怠惰主義のユースティティア 作:亜宇羅、慈涯死露
アウラが休眠の状態に入ってから丸五日が経った。彼女がゼーリエとの戦闘によって負った傷はすでに治りつつある。しかしながら、蓄積された疲労は未だ解消されていない。ゆえに彼女が目を覚ますのはまだもう少し先のことになる――はずであった。
ううん、とアウラは苦しそうなうめき声を出す。何者かが突如として寝ている彼女の体を強く揺さぶったからである。これはリュグナーら配下たちによる仕業ではない。彼らは彼女からよほどのことがない限りは絶対に起こさないよう厳命されている。起こすにしても、こんな相手が機嫌を損ないかねない起こし方はしない。
「――んああっ! もう、なんなのよっ! 殺されたいのっ!?」
揺さぶりはどんどん力強くなる。我慢できなくなった彼女はついに上体を起こした。険しい目つきで自らの眠りを妨げた人物を探し、そしてその正体を知るやいなや瞠目する。
「……なんであなたがここにいる訳? ソリテール」
「久しぶりね、アウラ。元気そうでよかったわ」
懐かしい同族の姿がそこにはあったのだった。
■
「聞いたわ。随分と派手に暴れたそうじゃない」
額から二本の小さな角を生やした女、ソリテールは紅茶を口に含みながらそう言った。
「珍しいこともあるものね。昔の君は、人類と関わることをいやがっていたはずなのに。ううん、それだけじゃないわ。君は同族とさえもあまり関わろうとはしなかった。でも、今の君には君に忠実な配下が三人もいる。……なにか心境の変化でもあったの?」
「別に。なにもないわよ」
それに対し、アウラはぶっきらぼうにこう返す。
「三人を私の配下にしたのはただの気まぐれで、グラナト領を襲ったのは彼らのガス抜きのため。私は昔からなに一つとして変わってないわ、ソリテール」
「……そう。それを聞いて安心したわ」
「あの、少しよろしいでしょうか? お二人はいったいどのようなご関係で……」
両者の会話に割って入ったのはアウラの背後で控えているリュグナーであった。
彼からすればソリテールのような存在は初めてである。名前こそ耳にしたことはないものの、その身にまとう濃密な魔力は自らの主に劣らず、またこびりついた死臭もすさまじい。まったくの無名なのが信じられないほどの実力者だ。
そんな彼の問いかけに、二人はほぼ同時に答える。
「親友よ。かつては一緒に暮らしていた時期もあったの」
「知人ね。それ以上でも以下でもないわ」
もっとも、その内容は両者で大きく異なっていたが。
「知人? 私たちの関係を表すのにその言葉はとても不適切だと思うわ、アウラ。だって四百年もの間一緒にいたのよ?」
「はあ? 勝手に私の家に住みついていた分際でなにを言っているのよ。本当だったら知人なんて言葉も使いたくないくらいだわ」
「それなら当時どうして私を追い出さなかった訳?」
「追い出すのが面倒だったからに決まってるじゃない」
「へえ、そんなこと言っちゃうんだ。……君に魔法の手ほどきをしたのは誰だったかしら?」
「いちいち横から口出ししてくるのを手ほどきとは言わない」
「なら、私のアドバイスは必要なかったってこと?」
「……。それは……」
口ごもるアウラを見て、ソリテールはにこりと笑みを浮かべた。
「そこですぐに必要なかったって断言できないのが君らしいわ。傲岸不遜に見えて根は真面目、君のそういうところ、私はとても好ましく思っているの」
「っ、あなたのそういう底意地の悪いところ、私は嫌いよ。とにかく――リュグナー! 分かったわね? 私とこいつはただの知人に過ぎないから!」
「はいはい、私と君は知人同士ね。まあ、とりあえずはそういうことにしておきましょうか」
「そういうことにしておくっていうか、実際にそうなのよ!」
それはとても意外な光景だった。
リュグナーが知るアウラとは常日頃から余裕があり、たとえどんな状況であっても感情的になることはまずない。はるか高みから玉座に腰かけつつ、有象無象を冷徹に見下ろしている。彼が彼女に抱いているイメージはだいたいそのようなものであった。
ところが、今の彼女の様子はというと。目をつり上げて、声を荒らげて、明らかに怒りの感情を露わにしていた。それも敵に対してぶつけるような強い殺意のこもったものではなく、どちらかと言えばふざける友人を咎めるかのような、そんなどこか親しみが感じられる態度だ。
「ねえ、知ってる? 人類には、いやよいやよも好きのうち、という言葉があるそうよ?」
「残念だったわね。私は人間じゃなくて魔族よ」
「はあ……。もう、アウラったら。久しぶりの再会なのよ? もっと楽しくお話ししましょうよ」
「なにを話すのよ。というか、あなたが話す内容ってどうせろくでもないことでしょ? こっちはあなたの趣味の悪さを十分に知ってんのよ……」
「それについては君も人のことを言えたものではないと思うわ。首のない兵士だったり、人為的に創り出した魔物だったり。外道なのはお互い様ね」
「外道上等よ。そこまで備えていてもなお死にかけるのが人生なんだから」
「……死にかけたの? 君が? いったいどういうこと?」
「その様子だと詳しい話を聞いている訳じゃなさそうね。まあ、とにかくいろいろとあったのよ。グラナト領を落としたところまではよかったんだけど、そこからが本当に大変で――」
今度は自身が遭遇した出来事について語りだす。それは五日前にリュグナーらが聞かされた内容とほぼ同じものだったが、話し方はやはり明確に異なっていた。やわらかい表情に圧力のない声、自らの主とは思えないほどの気楽さである。そこにいたのは七崩賢のアウラという見慣れた上位の存在ではなく、ただの一魔族に過ぎないアウラだった。
(……紅茶のお代わりが必要か)
飲み物だけでなく、なにかつまめるようなお菓子もあった方がいいかもしれない。
中身が空になったティーポットを持ち、ひっそりとその場を立ち去るリュグナー。彼女たちの談笑はまだまだ長くなりそうだ。
■
久方ぶりの再会を果たしたアウラとソリテール。二人の和やかな談話は日が暮れるまで続いたのだが、そこで中断される運びとなった。突然アウラが手元のカップを床に落としたのだ。
「大丈夫? どうやらまだ本調子じゃないみたいね」
「そんなの当たり前でしょ……。あなたに無理やり起こされたんだから……」
「悪気はなかったわよ。ほら、私の肩につかまって? 部屋まで送ってあげる。……あ、そうだ。ついでに子守歌でも歌ってあげましょうか? 子守歌っていうのはね、人間がなかなか寝つくことができない子どものために歌うもので――」
「耳が腐りそうだからいらない。ドラート、リーニエ!」
ソリテールの冗談を無視してアウラは声を張り上げる。たちどころに彼らはやって来た。現れた二人の配下に、彼女はこの場の掃除とソリテールを客間へ案内することを命ずる。
「それじゃあ私は寝るから。……一応言っておくけど、もうするんじゃないわよ?」
そう釘を刺した後、彼女は自室へと戻っていった。
「ふふっ、まったくあの子ったら……」
「ソリテール様、私がお部屋の方へご案内いたします」
「ええ。お願いするわ」
彼女の配下による案内のもと、ソリテールも用意された客室に向かう。
「すてきな部屋ね。どうもありがとう」
「では、ごゆっくりと」
完全に一人となり、なんとなしにぐるりと部屋を見回せば、そこかしこに飾られているインテリアが目に入った。おそらくはかつてこの部屋を使用していた人間が置いたのだろう。男か、それとも女か。その者はいったいどのような人物だったのか。この配置になにか意味はあるのか。インテリアを調べてみれば少しは分かるかもしれない。好奇心と研究欲がおおいに刺激される。
しかし、結局のところソリテールがそれらに手を伸ばすことはなかった。ゆっくりと近くにある椅子に腰かける。彼女の頭に浮かぶのは、古き友が会話の最中に発したとある言葉だった。
『――私は昔からなに一つとして変わってないわ』
「……自覚がないのね。相変わらず」
そうぽつりと彼女がこぼした言葉は、霞のように宙にとけて消えていく。