ドラゴンメイド・ラブコール   作:久本誠一

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当然彼女もメンバーなので、必然的にメイン回もあります。


ラティスと飲んだお茶の場合

「まあまあまあ、そういうことでしたの」

 

 自室にて。私の正面の席に座り、開いた窓から降り注ぐ穏やかな日差しをベージュ色の髪で受け止めているのは、ラティス。

 なんとも真意の掴みがたい相槌とともにひょい、と細く可憐な指先を伸ばして私たちの間にある丸テーブルの上に置かれたスコーンをひとつ摘み取り、セットで置かれたイチゴのジャムを丁寧に塗って口に運ぶ。一切の穢れを知らないような白い肌にあって余計に映える血色のいい赤い唇があーんと開いてスコーンを小さく一口かじり取る様子は、こんな天上の美を体現したような彼女もこうしてものを食べるのだ、という当たり前の事実も相まってなんだか妙にエロティックなものを感じ、知らず知らずのうちに生唾を呑んで見入ってしまう。

 と、いけないいけない。もう彼女と初めて会ってからも一週間以上経っているというのに、どうにもいまだに彼女相手だとペースが掴み切れない。

 そもそも、なぜ彼女が私の部屋にいるのか。これはティルルの……せい、と言うべきかあるいはおかげ、と称するべきか、ともあれ直接の原因は間違いなく彼女である。つい先ほど屋根から降りてきた際、よほど顔を見られたくなかったのか全力で逃げていったティルル。あのあと裏手から屋敷内に入った彼女は、どうもラティスにその様子を見られていたらしい。置いて行かれて呆然とそれを見送って、仕方がないから部屋にでも戻ろうとした私のもとに、いつも通りのにこやかだが真意の読めない微笑みを浮かべながら現れたラティスが好奇の色を目に浮かべてこう言ったのだ。

 

「やっぱりいらしたのですね、あなた様?どうでしょう、お部屋でお茶でもご一緒しませんか?」

 

 どうも彼女の言葉には、ノーと言いづらい雰囲気がある……そして実際、こんな超絶美人からのお誘いを断る明確な理由も私には咄嗟に用意できなかった。嬉しいことのはずなのになぜだかまな板の鯉になったような気分を同時に味わうというなんとも稀有な経験をしながら、先導する彼女に付いて厨房から今日のおやつと紅茶セットを拝借し、彼女と初めて出会った時と同じように同じテーブルでまた向かい合うことになったのだ。

 そして話は戻り、ふと気が付けばただでさえ聞き上手な彼女のペースに完全に取り込まれ、いつの間にか私は先ほどあった出来事をほぼすべて洗いざらいに彼女へ白状していた。全てを聞き終えてなんとも真意の読めない相槌を打ったラティスが、わずかに悪戯な笑みを浮かべて改めて口を開く。

 

「ここだけの話ですけどね、あなた様。ティルルさんのああいう逃げ癖は、昔の彼女にはなかったんですのよ」

 

 いや言いたいことはわかるけど、確かに以前褒めちぎった時も今日と同じように最終的にはいっぱいいっぱいになって逃げられたけど、だからってあの真面目なティルルに対して逃げ癖て。いくら旧知の仲とはいえ流石にあんまりな言い方に異を唱えようとするのを遮るように、昔のことを思い出してか窓の外へ視線を向けながら続けて言葉を紡ぐ。

 

「もともとあの子は優秀で、何を教えてもそれなりにそつなくこなせるものでしたから、ハスキーさんも目を掛けていましてね。あくまで候補の段階とはいえ、最大で次期メイド長にすることまで視野に入れて教育していたのですが……」

 

 これは……私も、知らない話だ。でも、納得できる話でもある。聞いているだけでこちらの気が緩んできて、心地いい安息に引き込まれるような彼女の声の調子も相まって、ついつい話に引き込まれてしまう。

 

「誰が悪い、という話でもないのです。確かに指導に熱は入っていましたが、あまりに厳しすぎるというほどでもなく。ティルルさんも真面目に全てを吸収しようと日々真面目に取り組んで……ねえあなた様、私たちドラゴンメイドという生き物は、ただでさえ寿命は途方もなく長く身体も頑強な種族。いつか巡り合えると信じている理想の主人に仕える日が来るその時まで、百年でも千年でも奉仕の腕を磨き続けることをなんら厭わず苦にも思わない、それはもう鱗の1枚1枚に刻まれたような本能ですの」

 

 ―――――……うん

 

 それは、なんとなく私にも察しがついていた。ハスキーさんを始めここのメイドたちは(まだ未熟なラドリーは除くとして)、その所作といい立ち居振る舞いといい、間違っても一朝一夕に身に付くようなレベルのものではない。

 

「だからこそ、あまりにそんな気の入った日々を送っていても、誰も……当人ですら毎日毎夜少しずつ、一切抜けることなく蓄積されていく精神の疲れに気が付けなかった。そうして来る日も来る日も続いた、何十年後だったか。まだラドリーさんもここにいなかったほどの昔、ついに目に見える形で異変が起こってしまいましたわ」

 

 ―――――どう、なったの?

 

 聞きたくない。それでも、聞かなくちゃいけない気がした。先を促す私の判断を肯定するような優しい微笑を浮かべたラティスが、紅茶のカップを音もなくソーサーに置いて私と視線を合わせる。宝石のように深く美しい光を湛えたその瞳に吸い込まれそうな錯覚を覚えながらもどうにか意識を目の前の現実に、彼女の口から聞く当時の話に合わせる。

 

「彼女自身も完全に制御できない、超高熱の塊……5キロ先の平均気温が10度上がるような、いかに彼女が最上級のドラゴンといえど、その実力を遥かに上回るような能力の暴走。その中央でいくら鎮めようとしてもまるで言う事を聞かない自分の体に絶望し、どうする事も出来ずうずくまって泣きじゃくっていた彼女のもとにやっと辿り着いた時には、あのハスキーさんも言葉を失っていましたわね」

 

 もう何も言えなかった。彼女たちの過去に、そんなことがあったなんて。同時に、ちょっと火傷しかかったことに対しティルルがあれほど過剰な反応を見せていた理由も遅ればせながらに得心がいく。知らなかったでは済まされないが、どうやら私は地雷中の地雷のど真ん中を踏み抜いてしまっていたらしい。

 絶句する私をまるで見定めるような目つき、初めてここで彼女に会った時と同じようなあの上位者の目でじっくりと眺めていたラティスが、何かに満足したのかまたふっと相貌を柔らかくする。それだけで、部屋全体の空気までもがほんの少し軽くて明るくなったような気がした。

 

「本来ならばそこからパルラさんが、同期にして親友として特に尽力してティルルさんがまた元通り笑えるように頑張った話などにも繋がってくるのですが……ねえあなた様、私が今一番言いたいこと、なんだと思います?あなた様には、私はとても感謝しているのですよ」

 

 ―――――感謝?

 

 前半のカットされた話も色々と気にはなるけれど……それよりもわからない、この話の流れからどうして私への感謝が出てくるのか。オウム返しに問い返すだけの私に、そうですわ、と彼女は小さく頷いた。

 

「今の話はちょうど私がこの屋敷を一度出る少し前のことでしたけれど、最後に私はティルルさんに言っておきましたの。ティルルさんは真面目が過ぎるんだからもう少しガス抜きの出来る悪い癖、例えば逃げ癖を身につけておきなさい、と。ああいう方ですからそうは言っても難しいだろう、とも思っていたのですが……ふふふ、恋というのは本当に面白いものですわね。一時は自分の心にすら気が付けずに大変な目にあったあの方が、この短期間に2回も!余裕がなくなってあたふた逃げ惑うことができるほど、自分に素直になれるだなんて。それもこれも全てあなた様が、この屋敷のメイド皆が種族として忠誠を尽くし雌として懸想する、そんな理想以上のご主人様を迎えられたからこその変化ですわ」

 

 今度はこちらが、真っ赤になる番だった。無限に注がれる彼女たちからの愛情を改めて言葉にされるのが、こんなに恥ずかしくなるものだとは。買い被りすぎ、だなんて言うのは簡単だけれど、それでもここまでくると失礼でしかない。ハスキーさんたちが本気でそう思ってくれているのは、たとえ私が世界一鈍感な朴念仁であったとしてもこれだけここで過ごしていれば嫌でも理解できる。

 久しぶりに元の世界で使っていた、某SNSの鍵アカウントの存在を思い出した。ドラゴンメイドと私の付き合いが、まだカードと一介のデュエリストでしかなかったあの頃。語彙力の限りを尽くしそのイラストやテキストから読み取る彼女たちの可愛い点を纏め上げてみたり、込み上げる劣情をどうせ匿名の、しかも鍵なんだから好き放題書いてやれとガンガン書き連ねたあのアカウント。どうやってだかハスキーさんらには、よりにもよって妄想先の当人たちにその中身は全部筒抜けだったと初めて彼女に現実で会った時に知らされてからはあまりの気まずさ恥ずかしさに金輪際思い出すまいと記憶の奥底に封印し、実際今日まで思い出すこともなかったのだが……あれの存在を知った時の彼女たちも、あるいはこんな気分だったのだろうか。

 

「本当に皆さん、いいご主人様と巡り会えたものです……私もここを離れていてあなた様とそれだけお会いできる日が遅れたこと、これでも後悔しているのですよ?」

 

 最後はそう本音か冗談か例によって判別の付かない言葉で締めて、まだ湯気の立つカップを再び傾けるラティス。ゆっくり味わうように目を閉じて優雅に一口含み、白い喉がこくりと動く。

再び目を開けた時には既に、過去を振り返るような雰囲気は失せていた。

 

「さ、湿っぽいお話はこれでお終いですわ。大体あなた様もあなた様ですよ、こうやって女の子を前にして、他の女の子の話ばっかりするなんて」

 

 ―――――え、えぇ……?

 

 自分から聞いてきて!?と言いたいのを、しかしここはぐっと飲み込む。ラティス相手には、どうにも口で勝てる気がしない。よよよとわざとらしくしなを作り、流れてもいない涙を拭う真似までする彼女の案外お茶目なところもある姿に毒気を抜かれてしまったのもある。

 代わりに、別の方向から話を振ることにした。

 

 ―――――えーっと……じゃあ、ラティス?

 

「はい、なんでしょうか?」

 

 ―――――ずっと気になってたんだけど、その「あなた様」って……?

 

 これも、前々から地味に聞きたかったことのひとつだ。

 初めて会ったあの日にこう呼称された時は、どちらかといえば私よりもむしろハスキーさんをからかっているような響きがあったように聞こえたし私もそう思っていた。現にあの後で他のメイドへの再会と帰還の挨拶を済ませてから、ハスキーさんが彼女を半ば引きずるようにして私の所にわざわざ改めて本日より御主人様と過ごすメイドが1人増える事となりました、と正式な挨拶をしに来た(そういうところ、いかにもきっちりしているハスキーさんらしくて愛らしい)時にはパルラ以外の皆が使う『ご主人様』呼びで、その後も他のメイドがいる場ではそう呼んでくる……の、だが。ふとしたことで私とラティスのふたりっきりになると、こうしてしれっと呼び方を変えてくる。

 別に私個人としては呼び方なんて相手の好きなようにやってもらえればいいし、極めて正直に本音を述べれば抜群の美女や美少女たちが好意をあけすけにしてご主人様だマスターだと、本来そのスペックでは話にならないほど下であるはずの私を上の立場として持ち上げてくれるのはむず痒さを感じつつも同時に悪い気分がしなかったのも確かである。そこはまあ、否定しないしできない。

 だからラティスに対しても気にはなりつつなんとなく直接聞きにくかったのだが、これもせっかくの機会だとあえて飛び込んでみることにした。なにせラティスもまたドラゴンメイドらしくその仕事っぷりは長いブランクをまるで感じさせないほどにそつなく完璧で、そちら方面からでは私も何も言える事なんてなかったから、というのもある。

 

「そうですねえ……あなた様は、私にこう呼ばれるのはお嫌でしたか?」

 

 ぶんぶんと、強く首を横に振る。自分から振った話題なのになぜだか妙に緊張し、テーブルの下で無意識に握っていた拳に汗がにじんでいた。

 実際、前述の通りそこは嫌ではない。むしろ逆だ、と言ってもいい。ラティスは疑いようもなく天上の美貌を有しており、メイド服越しにも意識せざるを得ない抜群のスタイルの持ち主でもある。下世話な話ではあるが例えば先ほどからこのお茶会の会話中、基本的に彼女は椅子の背もたれに体を預けている。だがふとした拍子に座る位置を浅くしてかつ身体を前に倒すと明らかに机の上に乗っているのだ、何がとは言わないけれど大変柔らかそうな、その母性を感じさせる大きな塊がふたつ。この椅子も椅子で確かにやや小ぶりな品ではあるが、私は別段小さいとは感じないそれに先ほどからどうも微妙に窮屈そうなそぶりを見せているあたり、立派で美しい尻尾とひらひらが多くゆったりしたスカートで巧みに隠され上半身以上に外からでは体の線がわかりにくいが、そちらの方も結構なサイズとみていいはずだ。先ほどまでは話題も話題だったので意識する暇もなかったが、そちらがひと段落したことで反動が出たかのようにそういったところばかり目に入ってくる……というより、ついつい視線が吸い寄せられる。ラティス自身はいたって上品で露出も極めて少ないというのに、色々と刺激が強い。

 話が逸れた。とにかくこんな美人にあなた様、だなんて甘く囁かれること自体、嫌なわけがない。全力で首を横に振る姿がよほどおかしかったのか、クスリと上品に笑う。そのまま自分の口元に人差し指を立ててみせると、小さくウインクしてみせた。

 

「そうですか、それならよかったですわ。せっかくの私とあなた様、世界でたったふたりだけの秘密ごと、ですから」

 

 そう言って私に向ける普段の微笑とはまた違った笑顔の魅力に夢中で見惚れそうになり、どうにか気を確かに持ち直す。今のはちょっと、いやだいぶ危なかった。

 それにしてもふたりの秘密、ときたか。確かにまったく悪い気はしないし断じて嫌ではない魅力的な響きだが……まだどうにもわからない、ずっと引っかかっていることがある。その引っかかりが、まだ私がラティスの魅力に完全に溺れきることを妨げていた。

 なにせラティスとは出会いもつい最近で、付き合いもまだ浅い。それこそお互いに、その存在すらつい先日まで知らなかったくらいなのだ。それがカードだった時代からずっと知っている、もうかれこれ数年越しの仲である他のドラゴンメイドたちと同様の、それこそ彼女たちとも張り合えるほどの好意をほんの少し初日に対峙しただけでそこからずっと向けてくれる。

 それが、どうにもわからなかった。悲しくなるからあまりこういう自虐めいたことを言いたくはないけれど、私は元の世界にいた時からお世辞にも女性に人気が出るような人相でも性格でもない。だからこそこんな私が一番なんだと、私のことを予め知り尽くしてなお無限の愛情を惜しみなく注いでくれるハスキーさんたち、ドラゴンメイドに囲まれて過ごす今の生活はまああからさまに言って天国なのだが、私とラティスの間にはそもそもの前提となる期間も知識もない。その状態で向けられる好意を素直に受け止めきれないほどには、元の世界で私は荒んでいた。というかそもそも、ハスキーさんたちからの好意だって間違いないんだと日頃の態度から信じて受け入れられるようになるまで毎日ひとつ屋根の下で顔を合わせておいてなお数か月はかかったのだ。まだやっと初対面から一週間が過ぎたばかりの彼女を、私の方が信じ切れていないのだろう。

 そういったことを出来る限り伝えると、ラティスはふんふんと例によってその真意を悟らせない様にこちらの身勝手な言い分を黙って全部聞いてくれ……ややあって、妙にしっとりとして妖艶な笑みを浮かべる。なぜだか知らないがその笑顔を見た瞬間、ぞくりと背筋に寒気が走った。きっと、捕食者に見つかった獲物というのはこんな気分なのだろう。

 

「……なるほど、あなた様の言いたいことはよくわかりましたわ。つまり、ぽっと出の女が一目惚れするのはおかしい、と」

 

―――――いや、あのラティスさ……ラティス?

 

 じろりと睨まれ、慌てて言い直す。

 あれは、彼女と出会った次の日のこと。何かよほど気に入るものがあったのか初日に続きまたしてもあすなろ抱きに抱きかかえられながら、私のことはさん付けはよして呼び捨てでお願いしますわね、と言い含められ、私も私で後頭部に押し付けられる柔らかな感触や耳元すぐ近く、吐息すらかすかに感じられるような位置での甘い囁き声に抵抗する気力もなく一も二もなしに言われるがまま頷くしかなかったのだ。

 

「あなた様は、諸国を巡り数多くの種族、星の数ほどの雄を見てきた私にとっても『お気に入り』の殿方なのですから。皆さんがメロメロになるのも頷ける、素晴らしいお方ですわ」

 

―――――いや、そんな……

 

 急にぐいぐい褒めちぎって距離を詰めてくるラティスの甘い言葉に翻弄され、鏡を見ずともわかる程度に顔を赤くしながらも、さすがに理性が待ったをかけた。これはいくらなんでも、話を盛り過ぎてはいないだろうか。仮に私が数か月前のまだここに来る前だったら、こんな美人相手に抵抗や疑いなんて持つ余裕もなかったろう。後になってからあまりの美女っぷりに美人局などを疑うことができたとしても、いざ対面すればそんな論理は即効でぐにゃぐにゃに溶けてしまったはずだ。

 でもなんといっても今の私には日夜あのドラゴンメイドたちと過ごしてきたというアドバンテージがあり、いくらラティスほどの美人が相手であっても対面で話ができる程度の余裕は(辛うじて)ある。少しだけ疑いを込めてじーっと上目遣いに見上げると―――――さすがドラゴンメイド、本当に顔がいい―――――しばしの沈黙の後でとうとう堪えきれないといった調子で小さく吹きだした彼女が、どこからともなく小さな木の看板を取り出した。その表面に書いてある言葉へと、反射的に目を通す。

 

―――――ドッキリ、大成功……?

 

「うふ、うふふふふ……!もう少し引っ張るつもりでしたが、少しあからさま過ぎましたか?」

 

―――――え、どこから!?どこから始まってたのそれ!?

 

「うふふ、さあ、どこからでしょう?それでは、そろそろご馳走様でしたわ」

 

 ティルルに関する話は、これは事実だろう。仲間をだしにしてあんな話をもっともらしくしてくるほどに、情が浅いタイプではないはずだ。それにもしそんな性格の持ち主ならば、他のメイドからも今のように慕われてはいないだろう。

 となると、この『ドッキリ』が始まっていたのは話の後半から……一体どこから私はからかわれていたのか、思い返してもさっぱりわからない。ことによると丸々全部、というのも可能性としてはあり得るあたり、やっぱりラティスのことはまだまだ掴めそうにない。一方で当の彼女はといえばわざとらしく小首を傾げるポーズで心底楽しそうに、朗らかにひとしきり笑い、優雅に立ち上がってひょいと空になったお茶会セットをお盆にまとめて手のひらを上に片手だけで持ち上げる。どうやら、このお茶会は私のことをからかって満足できたからそろそろお開き、ということらしい。

 今にも鼻歌でも歌いそうなほどに上機嫌な背中とご機嫌そうに揺れるベージュ色の尻尾がドアを開けて部屋から出ていく寸前、ラティスはくるりと呆然それを見送る私のことを振り返った。

 

「あ、そうそう。こうお呼びするのがふたりだけの秘密、というのは本当ですわよ……あなた様?」

 

 意味ありげなウインクを残し、しかしそれきり扉が閉まる。風に乗ったラティスの甘い残り香が、ふわりと私の鼻をくすぐって。

 

―――――わっかんないなあ、もう……!

 

 変な緊張の反動、いいように遊ばれたちょっぴりの悔しさ、でもそれもまた心地よくて楽しかったという誤魔化しきれない本音……いろいろな感情を処理しきれずに部屋の中をうろうろと意味もなく歩き回り、最終的に勢い余ってベッドに倒れ込みふかふかの枕に顔をうずめる。

 うん、やっぱり。少なくとも今はまだ、彼女には敵いそうもない。この先ならば敵う気もしないけども。

 

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

 ドラゴンメイド・ラティスは主人の部屋のドアを閉めたのち、少しそのドアに寄りかかって小さく息を吐いた。防音性も良好なこの屋敷、その中でも最上級の素材が惜しみなく使われている主人の部屋ともなれば、自分の声や動作が部屋の中の彼に届くことはないだろう。まして、相手はあくまでただの人間。彼女がこの閉じた時空の外側、諸国を漫遊してきた中でも魔力、心身ともに特に貧弱で、生物としての強さならば下から数えた方がよほど早いような種だ。大丈夫、ここまで離れてしまえば気付かれない。意識して抑えていたのを解放した結果現在では早鐘のように打ち鳴らしている心音も、無意識のうちに口から漏れる熱い吐息も。スカートの中で内腿を擦り合わせても、それらの音は届かない。もっともそんなはしたない真似、淑女としては他の誰が相手だとしても見せるわけにはいかないが。

 ここにだっていつ何時、他のメイドが通りかかるかわかったものではない。なにせ屋敷のメイド全員が、部屋の中の主人に対して懸想しているのだ。仕事中に多少大回りしてでもわざわざここの廊下を通りがかってみたり、あるいはもっと直接的に、何かと理由を付けて彼に会いに来たり……以前彼女がここにいた時の主人不在の屋敷とは、同じようでいて何もかもが異なっている。

 

「これで本当のドッキリ大成功、ですわね」

 

 小さく呟いた声が、廊下にしんと反響することなく消えていく。実際のところ、先ほどまでの彼女の口にした言葉に嘘やからかいは最初からひとつもない。彼女はただ『ドッキリ大成功』と書かれた看板を取り出してみせた(・・・・・・・・・・・)だけだ。

 お茶会に連れ出して少し真面目な話、恐らくハスキーの性格を考えればティルル本人と話し合うことなしには愛する主人が相手であろうと自分からは口にしないであろう彼女の過去を聞かせて―――――それ自体に他意はない、ただ純粋にラティスはハスキーとは違うというだけの話であり、彼女はそれを主人にも知る権利があるし少しでも早めに知っておくべき話だと感じた、それだけの話だ―――――その後話の流れと勢いでつい自分の口まで軽くなりその想いを踏み込み過ぎたところを寸前でどうにか自制を取り戻し、一言も否定することなく誤魔化してみせた。ドッキリと見せかけて、最初から最後まですべてが本音だったという狂言回し。

 今はまだ、これでいい。そう、自分に言い聞かせる。偶然とはいえ一緒の時間も過ごせたし、ふたりの秘密も意識させることができた。あの主人と自分が出会えてからまだ日は浅く(これは誠に遺憾ではあるが、同時に自業自得でもある)、時間はまだまだいくらでもある。むしろ失礼ながら対女性経験は薄いと見受けられる彼を相手にあまり事を急いてしまっては、がっついているはしたない女と思われる……だけならばまだいい方で、最悪の場合無用な警戒心を起こさせかえって距離が開いてしまう可能性まである。他のメイドたちが彼への好意をあけすけにさらけ出せるのは、それだけ付き合いの長さに差があるからだということを忘れてはいけない。長大な寿命を持つドラゴンと、人間の時間感覚は異なるのだ。

 

「……よしっ」

 

 はやる心を客観的視点で自制して、遅々とはいえどまた確かな一歩を踏み出せた今日の成果をおおむねよしとして、そしてこれから続く未来への期待を込めて、小さなガッツポーズで気合を入れ直す。

 それはさておきひとまず手にしたままのティーセットを厨房に持っていこうと一歩を踏み出したところで、鋭敏な彼女の感覚にピンとくるものがあった。誰かがすぐ近くにいる、この感覚は……チェイムだ。彼女よりもラティスの方が知覚範囲は広いため、おそらくまだあちらの方は自分に気が付いていないだろう。移動ペースから考えても、自分を含め誰かを探している風ではない。となると、お目当てはこの部屋の主だろう。

 一時の逢瀬を期待してわざわざここを通ろうとする乙女心を邪魔するつもりはないので一足先に退散しようとくるり身を翻し、途中で気が変わって足を止めた。そういえば彼女のお目当てである彼もまた、彼女のなかなか見せようとしない真の姿……いつだって世界の半分を優しく包み込む夜空のようなあのドラゴンに、大いに興味を示していた。放っておいても別段まずいことにはならないだろうが、ここはひとつ先手を打ってお節介を焼いておくべき場面かもしれない。

 少し迷ったのち、結局ラティスはチェイムの歩いてくる方へと足を向けた。




ラティスも可愛いし強いしで、発売から半年以上経った今でも幸せです。
なーんで半年以上かかってんですかね……?
それはそうとヴァリュアブルブックで明かされた彼女の性格の一端、なかなか面白かったですね。私が前回書いた解釈が当たらずとも遠からずとギリ強弁できなくもない範囲で、ひそかに胸をなでおろしたのは内緒。
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