怠惰主義のユースティティア 作:亜宇羅、慈涯死露
(……なんだ、これは? こいつはいったいなにをした?)
ゼーリエは驚愕した。突如として自身の体が動かなくなってしまったからである。脳内で思考はできるが、それ以外のことはなに一つとしてできない。
彼女はアウラが奥義を発動するよりも先に〈
さて、この呪い返しの魔法、一見魔族に対して無敵かと思われるが、実はそうではない。呪いと認識したものをはね返すということは、裏を返せば
(……なるほど。どうやら私は一手読み違えた訳か)
呪いではなかったのだ。アウラが切り札とする魔法は。
「気分はどうかしら? 大魔法使いゼーリエ。ああ、一応言っておくけれど、お仲間からの助けは期待しない方がいいわよ? 彼らもまたあなたと同じように私の魔法の支配下にあるわ」
右手に剣を、そして左手に天秤を持つ彼女は、さらっと衝撃的な一言を言い放つ。
(私の弟子たちも私と同じ目に? ……それならなぜこいつはぺらぺらとしゃべっている? なぜ私を殺そうとしない? 単に余裕を見せつけたいだけか?)
「なにをぺらぺらしゃべっている、とでも言いたげな感じねえ。ま、こっちにもいろいろと事情があるのよ。とりあえずあなたたちの身に今なにが起こっているのか教えてあげるから、あなたたちの方もちゃんと私の言葉に耳を傾けなさい」
そう言うと、あろうことかアウラは自身の魔法の詳細について語りだした。
「私の〈公正な法を布く魔法〉は、言葉通り法を制定する魔法よ。法の意味はさすがに分かるわよね? あなたたちの世界でいう物を盗んではならないとか、同族を殺してはならないとか、いわゆる誰もが遵守しなければならないルールのこと。この魔法を発動した状態の私は、それを
ばかな。ありえない。いくら七崩賢とは言え、そんな芸当が本当に可能なのか。
ゼーリエがそう思うのも無理なかった。彼女の言を信じるなら、明らかにこの魔法は一般的な魔法の枠組みから大きく逸脱している。普通ではない。うそだと断じてしまいたいが、それならそれでなぜそんなうそをつくのかが分からなくなる。未だ体が動かないことにも説明がつかない。
「今度は、そんなことはありえない、ってところかしら? 最終的な判断はあなたたちにゆだねるけど、私としてはすなおに信じておくことをおすすめするわ。……こほん、話を続けるわね。多分あなたたちの中には、そんな強力な魔法ならどうしてもっと早くに使わなかった、と思ってる人もいるでしょう。当然これには理由があるわ」
リスクは魔法を強力にする。逆に言えば、強力な魔法には常にリスクが伴う。
アウラの切り札、〈公正な法を布く魔法〉もまたその例に漏れず。人知を超えた桁違いの性能を誇る分、それ相応の厳しい制約があった。
「法とは公正であってしかるべきもの。公正とはつまり、
それだけじゃないわ、と彼女は話を続ける。
「この魔法は
そこまで話したところでアウラはいったん言葉を切った。先ほどからずっとしゃべりっぱなしで疲れたのであろう、深呼吸をして息を整えている。
その間、相変わらず身動きの取れないゼーリエは頭の中で考察を進めていた。
おそらく彼女の発言にうそはない。不条理と思われた魔法の内容も、発動するために必要な条件を聞けば納得できた。注視すべきは、やはり等しく双方に影響を及ぼすという点。確かにこれは呪いではない。だが、魔族が扱う魔法にしてはあまりにも異質がすぎる。
法、だと? しかも公正? 魔族風情がどういうことだ。これではまるで――
女神様の魔法のようではないか。
(……いや。まさか、な)
「ふう……。さてと、いよいよ本題に入らせてもらうわね。本題とはずばり、これから私が制定する法についてよ。今回、私が定める法は主に二つ。まず一つ目、あなたたちは魔族を、私は人間を傷つけてはならない。これについては故意はもちろん、過失もだめよ。そして二つ目、魔法を使用してはならない。まあ、これもそう難しくはないわよね。わざわざ説明するまでもないでしょう。ちなみに、すでに使用されている魔法に関しては強制的に解除されることになるわ。だから、私の兵士たちもすべて解放ずみで――といっても、元々どこかの誰かさんのせいでたいした数は残っていなかったけれど」
一つ、また一つと法が布かれるたびに、全身になにかがまとわりつくような感覚がする。
「期間は一年。それまでこの魔法は継続するわ。それと、最後は罰にまつわる話ね。実はこれにも制限があって、
彼女のその言葉が終わると同時に体の硬直が解けた。反射的にゼーリエは魔法を放とうとする。が、すぐに彼女はその動作を停止した。魔力を操作しようとした瞬間、体感で全体のおよそ二割の魔力が消失したのだ。ごっそりと減少したそれは、しかもまるで回復する兆しがない。
決め手を失った。そして、それは向こうも同じ。お互いにどうしようもなくなってしまった今、この戦いにもはや引き分け以外の道は存在しない。
「長年かけて作り上げた軍勢は潰されるし、使いたくなかった奥の手は使わされるし、本当に散々だったわ……。あなたみたいな化け物がいるって知れたことだけが唯一の成果ね」
「おい待て、どこへ――」
「それじゃあさようなら。これから先、多分もう会うことはないでしょう」
両手の剣と天秤を片づけると、アウラは瞬く間に姿を消した。その場に一人残されたゼーリエは探知魔法を使用したい気持ちをぐっとこらえる。
「――ゼーリエ様! ご無事ですか!?」
しばらくして、彼女の弟子たちが駆けつけてきた。全員が徒歩である。やはり彼らも〈公正な法を布く魔法〉の影響を受けていたのであった。
「七崩賢のアウラはいったいどこに……。いや、それよりもその左手は……」
「ああ、別に気にする必要はない。血はとっくに止まっているからな。……問題はアウラの方だ。まったく、やつめ、とんでもない置き土産をしてくれる」
「〈公正な法を布く魔法〉、でしたよね。離れていたはずの私たちにも声は聞こえました。解除することはできないのでしょうか?」
「今のままでは不可能だな。この魔法の肝は、我々だけでなくやつ自身にもリスクがあるという部分だ。こういった魔法は、たとえるなら契約を結んだようなものであって、こちらから一方的に破棄することは難しい。解除するにはアウラを捕らえるしかない。……とはいえ、魔法を使えないという条件こそ五分でも、そもそも人間と魔族では純粋に身体能力そのものに大きな差がある。魔法抜きでやつを捕らえようとするのは現実的ではない。おとなしく時間の経過を待つ方がはるかに賢明だ。やつの手下どももやつのそばに控えているだろうしな」
ゼーリエの考察を聞いて彼らは深く落胆した。彼らにとっては欠かすことのできない魔法という要素、それが唐突に封じられてしまったからだ。一年という期間はエルフからすればほんの束の間だが、人間からすれば決して短くはない長さである。
「まあ、そう落ちこむな。この状況はチャンスでもある。アウラが著しく弱体化しているのは確かだからな。私たちで無理なら他者の手を借りればよい。今なら三級魔法使い程度の実力者でも徒党を組めばやつらに勝てるであろう。さあ、とりあえずは協会本部に戻るぞ」
こうして一同はグラナト領跡地から撤収したのであった。
(それにしても、まさかこの私が出し抜かれるとはな……。つくづく面白いやつだ、七崩賢、懈怠のアウラ。この借りはいずれ必ず返させてもらおう)