春はどどめ色   作:薔薇結石

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八話 黒百合に出会う

 無人の校舎を歩く。

 

 大蛇が強く巻き付いていた影響か、ところどころヒビが入っているが、すぐに崩れるような気配はない。

 

 人気がまったく無いこと以外は、並べて平和な普通の校舎だ。

 

 窓の外を見ると、無限に広がっているように思える空と、穏やかな灯りを漏らす太陽があった。

 

 だが、それは現実のものとは違う。

 

 さっきまでは命がかかっていたこともあって気が回らなかったが、この世界を構成する何もかもが油絵で描かれたような質感をしている。

 

 太陽も、空も、窓ガラスも、壁も、床も。

 

 あの温かみのある絵の具らしい場所もあれば、写実的な現実そのものとも思える場所もある。

 

 いやその実、ここは絵画たちにとっての現実そのものなのだ。

 

 彼らはここで生き、長くも短くもある生を謳歌しているのだ。

 

 その在り方は、人間とさほど変わらないような、そんな気がした。

 

 曲がりなりにも命を奪った影響か、感傷的になっているようだ。

 

「綺麗な場所だ」

 

 見慣れたようで、そうでない場所。

 

 不思議な印象を受けるが、嫌な感じはしない。

 

 何より、無人というのがいい。

 

 初めて来た博物館を巡る時のように、ふらふらと見物をしたいところだが、そういうわけにもいかなかった。事態の解決を図るべく、僕は一条喜依と接触する必要がある。

 

 あの蛇が元凶だろうから、もう被害者は出ないと思われるが、一条喜依がグルだった場合、話は別だ。

 

 彼女が蛇と結託して外の世界へ干渉していた場合、もう一戦交える可能性が出てくる。ないとは思うが、まだ気を緩めることはできない。

 

 好奇心を抑えてやって来たのは美術室────ではなく、我らがオカ研の部室である。

 

 一条喜依がここにいると踏んだ理由は単純で、彼女の実体、あの絵画の乙女のある場所がここだからだ。

 

 扉に手をかける。鍵はかかっていなかった。

 

「失礼します」

 

 扉を開け放つと、一陣の風が吹いた。窓が開いているようだった。

 

 椅子に腰かけ、こちらに背を向けていた女が、肩越しに振り替える。

 

 視界に花が咲いた。百合の香気が混じった風が鼻を抜ける。

 

 馥郁極まる香に気をやられそうになる。腰が抜ける寸前だった。

 

「いつまで立っているつもり?」

 

 黒百合が口をきいた。

 

 促されるまま、僕は彼女の対面に腰かけた。

 

「一条喜依、で合ってるな」

 

 僕は極力、高圧的に聞こえるように声を作った。彼女と会話をするのに、主導権を握られてはマズいと判断してのことだ。

 

 彼女は、ええ、と短く返して僕を真正面から見据えている。

 

 白状すると、僕は彼女から目を離せなかった。

 

 絵画より遥かに鮮やかだ。それでいて媚びるような気配はなく、ただ凛としてそこに在る。髪も瞳も衣服も黒いのに、その黒さが艶めかしい。

 

 絵具で彼女を表現するのは不可能ではないかと思えるほどだが、間違いなく彼女はあの絵画の乙女であり、あの絵画は彼女を描いたものだと断言できる。

 

 彼女は自身の美しさを描くという難行の末に、ついには絵画世界の住人となったのだ。

 

「人が、どうやって絵画に……」

 

「ああ、そんなこと」

 

 彼女は面白そうに、口端を歪めて答える。

 

「魂の転写。姿だけでなく、個としての在り方、こころ、即ち魂までもを現実のそれとまったく同じに描くことで、君の望みは叶う」

 

 それは彼女の声ではあったが、彼女の言葉ではなかった。

 

 昔、誰かに言われたことをそのまま繰り返しているような、そんな口ぶりだった。

 

 というか、実際そうなのだろう。一条喜依は魔術師でも異能者でもない。一介の女子高生が、それに触れる機会はほとんどないのだから。

 

 つまりは、彼女にその魂の転写とやらを教えた魔術師がいたのだ。

 

 どうやって、は聞き出せた。次はなぜ、を問いかける。

 

「アナタなら理解できるでしょう?持って生まれ、磨きに磨いた美しさが損なわれる恐怖。老いも、それによる死も、受け入れたくなかった。それだけの話よ」

 

 なるほど、と納得した。彼女ほどの美貌の持ち主であれば、本気でそう思うこともあるだろう。それで姿の変わらない絵画になろうと決意したのだ。

 

 凄まじい行動力だ。親友人など、後ろ髪引くものはなかったのだろうか。それを差し置いても、自身の美しさが損なわれることを恐れたのだろうか。

 

 興味はあるが、それは聞くべきことではない。次に聞き出すべきは、今回の事態に関することだ。

 

「君の絵を見ただけで引き寄せられたのは、あの蛇が原因か?」

 

「そうでしょうね。私にそんな力ないから。本当、清々したわ。勝手に人の世界に入り込んで、徒に魔力を消費するんだもの。大方、餌を補給するためでしょうね」

 

「君には必要ないのか?」

 

「私は他の生きる絵画と違うもの。始めから絵だったわけじゃないから、多少の融通が利く。それでも限界はあるけれど。

 他人の精気を取り込んで生きるくらいなら、この姿のまま朽ちていった方がマシね。それが今の私の寿命になるのかしら」

 

 なんとなく、彼女のスタンスが見えてきた。

 

 彼女は老いや死そのものを恐れているのではなく、それによる美の損失をこそ恐れているのだ。

 

 永遠の美しさが担保されるなら、死をも受け入れる。

 

 矛盾しているようだが、それが一条喜依という人物なのだろう。

 

「男の魔力だけを取り込もうとしたのは?」

 

「なにそれ。言っておくけど、私とあの忌々しい蛇は無関係よ。詳しいわけないじゃない」

 

「そこをなんとか」

 

 食い下がると、彼女はフンと鼻を鳴らして口を開いた。

 

「私見になるけど、いい?」

 

「構わない」

 

「単に効率の問題だったんじゃないかしら。一度に二人となると、面倒事が増えそうじゃない。目撃者とか。より多く良質な魔力を吸えそうな方を選別した、そんなところかしら」

 

 布瀬は敢えて見逃されたということか。納得はいく。

 

 一条喜依の言葉を咀嚼して、嚥下していく。

 

 振り返ってみると、今回の事態はそれほど深刻ではなかった。

 

 一条喜依に他人を害するつもりはなく、元凶の蛇は早急に駆除ができた。

 

 万事解決、と言っていいだろう。

 

 だが、ここを去る前に聞いておかなければならないことがあった。

 

「最後に、一ついいか」

 

「あら、もうお終いにしてしまうの?残念」

 

「外でやることがあるからな。悪いが、長居はできない」

 

「そ。なら、どうぞ」

 

 僕は最も不可解にして、彼女でなければ答えを出せないであろう疑問を口にした。

 

「君が行方不明になっているのは、なぜだ?」

 

 さあ、と風が吹いた。冷たい風だった。

 

 先ほどまで上機嫌な薄い笑みを浮かべていた彼女の顔から、色が失われていく。

 

 視線は見るものを凍りつかせるように、眉は疑問を表すように曲げられた。

 

「なんですって?」

 

「行方不明者のリストに、君の顔と名前が載ってた。魂の転写、といったな。それをしたら肉体はどうなるんだ?」

 

「……魂の転写は、文字通り紙やカンバスに魂を写す技術。この世に同じ魂は二つと存在しない。転写が為された時点で古い魂は新しい魂と習合して、肉体はただの抜け殻になる」

 

「その場に残るってことか」

 

「ええそう。いまごろ灰になっているか、ベッドに寝たきりだとでも思っていたのだけれど、面白いことになっているのね。ホント、愉快」

 

 言葉とは裏腹に、その眉間に刻まれたシワは谷のように深い。

 

 どうも、現状は彼女の想定と違うことになっているらしい。

 

 僕だって、この食い違いに混乱している。

 

「……どういうことだ」

 

「聞きたいのはこっちの方よ。行方不明ですって?私はあの美術室で絵を完成させたのよ。できあがってすぐに意識を失って、この世界の住人になった。こっちで目が覚めた時──────」

 

「覚めた時、なんだ?」

 

「もう、体はなかった」

 

 つまり。

 

「持ち去られたっていうのか。というか、外が見えるのか」

 

「絵画の私が見ている景色なら、だけどね」

 

 そう言った彼女の俯く先、机上にはカンバスが横たわっていた。ちょうど、部室に置いてあるあの絵と同じように。

 

 違うのは、描かれているものだ。

 

 カンバスには一条喜依の自画像ではなく、暗い部室の天井が写っている。

 

「…………どうして、今までおかしいと思わなかったのかしら」

 

「下手人に心当たりは?」

 

「……私に、魂の転写を教えた男がいる。あり得るとしたら、ソイツ」

 

「その男の特徴は?名前は?」

 

 少しばかり、厄介なことになったかもしれない。

 

 目的あってのことか、愉快犯か。いずれにせよ、その男がたった一件で終わらせるとは思えない。余罪があると考えるべきだ。

 

 絵画の乙女を解決すれば終わりだと思っていたが、そういうわけにもいかないらしい。

 

 僕の問いかけに彼女は頭を振った。

 

「名前は聞かなかったから。聞いていても、覚えていなかったでしょうけど。覚えているのは、陰気な男だったってことくらい」

 

「陰気な男……」

 

 当然、そんな人間ごまんといる。

 

 だが、そこに魔術師という属性を付け加えれば。更に、十年前、芽野高校に在籍していた彼女に接触できたという条件を付加すれば、どうか。

 

 ……先生に聞けば、何かわかるかもしれない。

 

「話してくれて助かった。とりあえず、今回の事態の全容は理解できた」

 

「もう行くの?」

 

「ああ。確かめたいことができた」

 

「陰気な男について調べるのね」

 

「ああ。そのつもりだけど」

 

「私にも協力させなさい」

 

「え……」

 

「ああ、言っておくけど、恩を受けたままっていうのがキモチワルイだけだから。弱みを誰かに握られているなんて、虫酸が走るでしょう?それに────」

 

 彼女は窓の外の景色を眺めて、憎々しげに呟いた。

 

「私の身体で何をするか知らないけど、不埒な輩は死んで悔いるべきなのよ」

 

 

 

 

「……話すべきことは、これくらいか」

 

「そう。なら、しばらくこれでお別れね」

 

「いや、後で何か聞きに来るかも……」

 

 席を立とうと腰を浮かした姿勢で言葉を濁す。

 

 現状、件の男についての情報源は彼女だけだ。先生が当てにならなかった場合、彼女を頼るほかなくなる。

 

「寝言は寝て言いなさい。こんな世紀の美少女といつでもお話しができたら、希少性が損なわれるじゃない。

 そうね……訪問はひと月に一回と決めておきましょうか。

 せいぜい丁重に扱うことね。私に相応しい額に入れて、メンテナンスは欠かさないように。高温や湿気なんて以ての外よ」

 

「待って欲しい。その口ぶりだと、まるで僕が君を管理するような……」

 

 嫌な予感に背中を濡らす。

 

 つばを飲み込む音がやけに響いた。

 

「まるで、じゃなくて、本当にアナタが私を管理するのよ。光栄に思いなさい?余人には触れるどころか、鑑賞の許可すら出さないのだから。

 どう?感涙で溺れ死んでもいいのよ?」

 

「けっこうベタベタ触ってたし、誰でも見れる倉庫にあったけど」

 

「あれは主導権が蛇にあったからよ!ホント屈辱だったんだから!芸術を解さない人間に無遠慮にジロジロ見られて触られて……アナタだって、ヒドい運搬をしてくれたわね」

 

 ヒドい運搬と責められるも、思い当たる節がなく首を傾げる。

 

「……これは教育が必要ね。とにかく、これは決定事項だから。管理を怠るようなら」

 

「……ようなら?」

 

「祟るから」

 

 僕はうなだれ、小さく返事をすることしかできなかった。

 

 とにかく、彼女の絵は僕が管理することと相成った。

 

 いつまでも部室に置いておくわけにもいかないから、構わないのだが。

 

 家族になんて説明しよう……。

 

「ああ、そうね」

 

 頭を抱えていると、思い出したように彼女は口を開いた。

 

「貴方には借りができたし。自力ではどうしようもない事態に陥ったなら、最大限の賛美と共に名前を呼びなさい。微力なら貸してあげないこともないから」

 

 僕はそれに曖昧な返事を返して、ようやく絵画世界からの脱出を決めた。

 

「どうやって出るんだ、ここ」

 

「そこの絵から出られるわ。私が許可すれば、だけど」

 

「いただけますか、許可」

 

「特別よ。次は、何か貢ぎ物を持ってきなさい。でないと一生帰さないから」

 

 不穏な言葉を耳に残して、僕は現実へ帰還した。

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