ドラゴンメイド・ラブコール   作:久本誠一

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パルラにされた膝枕の場合

「では、お皿の方はこちらで下げておきますので。ご主人様は、お部屋にお戻り下さい」

 

 そのまま一通り私の膝の上で食後を過ごし、私の足もちょっと痺れてきたかな、と思い始める寸前のタイミングでぱっと立ち上がったナサリーに見送られての部屋までの帰り道。思わず口をついた手伝おうか、という申し出にはお気になさらず、と断りながら、

 

「でもそうですね……でしたらお礼代わり、と言っては何ですが。また今日みたいなことを、お願いする事があるかもしれませんね……皆さんが羨ましがりますので、できればふたりきりの時に」

 

 などと色っぽい流し目を送りつつ囁くものだからすっかり赤面し、それ以上は食い下がれずにすごすごと食卓を後にしたのだった。とにかく今日のナサリーは本当にいつもよりはっちゃけていて、とうとう最後までペースを握られっぱなしだった。

 ちょっと反省しながらも大人しく言われた通り自室に戻り、ドアを開ける。誰もいないか、あるいはチェイムが来ているか……そんな二択の予想は、どちらもあっけなく外れた。私のベッドの上で枕を抱きながらぺたんと女の子座りするひとりのメイド、ぴょこぴょこ動く若草色の髪と屈託のない笑顔が出迎えてくれたのだ。

 

「おっかえりー、マスター!」

 

 ―――――パルラ!?

 

「イイェース、マスター愛しのパルラちゃんですよー。もう遅いですよ、ずーっとここで待ってたんですからね!」

 

 ぴょんと飛び跳ね、その勢いで反発するスプリングにより揺れる足場は驚異的なバランス感覚でものともせず。ぷんぷん、と擬音が聞こえてきそうなほどに怒るポーズを見せる姿はあまりにもあざとい可愛らしさに満ち溢れていたが、どちらかというと私の目の高さからではミニスカートでそんなに揺れられると必然その動きに沿ってめくれ上がり、そちらの方がよほど気が気ではない光景だった。見え……見え……ああクソ見えない。

 そして情けないことに、ひらひら動くスカートと眩しい絶対領域に悲しい(サガ)で釘付けとなっていた私の目の動きはどうやらパルラ側にもバレバレだったらしい。わずかに遅れてピンと来たらしく跳ねるのをやめたかと思えば一転ニヤリと小悪魔的な笑みを浮かべ、いまだ扉の前にいる私に向かってじりじりとにじり寄る。とうとうベッドからも降りてもその接近は止まらず、いつも愛用している蹄を模したような形が特徴的なブーツも履いていないハイソックス姿のままとうとう目と鼻の先までやって来るとつん、と指を伸ばして私の胸板をつつく。そのままもう楽しくて仕方ないといった喜色満面の色を隠そうともせず、ニヤニヤと笑みを浮かべながら問いかけてきた。お互い分かっているのだ、この場面に限り彼女に負い目のある私はこの茶番じみた、お互い答えなどとうに分かっている追求から逃げられないと。

 

「マースター?なんだか私、マスターとうまく目が合ってない気がしたんですけどー?」

 

 ―――――いや、その……

 

 自白するしかないことも、そもそも答えなんて求めるまでもなく彼女も承知しているのはわかっている、わかっているけれど。いくら頭では理解できていてもまあこの目の覚めるような超絶美少女、しかも渦中の張本人に対し素直にスカートが捲れて中が覗けないか見ていました、なんておいそれと言えるわけがない。

 答えに詰まる私とは対照的により一層パルラの嬉しそうな、そしてどこか捕食者じみた笑みが深まる。

 

「せっかく今夜はマスターとお話ししようと思ってたのに、目を見てお話ししてくれないなんて悲しいな……うん?」

 

 だがそこで、急に流れが変わった。パルラは元々会話の内容で表情がころころ変わりがちなムードメーカー気質で、しかも元の顔面偏差値が高すぎるためどれをとっても様になるタイプなのだが、ここまでの早変わりは私も初めて見た。ニヤニヤ笑いが一転訝しげな表情を浮かべ、間髪入れずに人とドラゴンの種族差を痛感するびっくりするほどの俊敏さでかなりがっしりと力を込めて(私が怪我しないように最大限の加減はしたうえで)肋骨のあたりを両手で掴まれる。そのまま顔を寄せてきたかと思うと、真剣な顔つきで大きく息を吸い始めたのだ。

 

 ―――――ちょ、ちょっとぉ!?

 

「マスターはちょっと黙ってて!……すぅー……んー、やっぱり気のせいじゃない……」

 

 さすがに出した抗議の声もいつになく剣呑にバッサリと切り捨て、かえって深く息を吸うパルラ。いくらなんでもついさっき風呂に入ったばかりで汗臭いということはないだろうし、まさか本当にこれからは加齢臭も気にしなければいけない年齢なのかと軽く絶望したところで、胸元にとりつくパルラのそれはそれはじっとりとした視線と私のそれがかち合った。

 

「マスター?さっきまではなんだか随分、お楽しみだったみたいですねー?」

 

 ―――――と、いうと……?

 

「とぼけないでくださいよ。誰が見てもわかるくらいに濃くナサリーに……なんだか色々混じって薄まってるけど、メイド長も?ともかくこれだけ全身みっちりマーキングされていれば、隠していたってわかっちゃうんですからね!」

 

 先ほどまでのフリとは違い本気でムッときているらしいパルラにびしっと指差され、そういう事かとようやく彼女の言いたい事がわかる。

 わかるが、わかったところで困ってしまう。

 

 ―――――ま、待って待って!ナサリーとは別に、そういうのじゃなくて……

 

 自分で言っておいてこれではなんだか浮気の言い訳みたいだな、などと現実逃避めいたことを、ちらと頭の片隅で考える。実際私は悪いことは何一つしていないはずなのに、パルラの追及を前にいつの間にやら変な汗までかいていた。

 そして案の定、そんな私のしどろもどろで煮え切らない返答は彼女のお気に召さなかったらしい。不機嫌そうに片眉を上げ、追及の手はまるで緩まらない。

 

「あーっ、やーっぱり何かあったんだ!さあマスター、お夕飯の時いったい何があったんです!?」

 

 さあ、どうするか。なんとか誤魔化せないかと一瞬考えたものの、アーモンド形の瞳でまっすぐにこちらを見つめてくるパルラのここは一切妥協しないと言わんばかりの顔を見てすぐに諦めた。そんなもの絶対無理に決まっているし、むしろ下手なことを言えば看破されたうえで余計にこちらの立場が悪くなる。あれ私一応は主人なんだけどな。

 結局、素直にすべて話してやることにした。仮に黙り通せたとしても、最後に見たあの上機嫌っぷりだとナサリー自身の口から遅かれ早かれ広まりかねないし。そもそも私は終始振り回された側で、何度も繰り返すが別段悪い事をしたわけでもない…………はず、だからだ。そのはずなのにパルラの顔を見ているとなぜだろう、妙な罪悪感と気まずさが湧いてくるのは。

 

 ―――――えっと、その。ご飯を食べに行ったら、食堂でナサリーが待っていてくれて

 

「そうですね。私もあそこでグーじゃなくてチョキを出していればマスターと一緒に夕食……!まあいいです。私だってふたりっきりで、それもマスターの手料理食べましたもんねーだ。それで?」

 

 ―――――その、一通り食べ終わって後はデザートになった時に

 

「ふんふん、なった時に?」

 

 ―――――ナサリーが、膝の上に乗ってきて。そのまま果物の食べさせ合いを、やりました……

 

 こうして改めて自分の言葉にしてみると自分の事ながらまあ気まずいというか、自分でちょっと引くまである。恥ずかしさにさえ目を瞑ればあんなに五感の全てが幸せだった至福の時間のはずなのに、いざ振り返るとどんなパカップルでもそこまではやらんぞと。

 だが、パルラはそうは思わなかったらしい。よほどショックを受けたのか絶句し酸欠の金魚のように口をパクパクと開き、次いでキュッと横一文字に唇を引き結ぶ。一歩下がって両拳を握り締めてぷるぷると小さく震え、それでも我慢できなかったのか俯いたその口が再び開き、ほとんど聞き取れないほどの声量で言葉を紡いだ。

 

「……ず」

 

 ―――――ず?

 

 意味の掴めない一文字に、思わずオウム返しに聞き返す。次の瞬間きっと顔を上げ、うってかわっての不満たっぷりな大声量が飛んでくる。しかしその内容は、私の悪い想像とはだいぶかけ離れたものだった。

 

「……ずーるーい!いくらじゃんけん勝ったからって、ナサリーだけそんなご褒美は横暴すぎるってば!」

 

 ―――――ご褒美って……大体食べさせ合いだったら、あの時パルラもやったじゃない

 

「そうだけど、そうですけど!今日のデザート、フルーツ盛り合わせでしたよね!マスターの膝の上に乗って素手で食べさせ合いなんて、そんなのやっぱりずるいですって!」

 

 一通り叫んで少し落ち着いたかと思う暇もなく、逃さないとばかりに完全に据わった目つきで見据えられる。やっぱり私の方にも矛先は向いてくるのかと観念すると同時に、へそを曲げたメイドからの言い分が飛んできた。

 

「……じゃあマスター、マスターがナサリーにそんなご褒美を許すんだったら、私にも何かご褒美下さいよ」

 

 ―――――いやだからご褒美って。というかそれは別にいいんだけど……なんの?

 

 思わず素で突っ込んでしまうと、パルラもしまった、という顔になる。ナサリーの時は(そもそもあれが私ではなく彼女への役得になるのかという話は置いておくとしても)たったひとりで私が来るまで待たせてしまい、食べ終わってからも食後の片付けを彼女が全てやってくれるという一応の名目上の理由があった。しかし見るからに手ぶらのパルラはどう見ても寝る前の時間を使って私の部屋へ遊びに来ただけであり、やったことといえば人のベッドの上で人の枕を抱いて座りひたすらにリラックスしていただけである(無論その眩しいまでの距離感の近さは、紛れもなく彼女の魅力なのだが)。

 そして当人にもその自覚はあったのか、そういうところは妙に真面目なパルラは返答に詰まって何か使えそうなネタは無いかと素早く左右を見回し、最終的な苦し紛れに先ほど自分が下りてきたベッドに目を付けた。

 

「わ、私はほら、マスターのベッドを温めておきましたよ?人肌の適温で明日の朝まで快眠間違いなし、です!」

 

 自分でも言っていてさすがにちょっと無理があると思っているのか、ピースサインを添えて浮かべた笑顔もどこかぎこちない。というかそんなにパルラの気配や残り香たっぷりなベッド、潜り込んだところで興奮しきってかえって眠れないような気がするのは気のせいだろうか。

 

「うぅ~……マスターのご褒美、もう一押しなのに……」

 

 ……まあ、いいか。半分涙目になりながら他にこじつけられそうなものはないかと素早く左右に視線を走らせる小動物めいていじらしい姿がとにかく可愛くて、惚れた弱みに絆されたわけではない。ないといったらない。

 

 ―――――いいよ、それで。じゃあ、パルラはどうして欲しいわけ?

 

「え、いいの!?やった、マスター大好き!」

 

 私がそう言うが早いがころりと一転して先ほどまでの涙は引っ込み、花が咲いたような満面の笑顔を見せるパルラ。そんな表情の変化っぷりにもまた見惚れ、この笑顔のためならばまあ大抵のことは聞き入れようと覚悟を固める。

 

「うーん、そうですねえ……ナサリーに大胆さで負けないような……そうだ!じゃあマスター、そこのベッドに寝転がってください!」

 

 ―――――こ、こう?

 

 言われた通り、ベッドの上に寝転がる。まだほのかにパルラの体温が残ったそこは本人の言葉通りにほんのり温かく、あながち苦し紛れの噓というわけでもなかったのかもしれないな、などとも思う。ただそれ以上に彼女の残り香、こちらをとろとろに蕩かすような甘さの濃いナサリーのそれとはまた違い女の子らしい甘さの中に柑橘系のそれを彷彿とさせる爽やかさを含んだパルラ特有の香りがくっきりと色濃く残っており、案の定寝転んでいるだけで私の心拍は上がってきてしばらくは安眠できそうにない。

 ともあれ次はどうするつもりかと横向きになった視界から見守っていると、満足げに頷いたパルラもまたどこか緊張した面持ちでひょい、とベッドの上に飛び乗り、正座の姿勢になって私の頭のある側へとにじり寄る。

 

「じゃあ、失礼しますね?」

 

 その言葉と共に両手を伸ばして私の頭を持ち上げ、すかさずその真下に自分の身体を潜り込ませる。そしてその手をそっと下ろせば、後頭部に感じるのは人肌の体温と心地いい弾力。聞くまでもない問いを、それでもついぶつけてしまう。

 

―――――こ、これって……

 

「ふふーん。マスター限定、パルラちゃん特別膝枕!あ、今ならなんと耳掃除も付けてあげますから、そのまま横を向いてくださいね?」

 

 いつの間にやら手にしていた耳かきを片手に、声の調子から察するにどや顔で大きな胸を大きく張るパルラ。

 というのもこう、至近距離で見上げる格好になって改めて思うけれど。パルラの胸元をぐっと頼もしく盛り上げメイド服の着こなしの関係で北半球も下品にならない程度に、しかし私の目を引いてやまないほどには惜しげもなく露とする双丘は、この屋敷内での相対的にこそ(私が実際に見たことはないので、この辺はあくまで本人談)ラドリーの次に小ぶりと圧倒的に下から数えた方が早く、本人もたまにそれを自虐的な話の種にすることもある(本人が別に気にしていないのは口ぶりや態度からわかるが、だからといって私に振られるとすっごい気まずいからやめてほしい)。あるが、周りを考えずに絶対値で見ればそれが小さいなどとは口が裂けても言えそうにない。こうして彼女が少し胸を張るだけで、膝枕されているこの体勢からだと真上にあるはずの顔がほぼ見えなくなるほどに私の視界を塞ぐ、いかにも柔らかそうにメイド服を押し上げる膨らみが言葉よりもずっと雄弁なその理由だ。

 そもそも成人ドラゴンメイドの例に漏れず抜群のスタイルの持ち主で、しかもその中でも際立ってその長い脚もウエストも細く締まった彼女のことだ。相対値で言えば小さかろうが、カップ数で換算すれば結構なアルファベットになるのではないかと常々疑問に感じていた(そんなものこの女所帯で大っぴらに問えるほど、私の面の皮は厚くないのであくまで感じていただけ)が、こうして思いがけずに得たじっくり眺める機会を瞬きひとつする時間も惜しいと視線だけでメイド服の南半球に穴でも開いてみせるとばかりにガン見し目の前の天国めいた景色を全力で脳内保存するにあたり、やはりそうだろうと内心改めて確信する。まあ思うだけで口には出さないし出せないが。

 それにしてもパルラの……この部分は、なんというか形がすごく綺麗だと思う。このメイド服とその下にあるであろう下着が、どこまで彼女の身体を締め上げているのかは女性の被服事情に全く詳しくない私には知る由もないけれど。ただここからこうして見上げる限りはその半球状の形といい位置関係といい、多分きっと巨の前に美が付くタイプだ。

 

「んー?おーい、聞こえてますかマスター?」

 

 ぺちぺちと頬を撫でるような力で叩きながら、ひょいと前かがみになって自身のふたつのお山越しに私の顔を覗き込むパルラ。そんな小さな動作でまた顔が見えるようになるあたり、実際に他の皆に膝枕してもらった経験はないけれどなるほど(相対的には)小さいというのも一応嘘ではないのだろう。

 とはいえ、これ以上この議題について考えていたら本格的にどうにかなってしまいそうなのもまた事実。パルラからの催促にこれ幸いと曖昧な返事と共にぎこちなく頷いて、視線を引き剝がすようにごろりと身体全体を外に傾け右の耳を彼女側に差し出す。

 

―――――じゃあ、お願いします

 

「お願いされました。じゃあマスター、ちょーっと気持ちいいですけど動かないで下さいね」

 

 そしていざやらせてみると、なるほど自信たっぷりなだけあって確かに上手い。普段からメイド間でこういったことをよくやっているのか、それともこんなことまでメイド業務の一環としてハスキーさん辺りから仕込まれているのだろうか……ギリギリあり得なくもなさそうなのが、答えを聞くのがちょっと怖い。

 実際のところはわからないが壊れ物でも扱うようなその手つきは真剣そのもので無駄口一つ叩かず、しかしスムーズに耳の中を耳かきが動き回る。頬に感じる弾力と体温、そして痛みを感じさせない手際のよい技術。その全てが心地よく、次第に全身が弛緩してくるのが自分でもわかる。そのまま意識をふわりと手放しそうになったところで、上から聞こえてくる声に現実に戻された。

 

「はい、こっち側はおしまいです。じゃあマスター、そのままぐるっと回ってくださーい」

 

 ―――――ああ、交代ね。はーい

 

 左耳を同じ姿勢で耳かきしてもらうなら、当然ここから左右反対側に回り込んで逆から膝枕してもらう必要がある。ほんの一瞬でもこの極上の枕から離れるのはすこぶる惜しいが、まだ残る眠気を振り払うためにも立ち上がろうとしたところで、きょとんとした顔つきの彼女に抑え込まれる。

 

「ん?あれ、どこ行くんですマスター?お花でも摘みたくなっちゃいました?」

 

 ―――――ん?いや違うけど、左側だよね?

 

「ええ、だからほら、こっち側向いてくださいってば」

 

 ―――――んん?

 

 唸りながら私も、この辺りで急速にお互いの想定のすれ違いに気が付いていた。要するにパルラは、この膝枕を続行した状態のまま彼女のお腹側へ向き直ってくれと言っているのだ。確かにそれでも耳の上下は入れ替わるが、それはさすがに大丈夫だろうか、その……色々な、意味で。主に絵面とか(これは膝枕の時点で今更だけど)、私の視界とか。

 なんと言っていいものか逡巡する私にこのままでは埒が明かないと踏んだか、よくわからないですけどちょっと失礼しますね、と声をかけたパルラが、私の肩と背中あたりに手を掛ける。

 

「はーい、じゃあいきますよ?」

 

 ―――――ちょっと待っ……

 

「そーれっ、っと」

 

 かえって気の抜けるような気合の声とともに、しかし成人男性相応の体重はあるはずの私の身体が軽々と回転する。そして極めて残念なことに……いや違う幸いにも、ミニスカートの中に顔を突っ込むようなことにはならず、再び着地した彼女の太ももが私の頭部への衝撃をその張りと弾力で吸収する。

 

「はい、じゃあまた動かないでねマスター」

 

 遠くパルラの声が聞こえるが、私としてはもはやそれどころではなかった。すぐ目の前、手を伸ばすどころか頭を振るだけで当たるほどの至近距離に視界いっぱいに広がる、メイド服越しのパルラのお腹。つまりここから同じく頭を振るだけで届くほど近い範囲で少し上に行けば……だし、少し下に行くとそこには……。

 知らず知らずのうちに呼吸が、わずかに早く深くなる。別に、それで何か変化があったわけではない。ただ密着している分だけ余計に濃度が増したパルラの体臭、というかそのフェロモンに満ちた空気がさらにハイペースで肺いっぱいに広がり……そこまできたところで突然パルラが手を止め、小さく噴き出した。

 

「もう……プッ、マスターってば緊張しすぎ!……フフッ、さっきから全身に力入っちゃってガッチガチじゃないですか……プフッ、ちょっと、そんなにパルラちゃんの耳掃除が不安なんですー?」

 

 よほど堪えていたのかまだ合間合間で何度か笑いそうになりながら、ぺしぺしと私の肩を叩くパルラ。そう言われて初めて、私もいつの間にか全身に力が入り過ぎていたことに気が付いた。

 

 ―――――いやあのそういうわけじゃなくて、そこは、そこは信じて!

 

 ぎこちなく全身の無駄な力を抜きながら、あまり説得力はないなと思いつつも本気で叫ぶ。これはどちらかといえば私の方に問題があり、パルラの側に問題や信用に欠ける点があるわけではない(パルラが魅力的すぎるというのは辛うじて彼女に責任がある、と強弁できなくもないかもしれないが)というのはわかって欲しかったからだ。いや、ならあそこまで力んでいた理由を言ってみろと言われたらそんなもの面と向かって言えるか案件なのだが。

 だが幸いにも、そんな私の必死過ぎる態度はどうやら伝わってくれたらしい。

 

「はいはいマスター、そんなに必死にならなくても大丈夫ですよ。そこで大きな声出されるとお腹もくすぐったいですし、続き、やっちゃいますね」

 

 仕方ないなあ、という響きと満更でもなさそうな気持ちが半々ぐらいに混ざり合った調子の声色で私の頭をよしよしと撫で落ち着かせ、大人しくなったところでまた耳掃除が再開する。さすがに今度ばかりは発情期じみた下心に引っ張られることもなく、ずっと落ち着いた気持ちでいられて……そしてだからこそ、先ほどまでわからなかったものが見えてきた。感じるパルラの息遣いが、わずかに早いことも。その両手が時折かすかに震えて、それを意志の力で抑えているであろうことも。

 そこで、遅まきながらにようやく理解できた。パルラだって、こんな膝枕で耳掃除だなんて恥ずかしいし緊張するに決まっているんだ。いくら距離感の近いメイドで私よりはるかに上位のドラゴンといえど、彼女だってれっきとしたひとりの人格。私の感じていた気恥ずかしさや嬉しさ、幸福感の入り混じった気持ちと同じものを、あるいは下手すればそれ以上のものを、彼女だってずっと感じていたはずだ。

 笑われて初めて私は自分の体に力が入っていることに気が付いたけれど、あそこまでガチガチになっていれば目ざとく気の利くパルラならば本来もっと早くから気が付いて、茶々を入れることで彼女なりにそれをほぐしてくれていてもおかしくなかったのに。そういう器用な真似の出来る彼女があそこまでそれを放置していたという事実そのものが、いかに彼女自身に心の余裕がなかったのかを裏付けていたというのに。私は、それに気づく事すらできなかった。

 

「よ、っと……」

 

 いまだに私の耳に向かって奮闘してくれるパルラ。今からでも、謝罪と感謝を伝えるべきだろうか?一瞬迷って、やめておこうと決める。変にややこしい話だけれど、多分私が彼女の緊張に気付いていないということそのものに、言い換えれば確かに感じているそれを進行形でうまく隠し通せているということに、彼女は幾分か救われているだろう。なら、ここで気が付きましたアピールはかえってメイドの矜持だか女心だかを傷つけかねない。

 結局何も言わずパルラの手と太ももに身を委ねているうちに、終わりの時は訪れた。

 

「……はい、おしまいっ!綺麗になりましたよマスター、もう見惚れちゃうくらいですね」

 

 ―――――耳掃除でぇ?でも、ありがと

 

「いえいえ……ああいや、ならひとつ貸しでお願いしますねっ!お代は、またマスターの手料理でいいですから!」

 

 そしてまたいつも彼女と交わすような、他愛もなく距離の近い軽口。何とはなしにお互い笑いあったところで会話が途切れ、そこでパルラがうーんとひとつ伸びをする。

 

「……さて、と。じゃあ名残惜しいですけど私、そろそろお部屋に帰りますっ!あんまり遅いと、ティルルたちに何してたのかって詰められちゃいますから」

 

 どこまで本気かわからない事をさらりと言って、ひらりベッドから飛び降りその脇に立ててあったいつものブーツに両足を突っ込む。

 

 ―――――じゃあお休み、パルラ

 

 部屋から出ていこうとする後ろ姿に最後に声を掛けると足を止め、くるり振り返って格好よくウインク一つ返し……そのままなぜだか踵を返し、慌てたように戻ってきた。今のは彼女ほどの顔面の強さをもってしても、なおちょっと格好悪い。

 

「はーい……っと、それだけじゃないんですよ実は。パルラちゃんこう見えて、マスターのお部屋にただ遊びに来ただけじゃないのです」

 

 ―――――ないのですか。して、その心は?

 

 あの言い方からして、まあそんなに真面目に聞かなければならないタイプの話ではなさそうだ。合わせてこちらも少しふざけ気味に返すと、パルラの方もすぐさま乗っかってくる。

 

「実はでござるねマスター殿、伝言があるのでござるよ」

 

 そこでスッと、パルラの目つきが変わった。緩い空気は引き締まり、どこか神秘的な気配すら漂わせる。

 

「必ず今夜、チェイムがご主人様に逢いに行くから、もう少し勇気を出せるまで待っていてほしい……って。じゃあ、確かに伝えましたよ」

 

 ―――――チェイムが?

 

「そ。シュテルンさんの羽根を拾ったけど、まだ姿は見たことがない……っていう話、ラティスさんとラドちゃんの前でしたんでしょ?ご飯食べてる最中にあのふたりから本人に話が通って、ティルルもそれを覚えがあるって言いだしたものだから。もう今夜行かないと絶対踏ん切りがつかないからっ……って、だいぶ覚悟決まった眼で言ってましたよ」

 

 ―――――そ、そんなことに……

 

 そんな周りから詰める半強要みたいな手を使うつもりはなかったのに、私も知らないうちになんだか随分と予想外な話の広がり方をしてしまっていたらしい。まさか夕飯に遅れて会話に参加できなかったことが、ここまで大きく響くとは。

 でもそれ以上にチェイムに申し訳ないな、と顔を引きつらせていると、否定する様にパルラが顔の前で手を振る。

 

「いやあ、これは私の個人的な意見ですけど。マスターは全然悪くないですし、むしろいい機会だったと思いますよ?これぐらいの踏ん切りがある方がかえって気楽なものですって……なんならラティスさんも、わかっててわざとあの場で詰めてましたよあれは」

 

―――――そう、かなあ?

 

 疑問の声を出しながらも内心、ラティスなら実際それくらいのことはしかねないと思う。彼女とお茶会したのが昼少し過ぎで、私がシュテルンの話をしたのもその時。そしてそこから、夕飯までの間にチェイムと会う機会が一度もなかったとは考えにくい。逃げられない夕食の時間まで何食わぬ顔で待っておいて、一気に詰める……うん、やっぱりやりかねない。

 

「私は私の全部、ルフトとしての姿もマスターに見てもらえて、やっぱり……嬉しいですから。チェイムさんも本当に嫌なら嫌だって割とはっきり言いますし、それがない時点でOK出てるようなものです」

 

 いつになく真面目かつ殊勝な様子でそう話を締めるパルラの目を見て、大きく頷く。

 

 ―――――ありがとう、パルラ。伝言、確かに聞いたよ。仲間想いで優しい、とっても可愛くて美人なメイドさんの言葉をね

 

「んなっ!?ちょっとマスター、人がせっかく真面目に話してるのに、もう……!ティルルも言ってたけどそういうところですよ、本当に!」

 

 相変わらず攻められるのは弱いらしく、耳まで真っ赤にしながら今度こそ部屋を出ていこうとするパルラ。その背中に、最後に一言声を掛ける。

 

 ―――――パルラ!……こっちも、真面目な話だから真面目に返事したんだけど?

 

「~~っ!もうもう、マスターのバカッ!女たらし!ジゴロ!べーっだ!でも大好きですお休みなさい!」

 

 勢いよく扉を閉めて遠ざかっていく気配をドア越しに見送って、今の我ながら歯の浮くような本音(セリフ)を口に出すためにすっかり火照った頬に手を当てる。あの時パルラがこちらを振り返らなくて、本当に良かったというほかない。でも実際彼女の方も、私がこのタイミングで急におふざけを入れるような柄じゃないのはよく承知しているはずだ。

 まあ、今日はお互い散々に恥ずかしかったんだ。それにかこつけてもうひとつくらい本当のことを言ったって、罰は当たらないだろう。




R15からは外れない範囲でギアを上げていくスタイル。
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