まだ三話しかないのに。これがフリーレン効果か……。
読者の皆様、ありがとうございます。
勇者ヒンメルの死から29年後。
北側諸国、ダンケル峡谷。
いつものように街道を進み、フリーレンたちは一つの村に辿り着く。
しかしそこには本来あるべき人の気配が影も形もなく、しんと静寂だけが広がっていた。
「……なんだこれ」
時刻は昼。
通常であれば仕事をしている人や遊び回っている子供たち等の風景が見られるはずなのに、立ち並ぶ家々の間にはそういった騒がしさが一切介在していない。
シュタルクの抱いた疑問に追随するように、フェルンが周囲を見渡す。
「人っ子一人いませんね……」
「強力な魔物の襲撃にあって村総出で逃げ出したとかか? ……いや、それにしたって被害がねぇ。ここに来るまでの道中だって、そんな破壊跡はなかったな」
訝し気に顎髭を摩るザイン。
ひとまず様子を伺ってみようと、彼らは揃って村の内部を散策することを決めた。
――異変の正体は、さほど間を置くことなく見つかった。
「……またかよ」
「またですね」
「まただな」
「まただね」
結果。
村の中央にあったヒンメル像の噴水にて、その縁に腰を下ろした彼らは揃って呟く。
なにせ彼らはつい最近にも、似たような事件を目の当たりにしていた。
なんなら、それを解決したのが他ならぬ彼らであった。
他三人の眼が全て、ザインの方へと向けられる。
そんな彼らの期待を一身に受けて、彼は半ば嘆くように、己が思いを吐き出すのだった……。
「――また全員眠っちゃってるって、この辺りじゃ流行ってんのかよ……?」
そう、この村から住民は姿を消してなどいなかった。
彼らは皆一様に、家の中でこんこんと眠りについている……ただ、それだけだったのだ。
ともあれ、このような事態は先日の例にもれず僧侶の出番である。
手頃な一軒家に入り込んで、ザインはその家のベッドの上ですやすやと気持ちよさそうに眠る一組の夫婦に手を翳した。
――平日の昼間にもかかわらず村全体が睡魔に囚われている、となればまず間違いなく原因は自然的なものではない。
住人の容態を探る彼を尻目に、壁に背を預けるシュタルクがフリーレンに向けて問うた。
「この間のは混沌花? ってのが呪いの原因だったんだろ。今回もそうなのか?」
「違うよ。フェルンも肌がむずむずしないでしょ?」
「はい。今はもう、この村が狙われている気配は感じません。同じ混沌花であれば、餌場となったこの村に立ち入った私たちをそのまま続けて狙うでしょう」
「こういった場合に通常考えられるのは、
様子を窺うフリーレンに、ザインは背中越しに答えた。
「とりあえず分かったのは、こいつらを眠らせてる魔法がこの間のみたいな強力な呪いじゃないってことだ。これなら儀式なんてなくても起こせる」
「フリーレン様の言う通り、やはり魔物の仕業なんですか?」
「いや。魔物の気配は感じられない。やったのは恐らくだが……お前らと同じ魔法使いだろうな」
それを聞いたフリーレンの眉が、ピクリと動く。
魔法使いとしての第六感がなんとなく、未だ顔の知れぬ何者かの名を彼女に思い起こさせた。
その直感が正解なのかを確認するためにも、彼女は心なしかザインに解呪を急かす。
「そう。じゃあさっさと目覚めさせて」
「おうよ。【目覚めの解呪】」
聖典を片手にしたザインの手が眩く光る。
女神の光を受けて、夫婦は次第に閉じていた瞼を開き始めた。
奥に秘めていた瞳の焦点を徐々に現実へと重ね合わせた彼らは、まず隣に眠っていた相方の顔を見やり、互いに起きていることを確かめ合う。
その後、夫の方が、ベッドの側に佇んでいる僧侶の人影に静かに問いかけた。
「……俺たちを起こしたのは、お前か?」
「そうだ。アンタたちは魔法の影響で無理矢理眠らされていたんだ。村の他の連中も――」
「――余計なことをしてくれたわね」
「――は?」
挟まれた妻の口から放たれたのは、フリーレンたちには予想もしない言葉だった。
そこには感謝の気持ちなど欠片もありはしない。
むしろ、眠りの魔法から夫婦を解き放ってやったザインのことを責めるような口調のそれに彼女たちは思わず目を丸くする。
「誰が起こしてと言ったの? せっかく良い夢が見られていたのに――」
「……おいおい。なんだ、その口振り? まるで、自分から眠っていたみたいな……」
「――そうだ。俺たちは自分から頼んで眠らせて貰っていたんだ」
遅れて、妻と同じく不機嫌そうに顔を顰めた夫がザインへ向けて吐き捨てる。
「妻の言う通り、余計なことをしてくれたな。……ああ、不快だ。実に不愉快だ。せっかく君とも何度目か分からない新婚旅行をしていた所だったのに、中途半端な所で起こされて……」
「私だって貴方と、父と母と一緒になって静かに暮らせてたのに……お父さん、お母さん……ああ、こっちじゃもう居ないのに! でもあの世界でなら一緒に居られるのに――いつまでも、ずっと! それをお前たちがぶち壊した!!」
まくし立てる妻の剣呑な感情に押されて、ザインは自ずと一歩身を引かざるを得なかった。
代わりに前へ歩み出たフリーレンが、彼らと自分たちの認識の違いを擦り合わせるために口を開く。
「……つまり、貴方たちを眠らせていた魔法は誰かにやられたものじゃない。自ら望んで、それを受けたってことで良いんだね?」
「
「そうよ! あ……で、でも、あの人も自分に魔法をかけて眠ってるんじゃ……どうしよう! 私たち、もう戻れない!」
夫婦の浮かべている表情は、まさに絶望そのものだった。
目覚めるなんてとんでもない、一刻も早く夢の中に戻りたい、戻らなければ……そんな彼らの内心が、透かすまでもなく見て取れる。
そんな彼らはフリーレンの顔を見て、あることに気付いたようで口々に叫んだ。
「――そうだ、お前はエルフなんだろう! だったら魔法を使えるはずだ!」
「そうよ、こうした責任を取ってまた私たちを眠らせなさい!」
「……まあ、ただ眠らせるだけなら出来るけれど」
「違うわよ! お婆さんは言ってたわ、これは普通の眠りの魔法と違って私たちに良い夢を――幸せな夢を見せてくれる、特別な魔法なんだって!」
「ふーん」
夫婦の言い分を聞きながら、フリーレンは己の青く澄んだ目を自らの記憶へと向ける。
だが、彼女はすぐに首を小さく横に振った。
「……残念だけど、そんな魔法に心当たりはないかな」
「なんだと! この、ふざけやがって――」
「――でも。そのお婆さんの家には、その魔法について書かれた魔導書があるかもしれない」
怒りのあまり、今にもフリーレンたちに飛び掛かろうとしていた夫婦を止めるように彼女はぽつりと呟いた。
「使われた魔法の名前は覚えている?」
「あ、ああ……」
望む夢の中へと戻れるのなら、と幾分か怒りを鎮火させた様子で夫は自らが眠りにつく前へと思いを馳せる。
「あの婆さんは、俺たちに杖を向けて、そうだ。確か、こう言ってた……」
記憶の中の老婆と、唇の動きを重ね合わせるように。
先ほどまで見ていた夢の続きへの憧憬を重く込めながら、夫は自らにかけられていた魔法の名をフリーレンらに教える。
「……【
恨みがましい目を向け続けてくる夫婦から半ば逃げ出すようにして、フリーレンたちは彼らに聞いた“魔法使いの婆さん”の家のある位置へと向かう。
「【
「……ですが、ハイター様から聞いたことがあります。アウラと同じ七崩賢である、奇跡のグラオザーム。かの魔族の扱う精神魔法は、今この街の人々にかけられているものと同じ、相手を幸福な幻想の中に閉じ込めるものだと……」
「そうだっけ? 私には覚えがないけれど。もしかしたら、他の三人でいた時に出くわしたのかな。だったら教えてくれるはずなんだけど。……今から言っても仕方ないか」
フリーレンは今は亡きハイターの幻影に問いかける。
魔王に戦いを挑むための勇者の旅において、入手した情報は全て仲間の中で共有されるべきものだ。
例え自分が下手をうってそれを失っても、仲間が知っていればなんとかなる。
そうした集団主義こそが、魔族にはない人類の強みのはずだが……そうしていないということはつまり、
これは
それはそれとして、並行して【
「でも、これはグラオザームの使う
「本人の前で言うか、それ?」
「悪かったね。でも、ハイターでも解けないだろうし、卑下することじゃない。……と、ここかな。魔力の気配がする」
見つけた家の中ではやはりと言うべきか、魔法使いらしき老婆がベッドの上に毛布を被って横たわっていた。
フリーレンらの侵入に気付くことなく眠る彼女をよそに、一行は家探しして【
山ほど積まれた魔導書やその他魔法薬に係る図鑑などを手あたり次第漁っていく中、ふとフェルンが気づく。
「……あの、もしここに魔導書がなかったらどうするのですか?」
「その時は最悪、当の本人を叩き起こしてやれば良いだろ」
「じゃあ最初っからそうすれば良いんじゃないのか?」
「嫌なこった。シュタルク、お前はまたあんな恨み言を叩かれたいのか? しかも、こんな魔法を平気で村人全員に使ってやるような婆さんだぜ。どんな風にネチネチ言われるか分かったもんじゃない」
「そんなものなのか」
「そんなもんだよ」
再び、彼らは魔導書探しに戻る。
……しかし何時までも黙々と頁を捲っていられないのが若者の
読んでいた本を途中で閉じたシュタルクが、陸に打ち上げられた魚のように机に倒れ込む。
「……飽きた」
「我慢が足りないよ」
「そうは言ってもよ。俺はそっちと違って魔法のことなんかこれっぽちも分からないの! こういう時、師匠はどうしてたんだ?」
「アイゼンなら隅っこでじっと私たちの探している様子を見てたよ。それか鍛錬」
「人の家の中でやれるかよ。それに、狭いし……」
「外でやれば良いのでは?」
「それもそうか」
フェルンの呟きにはっ、と気づかされたようで、シュタルクはこれ以上ここにはいられないとばかりに表の通りへ飛び出していった。
その背中を彼女は呆れたように、手間のかかる弟のように見つめるが、すぐに捲っていた本の頁へともう一度目を落とす。
しかし思ったより早く、五分も経たないうちにシュタルクは家の中に戻ってきた。
「そう言えばよ、フリーレン」
「早っ……」
「え、そんなに俺って邪魔だったのか? ……そうじゃなくて。筋トレを始めてから思いついたんだけどさ。もしその魔法が見つかったとして、またあの夫婦にかけるのか?」
「それもそうだな。というより、むしろそっちの方がよほど大事な問題だ」
読んでいた何かしらの書物を近くの机に置いて、腕を組んだザインは他の三人に視線を巡らせる。
シュタルクから発せられた問いかけに、フリーレンとフェルンも顔を上げていた。
「お前らも思ってる通り、この魔法は極めて悪質だ。単に良い夢を見られるだけじゃない」
三人は頷く。
目を覚ましたあの夫婦の様子を見れば、それは一目瞭然だった。
「日がな眠りこけてまで見たいほどの夢。明らかに現実の生活に支障が出ているのにも関わらず、それを問題だと認識もしない。いくら夢の中で楽しもうが、現実で飯を食って適度に身体を動かさなきゃ弱っちまうことくらい魔法使いじゃなくても分かる」
「それなのに、あれだけ必死になってまで【
「変に誤魔化さなくても、実質それだろ。……で、シュタルクの疑問についてだが。ただでさえ中毒の患者に、追い打ちをかけるような真似を俺たちが果たしてやって良いのか? ってことだな」
もちろん、口に出さずとも彼らの中の答えなんて決まっている。
しかし、しかしだ。
――他ならぬ本人らがそれを望んでいる場合、果たして【
それが彼らの胸中を占有してやまない悩みだった。
「こういう場合、どうするのが正解なんでしょう?」
フェルンの問いに、フリーレンとザインは暫し悩むそぶりを見せる。
しかし彼らはやがて互いに目を合わせた後、小さく笑って静かに彼女を見返す――敢えてその答えを口にしない、と言わんばかりに。
それに困った彼女は、仕方なくシュタルクの方を見る。
「俺は……」
「……」
「……俺は、やっぱりこの状況が続くのは良くないと思う」
「たとえあの夫婦に責められたとしても、ですか?」
「そりゃ、怒鳴りつけられるのは怖いけどよ……」
決して、この村の人々は彼の恐れる強力な魔物や戦士などではない。
しかしその内に秘められた激情は、若く揺らぎやすい彼の精神を脅かすに足るものだった。
前に拠点にしていた村を狙っていた竜に立ち向かったあの時のように、シュタルクの手は小刻みに震えている。
恐れているのだ。
目を覚ました村の人々に怒られ、責められ……彼らの望みを裏切ったことを、詰められることを。
――だが、彼は戦士だ。
「その方があの人たちのためになるなら……やらなきゃならないだろ」
例え臆病であっても、それが逃げ出してはならない戦いだと分かっている以上は。
それが逃げ出す姿を見せたくない仲間の前であれば……虚勢であろうと、シュタルクは立ち向かう。
「シュタルク様……」
フェルン一人では、そこまで言い切ることは難しかったかもしれない。
しかし戦士の覚悟が、彼女に決意を固めさせる最後の一欠片だったのかもしれない。
「……そうですね」
奇しくも、それはシュタルクが怖気づいていた竜と戦う前とは逆の光景だった。
魔物と戦う覚悟を決め切れていなかった彼の背中を押したのがフェルンであったように。
人の感情と戦う彼女の決意を、今度はシュタルクが後押しする。
「その方がきっと、良いことなのでしょう」
「決まりだな」
その二人の光景を満足そうに眺めていたザインが大人ぶって頷くところが妙に勘に触って、立ち上がったフェルンはその脛を蹴っ飛ばした。
ザインは悲鳴を上げて飛び上がった。
「ぐぉおおっ……!」
「変な顔をするからです」
「……と、ともかくだな。それならあの夫婦だけじゃない。それ以外の村の連中にかけられた魔法も纏めて解く、ってことで良いんだな?」
「はい」
「だとしたら、一つ懸念が残る」
ザインはちらり、と魔法使いの老婆が眠っている方を見やった。
「俺たちが解いたとしても、ここの婆さんはその魔法を覚えたままだ。俺たちが魔導書を見つけて持っていったとしても、少し経てばまた元通りになるのが目に見えてる」
「その点は大丈夫。忘却の魔法を使えば記憶から消してしまえる。眠っている今なら、精神防御があっても破りやすいしね」
「そうか。ならフリーレン、お前はそっちの方を優先してくれ。俺たちで続けて魔導書を探すぞ。シュタルク、お前も飽きたとか言ってないでこっちを手伝え」
「ひえっ、分かったよ……」
……そうして。
「――【
「よし。お前ら、見つけた【
村全体に、ザインの敷いた儀式陣に沿って女神の威光が満ちる。
聖なる光が迸り、村の人々が次から次へと永遠に続くかと思われた眠りから解き放たれていく。
「よし、連中が事態を把握する前に逃げ出すぞお前ら!」
村人から
走り、走り、走り。
飛行魔法さえ使って、とにかく急いで村人に見つかる範囲から脱していく。
やがて少し離れた崖の上に辿り着いた彼らがそこから村の方角を見下ろせば、なにやら住人たちが喧々諤々と騒いでいるのが分かった。
「……果たして、これで良かったのでしょうか」
落ち着いて、フェルンは改めて自分の選んだ結果を振り返る。
もし彼らがあのまま村の中に留まっていたならば、きっと想像もつかないような罵詈雑言を浴びせられていたに違いない。
いや、それだけで済むのかすら怪しいものだった。
遠目に見える村の人々が手に鋤や鍬、草刈り鎌などを持って中央の噴水広場に集まっているのは、決して今から疎かにしていた畑の世話をするためではないだろう。
悩める彼女に、フリーレンとザインは先ほど彼らが口にしなかった答えを教えた。
「良いと思うよ。自分だけの世界にいつまでも引き篭もってられるのは確かに幸せかもしれない。けど、いざ外に飛び出してみれば、そんなつまらないことはないって後々になって気付くんだ」
「だな。つーか、お前らもついこの間俺に同じことをしたばかりだろ」
「ザイン様は……別に良いかな、って」
「マジでなんなの?」
「【
その代わりに、実のところ抜け出そうと思えばいつだって抜け出せもする。だって所詮は夢、全ては貴方たちが望むがままなんだからさ。……でも、今回は望んでもいないのに夢は覚めてしまった。
それを
答えを出すのは難しいかもしれない。だけど、それだけ悩んだ末に導き出した答えにこそ見出せるものがあるのかもしれないと、私なりに思うんだ」
少女の顔をしたモノは秘かに、夢と現実の狭間に揺れる人々の行く末へと思いを馳せる。