春はどどめ色   作:薔薇結石

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四話 いざ行かん美術室

 案内された美術倉庫は、僕の想像とそう大きく外れたものではなかった。

 

 美術部に必要そうな物が一通りそろった、単なる倉庫。中には美術部員の作品らしきものも、いくつか保管されていた。

 

 その倉庫の最奥、イーゼルに乗った状態で白い布を被せられた絵が、異様に目を引いた。

 

 あれが、例の絵だろうか。

 

「目的の絵は奥のアレだから。それ以外は触んないでよ」

 

 そう言って推定部長は倉庫を出ていった。

 

 倉庫には、僕と布瀬の二人きりだ。

 

「あ、アレだよね。どうしようか、八雲くん」

 

 反省を引きずっているのか、どこかよそよそしい布瀬。

 

 調子が狂う。

 

「……さっきのは両成敗ってことで決着したろ。僕は気にしないから、お前も気にするなよ」

 

「ほ、ほんとう……?もう怒ってない……?」

 

「怒ってない。謝ってもらったし、僕はそこまで狭量じゃないよ」

 

「そういうことなら……」

 

「ほら、早く行こう。念願の絵画の乙女だろ」

 

 布瀬を促して先へ進む。

 

 とにかく、今は確認が先決だ。

 

 あの絵が、本物なのか。

 

 本当に、動く絵なのか。

 

 男子生徒を惑わせた、原因なのか。

 

「よし、捲ってくれ」

 

「え”、わたし!?」

 

「言い出しっぺはそっちだろ。ほら、景気よくペラっと」

 

 件の絵の前まで来て、布瀬が怖気づいた。

 

 引きずったり、ビビったり、意外と普通なところがあってむしろ安心した。

 

 さっきまでは、コミュニケーション強者で友人も多い無敵超人とばかり思っていたからな。我ながらひどい目の曇りようだ。

 

 久しぶりの友人に僕も舞い上がっていたとしか思えない。

 

「よ、よし!いくよ……」

 

「…………」

 

 布瀬がそろそろと、布に手を伸ばす。

 

 後すこしで手が届く。

 

 その前に僕は布を掴んで、勢いよくそれを引っ剥がした。

 

「わあああああああっ!!!」

 

「ちょ、声でかい。怒られる。怒られるから」

 

「だ、だってえ!八雲くんが脅かすからあ!」

 

 なんだか楽しくなってきた。扉が開きそうだ。

 

 と。

 

「────────」

 

 不意に、視線を感じる。

 

 布瀬からではない。彼女は怯えて背を向けている。

 

 では、どこからか。

 

 決まっている。

 

 絵だ。

 

 その絵に描かれた少女を凡人の語彙で形容するなら、確かに美少女が相応しい。

 

 いや、美少女という形容すら追いつかない。

 

 まさに八雲の形容通り、まなじりは愛を求める芙蓉のようで、唇は丹花の微笑のようだ。篤敬の心を奪った乙女も、こんな容貌だったのだと思えて仕方がない。

 

 長い黒髪や肌の質感、陰影と光沢、制服のシワに至るまですべてが見事だ。

 

 何より特筆すべきは、目だ。意思を持っているような力強さを秘めた目は今にも動き出しそうで、あんな噂が流れるのも納得の出来栄えだった。

 

 まるで、魂でも宿っているかのような精巧さだ。

 

「……でも、動かないな」

 

「おお、すっごい美少女」

 

 復活した布瀬も絵を見たようで、陳腐な感想を口にしている。

 

「動かないね……」

 

 布瀬は残念そうに溢す。

 

 確かに見事な絵ではあるが、これが動いたり、ましてや男子生徒を惑わせ、三日も夢中にさせるだけの不思議があるとは思えない。

 

 当然、我が校に潜む魔性だとも、思えなかった。

 

「アテが外れたな」

 

「い、いや!まだ!ほら、『衝立の乙女』じゃ絵の少女が外に出てきたんでしょ?ソレやってみようよ!」

 

 諦めきれないのか、布瀬の様子は必死そのものだった。

 

「そう言われてもな……」

 

 作中で少女を出すための方法として、学者の挙げていた行動は次のとおりだ。

 

 少女に名前をつけ、返事をするまで毎日呼び続ける。

 

 返事があったら、百軒の違う酒屋から買ってきた酒を一つの容器に注ぎ、少女がそれを取りに外へ出てくるのを待つ。

 

 大まかにこのような流れだったはずだ。

 

 けど。

 

「これ、自画像なんだろ?なら、名前はもうあるんじゃないか?」

 

「あ、そ、そっか……」

 

 酒に関しても考える必要があるが、まず気にすべきはそこだ。

 

 だが、名前を特定する手段なら、あるかもしれない。

 

「当然だけど、この子は芽野高出身だよな?絵がここにあるし。黒セーラーだし。この辺じゃ聖律がちょっと似たデザインだけど、あそこはセーラーじゃないし」

 

「うん。そうだと思う」

 

「なら、卒アルを探せばいるはずだ」

 

「歴代の卒アルなら図書室で保管してあるって聞いたことある!」

 

 勢いづく布瀬。

 

 善は急げ。

 

 頷いて、揃って倉庫を出た僕たちは、部室を後にしようとしたところを推定部長に呼び止められた。

 

 曰く、次も来るつもりか、と。

 

 肯定の返事を返すと、驚くべきことに、件の絵の持ち出しを許可された。

 

 聞くと、持ち主が現れないので引き取り手がなく、噂のせいで部員が怖がっているとのことで、あまり倉庫に置いておきたくないのだそうだ。

 

 そういうことならと、役割を分担して、布瀬には先に図書室へ行ってもらい、僕が絵をオカ研の部室へ運びだすことになった。

 

 イーゼルと布は部の備品のため、持ち出せるのは絵だけとのことだった。

 

 おかげで僕は一抱えほどある油絵を抱えて部室まで向かうことになった。

 

 なんとなく気分的に、極力絵に衝撃が伝わらないよう、細心の注意を払って部室へ持ち運んだ。

 

 すれ違う生徒からは怪訝な目を向けられたが、必要経費だと割り切ることにする。

 

 オカ研の部室は手狭である。当然、絵を飾るための道具もスペースもない。

 

 心が痛むが、仕方なく絵は長机の上に置いておくことにした。

 

 そして布瀬が待っている図書室へ行こうとして、ドアの前で振り返る。

 

 また、視線を感じた。

 

 偶然か。はたまた、僕も知らず噂を真に受けていて、意識しすぎているだけか。

 

「……悪い。イーゼルなら今度買ってくるから、今は少しだけ我慢しててくれ」

 

 抗議の視線から逃れるように、僕は部室を後にした。

 

 

 

 

 図書室に来るのは初めてだった。

 

 進学校らしくその中身は見事なもので、蔵書量は圧巻の一言に尽きる。

 

 だが、今回の目的は卒アルだ。蔵書は興味を惹かれるが、後回しにするべきだろう。

 

 個人情報の載っている卒アルが、他の書籍と同じように書架に並んでいるとは思えない。

 

 司書に尋ねてみると、卒業アルバムや文集は隣の資料室に保管してあるという。

 

 事情を誤魔化して入室の許可をもらったところで、司書が妙なことを口にした。

 

「いやあ、さっきの子もそうだけど、文芸部とはいえ熱心だねえ。聞きたいことがあったら気軽に聞いてよ」

 

 聞き返すようなことはしなかった。

 

 問い詰めるなら、資料室にいるであろう容疑者が適任だと判断したからである。

 

 資料室の鍵は開いていた。

 

 入ると、簡素な長机にアルバムを広げて、熱心に写真を吟味する布瀬の姿がそこにあった。

 

「おい。文芸部ってなんだ」

 

 開口一番、僕は布瀬を問い詰めた。

 

「わあ来てたの!?違う違う違う!わたし文芸部なんて言ってない!」

 

「司書さんはそう言ってたぞ」

 

「か、勘違いしたんだよ。卒アル見たいって言っても不審がられるだろうから、文集が見たいって言ったの。だからかな?」

 

「……そういうことか。機転が利くな」

 

「へへへ」

 

 さすがに信用しなさすぎか。布瀬は猪突猛進なきらいはあるが、考えなしではないのだ。

 

「それで、見つかったか?」

 

「まだまだ全然。あんだけ目立つ美人なら、ひと目見てわかると思うんだけどなあ」

 

 ペラペラとページを捲っていく布瀬。

 

 この年のアルバムには見当たらなかったようで、棚にそれを戻していく。

 

 棚を見ると、歴代の卒アルはかなりの冊数が保管されているようだ。管理が行き届いているのだろう。抜けている年代があるようにも見えない。

 

「これぜんぶ確認するのかあ……」 

 

 ぼやく布瀬。

 

 新しい順に確認していっているらしく、先程まで見ていたアルバムの前年に発行されたアルバムを手にとっていた。

 

「その必要はないんじゃないか」

 

「どうして?」

 

 アルバムに目を落としたまま、彼女は聞き返す。

 

 理由は明白だ。

 

「あの絵、あんまり古いものには見えなかったからさ。美術部の話しぶりじゃ、熱心に管理していたようには聞こえなかったし。描かれたのはわりと最近なんじゃないかなって思ったんだよ」

 

「あ〜たしかに。じゃあ、とりあえず十年分くらいでいいかな?」

 

「ま、それでも一応、僕は古い方から調べてみるよ」

 

 そう言って僕は、保管されている中で一番古いものを手に取った。

 

 歴史を感じる装丁にどこか感じ入るものがある。

 

「ん……?」

 

 写真の載っているページを開いて、僕は真っ先に違和感を覚えた。

 

 写真は白黒だ。

 

 なんだ。

 

 僕は何に違和感を覚えたんだ。

 

 制服?

 

 デザインはそう大きくは変わらない。芽野高は伝統を重んじる校風で知られる。その最たる例の一つでもある。

 

 なら、なんだ。何がおかしい。なにが違う。

 

「……スカーフの色が違う」

 

「ほんと?」

 

 呟きが聞こえて近寄ってきた布瀬が、僕の隣から覗き込むようにしてアルバムを凝視している。

 

 絵の少女が付けていたスカーフは、赤色だった。

 

 布瀬が着用しているスカーフの色も、赤色だ。

 

 写真に写っているスカーフは、白色だ。

 

 白黒写真であれば、赤い色は黒っぽく写るはずなのに。

 

「どこかで変更されたのか」

 

「ちょっと調べてみるね」

 

 そう言うと布瀬はスマホを取り出して、我が校のスカーフの色が変更された年を検索し始めた。

 

 目当ての情報はすぐに見つかったようで、その画面を僕に見せてくれた。

 

「十二年前、生徒の制服変更の要望を受けスカーフの色を変更……なんでそうなる」

 

「形だけでも、要望には応えたって姿勢を示したかったのかな。ほら、ここって伝統とか歴史とか凄い固執してる感じするじゃん」

 

「苦し紛れの妥協案ってことか……?」

 

 図らずも我が校の知りたくなかった一面が垣間見えたが、それは一旦忘れよう。

 

 重要なのは、スカーフの色が白から赤へ変更されたのは十二年前からだということだ。

 

 つまりあの少女は、ここ十二年のどこかで卒業しているに違いない。

 

「調べるのは十二年前まででいいってことになるな」

 

「十二冊でいいんだ!それなら楽勝!」

 

 布瀬は開きっぱなしになっていた前年のアルバムへ戻り、かじりつくように写真を凝視し始めた。

 

 僕も古いアルバムを棚へ戻し、十二年前のアルバムを調べることにした。

 

 思わぬヒントが得られたが、これであの少女の名前はすぐに判明することだろう。

 

 事実、少女はあっさりと見つかった。

 

 それは、十年前のアルバムを確認していた時のことだった。

 

「八雲くん、どう?」

 

「いた。いたよ」

 

「嘘!どこどこ!」

 

「ここ」

 

 興奮してすり寄ってきた布瀬にわかるよう、ページの端にある少女の写真を指で示す。

 

一条(いちじょう) 喜依(きえ)……?」

 

 それが、この写真の、そしてあの絵画の乙女の名前。

 

「あれ、でもなんか他の人と違うね。丸いこの……休んだ人が入るやつなんだ」

 

 名前が判明して一瞬目を輝かせた布瀬だったが、すぐに他の生徒の写真との違いに気がついたようだ。

 

「撮影の日に休んだのか……それに、なんか顔の印象が違うような……」

 

 どこか、チグハグな印象を受ける。

 

 クラスの他の生徒、そして絵画の乙女と比べ、顔つきに幼さが残っているような気がしてならない。

 

 だが別人というには、あまりにも絵の少女と酷似している。絵画の乙女とこの写真の少女は、同一人物であると考えるのが自然だろう。

 

 この受ける印象の違いは単に、成長によって変化した顔つきが引き起こしている、と考えるべきか。

 

「卒アルに使う顔写真の撮影日に休んじゃって、生徒証の証明写真を使い回したんじゃない?」

 

 布瀬の推測は、僕のものと大差なかった。

 

「でも、予備日というか、別日に撮り直すくらいのことはするだろ。休む奴が何人か出てくることは、学校だって予測するはずだし」

 

「じゃあ、この一条さんは予備日も休んじゃったのかな」

 

「でなきゃ、入学当時に撮った生徒証の写真なんて使い回さないだろ」

 

「……病弱な子だったのかな」

 

 病弱、という言葉を口にした布瀬の声音はいつになく固い。マスクをしていても読み取れるほど、鎮痛な面持ちをしている。

 

 それほど、この一条という女生徒に同情しているのか。知り合いでもないのに。

 

 いや、知り合いでもない異分子に優しくしてくれる奴だったか、布瀬は。

 

「けど、なんか引っかかるな」

 

「なにが?」

 

「いやさ。別日でも撮れなかったら、個人で写真屋なり証明写真機なりで撮って、学校に提出するよう言われるんじゃないかなって。

 わざわざ別枠を作って、生徒証の写真を使うなんて、業者の手間が増えるだけだろ。避けられるなら避ける事態だ」

 

「でも、結局は病欠した人が集合写真の端に写る感じになっちゃってるよね。業者の手間は増えてしまった。事態は避けられなかった。

 ……学校からの指示に従わなかったのかな」

 

「…………わからない」

 

 別に、写真を撮れなかった事情なんて幾らでもあるだろう。

 

 そこに特別な理由を見出すことは、あの絵が、ひいては一条喜依という少女が特別であってほしいという願望の発露にすぎない。

 

 オカルト好きの妄想、と一蹴するべき邪推だ。

 

 だが、それでも。

 

 一条喜依という少女には、僕と同じように、普通じゃない何かを感じずにはいられなかった。

 

「名前はわかったけど、なんか却って謎が増えちゃった気がする……」

 

「スッキリしないな……」

 

 当初の目的であったはずの名前、それがわかったはずなのに、僕らは二人して頭を悩ませている。

 

 ひとまず僕らは、部室へ戻ることにした。

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