「...はぁ」
またか...と、つい俺は溜め息を零してしまった。
視界には見覚えのある天井が広がっている。相変わらず飾り気のない、落ち着いた天井だ。
そして背中に、包み込むように柔らかい感覚がある。
このふかふか具合にも、覚えがある。気持ちいい。
ここは多分、トリニティの病室だ。
俺はまた、そこで目を覚ましたのだ。
「...うがぁ...ひぃぃぃ、あびゃびゃびゃぁ....」
あぁキッツ。待って待ってちょっと。おいおいおいおいおい。
おっけ、おちけつおちけつ。
いやぁ、あ、あはは!!!!
ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛シ゛ヌ゛ゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!!!!
死んじゃう!!
やばい!!!どうしよう!!!一部始終全部覚えてるよ!!!
力を使ってた影響でテンションが馬鹿になってたせいでバチクソコハルにキレ散らかしてた俺な訳ですが。
なに怒鳴っちゃってんの俺!!!!そんなキャラじゃないだろ!!!
しかもクソほどコハルに血反吐ぶっかけて無様に痙攣した挙句気絶!?
え?どうしよ?死ぬ?死んだ方が良い?
その方が世間様の為になる?畑の肥料になるべき?
てか、ここまで運んできてくれたのコハルさんですよね?
あぎょぎょぎょぎょぎょぉぉぉぉぉぉ...ふぅ、ふぅ、か、過呼吸.....
つ、次どんな顔をして会えばいいの?
てかもう会わない方が良くない?絶対その方が良いよね?ね?
よ、よし、自主退学しよう。
い、いや駄目だそんなの。カナエの制服姿をこの目に焼き付けるためにも、俺は学校に通ってないとぉぉ...
カナエが安心して学校に通えるように。何も心配せず安心して養生できるように。
俺は青春を謳歌しないといけない。少なくともそうカナエに見せないと....
でもあれはもう自殺案件過ぎるよぉ...まだ脳裏に焼き付いてる。あのコハルの怯えた表情。
胃が、胃がぁ!!!
でも写真を撮って特殊な紳士様方に売れば高く買って貰えそうだな...
「うぎぎぎ...斯くなる上は記憶喪失になったふりをして...」
「...記憶喪失?」
「へっ?」
その瞬間、ベッドの真横。俺の視界の外から、鼓膜へとダイレクトにその声は届いた。
「へ?へ?へ?」
「良かったよ、目が覚めたようで。一時はかなり衰弱してたらしかったから、でもこの様子を見る限りは少し安心して良さそうだね」
バッと目を向けると、見覚えのある大人がそこにはいた。
少しボサッとした髪と、くたびれたネクタイ。優しさと包容力、そして確かな意志の強さを感じさせる眼差しが、静かに困惑する俺へと注がれている。
度々、というか結構な頻度で、テレビだったり新聞だったりでこの人を見かける。
けど正直興味はなかったし、俺とは縁のない人だと思ってた。
だからこの不意打ちには、心底ビビった。
「シャーレの...先生?」
「初めまして、シンタロウ。会えて嬉しいよ」
先生はそうニコリと微笑んだ。
なんでここに、シャーレの先生が?
い、いやここはトリニティ総合学園。キヴォトスの三大校の一つだし、実際いても差して不思議じゃないだろう。
疑問なのはそう、そのシャーレの先生が、俺に対して用がありそうって点だ。
まさか闇バイトの件がバレたか!?
「ど、どうかお縄は勘弁してくださいぃ....」
「...どういう意味?」
「え?俺を捕まえに来たんじゃ?」
「いや...違うけど?」
違った。どうやら別件らしい。
考えてみりゃそりゃそうか。多忙なシャーレの先生がわざわざ俺を捕まえに来るわけないや。
「えぇこほん。噂に名高いあのシャーレの先生が、俺に何の用でしょうか?」
「何事もなかったように...まぁいいや。えっとね、シンタロウはまだ知らないようだけど。実は私は、補習授業部の顧問なんだ」
「え!?そうなんですか!?」
「うん。最近仕事が立て込んでて、あんまり顔を出せなくてね。挨拶が遅れちゃってごめん」
「あ、挨拶って、わざわざ俺に?」
「これからは毎回補習部に顔を出そうと思うから、きっとシンタロウと関わる機会も増えるだろうしね」
「ってことでモモトーク交換しよ~」なんて、先生は軽快な口調だ。
対して俺は超人見知りボーイなので普通に恐縮しちゃってる。
これが大人の余裕なのか??
な、なんか悔しい。
「すみません、俺モモトークとかやってなくて」
「え!?そうなの!?」
「というかそもそも、スマホを持ってないもんで。絶対に持ってた方が便利なんだろうなとは思ってますけど、金銭面がキツくて」
「そうなんだね」
出来ることなら、先生の連絡先は確保しておきたかったな。仲良くなっておいて絶対に損はない人だし。
と思っていた矢先。
「じゃあこれあげるよ」
「え?」
先生は何処からともなくスマホを取り出して、俺に手渡す。
突然の行動に、思わず目をパチクリとさせてしまった。
「こ、これは?」
「見ての通りスマホだよ。やっぱり、あった方がいいだろうからね。迷惑じゃなければ貰ってくれる?」
「い、いやいやいや申し訳ないですよ!!」
「一つ前のモデルだからね。最近買い換えて、もうそのスマホは使ってないんだ。捨てるにはまだまだ使えるし、それならシンタロウに使って欲しいんだよ」
「うぁ~...そう言うことなら」
マジかよ。すげぇな大人って。懐の深さが違う。
各メディアで引くぐらい持ち上げられていた先生だが、その評価が正しいと言うことを俺は知った。
大人は凄いんだ。
「ありがたく使わせて貰いますね」
「うん」
・・・
そうして俺はその日昼までに退院することが出来た。
聞く話によると、どうやら俺はここに運び込まれた時、近年希に見るレベルの重傷を負っていたらしい。
内蔵は容赦なく破裂して、骨はボキボキ。
正直、覚悟はしてた。無理な力の使い方をしてるのは自覚してたし、それ相応の代償が来るのだろうと思ってた。
その上で言える。舐めてた。
コハルが途中で止めてくれたから良かったものの、それでも地獄のような苦しみを味わった。
幻覚とか幻聴もあった。青白い無数の手が俺を地の底に引きずり込もうとするような感じの。
無様に「来るな!!来るな!!」と叫んでいたような記憶がある。はっず。
いやはや、よく俺のヘイローは壊れずに済んだものだと思う。
多分、あのまま戒野ミサキを捕らえるために力を使い続けてたら、取り返しのつかないことになってた。
普通に死んでたし、もしかしたらそれ以上に悲惨なことになってたかもしれない。
つまるところ、初めから戒野ミサキを捕らえることはノーチャンスだったのだ。
「...ふぅ」
さて、これから俺が向かうのは、補習授業部だ。
そしてそこにいる、コハルに謝るのだ。
今回は全面的に俺に非がある。多少結果論にはなるが、それが事実なのは間違いない。
俺が欲張ったせいで、全部台無しになったのだ。
結局荷物を運ぶことも出来なかった。無断で仕事を放棄したことになり、恐らくあのクライアントからは二度と仕事は貰えないだろう。
「うがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!俺のバカバカバカバカァッ!!!!」
あの人以上に金払いの良い闇バイトなんてそうそうねぇよな...どうしよ。
多少収入は減るが...仕方ない。腐っても闇バイト。普通に働く何倍も稼げることには変わりないんだから、切り替えてこう。
切り替え...きり....
「切り替えてけねぇよぉぉぉ...うぅ....」
「...シンタロウ?」
「ほえ??」
するとその瞬間、前方から覚えのある声が聞こえた。
頭を抱え俯いた状態のまま、俺は固まる。凍り付けにされたみたいに、カチコチに固まる。
「...不躾ながらお聞きするのですが...そこにいる貴方様はまさかコハルさんではありませんか?」
「そ...そう、だけど」
嘘じゃん。駄目だってそんなの。おかしいよ。
まだ俺心の準備が出来てないのですがァ????ちょっとぉ???
そりゃ謝る気でいたよ!?そのために補習部に向かってたわけだし??
でも、こんな道中でばったりは違うじゃん!!じゃん!!!!
「も、もう!大丈夫...なの?」
「...へ?」
いつまでも顔を上げられない俺に、コハルはそう言った。
「凄い傷だったから、暫くは絶対安静だって...なのに、もう歩いて大丈夫なの?」
「え、えっと。起きた時にはもうほとんど治ってたよ。回復力だけが取り柄だからね!あ、あははっ!!」
んな取り柄俺にねぇよ何言ってんだバカ...
「そ、そう...良かった。じゃ、じゃあ私はこれで....」
目の前の気配が、遠ざかっていく。コハルは、この場を後にしようとしてる。
おい、え...何してるんだ俺。謝るんだろ、謝れよ。
いやでも心の準備...ってそんなの関係ないだろ!
今謝らないと...いつ謝るんだ?あとで?今行動できない俺が、時間を置いて行動できるのか?
なぁなぁにするんじゃないのか?
お、俺は...俺は、
「こ、コハル!」
「ひっ!?」
去り行くコハルの手を掴む。
その瞬間、コハルの体がびくりと震えた。コハルの手からその震えが、俺にも伝わって来た。
「な...な、に?」
「...ッ、」
やっと俺は、コハルの顔を見た。そして少し、後悔もした。
コハルは、目に見えて怯えていた。俺に目を合わせられて、酷く表情を歪めていた。今にも泣きだしてしまいそうだった。
向き合わないと。コハルをこんな風にしたのは俺なんだ。
「そ、その!!」
頭の中で言葉を選ぶ。けどどれも、コハルの恐怖を拭い去ることが出来るとは思えなかった。
「お、俺は.....」
...駄目だ...分からない。
一体なんて言えば...なんて。
「...うぅぅぅぅ」
「...え?」
「コハルぅぅぅ....」
「な、なに!?なに、なに!?なんで急に泣き出したの!?」
「ごべんよぉぉぉこはるぅぅぅぅ....!!!」
「へあっ!?」
もう何が何だか分からなくなった。頭の中は空っぽ。でも謝らなきゃいけないっていう想いだけがある。
気づけば俺は、コハルに縋りついていた。
「し、しし、シンタロウ!?」
「ゆるじてぇぇぇぇぇぇぇおれがわるがっだよぉぉぉぉぉぉ!!!」
「待って!?おち、落ち着きなさいよ!!!」
「コハルゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!」
「は、鼻水が!?涙とか唾液とか色々汚いわよ!!擦り付けないで!」
「ズピィィィィィィィィッ」
「アアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
・・・
それからというもの、補習部では時折コハルに縋りつくシンタロウの姿が確認されるようになったらしい。