怠惰主義のユースティティア 作:亜宇羅、慈涯死露
フェルン、よくやった。フリーレンは心の中でそう称賛する。
アウラを殺すという最良の結果こそ得られなかったものの、それでも右腕を吹き飛ばすことはできた。これで彼女は奥の手である〈公正な法を布く魔法〉を使えない。
作戦は概ね成功と言っていいだろう。狙撃の役割をフェルンに任せて正解だった。彼女なら必ずやってくれると心から信じていた。
「フリーレン、今の魔法は、もしかしてあの子が?」
「そうだよハイター、フェルンの魔法だ」
「ふふ、やはりそうでしたか……。なんとも嬉しいものですね、子の成長を知れるというのは」
一方、未だ現状を理解できていないのか、アウラはただその場で立ち尽くしていた。腕の流血を止めようともしない。彼女は無表情でここではないどこかを見ている。
(
見事大役を果たしてみせたフェルン。であるならば、次は自分の番だろう。
「さて、二人もそろそろ還るべき場所に還らないとね」
かつての仲間たちに杖先を向け、そこに魔力を収束させる。
それを受けてヒンメルとハイターは大きく頷き、そして最後にこう告げた。
「ああ。フリーレン、撃て」
「また後ほど、今度はしかるべき場所で会いましょう」
こうして二人の魂は魂の眠る地へと戻っていったのだった。
■
最初は分からなかった。戦いの最中、なぜこの女はとっさに杖先をあらぬ方向へと向けたのか。その真意を理解することができたのは、事が終わった後だった。
「――ふざけてんじゃねえぞ!」
罵声を浴びせるドラート。今、彼の頭は激しい怒りによって支配されていた。
「この卑怯者が! お前っ、それでも魔法使いか!」
魔族にとって魔法とは誇りそのものである。ゆえに彼らはそれを汚すようなまねは絶対にせず、また魔法使い同士の戦いにおいても堂々とした姿勢を貫く。
だからこそ、フェルンの取った行動が許せなかった。
自身が敗北した後にそれを行うというのならまだ分かる。仲間への加勢は魔族にとっても珍しい文化ではない。だが、こちらでの決着がまだついていないにも関わらず、他所で戦っているアウラ様に横槍を入れるなど!
「卑怯? どこがですか?」
もっとも、それはあくまで魔族の理屈。当然人類には通用しない。
「これは遊びじゃありません。戦いです。負けが死に直結するんです。手段なんて選んではいられませんよ」
そう言ってフェルンは〈魔族を殺す魔法〉を放つ。すぐさまドラートは甲冑を盾にして防ごうとしたが、それは間に合わなかった。魔法が彼の頬をかすめる。その速度は、先ほどまでと比ベ物にならないくらいに速い。
それもそのはず、目的を達した以上、彼女はもはやアウラを気にかける必要がなくなったのだ。つまるところ、ここからが彼女の真骨頂である。
(なんだよこれ!? くそっ、こいつ、今まで本気じゃなかったのかよ……!)
師にも認められた早撃ちの才能、その真価を遺憾なく発揮し、フェルンは着実に相手を追いつめていく。攻撃する暇など与えない。このまま手数で押し潰す。
暴風雨がごとき苛烈な攻めに、ドラートは己の負けを予感する。けれどもここで終わる訳にはいかない。自分が失態を演じたせいで形勢が逆転してしまった。このままでは役立たずの烙印を押されてしまう。なんとしてでも挽回しなくては。
「いい気になるなよ、人間! お前にこの守りが破れるか!?」
ドラートは切り札を切った。操っていた八体の甲冑、そのすべてを自らの周囲に集め、一片の隙間もないよう覆う。言うなればそれは絶対防御、水一滴通さない堅牢な壁である。
「なるほど、確かにこれだと攻撃が通らない――ように見えますね」
しかし、相手が悪かった。
「完全な守護を構築したつもりなのでしょう。ですが、そもそも
彼女の杖から放たれた魔法が空中で無数に分裂し、そしてそれぞれが甲冑のわずかな隙間を通り抜け、中に隠れていたドラートの全身に突き刺さる。致命傷だ。
「ば、ばかな……。たかが人間に、ここまで魔法を細分化できるはずが……」
「ありがとうございます、私を侮ってくれて。おかげで楽に勝つことができました」
奇術のドラート対一級魔法使いフェルン、その戦いは後者に軍配が上がったのだった。
「――なめるなよ、この俺を……」
「っ、まさか、まだ息が……!」
いや、まだ終わっていない。そう気づいた時には遅かった。いつの間にか一本の糸が自身の両手と杖を切断していた。
「へっ……ざまあみやがれ……」
その言葉を最後にドラートの体は塵となる。
痛みと悔しさで顔をゆがめるフェルン。私としたことが、しくじった。残心を忘れていなければこんなことにはならなかったのに。
「くっ……これではフリーレン様の助けに向かうことができませんね……。いたし方ありません、ひとまずはシュタルク様やザイン様との合流を目指しましょう」
なんとか止血を施すと、彼女はその場を後にした。
■
同僚のミスがとんでもない危機を招いてしまった。
リーニエは魔力を読み取ることが得意である。そのためいの一番に事態の全容を把握することができた。焦燥感に駆られた彼女はすぐさま自らの主の元へ馳せ参じようとする。
「――おっと、どこへ行くつもりだ?」
しかし、そんな彼女の前に一人の偉丈夫が立ち塞がった。
「臆病風にでも吹かれたか? まだ俺との決着はついてないぞ?」
「ちっ……。そこをどけ! 私の邪魔をするな!」
乱暴に切りかかるリーニエ、対するシュタルクは冷静にそれを己の得物で受け止める。
彼は魔法使いではない、そのためなにが起きたのかは分からない。だが相手のこの焦りよう、おそらくはよほど不都合な出来事があったのだろうと推測できる。それはつまり、こちら側の作戦が成功したということ。
(さすがはフェルンだ、俺も負けてられねえ……!)
自然と士気が高まる。力がみなぎってくる。今ならどんな突飛な動きも見切れる自信がある。
一方の不定、彼女の調子は依然として悪いままだ。明らかに技に冴えがない。戦いに集中できていないことの証左である。
暫時の打ち合いの末、リーニエは彼から大きく距離を取った。このままでは勝てない、なにか一計を案じなければ。剣を消し、新たな武器を生成する。それは斧だった。
一瞬だけ怪訝な顔になるシュタルク、が、すぐに気持ちを切り替える。これはただの揺さぶり、こちらの動揺を誘っているだけ。自らの技を模倣されようと問題はない。むしろ見知ったものなだけあって対応は容易と言える。
「――せいっ!」
今度の打ち合いも彼が制した。至極あっさりとリーニエの手から斧を吹き飛ばす。同じ武器に同じ技、されどそこに積み重なったものはまるで違う。当然の帰結だった。
「俺の技を俺にぶつけても意味ねえよ。さあ、次はどんな手で――っ!」
この日初めてシュタルクは驚愕を露わにする。
なんと敵がいきなり無手で突っ込んできたのだ。
(捨て身!? ……いや、違う! まさかこいつ、
彼が振り下ろした斧を、リーニエは刃の側面に手をそえることで受け流した。その動作はまさに達人。そのまま一気に間合いを詰め、貫手を彼の右目にくらわせる。
あまりの痛さに思わず斧を放してしまうシュタルク。彼女はそこからさらに彼の右腕に飛びつくと、全体重をかけて肩の関節を破壊した。
優勢な状況から一転して劣勢に。しかしながら、そこで諦めるような男ではない。とっさに彼は無事な左手で彼女の左足首をつかんだ。お返しとばかりに渾身の力でそれを握り潰す。
「逃がしはしねえぞ……!」
「うぐっ……! 人間風情が、調子に乗りやがって……!」
リーニエは空中に身を投げ出し、それから体全体を思い切り回転させた。足がちぎれると分かったうえでの行動である。彼から離れるためにはこうするより他なかった。激痛で気絶しそうになったものの、舌を噛むことで強引に防ぐ。
よろよろと後退するリーニエ、シュタルクもまた息を荒げつつ斧を拾い上げる。双方ともにぼろぼろ、終わりの時は確実に近づいていた。
(私が片足、向こうは片目と片腕)
(損失はとんとんと言ったところか)
(どう殺せばいいんだろう。これだけ力に差があると、おそらく刃は通らない。絞殺、も厳しい。となると、ねらうは――)
(目、だな。間違いなくやつはそこをねらってくるはず。それなら――)
(考えられるのはカウンター。多分、私の攻撃に合わせてくる。なら、それが間に合わないほどのスピードで彼の眼球を頭ごと貫く)
集中力を高めていく二人。武器を構え、全身に力をこめ、そして――ついに勝敗が決する。
機動力を欠いた状態とは思えないほどの速度で放たれたレイピアによる刺突、シュタルクはそれをまぶたの筋力で、脳へと侵入するぎりぎり手前で止めたのだ。
「そ、そんな……。あ、ありえ――」
「あばよ」
無防備になったリーニエに致命的な一撃が振るわれる。
「あ、ああ、ああああっ! ……ごめんなさい。許してください。改心します。助けてください。お父さん。お母さん。いやだ。死にたくない。わざとじゃなかったの。私はただあなたたちと仲よくなりたかっただけ――」
死の間際、半身を失った彼女は壊れたように助命嘆願の言葉を吐き出し続け――
「アウラ、様……」
塵となって消えていった。
「動きをまねるのは得意でも、命乞いのまねは苦手だったらしい。……さて、俺もそろそろ行くとするか。目が見えねえのは不便だけど、まあ、なんとかなるだろ」
いくつかの負傷と引き換えに勝利を手にしたシュタルク。
武器の柄を杖代わりに彼は先を進むのだった。
■
時間を稼ぐだけでよかった、本来ならば。
「勝敗の鍵を握っているのはアウラ様だ。彼女がフリーレンを倒せば、その瞬間こちら側の勝利が確定する。ところが、実に困ったことに――」
我々の中に一人無能がまぎれ込んでしまっていた。
「……なにが言いたい?」
「分からないか? もはや加減はできないということだ。私はなんとしてでもこの手でお前を殺さなければならない」
「おいおい、今さらすぎるだろ。あれだけ即死の攻撃を連発しておいて」
そう軽く返しながらもザインは内心警戒を強める。
病血のリュグナー、どうやら彼にはまだ上の段階があるらしい。ただでさえ危険な魔法を扱っている男だ。足をすくわれないよう十分に注意を払わなくては。
「ではいくぞ、人間よ。私の全力を見せてやろう」
リュグナーは再び凝固させた血液で切りかかった。魔法の槍で対抗するザイン。今のところ特に変わりはない。先ほどまでとまったく同じ光景が繰り返されている。
(それが逆に不気味だな。やれやれ、敵さんはいったいなにを企んで――っ、これは!)
打ち合いの最中、彼はその変化に気づいた。
いつの間にか自身の体内に大量の毒が蓄積している。
(俺はまだ一度もやつの攻撃をくらってないぞ!? どうやって!? いや、そんなことより早く解毒の魔法を――)
動揺によって生まれた意識の空白、リュグナーはその隙を見逃さなかった。血の鎌をザインの腹部へと突き刺す。それから駄目押しにさらに自らの血液を送り込む。
「ぐわああああっ!」
「残念だったな、私は己の血を
彼の口から魔法の種が明かされる。しかし、そんなことを気にしている余裕はない。まるで体の内側から炎で焼かれているかのようだ。全身が痛い。苦しい。つらい。一刻も早くこの痛みから逃れたい。解放されたい。楽になりたい。
「――がはっ……」
やがてザインは事切れる。なんとも呆気ない最期であった。
「ふむ、死んだか。一応念には念を入れておくとしよう」
死体の脈拍と瞳孔を確認するリュグナー。
そのまま首を切り離し、続けて心臓と脳を破壊する。
「……思ったよりも消耗してしまったな。とはいえ、休んでいる暇はない。アウラ様の右腕を再構築することができるのは、現状私の魔法だけだ。〈公正な法を布く魔法〉さえあれば、少なくとも我々が負けることはない。まったく人間どもめ、取るに足りぬ分際で随分と手間をかけさせてくれる……。アウラ様もアウラ様だ、あの時私の進言通りフリーレンを始末していればこのようなことにはならなかったものを……」
そう独りごちた後、彼はその場から立ち去ろうと背を向けた。
「――悪いな。俺の勝ちだ」
「ぐっ……がっ……!」
なんだ、これは。なぜ私の胸から槍が生えている? ……まさか背後から刺されたのか? 誰がそんなことを――リュグナーはなんとか後ろを振り返り、そして驚愕する。
一瞬、己の正気を疑った。なぜならそこにいたのは
「くそっ……出血が止まらん……。ここまでか……」
どさりと壁を背に座り込む。なにが起きたのか未だに分からない。ただ、自分は心臓を貫かれてしまった。もう決して助からない。このままゆっくりと死を待つしかない。
「ふう……。あー、疲れた。こんなに疲れたのは久しぶりだ」
「……なぜだ? なぜお前は生きている?」
「ん? ああ、あらかじめ仕込んでおいた魔法が発動したからだな。効果は
だからできれば使いたくはなかった。口にたばこをくわえつつ彼はそう言った。
一説によれば、女神には時間を超越する力があるらしい。その叡智の一端を不完全ながらも再現してみせたということは、やはりこの僧侶は――
(ふっ、難儀なものだ……。私の前にはいつも天才と呼ばれる者が立ちはだかる……)
「我ら魔族に栄光あれ……」
それが最期の言葉だった。塵となって消えていくリュグナー、そんな彼の結末をザインは静かに見届ける。
組織のナンバーツーという肩書きに恥じない強敵であった。なにかが違えば、もしかしたらこの勝敗もひっくり返っていたかもしれない。
「それにしても、治療役の俺が完全にガス欠なのはちとまずいな……。ここは体を休めて少しでも魔力を回復しておかねえと……」
■
「……。フリーレン」
ようやくアウラが口を開く。地の底から響くような声だった。
「あなた、殺したわね、ソリテールを」
あの幻影は姿こそ偽りだった。しかし、
それが意味するところは、つまり――
「最初に言ったはずだ、
「……」
それを聞いて再び黙り込むアウラ。相変わらず彼女は無表情だ。なにを考えているのかまったく読めない。だが奥義を封じられ、そのうえ配下たち全員をも失った今、この状況を覆すのはいくら七崩賢最強といえど不可能なはずである。
ついに、ついにこの時が来た。表面上はいつも通り冷静にふるまっているフリーレンだが、内心では昂る気持ちを抑えきれていなかった。やっとこの悪党に報いを味わわせてやることができる。これまでお前が殺めてきた多くの人間たち、その恨みつらみを思い知るがいい!
「――〈服従させる魔法〉」
ゆえにワンテンポ遅れてしまった。
それはアウラの十八番、ともすればどんな不利も一発で逆転しかねない破格の手段。そんな魔法の発動を彼女は許してしまったのだ。
(っ、しまった……!)
慌てて〈魔族を殺す魔法〉を撃とうとしたが間に合わなかった。
すでに自身の魂は天秤に乗せられている。この審判から逃れることはかなわない。考えうる限り最悪の事態だ。深い絶望の中、彼女はただ地獄の沙汰を待つしかなく――
ところが、天秤は均衡を保ったままであった。
「……え?」
呆気にとられるフリーレン。
次の瞬間、彼女の腹にアウラの右足が突き刺さった。