初めての仙舟への訪問から十数年が経った。仙舟へは、向かう度に少しずつ人数を増やしていった。主に訪問したのは白珠や応星が拠点としている羅浮であり、他には朱明へ足を踏み入れたこともあった。朱明に行ったのは、彼の母親の様子を見るためだったが、応星の鍛冶の師匠に偶然会うというイベントもあり、気が休まらなかったのを覚えている。
応星とは他にも、深緑の騎士としての活動に同行してもらったり、鍛冶の腕を間近で見させてもらったりなど、双方の理解を深められた出来事もあった。彼は複雑な感情を抱いていたようだったが、私たちが知性を保った生命の殺しをしないことは理解してくれたようで、そのときから会話の裏を読み取ろうとする疑念が彼の中から無くなったように思える。
同盟の情報を探るという目的で行われてはいるが、外部の商人、一般人から徐々に聞き出す形であり、雲騎軍や、十王司という機関は怪しんでこなかった。
応星や白珠が協力してくれたのも大きかった。他の雲上の五騎士との接触は極めて慎重に行い、会うにしても一人ずつであった。結局鏡流との会合は、今でも行われていない。
仙舟人にも色々な性格の人間がおり、隙がある。口の軽い役人だったり、私の仲間が個人的に友人になった組織の幹部などから重要な情報を得た。それは巡狩の星神、嵐が動く仕組みは、仙舟側でも詳細に把握できていないということだ。嵐が動くとき観測はできるが、それだけであった。
私はその事実を知ったときひどく落胆したが、対策するための努力はできると考え直した。矢は、避けるか折るか相殺させれば良い。現在は有効手段がないため、嵐に狙われたときは星から避難させなければならないだろう。オムニックの演算と探求者の情報整理、矢を観測したときの条件の洗い出しを行っている。
そして私たちの群れでは、研究者となった狼や狐族たちが日夜、薬師の与えた赤泉の研究を行っている。赤泉に贄を注ぎ、遺伝子巫術を行うことで結晶が作られることは実証済みだが、どういった仕組みでそれが起こっているのか分からないままであった。
私は白珠が訪問していない合間を縫って、研究者たちの様子を見に行くことにしていた。
研究者たちは現在、結晶である「欠け月」とはどのような効果を持つか、貪欲に実験を繰り返している。定期的に青丘に行き、私の肉体や付近で狩ったスウォームの死骸を使った上で、欠け月を生み出しているため、結晶は貴重だが特別なものではなくなったのだ。
小さく寿命の短い生物に、欠け月の欠片を飲み込ませたり、狼の身に欠片を使って再生能力がどれだけ上がるかの動物実験が行われる中、私はその成果を尋ねに来た。
研究者の一人、狐族の男性が私を迎える。彼は、欠け月の研究における大規模なチームのまとめ役だ。
「狂风さん、こんにちは。今回は良い結果をお見せできると思いますよ。」
「楽しみだな。案内を頼む。」
鑿歯猟群がこの星に残した、器獣を育成するための施設は、遺伝子祈祷術の宝庫であった。他の猟群の吸収を行うことでの群れの拡大に伴って、歩離の民の生物科学技術は全て集結したと言っても過言ではない。その生物科学技術は全て私たちの根源の研究に投入されているため、他の派閥ではいくら研究しても辿り着けない領域に達しているといえよう。私たちと同様の技術を持っていない場合、あることさえ気づくことができないのだから、一定の段階で立ち往生するのが決まっているのだ。
豊穣の民は、薬師を詮索することを悪とするが、真実から最も近いのは薬師から恩恵を受けている我々自身なのだ。薬師の力は人には過ぎたものであるが、手を加えればそれさえ克服し、人間の思うがままに扱うことができると可能性が見えてきている。
薬師が与える豊穣の力は、科学技術だけで説明がつくものではないことが分かってきた。科学と祈り。念を込めるという行為が、エネルギーの移動を引き起こすようだ。特定の脳波に反応するのか、更なる考証を重ねることでそれは証明されることだろう。
狐族の男性が、ある部屋の前で立ち止まった。そして扉を開け、中の成果を見せてくる。
それは欠け月が細かく分解され、目に見えないほどまで小さくなった粒子が容器の中を舞っている光景だった。そして別の透明な容器には、小さい獣「血鼠」が収まっている。偵察・奇襲用に使われる戦獣で、使い捨てであるため寿命が短く、育てている群れは非常に少ない。
彼は言葉と手に持った映像資料で、私に説明する。
「狂风さん、わたしたちのチームは薬師様から賜った赤泉、その結晶の最小化に成功いたしました。そしてこの一粒を血鼠に投入したところ、その生物の限界寿命まで生き続けられることが判明いたしました。年老いた血鼠もご覧の通り。若々しくなりますが、これもまた寿命でぱたりと命を落とします。」
「なるほど…砕いたものであっても、長命とは言わずとも、若いままの状態を維持できるということか。」
「ええ、そのようです!妖弓の信者、仙舟同盟が賜った「建木」とは訳が違います。やはりわたしたちが古に飲んだという赤泉の水は、私たちは特別なのです…!」
爛々と目を輝かせ狂気的な表情で、彼は言う。行き過ぎた選民思想は、やがて造翼者のように他種族を塵芥のように扱う存在に成り下がる。私は彼を諫め、リスクが本当にないのかを再三実験して確かめるように言う。
「申し訳ございません、余りにも拡張性のある研究材料でしたもので…。つい気持ちが溢れてしまい。」
「貴方たちの研究は、私たちの群れの宝だ。ただ、赤泉が力を持っていようと、私たちは享受しただけの存在。私たちは運が良かっただけだと、覚えておいてくれ。」
「はい、胸に刻んでおります。」
「厳しく言ったが…素晴らしい成果だ。この研究は、群れのみならず宇宙中で評価されることになるだろう。」
赤泉の結晶によって長命を与える行為は、噂が漏れるだけで戦いが始まる可能性があるため、一部の者にしか執り行われていない。また矢が打ち込まれないよう、慎重な対応を心がけている。
商魂逞しい群れの商人や、信用できるカンパニーの社員などは、この星のサービスとして高値での取引を所望しているが、それもまだ先になるだろう。豊穣の力を受けていない万人、長寿を求める薬乞いにこれは劇薬だ。今血鼠で行われている研究が進み、加えて星神の動きに対処ができるようになったとき、ようやくもう一歩が踏み出せる。
私は研究成果に評価すると、探究者たちの元へ向かった。
探究者と、仙舟同盟で商談を行っている対話型のオムニック、そしてこのヒスイノに来てもらった商人を相手取っている狼と狐族が防音性の会議室で話し合っている。彼らは私がやってきたことに気づくと、ホログラムを拡大し、現在の議論の進捗を説明してくれる。
「狂风様。今集まっている、全五百六十八件の事例を確認いたしまして、共通する部分がございました。豊穣の民が撃たれていることは自明の理でございますが…こちらをご覧ください。」
「…豊穣の民が、攻め入っている最中に撃たれている事例が多いな。」
「そうです。そして戦闘が終わり、略奪行為が開始されたときに撃たれることも。」
「奴らが魔陰の身と呼んでいる状態の人間が増えて、暴動が起こった星もです。」
「略奪行為を働いていない豊穣の集団に対しては、事例があるか?」
彼らは一様に首を振った。豊穣の民は種族ごとに理由はあれど、他者から奪おうとする性質を持つ者が殆どだ。それは豊穣の恩恵を受けている仙舟同盟も例外ではない。
探究の果てに得られた応え。星神に自由意思の類はないという推論。巡狩の星神の成り立ちが仙舟同盟からだと考えられている以上、豊穣の力を持つこと以外に嵐が矢を放つ条件が必ずあるはずだ。
「まだ推論の域を出ていませんが…探求者の方々の話からするに、妖弓から見た、豊穣の性質が色濃く出ている行動に、反応するのではないでしょうか。略奪や戦争、豊穣の力の制御がつかず苦しむ者に対して、反応するように考えられます。」
「なるほど、現状はその推測の元動くことになりそうだな。これまで通り略奪を行わない新しい歩離の社会を構築し続け、ヒスイノ付近で戦闘行為を起こさないようにしよう。」
不確定要素の多い星神は、非常に危険だ。現在取れる対策を全て行い、早急に私や深緑の騎士が力を付ける他ない。矢は星神から放たれるが、星神本体ではないため、個の力で対抗できる可能性もある。私は豊穣の使令を思い浮かべた。あれだけの力さえ持てれば。
「ええ、現状維持こそが危険を避けられる道でしょう。対策措置としての防衛壁については、建設を急いでおります。現在85%ほどが建築完了し、一年以内には集められる建材で最も硬質の壁が出来上がる予定です。」
「よし。…商いのリストと、施設の補強、新造についての書類は目を通した。では、カンパニーとの共同事業について、詳細を説明願おう。」
妖弓についての話の次は、私たちにとってより重要性の高い論題だ。商人の狐族や狼が、事業内容について説明する。この星に関する報告は長く、陽が沈むまで続いた。
星の内外に目を向ければ、群れの長としてやるべきことは山積みである。緑翠猟群の構造は、巣父とそれ以外ではなく、根が分かれるように多岐に渡り、それが明確に組織立ってきた。
統治者としてふるまう場面が増えた私にとって、いつの間にか白珠や応星に連れられて仙舟を調査する日々が、気を張りつめたものから、心安らぐものへと変わっていた。最近、応星の髪に白が混じってくるようになった。それだけ彼らと交流をしてきたのだと感慨深くなる。
二週間後は、白珠が私たちを仙舟へ連れていく日だ。応星が、次に私が訪問したとき渡したいものがあると言っていたため、それも楽しみである。
私は重くなった体を鍛錬で更にいじめ抜き、少しでも強くなった実感を得たところで、水浴びをしてから目を閉じた。積み重ねは私たちの群れを存続させ、さらに成長させる。豊かさを絶えず更新していく理想的な日々に身を置いていたら、師匠が命を落としたときの悪夢はもう見なくなっていた。