未だ無名のリンゼ   作:七海香波

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ミスブ村/■■を■■に変える魔法

 勇者ヒンメルの死から29年後。

 北側諸国、フーフ地方。

 

 

 

 

 

 なんだかんだあって僧侶ザインを仲間にしたフリーレンたちは、早速その力を活かす事態に遭遇していた。

 

「その御姿、僧侶の方にございますか!? お願いいたします、実は今すぐに治療魔法の必要な重傷者がおりまして、村の神父様お一人だけでは手が足りず――」

「――ちっ、つまらん御託はどーでも良い! くっちゃべってないで、さっさと患者のところに案内しろ!」

 

 訪れた矢先にぺこぺこと頭を下げてくる村の住人。

 その首根っこを引っ掴み、ザインはすぐさま重傷者のいるという場所を案内させてそこにすっとんでいった。

 普段は散々破戒僧らしき暴言を吐いておきながら、いざ必要な時には真っ当な僧侶として動く。

 新たな仲間の尊敬すべきその姿に、残る三人は互いに顔を見合わせて頷きながら急ぎ彼らの後を追うのだった。

 

「……これは」

「うっ……」

「……ひでぇ」

 

 村人に見せられた治療対象者の有様は、それはもう酷い様子だった。

 女性で、年は五十過ぎほどだろうか。

 まるで火事が発生した家の中に取り残されていたのかと言わんばかりの酷い火傷を全身に負った状態で教会の長椅子の上に寝かされており、今も側で聖典に手を当てながら懸命に手を尽くしているこの村の老神父のおかげで辛うじて命を繋ぎとめている様子。

 それも、長くはもたなかっただろう――ここに優秀な僧侶(ザイン)がいなければ。

 

「内臓もだいぶ熱でやられてるな……おいおっさん、アンタはどこまでやれる!」

「儂の技量では残念ながら、ここまできたら延命しかできん。せめて家族に遺言を残す時間を作ってやれるだけしか……」

「ならそのまま生かし続けろ、絶対死なすな! 俺が臓器の修復をやる、フリーレンは同時並行で皮膚の方をやってくれ!」

 

 すぐさま聖典を取り出し、ザインは本格的に体内深部の治療に取り掛かり始めた。

 その顔に浮かぶ真剣さに村の老神父は迷わず、治療の主導権をザインに譲って自らの与えられた役割に注力していく。

 加えて名を呼ばれたフリーレンも治療の手伝いに取り掛かり、教会内は瞬く間に戦場の様相を呈していった。

 フェルンやシュタルクも見ているばかりでなく、他に駆け付けていた村人たちと代わる代わる治療に必要な清潔な布やお湯を用意していく。

 

 そうして、やがて体感で十時間を超えた頃――現実で五時間ほどが過ぎた頃。

 ようやく女性の容態は、いったんの落ち着きを見せたのだった。

 最初は荒く繰り返されていた呼吸も今は平常に戻っており、彼女は安らかな顔を浮かべて眠っている。

 

「ふいー、疲れたぜ」

「いやはや……まさか本当にあの状態から生き返るとは驚きじゃわい。その若さでここまでの業、もしや聖都出身か?」

「違ぇよ、ンな大した出自は俺にはねーさ」

 

 施術に集中するあまり籠っていた服の中の熱を外気に晒して飛ばしながら、ザインは老神父の称賛を含めた問いに肩を竦める。

 彼は一服とばかりに煙草を取り出そうとして、怪我人が側にいることを思い出し、それを取り止めて……「それよりもだ」と、恐らく女性の怪我について今現在最も詳しいであろう老神父に逆に質問した。

 

「アンタも分かってんだろ? ありゃあただの火傷じゃなかったぜ」

「……」

「物理的な炎っつーか、魔法に由来する火(・・・・・・・・)で焼かれたっぽかったしな。やけにしつけぇ『呪い』的な火が心臓の辺りで燻ってやがったせいで、余計に手間がかかった。……なにがあった?」

 

 その詰問するようなザインの視線に、神父はさっと周囲を見渡した。

 

「……あまりこと(・・)を知る人間が増えるのは好ましくなくての。場所を変えるぞ」

 

 

 

 

 

「結論から言えば、やったのはあの女の息子じゃ」

「オイオイ、そいつはまたきな臭ぇ話だなー……」

 

 老神父は一つ深いため息を溢してから、更に詳しい話を始める。

 

「その息子というのも厄介なものでの。もう三十にもなろうというのに、ろくに働こうとせんことで元々村の中では有名だったんじゃ。昔は可愛がってやったりもしたがの……」

「それは……」

 

 側で話を聞いていたフェルンとシュタルクが顔を突き合わせる。

 彼らはもう十八歳であり、定職にこそついていないものの、フリーレンの旅に付き添う形で依頼を引き受けるなどして真っ当に金を稼いでいる。

 そうでなくとも十五歳にもなればもう一人前の大人として認められる社会の中で、三十歳を超えて仕事をしていないというのは……世間的によろしいとは言えないだろう。

 若者二人の、特にフェルンの話を聞く顔に冷ややかなものが混じる中で、ザインは老神父に続きを促す。

 

「で? いい加減仕事をしろっつって母親があまりに口うるさく言うもんだから、ついカッとなってやっちまったってか?」

「分からん。彼奴は燃える母親の前で泣きながら笑っているところを村の大人がとっ捕まえて以降、何も話そうとせんのだ。ただこちらを睨みつけるばかりでな。今は牢の中で、大人しく巡回裁判を待っておるが……」

 

 話を聞いていたフリーレンは、「少なくとも」と今の老神父の言葉から読み取れた推論を語る。

 

「大人しく捕まったままでいるってことは、やったことは認めているんだろう。どうせ私たちも話を聞かなきゃだし、理由の方も聞けそうなら聞いてこようか。村の外の人間になら話す気にもなるかもしれないし」

「だな。っしゃ、行くぞお前ら。……なんだ、その顔」

 

 進んで事態に関わろうとするそぶりを見せるフリーレンとザインの大人組とは裏腹に、フェルンとシュタルクはあまりよろしくない顔をしていた。

 

「あの……私たちがそこまでする必要があるのでしょうか? あまり家庭内の関係に踏み込むのも、よろしくないような気がしますし……」

「俺は別に良いんだけどな。母親はもう、どうにかなったんだろ? 息子も罪を認めてるってんなら、後は裁判の話になってくるだけじゃねぇの?」

「違ぇよ」

「気づいてないの、二人とも?」

 

 ザインが頭をガシガシと掻きながら、どうやら気づいていない様子の二人に事情を説明する。

 

「呪いの火が使われてたっつたろ? なんで三十過ぎてただの無職だったオッサンが急に魔法で母親を攻撃できるようになった? どう考えてもおかしいだろうが」

「「あ」」

「元から魔法を使う素養があったけど単に気づいていなかったのか、それとも変な魔道具を手にしたのか……いずれにせよ、きちんと確認しておいた方が良いのは間違いない。また同じことが起きてからだと遅いからね」

 

 付け加えて、

 

「それに俺も一応僧侶だからな。こんな家族の状況をほったらかしにして次に行くってのも、寝覚めが悪くなるだろ」

 

 

 

 

 

 風通しの良い木牢の中で、先の女性の息子だという男性は確かに老神父の言う通り静かに座っていた。

 今は村の大人たちが交代で見張り役を務めているようだが、フリーレンらが見ているならば、と番を務めていた男性は煙草休憩だと言って場を離れていった。

 立てた膝を抱えるようにして丸く座っている息子に、ザインが声をかける。

 

「聞こえるか? 俺は他の村で僧侶をやってたザインって(もん)だ」

「……」

「もう聞いちゃいるかもしれないが、お前さんの母親は一命を取り留めた」

「……!」

 

 息子の肩が、ピクリと力なく動いた。

 それを話を聞いている証拠だと受け取って、ザインは話し続ける。

 

「で、だ。単刀直入に聞くぞ。お前の母親をやったのは……その腕輪型の魔道具だな? 妙な魔力を感じる」

 

 彼が見つめる先の、息子の右腕には黒くシンプルな造形の腕輪が嵌められていた。

 その表面には、蛇が身を捩じらせるようにうぞうぞと薄い魔力の光が這い回っている。

 一方の息子本人には、魔力の気配は微塵も感じ取れない。

 

「何処で手に入れた? 近くに遺跡があってその中で偶然拾ったのか、それとも行商人の荷物に紛れてたのを買ったのか……」

「……」

「……ひとまず、そいつが危険なものだってのは分かってるだろ。用が済んだのなら、俺たちに渡してくれるか?」

「……」

 

 息子からの返答は、ない。

 しかし彼は言葉を発さずとも、のろのろとした動きで、ザインの言葉に従順になって腕輪を自らの腕から取り外し、牢の隙間からそれを差し出した。

 

「フリーレン」

「うん」

 

 腕輪を渡されたフリーレンが、その中に込められた魔法の解析を始める。

 ほどなくして、彼女はその魔法の名を口にした。

 

「……【怒りを黒炎に変える魔法(シュフラデラッハ)】。相手に向けた内面の怒りをそのまま現実の熱量に変換する魔法……だけど、とんでもなく効率が悪そうだ。私なら普通に火を起こす魔法を使うよ」

「だが、あんたはこれであれだけの惨状を引き起こした。それだけ母親が気にくわなかったのか?」

「……」

 

 息子の口が開かれる様子は、ない。

 固く結ばれた唇は横一直線に伸びたままで、ザインの言葉に揺れていないことがよく窺える。

 だが、まったく聞こえていないわけでもないことは、先ほど素直に腕輪を渡したことからも分かる。

 

「……さて、どうしたもんかね」

 

 困ったように、ザインは頬をかく。

 この様子では息子は意地でも口を割らないだろう。

 なにか彼の心を開くための切っ掛けがあれば良いのだが……そう都合よく世の中ってのは出来てないもんだよな、と彼は改めて相手の様子を伺うことにした。

 

 見た目はまあ、言ってしまえば、彼らが事前に想像していた通りの印象だった。

 伸ばしっぱなしでざんばらになった髪。数日は剃った気配のない無精髭。

 ろくに日に当たっていないせいで肌は青白く、目元は落ち窪んでいる。

 食事はきちんと毎食取っているのか肉付きは良いが、全体的に生気がない。

 

「ザイン様……」

「フェルン。悪いがさっきの監視に言って、牢の鍵を貰ってきてくれ」

「良いのか?」

「どのみち逃げねぇよ。あとシュタルク、お前はそのままフェルンと一緒に今日の宿を取っといてくれ」

「おう……」

 

 立ち去っていく若者二人を見送ったフリーレンは、ザインの心理を悟る。

 どちらかと言えばこの息子に否定的な態度を示していたフェルンとシュタルク。

 何も話そうとしない息子の態度を解きほぐすのに彼らがいると余計に話が拗れそうだと判断して、別の理由をつけてこの場から追い払ったのだろう。

 すぐに戻ってきたフェルンから鍵を受け取って再びしっしっと追いやった後、ザインは牢を開けて中に入る。

 

「邪魔するぜ、っと」

 

 どかっ、と胡坐をかいて息子の前に座るザイン。

 

「……」

 

 息子は伏せ気味だった顔を僅かばかり上げたものの、すぐに膝の間に戻す。

 

「別に、答えたくなきゃ答えなくていい。……そうだな、親ってのはそんなに殺したくなるもんなのか?」

「……」

「俺の親は物心つく前に死んじまったから、はっきりと分かるもんじゃねぇ」

「……」

「唯一残った兄貴はいるが、ぶっ殺してやりたいってとこまで考えたことはねぇ。たまに大喧嘩することはあったが、翌朝には普通に一緒に飯を食ってた。はっきり許した訳でもないが、なんだろうな。一晩寝れば、大概の怒りなんてどうでもよくなっちまうもんだ」

「……」

「それでも許せないだけの怒りってヤツがあったから、今回のことが起きたんだろう……親ってのは、そんなに憎く思えるもんか?」

「……からだ

 

 ぼそり、と膝の間から声が聞こえる。

 ザインは口を閉じ、その続きを待った。

 

「……それは、アンタの兄貴が良い家族だったからだ」

「……そうだな。俺のために聖都行きを諦めるような、バカみてぇに人の良い兄貴だよ」

「……俺は」

「……」

「……俺のことは、村の連中から聞いたんだろう。クズで穀潰しな、アンタの兄貴とはまるで違う、馬鹿な息子だ」

「そうかね。だが、自分のやったことの責任は取るつもりなんだろう。今だって牢の入り口は開いちゃいるが、まるで逃げるつもりがないようだしな。その点は立派なもんさ。自分の気持ちとちゃんと向き合えてる証拠だ。俺はほんの数日前まで、それが出来ずにうじうじと兄貴の庇護下で燻っててな。そこにいるフリーレンに諭されて、ようやくそれが出来るようになって今こうして旅をしてる」

「……」

「……お前の母親は、良い家族じゃなかったのか?」

「……」

「……」

 

 沈黙。

 ザインは視線で以て、息子の回答を待つ。

 やがて十分ほどが経過した頃、彼はそろそろと話し始めた。

 

「……良い人、だったのかもしれないな。誰にでも分け隔てなく手を差し伸べて、いつも笑顔で、村の運営にも積極的に参加してた。村の大人連中はよく、俺と比べて「なんでアンタみたいな立派な人からあんなのが生まれたんだか」って言ってたさ」

「……」

「……そうさ、俺は所詮“あんなの”だ。笑えるよな。何も知らないくせに」

「……」

「とんびが鷹を生むのも、鷹がとんびを生むのも、どっちにしたって普通はあり得ない。鶏の産んだ卵からは、同じ鶏に育つヒヨコしか孵らない。……いくら外面を取り繕ったって、中身は同じだ。村の連中はぶ厚い殻に覆われてた母親の本性を知らない。俺だけが、その中身を知ってた」

「……」

「腐った卵の味だよ」

 

 息子は顔を上げて、ザインの視線を見つめ返す。

 その瞳はザインの兄に対する一筋の憧憬と羨望、そしてそれを上回って余りある澱みに充たされていた。

 

「……俺の母親は他の子供が失敗しても笑って許したが、俺が失敗した時は滅茶苦茶に怒るんだ。怒鳴ると隣に聞こえるから、代わりに蹴ったり殴ったりしてくる。機嫌が悪いときには自分が吸ってる煙草(ヤニ)を押し付けてくる。もちろん人に見えないような、腹や背中にな」

「……!」

「小声で延々と枕元で嫌味を言われたことはあるか? ないだろうな。……夢の中でまで母親に怒られるし、一日経っても頭の中に染み付いて忘れられないんだ。

 鎌を目と鼻の先に突き付けられて、自分の何が悪かったのか言わされることは? 恐怖と「とにかく謝らなきゃ」って気持ちであっぷあっぷになって、結局うまく言えずに詰められるんだ。

 そうだ、桶に張った水の中に顔を突っ込まれたこともある。外に悲鳴が聞こえないから特に便利だったみたいで、これが一番多かったな。それ以外で悲鳴が聞こえそうになった時は、口元と一緒に喉を締められるのがお決まりだった。

 一時期、俺は紫色に腫れた肌の色こそが普通で、逆になんで普通の肌の色がまだこの身体に残ってるんだろうって本気で信じてたもんさ。

 なんなら俺が何かをやらかすまでもなく、母親は家の中じゃいつも不機嫌だった。

 口を開けば、やれどこどこの奥さんが他の男と不倫してただの、あの家は実は先祖が犯罪者で、元居た村を逃げ出してこの村に来たから関わっちゃいけませんだの。そんなのが昔からの俺の子守歌だった。

 やれお前が悪い、あいつが悪い。あそこの家はろくでなし……分かるか? とにかく全部、全部、全部否定だ。

 俺が村の女の子を好きになればすぐにその娘の家の悪い噂をどっからかかき集めてくるし、働いて家を出ようとすれば「お前なんかを外に出すなんて家の恥だ」とか言って、働き先の人間に俺のあることないこと吹き込んで辞めさせるんだ。

 ……実際は自分に都合の悪いことを誰かに漏らされたくないから、なんだろうけどな」

「……お前」

「……三十年間、毎日欠かさずずっとだ。いや、もう今日からはそれもなくなるのか」

 

 滝のように自分の膿のような過去を出しきって。

 息子はようやく憑き物が晴れたような顔をザインに見せた。

 ――彼はこれまで、母親からの仕打ちの悉くを己の胸の中だけに仕舞っていた。

 自分のことを母親に倣って悪く言う村人のことなんて、彼にとっては信用に値しなかったから。

 

 だが、ここで初めて訪れた赤の他人のザインだからこそ。

 彼が母親のように自分を責めようとせず、息子のことを真正面から「認める」と口にしたからこそ、息子はこれまで閉じるしかなかった口を開くことを自らに許せたのだ。

 

「……今更だが、もっと早くに俺はこうするべきだったんだろうな。殺すんじゃない。母親に無理矢理にでも抵抗して、突っぱねてやれば……そう試みる事すら、これまでの俺には出来なかったが」

「……」

「……全てはもう遅い。殺そうとしたのはやり過ぎだったって、今なら分かる。でも、あの時は……「もう我慢しなくてもいい」って言って貰えた(・・・・・・)から。その魔道具も、あの人(・・・)から貰った」

「……! そいつは、誰にだ?」

「これまでは全部母親の言いなりだった俺が、初めて手に入れた俺だけの(もの)。「本当に何もかもが我慢できなくなって、怒りや憎しみで頭が破裂しそうになった時に。自分の心を守るために、これを持っておきなさい」――そう言われて無料(タダ)で貰ったんだが、思ったよりすぐに使っちまった。……もうずっと、そうだったんだろうな。俺は」

 

 胸の中の重苦しいものを全て吐き出し終えて、息子は最後に残った言葉をザインたちに伝えた。

 

「リンゼ。あの、俺に力をくれた少女は、自分のことをそう言っていた」

「……その少女に角は生えてなかった?」

「角? ……さあ。そこまでは見えてなかったな。夜だったし、ほとんど声だけしか聞こえなかった」

「……そう」

 

 なにやら気になる様子のフリーレンには後で話を聞くとして、ザインは改めて息子に向き直る。

 

「……殺人は未遂でも重罪だ。しかも相手が尊属ってなると、死刑は避けられないだろうな。だが、それだけの理由があるってんなら話は別だ。お前がそれを裁判官相手に話せば――」

「そのつもりはない。俺はもう満足……いや、疲れたんだ。これまでずっと母親憎しばかり考えて生きてきたが、それももう無くなって、特にしたいこともない。もうこれ以上生きて他に嫌な思いを持つくらいなら、大人しく死んだ方がマシだよ。……アンタにこんなことを言うのがお門違いなのは分かってる。だが、言わせてくれ……もう、勘弁してくれ」

 

 しかしザインの言葉をそれ以上、息子は受け取ろうとはしなかった。

 否、受け取ってはいるのだろう。

 それでも、彼はこれ以上自分という存在に労力をかけることが心底嫌になってしまっているのだ。

 四六時中家族の攻撃に晒されて、守ってくれる者もおらず、ひたすら神経を擦り減らして……これ以上頑張れといわれても、頑張れるだけの気力がまるで湧いてこない。

 三十年かけて心に染み付いた『この世に生きることはひどく辛く、苦しいことだ』という彼の観念はきっと、同じだけの時間をかけなければ薄れないのだ。

 

「帰ってくれ。……それと、ありがとう。神父ザイン。最期に誰にも話せなかったことを聞いてくれて。死んで女神様に万が一でも会える機会があったら――まあ、無いだろうが――アンタが良い神の僕だったって、伝えておくよ」

 

 それっきり、息子は再び何も話さなくなってしまった。

 話したくても話せなかった未練が解消され、本来常人の最も強い未練であるところの生への渇望がない今の彼には、もうザインの力を借りる必要がないのだから。

 そしてザインはそれを分かっていても、息子に生への希望を取り戻させられるだけの、ハイターほどの深い人生経験を持ち合わせていない。

 

「――っ」

 

 悔しさに膝を叩く。

 それだけが今のザインに出来る、息子に対する最大の説教であった。

 

 

 

 

 

 牢を離れ、村人の耳のない静かな場所にて。

 

「……あの腕輪。渡したのは、リンゼって女だったな」

「そう。ザインはどう思う? あの息子にこれを渡したのは正解だったのか」

「良いわけないだろ、常識的に考えて。あの状況じゃ、いつか使うことになるのは目に見えていた。そんなもんをやれるくらいならもっと他に手段があっただろう」

「そうだよね。私もそう思う。でも、この女魔法使いはそうしなかった」

「あえて息子に母親を殺す最後のきっかけを与えた……か」

 

 いつにも増して苦い煙草の煙を風に流しつつ、ザインは空を眺める。

 

「法に照らせばクソくらえだが、道義的には間違いとも言い切れねぇ。……フリーレン。世の中には、あんな話はわんさか転がってるはずだ。俺たちが見えていないだけでな」

 

 フリーレンは勇者ヒンメルとの旅路の中で、多くの人間の輝きを知った。

 それと同じくらい、人間の後ろ暗いところを目の当たりにしなければならなかった。

 ザインの呟きを、彼女は否定しない。

 

「ただ戦士ゴリラ(あいつ)のことを追いかければいいなんて考えてたが、旅ってのはそう簡単じゃないんだな」

 

 




「人間は社会を形成しなければ生きられない動物なのに、最小単位である『家族』の中にすら平然と虐待(あくい)を孕ませる。種の生態に反してなお振るい続けるほどに、それは甘美なものなのかな?
 せっかくだし、自分が熟成させた三十年物の味と一緒に教えてくれると嬉しいな。あれだけのものが結実するのは中々見られないし、大概はそこまで行くまでに壊れちゃう(・・・・・)。その前にあの腕輪を渡せて、本当によかった。
 ――貴女の答えは、きっと貴重な標本になりうるよ」

 少女の顔をしたモノは、吊られた腐肉を仰ぎ見る老醜女の記憶にそっと手を伸ばす。
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