ここ数年、私の生活様式は変化した。そのわけは間違いなく、ヘルタの研究における被験者になったことと、彼女の渡してきた「お使い」だろう。ヘルタは生命科学の専門家ではないが、興味を持つ分野の幅は広く深い。飽きたらすぐに打ち止めるそうだが、現在はチャドウィックと共同研究を行っている故に、一回当たりにかける時間は少ないが期間としては長く続いている。
お使い、そしてヘルタの言う大規模なプロジェクトについて、分かったことがある。被験者として赴き、彼女へ直に尋ねると、面倒そうではあったが答えてくれた。
惑星や星神を含めた、過去現在の星海を再現するプロジェクト。「模擬宇宙」の作成である。
現在ヘルタは、他の天才たちを巻き込んで、理論上存在しうる惑星を再現しようと画策しているが、まだ着想止まりのようだ。そのため、プロジェクトを動かす前準備として、実物のデータを集めるつもりらしい。
つまり私が渡されたリストは、計画における実証を行うためのものだ。
チャドウィックが会談の内容をこっそり教えてくれた。ヘルタは私の名前は覚えていなくても、組織の名は小耳に挟んだことがあるらしかった。そして私の情報から、カンパニーに信用ポイントを払わなくても手広く情報収集が出来そうだと踏んだようだ。
書類を捌き、時偶に終焉の描写がある世界へと赴くのが日常であったが、今は星間を巡ることが軸になっている。公務は行うが民は自立しており、本質的には私は、ヒスイノの中で最も戦闘能力を持つお飾りの統治者である。しばらく留守にすることが多くなると話すと、各種族の代表は理解を示してくれた。そうして私が本当に確認しなければならない文書だけが手元に残るようになった。
渡されるリストの量は膨大で、プロジェクトに興味を持ってくれた白珠や各地に遠征している深緑の騎士に分散しても、数は依然として減らない。私が貯蓄しておいた私用の信用ポイントは、手伝ってくれる人員に報酬として渡されることで徐々に減っているというのにだ。
数値上の私財は減り、常に動く忙しい日々になったが、このお使いは私やヒスイノが繋げて来た星間交流を最も有効活用できる依頼だ。天才からの報酬を得るためだけしか価値がないわけでなく、副産物が多々ある。
惑星のことを知れば知るほど、未知が出てくる。まだ大海を知らない、若き狼であった頃に戻った気分だ。私は遠征中、そんな思いが心の内に浮かぶ。
星間を巡り続け、リストにある惑星に赴いて情報を得る。ヘルタとチャドウィックの共同研究が滞りなく行えるように、宇宙ステーションにも何十回と足を運んだ。
ヘルタからの呼びかけは基本一方通行だ。ビーコンから共有されるメッセージは、淡々と文字を綴る。
『時間を取ったから、すぐに来て』
『ヘルタさん、承知しました。ステーションに着きましたら、惑星のリスト#902~#1030までも共有いたします。』
『よろしく』
『[オート返信]ただいま離席中、返信は期待しないで』
私は端末の画面を切り替えると、チャドウィックにもメッセージで確認を取る。ヘルタはチャドウィックとの共同研究について、一切の情報共有をしない。そのためチャドウィックがいつ宇宙ステーションに行かなければならないかは、彼から聞くほかないのだ。
私が情報を打ち込むと、しばらくしてチャドウィックから返信が来る。
『チャドウィックさん、お忙しいところ失礼する。直近でステーションに向かわなければならない予定はあるだろうか?』
『ヘルタ女史からお呼び出しかな。ステーションに向かう予定は現在ないよ。』
『承知した。それでは、一人で向かうとするよ。』
私は驚いた。惑星データの共有と被験、チャドウィックの訪問の三つは、基本的に同じタイミングである。惑星データについては取った情報量の膨大さから、離れた場所からの送信ができないためである。面倒がる彼女は、まだ始めていないプロジェクトに時間を割こうと思わない。また星核の研究もついでだ。
それなのに私一人だけが呼ばれるなんて、珍しいこともあるものだ。ヘルタの考えは数瞬の内に移ろうもの。
深く気にするものでもないと思い、私はサルソット星の上空から離脱した。そして宇宙ステーション「ヘルタ」に、短期ワープを繰り返して向かった。
宇宙ステーション「ヘルタ」に着くと、顔見知りのスタッフたちが迎えてくれる。普段はにこやかであるのに、額に汗をかいてひどく疲弊した様子だ。
私は顔色の良くない彼らに、欠け月を意識して使う。欠け月は体内に星を飼っていなくても、念じることで対象を選択できる。出会って数年の彼らも、広義では仲間だ。
途端に疲労が無くなり体が軽くなったからか、手を見て目を見張らせるスタッフたちに私は声をかける。
「研究疲れでしょうか?無理はし過ぎないようにしてください。」
「狂风さん、それもあるのですが…本日はもう御一方、ご来訪なされていまして…。」
「チャドウィック様やスクリューガム様は、しっかりとお言葉をいただけるのですが…ああ、失礼なことをしていないだろうか…。」
スタッフから聞くと、私以外に訪問している人物は、ヘルタと同じ天才クラブのメンバーのようだ。#81ルアン・メェイ。チャドウィックの二つ後で、ヘルタの二つ前の席順にいる女性だ。カンパニーから得た情報や、ヘルタが計画しているプロジェクトに挙げられていたことから、その名は知っている。
生命に関する研究成果なら、彼女に敵う者はいない。惑星をまるごと実験場にし、一から文明を育めるほどだ。
規模感のあまりの大きさから、大まかな情報であっても気が遠くなる思いをしたのを覚えている。狼が優れた生物科学技術を持っていると言っても、彼女からすれば既知なのかもしれない。
ヘルタからそのルアン・メェイについて全く話をされていないが、急にやってきたということなのだろうか。わざわざ私に話す必要を感じなかった可能性もある。
そう疑問を持つと、スタッフは話してくれた。この来訪は急に決まったようで、つい先日彼女はやってきたとのことである。
ステーション内で、もしルアン・メェイと会う機会があるならば、彼女からも力添えが欲しい。未だ治療できていない巡海レンジャーの退化を、彼女なら解決できる可能性が高い。それに元仙舟人が苦しめられている魔陰の身についても。同じ天才が齎した生体変化と、長命種に残る難題。どちらも興味深いテーマのはずだ。
私で完結することなら、身を明け渡す覚悟はとうに出来ている。全ては民のために。
スタッフに案内されるがままに、私はヘルタの元へやってきた。ヘルタは、オフィスから離れたところにある人形へ意識を移しているようで、立った状態で何か考えているようだ。
私が声をかけると、表情を変えずにこちらを向いた。
「お待たせしました、ヘルタさん。定刻通りに参りました。こちら、メッセージで伝えさせていただいた、惑星データです。」
「うん。ついてきて。会わせたい人がいるの。まだ遠くには行っていないはず。」
ヘルタはデータを受け取ると、端末へとしまった。そして一定の声色でヘルタは言い、ステーション内を見回す。そして人形の視線をある一点に置き、歩き始める。私はステーションの主制御部分で佇むその人物を視認し、その異質さを感じ取った。
仙舟人のような服装をした黒髪の女性だ。髪には花飾りが付けられている。雰囲気は柔らかいが、どこか超然としている。ヘルタも含めて、今まで出会った誰とも一致しない性質だ。
私は確信した。彼女が訪問者のルアン・メェイだと。
女性はヘルタと私を見て、柔らかい声音で言う。
「こんにちは。この大きな方が、ヘルタの被験者の方ですか?」
「そう。大きいの、彼女は#81ルアン・メェイ。星核の研究は一旦中止。また興味が出そうだし、気が向いたらやるから、その間あなたは彼女に実験されて。いい?」
「はじめまして、ルアン・メェイさん。ええ承知しました。…ヘルタさん、惑星データの収集は引き続き行うということでいいんですよね。」
「うん、そうしてもらう。それじゃ、引き渡しは済んだから。」
ヘルタは頷くと、その場を去っていった。
彼女が行った研究は、仮想空間での星核の力の解放である。星核と私の体がどのように融和しているのか、研究をしていた。だがデータ取りの際、あまり私の体から情報を得られなかったようだ。一旦凍結になっても不思議ではない。
星核についてはまだまだ既知の情報は少ない。新しい成果を上げるにしても、ある一定の積み重ねは必要なのだろう。
残された私とルアン・メェイは、言葉を途切れさせ沈黙が続く。先に言葉を紡いだのはルアン・メェイの方だった。
「ヘルタから聞きました。豊穣の民の体に、複数の異物が混ざっていると。あなたは私にとって、研究しがいのある実験サンプルです。また、これはヘルタがあなたにした約束の範疇です。加えて私からも報酬を用意しますから、安心してください。」
「ご親切にありがとうございます。貴女の研究に一つでも進展があると良いのですが。」
天才であっても、日常で用いるような表層的な思考はある。だが彼女の考えは全く読み取れない。体が冷えるような感覚がするが、それを表には出さず彼女の真意を探り続けることにした。
主制御部分から宇宙船の着陸場へ向かう間、まず私はルアン・メェイの趣味嗜好について聞いた。
彼女は、菓子や音楽、刺繍など、生物学とはまた違う趣味を持っているようだった。今まで出会った三人の天才は、自身の頭脳を活用することこそが趣味のようであったため、新鮮な気持ちになった。
ヒスイノにはだいぶ食文化が集まっている。彼女が欲しがるような菓子を渡してみるのもいいかもしれない。
こちらから話を振り続けて、私は一つ表面的な情報を得た。それはルアン・メェイという女性が、根っこの部分では人を信頼していない、もしくは信頼する方法を知らないということだ。
また根源に注視しているため、短期的な個については無関心だ。つまり生命への興味だけがあり、個体の寿命には興味を示していない。健康であれば、実験結果が正確になるという程度の認識だ。
まるで星神や使令のようだと私は思った。決まった法則でのみ権能を振るえる、強大な力を持った存在。残っている僅かな感情や趣味嗜好さえ棄て、生命の探究に費やした場合、彼女は人間でなくなる。そのような予感がした。
彼女がステーションに来たのは、ヘルタの構想している新しいプロジェクトに加われないか勧誘を受けたことと、研究のための物品を借りるためだという。ルアン・メェイは模擬星神を作る部分に興味が湧いたらしく、快諾したようだ。
宇宙船の停められた場所に来ると、柔らかい口調でルアン・メェイは言い、二つの宇宙船を指し示す。
「あなたは言葉を引き出させるのが上手ですね。では、それぞれの宇宙船に乗っていきましょう。ついてきてください。」
「ええ、ついていきます。…貴女に話したいことには、ステーションでは出せないような情報もあります。貴女の得られる成果に釣り合わないでしょうが、もし私の言う「協力してほしいこと」を報酬としていただけるならば…数十琥珀紀に渡って磨かれた、狼の生物科学技術もお伝えしたい。」
私は、人間には様々なタイプがいることを理解している。中でも彼女は、ほぼ自己完結しているタイプの人間だ。それが純化され過ぎている。金銭的利益には興味がなく、他者との交流も僅かしかしない。
故に、わざわざ外部に私たちの技術を漏らすこともしないと確信した。
ルアン・メェイは首を少し横に傾けると、表情を変えないまま宇宙船に乗り込む。私も彼女に続き、自身の乗ってきた宇宙船に乗って、ルアン・メェイの船を追従する設定に切り替えた。