数日が過ぎた。ベクター星は表情が変わることが少なくとも、人見知りせず情緒も豊かなようで、宇宙船の人員と馴染んでいる。今は探検をすると言って、二人と一匹を連れ、宇宙船内の様々な施設に向かっているようだ。
この星の行動力について、記憶を失っている故か、元来の性格なのかは分からない。だが好奇心旺盛な部分は、白珠のような「開拓」の精神を感じさせてくれる。私にとって好ましい性質だ。
何か危険な物があっても、サマンサが彼女の手を止めてくれるだろう。私は、智械黑塔の研究室以外に入れるよう、カードキーを渡しておいた。
私は業務の傍ら、最後の布石を打ち終え息をつく。私の記憶にある終焉の描写、その最も大きなものはすぐそこまで来ている。それに加えて、問題が次から次へと舞い込んでくる。悩みは尽きない。
直近の悩みは、ルアン・メェイの実験の後処理だ。ルアン・メェイの実験生物がどれだけ未処理で溜まっているかによるが、どの程度にせよ早々に用を済ませる必要がある。万が一を考えた際、後処理に時間を取られ過ぎてはならない。
またもう一つ、カフカの言霊だ。この技は生物に対し、圧倒的に有利な状況へ持ち込める。カフカには銀狼がついている以上、外的装置で対処ができないことが分かった。どれだけ力を持っていても、等しく有機生命体に作用するならば、何としてでも対策する必要がある。他にも同じような力を持った個がいた場合、拘束されていては敵の思うつぼだ。
機械が封じられるなら、肉体へのアプローチが必要になる。それこそ、ルアン・メェイの専門分野である。何とか彼女の興味を再び引き、協力を得たいところだ。
宇宙船は長距離ワープを繰り返し、知る者のほぼいない星系へと辿り着く。ルアン・メェイに宇宙船の人員が足を踏み入れていいか確認を取ったところ、場所を限れば問題ない旨が返ってくる。私は数年ぶりの依頼を片付けるため、智械黑塔たちと共に惑星へと降り立った。
私にとって見慣れた風景であっても、宇宙船に加わったばかりのベクター星にとっては知らない土地だ。特にベクター星にとっては、目覚めてから初めて見る惑星である。
彼女は持ち前の強い好奇心から、立ち並ぶ研究施設群に忙しなく視線を向けている。
「狂风…あのヤングコーンみたいな建物、何か分かる?」
「あれも研究施設だ。層一つ一つが小さな研究室になっている。」
ベクター星には、この惑星が「天才」の所有地であることを説明してある。宇宙における天才の影響力と、その特殊な人格についても。星は深く頷いていたが、おそらく完全には理解できていない。ここでもサマンサたちについていてもらう必要がありそうだ。
ルアン・メェイの居住建造物に足を運ぶ。中に入ると白衣を着た女性が私たちに視線を向けた。丁度研究中であったようだ。ルアン・メェイは視力を増強するための眼鏡を外すと、椅子から立ち上がる。
「こんにちは、助手さん。そして智械黑塔と、宇宙船の皆さんも。」
「ルアン・メェイさん、早速だが今回処理しなければならない実験生物について教えてくれ。」
「はい。では、助手さんと智械黑塔はこちらへ。…お菓子もありますから、食べながら待っていてくださいね。部屋は好きに見てもらって構いませんよ。」
ルアン・メェイはそう言って、戸棚を手で示し小さく微笑む。この人付き合いを厭う天才が、ここまでもてなしをするのは、何か考えがあるのだろう。私はこの部屋に残るサマンサに、無邪気に喜んでいる二人をよく見ておくように念押ししてからその場を離れた。
――――――
狂风と智械黑塔、そしてベクター星にとって初対面の女性、ルアン・メェイが部屋から去るのを見送る。星は今、いつも以上の自由を手にした気分であった。白くて大きい、やたらとダンディな声の毛玉が見ていてくれることは彼女にとって安心できる状態ではあったが、冒険をしたいという思いもまた事実なのだ。目付け役のサマンサや、気の合うサユどちらも巻き込んで、探索をしようという気持ちが仕上がっていた。
天才と対外的に呼ばれるからには、凄まじい頭脳なのであろう。そんな女性が住まう場に、価値のないものなどない。ルアン・メェイは去り際、この部屋は好きに見て回っていいと言っていた。こんな絶好のチャンス、星は逃せない。
「サマンサ見て。天才ってゴミ箱の中も先進的なんだね。」
「もう、ばっちいですよ!」
「その怒り方が違うことは、拙にも分かるぞ…。」
星の目には、部屋のあらゆるものが物理的に光り輝いて見えた。貼られた理解不可能なメモであったり、ルアン・メェイが作り上げた刺繍の数々。そして未知の塊で、開けてみるまで何が入っているのか分からない宝箱であるゴミ箱まで。
サユが小さな体で星の腰にくっついて押しとどめようとしても、快進撃は止まらない。星は最終的に近未来的なデザインをした戸棚へと目を向けた。そして用意された菓子の奥に、何やら不穏な雰囲気を漂わせる別の菓子があることにも気づく。
それは随分前にルアン・メェイが買ってきて、思った以上に口に合わなかったゆえに放置された、消費期限切れの菓子である。星はそれを取り出すと、ぷるぷると手を震わせて開ける。
「度胸試しって、できるときにすべきだよね。」
「…おい、それは美味しくないぞ。それに絶対お腹を壊すから、やめたほうがいい。」
「――いただきます。」
サユは分かっていた。ルアン・メェイがかなりの菓子通であり、そんな彼女が殆ど手を付けず忘れるまで奥にしまっていたものなんてろくな菓子ではないと。
星は倒れた。
――――――
ルアン・メェイを先頭に、ある実験棟へと入る。人に研究の多くを見せたくないがため、彼女は場所を移した。ルアン・メェイは電子端末からリストを表示させる。数年分にもなると、量も多い。幸いにも危険性の高い生物はいないようだ。
智械黑塔はじっと画面を眺め、ある場所でスクロールを止めさせる。そして智械黑塔は頭を押さえながら、大きく息をついた。
「どうされたのですか。」
「直近のこの研究…宇宙ステーションで行っているでしょ。後、この実験…データログから消されているけど、これこそ処理すべきだよ。」
「智械黑塔はまた機能を追加したのですね。機械生命体らしい、汎用性の高い機能です。」
「…言わないでおいてよかった。」
智械黑塔の瞳が緑色に光り、電子端末に投影された画像ファイルが書き換えられる。消されていた実験ファイルが再び可視化されたのだ。同時に実験生物の外見が明らかになる。それは巨大な蟲であった。それもただ大きい蟲ではない。これは繁殖の使令の再現。かつて無数の惑星を砕き餌にし、災禍を生んできた王蟲の名前がそこには記されていた。
「…なるほど。今貴女が興味を持っているのは、これというわけだ。」
「はい。豊穣に近しく、生命としても純粋な個体ですから。模擬宇宙の完成により、ようやく再現に成功したのです。」
ルアン・メェイは頷くと、この実験の概要を話した。まず前提として模擬宇宙は、新しく天才クラブに加入した、スティーブン・ロイドを開発メンバーに入れ、完成にまで至っている。だが主観を開拓の星神アキヴィリとする計画は、あまり上手く進んでいない。私を含め、テスターとして採用した複数名では何かが足りないようだ。
ルアン・メェイ曰く、模擬宇宙の仮想空間は広く作られており、開発メンバーにしか共有されていない領域も存在する。その一つに大昔の出来事「宇宙の蝗害」を再現した空間があるという。
ルアン・メェイは、その再現された宇宙の蝗害のデータを使い、憶泡、模擬宇宙内の星神のデータなどを合わせることで、繁殖の使令、「砕星王虫、スキャラカバズ」の模造を作り出したのだ。
私にとって、それは驚きの感情しか浮かばない事象であった。いくら完璧に再現されていようと、模擬宇宙は仮想空間である。データのみで生物を、しかも使令を生み出せるとは思いもしないことだ。
「――ですが、やはりこのサンプルは大きなトラブルになりかねません。ある時期を見計らって、私自ら処理をしようと考えていました。」
「なら、データに残しておいて良かっただろう。私もだいぶ長いこと、貴女の実験の後処理をしてきた。…宇宙ステーションと交流があるとはいえ、私たちは部外者だ。貴女を糾弾することはない。隠さなくても対処はする。」
ルアン・メェイは目線を下に向ける。まるで隠し事を見つけられた子どものような仕草だ。彼女は言葉通り、スキャラカバズの模造の危険性を理解している。
ヘルタに宇宙ステーションの一部を貸し出してもらっているとはいえ、何故理性のない蟲の使令を培養したのか問い詰めたい気持ちはあるが、そんなことをしてもどうにもならない。天才の好奇心は、凡人の価値基準で測れるものではないからだ。
「今行っている実験の結果が出るまで、もう少し時間がかかります。私もヘルタから研究資材を借りるため宇宙ステーションに向かうつもりですが、時間のずれは生じるでしょう。」
「…その、今行っている実験については、処理が必要か?」
「いいえ。この実験は、ある人物との取引から生まれたもので、その結果も予想済みです。サンプルを助手さんに処理していただく必要はありません。」
私は核心をつかないような質問をして、現在行っているというその実験の内容を聞きだそうとしたが、ルアン・メェイの口からは曖昧な言葉のみが紡がれた。彼女が断定するのは、実験サンプルが何らかの処理が為されるものではないということのみ。
だが二百年ほどの付き合いがあると、ルアン・メェイの完璧に作られた表情の裏側にも見えるものがある。間違いなく、その実験には厄介ごとが潜んでいる。
私はじっとルアン・メェイの顔を見つめた後、その取り繕いが変わらないことを確認してから詮索することを止めた。
そして私はルアン・メェイに、話を持ちだす。言霊という特殊な洗脳能力を説明した上で、私の肉体を研究してくれないかという相談である。今回の後処理の報酬を前借するという位置づけでだ。
ルアン・メェイは軽く頷きながら話を聞き、小首を傾げた。
「指向性を持たせただけでは、干渉を防げないということなのでしょうか。…ご褒美をあげるのは大事なことです。少し前、試行していたことがあります。精神的干渉を避けたいならば、それが使えるかもしれません。」
ルアン・メェイは表示記録を変えると、私たちにその実験内容を見せた。ホログラムで出力されたその実験個体の姿には見覚えがあった。副脳と呼べばいいのか、体内のいたるところに脳が埋め込まれた個体だ。
実験目的は確か、有機生命体の脳の量がどこまで知性や思考力に影響を及ぼすかであった。ルアン・メェイはこれを見せながら続ける。
「有機生命体の感覚器官を通してその言霊が洗脳を行うのであれば、副脳を体内器官に作り出すのは有効的な手段でしょう。」
「私の治癒能力が、副脳を異物と判断する可能性はあるだろうか。」
「血肉が助手さんの表層を構成していない以上、不死性はあれど不変性は無くなっていますよ。その証拠に、あの実験以降あなたの体には換毛期が再来しています。」
私は彼女にとって未だ実験のサンプルだ。ルアン・メェイほどになると、見ただけでもバイタルチェックは大まかにでき、触れれば完璧に把握できるのだ。私は納得するとともに、智械黑塔のほうを見る。智械黑塔は好きにすればと一言口にした。
「ルアン・メェイさん。時間に余裕が出来たらその施術を願いたい。実験が終わり、問題なく繁殖の使令を培養しているシャーレを処理し終えた後、手を借りることにしよう。」
「はい。それでは、後処理の方をお願いしますね。」
偶然にもこれで、宇宙ステーション「ヘルタ」に向かうためのしっかりとした理由が出来た。私は繫殖の使令の複製が動き出さないように、保存している条件を詳しく聞きだした上で、何秒間それが活動できるのかを尋ねておく。宇宙ステーションへの滞在時間と場所の制限はあれど、過去に使令の再現を何十回も行った経験があるからだろうか。彼女は180秒という回答を口にした。
それから私はルアン・メェイの居住空間に戻り、驚きの光景を目にすることになった。星が年頃の少女にあるまじき白眼を剥いて倒れており、二人が欠け月を使って癒やしている。他人に関心のないルアン・メェイも、自分の部屋で客人が倒れているなど理解が及ばない事象であったようだ。
サマンサとサユからこうなった経緯を聞き、そのあまりの突拍子もない行動に驚きながらも、これはまた繰り返されそうだとも思い、また一つ悩み事が増えた。
―――――――
少しばかり騒がしい集団がある惑星から去り、一人の天才が端末を操作するだけの静寂が再び戻る。ルアン・メェイは、生命維持機能を有した医療用ポッドの中にいる患者、兼被検体の肩口にある「壊滅」の残滓を眺める。
取引相手の目的は知る必要はなく、興味はない。ただ、生命に対する探究は続き、受け取った患者の彼女もまたその足掛かりとなるに過ぎない。
天才は語りかけ続ける。生と死の境を彷徨う狐族の少女に。生の渇望は無から生み出されるという持論を証明する一つになるか、またはそれを拒む希少なデータとなるか。
「怖がる必要はありません。前へ、一歩前へと進んでください。」