春はどどめ色   作:薔薇結石

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七話 百々目鬼

 果心居士の曰く、真に優れた絵には魂が、意志が宿るという。

 

 故、人の持つ意識の深層、集合的無意識と同じように、絵画の持つ意識の深層も存在するのだと。

 

 正確には人のソレとは異なるものらしいが、魂を有する絵画たちの共通意識、それを魔術世界では絵画世界と呼ぶそうだ。

 

 この世全ての絵画は、絵画世界を介して奥底で繋がっている。

 

 以上、先生による講義の回想終わり。

 

 まあつまりは、一つの絵画に別の絵画が混ざることもあるのだそうだ。

 

 実際に僕らの見える形ではなく、絵画の深層意識での話だが。

 

 だから、女子高生の自画像に、大蛇が巣食っていても、なんらおかしなことはないのだ。

 

「いや、それはおかしい」

 

 僕は思わず呟いた。

 

 果心居士に倣い絵の中に飛び込んだところ、そこは見知った我らが県立芽野高等学校の校庭だった。

 

 そこまではいい。自画像は美術室で描かれたものだろうから、出る先は学校に近い景色になるはずだと先生も言っていたし。

 

 だが、目の前の光景は僕の知る学校とはかけ離れていた。

 

 白い校舎に巻き付くように蟠る、黒い大蛇。

 

 あれはおかしい。見たところ体を三、四周ほどして校舎に巻き付いているところから、その全長ともなればかなりのものになる。

 

 見るからに、異常だ。

 

 絵の異常の原因があれであって欲しいとすら思う。

 

 蛇は惑わせる動物だというイメージもあるし。

 

 一介の女子高生より、大蛇が異常を引き起こしていたと考える方がいっそ自然だ。

 

「やれる」

 

 だが、僕に恐れはない。

 

 先生の助言、アレが空腹で弱っているという言に加え、動物だということが僕の心を軽くしていた。

 

 人型でないからやりやすいし、なにより彼らは本能で生きている分、生命を脅かす危険に、恐怖に敏感だ。

 

 つまり、僕の持つ二つの異能がよく効く相手だということだ。

 

 相性では勝っている。あとは、それを机上から現実に引きずり下ろすだけ。

 

「異常が日常にでしゃばるなよ……」

 

 学帽と学ランを脱ぎ捨て、ワイシャツの右袖を捲り上げる。

 

「起きろ、百々目鬼」

 

 晒した腕に見開かれる幾つもの目、目、目。

 

 中学へ上がってすぐの頃に起きた事件、それを切っ掛けに文字通り“目覚めた”僕の異常。

 

 僕が他人と距離を置く理由であり、先生との縁を結ぶことになった元凶。

 

「……ッ!」

 

 目を開いた瞬間、脳に電撃のような鋭い痛みが走る。

 

 新たに視界が開かれたことによるこの負荷は、いつになっても慣れそうにない。

 

「目は……見えないな」

 

 百々目鬼の持つ二つの異能、そのうち一つは相手の目を見る必要があるのだが、大蛇の頭は校舎の裏にあるようで、生憎と目はここからでは見えない。

 

 自ずと、選択肢は一つに絞られる。

 

 “熱視線”で焼き捨てる。

 

 相手は絵だ。よく燃えることだろう。

 

 と。

 

 点となって急速に接近する巨体の一部。

 

 あれは尾だ。長大すぎて視線に収まりきらなかった尾が、膨大な圧力を以って急襲する。

 

 太く、速く、硬く。

 

 殺意が形を成したような、人体程度やすやすと消し飛ばす大質量の突撃。

 

 食らえば即死。

 

 心臓が凍りつく錯覚を覚える。

 

 いつもそうだ。化け物なんて見慣れたものだが、彼らが齎す死が目前に迫ると、思い出したように脳がズキリと痛む。

 

 飛んで回避する。

 

『直径何センチなんだ、アレ』

 

 なんて、益体もないことを考える。

 

 現実逃避だ。相手が自分を簡単に殺せる存在であること、気を抜けば即死の状況、そんなことを常に考えていては、真っ直ぐ立つことすらままならなくなってしまう。

 

 尾の上に着地して頭まで走っていくことも考えたが、悪手だと切り捨てる。

 

 尾の一撃は恐るべき速度だった。蛇は全身が強靭な筋肉でできている。そんなモノの上に乗るなんて、振り落として殺してくれと言っているようなものだ。

 

 宙空で、伸びきった尾へ向けて熱を帯びた視線を向ける。

 

 右腕に開かれた眼より放たれる熱線、幾百。

 

 目の数は砲門の数。感情の強さは火力の高さ。

 

 お前はどれだけ強いんだ?

 

 お前は校舎で何をしている?

 

 お前は何を隠している?

 

 熱視線は期待・興味関心を燃料にして、対象を焼き尽くす。

 

 着弾。同時に炎上する巨体。

 

 やはり、と確信する。

 

 見かけは大蛇だが、本質は絵だ。景気よく燃える。

 

「■■■■■■────────!!!!」

 

 巨体が燃焼の苦悶にのたうつ。

 

 火を消したければ転げ回りでもすればいいものを、燃える尾をばたつかせるだけで、校舎に巻きついたまま離れようとしない。

 

 アレには校舎から離れられない理由があるのだ。

 

 外部からの侵入者を警戒してのもの、とは考えにくい。

 

 絵画世界なんて、縁のない人間がほとんどだ。僕にしたって、先生がいなければ絵の中に入る発想すらなかった。

 

 だから恐らくコイツは、中のものを外に出さないための存在なのだ。

 

 もっといえば、一条喜依を監禁するための檻なのだ。

 

 彼女が自発的にそうしたのか、何者かの手によって絵画世界の住人となった一条喜依が監禁されたのか、どちらなのかはまだ判断がつかない。

 

 だが、先生は言っていた。

 

 乗り込んでぶちのめせ。

 

 なら、燃料切れを危惧しているのはこの大蛇で、コイツを倒せば万事解決……で、いいハズだ。

 

 着地して感じる違和感。

 

 視線だ。

 

 ハッと反射的に顔を上げて、その選択が誤りであることを理解させられる。

 

 校舎の屋上辺りから、頭を垂らすようにしてこちらを見下ろす巨大な顔。

 

 赤い双眸が僕を射抜く。

 

「ッ!」

 

 覚えのある感覚。

 

 あの時は絵に吸い寄せられるようなモノだったが、今はただこの蛇にすべてを委ねてしまえと脳が叫んでいるような──────。

 

「百々目鬼……!」

 

 左腕の袖も捲って、目を開く。

 

 脳に電極を突き刺されたような痛みに目を剥く。

 

 意識が急速に引き戻される。

 

 怪我の功名。これで、絵に吸い寄せられるのは蛇の魔眼の効果だったことが確定した。

 

 効果は恐らく、誘惑。魔眼の中でもポピュラーな能力。

 

 魔眼に抗するには幾つかの手段があるが、僕の場合は目を増やすことでもそれが可能になる。

 

 目から脳へ伸びる魔力の路を増大させ、自前の目に受けた魔眼由来の魔力を分散させる。

 

 実戦でやるのは初めてだったが、先生との練習が功を奏した。

 

 再び聞こえる轟音と風圧、塊のような殺意。

 

 横合いから薙ぐように迫る尾を、同じように飛んでやり過ごす。

 

 ……尾だって?

 

「さっき焼いたはずなのに!」

 

 見ると、僅かにだが色の違う部位がある。

 

 つまり、焼けてはいたが、焼けただけ。

 

 炎が鱗で押し留められたらしい。

 

「頑丈な奴……!」

 

 恨み言を吐いても仕方がない。

 

 鱗で防がれるなら、骨に届くまで焼いてやればいいのだが、熱視線の燃料はコイツへの期待・興味関心だ。

 

 それらは先程より弱まっている。

 

 熱視線は長期戦に向かない。視線を遮られない限り、あらゆる防御を掻い潜る能力の、唯一にして最大の弱点がそれだ。

 

 期待も興味も関心も、長く接するほど薄まっていく。

 

 燃料が最大の時点で鱗すら貫通できなかったのだから、さっきのような攻めはもう通じない。

 

「上等!」

 

 両腕の無数の目を閉じる。

 

 右の掌に集中させる。

 

 さっきは砲門が小さく、無駄に多すぎた。

 

 小口径の射撃が通じないのなら、大口径の照射で切断するだけのこと。

 

「二枚おろしだ、化け物」

 

 引き戻され、再び点となる大蛇の尾。

 

 矮小な獲物目掛けて今度こそは、と抑圧から解放されたバネのように迫る。

 

 一回目は確実に回避するべく上へ飛んだが、今度は上じゃダメだ。

 

 回避する方向は斜め前。

 

 奴の側面をとれる位置に行きたい。

 

 直撃は即死、掠れば重体。失敗は即ち死を意味する。

 

 僕なんて、簡単に殺される。

 

 当たり前の事実に寒気すら覚える。

 

 それが。

 

「それがどうした────ッ!」

 

 迫る黒点を正面に、右斜め前方へ飛び込む。

 

 目前ですれ違う、黒光りの巨体。

 

「ッ!」

 

 僅かにタイミングがズレていたようで、脇腹が薄く鱗で切り裂かれた。

 

 博打の代償がこの程度なら、大勝と言っていい。

 

 知らず、口端が吊り上がる。

 

 飛び込んだ姿勢のまま、宙空で体を捻る。

 

 目の前には、無防備に伸びきった大蛇の尾、その側面がある。

 

「百々目鬼ッ!」

 

 体表に開かれる無数の目を一つに集約し、掌にて開かせる。

 

 右腕を突き出す。

 

 そして、己の内に燻るこいつへの期待・興味関心、熱の元になる感情を一点に集める。

 

 感情を薪にして、異能という火へ焚べる。

 

 それでけで、この視線は大蛇をも穿つ。

 

 掌の眼より放たれたるは、大蛇の胴に匹敵する太さの熱線。

 

 無防備な胴の側面めがけて、視線が走る。

 

「■■■■■■────────!!!」

 

 頭上から響く苦悶の声。

 

 耳障りなそれを無視して、突き刺さった熱線を、突き出した右腕を横へ薙ぐ。

 

 全身二枚おろしとはいくまいが、その身の三分の一くらいなら焼き切ってみせる────!

 

「燃えて無くなれェ────ッ!!」

 

 熱視線はバターでも切るように、伸びた胴を横へ焼き切っていく。

 

 黒を裂いて、横へ、横へ。

 

 照射熱線は長大な剣のようで、このまま校舎に巻き付く全身すら焼き切れそうにも思えたが、肝心の燃料が尽きかけていた。

 

 期待・興味関心。

 

 もうすぐ倒せる。

 

 そう思えば思うほど、熱視線はか細くなっていく。

 

 完全に燃料が尽きる前に、横へ進めていた熱線を上へ、それから下へ振り下ろす。

 

 大蛇の尾から三分の一を両断して、熱視線は尽き果てた。

 

「フゥ────」

 

 これで武器を一つ失った。

 

 校舎の方を見やると、大蛇は未だ健在だった。

 

 校舎をますます強く締め付け、憎々しげに此方を睨みつけているのが視界の端に映る。

 

 魔眼は目を合わせず、全体を見るようにすれば効果を受けない。

 

 どうも、三分の一程度の損失では死なないらしい。

 

「……」

 

 なら、残った最後の武器を使う他ない。

 

 小石を数個、懐に忍ばせ走る。

 

 全身をバネのように、地面を抉るように駆け抜ける。

 

 目指す先は校舎、その屋上だ。

 

 昇降口は太く巨大な蛇の胴で塞がれている。

 

「それがどうした!」

 

 胴を足場に駆け上がる。

 

 蛇の方は無駄な動きをする余裕すら無いようで、振り落とされる気配はなかった。

 

 都合がいい。正面から入れないのなら、別の入口から入ればいいのだ。

 

 巻き付いた胴と胴の隙間から、中に通じていそうな場所を探す。

 

 巨体なぶん隙間も大きく、三階教室のベランダが見える場所が目に入った。

 

 懐の小石を投げつけ窓ガラスにヒビを入れ、飛び込む。

 

 甲高く響く耳障りな破砕音と、飛散するガラス。

 

 間違いなくどこか切ったが、気にせず走る。

 

 熱視線で温度を上げた小石を三階で適当にばらまきながら、屋上への階段を探す。蛇への興味関心は失ったが、対象が別なら問題なく使えるのだ。

 

 階段を駆け上がり、屋上への扉を開け放つ。幸い、鍵は開いていた。

 

「ハッ───ハァ───ァ」

 

 息を整えつつ、蛇の頭を探す。

 

 目論見通り、高熱の小石をばらまいた三階部分を探しているようだった。

 

「よし」

 

 蛇の頭の真上にくる位置で、落下防止用柵の向こう側へ乗り出す。

 

 魔眼保持者と相対した場合、相手に使われるより先に目を使え。

 

 以前、先生から受けたアドバイスを思い起こす。

 

 僕と蛇が同時に使えば、僕は誘惑の効果で目を合わせ続けることができなくなる。

 

 熱視線が使えない以上、もはや手段はこれしかない。奇襲以外に勝ち目はない。

 

「いこう!」

 

 勢いをつけ、宙に身を躍らせる。

 

 目指す先は蛇の頭上。

 

 魔眼は常時発動しているのではなく、意識しなければ使えない。

 

 故に、魔眼保持者への最も効果的な攻撃は、意識外からの奇襲になる。

 

 ぐんぐんと迫る黒い地面。下からの風圧に目を細めそうになる。

 

 蛇はまだ三階の高熱源体(いし)に夢中だ。

 

 足に感じる衝撃と、遅れてやって来る痺れを無視して、上から覗き込むように、蛇の巨大な眼球を凝視する。

 

「────────」

 

 僕の感情を燃料にして発現する、百々目鬼のもう一つの異能。

 

 それは、原始的な恐怖を呼び覚ます。

 

 何かに視られているという恐怖。

 

 一人か、一匹か、複数かもわからない。

 

 ただ、正体不明の何かに敵意と憎悪を以って睨めつけられている自覚だけを増幅し、精神という器に直接傷をつける悪意の視線。

 

 精神が、耐えうる限界以上の傷を負えば、肉体・精神・魂の均衡を失い、結果として廃人となる。

 

 それは、本能に生きる動物だって同じこと。

 

 百々目でなく自前の両目で睨みつければ、効果はより早く強力に現れる。

 

 巨大な蛇の目は不気味にぐりん、と上を向き、力を失って倒れていく。

 

 巻き込まれないよう三階教室のベランダに飛び移り、行く末を見守る。

 

 大蛇は間もなく末端から、灰のように風に溶けていく。

 

 肉体に在り方が依っている人間と違い、精神に在り方が依っている存在は、廃人ではなくこのように、塵となって消えていく。

 

 そもそも、ここは絵画の意識世界。僕のようなイレギュラーを除いて、動くものは基本的に精神体といっていい存在だ。

 

 それが耐久限界を迎えたのだから、霧のように掻き消えるのは道理だ。

 

「そういえば、どうやったら帰れるんだ……?」

 

 そして、聞きそびれた疑問だけが後に残った。

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