アビドス高校の借金問題は一つのタスクとして考えているソウだが、ホシノやユメら、アビドス高校の後輩たちと度々交流を深めつつも、実はアビドス以外の場所へも転々と訪れていた。
拠点として使える場所はいくつか持っているものの、元来彼はその性格から根無し草の放浪人。好きな場所へ気ままに訪れては、気まぐれに人と関わる性分なのだ。
そんな彼は本日、キヴォトス屈指の科学技術を誇るミレニアムサイエンススクールへと訪れていた。
―――ミレニアムサイエンススクール。
このキヴォトスに存在する数千の学園の中でもトップクラスの影響力を持ち、『ゲヘナ』、『トリニティ』という巨大な古参校と並んで三大学園の一角を担う学校だ。
その特徴はキヴォトスにおいて最先端、最新鋭と名高い科学技術であり、このミレニアムで開発された様々なものがキヴォトス中に多く普及されているほどだ。
電子機器におけるハードウェア、ソフトウェア、プログラム、工業機器、生物、AIなどなど、その研究分野は多岐にわたり、ゲーム開発やスポーツにも精通する生徒がいるくらいである。
「失礼するよ」
「おや、ソウさん。待ってましたよ」
そんなミレニアムに存在するとある部室が、今回ソウの訪れた目的地である。
ガラリと扉を開けて中へ入ると、ちょうどコーヒーのおかわりを淹れようとしていたのか、空のマグカップを持って立ち上がったところの女生徒が彼を出迎えた。
夢中で研究に勤しんでいたのか、目元にはうっすらとクマが見え、髪や衣服もやや乱れ気味だ。また手や着ている白衣も、オイルか何かかわからないが、ところどころ黒ずんでおり、到底人を出迎えるような姿ではない。
「経過を訊きに来たよ、頼んでいたものの開発の調子はどう?」
「中々順調ですよ。ソウさんが提供してくれた材料のおかげもありますけど、想像以上にとんとん拍子で結果が出始めているから、逆に問題がないか不安になるくらいです」
女生徒はそう言いながら新しいコーヒーを淹れ直し、ついでにソウの分も淹れたらしくそっと新しいマグカップを差し出す。
礼を言って受け取ると、ソウは一口飲みながらそうかと返した。
「ソウさんから最初に話を持ち掛けられたときは何事かと思ったものですけど、こうして結果を残せるのは我が部にとっても有益です。おかげでまた次回の部活動予算を増加させることが出来そうですよ……フフフ」
「それはなによりだよ。実績云々はそっちで好きにしてもらっていいけど、くれぐれも契約の方は忘れないでくれよ?」
「わかっていますよ。前回同様これが完成した暁には最優先でそちらに提供します。それに、この契約を抜きにしたってソウさんには相当お世話になっていますからね」
「大したことじゃないさ。俺の目標を達成する過程で結果的にWin-Winだっただけだしな」
順調な経過報告を受けて満足げに笑みを浮かべるソウだったが、そんな彼以上に上機嫌な女生徒は嬉しそうに感謝を述べた。よせよせと手を振って苦笑するソウに、女生徒もまたふと笑みを浮かべた。
すると彼女はマグカップをデスクに置いて、開発物の詳細データをUSBに転送し、それをそのままソウに手渡す。
「まだ実用に足るかの実験は行ってませんが、暫定的には完成と言っても良いと思います。あとの作業はここでは行わない契約ですから、前回同様そちらにお任せしますね」
「ああ、実用化に向けた実験を行って問題があれば再度連絡する。この感じならまぁ、大丈夫そうだけどな」
「フフフ、だといいのですが」
そんな会話と共にぐいっとコーヒーを呷り飲み干すと、ソウはごちそうさまとマグカップを返す。
「それじゃ、来て早々で悪いがおいとまするよ」
「ええ、このあとはまたあそこへ?」
「ああ、念には念を入れないとだからな。知ってるだろ? 俺は中途半端は嫌いなんだ」
「フフフ、存じておりますよ。それでは、また」
「ん、またな」
そしてそのまま入ってきた扉から出ていく。
遠ざかっていく足音に残された女生徒はふぅとため息をついた。デスクに寄りかかるように腰かけ、ふと視線を研究台の上へと向ける。
そこには黒い色をした物質が置いてある。何かの道具というわけでもなく、特にこれといった用途を感じさせない物質だ。
「……惜しむらくは、開発した――という実感があまりないことですかね。材料も完成図もほとんどソウさんが提示してくれたものですし……今回もこれの製造工程を明確化するために手を貸しただけ。ですが……これ何に使うんでしょう?」
女生徒は達成感がやや不足しているのか、苦笑を漏らした。
そして何に使うものなのかと首を傾げるが、そこで熱中したツケが回ってきたのか強い眠気を自覚する。コーヒー飲んだんだけどなぁ、なんて思いながらぐいっと伸びを一つ。
「ちょっと仮眠しますか……ふあ」
女生徒は白衣を脱いで椅子に引っ掛けると、あくびを隠すことなくソウと同じように扉から外へと出ていった。
その扉の上、そこにはこの部屋の名前が記載された表札がある。こう書いてあった。
―――新素材開発部
◆ ◆ ◆
新素材開発部の部室から出て、ソウが向かったのは妙に冷房の効いた機械まみれの一室だった。カタカタとキーボードを叩く音が部屋に響き、ヴーンという機器の稼働音が絶えず聞こえている。
ソウが入室すると、まるでそれが分かっていたかのようにモニターの前に座っていた人物がくるりとその特徴的な椅子を回して、身体ごと振り返った。
「どうも、お待ちしてましたよソウさん」
「ああ、いつもすまないな明星。今日も頼む」
「ええ任せてください。この超天才清楚系病弱美少女ハッカーである私の掛かれば、こんなこといつも通りお手のものですよ」
「ははは、調子は良さそうだな……なんだその目は」
「別に。まぁ理由があるのは理解していますが……本来ソウさん自身でも済ませられるようなことですからね。いわゆるモチベーションが上がらないというやつです」
くるり、と再度モニターの方へと向き直った少女。
ソウが明星と呼んだ彼女の名前は―――明星ヒマリ。
白い髪と白い肌、エルフのように長い耳に透き通るような声を持つ、彼女自身が自称する通りの美少女だ。その特徴的な椅子……特性の車椅子に座っていることから、身体的に不自由を抱えているらしい。
とはいえ、彼女自身の性格は大分図太いのか、その自己肯定感の高さが伺える自己評価に加え、気分屋な奔放さを併せ持っているようだ。
「いつも手間を取らせて悪いな」
「構いませんよ……これでも貴方のことは尊敬していますので。ああ、ですがこうも簡単なお仕事ばかりですと、敬意も薄れてしまいそうです!」
よよよ、と芝居がかった様子でそんなことをいうヒマリに、ソウは苦笑する。
「そう思ってほら、お土産にお菓子を持ってきたから」
「ふふふ、そう思っていましたよ」
「良い性格しているよお前は」
そうしてタン、とキーボードを叩くと、今のやり取りの間に作業は終わったらしい。
「はい、終わりました。いつも通りソウさんが新素材開発部に向かう監視カメラの映像は適当に差し替えておきましたよ。」
「ありがとうな」
「本当に礼を言われるほどでもないですよ。そもそもソウさん、監視カメラにほとんど映らない立ち回りで侵入してますから……どこで身につけられたのですか、この無駄に高いスニーキング技術は」
「まぁ、昔とった杵柄ってやつだ」
ヒマリは胡散臭いものを見るような目でソウを見るが、ソウがカラカラと笑うとはぁとため息をついて首を振った。
そんな彼女の前にソウは近くのテーブルを引っ張ってきて、そこにお土産のお菓子を並べた。持ってきたのはケーキのようで、どこから取り出したのか紙皿に乗せてヒマリの前にすっと差し出す。気づけばフォークも添えられていた。
何度かこういう時間があったのか、ヒマリは慣れたようにフォークを手に取ったケーキにスッと刺し入れ、一口口に放り込む。
「ん、美味しいですね。どちらのケーキですか?」
「ああ、俺が作った」
「……ソウさん、お菓子作れるんですね」
「食は大事だぞ。俺は美味いものを食べることが好きだ。だから美味いものを作れるようになれば、いざという時も最低限味を担保したものを食べることができるだろ?」
「いざって……どういう時ですか」
「ん? あー、無人島でサバイバルすることになった時とか?」
「そうそうなさそうですね……」
呆れた様子でヒマリはケーキを口に運ぶ。
そんな彼女の様子に笑みを浮かべながら、それにしてもソウは感心していた。
ヒマリに頼んでいたのは、彼女の言っていた通りソウがこのミレニアムを訪れて新素材開発部に接触する映像記録の差し替え作業。口ぶりから今までも何度か頼まれて行っていた作業のようだが、本来これほど早く完遂できることではない。
このミレニアムは、冒頭で述べた通り最新鋭、最先端を誇る科学技術が集まった学校だ。そうなればその学校設備において、さらにいえばその警備システムは他の追随を許さないセキュリティを誇っている。
そんな厳重なセキュリティを誰にも悟られないようにハッキングして突破し、監視カメラの映像記録をジャックするなど、並のハッカーでは不可能な所業なのだ。
それを今の会話の片手間にやってのけたという明星ヒマリのハッキング能力は、はっきりいってこのキヴォトスでも超一級品だ。
流石は天才を自称するだけはあるとソウは評価している。
「(これで一年生だもんなぁ……大したもんだ)」
「? ……なんですか?」
「んや、なんでもないよ。紅茶も淹れてきたから、飲むといい」
これでミレニアムの一年生だというのだから、将来は末恐ろしいものだ。
「保温ボトル……用意が良いですね」
「以前トリニティに行ったときに貰った紅茶だから、多分美味い」
「ソウさんは紅茶の味がお分かりになるのですか?」
「んや、わからん。でもまぁ、高いやつは美味いだろ」
「そんな適当な……贈られた方が不憫です」
これまたどこから取り出したのか紙コップに紅茶を注いで手渡してくるソウに、ヒマリは何度目かのため息をついた。
だが機器を冷やすために冷房を効かせている部屋にいたからか、温かい紅茶を飲むと身体が温まるのを感じるらしく、ほぅ、と表情を弛緩させる。そもそも彼女は寒がりなのか、カーディガンにブランケットと装備は中々温かそうなので、体内から身体を温めてくれる紅茶は渡りに船だったのかもしれない。
「ごちそうさまでした。手作りケーキ、美味しかったです」
「お粗末様。それじゃあそろそろ俺は行くよ」
「あら、もう少しゆっくりお話したかったのですが……ソウさんはお忙しいですからね。またの機会に」
「ああ、今度は単純に遊びに寄るよ」
「ふふふ、お待ちしてますね」
名残惜しそうなヒマリだったが、事情は把握しているのか強く引き留めはしない。ソウも彼女が雑用と評価する作業を頼むためだけに何度も訪れるのは申し訳ないので、今度は普通に遊びに来ることを約束する。
それじゃあなと笑顔で見送るヒマリに別れを告げて、ソウは部屋を去るのだった。