怠惰主義のユースティティア 作:亜宇羅、慈涯死露
「――フェルン、今なんて?」
その少女、フェルンは驚きを隠せなかった。まだ話の最中だったにも関わらず、突如として自らの師がそれを遮るという機敏さを見せたからである。彼女、フリーレンとはもう八年の付き合いになるが、これほどまでに剣呑さを帯びた表情は今まで一度も見たことがなかった。
フェルンの隣にいた青年、シュタルクもまた彼女同様にフリーレンの異変を感じ取っていた。最近新たに加わったばかりの仲間である彼はまだフリーレンのことをそこまで知らないが、戦闘時以外の彼女が非常にのんきであることは知っている。
「急にどうしたんだよ?」
「いいから。今、誰がこのグラナト領を攻めてきたって言ったの?」
「えっと、ですから、今から二十八年ほど前に七崩賢の一人である懈怠のアウラが――」
「ありがとう。もういいよ」
「え? でも、まだ話の途中なのですが……」
明らかにフリーレンは様子がおかしかった。フェルンの話もまともに聞かず、ぶつぶつとなにかをつぶやきながら一心に考えこんでいる。
「フェルン、シュタルク」
やがて、彼女は二人に向き直るとこう言った。
「二人とも、今すぐ荷物をまとめてこの街から出るんだ」
「はあ? なに言ってんだよ。俺たち、今日ここに着いたばかりだぞ?」
「そうですよ、フリーレン様。それに街を出るといってもフリーレン様を置いてはいけませんし、なにより魔族がまだ……」
「私のことは放っておいてくれていいよ。隙を見て脱獄するから。後、あの魔族たちには絶対に関わっちゃだめだ。とにかく今はこの街から出ることだけを考えて」
彼らがなにを言おうと、フリーレンはこの街から出ろの一点張りである。
「お願い、二人とも。私の言うことに従って。万が一にも二人になにかあったら、私はハイターとアイゼンに顔向けできなくなる」
「フリーレン……」
「……分かりました。私たちはこれからここを出る準備をしてきます。フリーレン様、落ち着いたら、ちゃんとすべてを話してくださいね?」
彼女の言葉は理解しがたいものだったが、ハイターとアイゼンの名前を出されてしまったからには、二人としてもさすがに引き下がらざるを得なかった。
彼らが去った後、フリーレンは再び思考の海に沈む。
「七崩賢、懈怠のアウラか……」
彼女はアウラのことを知っていた。魔王の討伐を目的としてヒンメルたちと旅をしていた折に、一度だけ戦ったことがあるからだ。今からだいたい八十年くらい前のことである。当時のグラナト伯爵――現在の伯爵の祖父にあたる人物――から依頼を受けた彼らは、そこの軍と協力してアウラと戦うことになり、そして――
「まさか怠惰なあいつが自分から表立って動いていたなんて。ただの一時の気まぐれなのか、それとも野心でも芽生えたのか……。いずれにせよ、ここはもう終わりだね」
目をつむれば、まるで昨日のことのように鮮明に脳裏に思い出せる。できることなら記憶から消し去ってしまいたい。それほどまでに忌々しい。
それは、勇者一行が初めて味わった絶望という名の感情だった。
■
「お待たせいたしました、アウラ様。ようやくすべての準備が整いました」
ゆったりと椅子に腰かけた状態のアウラ。そんな彼女の前に、三人の魔族がひざまずいていた。ドラート、リーニエ、そしてリュグナー。彼女からグラナト領を落とすように命じられた彼らは、その成果を報告するためにこうして彼女の元へ戻ってきたのだった。
「それって和睦が成立したってこと?」
「いえ、そこまでは。ですが、グラナト伯爵は休戦協定なら結んでもよいと。そのためにアウラ様と直接お会いしたいそうです」
「私と直接会いたい、か。確かにそれならグラナト領はもう落ちたも同然ね。リュグナー、よくやったわ。それからドラートとリーニエも」
主からの労いの言葉を受けて、彼らは深々と頭を下げる。
「まったく愚かな男です、アウラ様の
「懸念すべき点? なによそれは?」
「……とあるエルフの存在です。その名はフリーレン、魔王様を倒した勇者一行の一人にして葬送の異名をもつ、我々にとっては最大の宿敵でございます」
苦々しい表情を浮かべながらそう口にするリュグナー。彼には、昔フリーレンと戦った末に命からがら逃げだしたという屈辱的な過去がある。
「フリーレン、フリーレン……ああ、あの魔法使いのことね。なぜだか知らないけど、
「場合によっては、私たちの障害になるのではないかと。かつての仲間たちがいなくとも、やつが魔族の脅威であることに変わりは――」
「ふふふっ、あっはははははは!」
脈絡もなく、突然アウラは腹を抱えて笑い出した。
「リュグナー、あなた、面白いことを言うのねえ。あんなやつ、別に脅威でもなんでもないわよ。いくらなんでも警戒しすぎ」
「は、はあ……。しかし、アウラ様は過去にやつらと戦って撤退を余儀なくされたご経験が……」
「ああ、そういえばあなたたちが私の配下になったのは、その戦いが終わってからのことだったわね。それなら知らないのも無理ないか。……いいわ。ちょうどいい機会だし、当時のことについて話してあげる。あれは今から……確か八十年くらい前だったかしら?」
その記憶を思い出すためには、少し脳内を掘り返さなければならない。
八十年前、グラナト領付近で起こった勇者一行との戦い。それは、彼女にとっては別段たいしたことのないものであった。