チャドウィックと私、二人だけが乗った宇宙船が星海を飛ぶ。出発前、チャドウィックは私に公務について尋ねてきたが、問題ない旨を答えた。数日離れるくらいならば、普段通りに事が進む。
厳密な目的地は、惑星ブルーの大気圏外に造られた宇宙ステーションである。宇宙ステーション「ヘルタ」。名前にもなっているのは、チャドウィックの言っていた、信頼がおけるという天才クラブ所属の女性だ。宇宙船に運航している際に、その女性について詳しく話してもらった。
「私も会ったことはない。クラブのメンバーは関係が希薄なためだ。基本的な情報以外は、スクリューさんから聞いた話になる…。」
チャドウィックの話によれば、天才クラブ会員番号83番、ヘルタは若返りの解明を行い、数琥珀紀に渡って生きているという。現在もその頭脳は衰えず、世に出ていないものも多々あるが、虚数の関わる現象を次々に解き明かしている。幼少期から彼女は、ソリトン波の難題やスパークスモデル予想の解決など、万の凡人を集結させてもお手上げな理論を解いてきたそうだ。
宇宙ステーション内部には本人はおらず、遠隔機能を持った人形が配置されているのだという。
研究一筋かと思えば、拠点としている惑星ブルーの危機を幾度も救ってきた英雄でもある。この話を聞いた時点で、私はチャドウィックやスクリューガム寄りの善良な天才だと理解した。民に全く興味がないならば、惑星の危機を放置するだろうからだ。
チャドウィックはスクリューガムを通して、ヘルタとアポイントメントを取ったらしい。私にもスクリューガムからメッセージが届いている。宇宙ステーションの情報が添付されたファイルもだ。
メッセージによれば宇宙ステーションに着いたら、職員がチャドウィックをヘルタの元まで案内するそうだ。
だがチャドウィックは少し不安げな様相を見せる。私は尋ねた。
「聞く限り、素晴らしい人格者ではないか。チャドウィックさん、何か不安なことがあるのか?」
「ああ。彼女は寛容であり、私に対して敬意を持っているとまでスクリューさんは話してくれた。だが、クゥアン。君の目的は果たせるか…。何せ興味のないことには、とことんリソースを割かないそうだ。」
彼の続けた言葉に私は納得する。なるほど、ヘルタという女性は凡人の生命は少しばかり気にしても、その言葉には興味を持たない人間なのだ。それでは話を聞いてくれるかも怪しい。私は考えを巡らせ、一つ思いついたことがあった。私では理論の解明が出来ないが、彼女なら分かることもあるだろう。
ローブで隠した、自身の背嚢に肌身離さず入れてある箱を取り出し、眺める。ヤリーロ-Ⅵで星核を溶解して以来、この箱から音色が再び奏でられることはなかった。星核の汚染が広がっている別の惑星に赴き、封印できないか試したがうんともすんとも言わない。私は個人的に、使い切りの品であったと推測している。
ヘルタに興味を持ってもらうのは、この箱と私自身の体だ。私は箱を見せながら、チャドウィックに再度確認する。
「チャドウィックさん、宇宙ステーションの成り立ちは、星核の封印が目的であった…これは間違いないか?」
「そう聞いている。…なるほど。君が武器とするのは、昔話してくれた星核の融解についてか。幅広い分野を研究しているヘルタ女史ならば、興味を持つ可能性が高いな。」
「その通りだ。」
私は頷く。チャドウィックの話から、宇宙ステーション「ヘルタ」は現在、ヘルタの奇妙な収蔵品の管理を主に行ってはいるが、元々の建設目的は星核のためだ。その危険さ故に、職員ではアクセスできない場所に星核が封印されているのだろう。
人智を越えた頭脳。その一端でも貸してもらえれば、ヒスイノは完璧な存護を実現する。そのためならどんな材料も使う。何としてでも交渉までこぎつけたいところだ。
「まず私が話を誘導しなくてはな。興味のある話の間に少しずつ君のことを混ぜれば、ヘルタ女史も聞いてくれるかもしれない。」
「面倒をかけて申し訳ない。」
「いいや。この数十年間で、私と君は対等な友人になった。友人の望みは汲むものだ。それに私の目的にも繋がる。」
侵略を受けて別荘が消えては困るのもあると、チャドウィックは笑いながら協力的な態度を見せてくれた。彼は本当にヒスイノを気に入ってくれている。天才同士の会話に混じることは難しいが、老いたチャドウィックの物腰柔らかな口調は理にかなった話術だ。きっとヘルタの思考の隙間に入り込む。
チャドウィックと雑談している間に、青く美しい惑星が見えてきた。惑星ブルー、その軌道上に位置する宇宙ステーション「ヘルタ」へ私たちは到着する。
宇宙ステーションの船着き場に宇宙船を停め、屋内へと入る。制服を着たスタッフが私たちを出迎えた。その中から一歩前に進んだのは、おそらく宇宙ステーションの仮責任者だろう。その男性は私たちを見て言う。
「はるばるようこそいらっしゃいました。初めまして、カルデロン・チャドウィックさんに、狂风さん。虚数応用理論の権威と、ヒスイノの統治者に同時に会うことが出来るとは、感無量でございます。」
「出迎えありがとう。早速だがヘルタ女史の元へご案内いただけるか。老体に立ちっぱなしは堪えるものでな。」
「承知しました。チャドウィックさん、ミス・ヘルタは彼女のオフィスにある人形に意識を移していらっしゃいます。すぐにご案内いたします!」
チャドウィックは、背をぴしりと正した責任者の後を追うように歩いていく。その前に私へ目配せし、帽子を深上げて少し微笑む。呼ばれたのはチャドウィックで、私は付き添いでしかない。私が出来ることは彼の厚意に甘え、待つだけだ。
私は別のスタッフに案内され、施設内を見て回る。人間種用の施設であるため、ところどころ狭い場所もある。施設を傷つけないよう、慎重に歩を進めていく。
宇宙ステーションに対するスクリューガムの伝言では、私も客人として扱うよう言ってくれていたらしく、丁重にもてなしてくれる。ここでの研究は、天才が小出しにしたものや博識学会の集合知など、既知の情報を元に進められているらしく、私にも十分理解できる内容であった。暇さえあれば脳細胞の局所的な生育を行い、膨大な論文を読み漁っていた甲斐があった。
生物科学技術、機械工学の応用は、私やヒスイノの研究者が主導になって常に行っていることだ。類似しており、かつ滞っている研究に対しては、つい素人意見を出してしまった。物によっては、ヒスイノの外部に出していない研究成果の序盤にあたる研究も存在した。
「外部の者が口出ししてしまって、申し訳ございません。しかし、研究成果が上手く出るといいですね。」
「いえ、課題の指摘をいただきありがとうございます!…これなら、次の学際研究サミットでいい報告ができるぞ…!」
しばらく歩き回り、様々な研究を見て回った私は、スタッフに希望を出した。宇宙ステーション「ヘルタ」の客人用スペースに案内され、大型オムニック用の椅子に座り込む。チャドウィックとヘルタの会談が終わった後、スタッフが教えてくれるとのことだ。私はじっと目を据え、その時を待つ。
既知の情報からの研究以外は、遺物、奇物といった収蔵品の研究を行っているようである。遺物というのは、星核が齎した裂界の中で再構築された衣類や鎧の類であるらしい。また奇物に関しては、その通称のとおり奇妙な効果を持った物質である。あくまでヘルタの所有物であり外に持ちだすことは出来ないため、効果の検証や宇宙ステーション内で完結する試用が行われている。
実際に見たのは収蔵品のコピーであったが、あらゆる惑星から集められた奇妙な品は、どう有効活用するか脳内シミュレーションをするだけで楽しめた。そういえば、私の心臓と一体化している欠け月、星間の跳躍が可能な穹桑の小枝なども奇物として扱われるのだろうか。
この宇宙ステーションには所蔵されていないが、「疑似紅月」という歩離の戦首に受け継がれる紅月を、研究者の理論に基づき模したものも奇物として存在しているらしい。紅月の実物は今も呼雷の体内にあるだろうし、トゥクルクという学者が提唱した理論が正しいかは謎のままだ。だが一つだけ言える。紅月と同じように作られた「欠け月」は、寄生虫の類ではないと。
奇物の成り立ちに関する書物も興味深いものだ。私はスクリューガムから添付された文書を読みながら、時間を潰す。
6システム時間と少し後。スタッフの一人が部屋に入ってきて、私に告げた。それは私にとって嬉しい情報であった。
「狂风さん。ミス・ヘルタとチャドウィックさんから、オフィスに案内するようにと言伝を預かりました。お疲れのところ申し訳ございませんが、ついてきていただければと。」
「ありがとうございます。案内をお願いします。」
会談は終わらず、私の入り込める余地が出来たようだ。私はチャドウィックに心の内で感謝しながらも、スタッフの後ろを歩く。
しばらく歩くと、防衛課のスタッフがシェルターの扉の左右に立っているのが見えた。彼らは私を見上げると、少し震えた後オフィスへと通した。
オフィスと言いながらも、その部屋には机はなく、電子データの肖像画が掛かっているのみであった。案内役のスタッフは離れ、私は部屋の奥へと歩を進める。そこには用意された椅子に腰かけたチャドウィックと、幼い少女がいた。よく観察しなくても、その少女の容姿と衣類は、宇宙ステーション内に立っていた人形と全く同じであった。遠隔機能を持った球体関節の人形である。
チャドウィックは温和な様子で、その少女は心底こちらに興味がないような表情で、私を見た。
「ヘルタ女史、紹介しよう。彼は狂风。私をここまで連れてきてくれた友人だ。豊穣の民であるのに、非常に理知的な統率者なのだよ。」
「ふーん。紹介してもらったところ悪いけど、たぶん明日には覚えてないかな。で、わざわざ貴重な時間を割いたんだけど、あなたの話は私の時間に見合ったものなの?」
私は頷き、体勢を低くしてからヘルタの人形の瞳をじっと見て話した。
「ええ。お話ししたいのは、この箱と私の体についてです。きっと、ヘルタさんのご興味をそそることが出来ると思います。」
「手短に言って。」
「はい。まずこの箱はファミリーから受け取った物。ある…ヤリーロ-Ⅵという名前の惑星において、星核を融解させる効果を発揮しました。そして私の体には、豊穣の力の血肉以外にも、星核のエネルギーが混じっています。」
簡潔に話すと、ヘルタの無表情が少しだけ変化する。そしてヘルタはチャドウィックの方を見ると、頷く彼の姿に真実だと理解してくれたようだ。チャドウィックが私の言葉に補足する。
「彼が取り込んだ星核の力を、汚染無しに使えるのは真だ。以前、試しに無人の星で力を解放してもらったが、その輝きは正しく星核由来のものだった。」
「ファミリーってそんな技術を持っているのね。豊穣の長命は、ルアン・メェイが実験したがっていたはずだけど。そこに星核も混ざっていて特に汚染も起きていない…結構興味が出てきたかな。」
ヘルタは目を伏せ、考え込んでいる。随分と好感触だ。
私はそこで畳みかけるように言う。
「ヘルタさん、私の体やこの箱は飽きるまで存分に研究してください。しかし取引を願います。互いに利があるように。」
「何が欲しいの?あんまり面倒じゃなければ、すぐ渡すよ。」
「それは、虚数拘束装置の改良案です。」
私は端末をすぐさま開き、ヘルタに見せる。チャドウィックの作った装置を、派閥への抑止力として改造したもの。その設計図だ。私と研究者の構想では、この装置の出力を上げればどのような強大な力を持った者でも一時的に拘束できると踏んでいた。だが私たちにとって急務である巡狩の星神、嵐から放たれる矢の拘束。これがどうしてもできないことが判明した。
矢は嵐本体ではないため、膨大なエネルギーの塊であろうと、防ぐことは不可能ではないはずだ。だがタイミングを合わせようと、虚数エネルギーを貫く矢は、惑星を破壊してしまう。
ヘルタは口を大きく開け、呆れた調子で言った。
「星神に直接干渉するようなものだよ。できると思う?」
「使令であれば、拘束できたのです。あと一歩が足りない、そこを埋めていただきたい…!」
「…博士との共同研究があるから、その合間に考えてあげる。抑止システムの開発も似たところがあるから。」
私が深く下げた頭を上げると、チャドウィックは嬉しそうに笑っている。共に交渉成立を喜んでくれているようだ。
これもチャドウィックがいたおかげだ。私は宇宙船に戻ったら感謝の言葉を連ねようと決心した。
少ししてヘルタが思い出したかのように言葉を漏らした。
「あ、そうだ。大きなのに、ついでに頼んでおこうかな。今他にも大規模なプロジェクトを構想しているの。スクリューガムとルアン・メェイ、他にも連れて来れそうなクラブのメンバーがいたら参加させる予定。下準備が一応必要だから、お使いをお願い。」
「…クゥアン、君について少し詳しく話した。君が日々星間を飛び回っていることだ。」
「すぐに届けましょう。ヘルタさんの力がほんの少しでも借りられるなら…何でも仰ってください。」
ヘルタから渡されたのは、あらゆる惑星のデータを収集するためのリストであった。項目は、文明、人種、惑星の成り立ち、地形まで多岐に渡っている。これは白珠や、遠征に出ている深緑の騎士、その他の協力者にも声を掛ける必要がありそうだ。
チャドウィックが小さい声で私に言う。私はヘルタの冷たい対応の中に、希望を見出した。
なんだ、覚えておくつもりがないと言外に伝えてきたのに、随分と頭に私の情報を残してくれているではないか。私はヘルタの期待に応えるため、力強く頷く。
「それじゃ、研究したくなったときは予定を空けておくから、すぐに来て。私の方からも報酬は考えておくから。」
「温情に心より感謝します、ヘルタさん。私の体が、あなたの知見の足しになれれば…。これからよろしくお願いします。」
「はいはい。またチャドウィック博士と話すことがあるから、出て行って。」
私は二人に対して頭を下げると、オフィスを出る。出て行く直前、ヘルタの興味はチャドウィックとの研究へ移っていた。
そしてまた6システム時間が経過した後。チャドウィックは体をぽきぽきと慣らしながら私の元へとやってきた。会談は終わったようだ。
私は欠け月をひそかに出し、チャドウィックの肉体の疲労を軽減すると、彼を労った。チャドウィックの顔は確かに疲れていたが、瞳は輝いていた。
「チャドウィックさん、お疲れ様。共同研究については詳しく決まったのだろうか。」
「はははっ!私の方も大きな実りがあった。まだまだ死ねないな。」
チャドウィックは抑止システムの開発の話に伴って、自身の頭の中にある理論、知識をヘルタに共有できたらしい。彼の印象から見ても、ヘルタは善良であったようだ。
このままヘルタに自身の知識を伝えきり、抑止システムの開発完了まで付き添う。彼の生涯における最終目標は決まったようだ。
「このプロジェクトは数年かかるだろう。クゥアン、完遂までお付き合い頼むよ。」
「ああ、護衛と付き添いは任せてくれ。あなたを守り抜こう。」
共同研究は、遠隔で出来るものはそれぞれの居住地で行い、必要に応じて訪問するかどうかを使い分けるようだ。
私はチャドウィックに礼を言いながら宇宙船に戻り、ヒスイノへと帰還した。善良な天才によって事態は好転し、私の目指す道も完璧に舗装される。私はそう確信し始めた。