炎が燃えて、夜空を赤く染める。
さながら赤い月の夜のようだ。
炎の位置には、村人が避難していた酒場がある筈だ。
つまり、酒場が燃えている。
「くそ……何がどうなってやがる!」
炎は刻一刻と広がり、次々と民家に燃え移っている。
いずれは村中が燃えてしまうだろう。
獣も"虫"も、人も関係なしに。
匣の地形で村の外に被害が出ない見込みであるのがせめてもの救いだ。
チャーリーから託された手帳を使って脱出すれば、ひとまずは安全を確保できる。
「人?! ……いや、だめだ。すでに死んでいる」
村から脱出できる出入り口は、燃える酒場の近くだ。
だから炎の方へ進む形となるのだが、その道中で炎から逃げただろう人の姿があった。
全員、もう生きてはいない。
「……言いたくはないが、この村はもう終わりだな。何もかも、ヤーナムの時と同じだ」
燃える人や獣の遺体を尻目に、俺はどんどん炎の方へ進む。
狩人の体は強靭で、今着ている装束も普通の服なんぞよりは炎への耐性もある。
体も装束も無事なうちに、脱出してしまうべきだ。
「がぅ、がう、がぁぁ……」
「……お前」
何人か燃える獣の相手をしながら、ついに出入り口近くの酒場にまでたどり着いた。
やはりというか、酒場に避難していた村人や防衛していた警官達の気配なんてなくて、もう誰もいないのが肌で感じ取れた。
その感覚を裏付けるかのように、獣が警官の遺体を貪り食っていた。
あの時逃がしちまった"匣背負い"だ。
「また会うことになるとはな、"匣背負い"」
よほど腹が減っていたのだろう。
俺の気配に気づいている筈だが、食事をやめようとしない。
やはり、村人の逆鱗を覚悟してでも狩りに向かうべきだった。
どうにも俺は人を救う選択肢ってのが、必要な時に見えないらしい。
とはいえ、今更後悔しても仕方ない。
もう村は燃えている。
こいつが酒場を襲撃したせいで燃え出したのか、それとも警官達がやらかしたのか、それとも村人が馬鹿やったのか。
いずれにしろもう変わらないし、これからすべきことも変わらない。
俺は村を脱出しなきゃならない。
この炎から逃げ延びて、生きなければならない。
いや、ここまで何もかも燃えているなら。
それで十分"獣の病"の根絶は果たしたと言ってもいい。
炎の中でもしぶとく生きるこの"匣背負い"さえ狩ってしまえば。
「今更、言葉は不要か」
これが、この村での最後の戦いだ。
◆
「うわーん、うわーん」
どこかで、赤子が泣いているのが聞こえる。
「ぐぉぉおおおおおお!」
そんな声をかき消すように、"匣背負い"が叫び大きな爪を持つ剛腕を振り上げる。
俺を切り裂いて殺すつもりだろう。
「っ」
だが大ぶりで隙だらけだ。
だから容赦なくエヴェリンを構えて、"匣背負い"の急所めがけて射撃する。
「がぁっ!」
「な……銃弾を弾いたぁ?!」
エヴェリンから放った水銀弾で"匣背負い"の体幹を崩す筈が、その"匣背負い"の爪で水銀弾を弾かれてしまう。
実にふざけた技量だ。
今までこんなことしてくる獣なんていなかった。
「ぐぅぅう!」
「っ……くそっ!」
だからまぁ、俺としたことが動揺しちまって、奴の爪による反撃を食らっちまった。
「お返しだ!」
「ぐぅっ?!」
だが幸い動けなくなるほどの重症ってわけでもない。
続けて振り下ろしてきやがった追撃の爪はしっかり避けて、逆に血の刃を纏う千景で何度も何度も"匣背負い"に斬りつけてやった。
肉を切り裂く小気味よい感触と共に次々と獣の血が噴き出て、こっちの装束は血まみれになっちまう。
だがその分、奴にやられて失った血を取り戻して活力が漲った。
狩人の業の一つである"リゲイン"って奴だ。
「ぐぉぉおおおおお!」
「刃の間合いから逃げやがったか。……いや、むしろ好都合だ。今のうちに仕込みをさせてもらおうか」
大量の血を出した"匣背負い"が、強引に俺から距離をとった。
千景の連撃から逃げるためなのは今更だろう。
だがそれで開いた距離を利用して、一つ仕込みをする。
「普段は使わない切り札の"骨髄の灰"。これで次の弾は特別だ。確実にぶちこんでやる」
"骨髄の灰"。
かつてカインハーストへ向かう途中に立ち寄った"ヘムウィックの墓地街"。
そこでそれなりの量を入手したのが、この"骨髄の灰"だ。
この道具もまた、狩りのための道具。
効果としては『銃弾の威力を向上』するってな具合で、血質に優れない狩人のお供って触れ込みだった。
だが俺に言わせれば、俺のように特別な血を持って水銀弾の威力が高い狩人が使ってこそ真価を発揮する道具だ。
普段は使う手間や隙、それから水銀弾よりは貴重っていう事情も相まってあんまり使わない。
だが俺の血質とエヴェリンの特性、それから骨髄の灰の効果が全て合わされば、必殺の一撃と言えるまでに強力になる。
次も弾けると思ったら大間違いだぜ……!
「がぁああぁああ!」
「さぁ勝負だ!」
"匣背負い"がまた仕掛けて来た。
それに合わせて、俺も骨髄の灰で強化したエヴェリンで水銀弾をぶっ放す。
「がっ?!」
"匣背負い"の大爪と、俺の水銀弾。
激しい金属音と鋭い火花が交差するその場で、打ち勝ったのは俺の水銀弾だった。
水銀弾を弾こうとした"匣背負い"の爪を、逆に水銀弾が弾いてやった。
それでようやっと、"匣背負い"の体幹が崩れた。
「おらぁあ!!!」
奴の懐に潜り込んで、思いっきり"内蔵攻撃"を叩きこむ。
そうすりゃさらに大量の血を出して、奴の体が吹き飛んでいく。
「ぐっ……!」
「っ! おいまじかよ……!」
だが吹き飛んだ"匣背負い"は、地面に倒れ込む寸前で地を踏みしめて踏みとどまった。
何が何でも倒れない。
そう言いたげな、凄まじい意思を感じた。
「こいつぁ、"不死身の獣"や"首無しの獣"なんぞよりよほど難敵だな…………んぁ?!」
「ぐっ?!」
そのタイミングだ。
俺達の周りを囲み、そして酒場を苛んでいた炎がより強烈な勢いを纏いだした。
その勢いは酒場の木組みをきしませて、ついにはその一部が崩れ出した。
「ぐぉ……?!」
炎を纏う瓦礫が向かう先は、"匣背負い"だ……!
「がぁあぁああああああああああああああ!!!!!」
「冗談だろ……瓦礫を受け止めやがったぞこいつ?!」
だが"匣背負い"は、その瓦礫を両手で受け止めていた。
絶対に地に伏せまいと、炎に飲まれながらまだ踏みとどまっていた……!
「ぅぐぁあぁああ!」
「っ! ……こいつ」
"匣背負い"が、受け止めた瓦礫を俺の方へ投げつけてくる。
それをするりと避けて凌ぐが、どうにも冷や汗が止まりそうにない。
「うわーん、うわーん」
また、赤子の声が聞こえる……。
だがそれにかまけている暇はない。
「爪に、炎か。……あまり食らいたくねぇな。普通よりは燃えにくい装束を着てるつったって限度がある」
"匣背負い"の大爪に、炎が燃え移った。
その炎は"匣背負い"自身を苛むだろうが、その状態の爪を食らおうもんなら俺も炎に飲まれちまう。
奴のその強靭な意思を思えば、かなり状況が悪い。
今までのどの獣や化け物よりも、この"匣背負い"は危険だ。
「ぐぅぉおおおおおおお!!!」
「好きにさせねぇよ!」
"匣背負い"が炎の爪を振り下ろしてくる。
無論食らいたくないから避けるわけだが、奴はそれを見越したような踏み込みでさらに何度も爪を薙ぎ払ってくる。
だからあえて素のエヴェリンを射撃し、わざと奴に水銀弾を弾かせる。
弾が一発無駄になったが、その代わり少しだけ時間を稼げた。
「らっあぁ!」
「がぁっ?!」
隙を晒した"匣背負い"の肉に、千景の血の刃を突き刺してやる。
それからすぐ引き抜いて、思いっきり踏み込みながら押し込むように力強く斬り下ろす。
これでかなり血の劇毒が回る筈だ。
「ぐぅぁああ!」
「っ!」
だが"匣背負い"からの反撃も食らっちまう。
奴の強靭な肉体で強引に押され、そのままよろけた隙に燃える爪を一発食らっちまった。
これは輸血液を使わないとまずい奴だ……!
「っ……!」
「っ! があぁぁ!」
すぐさま後方へ向けて地を蹴って距離をとり、それからすぐ輸血液を懐から取り出す。
が、"匣背負い"は何かに気づいたかのようにすぐ踏み込んで燃える爪を振り上げた。
何が何でも輸血液を使ってほしくないらしい。
「それがてめぇの敗因だよ、"匣背負い"」
けど、それこそが狙いだ。
輸血液を取り出す隙は、ブラフだ。
奴はまんまとそのブラフに引っ掛かったってわけだ。
「ぐっ?!」
取り出した輸血液を捨てて、左手のエヴェリンで水銀弾を発射。
俺が輸血液を使うと思い込んでいただろう"匣背負い"にとっちゃ、いい奇襲だろうよ。
水銀弾を弾くことすらできず、そのまま急所を撃ち抜かれてまた体幹を崩しやがった。
俺の狙い通りだ。
「これで、しまいだぁあああ!!!」
最後の、"内蔵攻撃"。
思いっきり右手を奴の肉体に突き刺して、思いっきり内蔵に衝撃を叩きこんでやる。
「がぁああああぁあぁあああぁぁぁぁぁ…………」
内蔵攻撃を食らった"匣背負い"は、致命的なまでの量の血を吐きだして、けれども体をよじってうつ伏せに倒れていった。
最後まで背中の匣を庇って、そのまま血だまりに沈んで息絶えた。
「うわーん、うわーん」
◆
「最後まで背中の匣を最優先か。こいつのために、内蔵攻撃の衝撃を踏みとどまって、瓦礫も受け止めた。……化け物だな」
"匣背負い"は普通の獣ではなかった。
明らかの他の獣にはない強靭な意思を感じさせて、そしてそれは奴が背負っていた匣に根差したものだったんだろう。
最後に倒れ伏す時、無理やり体をよじってうつ伏せになったのが露骨だ。
仰向けに倒れて背中の匣が潰れるのを、気合で回避してみせたんだ。
「うわーん、うわーん」
また赤子の声が聞こえる。
ヤーナムの時は何度も聞いた声だ。
だが不思議なことに、匣の村においてはこの"匣背負い"の近くでしか聞いた覚えがない。
奴がいない場所では一度も聞こえなくて、でも奴がいる場では何度も聞こえた。
……奴が背負っていた匣が、音の出どころなんだろうよ。
ここまで情報が揃えば、わかるさ。
「……墓でも暴くような気分だ。悪く思うなよ」
"匣背負い"の遺体から匣を引き剥がす。
そして、その匣の中を暴いて中を開く。
「うわーん、うわーん」
「……赤子だ。まだ生きている、人間の赤子だ」
匣の中には、まだ生きている人間の赤子が隠されていた。
赤子を傷つけないようにたくさんの衣でくるんでいて、だからなのか、それともそれだけ"匣背負い"が気を使っていたのか、赤子は無事だった。
「ずっとこの子を護っていたんだな。飢えを誤魔化して、獣の本能にも耐えて、まるで悪夢の中を彷徨うかのように」
血だまりに沈む獣を見やる。
もう、動く気配はない。
だがそれでも、個人的に褒め称えたい気分だった。
「お前の目覚めが、有意なものであることを願う」
最後の獣は狩った。
後は、この燃える村から脱出するだけだ。
この赤子を連れて。
それが、俺が継ぐべき意思だった。
◆
警官・村人ともに死者多数。
生き残りは殆どなし。
ただ、匣に隠された赤子だけが"村の生き残り"となり。
赤子と共に生存した狩人"ジャック"の手で、村から脱出できたという。
獣の病による悲劇が横行する世において、その生還は数少ない奇跡だった。
これにて『匣の村』は完結となります。
ここまでご高覧頂きありがとうございました。