは、ソウに対する依存度を相当軽減させる大きな要因となっていた。
「うへ~……今日はやる気が出ません」
「んー? まぁ、雨だしな。低気圧とかの影響もあるかもしれない」
「あぁ……確かに、今日はなんだかひどく眠くって……ふあ……」
「眠たかったら寝ててもいいよ。俺もしばらくゆっくり仕事してるから」
生徒会室のソファに座って、なにやら書類を確認しては何か書き込んだり分類分けして整理したりと忙しそうなソウと、そんなソウに寄りかかってぼーっと眠そうなホシノは、雨音を聴きながらまったり過ごしていた。
こう雨が降ると、さすがに不良生徒たちも外出したり暴れたりといったことのやる気も起きにくい。
だからか、今日はホシノもめぼしい仕事はなく、やるべきことも既に終わらせてしまったことで、モチベーションの維持が出来ない様子だった。
「……ソウせんぱい、今日はずっとここにいますか?」
「ん? そうだな、出かける予定はないよ」
「そうですか……」
ホシノはのそのそと動いて、ソファに腰かけるソウの太ももの上に頭を乗せて横になる。
ソウと話をしたあの日からしばらく経って、ホシノはソウに対する距離感がかなり近くなった。ソウが自分を裏切られてもいいと思えるくらいには信じていると言ってくれたこともあるが、自分なりにソウへの信頼を行動で示そうとした結果ともいえる。
ともかくソウと一緒にいるときは、大抵こうしてくっついてくることがデフォルトになっていた。
「小鳥遊後輩、くすぐったい」
「あ、すみません……」
なにげなくソウの膝を指先でこしょこしょするが、ソウに窘められてやめる。ほぼ無意識の行動だったらしい。
ここにノノミがいればこうはならないのだが、訪れる頻度はさほど多くはないので、今みたいに二人きりの状態だとそうもいかないようだった。
「……ユメ先輩、いつになったら起きるんでしょうか」
「さぁな……目を離した隙にひょっこり起きてきそうだし、こればかりは気長に待つしかないな」
ぼーっと膝枕でソウの顔を見上げるホシノは何気なくユメの話題を出すが、やはりというかなんというか、特に広げられる気配はない。
自分との会話をしながらでも手を動かす速度は変わらないことから、ソウはマルチタスクで物事を思考できるのかと、ホシノはちょっとした気づきを得る。
「ですよね……ソウせんぱい、私と二人で退屈じゃないですか?」
「小鳥遊後輩は退屈なのか?」
「いえ、私はこんな時間嫌いじゃないですよ」
「ふふ、そうか。まぁ、とはいえ娯楽に欠けるのは確かだな……雨が止んだらD.U.にでも買い物に行くか?」
「行きましょう」
ソウからお出掛けのお誘いを受けて上機嫌になるホシノ。
すると、先ほどまでずっとあった眠気がさらに強くなったからか、うとうととまぶたが落ち始めるのを感じた。
「(……思えばこんな風に眠るの、どれくらいぶりだっけ)」
ユメがいた時ですら、人前でここまで無防備に眠ることはなかったように思うホシノ。
ましてソウは大人とはいえ男性であり、自分はユメのような豊満なスタイルをしているわけではないが女だ。無防備な姿を晒せば襲われてしまう可能性だって無きにしも非ずというのに、ホシノはその可能性に気づいていながら、それでも安らかな眠りを享受しようとしていた。
「(……ソウせんぱいの匂い、落ちつく……ん?)」
「眠いなら寝とけ」
「うへ……おやすみなさい、ソウせんぱい」
「おやすみ~」
眠りに落ちそうなホシノに気づいたのか、近くにあった毛布を掛けるソウ。それを理解したホシノは、毛布の温もりとは別に、ソウの気遣いで心がぽかぽかと温かくなるのを感じる。
ソウに一言声を掛ければ、驚くほどスッと意識は落ちていった。ヘイローが消え、ホシノの意識が眠りに落ちていったのを証明する。
ソウはホシノから聞こえてくる規則的な寝息を聴きながら、再度仕事を続けるのだった。
ずぶずぶと