怠惰主義のユースティティア   作:亜宇羅、慈涯死露

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『開幕』

 七崩賢、懈怠のアウラ。今でこそ大魔族として知られるようになった彼女だが、なにも最初からそうだった訳ではない。生まれたばかりの頃は当然貧弱であった。身に秘める魔力は少なく、魔法もうまく扱えない。魔族社会は魔力の大きさが完全にものをいう世界だ。魔力の少ない弱者は強者に従うしかなく、アウラとてそれは例外ではなかった。

 ただ、彼女がよく上の者たちから利用されていたのには他にも理由があった。とある特殊な能力をその身に宿していたためである。なんと彼女は生まれつき()()()()()()()()ができたのだ。

 一般的な考え方として、魂とは概念にあたる存在だ。それは生物なら誰しもが必ずもっているものだが、そのことをはっきりと自覚できる者はいない。多分自身の中にあるのだろうと、そんな漠然とした感じでしか捉えることができない。しかし、彼女は違った。彼女だけは唯一その魂というひどくあいまいな概念を確かな実体として捉えられたのである。

 これがいったいなにを意味するのか。魂とは生物の根幹、それを知覚することができるということは――便宜上、アウラはこれを〈魂を知覚する魔法(アウンゼーラ)〉と呼んでいる――すなわちありとあらゆるごまかしが彼女にとって無意味であることを意味する。隠れても無駄、うそをついても無駄、五感を欺いても無駄。アウラの目には真実しか映らないのだ。

 さて、そんな特異な体質をもつ彼女のことを上が放置するはずもなく。当時は魔王からエルフをみな殺しにしろという命令が下っていたこともあって、彼女はその捜索のためにいいように使われていたのであった。

 

「ふざけんじゃないわよ。なんで私がそんなことをしなくちゃいけない訳?」

 

 怠惰を好むアウラはこの扱いに憤りを隠せなかった。自分はただ毎日を自由気ままに過ごしたいだけだ。それなのに周囲から馬車馬のごとくこき使われている。

 とはいえ、彼らに対して逆らえないのもまた事実である。結局のところ、魔族の世界では魔力の大きい者こそが偉いのだから。

 若輩の己が先達にかなわないのは必然、ここは地道に鍛錬を積んで少しずつ魔力を増やしていくしかない――と、典型的な魔族ならそのように考えたことであろう。ところが、アウラは違った。典型的な魔族でない変わり者の彼女は次のように考えたのだった。魔力を増やすことは大事だが、そもそも同族と接しないようにすればいいのではないかと。後に人間たちに対しても抱くことになる考えを、当時の彼女は魔族たちへ向けていたのである。

 そのためにまず彼女は自身の魔力の抑制に着手し始めた。制限、ではなく、抑制、である。要は魔力を一切表に出さないということ。これ自体の技術は別にそう難しいことではないが、長い時間継続するとなるとかなり大変である。少しでも集中が切れれば途端に漏れ出るし、特に無意識の状態になる睡眠時などはなおさらだ。

 アウラはこれを常時維持できるようになるまで努力するつもりであった。勤勉とは無縁と思われがちな彼女だが、実際はより快適な怠惰のためならいかなる労力も惜しまない。矛盾したあり方ではあるものの、それこそが彼女の本質だった。

 

「ふう……。これでやっと静かに暮らせるわね」

 

 そして苦節五十年、ようやくアウラはスタートラインに立った。彼女の目的はただ一つ、日々をだらだらと平穏に過ごしたいだけ。そのための土台が完成した。

 魔力を常時完全に隠せるようになった彼女は、もはや魔族には決して見つけられない。彼らからすれば本来魔力とは誇示してしかるべきもの、単純にアウラが異常なのだ。目的のためならどんな型破りなこともできるアウラが。

 それから今に至る。千年以上経った現在も彼女はまったく変わっていない。努力を重ねながら、それと同時に怠けることも両立させるというなんとも奇妙な生き方を送っている。

 その性格上、彼女が本気を出したことはこれまで一度もない。これから先もないだろうと当人は思っていた。今日この日、この瞬間が訪れるまでは――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ドラート、リーニエ」

 

 自分たちの前に、どこからか突如として現れた謎のエルフ。自らをゼーリエと名乗ったその女に対するリュグナーの動きは早かった。すぐさま己の手首をかみ切り得物を形成した彼は、そのまま二人を率いて彼女に攻撃を加えようとする。

 

「やめなさい」

 

 ところが、その行動は他ならぬ主によって止められてしまった。

 

「あなたたちがかなうような相手じゃないわ。ここは引きなさい」

「アウラ様、しかし――」

「聞こえなかったの? 引けと言ったのよ、私は。戦いが終わるまではここから十分離れた場所で待機していなさい。これは命令よ」

 

 かしこまりました。そう言ってリュグナーたちはこの場を去った。後に残されたのは一人の魔族と、一人のエルフだけである。

 

「涙ぐましいな。まさかお前たち魔族に仲間を思いやるなどという情があったとは」

「別にそんなたいそうなものじゃないけれど。まあ、いなくなるとちょっとは困るかしら? 結構便利なのよ、あの三人。それよりもよかったの? 彼らを逃がしちゃって」

「問題ない。あの程度ならいつでも殺せるからな」

「いつでも殺せる、ねえ……。んー、なるほど、神話の時代から生きてきたっていう話もどうやらうそではなさそうね」

 

 この時すでに〈魂を知覚する魔法〉を発動していたアウラは、ゼーリエのその言葉が大言ではないと看破していた。この状態の彼女はことごとくの真実を見抜く。それはあの強力な精神魔法の使い手である七崩賢、奇跡のグラオザームですら欺くことができなかったほどである。

 

「なにそのばかみたいな魔力量は。制限してそれ? というか、そこまできたらもう制限する必要なんてないでしょうに」

「……ほう? なぜ分かった?」

「さあ? なんとなくってやつかしら」

「そうか、そうか。……面白い。実に面白い。さすがは七崩賢といったところか。そこらの凡百の魔族とはまるで違う。ああ、これはなかなかに楽しめそうだ」

 

 顔に笑みを浮かべながらじわじわと戦意を昂らせるゼーリエ。

 それを見て一つ大きなため息をつくと、アウラもまた体にぐっと力を入れたのだった。いつもの調子で戦えば、おそらく自分はあっけなく殺されてしまうだろう。それは予感ではなく確信。この窮地を脱するには、己の真の実力を発揮するより他ない。つまるところ、彼女は初めて本気というものを出すことを決めたのだ。

 

「戦前の口上って訳じゃないけど、一応名乗っておくわね」

 

 左手に出現した天秤、それに呼応するかのようにわらわらと、彼女の周囲に服従させられし者たちが次々と集まる。首のない死者の兵が、不気味な魔物が。意思をもたないはずの彼らは、しかし秩序正しく並んだ列を作っていく。

 

「私はアウラ、七崩賢のアウラ。平穏な暮らしだけを望む、千年以上を生きる大魔族よ」

 

 グラナト領跡地にて、今ここに史上最大の戦いが幕を開こうとしていた。

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