怠惰主義のユースティティア 作:亜宇羅、慈涯死露
ついに、その日がやってきた。
「――あっはははは! 魔法が使える、使えるわ!」
大きな笑い声を上げて縦横無尽に空を飛び回るアウラ。現在、彼女の胸中は歓喜に満ちていた。あれから一年が経ち、ようやく自由に魔法を使うことができるようになったためである。
「ふう……。まったく、この日をどれだけ待ち望んだことか。一年間だけとはいえ、できて当然のことができなくなるってこんなにも窮屈だったのね」
気がすむまで飛び回った後、地面に降り立った彼女はそのまま次の魔法を使用する。
「〈服従させる魔法〉」
アウラの左手に天秤が出現し、そこに彼女の魂と対象の魂が乗せられた。彼女が標的としたのはたまたま近くの木に止まっていた小鳥。当然ながら天秤は彼女の方へ傾き、結果その小鳥は決して彼女に逆らえぬ傀儡となった。
「よしよし、いい子ね。それじゃあ川に飛びこんで溺れ死になさい」
それが命令通りに従う姿を見て、アウラは改めて自身の魔法の利便性を実感する。
「アウラ様、お楽しみのところ失礼いたします」
そんな折、彼女に声をかける者がいた。リュグナーである。
「ん? なに?」
「いえ、たいしたことではないのですが、先ほどから空模様があやしく、そろそろ雨が降るのではないかと思いまして」
「……ああ、確かに。なんだか大雨になりそうな雰囲気ね」
いつの間にか空一面が厚くて黒い雲で覆われている。
かくしてアウラたち一行は雨をしのげる場所を探すのだった。
■
ざあざあと激しく降る雨は未だやみそうにない。
出入り口の見張りをドラートとリーニエの二人に任せ、リュグナーは洞窟の奥へ引き返す。中はソリテールの魔法による光球がところどころに設置されているおかげでそれほど暗くない。そのまま道なりに進んでいけば、やがて彼の目の前にひと際明るい空間が現れた。
そこでは道中の物よりもさらに大きな光球が宙に浮かんでおり、その明かりを頼りにソリテールは静かに読書をしている。他方、彼の主であるアウラはというと、そんな彼女の足に頭を置いてすやすやと眠っていたのだった。
「ただいま戻りました。……アウラ様は相変わらずお疲れのようですね」
「あれだけはしゃげばさもありなん、といったところね。この感じだと、なにをされても後数時間は起きないんじゃないかしら?」
そう言ってソリテールは本を脇に置くと、アウラの頭に手を乗せた。
確かにその通りであった。勝手に髪の結び目を解かれても、頬をつままれても、果ては口に指を入れられても、よほど眠りが深いのか彼女はなかなか目覚めそうな素振りを見せない。
(近頃のアウラ様には驚かされてばかりだ……)
面白おかしくいじられている主の様子を横目に、リュグナーは一人考え込む。
ソリテールとの再会を果たして以来、彼女の性格は少し変わったように見える。少なくとも以前までの彼女ならここまで隙をさらすことはなかったはずである。非常時以外では決して自ら動こうとせず、日々を怠惰に過ごすだけだったが、まったく警戒心がないという訳ではなかった。
無論、彼らとソリテールでは付き合いの長さが違う。しかしながら、そういった要素を抜きにしても、そこにはどこか違和感があった。
(いくら旧知の仲とはいえ、これほどまでに他者に身をゆだねることができるものだろうか?)
そんな彼の心中を察したのか、突然ソリテールは自身が知るアウラの像について語り始めた。
「この子はねえ、実はとても
「……臆病? アウラ様が?」
「そう。普段から上位者としてふるまう姿は、あくまでも表面上のものに過ぎない。本当の彼女は私以上に臆病で繊細だ。もっとも当人はその事実に気づいていないけど。……君はアウラの〈魂を知覚する魔法〉という魔法を知ってる? 正確には魔法とは少し異なるのだけれど、要はこの子は魂というひどくあいまいな概念を実体として捉えることができるの。ちなみに〈服従させる魔法〉と〈公正な法を布く魔法〉の下地となったのもこの魔法よ」
「いえ、初耳です。なるほど、アウラ様にそのような魔法が……。しかし、それとアウラ様が臆病であるということに、いったいどういったつながりが?」
「……アウラが言うには、死んだ人間の魂は北の方へ飛んでいくそうよ。一方で死んだ魔族の魂はというと、その場で
消失、とリュグナーはその単語を繰り返した。
正直なところ、いまひとつぴんとこない表現だ。
「消失する、と言われてもよく分からないでしょう? 私にもその感覚がどういったものなのかは分からない。でも、彼女はそれを分かってる」
魔族は死を恐れるが、それは本能によるものだ。具体的な理屈など分からない。アウラだけがその理屈を、プロセスを真に理解している。ゆえに他の誰よりも特に死を恐れている。
「だからこそアウラは無意識のうちに誰かをそばに置きたがるの。信用できる者ならなおさらに。そうじゃなかったら、どうしてあなたたちを自らの配下になんてする必要があるの? この子には〈服従させる魔法〉があるのよ? 身の回りの世話をさせるだけなら、それこそ適当な人間に魔法をかければ事足りるわ」
その鋭い指摘に、リュグナーははっとさせられた。
思い返せば彼女が〈服従させる魔法〉を人間に対して使用するのは、もっぱら彼らを兵士にする時だけであった。
「こうして頻繫に睡眠を取るのも、おそらくは常日頃から感じている不安やストレスを少しでも軽減するためだ。この子にとっては、ともすれば夢の中にいる時が一番安らげるのかもしれない」
最後にそう締めくくると、ソリテールは再び読書に戻った。
閑静な洞窟内に雨の音だけが響き渡る。ざあざあと天から激しく降りそそぐそれは、やはり依然としてやみそうにない。
■
「不合格だ」
赴いてきたフリーレンに対し、ゼーリエは開口一番そう告げた。
「そう」
「……それだけか? 相変わらずつまらんやつだ。お前のような魔法使いがなぜ魔王を倒すことができたのか、私には分からん」
「私一人の力じゃないよ。ヒンメルにアイゼン、そしてハイター……いい仲間に恵まれたからこそ達成することができたんだ」
「そうか。運がよかったな」
早く帰れと言わんばかりにしっしっと手を振るゼーリエ。
それを受けて部屋を出ようとしたフリーレンだったが、その時ふと気づいた。よくよく見れば、彼女の手の指が二つほど欠けている。
「ゼーリエ、それ、どうしたの?」
「ん? ああ、これか……。これは七崩賢、懈怠のアウラと戦った際に負った手傷だ」
「アウラと? まさか倒したの?」
「いや、軍勢こそ壊滅させたものの、肝心のやつ自体は逃がしてしまってな。……やつの術中にはまったのが原因だ。認めたくはないが、あれは私の落ち度だった。その時の失態を忘れぬよう、この傷は自身への戒めとしてあえて残している、という訳だ」
なんてことはないといった口調で語っているが、アウラが率いていた軍勢の総数は、確か数万は下らなかったはずである。それらをすべて滅ぼしたとは。さすがは神話の時代の大魔法使い、全知全能の女神に最も近いと人々から謳われるだけのことはある。
しかし、そんな彼女でもアウラ本人を倒すことはかなわなかったらしい。はっきり手こずったと断言するくらいなのだから、やはりアウラは七崩賢の中でも別格の存在なのだろう。
「次は絶対に逃がさん。必ず殺す。あいつは魔族の中でも極めて危険な存在だ。捨て置けん」
とはいえ、それは一度目だったからだ。手札が完全に割れた以上、二度目はない。もしまた再び戦う機会があれば、次は間違いなくゼーリエが勝つ。
「それじゃあ私はそろそろ戻るね」
彼女が対処するつもりなら自分がでしゃばる必要はないか。そんなことを思いつつフリーレンはこの場から立ち去ろうとする。
「――待て、フリーレン」
が、なぜかゼーリエがそれを止めた。
「お前、今なにを考えた?」
「え? 別になにも考えてないけど」
「私の目はごまかせんぞ。いいから正直に話せ」
「……軍勢を持たないアウラなら私でも勝てるかも、って考えた。一瞬だけね。でも、すぐに諦めたよ。絶対に勝てるとは言い切れないし、私よりもゼーリエが戦った方が確実だから」
「ほう、なるほどな……」
フリーレンの話を聞いたゼーリエは笑みを浮かべる。それからこのように続けたのだった。
「ならば、七崩賢のアウラの討伐はお前に任せよう」
「……急になにを言い出すの? 私だと確実性に欠けるって今――」
「元々誰かに任せるつもりではあったのだ。私が直接向かうと、戦う前にやつに逃げられてしまうだろうからな。戦えば勝てるが、そもそも戦い自体が成立しない。その点、過去に二度もやつから見逃され、完全に見下されているお前なら、やつは嬉々として戦いに応じるだろう」
「……」
「なんだ、私の直感を疑うのか?」
「いや、そういう訳じゃないけど……」
不意に彼女の手元に一冊の魔導書が出現する。それは〈
「フリーレン、これは特権ではなく因果だ。あいつを倒すつもりなら、私の分ももっていけ」
少しだけ躊躇したものの、最終的にフリーレンはその魔導書を受け取った。ぱらぱらとページをめくって軽く中身を確認する。そして、驚いた。彼女はその魔法を、厳密にはその魔法の
「……ゼーリエ、本当にこれが、こんな魔法がアウラに通用すると思ってるの?」
「もちろん。そうでなければわざわざお前に渡さん。まあ、せいぜいうまく使えよ」
左手の欠損を治すと、ゼーリエはくるりと背を向けた。話は終わりのようだ。
今度こそフリーレンもこの場を後にする。魔導書を抱える腕に自然と力が入った。そう遠くないうちに訪れるであろう宿敵との決戦の時を、彼女はひしひしと感じていたのだった。