スキル【治癒掌】を鍛え始めてから、一週間ほどが経過した。
家族にもマッサージを施して、熟練度が随分と上がったように思える。
「お兄ちゃんのマッサージぃ、しゅごいよぉ……」
平日の夜。俺はリビングのソファで、舞香の足をマッサージしていた。
よっぽど気持ちいいらしく、舞香はだらしない表情で、口の端から涎を垂らしている。
肌の調子がよくなるツボを刺激して、念入りに治癒を行っているので、こいつの肌は卵のように艶々だ。
「舞香、聞いてくれ。兄ちゃんな、そろそろマッサージで、お金を稼ごうと思っているんだ。どうかな?」
「えぇー……。舞香から、お金取るのー……?」
「いや、家族からは取らないよ。そうじゃなくて、学校の連中を客にしようかと」
「あー、それならいいと思う。舞香ねー、最近綺麗になったって、クラスのみんなに言われるんだー」
お肌が綺麗になったことで、舞香は女子から一目置かれているらしい。
全ては俺のマッサージのおかげなので、ここまで劇的な効果があるなら、お金を取れても不思議ではないとのこと。
「値段設定は、どうするべきか……」
「うーん……。十分百円、とか?」
「それだと、時給六百円だぞ。流石に少なくないか?」
「でも、お兄ちゃんは無名のマッサージ師だし……」
俺は時給六百円という価格設定に渋ったが、舞香の意見も尤もだ。
無名のマッサージ師だと、そんなものかもしれない。
有名になったら、値上げするとしよう。
まぁ、まだ顧客を見つけていないから、捕らぬ狸の皮算用だな。
ちなみに、シマは友達なので、あいつからお金を受け取るつもりはない。
──翌日。俺はいつも通りに登校して、いつも通りに授業を受けて、放課後に顧客探しを始めた。
マッサージを必要としている奴らは、きっと運動部にいるだろう。
女子に十分百円のマッサージを売り込むのは、余りにもハードルが高いので、まずは男子をターゲットにする。
行く行くは口コミで、女子のお客さんが増えると嬉しい。
「マッサージ、十分百円です。如何ですか?」
野球部、サッカー部、柔道部、バスケ部と、あちこちの部活動に顔を出す。
「「「はぁ? いらねぇよ」」」
どこへ行っても、みんなに冷たくあしらわれた。
俺が有名になってから、マッサージをしてくれと泣き付かれても、やってあげないからな……。
顧客が見つからないし、マッサージで稼ぐ計画は駄目そうだ。
もう帰ろうかと思った矢先、足元にバレーボールが転がってきた。
近くの体育館で、女子のバレー部が活動しているので、そっちから転がってきたらしい。
誰も取りに来ないので、仕方なく持って行くが、この体育館は女子の巣窟なんだ。気まずいことこの上ない。
「ナイスサーブっ!! もう一本取ってこーーーっ!!」
「一本切るよ!! 集中してっ!!」
大人っぽくて背の高い女子が、強烈なサーブを行った。
ボールは敵チームのコートに突き刺さり、凄まじい音が鳴り響く。
「あのぉ……ボール、返しに来ました……」
俺はおずおずと声を掛けたが、誰も気付いてくれない。
適当に転がしておくと、誰かが踏んで転ぶかもしれないし、どうしたものか。
「あれ、オタバ? あんた、何しに来たのよ?」
俺が悩んでいると、バレー部の女子が話し掛けてきた。
ツインテールの赤茶けた長髪が特徴的な、愛らしい顔立ちをしている美少女、
身長が学年で一番低いけど、おっぱいが一番大きいという、アンバランスな体型をしている。
このおっぱいは、男子たちに好奇の目で見られる。
そのため、箒星は男子に対して、物凄く攻撃的な性格になっており、俺も睨まれたことが何度かあった。
俺と彼女は同じクラスだが、交流は皆無と言って差し支えない。
ちなみに、俺が片思い中の相手でもある。おっぱいが最高なんだ。
「オタバじゃなくて、トバだけど……これ、ボール、拾ったから……」
オタバとは、俺に付けられた蔑称だ。オタクの兎場、略してオタバ。
箒星はオタク嫌いなので、俺の片思いが実ることはまずない。
教室の片隅で、俺がスマホゲーのガチャ、『期間限定SSR巨乳サキュバス』を引いているところ、バッチリ目撃されてしまったんだ。
あのときに、彼女から向けられた汚物を見る目。それが忘れられない。
「そう、ありがと。てか、なにキョドってんの? キモっ」
俺からボールを受け取った直後、箒星は鋭い一言を投げ付けてきた。
もうね、泣きそう。女子から言われる『キモ』の二文字は、破壊力が余りにも大きい。
「ご、ごめん……。じゃあ、俺、もう行くから……」
俺はオタクの陰キャだ。基本的に、同年代の女子とは、目を合わせられない。
かと言って、おっぱいを凝視するのも論外なので、視線が定まらなかった。
しゅんとしながら踵を返すと、背後から駆け寄ってきた別の女子に、大きな声で呼び止められる。
「待って待って! 朱里っ、そんな言い方酷いよ!? 兎場くんっ、ごめんね! 今のは朱里が酷いよね!」
振り向くと、これまた同じクラスの女子、
キリッとした顔立ちと、肩口で切り揃えられた黒髪が特徴的な、学年随一の優等生だ。
ヘアピンで前髪を留めており、チャームポイントのおデコが出ている。
体操着姿で、この体育館にいるので、彼女もバレー部の一員らしい。
鬼咲はクラス委員長で、誰にでも分け隔てなく接するため、俺にも普通に話し掛けてくれるんだ。
同じクラスになった当初、俺の名前を『ウサギバくん? なんだか可愛い名前だね』と勘違いして、微笑み掛けてくれた。
これは俺に気があるのだと確信して、その日のうちに告白したが、呆気なくフラれた過去がある。
「美鈴、オタバなんかに気を遣わなくていいわよ。こいつ、キモいでしょ」
「朱里っ、いい加減にして! 本気で怒るよ!?」
箒星が平然と酷い言葉を吐くと、鬼咲が目尻を吊り上げてお怒りになった。
「うっ、ご、ごめん……。あたしが悪かったわ……」
「私じゃなくて、兎場くんに謝って!」
「えぇぇ……。チッ、オタバ、悪かったわよ……」
箒星は小さく舌打ちして、不承不承ながらも謝罪した。
「い、いや、いいよ。全然っ、き、気にしてないから!」
汗だくの女子二人。熱気が肌で感じられて、物凄くドキドキする。
そのせいで、俺の声は裏返ってしまった。
箒星が口を動かして、『キモっ』と声を出さずにぶつけてくる。泣きたい。
「兎場くん、本当にごめんね……。朱里は今、色々と上手くいかなくて、キミに八つ当たりしちゃったの……」
「美鈴っ、余計なこと言わなくていいから! ほらっ、オタバ! あんたもさっさと行きなさいよ!」
「わ、分かった……。じゃあ、さような──」
今度こそ、俺が体育館から立ち去ろうとしたところで、箒星の後頭部へ目掛けて、強烈な勢いのボールが飛んできた。
ボールを打った高身長の女子が、『危ないッ!!』と叫ぶ。手元が狂ったのだろう。
俺は咄嗟に、箒星の頭を抱きかかえて、身を屈めた。
すると、俺の顔面にボールが直撃してしまう。
痛い。視界が暗転して、意識がぷつんと途切れた。