ある日、私の元に一人の巡海レンジャーから依頼が届く。戦いへの加勢ではなく、人命救助が目的のようだ。確かに大きな目的のために協力した仲だが、こちらへ自発的に頼ってくるとは。
『すまねえ、狼の盟友!仲間がほとんどやられちまった、■■ナめ!もう一度、手を貸し■■く…!』
端末から発せられる入力音声は雑然としていて、そこから書き出された文字には誤字が目立つ。急を要する事態であることは、一目瞭然であった。
私はその中の雑音に対して疑問を抱く。逃げているときの音のずれではなく、メッセージに頻繁に出てくる単語である。その単語の意味は、何でもない植物の実のはず。だが頭をかき乱すかのように反芻され、視覚さえも朧気になる。私はすぐさま端末から流れてくる音声メッセージを止め、これにどう対処すべきか考える。
頭を押さえていると、執務室の隅に置かれた鏡からヘッジングが飛び出してきて、焦った調子で言う。
「クゥアンさん!あなたの頭に…ミームウイルスが占拠し始めていますわ!?何があったのです!」
「何…ミームウイルス…?」
「しっかりしてくださいまし!ああ、どうしましょう…!」
ぼんやりと樹木が幻視される視界の中で、ヘッジングが慌てて動き回る。次第に彼女の白いフードが黄色、もしくは樹の幹に見えてきた。音声と文字列だけで意識をおかしくさせるとは、中々に厄介だ。
私は自己認識が狼でも人間でもない、植物の実になる前に言葉を絞り出す。
「…これは、脳が変になっているのだな。ヘッジングさん、この部屋が汚くなるかもしれない。ガーデンとチャネルを繋げている民を呼んでくれないか。後は任せる。」
「へっ…?何をされるつもりですの!」
救援の入った座標はもう分かっている。流石に紙媒体であれば、そのウイルスとやらに罹ることもないだろう。紙の切れ端に重要な情報だけ書き出し、右腕を動かした。その行為は、豊穣の力を受けていない生命であれば自死となるもの。
私は自身の頭部に右腕を突き刺し、頭部をかき乱した後、勢いよく引き抜いた。幻覚と認知の歪みが消え去るのを感じながら、私は意識を失った。
時刻にして3システム時間後。私は、公務を行うための居住施設における医務室で目を覚ました。頭部を触り、傷がないのを確認する。狼は元より傷の治りが早く、月狂い時にはどの部位も再生する力を持つ。加えて倏忽の血肉を喰らった私は、頭部が例え弾け飛んだとしても死ぬことはない。肉体が残っている限り、復活できるのだ。これは自身の鍛錬の中で実証済みだ。
寿命の短い人間種ならこの不死性を呪いと考える者もいるだろうが、私は豊穣の祝福の完成形だと思っている。やるべきこととやりたいことは幾らでもあるので、薬師の権能に感謝するのみだ。
ヘッジングは上手く対応してくれたかどうか。私は専用のベッドから体を起こし、状況を確認する。建物の外は騒ぎになっているようだ。ヒスイノと接点の多いカンパニー社員、それと深緑の騎士が規制をかけているのが見える。
医務室の扉がばっと開き、最近は専ら機械生命体の改良や指導に時間を割いているストリボーグと、顔を青ざめさせた白珠が入ってきた。
「マスター、認知機能に異常はありませんか。身体のスキャン中…。」
「いきなり倒れたと聞いて、急いで戻ってきました!狂风、体は大丈夫なんですか!?」
「二人とも、私は問題ない。ストリボーグ、各方に伝えてくれ。ウェンワークで巡海レンジャーたちが危機に陥っている。それと端末に残っている音声記録は厳重に処理し、消去するようにと。」
親しい者には、私の肉体について詳しく話している。だが意識を失うほどの重傷は、この数琥珀紀で喰らってこなかった。だからだろう、ストリボーグのスキャン結果を聞いた白珠は、胸をなでおろしていた。
ストリボーグから話を聞く。建物内からはヒスイノの民は避難し、入り込んでいるのはミームウイルスに詳しいカンパニー社員のみであると。
白珠は、執務室まで同行してくれるようだ。私はヘッジングが誰に情報共有したかを想定しながら、廊下を歩く。
思った通り、執務室の前にはカンパニー社員の李叡がいた。「抗う者」のまとめ役の一人ではないが、組織を立ち上げた人間として、カンパニーへの情報共有の場には彼がいる。
「クゥアンさん、お久しぶりです。彼女から聞きましたがミームウイルスに罹ったとか…いやはや、貴方の治癒力はすさまじい。現場には専用の装備を付けた社員が入っています。少々お時間を頂ければと。」
「助かりました。ミームウイルスというものは初耳で、解決策が些か強引になってしまいました。…それで、カンパニー社員はウイルスへの対処をどうされているのですか?」
「情報端末から流れるものだから、危険性は薄いか…。クゥアンさん確認されますか?」
「ぜひ、お願いします。早急に対応しなくてはならない救援に、ミームウイルスが関わっているのです。」
李叡は頷くと、立ち入り禁止のテープが貼られた入口を開け、執務室の中を見せる。そこにはとてつもなく奇妙な光景が広がっていた。
「こら、降りてこい!そこは樹じゃないぞ!」
「ミームウイルスもそうだが、この血肉もたいがい変だな…!」
琥珀の仮面を付けたカンパニー社員が十人、執務室内を動き回っている。通常勤務の社員と違い、仮面の上からゴーグルが付けられており、耳の部分もしっかりと覆われている。視界を制限し、音も遮断する。なるほど、直接的な対処方法だ。
既に、私が使っていた端末は念入りに破壊され、袋にしまわれている。部品単位まで分解しそれも壊しておけば、ウイルスの発生源は断てるだろう。社員は、私が自傷した時の血肉に対して呼びかけている。それらは私の肉体を構成する一部で無くなっても生きており、天井付近でぷるぷると震えている。
私の背後から李叡が説明する。
「このミームウイルスは、カンパニーも手を焼いていましてね。幾つもの星を実験場にしてきた人物によって作り出され、実験場に降りた社員も被害に遭ったことがあるのですよ。罹ってしまうと自身を、あの黄色かったり熟す前は緑色だったりする植物の実だと定義してしまう。そして高いところに上って、おそらくですがそのまま命尽きるまでじっとするのです。」
あえて単語を避けている李叡に、私は納得する。ミームウイルスの発生源において、何が症状の引き金になるか分からないのだ。私はかつて応星に造ってもらった大盾を取り出し、盾の裏に追加した武装のエネルギー砲を、天井に付いた血肉に向ける。この砲は、戦闘に特化した機械生命体の武装を転用し、改良されたものだ。
「除去しておいた方が良さそうだ。カンパニーの方々!離れてくれ!」
「狂风さん!?皆、退避しろー!」
私は血肉に対して、跡形もなくなるように強度を絞り、エネルギー砲を起動する。建物に穴が開いてしまうが、ウイルスの脅威に比べれば軽微な損失だ。発射した白い光線によって、血肉はジュっと音を鳴らし燃え滓も残さず消えた。
一旦私は、カンパニーが持っている情報を共有してもらうために、李叡と話し合うことにした。私が現在持っている情報を説明することも大事だが、先ほど説明にあったウイルスを作った人物についても聞いておかねばならない。
またカンパニーがウイルス専用の防護装備を持っているのならば、それを買う必要がある。
私は旅人としてウェンワークの探索を行ったことがある白珠、ミーム生命体であるヘッジングも同席してもらい、「抗う者」を動かすことを話した。
「――巡海レンジャーの方々と共に、先代の絶滅大君を討ったのは記憶に新しいと思います。その彼らからの救援依頼によって、ウイルスの脅威が私に襲い掛かった。つまり巡海レンジャーが追っている❝悪❞は、ウイルスに密接に関わっている存在でしょう。李叡さん、教えてください。そのミームウイルスを作った人物について。」
「巡海レンジャーは巨悪を追い続けますからね…その人物も大物です。クゥアンさん、原始博士という通称を聞いたことがありますか?」
「名前だけなら。そんなにも危険な人物なのですか。」
李叡は説明を行う。原始博士、天才クラブ64番目の会員について。
曰く、彼は知恵の星神ヌースから一瞥を受けただけでなく、使令としての力も与えられた危険人物であるという。原始博士は数多の星に対して、人類を「退化」させる実験を行っており、それが執り行われた星にはかつて人間であった猿のみが残る。機械生命体も例外ではなく、知性を失ったただのロボットに成り下がるのだと。
カンパニーも原始博士を危険視しており、彼の動向を情報網を用いて追っているが、そこにいたという痕跡だけしか手がかりを掴めていない状況らしい。本腰を入れて追っている巡海レンジャーでも、あと一歩のところで逃げられているのだとか。
私は思った。原始博士はまるで愉快犯のごとき振る舞いであると。被害の規模が尋常ではないのは、彼が使令であり、しかも並外れた知性を評価された存在であることをよく表している。
私は二人の「天才」と交流をしているが、やはり原始博士のような危険人物が天才クラブでは標準なのだろうかという感想を抱いた。
また私の終焉の記憶には、人類が退化した惑星は描かれていない。機械生命体が知性を失うことについては、明確な死であるはず。しかし幾ら記憶を探っても事例は存在しなかった。私に記憶を植え付けたあの影は、惑星単位での生命の消滅を終焉としているとでもいうのだろうか。
「防護装備については、視界を開けていては気休め程度の効果しかありません。直接ミームウイルスに触れてしまえば、脳が破壊され廃人になってしまいます。巡海レンジャーの方の救助を行うにしても、その発生源には視覚と聴覚を少しでも残した状態では、絶対に近づいてはなりません。」
「その通りですわ。肉体のあるあなた方だけでなく私たちメモキーパーも、ウイルスに罹れば命の危険がありますもの。」
「厄介すぎるな…。白さん、ウェンワークの地形は覚えているか。研究所らしき建物を発見したことは?」
「管理船室は見に行きましたが、明らかな人工物はそれだけでしたよ。あ、雨林一帯にグリーン野バナナは生えてました!こんなウイルスを作り出すくらいですし、バナナに関連する場所の近くに研究施設も作っていたりしないでしょうか…なんて!」
白珠は冗談めいた調子で言う。だが彼女は半ば本気だ。
私も白珠の考えに内心賛同する。ここで聞いた情報を繋ぎ合わせれば、原始博士は悪行を重ねるために研究をしているのではなく、道楽の副産物で被害が広がっているように思えるのだ。ふざけた理由で施設を作る場所を決めている可能性もある。
ウェンワークという惑星は、複数の島で構成される熱帯地である。植物が地を埋め尽くすように生えていることと、惑星全体に高度文明による復元システムが及んでいることから、人工物を隠すならうってつけの場所だらけなのだ。巡海レンジャーから通信を聞くこと自体が危険なため、虱潰しに探していくしかない。
「白さん、それはありだ。隈なく探すことになるから、一度あたりをつけておくことは良い案だと思う。それに地下への入口は探し当てるのが困難だからな。」
「星間を隈なく旅している方が言うならば、説得力がありますね。地表には研究所はない…。費用は嵩みますが、防護機能のある装備を人数分取り寄せましょう。…地表まで、脱出してくれていればいいのですが。」
私たちは話し合いを進め、人員をウェンワークに送るための計画を立てていく。厄災前衛や他惑星の戦士は、今回加わらず、二派閥の共同作戦だ。
ヒスイノからは治癒力の高い豊穣の民を出し、カンパニーからは社員の中でも指示の上手い責任者を出してもらう。深緑の騎士がウェンワークに降り立ち、音を遮断した上で唯一聞こえるようにしたインカムにて上空から指示を出す。狼であれば私が行ったような手段で正常な脳に復元できる。短期間に何度も使えない手であるため、ウイルスの発生源に接触したら退避することは忘れないようにさせる。
深緑の騎士の中でも、特に勇猛な精神を持つ者に志願してもらい、計画は実行に移される。
計画の実行は早急に行われることになった。現在私たちは、ウェンワーク上空にいる。私と同じような体型の歩離の民で固められた部隊は、互いに顔を見合わせ私の指示を待つ。
「狂风様、この計画が終わったら…ウェンワークの動物を食べてもいいですか。作り出された動物ってどんな味がするのかなって。」
「いつも食べてるだろ、合成肉。ヒスイノの飯の方がうまいに決まってる。」
「旨い不味いの話じゃない!ただ興味があるんだよ!…狂风様。」
「ウェンワークについては私の一存で決められる話ではないが…ヒスイノに戻ったら私の信用ポイントで腹いっぱいになるまで飯は食っていいぞ。」
「よしっ!もう興味なくなりました!」
狼たちは食欲旺盛のようで、ご飯について雑談している。当たりをつけた目標地点付近に着いたため、私は彼らに指示を出す。
「勇猛な狼たちよ。友の危機だ、必ずや熱帯雨林の中から見つけ出そう!順次着陸せよ!」
狼たちは吠え、カンパニーの臨時パートナーにそれぞれ挨拶をすると、ウェンワークへと降りていく。私も、狼と巡海レンジャーをすぐ回収できるよう気を張って待つ。
捜索は三日に渡って続いた。ウェンワーク全域を捜索している部隊の内一つが、怪しい窪みを発見したことで事態は急転する。細心の注意を払って窪みを調査させると、地下へと続く道であった。座標は、白珠が言ったグリーン野バナナの樹が生えている森の一つである。
地下を見つけた狼が、私たちに通信にて情報を伝える。
『狂风様、人がいます!それに、誅羅の暗殺の際にいたレンジャーが混ざっています!至急応援を!』
「分かった!それ以上は進まず、地表で待て!…宇宙船を、目標座標へ飛ばしてくれ。」
他の地点を探索していた狼も回収し、見つけ出した研究所へと総員が向かう。私が防護装備を付けた上で先陣を切って進み、視界がふさがれ音が聞こえない状態で巡海レンジャーを案内する。手で触れれば、壁の位置は分かる。
地表まで戻り、救助を完了したが、施設内にいた巡海レンジャーのほぼ全ては正気を失っていた。
「俺はバナナだ…。地面に落ちてたら食べてもらえないよ…。」
「バナ、バナナ!」
「バナ友!俺はもうバナナだが、助かった。他の巡海バナナに伝えてくれバナ。」
唯一と言ってもいい、まだ意思疎通の取れるレンジャーの男性は、紙を取り出し私に伝える。私はそれを受け取り、いつでも頭部を損壊できる態勢を取ったうえで紙面を見る。そこには原始博士の実験の阻止が出来た旨と、他の巡海レンジャーの連絡先が書かれていた。私は手を降ろし、男性に向かって頷く。
「しっかりと伝えよう。それと、私はいつでもあなた方に協力する。治療の方法も探し出して見せよう。」
「バナナ…よろしくたの…。」
ひたすら救援が来るまで耐えていたのだろう。既に正気を失い目の焦点が合わなくなってしまった男性並びに、退化してしまった巡海レンジャーたちを船に乗せ、ウェンワークを飛び立つ。
ミームウイルスの原理については未知の部分が多いため、厳重な対策を取ったうえでウェンワーク外にいた巡海レンジャーに引き渡すことになった。廃人と化しても、豊穣の力で元の肉体状態に戻せる可能性はある。この時から私たちヒスイノと巡海レンジャーは、しっかりとした協力関係を結ぶことになった。
――――
原始博士の脅威。これを思い知った後。同じく天才クラブに所属しているチャドウィックが、老齢の体を鞭打ち、あるところに向かいたいと私に相談を持ち掛けてきた。
「クゥアン、スクリューさんから聞いたことなのだが…私の作った技術を有効活用してくれそうな女性がいるとのことだ。老人は同じことを考えてしまってな…抑止力は多ければ多いほどいい。君もそう思うだろう?」
「もちろんだ。善性の力ある者はいくらいたっていいと、私は思う。それで…チャドウィックさん。向かう場所は?」
「…惑星ブルー。二度ヌースに謁見したという、天才のいる場所だ。」
この琥珀紀では、天才と奇妙な縁があるらしい。私は強大な力を持つ者から、より多くを得るため動く。チャドウィックの頼みを了承し、私は宇宙船にてまだ見ぬ知恵の使令のいる惑星へと飛んだ。