私と白狼は向かい合い、戦闘態勢を取る。戦奴には満足な防具は与えられない。狐族用の防具は製造されず群れに広まっていないため、修練のためであってもまともなものは装着させられないのだ。そのため私は爪を隠し、白狼の肌を傷つけないようにする。
「狂风様、受けきって下さいね。…はあっ!」
白狼は全身の筋肉を膨張させ、拳を振るう。風を切る音が鋭く、私の耳をくすぐる。白狼の動きはどんどん速くなり、キレも良くなっていく。体がほぐれてきたようだ。私は平手でそれを受け流しながら、距離を保つ。
歩離と狐族の混血は、理性を手放して獣化しない限り、狼の力を扱うことができる。瞳に赤い輪が滲むとき、混血の戦奴は、狼主と同等以上の強さを得る。
「体が温まってきた…。師匠、私からも行かせてもらう!」
「来い、狂风!あたしは…恐怖に足を止めることなどしない!」
しばらくして、私も万全の調子になった。白狼の、修練の時だけする呼び方に対して喜びながらも、腕を狙って拳を放つ。歩離の民は、戦いの中で自然にフェロモンを出す。相対する他の生物を恐怖に陥れる、毒のような代物だ。この狼毒を用いて、歩離の民は狩りを優位に進めてきた。
白狼は瞳を一瞬揺らしたが、狼毒を表面上はものともせず、先ほど通りの動きで組み手を行う。
そこからは、互いが荒い息を吐く音と打撃音のみが部屋を支配し、白狼が体力を失って倒れこむまで続いた。
白狼に用意していた血の酒と、合成肉を渡す。血の酒については、歩離のバイオテクノロジーの副産物で、器獣を製造した際の廃液のようなものだ。新鮮な血には味が劣るとして、あまり普及していないのだが、私には十分に思える。
白狼は、水分と栄養の補給を念入りに行う。大口を開け、少し尖った歯を見せながら肉にかぶりつき、血の酒を喉を鳴らして飲む。
「塩味ばかりで申し訳ない、白狼師匠。せっかく、味蕾で感じられるというのに。」
「あー、偶に話されるスパイスの類いですか。甘味と酸味でしたよね。あたしは、得たいの知れない草を口に含むより、狂风様が持ってきてくださる肉を食べたいです!」
狐族は、味のない固形物や肉の切れ端など、まともな食事を与えられないのが基本だ。白狼の中で塩味以外の味は、飢えたときに食べた草の味なのだろう。その味を思い浮かべたのか、顔をしわくちゃにして舌を大きく出した。その後、彼女は用意した全ての食べ物を空にし、一息ついたところで小さく呟いた。
「他の狐にも、食べさせてやりたいですね…。」
「…私の手を広くする。そのときまで待っていてくれ。」
「ええ。狂风様が、もっと多くの狐族を囲ってくださること、期待しています。」
歩離の民が重んじる伝統は、変えられない。ならば、新しい規則のもと生きる群れを作ればいい。その群れに多くの狐族を取り込む理想を描きながら、まずは一つずつこなすことを意識した。
白狼は立ち上がり、再び組み手の準備をし始めた。彼女は体をねじり、筋肉をほぐしながら話を続ける。
「そういえば、成人の儀ではどんな器獣を手懐けるご予定ですか?」
「私としては、固ければ固いほどいい。合成肉で満足する消化器官であるのも大事。これは判断できなそうだけれど。」
「はははっ!手当たり次第に食べさせないとですね!」
白狼は膝を叩いて笑う。合成肉については半分本気だ。獲物を食らわなければ生きられない器獣など、私の意思についてこられない。器獣には、乗り物としての利用価値さえあればいい。
成人の儀はどういうものか。これは、年に一回齢の近い若者を集め、武器牧場に放たれている器獣を従える、歩離の最初の試練だ。この儀式で、力が一定に満たない弱い若者は、器獣に食い殺される。また注意力が無ければ、血の気の多い同胞に殺されたり、囮にされたりもする。強きを尊ぶ歩離の民らしい選別方法の一つだ。
そして成人の儀式には「鑿歯猟群」が深く関わっている。私たちとは別の猟群で、器獣を作り出すという歩離全体に欠かせない技術を持っている猟群であり、彼らが武器牧場の運営を担っている。鑿歯猟群が製造育成、選別の全てを執り行って、個々に性能の違う器獣を放し飼いにしているのだ。大きさに関わらず、突出した部分がある器獣たちであり、自身に合うかどうかは、戦ってみなくては分からない。
私の希望に合う器獣がいれば良いのだが。白狼は自身の経験から出る推論を口にする。
「器獣は大抵、狼主の指示がなければ好きなように食い散らかしますから。でもこれまでの戦場で、妙に大人しい器獣は見たことがあります。従順な獣もいるでしょう。」
「師匠の経験は信じられる。そんな器獣に巡り会えるといいな。」
「うんうん。狂风様の力を存分に見せつけられるように…再開しましょうか。」
「お願いします、師匠。」
再び私たちは拳を交える。どちらかが膝をつくまで行い、しばらくしてまた続行する。歩離ではあまり重要視されていない研究をしている人や、それを志す人と話す機会が挟まったが、それ以外の時間は修練に費やした。
あれから、月が十五回瞬いた。成人の儀を行うため、多くの歩離の若者たちが、獣艦にて惑星付近にやってきた。まだ母たちは帰ってきていない。大量に残る骸を処理しているのだ。
兄は、父の死を母から遠隔で伝えられ、自身が後継者になることに熱を入れ始めていた。肉親の死であっても、受け止めてしまえば自らの力を高めることだけを考える。これこそ歩離の民の多くが持つ性質。貪欲なまでに権力や奪うための力を求める、狩猟者の在り方だ。
私ももう揺らがされるつもりは無くなった。父の生き様は心にしまい、ひたすら自身の思う力を追う。感傷に浸れば、足が止まってしまうと分かっているのだ。
私は、搭乗していた器獣が着陸し、内壁がこじ開けられるのを視認する。そして、今日まで訓練に付き合ってくれた白狼に、出立を伝えた。
「良い知らせを待っていてくれ。この鞭から、器獣に魂を伝えてみせる。行ってきます。」
「牧場とはいえ戦場ですから、お気をつけて。日頃の練習は形になります。良き戦いを、狂风。」
私は、白狼を狐族の詰められている獣艦に連れていき、彼女の激励を背に、武器牧場へ足を踏み入れた。
上空は巨大な獣艦が覆っており、局所的に夜が作られる。あの艦から戦首の呼雷や、長らく略奪の術を磨いてきた強者たちがこちらを見ているのだ。これから歩離の未来を作る若者たちが、どれだけ力を示せるのかを。
爪の先のごとく小さく見える彼らの中心から、一瞬だけぞっとするほどの威圧感が私を貫く。間違いなく、これは呼雷の視線だ。
武器牧場の中は、大小様々な器獣が人間という名の餌を引きずりながら、歩き回っていた。養殖された人間たちは、もう息をしていない。生い茂る草花が、黒い血で染められていく。
血に飢えた器獣は、主がなく健やかに育った体躯で、我ら歩離の民も餌と思い、襲いかかってくる。私を含め千人ほどの若者たちは、器獣を従えるための鞭を引き絞り、四つ足を地につけて走り出した。
まずは様子見だ。血に酔いすぎない個体を従えるため、器獣の動きを観察する。
多くの若者が、私の横を吠えながら通り過ぎていく。そんな中、名も知らない若者が私に向かって吠える。
「狂风…!前からてめえが気に入らなかったんだ。丁度いい、獣の餌になりな!」
「同じ猟群にありながら、卑怯な手を使うものだ。」
「言ってろ、獲物を選ぶ軟弱野郎が!」
その若者は、こちらに向かって高速で突進してくる器獣から身を守るためか、私を盾にし腕に爪を食い込ませた。避けられないよう、私を拘束するつもりなのだろう。
私は月狂いを発動した。器獣の頭突きを胴で受け、強化された右腕を、器獣の頭部に叩きつける。器獣の頭部は弾け、目の前でぴくぴくと痙攣する。固さが足りないようだ。
「この儀式は、呼雷様も観ていらっしゃる。お前が無様に死なないことを祈っているよ。」
「…く!」
騙し討ちが失敗した歩離の若者は、歯を強く噛み合わせ、別の戦いへ去っていった。影で練られた反感は、隙を見せたときに命を狙う。いずれ引き込むであろう人はよく選ばなければと淡く思った。
武器牧場を駆け、歩離の若者と器獣の戦いを観察していく。若者たちは少なからず器獣に負けており、骸となって戦場に転がっている。五人見れば一人は死んでいる目測だ。戦闘経験の少ない者が一人で相手取るには厳しい個体も存在し、それにばたばたと殺されているようだ。今回は豊作なのだろうか。私は、成長して強い個体を中心に見定めていく。
力を暴れさせている個体はなし。餌を食らいすぎる燃費の悪い個体もなしだ。固くて、主に従える冷静さのある個体こそ望ましい。器獣の牙と同胞の爪という、飛びかかる火の粉を払いのけ、複数を相手取る器獣に近づく。
「へへ、お前は俺のものだ…!ぐっ!?」
「…こいつだ、こいつがいい。」
練り歩き、私はある器獣を見つけた。歩離の若者十人を相手しながら、従えるための鞭を弾き飛ばしている。その体躯は、一般的な歩離の民の三倍以上の大きさだ。なぜこんなにも成長できたのか分からないほど、周りの器獣とは一線を画している。歩離の若者が一人、腹から貫かれ意識を失った上で貪り食われた。
器獣が新たな獲物がきたとばかりに、奇怪な吠え声で辺りを振動させる。私も器獣を威嚇するため、吠え返した。
この大きな器獣の突進を食らえば、ただではすまない。私は、白狼や混血の狐族たちから学んできた軽やかな足運びを真似し、初撃をかわした。質量の塊が私の体すれすれを通り、いくらかの体毛が宙に舞う。
器獣は振り返ると、私をじっと視認し、不規則な動きで地を駆けた。仕留めるために戦法を変える、賢い獣だ。私は月狂いによる筋力増強を活かして跳躍し、器獣の頭上を越えた。そして、器獣の首もとに覆い被さり、神経刺激を与える鞭を取り出す。歩離の民が生涯に渡って用い、勲章代わりに獲物の素材で彩る武器だ。
「魂に刻め。狂风、これから主になる狼の名だ!」
器獣の首に鞭をかけ、締め上げる。これが従属のための方法だ。器獣は、先ほどまで暴れまわっていたのが嘘のように落ち着き、草原に体を預けた。私は腰にかけた袋から、合成肉を取り出し器獣の口に放り込む。鳴き声の中には不快な感情は混ざっていないようだ。
周りを見渡せば、何であったかも分からない屍と血肉が散らばって赤だらけになっており、従属に成功した若者たちも遠くに見える。血塗れの儀式は、もう少しで終わりそうだ。
私は器獣の中に乗り込み、大きな獣艦へと駆けさせる。儀式を通過し一人前となった歩離の若者たちに、百人規模の隊長の「昂達」たちがこれからのことを伝えるだろう。そこには、兄もいる。私の理想のために、どうやって昂達たちをこれから騙しきり、更なる位に上り詰めるか。その策を練りながらも、好調の器獣を急がせた。