内なる獣を殺した日
歩離人。それは言語を介する狼で、野蛮ながらも古き伝統を重んじる種族だ。力を尊び、あらゆる星に生きる命を奪ってきた、残酷な狩猟者である。宇宙を渡れるほどに優れた技術を持ちながらも、その在り方を貫き通す。百年以上の長命で、その略奪は留まることはない。
そんな理性からかけ離れた文明の中にも、異端者は現れる。己の牙や鉤爪を、自身の快楽のままに振るわない狼が。
そして異端者の中でも、肉体以外には不気味なほどに歩離人の性質を持ち合わせない者が一人、とある群れにて突然台頭する。その者は歩離人の多くに疎まれ、だが一部には希望を見出された。何故なら、彼には力があった。
この世に生を受けて、早十数年。私は成人の儀を控えていた。その前に父に連れられ、狩りに向かうこととなった。父曰く、獲物の血で全身を濡らす感覚を、早く感じてほしいとのことだ。
狩りとは弱肉強食の通りに沿ったものだ。他の星にある人命は、我らの乗り物である器獣に食らわせ、資源は根こそぎ歩離の民のものとする。
だが、私の頭の片隅には、ずっと巣食った考えがあった。侵略や、そのための術は、強さの一側面に過ぎないのではないかと。
ずっと幼かった頃。今日と同じように父の獣艦に乗せてもらい、千を超える艦隊で星に向かったことがあった。その星は、文明の程度こそ低いが資源と人は溢れており、民の益になること間違いなしとして、比較的多くの艦隊が向かったと記憶している。
我々の使役する器獣と、歩離の民が生まれ持つ牙が原住民を食い荒らし、血の海が作られた。哀れな餌に過ぎない彼らを、私は見降ろしていた。
そして私は、気圧された。死にゆく者が、地を這ってでも抗おうとする姿に。
彼らは家族を守ろうとし、敵うわけもないというのに命尽きるまで戦った。おそらく今あの星は、器獣の育成をするための牧場か、資源を取り尽くされた荒地へと変わっているだろう。だが彼らの最期は、ずっと私の心の中に刻まれている。
肉体が弱くとも、何かを守りたいがため武器を取る勇気は、また強さだ。この体験は、私に歩離らしからぬ考えを与えた。猟群で近い時期に生まれた奴らは、これをただ弱者だと笑うだろう。我らにとって、強さは腕っぷしのことだけではないが、歩離の民の肉体が至上であることに変わりはないからだ。
我々の本質である獣性とこの考えは絶えず争い続け、図体ばかり大きくなってしまった。狩りを最低限に済ませ、自らの思う強さを追い求める日々。人を喰らわず、奴隷である狐族や歩離の変わり者にばかり近づく私に、周りは異端の烙印を押し付けた。
今この時でも、私の中の狼が言う。奪い食らうことこそ継承であり、歩離の民の行く道だ。何を迷うことがあるのかと。
私は、飢えた狼を抑え込むことに限界を感じていた。この本質を抑えるための、きっかけさえあれば。私はそう願い続けていた。
父がその巨躯を揺らして、こちらへ歩いてきた。私の視界に入ってくる有機的な獣艦の内壁は、血の塩味を求めて蠕動している。
「狂风よ、そろそろ到着するぞ。準備はしておけ。」
「は、父上。」
狂风、クゥアン・フェンとは私のことだ。吹き荒れる風のごとく、狩りの中心を担えるようにと、父と母が付けた名である。私の親は身内に対して、とてつもなく情が厚い。子が日々強くなってさえいれば良しとするのだ。そして成人の儀を無事終えられるように子を連れ出すなど、普通の家族ではしないことである。
父の期待は、歩離らしい強さを得てほしいというもの。私には、それがどうも重くのしかかる。冷たい猟群で生きている中で、心の支えが家族だからだ。私の考えと食い違っていても、父の期待は裏切りたくない。
私が黙って小さな光が散らばる宇宙を眺めている様を、緊張していると受け取ったのか、父は私の肩に柔らかく手を置いた。そして青丘の荒々しくも、優しげな口調で私を激励してくれる。
「考えすぎるな、狂风。お前は強き戦士だ。オレや母さんは、よく分かっている。」
「父上…。ありがとうございます。」
「…大きくなったな。後はお前が毎日研ぎ澄ませている爪を、振るうだけだ。」
父はぽんと私の肩を軽く叩くと、獣艦の奥へと向かった。星へ乗り込む際に持っていく非常用の武具を手入れすると言い残される。父は用意周到だ。戦いの中で死ぬことを良しとせず、次の狩猟を楽しめるようリスクを負わない戦い方をする。戦士でありながら、前線において策も練る父は、その手腕を買われ群れを多く率いている。
私はじっと、星海を見続けた。この艦の横に並ぶ器獣の群れは、真白の球体へ徐々に近づいてきている。父に従う歩離の民が舵を取り、目的の地へ獣艦を導いているのだ。
星が視界を覆い尽くすほどに近づいたとき、周囲の器獣が降りていった。私も覚悟を決め、着陸の準備をする。
私の乗る器獣の内壁が、ぐちゃりと音を立て壊れる。様子がおかしい。
外を見ると、周囲の器獣は星に降りるのではなく、軌道から逸れて弾け飛んでいく。不規則な動きを取って、何かから逃げ惑うように。
獣艦を使役し舵を取っていた歩離の民の一人が、私の待機していた部屋に駆け込んでくる。
「狂风、逃げろ!あと御父上はどこへ行かれた!」
「武具の保管庫に向かわれた。骑牛、これは何事か分かるか?」
「俺にも分からない!離脱をせねばならん、脱出口に急げ!」
操縦者は左腕で通路の奥を示し、保管庫へ走っていった。骑牛は舵取りの腕が良い。いつも余裕をもって獣艦を操縦していた。あんな慌てようは見たことがない。
私は鍛えていた脚を活用して、巨大な獣艦の脱出口へ向かった。
この獣艦には、一人用サイズの器獣が培養されており、緊急時に展開される。選別が行われていないため、飛行能力は過信できないが、命には代えられない。
教わった通り、幼い器獣を鞭で叩き、仮の主人とする。生まれたばかりで長くは生きられないそれは、捕食器官が成長しきらないため、簡単に私を主と認める。脱出口には空きがあるため、搭乗員の多くは外へ逃げられたようだ。
星海に出て、目標地点へ飛んでいくことにする。荒い舵取りで器獣を駆り、真白の星に最短で接近していく。
前を見据えると、私の視界にはっきりと映った。星海よりも暗き大きな影だ。それは器獣の群れを覆い、通り過ぎたところにいた器獣が軒並み壊れていく。
それは、私と器獣の元へ向かってくる。回避しようにも、それはあまりに巨大であり、対処の仕様もなく呑み込まれることになった。
私の頭の中に、破滅の音が響き渡る。生命が等しく終わりを迎え、星海が虚無で満たされる。これは正しく終焉を迎えた宇宙の光景だった。
壊れた宇宙は巻き戻り、そこに至るまでの多くの破滅を影は見せた。そして、私にとって最も恐ろしい光景が見えた。近い将来、三百年もかからない内に、歩離の民のみならず豊穣の民は、瓦解する。これほどまでに栄えている大猟群が、いとも呆気なく散り散りになり、宇宙の片隅で怯えながら狩られるのを待つことになる。
この終焉は、歩離の民を攻撃する兵器の類かと考えもしたが、これは真実だと心から納得させられる。そして、この器獣の群れが死していくのも、起こるべくして起こったことなのだと。
肉体精神ともに頑強な歩離の民に干渉できるのは、超常の存在他ならない。
振り返れば、私たちが乗っていた獣艦が肉片へと変貌していた。逃げ出せた形跡はない。父も骑牛も等しく終わりを迎えたのだ。
私は思った。砥いだ爪や、器獣の破壊力は、圧倒的な力の前では無力だと。そんなものに全面の信頼を置けるはずがない。私の中の狼は怯え竦み、完全に力を失った。
私の心には、先ほどからずっと叫ぶものがあった。生きろ。戦って死ぬわけでも、自らの強さを求めた果ての死でもない、ただの無駄死になどしてたまるか。
「器獣よ、まだ死ぬときではない!私に従え!」
与えられた終焉の未来に、本能的な恐怖を感じているのか器獣は自壊を始めようとしていた。私は器獣を叱責し、元の猟群に戻るため無理やりに舵を切る。
必ず生きて戻ってやる。そして来るべき終焉を否定するのだ。私の思う強さは、歩離の外にあり、歩離を守るためにある。