でも他の皆も大好きです。
―――――ドラゴンメイド。
彼女たち、正確には彼女との出会いは、今でもはっきり覚えている。某SNSの公式アカウントにある日投稿された、おおよそ2か月後に発売されるデッキビルドパック……つまりこの場合は『ミスティック・ファイターズ』の、まだ初報だから具体的な効果やステータスではなく、カードのイラストと名称だけを公開するコーナー。
同期である【斬機】……メカメカしい炎属性の剣士か正統派で格好いいな、【
そんな感じで当時から生粋のOCGプレイヤーだった私は、わずか2枚ずつのイラストから見て取れるわずかな情報を
そしてその時あの瞬間、私の運命が変わった。
……と言えば、人は大げさだと笑うだろうか?しかし、それがこの人生最初の大きな転機だったことは間違いない。
当時、【ドラゴンメイド】から公開されたイラストは2枚。『ドラゴンメイドのお心づくし』……当時まだ名称不明であったパルラ、ティルル、ナサリー、ラドリーの4属性メイドさん達の初出である。そしてそちらのイラストにも当然しっかり写っているが、彼女ひとりだけでより大きくその全身を見ることができる『ドラゴンメイド・ハスキー』。
彼女を見た瞬間、私の心は撃ち抜かれた。
黒縁の眼鏡がよく似合う澄ました、そして上品な自信に満ちた顔立ちに、しかし冷たい印象を抱かせない口元に浮かぶ優しい微笑み。艶のある黒髪から真上に伸びる一対の竜の角は、本人の気質を表しているかのごとくすらりと伸びて先端のワインレッドが黒色によく映えて。同じく頭部から伸びて髪飾りのように垂れ下がる三対の房が、やはりワインレッドのアクセントを添えて大人びた表情の魅力をより高めている。限界まで肌の露出を抑えたクラシックなメイド服は、しかしそのゆったりとした造形の上からでも見て取れるほどに彼女の長い脚とくびれた腰、そしてエプロンドレスを内側から盛り上げ歪ませるほど豊かな双丘をかえって強調しているようにすら見えて。いや、むしろ素材があまりに上質であるからこそ、覆われてはいてもまるで隠し切れない肢体の魅力がその内側から溢れているのか。そんな腰のあたりからはどことなく蝙蝠を思わせる造形をした一対の羽が伸び、染みひとつなくピンと張ったワインレッドの皮膜が全体的な色合いにメリハリをつけて見惚れるようなアクセントとなっている。そして背後に伸びているのは角や羽と並び人外の証ともいえる、やはり彼女のイメージカラーでもある黒い鱗と白い外皮、ワインレッドのひし形模様から構成された太い尾。純白の木の葉のような形状の先端はピンと上を向き、人間である私から見たら紛れもなく異形でありながらも恐怖ではなく、その全体に大きく弧を描かせることでイラスト枠内にその全てを収めようとするいじらしい努力と自信を構成する彼女の要素に対する自負が垣間感じられてむしろより一層の愛おしさをも抱かせる。少なくとも私は抱いた。
………とまあ、まだまだこんなものでは、そのイラスト1枚の情報からだけでも見て取れる彼女の魅力は語り尽くせないのだが。これを万一見られてしまった際に悶絶することになるのは私の方なので、さすがに一度このあたりで切り上げておこう。どのみち、本腰を入れて語り始めるのならばいくら紙面があっても足りはしない。
話を戻すと、彼女との出会いは私にとって衝撃だった。俗な言い回しをすれば、私は彼女に。ドラゴンメイド・ハスキーという女性に、人生初の一目惚れを果たしたのだ。
それから先しばらくは、恐ろしいほどに一日一日が長かった。いつになっても出てこない情報、そして発売日。愛の形というのは無論人それぞれ、などと聞いた風なことを語れるほどに経験があるわけではないが、少なくとも私はデッキを組む、という形でそれを表現……いや、こう表現する方がしっくりくるか。発散、させようとした。効果もまるでわからないため下手に周辺パーツを買いそろえることもできず、血迷ったあげく「億にひとつくらいドラゴン(幻竜族)の可能性もある」と幻竜族汎用パーツまで調べ尽くしてどのような動きのテーマだとしても対応可能にしようとする日々。
こうして昔のこととして記録を綴っている今だから懐かしむ余裕もあるが、当時の私からしてみればそれは地獄の日々でもあった。当時、イラストチラ見せの初報からまず【斬機】のデータが明かされたのがすぐ次の日。そこから約ひと月空けて【王】の攻略ギミックが公開され、そして私にとっては満を持しての【ドラゴンメイド】が……これが全く来ないのだ。
焦らしに焦らして発売日まで2週間、ここで公開されたのは地属性担当のナースメイド、『ドラゴンメイド・ナサリー』……の、拡大版イラストのみ。それが控えめに言っても天使(ドラゴン族)であることに全く異論はないし色々と捗るものであったことも間違いないのだが、
そこから少しずつ小出しに、ラドリーを先陣に段階を刻んでじわじわと1枚ずつその全貌が見えてきて。結局その全てが私たちの前に明かされたのは、なんと発売4日前。さすがにあの時ばかりは、勘弁してくれと心の底から呻いたものである。
いや、話がいつの間にか横に逸れていた。とにかく重要なのは、私が初報の時点からハスキーさんに惚れ込んでいたこと。そしてその時に組んでからずっと改良を続けていた私のデッキは後に新規である闇属性を持つ最後のひとり『ドラゴンメイド・チェイム』が加わったことだ。
この6つの属性それぞれのメイドさんが揃ってからしばらく経った、ある日。書いているうちに色々と思い出して随分と長い前置きになってしまったが、あの日が私の人生にとって2度目の転機だった。仕事を終えて誰もいないボロアパートの安い部屋へと戻った私は、その日に限りなんとはなしに部屋の奥に広がる暗闇へと声を出した。その時にはとっくに自立してからも長く、浮いた話も友達もない生活にはもう慣れたつもりだったが、それでもふとした時に人恋しさを感じもする。
―――――ただいまー
「お帰りなさいませ、お待ちしておりました」
部屋の奥から確かに聞こえたのは、大人びた女性の声。成立するはずのない会話の成立に私はその時、恥ずかしながら玄関で靴を脱ぎかけたままの姿勢で固まってしまった。
今にして思えば不思議な、しかし思い返せばある意味納得のできる話でもあるが、その聞き覚えのない女性の声に対し。私はその時、奇妙な感情を覚えた。いくら記憶を辿ってもその声色に心当たりなどないのだが、にもかかわらずなぜか落ち着く声。優しく語り掛け、私の心をとろかして包み込んでいくイメージ。
そうして動けない私の耳に、かすかな衣擦れの音が部屋の奥から届く。そして何かが、私の居る玄関へと近づいてくる気配。この時に至っても、やはり逃げようなどと言う思いはまるで浮かばなかった。
そして、彼女に会った。
「事前に連絡も取らず、突然押し掛けての失礼、どうかお許しください。ですが、御主人様。どうか、メイドの話をほんの一時だけでも聞いては頂けないでしょうか」
自らの非を詫びつつ私の前で優雅に一礼した彼女……ドラゴンメイド・ハスキーは、想像していたよりもずっと美しかった。顔のパーツひとつひとつはよく見れば幼い印象すらもあるのに、奇跡的な配分のそれらがすべて合わさると大人びて見える顔立ち。
そしてそこから少し目線を下げると、まあ、その。今だからこうして懺悔もできるしおそらく本人には最初から気付かれていただろうけれど、イラストで見慣れていたそれよりも力強くエプロンドレスを内側から持ち上げるふたつのお山。そして腹のあたりではくびれているのに、そのすぐ下ではまたも大きく広がって安産型を体現したような腰回り。
思わず見惚れていたところにとどめとばかり、そのすらりと伸びた長身からふわりと女性特有の香りが生々しい質感を伴って届く。
住み慣れたボロアパートの見慣れた汚い……とまでは言いはしないが、まあ連れ込むような相手もいない若い男の一人暮らしとしては平均的だろうと自負している程度の風景にはあまりに似つかわしくない、甘い香りに見目麗しいメイドという非日常的な職業。
どこをとっても非現実的な光景ではあったけれど、目の前にいた彼女の実在を疑う気持ちにはまるでならなかった。だって、その甘い香りだけでなく頭頂部の一対の角も。腰から覗く羽根も、背後に伸びた存在感のある尾も。なんならその身に纏う完璧なメイド服に至るまでの全てが、コスプレやドッキリなどではないその実在を、視覚から嗅覚から否応なしに私に示していたから。
だからだろうか。あらゆる疑問や前提を吹き飛ばして、私が真っ先に口にできたのはこの言葉だった。
―――――御主人様?
自分のことを指さしながらそう問うと、慎ましやかではあるが確かに頷くハスキーさん。
―――――えっと……と、とりあえず、お茶、出しますね……?
なんだかんだこの時は、私もだいぶ混乱していたのだと思う。
「い、いえ、とんでもございません!むしろ私がやりますので、もしお飲み物がご所望でしたらただこのメイドに一言お命じください!」
そして、こんな慌てたハスキーさんはかなりのレアものだったと今ならしみじみ思う。写真撮っておけばよかった。そして混乱による譲り合いが「とりあえずリビングに上がって話をしよう」という方面に落ち着くにつれ、今度は全身を緊張が支配しはじめる。
それはそうだろう、別に威張れることでもないが私の灰色の人生にこれまで女性の影など母親を除き誰一人いなかったのだ。
それがハスキーさんときたら私がやっと靴を脱ぎ終わると音もなく後ろに回ってコートを脱がすのを手伝ってくれてうわ顔が近い距離が近いうわうわ美人うわうわ可愛い、まつ毛長いし唇は色よくふっくらしてるし肌はきめ細やかだしいい匂いはさらに身近になるし。手を少し回せば届くような距離に吐息ひとつひとつですら人間離れして美しく、かつそれを感じ取れるほどすぐ近くにどう控えめに言っても極上の美女がいて、しかもそんな彼女がコートを回収してそっと持ってくれている。
メイドとして見れば、もしかしたらそれは当たり前の作業だったのかもしれない。
しかし、しかしだ。現代日本の一般成人男性に、そんな常識が通用するわけがないでしょう。
まだ玄関から動けないうちに心臓の音は早鐘を打ち、肩には無駄な力が入ってガチガチになり、顔に至ってはもう真っ赤。それでもなんとかリビングに辿り着けたのは、ひとえに最推しの前でみっともない姿を見せてたまるかという精神力によるものだった。首筋まで真っ赤だったろうから、意味のない虚勢だったろうけれど。
それでもどうにかほんの数歩の距離を経てリビングに着き、この時ほど私は自分の家に座布団やクッションがないことを後悔したことはない。それでも普段使いのカーペットの上に座り、ちゃぶ台を挟んでいつの間にか私のコートをハンガーにかけ終えていたハスキーさんにも座るよう促して向かい合う。
―――――ドラゴンメイド・ハスキー……さん、で、よろしいでしょうか?
「はい、御主人様。御主人様だけのメイド、ハスキーでございます」
もう答えはわかってはいたけれど、それでも彼女本人の口から肯定の言葉を聞かずにはいられなかった。そうしたら御主人様だけの、ときたものだ。予想以上の破壊力を秘めた言葉の暴力に意識が遠くなりながら、ほんのわずかにだが目が潤んでいるハスキーさんの表情のわずかな崩れ、色っぽさと可愛さを同時に堪能できるその表情をできるだけ脳裏に焼き付けようとまた力づくで覚醒する。
―――――それで、えっと。その、何のご用でしょうか……?
極度の緊張で粘つく喉を必死に開き、いよいよ本題を問いかける。そこでハスキーさんから聞いた話は、本当に驚くべきものだった。
曰く、カードとして私の手に渡ったその日から、彼女たちはカード越しに私を認識していたと。
曰く、6つの属性を持つそれぞれのドラゴンメイドが満場一致で、私を「主人」と認めたと。
曰く、私がその許可を出すならば、今すぐにでも自分たちの屋敷に来て暮らして欲しいと。
曰く、そこはこの世界とは次元の壁を越えた遥か別世界……いわゆる「精霊の世界」であると。
「もっとも、今朝までの私どもにとっては、そこは楽園とは言い難い空間でしたが。私たちはドラゴンメイド、すなわち主人を仰ぎ奉仕し共に生きることこそが至上の幸福として魂深くに刻まれた存在。悠久の時を経て過ごす安楽の土地と暮らしがあれど、肝心の主人となるべき方がずっと不在のままではその生にも何の意味もありませんでした……あの日、屋敷の中庭に落ちていた1枚のカードを拾い上げるまでは」
―――――カード?
「はい。それを通じて見えたものこそ遠く離れた別世界、すなわちこの地で私どものカードを手にした御主人様の姿でした。そのお顔を一目見た時、私どもは皆例外なく、その……」
ここで少し言いよどみ、綺麗な姿勢は崩さないまでもわずかに目線を逸らしたハスキーさん。拒否されないのをいいことにほとんど視姦と言ってもいいほどにちゃぶ台越しによくよく見ていると、その顔はいつの間にかすっかり耳まで赤みが差していて。
それでもさすがはメイド、すぐに意を決したように改めて私に向き直る。
「私どもにとっての『主人』は、もはや御主人様しかありえないと。御主人様と共にあるために私どもはこの世界に生を受け、御主人様のお喜びになることこそが至上の命題にして最上の快楽なのだと。そう、理解できたのです。御主人様のお顔を一目見た瞬間、私どもは世界にやっと色が付いたかのようにすら思えました」
いやいやいや。こうして今改めて箇条書きにしてみても、あまりに突拍子のない話だ。何を馬鹿なことを、こんな美人にそこまで言わせることができるなどと本気で思えるほど、私の自意識は高くない。
そうやって笑い飛ばせなかったのは、ひとえにハスキーさんの目を見たからだ。まっすぐに正面から私を見つめる潤んだ瞳には一点の曇りもない愛情に溢れ、平静な(間違いなくそう装っていただけで、後になってよくよく思い返せばごくわずかにだが隠し切れない感情の昂ぶりのせいか上ずっていた)口調の裏には彼女自身が今発したばかりの言葉に対する誠実さと力強い意志が込められていた。そんな目で見られて、そんな声を聞かされて。見惚れ聞き惚れた私に、それを茶化すような真似がどうしてできるだろう。
……しかし、それでもだ。彼女の言葉がどれほど私に心地よく都合のいいものであっても、私自身にその価値があるかどうかは別の話である。降って湧いた幸運を何も考えずお気楽に享受するには、私の自信という意識は少々世間の荒波に呑まれすぎていた。
―――――なんで、私を?
だからこれだけは、最低限聞きたかった。あのハスキーさんが、いや、彼女だけではない。私も発売以降ずっと推しテーマとして使い続けてきたドラゴンメイドの彼女たち全員が、他の誰でもなく私のことを選んだ。彼女たちはかなりの人気テーマ、カードを媒体に「主人」を見つけたというのであれば、それこそ星の数ほど候補はいるだろう。当然、認めるのは癪だが【ドラゴンメイド】を私より強く使いこなせる決闘者だって百や二百どころでは済むはずもない。
そんな彼ら彼女らと私は、一体何が違ったというのか。私にとってはある意味で決死の質問でもあるそれを問われたハスキーさんは、しかし一瞬その目をぱちくりと瞬かせた後、さも当然のような口ぶりですぐに口を開いた。
「これは私の説明が至らなかったですね、申し訳ありません。確かに私どもが御主人様の存在を認識したのはこのカードが、そして御主人様に組んでいただいた私どものデッキがきっかけではありますが、私どもの方から『主人』となる方を選んだのではありません」
よくわからない。そう顔に書いてあったのだろう、どう説明するか腕を組んでわずかに思案するハスキーさん。
……個人的にはそのポーズのせいで、彼女自身にその気はなくともおおいに強調されたエプロンドレス下のむにゅりと音がしそうなほど柔らかな双丘の様子が気になって気になって他の疑問は正直どうでもよくなっていたのだが、自分から聞いておいて返事を聞かないのはまずいだろうと、どうにか煩悩を抑えつけ鎮めたものだ。
「……つまり、御主人様の想像するものとは順序が逆であるかと。元々、御主人様は私どもにとって素晴らしい素質の持ち主であったものと思われます。そしてこれは、メイドの自意識過剰であれば大変申し訳ないのですが。御主人様、私どもに……特に私に対し、その、強い感情を抱いていただいたことで、その才能が開花して次元の壁を越え、私どもの館とついに繋がったものと」
ここで助平心など一瞬で吹き飛ばされ、声にならない唸り声が漏れた。ハスキーさんの手前辛うじて堪えはしたが、気持ち的には頭から部屋の隅で万年床になっていた布団をすっぽり被って恥ずかしさのあまり身もだえしたい気分でいっぱいだった。つまり情報公開以降にSNS等で散々口にしてきたハスキーさんへの愛の言葉、全部本人に筒抜けだったのかよ。
そしてそこでまた、気付かなくてもいいことに気が付いてしまう。気付いてしまった。そうだ、彼女だけじゃない。
公開日と個人的な性癖の都合上彼女へ向けたものがぶっちぎりで多いというだけで、何なら他のドラゴンメイドさんたちに関しても情報が出るに従って色々と、間違っても音読できないようなものも含めて散々思いのたけを語り尽くした記憶がある。あれもあれもあれも、全部本人バレしていた?
一応アカウント停止まで喰らってはたまったものではないのでそこまで下劣かつ直球な欲望を垂れ流しにしたわけではなく辛うじて健全の範囲内に抑えるようにはしていたけれど、それだけではどうせ匿名だからと投げ続けた諸々の失言の前には何の気休めにもならない。
―――――すみませんでしたぁっ!
「なので……土下座はお止めください御主人様!?」
―――――いえ、本当に大変申し訳なく……!
どう控えめに形容してもセクハラであろう己の過去の言動に、もう数カ月どころか数年単位で手遅れと知りつつも床に頭を叩きつけんばかりに擦り付けての平身低頭。ハスキーさんからは慌てて止められたが、さすがにこればかりはそれなら良かったと止められるほど私の心は強くない。ひたすら床を眺めてただただひれ伏していると、またも耳に届く心地良い衣擦れの音。何が起きているのか理解する前に、急速に近づいてきた甘い香りと共に背中にそっと手が振れる感触。
「確かに、あれだけ真っすぐにお褒めの言葉を頂くのは悠久の時を生きてきた中でも初のことではありました」
言葉とともに、しっとりと柔らかで温かい手が私の背中を優しく撫でさする。ただそうされているだけでじんわりと広がる暖かな気持ちは、例えるならばまるで宮廷料理のフルコースを前にしているかのような。あるいはただひとり貸し切り状態で、風光明媚な景色を前に適温の温泉に肩まで浸かって足を延ばしているような。適切な表現が私の乏しい語彙では今でも思い浮かばないけれど、それまで経験したこともないような多幸感が全身を包み込んでいく。
「ですが皆、それでますます熱が入ったと申しますか。次元を越えるほどの空間転移の魔法は本来極めて難易度が高いのですが、御主人様をお出迎えしたい、せめて一目お会いしたいとの一念で呪文開発が進みまして。そのおかげで本日ようやく私ひとりが代表としてこうして御主人様へのお目通りが叶い、それどころかこのようにそのお体に触れることも可能となっているのです。夢にまで見た御主人様にお会いする最後のきっかけとなったのは、むしろ御主人様自身です。一同を代表して、遅ればせながらお礼を申し上げます」
―――――ハスキーさんも……?
絶対本人に知られたくないような失言は、量も質も断トツで彼女に関するものが多い。まだ顔を上げる踏ん切りがつかないまま、女性らしい香りと手の感触に包まれて恐る恐る聞き返す。
「はい、勿論です。御主人様のハスキーは、ここに居りますよ。ずっとずっと、こうして直接お会いできる日を待ち望んでおりました」
にっこりと笑みを浮かべているのは、顔を見ずともわかった。その声には一切の嫌悪感も嘲笑の色もなく……張本人の私がこれを言うのはなんだが信じがたいことに、それが心からの言葉であると告げていて。あばたもえくぼとはよく言うが、なるほどドラゴンメイドとは感性からして奉仕種族、根本的に人間とは違う存在なのだろうと改めて実感する。
なおあの当時の発言の数々を、彼女たちが実在すると知った今改めてここに書き記すつもりはさらさらない。
できれば本人たちにもあんなものさっさと忘れて欲しいのだが、以前さりげなく聞いてみたところ彼女たち全員が自分に関わる私の過去の発言を愛情たっぷりに空で暗唱できることが分かった時には……この話はもうやめよう。思い出すだけで胃が痛くなってきた。
ともあれそこまで言われてようやく、こちらも土下座から起き上がる。本当はまだやりたくはなかったけれど、これ以上続けても彼女にとって逆効果にしかならないと思ったからだ。
「あっ……」
ハスキーさんもそれを受けて、私の背中をずっとさすってくれていた手を離してちゃぶ台の向こう側へと慎ましく戻っていく。ただその時、ごくごく小さいが残念そうな声が背後で漏れたのが聞こえた気がした。ここまでで初めて聞く彼女のそんな声に思わず振り返るが、そこにいたのは慎ましやかな笑みを浮かべてこちらを見返すひとりのメイドのみ。
―――――ありがとうございます……それで、ええと、その、さっきの話ですけど
今のは実際に聞こえていたのか、それともそうあって欲しいという私の心の弱さが生んだ幻聴か。いずれにせよ、深く考えるのはやめておいた。それよりも、今は言わなければならないことがある。ハスキーさんがここに来た理由に対して、少なくとも彼女の中では嘘をついていないことだけは理解できた。なら、まずはこちらも聞かれたことに対し返事をするのが礼儀だろう。
こちらが切り出すと、ハスキーさんにも目に見えるほどに緊張が走る。でも、私の返事はもう決まっていた。
―――――私、昔から友達がいなくて。両親も親戚も、成人した時には皆、もう……だから、むしろこちらからお願いします、なんて……
一瞬の沈黙。もしかしたら何か間違えたのか、と、緊張のあまり口の中が急速に乾く。
と、次の瞬間だった。ガタンと大きな音が部屋に響き、それを認識する前に目の前のハスキーさんの顔が急に視界いっぱいに広がった。同時に私の両手が温かく柔らかな、それでいてすべすべとした感触の物に力強く包まれる。
ああ、そうか。ハスキーさんがちゃぶ台を越えてその身を乗り出し、私の両手を握りしめたんだ……やっとそう得心がいったのは、それから少し経ってのことだった。今だからこそこうして落ち着いて振り返ることができるが、当時の私の頭の中はようやく少し慣れてきた女性の香りがまた一段と近づいてきたことで嗅覚から改めて脳を直接殴られ、視覚からは至近距離で見た彼女の端正な顔立ち、そして少し潤んでいることで宝石のように煌いて見えるその瞳の美しさにすっかり目を奪われ、触覚でも初めて直に触れた彼女の、女性特有な柔らかくて暖かい、それでいてしなやかですべすべとした手の感触に夢中にさせられたりと五感に片っ端から容量オーバーの「異性」を叩きつけられてほぼ完全に思考停止していた。
そして間髪入れず、聴覚……私の耳に、感極まった彼女の声が届く。
「本当ですか、御主人様……!メイド一同を代表して、お礼を……ああ、ずっと、ずっと御主人様にお仕えしたかったです……!」
その声を聞いて、そこに満ちた嘘偽りない歓喜と忠誠を正面から受け止めて。私は、この時ようやく真の意味で彼女の言葉を理解できたのかもしれない。
この瞬間まで、頭では一応納得してもまだ彼女の話に対し私は(これは「主人」として恥ずべき話ではあるのだが)半信半疑だったことは否めない。資質だなんだと言っても結局はただの人間でしかない私に対し、彼女は音に聞こえたドラゴンメイド。当然私では足下にすら及ばないほどに遥かに強く、美しく、何ひとつ劣る点がない……どころかもはや私などとはそのスペックを比べようとすることすら、そのあまりのおこがましさに鼻で笑ってしまうほどの上位存在だ。だからいくら言葉を重ねられても、私の方がそれをすんなりとは受け入れられなかった。私なんかが「主人」などという立場になっていいのだろうか、それが話を聞きながら、頭の片隅に常にあった。
でも、ハスキーさんはそれを心から望んでくれる。自信……は、正直なところこの館に住むようになり、ハスキーさんだけでなくほかのメイドさん達も皆が同じ思いであることをたっぷりと理解させられて長い、これを書いている今でもまだ湧いてこないけれど。彼女が、彼女たちが、私の全てを肯定してくれるから。少なくとも、彼女たちのためにも後ろ向きなことを思うのは止めようと、そう思えるようになった。
「私は、本当に……!」
今度は、この甘い吐息すらも感じられるような距離では、見間違いなどありえない。ハスキーさんの両目からは、確かにこの時涙が流れていた。
ちなみに。後日、彼女本人に甘えている最中ふとこの時のことを問い質してみたのだが。顔を真っ赤にして「どうか忘れていただけませんか……?」と弱々しく懇願されたのち(これがまた可愛らしかった)、瀟洒に見せつけていた外面の下では彼女自身この時は色々と感極まってかなりテンパっていたことまで白状してもらったのだが、それはまた別の話。
「…………大変お見苦しい所をお見せしました。では早速ですが、御主人様の屋敷へとご案内いたします」
そのまましばらく。ようやくある程度の落ち着きを取り戻して涙もぬぐったハスキーさんが、コホンと照れ隠しに咳払いし私の手を取ったまま立ち上がった。引っ張られるように私も腰を上げ、狭い部屋をぐるりと見まわす。
―――――そうだ、これ、持って行っていい?
これ、というのは、大量の手持ちカード。当然、何年もかけて自分なりに数えきれないほどのチューンナップを繰り返してきた【ドラゴンメイド】を筆頭とする私のデッキもその中にはある。外の世界に未練を感じるような相手はいないが、カードに対しては色々と思い入れもある。私が初めてハスキーさんのことを知れたのも、もとはと言えばカードのおかげなのだから。
駄目と言われたらどうしよう、と恐る恐るの問いかけに、そんな不安を吹き飛ばすような笑顔と共に彼女は微笑んだ。
「かしこまりました、では……」
一歩も動かないまま、そっとカードの山の方へと差し伸べた右手の指をパチンと鳴らすハスキーさん。するとほんの一瞬その指先からきらきら光る光の粒が見えた気がして、次の瞬間には部屋の一角を占拠していた大量のカードがすべて跡形もなく消えていた。驚いて振り返ると、同じ微笑でも今度はわずかに得意げな空気を漂わせた彼女と目が合う。それはそれで見惚れるけれど、個人的にはいまだ握られたままの左手がいつの間にか、本当にいつの間にか恋人繋ぎになっていたことの方に驚いたりして。
ただこれだけは絶対に書き記しておくだけの理由と価値があるから書かせてもらうと、その握り心地は最高でした。
さすがに驚きの声が漏れそうになるも、寸前あらん限りの精神力でそれを抑え込む。よくよく見るとさっと顔を背けたハスキーさんの首筋がしっかり真っ赤になって握られたその手もほんのり汗ばんでおり、彼女の胸のうちはいくら私でも容易に予想が付いたからだ。下手に言及して手放されたら、そちらの方が悲しいし勿体ないし。
それにしてもどうしていちいち、することなすこと全てが愛おしいんだろうかこの人は。思えばこの日からずっと考え続けているこの命題は、いまだに結論が出ないままだ。
「それでは、こちらにお進みください」
またしても魔法を使ったのだろう。次に誘導に従って目線を向けると、部屋の中にはちょうどカードの裏面のような、渦を巻くかのような穴が空間に開いていた。
―――――じゃあ、お願いします。えっと、これから……
「はい。御主人様のメイドに、全てお任せください」
そして恋人繋ぎの手を引かれ、渦の中へと私は一歩を踏み出した。
大体あらすじに書いてある導入。
とにかくイチャついてるところが書きたくて始めたんだからそれでいいのだ。