拝啓、 。今日も元気にキヴォトスでニートやってます。 作:桜ナメコ
約一週間前、迷子を拾った。
一人静かに泣きじゃくりながら、彼女は直ぐにでも倒れてしまいそうな歩調で通りの端を歩いていた。
その背中が余りにも小さく寂しげで。
一度でも目を逸らしてしまえば消えていなくなってしまうのではないかと、そんな焦燥にも似た感情に追い立てられるようにして、黒舘ハルナはその少女に声をかけた。
浅葱と翠色の長髪。
透き通る群青と閑かな灰の瞳。
幼さを残しつつも整った端正な顔立ち。
純白の翼はこれまでに出会った有翼の生徒の誰よりも大きく美しかった。
初めに、綺麗な人だとそう思った。
次に、よくもまあこのような見目の持ち主が無事にこのゲヘナ自治区を闊歩できていたものだと、妙な所で感心する。
その行動は「気まぐれ」の一言でまとめてしまえば、その通りに過ぎないのだと思う。
寧ろ、例えそれが気まぐれであったとしても、他者を気にかけるだけの甲斐性が自分にあったことを今でも驚いているぐらいだった。
とうの昔に全てを美食の探求へと捧げたと、ハルナとしてはそんな気概であったのだが人間そう単純なものではないらしい。
「…………まったく、可愛らしい寝顔ですわね」
呑気にすやすやと寝息を立てている少女の頰をそっと撫でてから、ハルナはベッドに彼女一人を残して、朝食の準備を始める。
「……フウカさんが毎日ここに居てくれたらいいのですが、今度、お願いしてみましょうか?」
飾り気のないシンプルな黒のエプロンを身につけて、ハルナは真剣な顔でキッチンへと向かう。
彼女を迎えてから、ハルナの生活は大きく変化していた。
黒舘ハルナの料理スキルは凡、かなり甘く見ても中の下といったところだ。
料理ができないというよりは、端からするつもりがないというのが正解に近い。
身近に(ハルナ観より)フウカという信頼できる料理人がいることもあり、自分で料理を行うという行為に対して彼女は特に必要性を感じていなかったからだ。
とはいえ、そうも言っていられない状況が現在にあった。
その原因は現在進行形で気持ちよさそうに眠りこけている彼女の抱える特殊な事情にある。
「アリカさん、起きてください。朝食の時間ですわよ」
「…………んぁ? ……ぅん、ぁりがと……おはよう、ハルナちゃん」
「ええ、おはようございます」
まだまだ寝ぼけ眼の少女はふにゃっとしたあどけない笑みを浮かべて、お礼の言葉を口にした。
「……これは、フウカさんの気持ちも理解できますわね」
「…………ふうかさん?」
「私の友人の一人です。機会があれば今日中にでもご紹介しますわ」
他人に自分の料理で喜んで貰うことを至上の喜びとしているあの友人も、このような充足感を味わっていたのだろうか。
「それはさておき、折角の料理です。時間を置くことなく、最高の状態で食すのが礼儀というもの。身体に不調はありませんね?」
「……うん、元気! ハルナちゃんが助けてくれたお陰だよ」
ぱちぱちと瞬きを繰り返してから、アリカが溌剌とした返事をする。どうやら完全に目が覚めたようだ。
二人で同じテーブルにつき、手を合わせる。
「「いただきます」」
声を揃えての食前の挨拶。
その後、ハルナだけが言葉を続ける。
「では、アリカさん。どうぞ召し上がってください」
「……本当に、ありがとうございます!」
メインにホットサンド、サラダとスープ、コーヒーを添えたオーソドックスな朝食。
アリカはそれらを心の底から幸せそうに食べ始めていた。
そんな彼女に見惚れてしまっていたことに気がついて、ハルナはコホンと咳払いを挟む。
「美味しい! 美味しいよ、ハルナちゃん! 本当にありがとうね!」
「それは何より。この程度、お礼を言われるほどのことでもありません。そうお気になさらずともよろしいですわ」
「ハルナちゃん……! もしかして、天使?」
「いえ、どちらかと言えば悪魔よりの姿ではあると思いますが」
「中身の話だよ! ハルナちゃんのお羽とか尻尾が悪魔っぽくて素敵なのはまた別の話だから!」
感謝を何度も伝えてくるアリカを見て、大袈裟だと思う気持ちがある反面、もしも自分が居なかったならというイフを考えると彼女の発言が過剰でもないことは察せられた。
その理由こそ、先に触れたある事情。
夢語アリカ。
彼女は『他人に無償で施された料理以外を口にすることができない』という呪いに蝕まれた人間であったのだ。
✳︎
「おはようございます、フウカさん」
「…………おはよう、ハルナ。しばらく顔を見せなかったと思えば……どうしたの、その子? 初めて見る顔だけど」
フウカと呼ばれた良妻感に満ち溢れたその生徒はお玉を片手に疑問を述べる。
何故、他に類を見ないレベルの人格者であるハルナちゃんに警戒の視線を向けているのか謎であったが、ハルナちゃんが信頼しているという事実は私にとって無条件の信頼を預けるに値する。
疑問に答えるべく、ハルナちゃんの後ろから一歩前に出て、元気よく挨拶と自己紹介を行った。
「お、おはようございます! ……えっと、初めまして、夢語アリカです。ハルナちゃんには、衣食住の全てにおいて全面的にお世話になっています! 仲良くして頂けると嬉しいです!」
人見知りの気質はそこまでないので、可能な限り目一杯に明るく、溌剌に。
第一印象ってやっぱり大事だと思うからね。
「衣食住……? う、うん、まぁ、よろしく。元気いいわね……元気がないよりはいいことかな……?」
フウカさんとやらの反応からして、自己紹介は及第点と言えるだろう。
ふんす、と鼻を鳴らし、ハルナちゃんの友人として恥ずかしくないようにと張り切っていると、ハルナちゃんに微笑ましいものを見るような目で見られてしまった。
「せっかく丁寧に挨拶をしてくれたわけだし、もうハルナから聞いているかもしれないけど、私も自己紹介をするわね。私は愛清フウカ、ゲヘナ学園の給食部の部長をやっているの。くれぐれも、そこのと同じ美食研究会のメンバーだと勘違いしないでね」
「美食、研究会?」
何その自由に食事も許されない私と対極に位置していそうな名前の研究会。すっごい羨ましい。
「あなた、美食研究会のことを知らないの? ……ちょっとハルナ? どういう関係でこの子、学食まで連れてきたわけ? うちの生徒……なわけないし……まさかトリニティ自治区から攫ってでも来た?」
「随分と物騒なこと言うんだね、フウカちゃん。ハルナちゃんが誘拐なんてするわけないでしょ。ねぇ、ハルナちゃん?」
「…………え、ええ。まぁ、はい」
「ちょ、ハルナぁ!?」
何故かハルナちゃんに目を逸らされた気がしたが、態々、答えを確かめるまでもない疑問である。
見ず知らずの私を無償で助けてくれた天使のように優しいハルナちゃんが、誘拐事件なんて起こすわけがないだろう。
「こほん、まぁ細かいことは気にせずともよろしいでしょう。私とアリカさんの関係は……そうですね、ルームシェアを始めた新しい友人といったところですか」
「……ルームシェア?」
またもや怪訝そうな声をあげるフウカちゃん。警戒心が強い子なのだろうか、なんてことをぼんやりと思考の隅の方で考えた。
ルームシェアというか、私が一方的に住み着いたようなものなのだが……こちらの体裁が悪くならないようにとハルナちゃんの配慮が行き届きすぎていて既に泣きそうな私である。
「あはは……こう見えて、ほんの最近まで無職の宿無しでありまして…………あ、いや、無職なのは今もなんだけど……本当に、ハルナちゃんには面倒をかけてます」
いや、本当にね。
話していると情けない気持ちがとめどなく湧き出てくる。
せめて収入を家計に放り込むくらいはしたいと考えていたのだが…………まぁ、この件については追々考えよう。結論だけを述べると私には誰かにお世話をして貰う選択肢以外は残されていない、というものになるのだけど。
「無職の宿無しって……! そんな簡単に言えることじゃないでしょ。大丈夫だったの? お腹とか減ってない?」
フウカちゃんは慌てたように私に近づいてくると、ペタペタと頬やら肩やらに触れて健康状態を確かめてくる。
迷いのない彼女の行動を前にした私は、呆けて瞬きを繰り返す以外の反応を取ることができなかった。
「…………信じて、くれるんだ」
「嘘を吐く理由なんてないでしょ? ……うん、よかった。顔色は悪くないわね。でも、せっかく
余り物ぐらいしかないけどね、なんて少しだけ申し訳なさそうに笑うフウカちゃんを見て、ハルナちゃんに拾って貰ったときと同じようなじんわりとした温かさを覚える。
「…………っ! 食べる! 食べたい! ありがとう、フウカちゃん! 大好き!」
「わっ、ふふっ……大袈裟よ、気にしなくていいわ。直ぐに準備するから待っててね」
感極まって、感謝の言葉を叫び散らしながらフウカちゃんへと飛びつくと、彼女は驚きながらも私を受け止めて抱きしめ返してくれた。
お日様の匂いに包まれて、一瞬にして眠気が押し寄せてくる。それぐらいの安心感を覚えるハグであった。言い方悪いけど、中毒性やばそう。
「…………大好き、ですか。流石ですね、フウカさん」
「え、ハルナ? なんか機嫌悪くない?」
「別に? 極めて普段通りですが」
むぎゅうとフウカちゃんを抱きしめるのに夢中になっていると、何やら頭上で気になる会話が行われていた。
「……ハルナちゃん、機嫌悪いの? どこか痛い? 何か嫌なことでもあった?」
突然の一大事である。
ハルナちゃんに不快な思いをさせるなんて万死に値する。
フウカちゃんから手を離して、ハルナちゃんの方へと近づいた。
背が低いとどうしても頼り甲斐がなさそうに見えてしまうため、少々不服ではあったのだが、ハルナちゃんの顔を苦労せずに下から覗き込めるという利点だけで不満なんて無かったように思えてしまう。
なんなら、ハルナちゃんが何気ないふとしたタイミングで頭を撫でてくれたりするのも、私の身体が小さいのが理由の一つであるのならば、なんて素晴らしい身体に生まれることができたのだろうと万歳したくなる心持ちだった。
親の刷り込みレベルで私のキヴォトス人生に占めるハルナちゃん要素の割合が高いことについては諦めてもらいたい。
俗っぽく一言で単純に表してしまえば、あの出会いの瞬間、私の脳は彼女に焼かれてしまったのだ。既についていくのならこの人だと魂に刻み込んでしまった後なのである。
正面から近づいて、下からその顔を覗き込む。
何度見ても見惚れそうになるゾッとするほどに美しい彼女の顔を視界全部に収めると、それだけで「綺麗だなぁ」とただの感想が思考の全部を埋め尽くしてしまうので、そうならないよう精一杯気をつけて。
可愛いなぁ、綺麗だなぁ、ずっと見ていたいなぁ、なんて何度も何度も思いながら、努めて冷静に表情を伺った。
…………確かに、ちょっとだけ不満そう?
ほんのりと赤く染まった頬はちょっぴり膨らんでいて、目線を逸らしている彼女の姿はあまり見慣れないものだった。
「…………ハルナちゃん?」
「どうかしましたか、フウカさんが大好きなアリカさん」
どこかツンツンとした声音のハルナちゃん。
これはこれでとっても可愛い。
耳に焼き付けておきたいな、と考えてしまった私の後ろでフウカちゃんが何やら驚いているみたいだった。
「あ、あのハルナが、拗ねてる……!? 料理に関係ないことで!?」
さて困った。
どうしてハルナちゃんがツンツンさんなのか、その理由が全くと言っていいほどわからない。
「……アリカ、ちょっと耳貸して」
「わっ、初めての名前呼び! なんだか照れちゃうねー」
トントンと肩を叩かれて、振り向くと直ぐ近くにフウカちゃんの綺麗な顔があった。
耳元で囁かれるとこそばゆい感じがして、無意識の内に背中の翼が動いてしまう。
「…………っ」
「アリカ、気持ちは嬉しいけど火に油を注がないで!」
名前呼びを喜んでいると何故かフウカちゃんに怒られた。解せぬ。
大人しくフウカちゃんの口元に耳を近づけると、小さな声でハルナちゃんを元に戻す方法を教えてくれた。
「……ハルナちゃん」
「…………何です?」
「ハルナちゃんが一番だよ?」
一瞬の沈黙。
「――――フウカさん?」
「いや、待って!? 私、そんな殺し文句は教えてないから! 『ちょっと褒めてあげて』ってアドバイスはしたけど!」
表情を完全に無に変えて、フウカちゃんを非難するような視線を向けるハルナちゃんだったが、暫しの間、むぎゅりと私を抱きしめ続けてくれていたので機嫌は直ったようだった。
二人が落ち着くまでは私も翼でハルナちゃんを抱きしめて、この幸せな時間を堪能するとしよう。
はふぅ……幸せだなぁ……
「ちょっと可愛過ぎない? ほんと、どこで拾ってきたのよ」
「あげませんわよ」
「とことん絆されてるわね……」
✳︎
「そういえば、すっかり本題を忘れていました。フウカさん、一つ提案があるのですけど……」
「やだ。待って、聞きたくない」
「おや、まだ何も言ってないのですが」
「聞かなくても、大体想像できるわよ! 何度、その提案(強制)で私が――」
「私たちとルームシェアしませんか?」
「………………はい?」
「まぁ、ありがとうございます! まさかその場ですんなりと了承していただけるとは。これぞ僥倖、望外の結果というものですわね」
「え、まって、今のは違――」
「では、準備の方は全てこちらで進めさせて頂きます。安心してください。キッチンには、しっかりと拘りますから! 何か要望があれば遠慮なくお伝えくださいな」
「…………! フウカちゃんも一緒に住むの?」
「ええ、今し方快く了承を頂きましたわ」
「いや、だから! 私は――」
「やったー! フウカちゃんも一緒なら、もっともっと、毎日が楽しくなるね!」
「わ、私は…………う、うぅ……」
「実は、既に幾つか検討している物件があってですね……アリカさんの部屋も用意してさしあげたいですし」
「……私はそこまでしてもらわなくても……その、屋根裏部屋とか物置とか貸してくれたら、十分過ぎるぐらいなんだけど……」
「――絶対にそんなことはさせませんから。ですよね、フウカさん?」
「そ、それは、確かに私もそう思うけど――」
「ほら、同居人となるフウカさんもこう言っているのですから、大人しく私と同じ部屋にしましょう」
「…………うん。一緒に住むフウカちゃんまでそう言うなら、わかった」
「嵌められたあぁぁ!? まって、まって! シェアハウスを借りるなんて、幾らハルナでもそんな急に――」
「普段はこのような乱暴な手は使わないのですが、私、これでも結構なお嬢様というやつなので……」
「いつにも増して無法過ぎない!?」
三日後、引っ越しが決まった。
フウカは半泣きだったし、ちゃっかりハルナとアリカは同室だった。