治したいところが結構あるけど^^;供養のつもりで公開します。
書ききれてない部分が多く、長編にしたほうがよかったな……と思ってますがご愛敬( ;∀;)
お楽しみいただけたら幸いです( *´艸`)
「お前の血は何色だ?」
小銃を持った男がやってきて、私はサイドガラスを下ろした。
親指に針を刺し赤い血が膨らむのを見せた横で、ボーヒーズが同じようにしている。難しい顔をしていた男は、表情を少し緩めた。
「お前たち有色人種は、血色が読めん」
「ねえ、なんの騒ぎ?」
私は、すぐそばにあった人だかりに目線をやった。かつて、スタジアムがあった場所にたくさんの人が密集している。
「ああ。あれだよ」
男が銃の先で示した方を見る。スタジアムの場外モニターが、中の様子を映していた。
客席の真ん中にわらがうずたかく積まれ、そこから十字架が何本か生えている。十字架には、一つにつき一人、人間が括りつけられている。
「青血の生き残りを見つけたから、これから火あぶりにするんだ」
男はそういって笑った。冗談じゃない。何がおかしいのか、さっぱりわからなかった。
「行っていい?」
「待て。そっちの子供は?」
男は、後部座席を指さした。そこでは、クリスが毛布にくるまれて寝ている。
「私たちが赤かったんだからいいでしょう。急いでるの」
「そういうわけにもいかん」
男が、車のドアに手をかけた。刹那、銃声。胸を撃ち抜かれて、男が倒れる。
私の顔の前で、ボーヒーズの手にした拳銃から、硝煙が上がっていた。私は瞬時に、アクセルを思い切り踏み込んだ。
「だから言ったんだ、ミズ・イワナガ。検問は避けて通ろう、って」
「そんなこと言ってもここを避けたら四日も遠回りになるのよ。クリスの身体がもたないわ」
「クリスの前に、俺の身がもたん」
ボーヒーズは、サンルーフから身を乗り出して、持ち替えたショットガンを後ろに向けた。彼の黒く大きな手と、狩猟民族特有の見開かれた目は、銃がよく似合う。
追手の車が何台か迫っていたが、ボーヒーズに銃撃を受けるとそのまま運転を停止させた。
所詮は統制も何もない烏合の衆だ。少し脅してやれば、必死になってまで追ってくるようなやつもいない。
私はスタジアムのモニターを見た。磔にされる人たちの中、クリスと同年代の、東洋人の男の子が大写しにされた。
裸にされた男の子の腹に、棒の先に括りつけられたナイフが刺さった。真っ青な血のシャワーが降り、新鮮な腸が蠕動しながら、傷口からあふれだした。
少年の足元に敷き詰められたわらに、火がつけられた。私はそこで画面から目をそらした。
心臓が締まるような感覚があった。私はアクセルを踏む力が弱まっていることに気づき、すぐにまた踏みなおす。
「イワナガ。あれはお前の弟じゃない」
「わかってる」
わかっている。年恰好が近くたって、あれは弟ではない。
「連中、また来やがった」
バックミラーに一台の車が見える。
「はやく追っ払ってよ」
私はコーナーをハンドリングしながら言った。自分の親指を吸っていたボーヒーズは、またサンルーフに出る。
銃声。追跡車のフロントガラスに、光がちらつくのがを見えた。命中したはずだ。だが、ガラスにはヒビが入った様子もない。
「強化ガラス?」
「いや。見ろ」
ボーヒーズが、手りゅう弾を転がした。ヒューズを短くして爆発時間を調整した特別製だ。
バックミラーに、車の下に入った瞬間、爆発したのがうつる。タイミングはジャストだ。
だが、爆炎を突き破り、車は止まるどころか、傷一つついていない。
「ドレッドアウト……?」
相手に、超能力者がいる。運転席には、おそらくインディアンか何かの子孫だろう。赤い色の肌の男が、憎悪をむき出しにした目でこちらを見ていた。
「厄介ね」
「だがやりようはある」
ボーヒーズは座席に足をかけて、上体を大きく露出させた。私は少し速度を落とし狙いをつけやすくしてやる。
銃声が聞こえた。敵の男が、ハンドルから手を放し窓から身を乗り出して、こちらを銃で狙っている。超能力でハンドルを動かしているようだ。
マズルフラッシュが見える。弾丸は車上のボーヒーズを狙っているようだが、流れ弾が数発、リアガラスに当たった。破片が寝ているクリスの上に降り注ぐ。
「つかまって」
直後、浮遊感。建物の間を縫って、私たちは階段へ飛び出した。
着地の衝撃に続き、車内ががたがたと揺れる。ボーヒーズは車内に引っ込んでいた。
「どうにかならないのか。まるでコンクリートミキサーの中みたいだ」
「そんなとこ何しに入ったの? 変わってりゅべ」
車体の揺れのせいで舌をかみかけた。あぶないあぶない。
ボーヒーズは答えるかわりに、またサンルーフから身体を出し、銃撃を再開した。
「まだついてきてんの? しっつこい」
「まるで君みたいだな」
「どういう意味よ」
「前向き、ってことだ」
あちこちをくねくねと進む。時折、銃声。
超能力で瓦礫をぶつけられそうになりながら、うまいことかわしつつ前進する。
逃げている最中も、クリスのことが気が気ではなかった。まだ眠っているとは思わなかったが、静かにしてくれているうちは気にしないよう努める。
一つ、角を曲がった。高台の切れ間になっていて、大きな段差のある場所だった。私は思い切りハンドルを切りながらブレーキを踏む。
車が横方向に回転しながら、浮遊――いや、今度は自由落下の感覚。
着地した瞬間もブレーキを踏み続ける。ドリフトをしながら、車が停止動作をする。
右前方につんのめった体にシートベルトが食い込み、吐きそうになるのをぐっとこらえる。
ボーヒーズは、姿勢を低くしてクリスの身体が飛び出さないように抑えつけてくれていた。
車が完全に停止した瞬間、追跡車が、私たちの車の後方を飛んで行った。
その先。踊り場のようになっている箇所。そこには、レンガでできた高い壁があり――
敵の車は、一直線にそこへと吸い込まれていく。
「いまだ」
ボーヒーズは、ショットガンを撃った。今なら、激突の衝撃に備えて車体に超能力を集中しているはずだ。
ボーヒーズの弾丸が敵の窓ガラスを割った。運転者に致命傷を与えた保証はなかった。だが、それでいい。
「伏せて!」
追跡車は、勢いよくレンガの壁へ激突した。銃撃されることで超能力の集中が解けたのだ。
直後、大爆発。爆風が、破壊されたリアガラスから吹き抜けていくのが分かった。ボーヒーズも、シートを盾にしてその大きな身体を守っている。
すぐに体を起こすと私はおおきく息を吐き出して、再びアクセルを踏む。
背後ではやつの乗った車がさかさまになって、燃えていた。敵の生死は気になったが、無事というわけにもいかないだろう。ここからは安全運転だ。
「クリスは? 寝てる?」
「……悪いやつ、いなくなったの?」
あれだけ荒い運転だったのだ、起きていて当然だった。クリスは、私たちに気を遣ってずっと黙っていたのだ。
ボーヒーズが、その大きな手で、クリスの金色の短い髪からガラス片を払った。
透き通るような、青みがかかった白い肌。心地よさそうな声を短く漏らすのを見て、私はさっきまでは逆の、自然な笑顔で微笑んだ。
「おい、前見ろ」
「いいじゃない。事故るようなものなんて、もう何もありゃしないわよ」
口答えしながらも、ハンドルを握りなおして、正面に向き直る。
ちょうど都市部を抜けたところだった。ここからは、田舎の一本道が果てしなく続いていく。
「クリス、具合は大丈夫? どこか痛くない?」
「お前は心配しすぎだ」
クリスもボーヒーズと一緒になって、ガラス片を払い始めた。
「いたっ」
刺さってしまったのだろう。そのやわらかそうな指先から、血が滴った。
真っ青な、彼の瞳のように真っ青な血が。
クリス・ウィリアムズ。この十歳の男の子は、青い血液を持っている。
内因性血液機能変異症候群。
通称、破血症。今や人類の約42パーセントが罹患するこの病は、公式には一〇〇年ほど前に。アイダホの農家、オサリヴァン氏において初めて認められたとされる。
発症は、自閉症を患っていた彼が長い通院の後に病状を改善させてすぐのことだった。突如、自分の身に紫斑および歯肉膨張を確認した彼はすぐにかかりつけ医を受診した。
その症状は急性骨髄性白血病に似ていたため、オサリヴァン氏は当初そう誤診された。だが、彼を診察した医師は、骨粗鬆症と白内障を併発していることに着目した。白血病のために副腎皮質ステロイドの投与をするとその副作用として現れることはあるが、オサリヴァン氏はその投与の前だった。さらに白血病は造血細胞の変異により起こるが、造血器官である骨髄を調査したところ、骨髄自体にはなんの異変も認められなかった。
こうしてオサリヴァン氏は、きわめて新しい病に罹患したことが知れ渡った。その後同様の症状が世界中で報告されたことにより、彼がその罹患者第一号であることが遡及的に明らかとなった。破血症という名前が付いたのも、そのときである。
症状の進んだ破血症者の血液はすぐにわかる。破血症者の血中では、トリプファンなどを材料に増殖したゾアノゲンと呼ばれる生理活性アミンが発生し、腸内細菌と結合することでオサリヴァン球菌と呼ばれる物質に変化、それが赤血球を攻撃する。さらにヘモシアニン同様に銅を中心核とする呼吸色素を作り出し、青い発色をする。それらが血漿の間隙を埋めていくことで、血液を青く見せる。
赤血球の欠乏した人間は、常に貧血のような状況を呈し、病状が進むと、白血病と似た症状を罹患者に与える。
現代の不治の病にして、いまだに輸血以外の対症療法も確立されていない上に、遺伝性まである。罹患者はねずみ算式に増加の一途をたどっている。
用を足して野営地に戻ってきた私は、毛布の隙間から出した手をたき火であぶっていたクリスの隣に腰かけた。あれだけ寝ていたというのに、まだ眠たそうにあくびをしている。
「ボーヒーズのおじちゃんは?」
おじちゃんとは。注意しようかと思い、やめる。ああ見えてあの男は私と同い年だ。
「探索に行ってる。食べ物とか、燃料とか」
私はクリスに、自分が食べようと思って持ってきた携行食を渡した。クリスはだまって受け取り、もしゃもしゃと食べはじめる。
「先生、僕の病気、よくならないのかな?」
「いい子にしてれば、きっと、よくなるわ」
「でも、街がこんな風になっちゃったのも、僕とおんなじ病気のせいなんでしょう?」
私は、そばの壁に目をやった。青いローブをかぶった青白い顔をした男の選挙ポスターに、真っ青な血糊で「穢れた青い血を飲み干せ」と上書きされていた。
青血教。アズリズムと呼ばれる、青血至上主義思想を掲げる集団である。
破血症は発見された当初より、世間の色眼鏡にさらされていた。何せ、発生直後は都市部を中心に爆発的に患者が増え、その予防法、治療法も確かなものがない。罹患者がどんどん増えるばかりで、アトランタの疾病予防管理センターも、ひどく手を焼いた。
特に伝染性の病であるということがわかってからは、破血症者の隔離や迫害が横行した。発展途上国では、公然と、破血症者の私刑による殺害が黙認されたところもあるという。もっとも、破血症は生活習慣起因による病であり、発症者はオサリヴァン球菌がホメオタシスに組み込まれた状態となっているため、マクロファージ、好中球などの免疫系が正常に作用している健康体へ感染したところで、容易に駆除される存在であるが。
世界中の医学が、破血症の究明と治療に全力を注いだ。それでも患者の数は一向に減らなかった。それどころか、爆発的と言える数の人間が、病に侵されていった。
そんな破血症が、地位向上や専門的な福祉活動をする団体を構築することは自然の流れだった。やがて彼らはブルーブラッド――高貴な血を意味するその単語を掲げ、青血教会という正式な法人として認可される。
根治不可能の病は、彼らにとって、選ばれし人間の証に変わった。
彼らは構成員の増加に伴い力を増し、社会の様々な分野に進出した。芸能などの文化、科学。スポーツ選手のOB。そこまではよかった。アズリストが政治の分野に対して大きな発言力を獲得していくにつれ、破血症を患っていない人間――彼らの言葉で言うディヴァステイターの地位は相対的に下がっていった。
アズリストの福祉のために、ディヴァステイターの税率を大幅に引き上げる法案が提出された時、彼らはようやく自分たちの置かれた状況を悟った。
息切れのしやすい病人の言うことだと安穏と構えている間に、議会は与党・野党ともにアズリストが議員の過半数を占めていた。
そして一部のディヴァステイターが、反アズリズムを掲げた運動を行った。彼らは、ある一七歳の少女を運動の象徴とし、破血症の回復を目指す道をとるべきだという主張を打った。
あまりにも遅い姑息療法に思われたそれは、意外にも世相を動かした。協調、という道がよかったのだろうか。一部のアズリストや、アズリストに傾倒しかけたディヴァステイターの議員が、少しずつ、彼女の旗印のもとに集まっていった。
だが、一カ月ほど前、その少女が破血症を発症。さらにそれを苦にデモ中に自害したことで、彼らは非常に不安定な状態に陥る。
直後に、まるでタイミングをはかったみたいに、その直後に法案が可決された。その日、デモ隊は即席の暴徒に変貌した。それから暴動は収まる気配を見せるどころか、合衆国全土に拡大しているという。
「先生、喉乾いた」
物思いにふけっている間に、クリスが携行食を食べ終わっていた。水は、車の中だ。
「しょうがないわね。待ってなさい」
私は立ち上がり、車の方へ歩きはじめて、
「ひぇっ?!」
そこに立ちふさがっていた影に、腰を抜かしそうになった。
「驚かせてすいません。あかりが見えたんで」
影の正体は一人の若者だった。頭は禿げ上がり、頬がこけ、目がギラギラ輝いている。手足はがりがりにやせ細っており、一目で破血症の患者だとわかる。
「あなたたちも、青血教徒ですか?」
「ばか言わないで。私たちはふつうの一般市民で、危険な都心部から避難してきただけ」
「ということは、あいつらと違って、襲い掛かってくる心配はないってことだ」
男は優しく微笑んだつもりだったのだろうが、不自然に歪んだようにしか見えなかった。
「なにかもってませんか? はらぺこで」
男はわざとらしく自分の腹をさすって見せた。
「ごめんなさい。自分たちの分しかないの」
私は嘘をついた。数日分の食料はあったが、次いつ補給できるかはわからない。気の毒ではあるが、ここで他人に施す余裕もなければ、来世に期待して徳を積む気もない。
だが男は引き下がらなかった。私が傍らに置いたアタッシェケースを指さした。
「それ、食べ物なんでしょ? ねえ、ちょっとでいいから、分けてくださいよ。ねえ」
「違うわ。これは仕事道具。頼むから向うへ行って。本当に何もないの」
私の言葉もむなしく、アタッシェケースに、男が一直線に手を伸ばしてきた。とっさに取っ手をつかむが、男は破血症患者とは思えない腕力で引く。思わず取られそうになった。
だが。男の力が急に緩む。綱引きの要領で体重をかけていた私は尻もちをついてしまった。
頭越しに後ろを見た。ボーヒーズが拳銃を構えていた。
「失せろ」
男は短く舌打ちをした。
「……後悔するぞ。人類は結局、死ぬか破血症になるしかないんだ。後から泣きついてきても、お前らは許さない」
「あらそう。残念。じゃあ発症したら死ぬことにするわ」
私は指でピストルを作り、自分のこめかみに突きつけて見せた。
男は、悪びれもせず、地面に唾を吐き捨てて去っていった。
破血症は進化した人類の形であり、地上に新たに君臨する支配者たる。それが彼らの教義だ。超人たるための階段。やがて赤い血を持つ古い人類は滅び、気高き青い血の人間が地上の新たな支配者になるだろう。
ラマルクの用不用説や、ラヴジョイによる存在の大いなる連鎖についての研究を根拠とし、ヒトラーの発言で味付けした主張であるらしい。
ダーウィニズムにおいては、進化というのは世代間の突然変異の中で獲得された形質を呼ぶ言葉でしかない。それが生存に有利な形質かどうかは、長い長い時間が決めてくれる。
地上の新たな支配者になるという一点がどうしても飛躍でしかないものの、青い血を持つ者たちが、ラマルキズムに光明を見出すというのは、夢のある話ではあった。
「大丈夫か?」
ボーヒーズは震えているクリスの頭を撫でながら、私に視線を向けた。
「ありがと。助かった。首尾どうだった?」
「ガソリンスタンドが開いていた。燃料は全滅だったが、食い物なら少しはあった」
手にしたザックを車のトランクに詰め込んでいる。こういうとき本当に頼りになる。
「水、ちょうだい」
ボーヒーズは、ザックから水の入ったペットボトルを取り出して投げて寄越した。私はふたを開けてあげてから、クリスに渡す。
「都心部にはもう近づけない。暴動は、まだ終わりそうもない」
治まる気配を見せるどころか、都心部を中心に連鎖的に広がっているという。
「精神医学が専門の君は、この状況をどう見る?」
ボーヒーズは医者のことを十把一絡にして考えている節がある。確かに私は精神科医だが、たんなるサラリーマン医師だ。
「ただの集団ヒステリーよ。ある程度発散したら落ち着いてくるはず。そのころには全員逮捕で、ちゃんちゃん」
途中から、自分に言い聞かせている気にさせられた。
「すぐに終息する、と。ならなぜ、こうも必死になってクリスを遠方に逃がすんだ」
私はカップを落としそうになった。私は言い訳を取り繕うように言葉をひねり出す。
「それは私の大事な患者だからよ」
「彼の主治医はハヤミだ」
「バカ。うるさい。黙れ」
「それで、明日はどうするんだ。もうすぐ検問がある」
破血症狩りの群れのことだ。ああいう手合いはうじゃうじゃしている。
「あいつらほんと飽きないわね。本当に破血症者を皆殺しにするまで続けるつもりかしら」
「探索に行ったとき、開いていた店屋の主人に聞いた。ディヴァステイターの部隊が集まってきている。中にはドレッドアウトもいるらしい」
「うえ。なにそれめんどっちい」
私は舌を出して見せる。勘弁してほしい。
ドレッドアウト。いわゆる、超能力者。SF映画顔負けのバカげた能力を持っている連中だ。
半世紀ほど前にその存在が公にされたときは、かなりの騒ぎになったという。当時は流行とも言うべき爆発的な発生をしたが、現在ではその数はすっかり少なくなっている。
ドレッドアウトはその能力を使うために免許の所持が必要である。一応は国家資格扱いになっているが、さすがに暴動のさなか、律儀にそんなものを守っているやつもいないだろう。
「超能力部隊? ドレッドアウトがいるの?」
クリスが子供らしく目を輝かせている。やはり男の子ってそういうのが好きなのだろうか。
「僕がドレッドアウトだったら、先生たちを守れるのに」
私は、胸が暖かくなるのを感じながら、クリスの頭を優しくなでた。現在のところ、破血症者にドレッドアウトは確認されていない。
「検問は、今度こそ回避したほうがよさそうだ」
「そんなこと言っても、物資ももう限界よ。また突っ切っていけばどうにかなるんじゃないの」
「君はどうしてそう楽観的なんだ」
「あんたのこと頼りにしてるから」
上目遣いで言ってみる。ボーヒーズはあきれたような顔を見せた。ちぇっ、効かなかったか。
「まったく、君は俺を超能力者かなにかと勘違いしていないか」
「あはは、そのジョーク、笑えない」
「とにかく、だ。今度こそは、迂回する。ガソリンが切れたら、車はそこで破棄する」
「何言ってるの。クリスがそんな長い距離歩けるわけないじゃない」
「僕、歩けるよ」
「本人はこう言ってる」
「……もういいわ」
私はこれ見よがしにため息を吐き出してみせた。なんで、病気の子をそんなつらい目に合わせて平気なんだ。
「イワナガ。君は過保護すぎるぞ。クリスも破血症者とは言え男だ。やるときは、やる」
横でうなずいているクリスのことも、嫌だった。自分の身体のことがわかっていないのか。なんで、私の言うことを聞いてくれないの。
「どうしてお前はクリスのこととなるといつもそうなんだ」
「もういい。どうせ今日はもう動けないでしょ? 明日のことは明日考える。この話おしまい」
私は荷物をまとめて立ち上がった。奥の仮眠室に行くつもりだった。
「イワナガ」
「うっさい。明日明日」
「そうじゃない、囲まれてる」
ボーヒーズは、両腕を頭の後ろに組んで立ち上がった。
「は?」
入口からおずおずと機関銃で武装した男たちが現れた。十人以上はいる。その全員が全員、青いローブを頭からかぶっている。これ以上ないほどわかりやすい、青血教徒だ。
私はクリスを抱き寄せた。
「なに、あんたたち」
ディヴァステイターならともかく、破血症者に狙われるとは、思っていなかった。
男の一人が、前に出てきた。先ほど、食べ物を乞うてきた男だとすぐにわかった。
「ケースを渡せ」
「食べ物じゃないって言ったでしょ」
「わかってるよ。私たちが欲しいのは、その中の薬だ」
私は、全身が硬直するのを感じた。アレの存在がバレている。
「なんのこと?」
我ながら、白々しいとぼけ方だと思った。
「全部知っているんだ。ドクターイワナガ。その中に入っているのは破血症の特効薬だろう?」
名前まで知っているということは、あてずっぽうで言っているわけではなさそうだ。
この薬の存在を知っているのは、ボーヒーズと私を除いては、一人しかいない。あの男、青血教に入ったのだろうか。
渡すなら、渡してしまってもよかった。この旅の中で、赤い血を持つ人々の身勝手さは嫌というほど見せつけられて、自分自身赤い血を持っていることが嫌になっていたところだ。
それに、この薬には欠点がある。それを解決しないと、クリスに投与することはできない。
それでも今まで積極的に手放す気になれなかったのは、いつかこの薬を改良して、クリスに与えることができるかもしれないと思ったからだ。自分ならそれができると思った。
そして、なにより。一番大きな理由があった。
こいつらのやり方が、気に入らない。
「嫌に決まってるでしょ」
「そうか」
かちゃ、と、男の傍らにいた一人が銃口を、クリスへ向けた。
「やめて!」
「待て、イワナガ」
私はボーヒーズの制止も無視して、男に掴みかかろうとする。
頭に、強い衝撃があった。後ろから殴られたらしい。私は意識を失った。
これは罪滅ぼしだ。それだけのことだ。
罪は、滅ばない。一度産み落とされた罪は、消えることはない。原罪がそうであるように。
罪を滅ぼそうとする行為そのものにより、一見罪が滅んだように見せかけられる。重要なのは罪が滅んだのかどうかではなく、自分が罪を滅ぼすに足る行動をとったかどうか。そしてそれを判断するのは自分であり、周りの人間だ。これを、赦しと呼ぶ。
だからこれは、罪滅ぼしだ。実際に滅ぶかどうかは関係ない。滅ばない罪を滅ぼそうとあがくこと。それが、自分の存在意義を担保する。罪を滅ぼさなくなった俺は、ただのゴミだ。
静かな部屋の中で、いつでも動き出せるように軽く自重トレーニングを行う。暴動が起きて流浪の旅が始まってからも、鍛錬だけは欠かさなかった。いつでも、最大限のパフォーマンスが発揮できるように身体を作っていた。
なにもできはしないだろうと昏睡したまま置いて行かれたイワナガとは別に、俺はクリスと一緒にこの建物に運ばれた。昔は修道院だったらしいが、今は青血教のアジトになっているようだった。
俺はその懲罰室に押し込まれ、クリスは別のところに連れていかれた。
連中の話だと、やつらと同じ破血症者のクリスは保護されるという。だが、青血教の内部が安全かは疑問の余地があったし、なによりイワナガのことが気がかりだ。
脱出しなければならない。
のぞき穴から外をうかがうが、様子はよく見えなかった。
外には、話し声から察するに見張りが最低二人。まずはこのドアを開けさせよう。
俺は、瓦礫を手にして、なるべく音を立てないように扉の上へ上った。瓦礫を壁に投げつける。ごつん、と、大きな音がたった。
「なんだ?」
思った通り、見張りが食いついてきた。我ながら古典的な手だ。
「おい、あの黒人がいない」
見に来たらしい一人が、大声を上げた。よく響く甲高いだった。続いてあわただしい足音が聞こえる。もう一人も来たらしい。
「隠れてるのかあ? ドアを開けてみればいいんじゃないかなあ」
こちらの男はひどい胴間声だ。俺は占めたと思った。だが、それを甲高いが制止する。
「少年のころ、お前は映画を見なかったのか? こういうとき迂闊に牢屋を開けるとどうなる? 俺たちは影から飛び出してきたあいつにぼこぼこにされて、脱出されちまうんだ」
「つっても、中身を確認しないことにはなあ」
俺は焦れた。はやくドアを開けろ。そうすれば、想像通りにしてやるというのに。
「ほんとにいなくなったなら、報告せにゃならん。だがいなくなってなかったらどうだ? あいつと殴り合って勝つ自信あるか? 脱出されて、どっちにしろ俺たちのせいになる」
「哲学的な問題だなあ」
「どっちにしても俺たちのせいになる。ならほっといた方が賢明だ。余計なことはしないに限る」
「お前、賢いなあ」
F××k。遠のいていく足音を聞きながら、俺は神を呪った。
脱出の手段は、物理的にこの牢をどうにかするしかなくなってしまった。俺は、思い切り息を吸い込み、そして止めた。
この力は、封印したはずだった。使いたくなかった。
だが、やむをえなかった。俺は罪を滅ぼすことに決めたのだ。滅ぼすことはできなくても、同じ罪を作り上げないことは、できる。床に降りたち、両目を固くつぶった。
大脳新皮質がぴりぴりと刺激されるのがわかるようだった。肉体が内側からぶくぶくと、自分という境界の形質を忘れていく感覚。徐々に世界が自分の中に入り込んでくる。
頭の中に、錠が落ちたような感覚が走った。夢の中で殴られたような。頭の中で小さく何かが破裂するような、奇妙な感覚。
世界が、俺に接続された。
俺は、目を開くと、ゆっくりと発念した。俺のイメージした不定形の概念が、扉の鍵穴へするりと入り込む。思念でそっとなぜることによって、その形を瞬時に理解すると、形状をそれに即したものに変えた。
かちり。錠が、開いた。俺はゆっくりとドアを開けた。
「お、おい」
胴間声が聞こえる。青いローブを羽織った男が二人いる。
「お前の言ったとおりだ。開けなくて正解だった。あいつやっぱり、中にいたんだなあ」
「ばか、それどころじゃねえだろ!」
甲高い声の男が、銃を構える。発念を強固にし、その銃身を握る。曲げる。
男は驚いて、銃を放り出した。
「こいつ、ドレッドアウトか」
「逃げたほうがいいみたいだなあ」
彼らの背後にある灰皿やイスを持ち上げ、後頭部にぶつけた。間抜けな男たちは、目を回してあおむけに倒れた。
なんとか、うまくいった。全身の穴という穴から汗が噴き出して、心臓がばくばくと脈を打っている。この力を使うと、寿命が縮む思いだ。
俺は、呼吸を整えてから、二人の男を牢屋まで運んで、外から鍵をかけた。
はやく、行かなくてはならない。俺は呼吸を整えてから、走り出した。
これは、罪滅ぼしだ。イワナガの弟を死なせたことに対する。
ジョゼフ・ブレイクは、煙を一気に吸い込むと、味わいながら肺の中に深くため、少しずつ、ゆっくりと吐き出した。
血液にタールがしみこみ血管が収縮する、この感覚が好きだった。破血症者は、不要物の自浄作用が薄いため、喫煙ができない。副流煙でも大騒ぎだ。この神聖な儀式を行えるのは、赤い血を持つ民だけに許された行いだった。
喫煙は、古来より彼の民族にとって、神へと肉薄する神聖な儀式の一つである。
アメリカ先住民族に祖を持つ彼は、特段民族の迫害の歴史には興味がなかった。ずっと昔に終わった話だ。現代社会において、白人も黒人も先住民族も、うまくやっていた。
だが、青血教の暴挙。これが起こってしまった。
平和に暮らしていた自分たち赤い血の人間のところに、青い血のやつらがずかずかと入り込んできて、権利を主張する。これは開拓使時代、白人が自分たちにしてきたことの繰り返しではないか。それが、彼の帰属意識に火をつけた。
インディアンは敗北した。寝返り生き残ったやつもいる。ジョゼフの祖先がそうしたように。
だが、今回は屈しない。青い血をこの大地から根絶やしにするのだ。自分たちと先祖の霊の、恒久の平和のために。そして、インディアンの無念を、今こそ晴らすのだ。
彼は、愛撫するように煙草の火を優しく消すと、白い上着を羽織り、奇妙な踊りを踊った。天を仰ぐような。世界に対して、何かを乞うような。
ゴースト・ダンス。開拓使時代、インディアンの間で流行した踊り。ゴースト・ダンスのシャツを着てこの踊りを踊れば、外敵の弾は当たらない。また平和な世の中が戻ってくる。そういう言い伝えがある。
作法も昔資料館か何かで見たものをうろ覚えで再現しただけだし、シャツは急ごしらえの、その辺にあったものだ。だが、この祈りは必ず、祖先の霊のもとに届き、この身を守ってくれる。今までもそうだったように。
今度は、この間のような不覚はとらない。
ジョゼフは、頭を包んだ包帯を、ゆっくりと解いた。その下から、焼けただれた皮膚が見える。頭には、毛が一本も生えていない。すべて燃えてしまったのだ。
この近くに、ジョゼフをこんな目に合わせたやつらがいる。黒人と日本人の二人組。インディアンにとって神聖な意味を持つ、黒々とした長い髪の毛を台無しにしてくれたやつら。赤い血を持ちながら青い血に汲みするやつら。
やつらは、赦さない。成敗してやるのだ。
やつらを血祭に上げて、仲間を裏切るとどうなるかを、ほかの連中にも示してやる必要がある。すべては再び、平和な世界を取り戻すために。
気が付いたら、私は先ほどの野営地に横たわっていた。クリスに渡した、水の入ったペットボトルだけが床に転がされていた。
私はひざを抱いて座った。クリスとボーヒーズは、今頃どうしているだろうか。やつらの目的があの薬ならば、大事にはなっていないと思うが。
――どうしてお前はクリスのこととなるといつもそうなんだ。
ボーヒーズの言葉が、耳によみがえってきた。そんなこと、あいつだって知ってるくせに。
クリスと出会ったのは、私の職場――市外にある、大規模の療養設備でのことだった。
破血症者専門の療養施設。そこで私は嘱託の研究員として働いていた。
もともとは、私の弟が入院している施設だった。弟は、祖国で発症してから、合衆国で医者をしていた私を頼ってきた。私はつてをつかって弟を入院させ、施設で働くことにした。
クリスも、そこの入院患者の一人だった。彼は年の近かった弟とすぐに仲良くなり、よく悪さをしたり、けんかをしたりしていた。私はよく、彼らを叱るハメになっていた。
そんな生活に終止符を打ったのは、あの暴動だった。破血症者の集まる場所は真っ先に標的になった。療養施設も、その一つだった。
混乱の中、私は弟とはぐれ、変わりにクリスと一緒に脱出することになった。それから、四人で安全な場所を探す旅が始まった。私と、クリスと、ボーヒーズ。そしてあの男。
「ドクターイワナガ。元気そうじゃないか」
突然声をかけられて、私は一瞬幻聴かと思った。だが、実体のある音声だ。そしてこの声は、まさしく。今一番聞きたくないけど、一番聞きたい声。
「ハヤミ。無事だったの?」
鉄格子の向うに、なじみの顔があった。ハヤミ。クリスの、主治医だった男。
私は相好を崩しかけ、でも、すぐに真顔に戻る。だめだ、こいつは確かにあの時。
「青血教に入信したの?」
そうとしか思えなかった。旅がはじまってすぐのころ、ハヤミは確かに青血教徒に捕縛された。袋をかぶされ、押さえつけられているのを見た。こうして五体満足で娑婆を闊歩しているということは、そうとしか考えられなかった。
青血教はディヴァステイターの信者も受け入れている。古い人類は、気高い青い血の種にひれ伏すべし。殺さず、生かさずだ。
「人聞きが悪い。例の薬を持っているやつを教えたら、こうして自由にしてくれた。それだけだよ」
「はぁ~~~? どっちも同じよ」
私はこれ見よがしにため息を吐き出して見せた。こいつのリークした情報のせいで、私たちが狙われることになったというからくりだ。
「それで、薬はどこだ?」
「さあ? 青血教のやつらがもってっちゃった」
「……遅かったか。まずいな」
あの薬を調合したのはハヤミだ。実物がなくても、材料さえあればすぐまた再現して見せるだろう。なぜ薬のありかを彼が知りたがるのか、疑問だった。
「暴徒の中の、急進的な連中があの薬を狙っている」
「暴徒? ディヴァステイターってことよね?」
「ああ。やつらにしても青血教のもとにわたるといろいろ具合が悪いらしい」
「なるほどね、青血教から逃げ出して、今はそっち側についてるってわけ」
「保護を申し出たんだ。あの薬の存在は青血教にとっては都合が悪い。私もいつ消されるかわかったものじゃなかった」
「で、その要人サマが、こんなところでなにしてるってわけ?」
「あの薬を、返してもらいに、のつもりだったんだが」
「あんなものが、そんなに大事だっていうの? 人を精神病にする薬が」
「……バカを言え」
ハヤミは掌で額を抑えた。大変な代物であることは当然私も知っている。だが、致命的な副作用があるのだ。血の色が赤に復帰した人間は、等しく、なんらかの精神病を発症する。
「あれは破血症の特効薬だ。君も治験に立ち会ったから、知っているだろう」
「そうかもしれないわ。副作用さえなければね」
破血症が治ったところで、精神科の私には関係ない。それどころか、患者と残業を増やしてくれるはた迷惑な薬だ。
破血症が人間の進化の結果であるとする青血教にとって、この薬は都合が悪いのだろう。その存在がバレたおかげでハヤミは捕まり、私たちは逃げ出さなくてはいけなくなった。
「君はあれを、本当に副作用だと思っているのか」
ハヤミは意味ありげな表情を見せた。こいつのこういうところは昔から鼻につく。
「だったらなんだっていうの」
「破血症が身体的などのような構造の中で発生したかが、問題だ。ゾアノゲンの材料であるトリプトファンが何に影響するかは知っているだろう。君の専門分野だ」
もちろん、知っている。トリプトファンを前駆体とするインドールアルカロイドは、セロトニンと呼ばれる。ヒトの神経に作用する伝達物質だ。
「破血症の原因には、それが関係している、と」
人間の構造について、明らかに神の設計ミスだろうと言える点は山ほどあげられる。だが、内臓や神経系の構造についてはかなり精緻で、なんらかの不具がおきるときには、大概それについて合理的な理由が用意されているものだ。
「破血症の初めての患者となったオサリヴァン氏。彼が自閉症を患っていたことは?」
私はうなずいた。有名な話だ。彼は投薬治療によって症状を押しとどめ、円滑に社会生活を営んでいた。破血症患者の先駆者となる前は。
「彼の精神疾患は一時はかなり重篤で、社会復帰すら危ぶまれるほどだったという。家族の献身的な治療により農業の仕事に復帰できるほど恢復し、そして破血症の発症する二年ほど前にようやく、完治の目処がたった。オサリヴァン氏が破血症に罹患したのは、彼の自閉症が治るのとほんの入れ替わりだったということだ」
「まるで、破血症と自閉症の間に相関関係があるとでも言いたげね」
「自閉症だけではない。データ上では破血症の引き金にはかなりの種類の精神疾患が関与している。数年前、日本で大規模なコホート研究が行われた。破血症者の生態を追跡する大規模調査だ。これによると、精神疾患と破血症の相関係数はマイナスを示していた。ほとんど例外なく、だ」
「そんなの疑似相関じゃない? 一見相関があるように見える事柄について、複合的な要因がそうさせるだけで、互いの間には直接の関係はない。それに、精神疾患って言ってもいろいろあるのよ?」
「疑似相関かどうかは関係ない。データをちゃんと見るんだ。破血症に対しこれまで高い一致を見せたのは、精神疾患というくくりで見たときだけだ。おそらく、精神伝達物質の生成が正常化することに、身体が違和感を覚え始めるということだろう。それに対する抵抗が、ゾアノゲンの生成、ということだ。ゾアノゲンが、セロトニンと材料を同じとすることからも、よくわかるだろう」
「あんた、自分の言ってることがわかってるの?」
「私はこの結論のために、あまたのデータを取ってきたんだ。ここ数年、精神疾患が爆発的に急増しているのは、君も知っているだろう。残業が多いとこぼしていたものな。さる機関は、独自の調査内容から、五年以内に地球のほとんどの人間が、精神疾患か破血症のどちらかに侵されると予想している」
私はおそろしくなって、ハヤミの発言をそれ以上聞きたくなかった。それじゃあ、まるで。
「間違いない。精神病を治療すると、破血症が発症する。逆もまた然り。これは、神が人間の肉体に課した仕様。いわば規定路線だ」
「黒人が逃げたぞ!」
俺は、銃弾をかいくぐりながら回廊を昇って行った。建物のあちこちが銃弾に穿たれ、破片が舞いとぶ。そんなことにかまってはいられない。
脱走はすぐにばれたが、仕方ない。迅速に目的を遂行するだけだ。
クリスの居所は、先ほど捕まえた信徒から吐き出させたのでわかっていた。
何気なく窓の外を見下ろし、俺は目を疑った。イワナガが走っていくのが見えたのだ。どうやって脱出したのかわからない。何も手に持たないまま、一直線にこの建物へと向かっている。
声をかけようとしてやめた。向うに見える窓から、銃口がイワナガへ向いていたからだ。
あの時と、同じだと思った。暴動が起こったとき。能力を使うことをためらった俺は、彼女の弟に銃口が向けられるのを見ていながら、何もすることができなかった。
俺は人間でありたかった。こんな恐ろしい力を持っていることが、苦痛でしょうがなかった。
超能力を持った同僚は、その力を強めるにつれ、力に取り込まれていった。超能力。この力を使いすぎると、情緒不安定になるのだ。俺は、いつ闇に自分の心が支配されないかという恐怖から目を背けていた。
だが、俺はもうあの時とは違う。これは、罪滅ぼしだ。
発念すると、銃身が湾曲する。引き金を引いた者から暴発に巻き込まれる。運が良ければ軽いやけどか、指を失うくらいで済む。
「超能力攻撃を受けている。警戒しろ」
超能力を使うと、射程の問題ですぐに居場所がばれてしまう。俺は身を低くして素早く移動する。それまで自分のいた位置に、銃撃が集中する。
隙を見て暴発させながら、階段を上る。上層へ行くには、まだまだ上らなくてはいけない。
正規の訓練を受けたわけではない俺の超能力は、せいぜい5メートル以内の一つの対象に対してしか使うことができない。銃の射程より短い。
こんなことなら、きちんと登録をし、研修を受けておくんだと思った。
「イワナガ! クリスは奥の聖堂にいる!」
叫んだ。俺の位置を敵にまで知らせることになってしまうが、しょうがない。こちらにひきつけなくてはならない。また俺は走り出した。階下に人が集まるのを感じる。
イワナガが建物に入っていくのを見届けて、俺は階上を目指した。銃撃は受けていないらしい。彼女もバカではない。一応は大丈夫だろう。
駆けつけてやりたいのはやまやまだったが、そういうわけにもいかない。
――まだ、やることがあった。
あのあと、ハヤミは言った。
「私が戻ったらすぐ、ディヴァステイターが青血教のアジトを襲撃する。おそらく、クリスも殺されるだろう。これからどうするかは君の自由だ」
自由なんて、ありはしない。ハヤミは私がどうするかを最初から分かっている。やなやつだ。イヤミにでも改名したらいいのに。
私は、先ほど聞こえたボーヒーズの声を頼りに、聖堂を目指した。
途中で、倒れている信者から青いローブを奪い、それをかぶって走る。
さっきから、入口のあたりがやけにやかましい。おそらく、ディヴァステイターの攻撃が始まったのだろう。騒ぎにのっかることができるのはありがたいが、心臓にはよろしくない。
修道院の作りなんてあまりよく知らなかったけれど、大きな道を道なりに進んであたりをつけていく。複雑な構造をしていないのが幸いした。
私は、今まで見てきた中でもひときわ大きい扉を、思い切り開けた。
クリスは、そこにいた。イスにおとなしく座らされていた。
「先生!」
私はローブを脱ぎ捨ててクリスに駆け寄った。暴行は受けていないようで、私は一安心した。
「助けに来たわ。逃げましょう。……ボーヒーズは?」
「わからない。ここに連れてこられてから、離れ離れになっちゃって」
どうにかして連絡する手段を見つけないと。
そう遠くない場所で爆発音が聞こえた。一刻を争う。こんなところに長居はできない。ディヴァステイターに襲撃されたら、病人しかいない青血教徒が耐えきれるはずがなかった。
私は、裏口のありそうな方へあたりを付け、そちらへクリスを伴った。
「そこまでだ」
入口の前に、数人の男の影があった。ローブは羽織っていない。ディヴァステイターだ。
リーダー格らしい男は、真っ白なシャツを着て、頭を包帯で覆っていた。一目で、尋常じゃないとわかる。
「待って、私は青血教徒じゃない。仲間を助けに来ただけ」
クリスを私の背中に回らせて、やつらから肌の色が見えないようにした。
「今日はあの黒人はいないようだな?」
私は、身体がこわばるのを感じた。
「あんた、誰よ」
「忘れたか。無理もない。こんなになっちまったからな」
男は、するすると包帯をといて見せた。その顔には、焼けただれてタンパク質の変質した皮膚が張り付いていた。
「ひょっとして、あのときの……超能力者?」
スタジアム近くの検問を突破したとき、車で追ってきた超能力インディアンだ。こんなところで再会するなんて。
「ご名答。今日はあの時の礼をしに来た」
「ジョゼフ。こいつらは?」
横に控えた男が訪ねた。状況が呑み込めていないらしい。
「俺の顔をこんなにしたやつらだ。信徒ではないようだが、青血教の手先だろう。その証拠に、その子供は破血症者だ」
「なるほど」
男たちの視線がクリスに向く。注意して見られては、ごまかすことはできなかった。
インディアン――ジョゼフと呼ばれた男が右手をあげた。数々の銃口が私たちに向いたとき、すべてを観念した。運が、悪すぎた。
だが、私たちの身体は、銃弾に貫かれなかった。
聖堂のシャンデリアが落下してきたのだ。真下にいたジョゼフはすんでのところで交わすが、そちらに気を取られている間に、連続した銃声とともに従者たちが急所から赤い血をほとばしらせ、倒れていった。
私は、入口からゆっくりと入ってきた黒い影に叫んだ。
「ボーヒーズ。どこ行ってたの!」
「ちょっと、こいつをな」
銀のアタッシェケースを投げてよこした。私はバランスを崩しそうになりながら、しっかりと受け止めた。
「大事なものなんだろう?」
「あんた……バカバカ。ほんとバカ」
胸に殴り掛かろうとした、そのときだった。ボーヒーズの腹から、一本の矢じりが生えてきた。彼の真っ黒な顔が苦悶に歪む。
ジョゼフだ。あの男が、壁にかかっていた飾りの矢を飛ばしてきたのだ。
「逃げろイワナガ」
口角から、赤い泡が飛んだ。ボーヒーズは、両手を横に広げて、私たちに背中を向けた。
「ボーヒーズ!」
クリスが叫んだ。ボーヒーズが背中越しに振り向く。彼の黒い顔が、炎の朱に照らしだされた。その大きな目が、なにか言いたげにこちらを向いていた。
クリスの眼を手で覆った時には、もう遅かった。
彼が笑った気がしたその瞬間。ボーヒーズの首が、振り向いた方向に無理な力をかけられぐりぐりと回転した。首の皮膚は引きちぎれ、内包していた肉や血管や神経を巻き込んで、骨を軸にぐるぐると回り、胴体から落っこちた。ねじ切られた首が、こちらを向いた。
首のあったところから、真っ赤な血が、噴出した。
念動力。超能力者による、最もプリミティブでスタンダードな攻撃手段。今しがたボーヒーズの首をフクロウみたいにしてくれた力の名前だ。
私たちは走った。どこをどう行ったかもわからなかった。無我夢中で、ただ、逃げなくちゃという気持ちだけが身体を動かした。
クリスは、私についてきた。肩で息をしながらも、文句の一つも言わないで、必死になって私の手に引かれてきた。
朝が来て、また夜が来たことは覚えている。気が付くと廃墟の壁にもたれて眠っていた。
追手が来ないことを確認して廃墟から脱出する。私とクリスは、口を閉ざしたまま、二人でこの田舎道を歩き出した。
ボーヒーズのことは、二人とも話さなかった。
ボーヒーズは、私の患者だった。強迫性障害を患っており、何度か診てやるうちに、悪友みたいな関係になった。弟とも、よく遊んでくれていた。
あのとき私の職場の療養施設にいたのも、弟に遊んでやる約束をしていた。暴動が起きたとき、弟の一番近くにいたのがボーヒーズだった。
彼が、私への後ろめたさからついてきてくれていることを知っていた。
弟は、私の目の前で死んだ。
たくさんの弾を浴びて、身体中がちぎれて、そして青い、真っ青な血を出して、死んだ。
弟を見捨てたのは、私も同じだった。あの時、彼の前にたちはだかっていたら。銃撃された彼を助け出し、しかるべき応急処置をしていたら。
せめて、死にかけた彼に駆け寄って、最期の言葉だけでも聞いてあげられたら。
そのいずれの行動もとらずに一目散に逃げた。後ろを顧みることすらできなかった。恐怖が先立っていたのは確かだ。だが、弟が撃たれたとき、私の理性ははっきりとこう言っていた。
「破血症者だ。あの傷では助からない。無駄だ」と。
もう終わった話だ。悔やんでも仕方がない。そうとわかっていても、弟の記憶が私を責めた。
だから、弟の過ちは二度と繰り返さないと、決めたのだ。
クリス。私はこの子を、守る。この弟と同じ色の血を持つ少年を。そのために全力を尽くす。あの時、そう決めたのだ。
「先生」
クリスが、消えそうな声で、ぽつりと言った。
「どうかした?」
「おなか、すいた」
遠慮がちな声。それを言ったところで、どうにもならないことが、彼にもわかるのだろう。
途中で拾って乗り込んだ車のガソリンが今朝がた尽きて、二人で農道をとぼとぼ歩いているところだった。
それから半日ほど歩いたところに、民家があった。食べ物くらいなら恵んでくれるかもしれないと思い、私は戸をたたいた。
「どうしたんだい? ぼろぼろじゃないか」
出てきたのは、小柄な老婆だった。一目で破血症者だと分かった。
「都会から逃げてきて、食べ者が尽きてしまったんです。この子のぶんだけでも、何か恵んでもらえないでしょうか」
私は深く頭を下げた。
「それはまあ……とにかく、お入んなさい」
老婆に招かれるままに、私たちは居間に上がった。私とクリスは応接間のソファに座った。
「ほんとこんなことになっちゃって。大変だったわねえ。
「おばあさんの家族は?」
「それが、連絡つかなくて。無事だといいんだけど。ほら、こんなものしかないけど」
老婆が差し出してきたのは、まるのままのりんごだった。
クリスがそれを受け取ろうとした瞬間、老婆が懐に手を差し入れた。引き抜きかけたその手に銀の光る物体が映ったとき。
私は反射的に、胸に隠した拳銃を抜いて、彼女の眉間を撃ち抜いていた。
何が起こったのかもわからなかったのだろう。老婆の真っ青な血が撥ねた顔は笑顔のままで、彼女は力なく床に横たわった。その拍子に彼女の右手から一本の果物ナイフが転がった。
果物ナイフ。凶器と呼ぶには、あまりに粗末だ。老婆の、それも破血症者が人を殺すには、あまりに、心もとない。
老婆に、危害を加える意思はなかった。ただ、りんごをむいてくれようとしたのだ。
それを、私は殺した。反射的に。あくまで、機械的に。
私は、絶叫した。
殺してしまった。何の罪もない老婆を。クリスや弟と、同じ血を持つ人を。
何もかもが、信じられなかった。自分という存在が、足元からがくがくと音を立てて壊れていくような、そんな気がした。
私は。私は一体何をしているんだ。危険だと思った。その瞬間身体が勝手に動いていた。
全部、クリスを守るためだった。ハヤミの患者だったこの子。それを守るための職業的義務。そんなものはない。自分は自分のために、この子を守っているのだ。
そうだ、この子を守るためならば、この老婆を殺したこともきっと正しくて――
窓際に飾られた写真立てが見えた。そこには、老婆が家族と幸せそうに笑いながら写っていた。写真の老婆はまだ破血症を患っていなかったらしく、きれいな肌色をしていたが、ほかの家族は全員破血症者だった。
それでも老婆は、幸せそうに笑っていた。愛する家族に囲まれ、慕われ、これまでの自分の人生の意義を確認するような、そんな含蓄のある微笑みだった。
それを、殺した。私が。
再び、私は絶叫した。
ボーヒーズがいたら、こんなことにはならなかっただろう。彼はいつでも理性的で、暴力の使いどころをわきまえていた。殺すときは一瞬だった。
私はそんな彼に頼り切っていた。思えば、どれだけの人がボーヒーズに殺されても、私は何も感じたことがなかった。
私はそのことについて深く考えてはいなかった。弟の死のあとで、麻痺しているんだと。そう自分に言い聞かせていた。だが、違った。そのことが自分にはわかった。
嫌なことをすべてボーヒーズにやらせて、自分の心を守っていたんだ。殺したのはボーヒーズだ。私は悪くない。だから、死んでいった人間の善悪など、はなから頓着していなかった。
私はただ暴力を外部化していたのだ。それを直視しないために、姑息にも鈍感でいた。それだけのことだった。
だが、ボーヒーズはもういない。これからは、私が殺し続けなくてはいけないというの? 罪のない人を撃ち殺した、私が? いつまで続ければいいの?
私は間違っていたのだ。私にクリスを守ることはできない。はっきりとわかってしまった。
今まで、ボーヒーズに守られていただけだったことが、今になってようやく実感できた。
そのとき、クリスが私を抱きしめた。
クリスは、なにも言わなかった。ただ、醜く意味のない音声を喚き散らしていた私を、その細い身体から生えた細い腕で、力いっぱい、抱きしめてくれた。
「大丈夫。先生には、僕がついてるよ」
そうだ、この子は、弟じゃないんだ。よちよち歩きで私の後ろをついてきた弟は、死んだ。私には、守れなかったから。私には誰かを守ることなんて、できないのだ。
私は、叫ぶのをやめた。私は、泣いた。
この小さな子供の胸の中で、恥も外聞もなく、嗚咽を漏らして、まるで母の胸の中に還ったみたいに、泣いた。
私とクリスは、寒さをしのぐために服を脱ぎ、それに二人でくるまって、その上から布団をかけて眠ることにした。
夜のとばりがしんしんと落ちても二人とも寝付けなくて、私たちは布団の中でもぞもぞと動き出した。間がもたなくて、私はラジオをつけた。ラジオからは、昔テレビで見たことがある、青血教の幹部の声が聞こえてきた。
「人間は、科学技術を発展させてきました。ほかの動物ではとうてい成しえない物事を作り上げることに成功してきました。それは、我々人類が人類であるまま、進化してきた証ではないでしょうか。そんな中、現在の科学技術では解決不可能なこの破血症という病は、どういう意味を持っているのか。我々人類は、なにを成すべきなのでしょうか。私たちや、私たちの祖先は、この血という器官に頼りすぎました。だから我々は、その束縛を乗り越えて初めて、人類としての新たな段階へ至ることができるのです。今日流した涙が、昨日食べた動物の血でできていることを、私たちは思い出さなければならないのではないでしょうか」
私はラジオを止めた。
「先生、あのね」
ぽつり、とつぶやく声がした。私はクリスに向き直る。
「僕、今の話、違うと思う。きっと、この病気は神様が与えた人間への罰なんだ。進化しすぎたことへの。僕たちの、傲慢さへの」
違う、と私は思った。だが、それを口に出すことはできなかった。
もし創造主という者があるなら、彼は確かにこれ以上の進化を望んでいる。それがたまたま私たちの望む形で現れなかっただけだ。そのはずなんだ。
罰、それは確かだ。だがその罰は、まだあがなうことができる。
やがて、クリスは眠ってしまった。かわいらしい寝息を立てている。
私は立ち上がり、食べ終わったりんごの芯の横に置いていたアタッシェケースを手に取った。
ボーヒーズが、命がけで、私に返してくれたもの。青血教から私たちが狙われる、元凶。
ハヤミの言葉が正しければ、破血症を治せば、精神病が発症する。精神病を治そうとすればその逆が起きる。ならば、私のとるべき行動は決まっていた。
「ん……ん……」
クリスが、嗚咽を漏らした。起きたわけではないことを確認して、視線を戻す。
ナンバーを入力して開錠し、ケースを開ける。中には、アンプルと注射器が入っている。
それらを、感触を確かめながら取り出し、ゆっくりと机に並べる。脱脂綿にアルコールをしみこませたところで、私は息を吐き出す。
注射器に針をセットし、開封したアンプルの中に針を入れる。ピストンを引いて薬剤を器内に導き、少しピストンを押して空気を抜く。
窓から差し込む陽光にかざすと、液体が赤色に透き通った。まるで血のように、赤く。
私はクリスの腕をつかむと、ひじの内側をたたいて静脈を探した。
注射器を持つ手が震える。本当にこれでいいのか。その問いは常に頭の中に張り付いていた。
頭を振って、邪念を消し去る。いいかどうかなんて関係ない。自分が彼にしてやれるのは、これだけなのだ。青い血を捨て去って、危険からかわしてやる。
意を決めると、私はクリスの真っ白な肌に、針を突き立てた。感触で静脈に針が通ったのを感じる。二、三回にわけてゆっくりと、薬を血管に流し込んでいく。
「あっ……ん……」
クリスが眉根を寄せた。薬品の刺激が、多少痛みを伴うのだろう。
素早く針を抜き、脱脂綿を刺創にあてる。ばんそうこうを取り出して貼り付けてやる。
終わった。これで、クリスを狙う者は、何者もいなくなる。私たちを追いかけるやつも。
最初からこうすればよかったのだ。なにも危ない目にあいながら、わざわざ暴徒の中に突っ込んでいくこともなかった。――ボーヒーズが、死ぬことも。
どっと疲れが襲ってきて、私はそのまま床に倒れこんで眠った。老婆から流れ出た青い血がすぐそこの床に広がっていたが、疲労感の前では勘定に入れる余裕はなかった。
私なんて、死体と一緒だ。クリスと眠ることなんてできない。自分が殺した、この老婆と寝るのがお似合いだ。眠りに落ちる直前に、そんな考えだけが、頭をよぎった。
それからすぐ、クリスは発熱をした。私はせっせと彼の汗を拭き、水を飲ませた。食べ物は受け付けなかったので、煮込んでふやかした果物にプロテインを溶かしたものを、無理に口の中に流し込んだ。
時折うなされるような嗚咽が聞こえては、彼の手を握り、小声で「大丈夫、大丈夫」と耳元にささやきつづけた。
三日ほど続いたころだろうか。そうして彼の血は、赤に戻った。弟と同じ色だったクリスの血は、私のものと同じ色になった。
やがてクリスは、何らかの精神疾患を発症するだろう。だが、それでいいと思った。私は精神科医だ。患者なら、何百人も相手にしてきた。
私なら、クリスとともに歩いて行ける。
それからは暴動の後ですっかり廃墟になったビル群を、私とクリスはあてどもなく歩いた。
もう、どこへ向かっているのかも、知りはしなかった。どこに行くこともできないから、ここじゃない場所へ行くことしかできなかった。
国外に脱出するために、港や飛行場を探した。軍隊の基地にも足を運んだ。だがどこもまともに機能してはいなかった。どこも青血教に占拠されているか、ゲリラ的に地下にもぐったディヴァステイターの基地になっていた。
私たちは、その日の食料を探し、時には誰かに恵んでもらう生活を続けていた。
医者の立場を利用すれば、ディヴァステイターに歓迎してもらうこともできただろうが、そんな気にはなれなかったし、青血教に入るのなんてもってのほかだ。
ただ毎日、あてどもなく街を行ったり来たりするだけで、いたずらに日々は過ぎていった。
それでも、私は満足だった。クリスと二人でなら、どこへだって行けると思った。
春がやってくるころには、クリスが身長で私を追い越していた。
「見つけたぞ」
私たちを、後ろから呼び止める声があった。この声。忘れもしない。その姿を見るまでもなく、誰かわかった。
私が振り向きもせず走り出そうとするその前に、身体が持ち上げられる。何にも触れられていない。超能力だ。
「邪魔するものはいない。苦しませてやる」
指一本、動かすことができない。身体中をあらゆる角度から締め付けられる感覚。コンクリートに生き埋めにされるのって、こんな感じなんだろうか。
むきなおさせられて、私は追跡者と相対した。眼下には、包帯を巻いた男がいた。確かに、ジョゼフその人だった。ボーヒーズを殺したときに着ていたのと同じ白いシャツは、あちこちが擦り切れてぼろぼろで、赤や青の血や煤などで汚れていた。
「やっとこのときが来た。祖先の霊たちのために、大地にお前の血を吸わせてやる」
祖先……こいつは何を言っているんだ。
「先生……ああ……あああ……」
クリスは、茫然としている。だめ。逃げて。私なんかにかまわず。
「お前は次にゆっくり殺してやる。おとなしくしていろ、穢れた青い血の民め」
声を上げることすらできなかった。クリスが目を見開き、何か叫びたげにわなわなとふるえているのを見ていた。
私の左手が持ち上げられた。見えない力に圧迫されて、骨がごりごりと鳴った。皮膚の内側で、肉がミンチみたいにすりつぶされていく感覚。私は、口の中に何かを入れられたようで、叫び声をあげることすらできなかった。
「ああ……」
「次は右手だ」
「ああああああああああああ」
クリスが、呻いている。私は目を閉じたかった。だが、残酷なインディアンはそれすら許さない。
今度は右手が持ち上がる。
「ああ……うわああああああああああああああああああああああああああ」
クリスが、絶叫した。鼓膜が何かを感じ取って、ぴりぴりと鳴った。次の瞬間、私の身体はふいに自由になり、地面にしこたまたたきつけられた。
見上げると、ジョゼフが今しがたの私のような姿勢で宙に浮いていた。瞬く間に身体中の関節が、あらぬ方向に歪曲していく。ジョゼフの身体が、ヨガの行者のように折りたたまれた。
グロテスクなオブジェのようになった彼は、口から内容物を吐き出しながら、ぼろきれのように地面に転がった。胴に付着しただけになった四肢が、だらしなく垂れ下がった。
超能力。今のは、クリスがやったの?
「ねえ先生。なんで僕はこんなつらい目にあってるの?」
クリスの、変声期にさしかかった声が私をなじった。
「……クリス?」
「なんであいつは、僕たちを狙うの? ねえ、なんで?」
「お願い、困らせないで。いろいろあるの」
「いろいろってなに? 隠し事ばっかりして。子供だと思ってバカにしてるんでしょう。いや、子供とも思ってない。僕は先生にとっての何なの? ペットかなにかじゃないの? こうやって都合のいいときだけかわいがるために、連れ歩いてる。そうなんでしょう? 本当にいらいらする。知っているんだ。あのアタッシェケースの中に本当の僕がいたんだ。それを先生は誰かに売り渡したんだ。そうなんだろ? だから僕はこんなにいらいらして、頭の中に動物園があるみたいに、ひっきりなしにワーキャーなにかが絶叫をあげているんだ。気がヘンになる。全部先生のせいだ。どうして嘘をつくの? 言ってることが違うじゃないか。先生。僕が何かした? こんな仕打ちを受けるようなことを」
「お願いクリス……」
「お願いされても困るんだよ! お願いしてるのはこっちなんだから。ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな。お前のせいで、お前が、お前のためにッ! 何とか、言えええええええ」
クリスの絶叫が鼓膜をびりびりと震わせた。
周辺の空気が、変わった。同時に、私たちの周囲の地面が陥没して、劣化してひび割れたアスファルトが砂のように崩れた。
映画でも見ているような光景だった。地面からは風が巻き起こり、アスファルトのかけらを巻き上げている。それらはすぐに空へ持ち去られ、どこかへと飛んでしまった。あたりに残ったのは、私たちの足場のきれいに切り取られた地面と、ぼこぼこに歪んだ水道やガスの管が露出している様子だけ。
一瞬で、クリスが目の前に踊り出していた。思わず背中から倒れこむと、クリスは私の腹に馬乗りになった。抵抗することもできず、されるがままになった。
クリスの両腕が私の首筋に巻き付いた。ぎりぎりと、指の形に私の気道がつぶれるのがわかった。この間までろくに運動をしたこともなかったのに、いつの間にこんな力が出せるようになったんだろう。
意識が薄らいでいく。私の頭の中から目の前の光景は消え去っていた。代わりにどこかで見たことある光景が、めまぐるしく目の前をぐるぐると過ぎ去っていく。
これが、走馬燈?
私の目の前に、ハヤミが現れた。ボーヒーズが死んだあの日の光景だ。ハヤミが口を開く。
「なにも感づいていないのか。破血症の正体に」
私は黙っている。見当もつかない。
「君は精神科医だろう。では、精神疾患というのは一体なんだと思うんだ?」
難しい問いだった。一般的な定義を持ち出すことはできる。他者と異なる精神構造をすること。だが、ハヤミがそんな答えを望んではいないことはわかる。
「円滑な社会生活を送る上で障害となる精神的形質。ようは病気よ」
「ならなにを根拠に病と決める。ウィルスや寄生虫に犯されているわけでもなければ、治療しなかったところで寿命が縮むわけでもない。人間が勝手に病と言っているだけじゃないか」
「精神伝達物質が異常を来たしてるのよ。立派な病気じゃない」
「異常。異常とはなんだ。それを決めるのも、結局人間じゃないか」
「屁理屈はよして。私はあんたと哲学議論がしたいんじゃない」
「たとえばだ。四足獣が前足を使うごとに器用になっていった。それにつれ後ろ足が発達し、二足歩行が可能となった。これは他の獣たちからしたら異常なことだっただろう」
「畜生に、その差異を感知できる知能があるかはともかくね」
「まぜっかえすな。ならば同じように、こうは考えられないか。精神疾患というものは、人間が新しい時代を生きるために獲得した生存に有利なかたちだと」
「精神疾患が進化の形ですって? 種分化のスパンというのはそんなに短いものじゃない。結論が早すぎる」
私にはとうてい理解できない話だった。精神疾患というものは、まわりがどれだけ格別の理解を示したとしても、現実的に実生活に齟齬をもたらすものだ。
「ああ、そうだ。だが、現在はまだその途上だ。精神疾患の患者たちがこれからどれだけの時を経て、どのような発展をするのか、私たちには理解できない。君も患者を見ているならわかるだろう。精神疾患が、ほかの病の追随を許さないほどの速度で広範に伝播していくのが。これは人間社会において、技術や思想が広まっていくのに、あまりに似ていないか」
一部の精神疾患は、感染症の様相を呈する。罹患していない者も、長くかかずらうことで引きずり込まれ、精神を病むケースは枚挙にいとまがない。
「確かに精神疾患の伝播力は目を見張る。インターネットもなければ出版技術も確立されていなかった時代に作られた書物が世界中に広まり、今なお読み継がれていることと似ているかもしれない。でも、技術や思想は磨き上げられ、発展していくの。一方疾患は淘汰される。善悪の別はともかく、峻別という段階もなく心に根ざしていく性質はウィルスのようなものよ。逆にその伝播力こそが、精神疾患が疾病であることの証拠じゃない?」
「では、精神疾患というものが先入観や同調圧力にさらされることなく、健やかな形で発展していったら、どうなっていたと思う?」
精神疾患というのは後天的に獲得した属性だ。あるいは学習したと言ってもいいかもしれない。社会生活というものを送る上で、最適化されたかたち。ハヤミは、そう言いたいのか。
「精神疾患が発生したのは、人間が社会性と知能を持ったからだ。でも、その社会性と知能ゆえに精神疾患は淘汰されようとしている。そういう意味では確かに健やかな精神疾患など、存在しないのかもしれない。なら、精神疾患者だけしか存在しない場所があったとしたらどうだろう」
「そういう実験は以前あったわ。結果は一部の患者が受胎することはあったけど、出産後に育児が放棄され、このままでは赤ん坊が死んでしまうというところで中止になった。そのような社会で種は存続できないでしょうね」
「たまたま、その症状がそういう形質だったからだろう。育児放棄する種ばかりでもあるまい。精神疾患は多様性がある。多様性が保証されているからこそ、急激な環境の変化があった場合にも淘汰されていく。お前がいってるのは、事実を認めたくないだけの屁理屈だ」
確かにダーウィニズム的には、進化に前もって答えが用意されているわけではない。
「さて、本題の破血症の話に戻るが。ここまで言えば、もうわかっただろう」
わかってしまった。彼が何を言いたいか、嫌というほど。
彼の表情は先ほどとはまったく反転した、嗜虐的なものだった。
背筋を下側から、氷のようなもので撫でられる感触がした。
私はいつしか、握りこんだ拳に力が入っていることに気がつく。バグを消したはずが、プログラム自体が起動しなくなった。そういう次元の話だ。
ハヤミは、重く頷いた。
「断定しよう。破血症とは、人間が進化を否定した代償だ」
破血症。特効薬。精神病。超能力。私の中で、すべてが結びついた。
破血症とは、人間が超能力を獲得することを拒否した代償であり、そしてその発動の鍵となるのが、いわゆる精神病と呼ばれる症状だったのだ。
破血症者は精神病にならない。破血症者に超能力者はいない。
すなわち、破血症者は超能力者にならない。
簡単な三段論法だ。それをハヤミの話で補ってやれば、すべて説明がつく。
クリス。彼が超能力者――新しい人類のひとつの形となったことを、私は確信した。私が、あの薬を投与したせいで。
クリスは、進化したのだ。文字通り超人の一人として。
ハヤミは最初からすべてわかっていたのだろうか。だから私に、薬を託した? 自分の患者であるクリスで実験するために。
治験を受けた検体のその後については伏せられていた。今となっては、彼らが後に超能力者に目覚めたかどうかは、調べようもないが、ハヤミなら知っていたとしてもおかしくはない。
首への束縛が、緩んだ。酸素が戻ってきて、視界と意識が回復する。
私は、手に違和感を覚えた。気が付くと、手ごろな大きさの瓦礫をクリスの頭にあてがっていた。殴っていたのだ。クリスを。私が。
「本性を現したな」
クリスの瞳に、怒りが灯った。怒らせてしまった。あの賢く、心優しい男の子を。
「あっ……ごめ……そんなつもりじゃ」
「最初から、僕を殺すつもりだったんだろ」
私は黙っていた。何を言っても、火に油でしかない。
「なんとか言ええええええええええええええええええええええ」
びりびりびりと鼓膜が震える。まわりの気温が上昇するのがわかる。
私は、固く目を閉じた。もうだめだと思った。やっぱり、この子を救うことはできなかった。
だが、そのときはやってこなかった。
おずおずと目を開ける。その瞬間、クリスの頭、鼻から上のあたりが、かぼちゃみたいに弾け飛ぶのが見えた。
血が、脳漿と混ぜ合わさって飛び散った。私は、自分の顔にはねたそれを掬い取った。
赤い。本当に、赤い。クリスの血。
「はぁ……はぁ……」
横たわったジョゼフが、こちらを見ていた。あいつがやったのだ。まだ生きていたなんて、本当にしぶといやつだ。
「どういう、ことだ……」
ジョゼフは驚いている。当然だ、クリスのことを、ずっと破血症者だと思っていたのだから。
私はもはや、逃げる気も起きなかった。守り続けていくと決めた彼の頭が、脳みそが、今こうして、ざくろみたいに弾け飛んだ。
私は放射線状に広がった血の雨を浴びて、茫然としていた。
そのとき、私の上から、声が聞こえた。
「なんで邪魔するんだよ」
クリスの、砕けちらされた頭に残った口が、動いた。そこから吐き出された声は、怒りをあらわにしていた。その変声期のハスキーな声は、クリスのものに間違いなかった。
まだ、生きている。頭蓋骨を粉々に破砕され、脳みそをぶちまけながらもなお、クリスは生きている。
「あああ、何も見えない何も聞こえない。暗くて静かだ。なんで、なんでこんな、なんでっ!」
クリスは、あたりに転がっている瓦礫をあてずっぽうにいろいろなところにばらまいた。クリスの下で横たわっている私は安全だった。
ジョゼフは、身体をじたばたさせた。逃げようとしたのだろう。だが、全身の骨を砕かれては、水辺のアザラシが遊んでいるようにしか見えなかった。
「ば、ばけものめ」
ジョゼフが叫んだ。次の瞬間、宙空を高速移動で舞った廃車が、彼に直撃した。
熟れた果物が地面に落ちて潰れるみたいな、情けない音が聞こえた。
「クリス……」
クリスの耳は、もうない。聞こえているはずはなかった。それでも、彼に話しかけないことはできなかった。
「僕が、ついてるって言ったのに」
「いいの……いいのよ」
私はクリスのほほを撫でた。上気して少し赤みがかった皮膚は、とても、とても暖かかった。
「ごめんね」
それきり、彼はなにもしゃべらなかった。今度こそクリスは、死んでしまった。
私は、腹の上にクリスをのせたまま、大の字になって寝そべっていた。
ハヤミは、あと数年で全人類が破血症と精神病のどちらかにふるいわけられると言っていた。つまりは、身体的に優れているが精神に異常のある赤い血を持つ者と、精神的には平穏だが、身体にハンディがある青い血を持つ者に別れるということだ。
赤い血と青い血。そのどちらが進化なのか。どちらが優れた種なのかは、一方が淘汰されてみるまで分からない。そんなずっとずっと先の話に、興味はなかった。
何時間くらいそうしていただろうか。遠くから、足音が近づいてきて、私は遠のきかけていた意識を覚醒させた。
ひどく甲高い声と、のっぺりした胴間声の二つが聞こえる。
「仲間割れ……か?」
「ひどいありさまなんだなあ」
様子を見に来たのだろうが、遠足に来たみたいにのんきな声だ。
「おい、あいつ、まだ生きてるんじゃないかなあ?」
胴間声のほうが私に気づいた。破血症者だろう男が二人、近づいてくる。私は無表情に彼らを見上げている。
男たちの一人が、私に銃口を突きつけて、言った。
「お前の血は、何色だ?」
「血の色……? そんなの、私が教えてほしいわ」