赤泉の底から「欠け月」を得た私たちは、ヒスイノまで飛ぶ。私が呑み込まなかったもう一つの欠け月は、狼の手によって厳重に保管された。また青丘の地から、動植物の一部と大量の赤泉の水を得ることができた。これらの成果は、猟群の糧になる。戦いに赴く前に、猟群の未来をより一層補強することができて良かったと、私はただ思った。
欠け月は心臓と一体になり、絶えず脈動している。試しに体に傷をつけてみたところ、今まで以上に再生が早まっていた。呼雷の心臓である紅月と同じように、肉体の強靭さも上げているようだ。もしかしたら、呼雷の昇らせた月の幻影さえ再現できるかもしれない。同族や狐族を救助する際に役立つであろう、自身の力を底上げする効果があったのは僥倖だった。私たちの根源は、再び力を貸してくれたのだ。
また一月の航海を経て、私たちはヒスイノに降り立つ。使者は来ていなかったが、想定内だ。オムニックによれば、既に戦いは始まっているとのことである。
共に青丘の地に行った人員は、早く赤泉の水や欠け月を調査しなければと、急ぎ足で研究施設へと向かっていった。動植物も、あの泉を水源として成長したはずであり、貴重な資源であろう。
そして私と戦争に向かう戦士たちは武器研究の施設に入り、それぞれの武装を身に着ける。特殊な塗装のなされていない、武骨な外骨格だ。いつもの鎧では隠されている狼らしさが、見てわかるほどに浮き出ている。武器研究を行っている義姉の狼が言う。
「狂风、狼ども。それに狐たち。性能を出来る限り上げたよ。耐久性も可動域もばっちりだ。…必ず戻ってこい!」
「義姉さん、ありがとう。目的を達して戻ってくるよ。」
私たちをヒスイノを守る戦士たちや、研究員の四種族が見送ってくれる。それ以外の役割の者たちも、装甲の色は不思議がっていたが、遠征人員を快く送り出してくれる。
思えば四種族で反りの合わないところは無くなっていた。狼と人間は特に難しく思っていたが、徐々に対策を練り実行に移したことで、捕食者と餌ではなく本当の意味で対等になれたのだ。人間側が狼の鼻孔を刺激しないように、匂いを遮断する機械服を着用するようになったのが始まりで、作業を共に行っていくたびにお互いを認めていた。
この理想の形が、もし仙舟同盟とも取れたら。私は叶わない未来を想起せずにはいられなかった。
狼の戦士は巨大な器獣を一人ずつ駆り、狐族や少数の人間種、オムニックたちは分散してそれらに乗る。私の艦は戦力が集められ、白狼師匠にストリボーグ、その他十名の狐族が共に乗っている。
戦場をストリボーグが示す。その地点は、私たちが帰還した路とは別の方角であったが、私たち基準でヒスイノから非常に近い位置を示している。
「マスター、投影します。この地点で、仙舟同盟と歩離人の大規模な戦闘が発生しています。」
「近い…!五日もかからない距離だ。」
「遠ければ遠いほど、皆が死ぬ。狂风様、辿り着くのが早くなるのであれば良いことですよ。」
「帰りの航路がばれるのはまずい…。上手く隠せればいいが。」
「大丈夫ですよ。外見の偽装は、戦場付近でしか解きませんから。」
白狼が私をなだめるように言い聞かせてくる。私が大きく息を吐き、心を沈めた。不安がれば皆も動揺する。私の意思で彼らを戦場に連れていくのだから、毅然とした態度であるべきだ。
私は白狼に礼を言い、器獣が飛ぶ様を見てそのときを待った。
大きな器獣に乗ってきたため、鍛錬するためのスペースも存在する。私は消耗しすぎない程度に白狼と手合わせをすることにした。仙舟同盟は戦いにおいて、戦闘用の船である星槎を用いたり、生身での接近戦に持ち込むことが多い。大まかに見れば歩離の民と同じだ。星槎は人を喰らわないし、彼らは囮を積極的に使うこともない。そして幾ら長命であろうと、人間種と同じ体格であるためその点ではこちらに分がある。
持ち込んだ備品である、簡単な造りの武具をそれぞれ手にし、練習を始める。白狼は珍しく槍を使っていた。白狼の瞳の外側には、赤い輪が浮かび、理性を保ったまま混血の力を発揮していることが分かった。彼女の速さは今までの組手とは比較にならないほどだ。戦場に着くまでには時間がないためか、焦っているような印象を受けた。
「狂风!体の治る速度が上がっても、深手を負えばたちまち追い込まれる!もっと速く、皆を救える判断をするのです!」
「はい、師匠!」
カンパニーの社員から、私たち戦士は断片的に聞いた。仙舟同盟には生ける英雄がいると。雲上の五騎士、豊穣の民の悉くを退け、生体星宿さえも打ち砕いた強き者たち。個人の名前までは聞けなかったが、圧倒的な強さは伝聞でもあっても理解できる。
私たちは、戦場にいるであろうその雲上の五騎士と接敵し、狼と狐族を助け出さなくてはならない。この戦いで、呼雷と五騎士は必ず衝突する。どうやって呼雷に生きてもらうか。それには私たちの行動の一つ一つが関わってくるだろう。
白狼は危惧しているのかもしれない。彼女は青丘の地から帰った時以来、弱音の一つも見せず、ただひたすらに己と私を鍛え上げている。その焦燥が、拳越しに私にも伝わってくるのだ。
私たちの鍛錬は日夜続き、目的地に着く一日前に鍛錬は終了した。
戦場が見えてきた。宙では器獣と星槎が砕け合い、地上では歩離の民と仙舟の兵士たちが血で血を洗っている。器獣を逃がし、戦闘が激化していない地点で合流することにする。
血で染まった土地に、一際目立つ狼がいた。私たちは、その狼に向かって走る。
「狂风…。あえて使者を送らなかったが、やはり貴様は来るのだな。」
「貴方のご反応が芳しくなかったのは、感じておりました。呼雷様、私は狼の未来を守るために、死者を減らして見せます。」
「まあいい…貴様が来て、こちらにとっては好都合だ。…走れ、狼の子らよ!羊の群れを喰い殺せ!」
呼雷は星を覆う群れを率い、仙舟の兵士たちに襲いかからせる。私はそれを見ると、呼雷の様子を逐一確認するようにして陰に潜み、交戦しながらも狐族や負傷した狼を探し出すように動いた。
戦場は一見歩離の民が優勢に見えた。仙舟の兵士を食い荒らし、群れを進めていく。だが、兵士の中にも目が惹かれるほどに強い者たちがいた。一人は、少年と青年の中間に位置する白髪の男で、狼の群れをばたばたと切り結んでいく。二人は黒髪で半透明の角を生やした男で、槍で突き、水を操って群れを押し流す。三人は黒髪だが額で分け目を作った男で、これもまた卓越した技量で狼を圧倒していた。
空中では、一艘の星槎によって器獣が次々に破壊されていく。操縦者は分からないが、敵側だというのにその動きは流星のようで美しい軌道を描いていた。
激化した戦場では、重軽傷者は多く出る。器獣に運び込む量はどんどんと増えていくが、木々の陰に隠れているため消耗は少ない。このままなら、救助できる人数を多くできると少し安心していた。
それがいけなかったのだろう。おそらく雲上の五騎士、卓越した戦闘技能の五人である最後の一人が戦場に躍り出たのだ。その白髪の女性は、冷たい刃で次々に狼の息の根を止め、ついに呼雷に切りかかった。
呼雷を殺されるわけにはいかない。私は呼雷の元へ再び合流した。
白髪の女性と呼雷は激しく斬り合い、互角に見えた。しかし段々と呼雷が押され、ついには膝をつく。呼雷が嬉しそうに笑う。
「くくく…比類なき剣だ…!鏡流…話には聞いていたが、ここまでやるとはな!」
「刃よ氷を為せ…。」
目の前の女性、鏡流は静かに唱え、冷気の剣を振りかざした。こちらを敵としてしか見ていない、強い眼光だ。彼女こそが呼雷並びに、歩離の終焉。私は呼雷の横に並び、大斧と鎧を展開した。
「呼雷様、共に参ります。炎嵐よ、吹き荒れろ!」
「貴様の真価も見られるか…。紅月が昇る!」
私は先陣を切り、混合した群れの狼と共に鏡流に挑んだ。
呼雷の紅月は、彼自身だけでなく周囲の狼の月狂いを強化する。私もその影響下にあり、増強された破壊力を以て大斧を振るった。しかし、それは容易く躱される。すれ違いざまに、狼が数体刻まれ死んだ。私の体も切られるが、回復は出来る。怯むことなく攻撃を継続すると、鏡流の表情が僅かに変わった。
群れとしての戦いは、次第に呼雷と私が二人協力して、鏡流を迎え撃つ形態に移っていく。どれだけ攻撃しても空振るか剣で受け止められ、刻まれるだけであり、呼雷も同じであった。彼女の技量は、欠け月を得た私の体力を上回っているのだ。ある斬撃で体勢を崩され、足を切断された。冷気のせいか回復は少し遅くなるが、回復は行える。
鏡流が初めて意思のある言葉を漏らした。
「…うんざりだな。ここまで回復されるとは。」
「鏡流…さぞ名の知れた剣豪なのだろう。だが、諦めてたまるか!貴女に退いてもらうまでは!」
「面妖な歩離人め。次は何をしでかすつもりだ…。」
私は体力が削られてきた体を奮い立たせ、感覚にそって欠け月に語り掛ける。赤泉の結晶よ、私に応えてくれと。すると私の目の前に、深緑の三日月が出現し、淡く私たちを照らした。
「欠け月、降臨…!」
呼雷は笑い、鏡流は顔をしかめる。私の体が軽くなったようで、大斧の振りも早くなる。鏡流に比べれば稚拙な攻撃ではあるが、それでも鏡流に追いついていく感覚がする。
しかしそれは長くは持たなかった。鏡流の着る防具を切り裂けはしたが、戦闘中呼雷も鏡流は狙っていたのだ。無数の氷剣によって呼雷は串刺しにされ、がくりと首を下に傾ける。
「呼雷様!」
「ここまでか…。貴様は行け…!己が思う狼の自由を、実現させるのだ!」
「逃がすと思うか。」
呼雷は苦し気に私へ語り掛ける。鏡流がこちらに剣を飛ばしてくるが、辛うじて彼が動きそれを受ける。
呼雷は再度吠えるように叫んだ。私は歯を噛み締めた。何故あんなにも強く、手が届かないのだ。
私は黒い装甲を身に着けた仲間を探しながら、振り返らず走った。小さくなっていく呼雷の声が耳に入る。
「走れ!くくく…鏡流よ。…俺が終わろうと、月を得た狼は、まだ終わらない…!」
私は救助活動に戻った。しかし、それも思うようにいかない。戦場はもう、劣勢に追い込まれていた。
氷の剣士、鏡流によって消耗させられた分もあり、移動中多くの兵士から何百回も無防備な状態で攻撃を受けたため、体力が削られていた。
助けられた人数は多いが、猟群から来てくれた戦士は、徐々に数を減らしていく。救助するたび場所を変えているのに、目ざとく兵士たちは私たちを見つけ出すのだ。仲間たちは数に圧倒されて串刺しとなり、先にいる仲間へ託していく。それは、彼女も同じであった。
最後の救助者たちを運んでいるときだった。白狼は息を荒げ、立ち止まる。もう少なくなった仲間は先へ行った。私が振り返ると、彼女はゆっくりと首を振った。
「師匠、何をしているんだ!早く器獣まで走ろう!」
「あたしは…もう無理です。もう体が限界で…。」
白狼の体が膨らむ。私はその症状を瞬時に理解した。混血に起こる月狂いの解放だ。だが、見ていた限り白狼は理性を失っていなかった。何故このタイミングで。白狼は続ける。
「師匠、まさかそれは…!」
「そう、月狂いですよ。少しは気づいていたでしょう…?自分では抑えられなくなってきて…この戦いが良い機会でした。ただ死ぬんじゃなく、可愛い弟子や仲間のために死ねるんですから…。」
白狼から覚えた違和感が一つずつ脳裏に浮かぶ。私は手を伸ばした。私たちのルーツをたどり、欠け月も得た。これからなのだ。師匠は死んではならない。
すると白狼が苦し気に声を張り上げる。それは拒絶と激励の言葉だった。
「あたしはここで兵士を食い止める…。行け、狂风!呼雷などいなくても、未来を切り拓け!」
「師匠…!くそっ…!」
大量の兵士が私たちを見つけ、走ってきているのが見える。私は救助した者を担ぎ上げ、ただ前を見て走った。師匠も私も消耗しきった状態で戦えば、抵抗らしい抵抗もできずに仲間と同じく串刺しにされ、欠け月も割られるだろう。私にもっと力があれば。私は死んでいった狐族の戦士や狼たち、そして師匠に悔いながら、走って走り抜いた。
―――――――――――
白狼と呼称された狐族の女性は、逃がした狼の後ろ姿をじっと見る。ずっとそばで見てきた、弟分であり弟子。彼女の身長を優に越し、巨躯だけでなく、大きな群れを形成する力まで持った。女性は満足していた。よくぞ立派に育ったと。
ふと女性は自身の体を見る。月狂いを完全に開放し、膨らんだ体。傷口から中途半端に生えてきた白き体毛。月狂いは、混血の肉体強度では耐えられない。生きている限り、必ず抑えられなくなる時は来る。近い内に意味のない月狂いを発症するより、自分の意思で解放しただけの話だ。
女性は、この場へ共にやってきた混血の狐族を思い浮かべた。彼らも女性と同じく限界が近づいていた。だからこそ、志願したのだ。彼らは、大規模な戦場こそが死に場所だと思っていた。弟子の彼には秘密にした。死ぬつもりで戦うなど、彼は反対するだろうから。
「頑張ったな、あたし…。」
女性は、中途半端な変形で潰れた内臓を吐き出し、仙舟同盟の兵士たちを睨みつける。
ここがあたしの死に場所だ。
彼女は外骨格から隠していた槍を取り出し、吠えた。びりびりと空気を鳴らし、宣言する。
「ここから先は、狼の未来!白狼の名において、簡単には通さない…!」
――――――
来た戦士は百五十四人。その約百倍もの人数を救助し、生身の戦士は人間種四人と狼三人を残し全てが死んだ。動かせる器獣は、四体だけ。二人残ったオムニックは壊れかけ、そのうちの一人であるストリボーグも動けるだけの状態だ。隙間を少し開けて座らせた、救助した者たちが呻く。
宙に浮き遠くなる戦場は、仙舟同盟、歩離の民両者の死体で埋め尽くされている。豊穣と巡狩はなぜここまでして、殺し合わなくてはならない。
死は名誉ではない。意思のある仲間が死ねば、双方生きている者が苦しむというのに、何故戦うのだ。何故、何故と考えても答えは分かりきっていた。
私は師匠と仲間たち、呼雷の死に胸をかきむしり、苦しみ抜いた。分かり合えず骸を重ねるこの惨劇に、悔しく涙が零れ出る。
そして強く思った。絶対に、皆を守り抜く。歩離の運命が滅びだとしても、それさえ塗り替え乗り越えてやる。それが、私のせいで道半ばで死ぬことになった仲間たちへ報いる、唯一の方法なのだから。
―――
死体で埋め尽くされた戦場に、ある狐族の女性が降り立った。戦闘が終わり、仲間の剣首によって、狼の頭領が捕えられたからだ。
先ほどまで大破した星槎に乗り、何とか戦場を飛び回っていた彼女は、戦死者の山に目立つ遺体があることに気が付いた。
ところどころから髪色と同じ、白い体毛が飛び出ている女性の遺体だ。彼女の手には、紙片が握られていた。狐族の女性は、大切に握られていたそれを見て、同族の供養のためと頭の中で読み上げる。
それは遺書であり、前半は千切れて無くなっていた。そしてその字面は、溢れる誰かへの思いを綴っていた。
『■…、あたしは幸せ者だった。ヒスイノは素晴らしい場所で、多くの狐に見てもらいたい楽園のような場所だ。どうかこれからも、貴方の成長と、星の発展が続いていきますように。』
遺体の彼女と似た髪色をした狐族の女性は、戦士であると同時にナナシビトであった。未知の場所を探して飛び回る、開拓の精神を持つ者。戦争続きで、死体の山が広がる星ばかりを見ているが、その精神はさび付くことはない。
この紙に残された星は一体どのような楽園なのか。この女性が見た景色を自らも知りたいと。狐族の女性は、弔いの念と未知への興味を同時に抱いていた。