春はどどめ色   作:薔薇結石

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十話 逢田 翔

「あの天使を譲ってはくれまいか!!!」

 

 青天の霹靂だった。

 

 束の間の休み時間、次の授業の準備をしている時だ。

 

 教室のドアを開け放ち、ズカズカと迷いもせず僕の席へ向かって来た見知らぬ男子生徒の、開口一番に発したセリフがそれだった。

 

「天使……?」

 

 天使といって思い当たる者は妹くらいのもので、僕は首を傾げた。だが、はたと思い起こす。

 

 ソラ狙いの不届き者か、前にもいたな、と。

 

 おおかた、外で見かけて興味を持ったとかそのあたりだろう。それで兄である僕にまでたどり着いた猛者は2人といなかったが、その情熱と愚直さと気味悪さに免じて、話を聞いてやるくらいのことはしてやろうと思った。

 

「……名前を聞いておこう」

 

逢田(あいだ) (かける)だ。一年二組、美術部所属」

 

「わかった。面接を始めようか」

 

「ハイッ!!」

 

 逢田翔と名乗った男子生徒は、キビキビとした動作で僕の対面に回ると

 

「失礼します!!!」

 

 見知らぬ生徒のイスを借りることを避けたのか、空気イスの姿勢で僕と目線を合わせた。

 

 こうしてまじまじと見ると、容姿は悪くない。むしろ整っているといっていい。

 

 その容姿と行動の乖離がかえって不気味だ。

 

「彼女を選んだ動機を聞かせてもらえるかな」

 

「彼女の素晴らしさは言の葉では到底語り尽くせませんが、敢えて言うならそう……一目惚れです」

 

「……なるほど、顔が好みだと」

 

 まあ、無難なところだ。統計的にも最頻値の回答だ。

 

「俺の感じたトキメキをそんなに軽くあしらわないでもらいたい!!あれは運命だったのです!!目にした瞬間、体に稲妻が落ちたような衝撃で」

 

「私語は慎んでください。聞かれことだけ答えるように」

 

「……申し訳ない」

 

「なにバカなことやってんの」

 

 妹の、彼の、ひいては僕の人生を左右しかねない重大な局面に水を差したのは、呆れ顔でこちらを見やる布瀬だった。

 

 彼女は頬杖をついたまま、トレードマークであるマスクを外してまで苦言を呈している。

 

 だが、彼はともかく、僕までバカの仲間入りを果たす謂れはないはずだった。

 

 逢田と二人で顔を見合わせ、布瀬の発言の真意に思いを巡らせてみるが、生憎となにも思いつかなかった。

 

「君、知らない人にいきなりバカ呼ばわりとは、失礼じゃないのか」

 

「そうだ。逢田はともかく、僕まで巻き込まれるのは心外だな」

 

「このバカども……」

 

 布瀬の嘆息は重い。あんなことがあった後だからな。疲れているのかもしれない。

 

「逢田くん、だっけ?君の言う天使って、誰の事?」

 

「それは無論、黒き絵画の乙女、一条喜依に決まっているだろう」

 

「え、そうなの」

 

「お前はなんだと思って面接を始めたんだ」

 

「妹」

 

「なるほど、重症だな」

 

 不当な誹謗中傷に心を痛めた僕は気が付けば、空気イスに励む逢田の足を踏みつけていた。

 

「くっ、なんと陰湿な……!」

 

「兄として妹の心配をするのは当然だろ。撤回を要求する」

 

「いつまでやってんの。もう休み時間おわるよ?」

 

「なんだと!?」

 

 放課後こそ話を聞いてもらうからな、と捨て台詞を残して逢田は足早に去っていった。

 

 僕の勘違いのせいで話がややこしくなったような気もするが、一条喜依を譲るというのは、なかなか難しい話だ。

 

 逢田に真相を明かすわけにもいかないし、どうしたものか。

 

「なあ布瀬」

 

「なに?」

 

 ジトっとした視線を向けてくる布瀬。

 

 いきなり名前呼びはいらぬ勘ぐりを受けそうだと直談判した結果、夜須美呼びは二人の時のみにさせてもらったのだが、名字で呼ぶ度に抗議めいた視線を送ってくるのはさすがに居心地が悪い。

 

「なんか当たりが強くない?」

 

「そんなことないけど。距離が縮まって遠慮がなくなったんだよ」

 

「そうかな」

 

「そうだよ」

 

 ならいいか。仲良くなったってことだもんな。

 

「ほら授業はじまるよ。集中集中」

 

「ん」

 

 次の授業は古典だった。

 

 中学の時は苦手だったが、先生の教え方が上手いのか、今のところは退屈せずに学べている。偏差値の高い学校は教員の質も高いのだろうか。

 

 受験勉強をサボらなかった自分に喝采を送りながら、一日は過ぎていていった。

 

 

 

 

「さあ、答えを聞かせてもらおうか!」

 

「うわ、もう来た……」

 

「早いな、逢田」

 

 帰りのHRが終わるやいなや教室に飛び込んできた逢田は、鼻息も荒く僕に詰め寄った。

 

 知り合ったばかりの人間に対して、この距離感はおかしくないだろうか。普通の若者はみんなこんな感じなんだろうか。

 

 だが、隣の席ということで巻き添えを食らっている布瀬はどう見ても引いている。

 

 やっぱりコイツがおかしいだけか。

 

「彼女をこの手で愛でる機会をそうそう失うわけにはいかん!どうなんだ、頸木八雲!!」

 

「なんで名前知ってんだよ……」

 

「そんなことはどうでもいい!!譲るのか譲らないのか、ハッキリしてもらおうか!!というかもう我慢ならんので部室まで案内して欲しい!!」

 

「なんで部室?」

 

「あの絵画はオカ研にあるのだろう?うちの部長からはそう聞いたぞ」

 

「ああ……」

 

 昨日の今日ということもあって、絵を僕の自宅で管理しているという話はまだ伝わっていないらしい。

 

 幸いというべきか、説明が面倒というべきか。

 

「というか、絵がオカ研の所有物になったと聞いているなら、僕のところに来るのはおかしいだろ。部長のトコに行くのが自然じゃないか?」

 

「オカ研の部長は多忙でほとんど顔を出していないと聞いてな。俺の勝手な都合で邪魔をするわけにもいくまい」

 

「わたしたちにも気遣ってほしいんだけど」

 

「? お前たちは多忙でも受験生でもないだろう。なぜ気を遣う必要がある」

 

 この短い問答で分かった。逢田は強固な自分の価値観に基づいて行動する、自我の強いタイプの人間だ。必要とあらば他人の都合なんかお構いなしで、初対面だとかパーソナルスペースだとか気にせず接してくる奴だ。

 

 こういう奴にはどんな嘘も誤魔化しも通用しない。

 

 遠ざけようとしても、おそらく無駄だろう。四六時中付き纏われて、僕の秘密まで感づかれたらおしまいだ。

 

 ならいっそ、一条喜依の秘密を開示することで、僕らと接触する理由をなくしてしまう方がダメージは少ないかもしれない。

 

「わかった。なら、案内するからついてきてくれ」

 

「おお!ぜひ頼む!」

 

「いいの……?」

 

 一条喜依が尋常ではないと、僕が何か言えない秘密を抱えていると知っている布瀬は、心配そうな声で問いかけてくる。

 

 だが、そこまで心配する必要はないだろう。あくまでも明かすのは一条喜依の正体だけだし、僕らにまで飛び火する可能性は低いだろう。

 

 本当なら一条喜依の正体すら明かしたくはないが、持ち主を譲るという話をするなら、彼女が黙ってはいまい。

 

「こうなったら仕方ないよ。ごめん、今日は先に帰る」

 

「八雲くんが決めたんなら、いいよ。わたしも久々に友達と帰るから、遠慮しないで!」

 

「ありがとう。じゃ、また明日」

 

「うん。また明日」

 

 逢田と連れ経って校舎を後にする。

 

 興奮冷めやらず、高揚した口調で話し続けるものかと思っていたが、意外にも移動中の逢田は静かに、なにかを考えこんでいる様子だった。

 

「黙られるとかえって不気味なんだけど」

 

「……いや、少し申し訳ないことをしたと思ってな」

 

 行動どころか、吐き出した言葉まで奇妙だった。

 

 真意を測りかねていると、逢田は神妙な面持ちで続けた。

 

「さすがの俺も、恋人どうしの青春を邪魔するつもりはない。……すまなかった」

 

 この男は言動だけでなく発想まで突飛なようだ。意外にも恋愛脳らしい。

 

「違うよ」

 

「なにがだ」

 

「恋人じゃないって。友達」

 

「……お前はともかく、女の方はどう思っているか」

 

「ないない。あと女って言うな。失礼だろ」

 

「名前を知らないのだから仕方がないだろう」

 

「僕の名前は知ってただろ」

 

「それはそうだろう。いやでも覚える」

 

「なんだよそれ。……そういうお前はどうなんだよ」

 

「どうとはなんだ」

 

「彼女とか、いないのか」

 

「俺は芸術しか愛さない。生身の人間に劣情を抱くことは決してないと言っておこう」

 

「二次元限定ってことか」

 

「そう捉えてもらって相違ない。だが、今の俺はあの黒百合の君ただ一筋だ。一条だけに」

 

「そういや、一目ぼれって言ってたけど、その……絵を見てもなんともなかったのか?」

 

「ああ、そのことか。周りにもずいぶん心配されたよ。だが当然のことじゃないか?あれほど美しいものを目にすれば、魂が抜き取られたような心地になるのはむしろ自然だ」

 

「……被害者お前だったのかよ」

 

 だらだらと会話しているうち、僕らは目的地にたどり着いた。

 

 外観からは廃ビルにしか見えない、敬愛する先生の事務所である。

 

「ここがオカ研の部室なのか……?」

 

「違うに決まってるだろ。入るぞ」

 

「俺を騙したのかっ!?」

 

 後ろで喚く逢田を尻目に、僕は事務所の中へと足を踏み入れた。

 

「今日はシフト入ってないぞ」

 

 ぶっきらぼうな声に出迎えられ、気が緩む。

 

 この人は唯一、僕が以前の僕のまま接することのできる人だからだ。気兼ねしなくていい、隠さなくていい、距離をとらなくていい、同じ世界の住人だからだ。

 

 先生は来客用のソファに寝転がり、肘掛けに足を投げ出した姿勢でくつろいでいる。

 

 アングル的に、思春期には刺激が強い。

 

「ちょっと相談がありまして」

 

「客か?」

 

「客ではないんですけど、そっち絡みではあります」

 

「ほんと、お前は面倒ごとに愛されてるな。……入れ」

 

 促されて、逢田はきょろきょろと物珍しそうにしながら部屋に入って来る。

 

 逢田は軽く会釈をして、先生に挨拶をする。その動きはどこかぎこちない。緊張でもしているのだろうか。だとしたら、少しばかり親近感が湧く。

 

「で、どういう要件だ」

 

「コイツ、あの絵画の乙女に心酔してるようで」

 

「一条喜依にか?それはまた愉快な……よし、お前のことは今後、篤敬と呼んでやろう」

 

「頸木、篤敬とはなんだ」

 

「……小泉八雲の話に出てくる、衝立の乙女を愛した男の名前」

 

「ほう。つかぬことを聞くが、その愛情は報われたのか?」

 

「まあ。怪談奇談の類にしては、珍しく」

 

「よし。なら、今後はお前も、俺のことを篤敬と呼んでくれ。逢田 篤敬 翔……長いな。逢田・T・翔が俺の本名だ」

 

「違えよ?」

 

 前言撤回。コイツは緊張なんかしていないし、親近感なんて湧かない。

 

 僕らの様子を見てくつくつと笑う先生。どうにも真剣みに欠けるが、今は割と深刻な状況でもあるのだ。

 

 だからこそ先生に許可を求めに来たのだが。

 

「ああ、いいんじゃないか」

 

「いいって、なにがですか?」

 

「絵を譲ってほしいとか言われたんだろう?で、お前はその判断を私に仰ぎに来た。違うか?」

 

「そうです!」

 

 さすが先生だ。全てを説明しなくとも、わずかな情報だけでこちらの意をくみ取ってくれる。

 

「だから、機会をくれてやるくらい、いいと思うよ。譲るかどうかの判断をするのは私でも、お前でもないんだから」

 

「そうですか」

 

「正体が露見することを危惧しているなら、それこそいらぬ心配だ。どうせ篤敬が被害者なんだろ?狙われる条件を思い出してみろ」

 

「……素質があると」

 

「ああ。遅かれ早かれ、巻き込まれる。嫌が応にも、お前たちは関係を持つことになる。だから、いいんじゃないか?」

 

 生きる絵たちの活力、人の精気、即ち魔力。これは誰にでもあるものではない。

 

 逢田は絵を見て、魂が吸われたような心地と言った。

 

 吸われるものがあった。逢田は魔力を有しているのだ。

 

 人外の者たちは、土地の、あるいは人の持つ魔力に吸い寄せられ集まる。

 

 芽野はそれほど魔力を潤沢に蓄えている土地ではないがそれでも、龍脈と呼ばれる大地に流れる魔力の大河、その支流を有している。

 

 そして、そういった土地は魔術師か、異能に通じた一家の主が代々管理しているらしい。芽野の管理者一族は岩井原といったか。

 

 つまり、分かっている範囲で、先生、龍脈、龍脈の管理者、僕、逢田、そして未確定ではあるがラーガと、人外を誘引する要素が六つもこの土地に存在していることになる。

 

 面倒ごとはまた起きる。そして、それに逢田が巻き込まれるのは時間の問題というわけだ。

 

「胃が痛くなってきました」

 

「お前にも私の苦労がわかってきたか。まあ安心しろ。ラーガの捜索は続けてるし、岩井原にも脅迫……協力を取り付けておいた。こっちは時間が解決してくれる。お前は、そこのひよっこがうっかり死なないよう、色々と教えてやれ」

 

「先生がやるんじゃないんですか?」

 

 中一から四年、教えられたことは数多くとも、人に教えた経験はなかった。

 

 一抹の不安が過る。

 

「正直、捜索の方で手一杯なんだ。なぁに、一流に仕上あげろとは言わないさ。お前も魔術に関しては二流止まりだからな。最低限、自衛ができるトコまででいい」

 

「やるだけやってみますけど……」

 

 ちら、と後ろで突っ立っている逢田の方を見やる。

 

 物珍しそうに視線をあちこちに彷徨わせ、ほう、とか、なるほど、とか呟いている。

 

 怖い。

 

「待たせたな」

 

「いや、構わんさ。おかげで新たな着想が得られた。この雑然とした部屋の混沌ぶり……何かに使えるかもしれん」

 

「ああ、そう……」

 

「ところで、何の話をしていたんだ?お前とあの女性はどんな関係だ?」

 

「とりあえず、ウチに行こう。話はそれからだ」

 

「む。そうか」

 

 コイツを抱き込んで大丈夫なのか……?

 

 先生の判断だから間違いはないだろうが、自分に与えられた役割が務まるか、逢田にどう説明するか、不安は尽きない。

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