出発
星暦7379年。仙舟「羅浮」は、豊穣の使令倏忽の死をきっかけとして、勝利を掴んだ。介入してきた「深緑の騎士」との一時的な協力の元、千五百年以上に渡って続いた第二次豊穣戦争を終わらせることができたのだ。
深緑の騎士と己らを呼称する豊穣の民は、意志の無い忌み物だけを狩り、あろうことか仙舟の民の避難と介抱を行った。彼らについては謎が多い。
豊穣の民の間で内輪揉めが起きたという見解が出されたが、雲騎軍の多くや、羅浮の住民はそれを否定した。彼らは命を救おうとしていた。それはどちらかの陣営に肩入れした形ではない、第三者としての助勢であると。
彼らは戦場にて、雲騎軍に刃を向けられても返すことはなく、ただ守りに注力していた。
予想だにしていなかった外部からの救助があっても犠牲は多く、帰らぬ人の中には羅浮の帝弓七天将、騰驍将軍も含まれていた。事態を重く見た仙舟の元帥は、一刻も早く羅浮の立て直しが行えるように、人員を手配した。
第二次豊穣戦争が終結してまもなく。戦争で散った戦士たち、犠牲になった少数の市民のために、慰霊祭が開かれる。立て直しが必要な時に気分を落ち込ませるのは逆効果であるため、特殊な慰霊祭を。
ただ悼むのではなく、この祭の間だけは生者死者関係なく勝利を喜ぼうと、料理店は活気にあふれた。
そんな複雑な様相を浮かべた羅浮にて、剣首である女性、鏡流は悔やんでいた。戦いの終わりを決定づけた、あの目の前で起こった爆発について、自分が何もできずただ見ているしかなかったことを。
あれは白珠であった。自身の千年ほどに渡る生涯において、復讐と剣以外を思わせてくれた旧友。あの娘は単身星槎に乗り込み、鏡流や丹楓、そしてより多くの命のために死んだ。
「あの、歩離人め…くそっ!」
夜。誰もいない修練場で、鏡流は剣を振るう。精細に欠けた剣は彼女の感情の顕れであった。
鏡流は面妖な歩離人について、多くを思っていた。戦場で再び接敵した狂风という名の歩離人は、まず第一に鏡流より剣技に劣っていても、鏡流のことを相手にしていなかった。数十年前もそうだ。狂风は目の前の戦いの勝敗ではなく、生き死にだけを見ていた。
あの一瞬もそうだった。鏡流が手負いかつ体力を大きく消耗し、ついに倏忽の一撃を避けられない状況に陥った。それは急所に狙いを定めており、そのまま長い生に終止符を打たれてもおかしくない鋭さだった。
だがその一撃は鏡流を殺すことはなく、眼前に広がる巨躯の心臓を貫いていた。血を吐く歩離人に、鏡流は庇われたのだと理解するのに時間はかからなかった。
仙舟と忌み物は、命を取り合う関係である。それに鏡流は歩離人の戦首を討ち、捕えた張本人だ。その敵対関係さえ無視し、大敵を救うために命を賭す。こんなふざけた性根の忌み物に庇われるとはと、鏡流は悔しさばかりが胸を埋め尽くした。
終いには、狂风は白珠の星槎にいち早く気付き、追いついた。鏡流は、船に乗り込む前の歩離人の表情を一瞬視界の端に捉えた。そのときの狂风の面には、焦りと確固たる信念があった。必ず救うという、低い声が鏡流の脳裏から離れない。
雲上の五騎士として白珠を理解し、一番近くにいたはずなのに。あの娘の最期は、部外者の忌み物が最も近くにあった。鏡流はそれを許せなかった。狂风に対しても、自分自身に対しても。
型のなっていないただの棒振りを行い、呼吸を荒げる。泥濘のごとき後悔が腹に溜まり続ける。
彼女の、剣を究めた者に相応しくない姿を、その弟子は目撃する。
「師匠!傷が広がらないように、安静にしていなくては!」
「景元…剣首として、我は任を全うできるよう腕を保つ必要がある。…黙って去れ。それとも、元帥が何か言ってきたのか。」
「…はい。それと持明族が妙な動きを見せていることを、ご報告に参りました。丹楓に関わることです。」
将軍が亡くなった今、雲騎軍は今後の羅浮を守る者として、鏡流と景元に目を向けている。現在は智略に長けた景元が、負傷している鏡流の代わりに臨時で羅浮を駆けまわっている。
鏡流はぴくりと眉を動かすと、言葉を続けるように促した。景元は、今起こりかけている大事について話す。
「話せ。場合によっては、我が動くことになるやもしれんからな。」
「…丹楓が倏忽の術である血塗獄界に捕われ、龍狂にも陥ったこと。それについて一部の持明龍師たちが、龍尊の力不足を言い、龍師による代議制に変えることを嘆願し、強行採決を行おうとしています。」
「それ以外にも、あるのだろう。ただの嘆願で終わるはずのそれが動きそうだから、我に言いに来た。剣首として剣を握らなくてはならない大事が。」
景元は頷き、話す。断片的に掴んだ話から、持明龍師たちは丹楓に働きかけ、「別の龍尊」を作らせようとしていると。それは龍化妙法を使った方法で、媒介はどうやら白珠の遺した髪と少量の血であるらしい。
この方法は前例がないため、どうなるかさえ分からない。景元はため息を吐き、何故ここまで愚かな方法を取ろうとして、丹楓も協力しているのかを嘆いた。
戦争で亡くなった者が多かったが、十分立て直せる人数が生き残ったからこそ、人から人に伝う情報は、景元の耳まで流れてくることができた。
景元からの情報を聞き、鏡流は怒りで震えた。白珠の死は鏡流の心に影を落としているが、それは名誉の死であった。死を辱めるなど、同じ雲上の五騎士であっても許されないことだ。
「丹楓も動転しているのです。ですが、この方法には穴がありすぎる。無理を言うことになりますが、師匠にも同行していただきたいと考えました。」
「…それが行われる日時は、いつか分かるか。必ず向かう。」
「掴んだ情報によれば、丁度一月後と。」
鏡流は、修練用の剣に反射して映る自身の顔を眺める。瞳は再びどろりと濁っていた。
――――――――
鏡流と景元が秘密裏に情報を共有した日からしばらく。羅浮に残った雲上の五騎士の内、残りの二人である丹楓と応星は鱗淵境の奥部にやってきていた。ここは持明族のみが入ることを許可される、種族の始まりと終わりがある場所だ。
応星は眉をひそめながら丹楓に言う。
「俺をここに連れてきたこと、お前の一族に知られたら面倒なことになるぞ。あと俺じゃなく、龍師が調べる方が確実なんじゃないか?」
「余が許可したのであれば、問題ない。それに応星、お前が望んだことだ。この計画に加わりたいと言い出したのはお前だ。…2時間、存分に研究しろ。」
丹楓は表情を動かさず反論した。応星も友人に対し軽口を叩いている風であったが、その目は強い情動に支配されている。まるで、目の前の丹楓が見えていないかのように。
丹楓は応星を見ながら思った。龍化妙法による「別の龍尊」を作る計画が上手く行けば、白珠が再び生を得られ、応星の昏い感情も元に戻る。応星が生きている間に、皆で、戦いの前のように盃を交わせる日が来る。
彼もまた、白珠の死に陰を落とした人物の一人だった。
1時間と少しが経ち、鱗淵境は静寂の内にある。だが、応星の懐から鳴る端末がそれを破る。鬼気迫る表情で調べていた応星は毒気を抜かれた顔になり、その後目を見開く。何かに気づいたかのように。
「どうした応星。もう時間が余りない、急げ。」
「…丹楓、時間は大切だ。だが、一旦確認させてくれ。」
応星は手元を震わせながらも端末を取り出し、その画面を見る。そして、彼の右目から透明な雫が零れた。丹楓は応星の異常に感情を動かし、再び声をかける。
「応星。」
「…やめだ。」
「何?」
「この研究も、計画も俺は降りる。続ける意味が無くなった。」
応星はすくと立ち、丹楓に端末を見せる。そこには短い文面と、人の写真が添付されていた。
丹楓もいつもの怜悧な様子を崩し、声を震わせる。その写真に写るのは、不思議な装束を羽織った狐族の女性だ。女性の額や頬には包帯が巻かれているが、丹楓はその顔をよく知っている。白珠だった。
「は、白珠…!あの状況から生還したというのか…!」
「はは、ははははっ!」
応星は泣き笑いで、白珠の生存を喜ぶ。そして膝から崩れ落ち、男泣きをした。二人の内にあった負の感情はもはや無くなっていた。
そして日数の経たないうちに鏡流と景元は、泣き笑いの応星から端末を見せられる。白珠の端末が、彼女自身の無事を報告している様を。二人は驚き、不思議な巨躯に対して景元は信頼を深めた。また、そのとき鏡流の瞳は濁ってはいなかったが、少なからず悔しさがあった。
豊穣の民である、剣ではたどり着けない領域に立っている狂风に対して、憎しみ以外の情を抱いてしまったことに。
―――――――――
私は猟群の皆に声をかけ、ヒスイノの統治に再び戻る。横には、まだ療養している白珠がいた。私が倏忽から得た力の一つ、生体鎧の紅鎧によって、双方は太陽の爆発から身を守ることができた。だが白珠は、歳陽の影響で体力を著しく消耗していたため、回復を待っているのだ。それでも白珠の快活さはそのままであり、戦いのことをあえてあまり話さず私と雑談している。
書類の確認をしている私の横で、白珠は端末をいじっている。
まだ仙舟に入り込んでいる白狼猟群の白狼たちによれば、戦後処理で忙しいようだ。星槎を無くした白珠が戻るのはまだ難しい。玉界門が仙舟外部の人間に開かれるには、時間がかかるだろう。
「これだけ時間が経ってしまうと、飛行士として殉職扱いでしょうか…。仕事以外の付き合いで、連絡先をもらっておくべきでした…。」
「仙舟は、それぞれの組織が巨大だからな。白珠さん、大きな問題があるのか?」
「慰霊祭という文化があるんですよ。私物は間違いなく、星槎で飛ばされちゃいます!」
「…旅行家としてそれは致命的だな。」
「ああー。」
収集品の数々が無くなることを嘆く白珠。それも半分冗談であるようで、口元には笑みが浮かべられている。
白珠が私の肩を叩き、視線を合わせる。
「改めて、ありがとうございます。貴方のおかげで命が助かって、あたしは目標が一つできました。」
「私にも手伝えそうなことか?」
「はい!仙舟以外の、もっと多くを見て、開拓の道を行きたいんです!勿論、仙舟のお仕事をしながら。…それには、狂风が必要です。」
白珠は私に手を差し伸べる。私はその華奢な手を見て、書類の入った端末を置き手を柔らかく握る。
「皆の未来を開拓する。その皆には狂风も入っているんですよ?広大な宇宙から、一緒に未来を作りましょう…!」
「共に行けるのは嬉しいことだ。白珠さん、貴女から開拓の精神について、これからも学ばせてくれ。」
「もちろんです!元、いや復活ナナシビトとしてお話ししますよ!」
私は気づいた。私がヒスイノの未来を作るための行動は、やがて豊穣、存護、他の運命を交えた開拓の道に向かうことに。ヒスイノの基盤はできた。だからもっと、多くを見よう。広い世界を繋ごう。
鼻歌を歌いながら元の椅子に戻り、白珠は呟く。友人たちへの思いを頭に浮かべながら。
「皆、待っていてくださいね。元気な姿を見たいですから…。」